土曜日, 7月 13, 2019

歴史序説



120年周期説の元祖はイブン=ハルドゥーン
https://www.y-history.net/appendix/wh0504-014_1.html
ハルドゥーンが言うには、イスラーム世界には、文明の進んだ都市(ハダル)と、
そうでない砂漠(バドウ)とがあり、砂漠に暮らす人々が強い連帯感(アサビーヤ)を
持って勃興し、都市を征服し強力な国家を建設するが、やがて都市生活の中で連帯感を失い、
新たな集団に征服されるということを繰り返しているというのである。
またその交替は3代120年で起こると言っている。
(参照『歴史序説1』岩波文庫440,442頁

440:
 われわれの説明の正しさは、イスラエルの子らが四〇年間砂漠に滞在したという事実からみ
てもわかることである。この四〇年は生きている世代の者が死滅して、次の世代の者、すなわ
ち[エジプトでの〕屈辱を体験せず、またそれを知らなかった人たちが成長することを意味する。
これこそ、一世代の期間を個人の寿命と等しく四〇年間と考えねばならないことを指している。
 われわれは王朝の存続期間が一般に三世代を越えることはないと述べた。

442:

 すでに読者も了解されたように、王朝の寿命は三世代で、この世代を経るうちにその王朝は

老衰し、弱り切ってしまう。したがって祖先の威光が完全に崩れるのは、第四世代になってか

らである。栄誉と威光が四つの世代に限られることはすでに述べた通りであるが、われわれは

さきに確立した諸前提にもとづいて、明確な議論をもって証明してきた。読者はこのことをよ

く考えねばならない。もし読者が公平な人であるならば、その真実を見逃してはならない。

 三世代の期間が一二〇年であることはすでに述べた通りで、一般に王朝は、たまたま誰も王

朝を攻撃する者が現われない場合を除いては、多少の長短があってもそれ以上存続することは

ない。老衰の光候が眼に見えてはっきりすれば、その王朝の権力を求める者がなくなる。もし

あったとして、その者をはね除けるほどの者は出てこないであろう。しかるべき時が来れば、

王朝の終焉は一刻も延ばされることはないし、また早まることもないのである。




120年周期説の元祖はイブン=ハルドゥーン
https://www.y-history.net/appendix/wh0504-014_1.html


世界史序説

イスラーム歴史学の大家イブン=ハルドゥーンが著した歴史書。

 イブン=ハルドゥーンが1377年に著した歴史書で、正確には『省察すべき実例の書、アラブ人、ペルシア人、ベルベル人および彼らと同時代の偉大な支配者たちの初期と後期の歴史に関する集成』という題名も長いが、本文も長大な歴史書のまさに序論にあたる部分をさしている。岩波文庫に翻訳(森本公誠訳、全4冊)があるが、そこでは『歴史序説』という題名になっている。
イブン=ハルドゥーンの歴史論 山川出版社の教科書『詳説世界史』p.114に「都市と遊牧民の交渉を中心に、王朝興亡の歴史に法則性があることを論じた」とあるが、それはどういうことかというと、イブン=ハルドゥーンが言うには、イスラーム世界には、文明の進んだ都市(ハダル)と、そうでない砂漠(バドウ)とがあり、砂漠に暮らす人々が強い連帯感(アサビーヤ)を持って勃興し、都市を征服し強力な国家を建設するが、やがて都市生活の中で連帯感を失い、新たな集団に征服されるということを繰り返しているというのである。またその交替は3代120年で起こると言っている。人々を連帯させる砂漠の生活と、人々の連帯を希薄にする都市文明という対比は、現代の世界を考える際にも興味深い見解であると思う。


ハルドゥーンが言うには、イスラーム世界には、文明の進んだ都市(ハダル)と、
そうでない砂漠(バドウ)とがあり、砂漠に暮らす人々が強い連帯感(アサビーヤ)を
持って勃興し、都市を征服し強力な国家を建設するが、やがて都市生活の中で連帯感を失い、
新たな集団に征服されるということを繰り返しているというのである。
またその交替は3代120年で起こると言っている。
(参照『歴史序説1』岩波文庫440,442頁


440:
 われわれの説明の正しさは、イスラエルの子らが四〇年間砂漠に滞在したという事実からみ
てもわかることである。この四〇年は生きている世代の者が死滅して、次の世代の者、すなわ
ち[エジプトでの〕屈辱を体験せず、またそれを知らなかった人たちが成長することを意味する。
これこそ、一世代の期間を個人の寿命と等しく四〇年間と考えねばならないことを指している。
 われわれは王朝の存続期間が一般に三世代を越えることはないと述べた。第一世代は田舎的
遊牧的性格、質実剛健性、砂漠の野蛮性を保持している時期で、つまりその人は困窮に慣れ、
勇敢で食欲であり、またお互いに栄光を分け持っている。したがって、彼らはまだ連帯意識 の
力を保持しており、鋭敏で大いに恐れられ、人々は彼らに服従する。
 第二世代の人は、王権と安楽な生活のもとに田舎的遊牧的生活から都会の生活へ、困窮から
審像と豊富へ、全員が栄誉を分担する状態からある者が栄誉を独占して、他の者が栄誉を競わ
ず怠慢になる状態へ、誇り高い名声から卑しい追従へと変る。こうして、連帯意議の力が多分
に損なわれ、人々は卑騰と服従に慣れる。しかし、彼らには古い徳性の多くがまだ残っている。
というのは、彼らは第一世代の人
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442

 すでに読者も了解されたように、王朝の寿命は三世代で、この世代を経るうちにその王朝は

老衰し、弱り切ってしまう。したがって祖先の威光が完全に崩れるのは、第四世代になってか

らである。栄誉と威光が四つの世代に限られることはすでに述べた通りであるが、われわれは

さきに確立した諸前提にもとづいて、明確な議論をもって証明してきた。読者はこのことをよ

く考えねばならない。もし読者が公平な人であるならば、その真実を見逃してはならない。

 三世代の期間が一二〇年であることはすでに述べた通りで、一般に王朝は、たまたま誰も王

朝を攻撃する者が現われない場合を除いては、多少の長短があってもそれ以上存続することは

ない。老衰の光候が眼に見えてはっきりすれば、その王朝の権力を求める者がなくなる。もし

あったとして、その者をはね除けるほどの者は出てこないであろう。しかるべき時が来れば、

王朝の終焉は一刻も延ばされることはないし、また早まることもないのである。

 このようにして王朝の寿命も個人の寿命と同じで、生長し、停滞の年齢を経て退化の年齢に

向かう。だから、一般に人々は王朝の寿命を一〇〇年であると言っているが、これも私がいま

説明したものと同じ意味なのである。