【番外編】2019年ノーベル経済学賞とDX(前編)
2019年10月15日
10月14日、今年のノーベル経済学賞受賞者が発表された。受賞理由は貧困削減を目指す開発経済学の分野に「ランダム化比較試験(RCT : Randomized Controlled Trial)」という新たな手法を取り入れ、開発プログラムの政策効果を飛躍的に向上させた功績が評価されたことにある。このRCTは現在開発経済学以外の領域でも広く活用されている。ビジネスに近い領域で、いわゆる「A/Bテスト」と呼ばれる検証手法もRCTの応用である。ビジネスにおける様々な施策の効果検証は、利用できるデータの急増とデジタルツールの普及によって急速にその重要性を増している。今年のノーベル経済学賞をきっかけに、RCTを学んでみてはいかがだろうか。
「ランダム化比較試験:RCT」とは
受賞者はマサチューセッツ工科大学(MIT)のアビジット・バナジ-氏と、エスター・デュフロ氏、それに、ハーバード大学のマイケル・クレマー氏の3人である。受賞理由は、世界的な貧困削減のための開発支援プログラムに、新薬の薬効の検証などに用いられてきた「ランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)」を取り入れ、貧困削減の政策効果を実証可能にした功績が評価されたものだ。
さてこの「ランダム化比較試験:RCT」とは、ある施策(その筋では「介入」と呼んだりする)を導入することで、目指した効果がどの程度実現されたのかを正確に評価するための手法である。このRCTは当初医療の世界で発展してきた。例えば、新しい成分を含む新薬が開発された場合、その新薬の薬効が本当に効果的なのかを判断するためには、次のような観点から効果を判断する必要がある。
● 薬の投与以外の要因で結果に変化が出ていないか? ● 薬の投与による改善効果は、他の治療方法よりも優れているか?薬の投与以外の要因としては、例えば患者の年齢や既往症、また時間経過による効果、他の併用している治療による効果、治療を受けている病院の質など様々な要因が考えられる。これらの要因の影響を取り除く最も効率的な方法が「同一条件の母集団からランダムに薬の投与と非投与のグループに分けて結果を観測する」というやり方である。こうすれば、薬の投与の有無だけが結果の差異に影響を与えているだろうと考えられるのである。
もう一つの「他の治療方法よりも優れているか」という点も重要である。例えば新たな風邪薬が開発されたとする。確かにその新風邪薬には治療効果があると確かめられたとしよう。ただ、ここで重要なのは「じゃあ4日安静に寝ている治療よりも費用対効果で上回るのか」という点である。RCTでは、薬の投与以外の効果が除去されているため、その薬の効果も定量的に測定可能である。結果、「通常4日の安静が必要なものを2日に短縮できた」となれば、その治療は効果的かもしれない。一方、「通常4日の安静が3日に短縮できた」程度なら費用対便益的にはあまり意味のない効果と判断されるかもしれない。
また、RCTは実験参加者の心理的な要因も排除することができる。例えば、省エネに効果があるとされる「電力料金の変動価格制」の実験を考えてみよう。もし、この実験の参加者を一般に募集した場合、その母集団は「省エネにそもそも関心が高い人たち」が多い集団になってしまうかもしれない。そのような「偏った」母集団で行った実験の結果は、社会全体とは異なった形で出てしまうかもしれない。そのような母集団の偏りによる影響(サンプリングバイアスと呼ばれることもある)もRCTでは取り除くことができる。
このような手法を受賞者たちは開発経済学の現実の政策検討に取り入れたのである。受賞者らのいくつかの実際の成果を見ると、その意外さに驚くかもしれない(加えて素人の想像力のなさにも驚くかもしれない)。
「途上国の教育の向上に最も効果的なのは、『生徒の寄生虫の駆除』」 「途上国の幼児へのワクチン接種率の向上には、摂取に来た親へ豆をお土産に与えること」などなど。これらの意外とも思える施策は、ランダム化比較試験によって効果が実証されており、さらに効果もきちんと定量化されているのである。このような貢献が評価されてのノーベル経済学賞受賞である。受賞者の一人であるデュフロ教授のTED講演「貧困と戦う社会実験」があるので参考までに(日本語の字幕もある。画面下部のTranscriptから日本語を選んでほしい)。
Esther Duflo: Social experiments to fight poverty | TED Talk受賞者らの著作
受賞者らの著作で、邦訳されているものがいくつかあるので簡単に紹介しておく。
■政策評価のための因果関係の見つけ方- [著] エステル・デュフロ、レイチェル・グレナスター、マイケル・クレーマー
- [発行日] 2019年7月
- [出版社] 日本評論社
- [定価] 2,300円+税
同書は受賞者のうちの2人、デュフロ教授とクレーマー教授が共著者として名を連ねている。タイトルから見ても分かる通り、ある「政策」がどのような効果を持つかを「評価」し、さらにその「政策」と効果の間にちゃんとした「因果関係」が存在するかを検証するための手法を紹介した本である。
最近「EBPM」という言葉を見かけたことはないだろうか?これは「エビデンスに基づく政策立案:Evidence Based Policy Making」の略称で、効果が実証された政策を採用するためにRCT(とフィールド実験と因果推論)を活用するフレームワークである。同書はこの「EBPMの教科書」とも言える。
■貧乏人の経済学- [著] アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ
- [発行日] 2012年4月2日
- [出版社] みすず書房
- [定価] 3,000円+税
こちらはもうひとりの受賞者であるハーバード大のバナジー教授とデュフロ教授の共著である。こちらは上記の「政策評価のための因果関係の見つけ方」よりは、より貧困問題にフォーカスしており、具体的なRCTとフィールド実験による貧困問題の解決のプロセスが紹介されている。その多種多様な貧困問題にクリエイティブな解決仮説は目からウロコが取れる思いがするし、また実験構築の創意工夫には唸らされっぱなしになること請け合いだ(「ああこういうクリエイティブな部下がいれば…」とちょっと思ったりするかもしれない)。
一方で、それまでの開発援助の世界は「勘と経験」の「思いつき」だらけの世界だったのかとちょっと呆然とする。今までにも途上国には莫大な援助が注ぎ込まれてきたはずだが、その援助はほとんど効果を検証されることもなく、下手をすると独裁者や悪徳企業の私腹を肥やすことにしかなってなかったのかと脱力するかもしれない。実際、著者らのフィールド実験は、既得権益を持つ勢力から執拗で陰湿な政治的な圧力や妨害を受けてきた。それを見事にはねのける「データ」の威力に溜飲が下がる思いを味わえるだろう(「ああ、こういうロジカルで合理的な上司がいれば…」とちょっと思ったりするかもしれない)。
ついでに貧困は本当に減っているのか?
という疑問をお持ちの方も多いだろう。そういう方は以下の本を読んでみるといいかもしれない。
■FACTFULNESS- [著] ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド
- [発行日] 2019年1月15日
- [出版社] 日本BP
- [定価] 1,800円+税
「実は世の中は着実に良くなってきているが、私達(先進国の人たち、と言うべきか)は、その事実をきちんと受け止められないバイアスを抱えている」という内容である。この本を読むべきかどうかは、本屋ですぐに確認できる。同書の「イントロダクション」のpp.9-13にある13個の質問に答えてみてほしい。その結果が意外だと感じたらあなたはこの本を読むべきだ。
さて、後編では、RCTや因果推論の活用をより具体的にイメージできる本をいくつか紹介したい。ビジネスの現場でも活用できるアイデアが見つかるだろう。
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