土曜日, 4月 11, 2020

中野剛志#8 地政学

「グローバル化すべき」と言う人が、完全に“時代遅れ”である理由 | 中野剛志さんに「MMTっておかしくないですか?」と聞いてみた | ダイヤモンド・オンライン
https://diamond.jp/articles/-/231347

「グローバル化すべき」と言う人が、 完全に“時代遅れ”である理由

「グローバル化」はとっくに終わっている――。アメリカがグローバル覇権国家でなくなった現代において、グローバル化が終焉を迎えるのは当然の帰結。「グローバル化は不可逆の流れ」などと考えるのは、むしろ危険だと中野剛志氏は話す。いま世界の底流で何が起きているのか? 中野氏に解説してもらった。(構成:ダイヤモンド社 田中泰)

現実によって否定された、「グローバル化で平和になる」という楽観論


――前回、中野さんは「グローバル化は終わった」とおっしゃいました。いまだに「グローバル化は不可避の流れ」などと言っているのは、時代遅れで、危険ですらあると。
中野剛志(以下、中野) ええ。私たちはいま、冷戦終結以降の国際秩序が崩壊するプロセスに立ち会っているからです。これは非常に重要なことなので、丁寧に説明しましょう。
――お願いします。
中野 まず、現在、私たちが失いつつある冷戦以後の世界秩序とは、どのようなものだったのか? 冷戦終結から現在までの世界の流れを簡単に振り返っておきましょう。
 冷戦終結とソ連の崩壊によって、米ソの二極体制は終焉を迎え、世界はアメリカ一極体制になったわけですが、このとき、リベラルな社会秩序への楽観が広がりました。フランシス・フクヤマが1992年に出版した『歴史の終わり』が典型ですが、欧米や日本の多くの人々は、自由民主主義が共産主義に対して最終的に勝利したと考えたわけです。
 そして、アメリカは、唯一の超大国として比類のないパワーを背景にして、新たな国際秩序の建設に乗り出しました。アメリカが理想とする「政治的な自由主義」「民主主義」「法の支配」「経済的な自由主義」といった価値観を世界に広げていこうと、きわめてアグレッシブな活動を始めたのです。
 経済面では、アメリカが主導して1995年にWTO(世界貿易機関)を設立し、経済自由主義に基づく国際経済秩序の建設をめざしました。このWTOは、さまざまな国に固有の制度や国内事情に配慮する従来のGATT(関税と貿易に関する一般協定)の枠組みを踏み越え、経済自由主義的な一律の制度によって各国の経済的な国家主権を大幅に制限しようとする急進的なものでした。

 そして、当時のアメリカでは「グローバル化によって国際秩序は安定する」という楽観論が支配的でした。例えば、国際政治学者のリチャード・ローズクランスは、1996年にこう論じました。経済活動の相互依存が進み、国家という単位の輪郭があいまいになることで、国家間の紛争は減少するようになる。貿易、金融、生産要素の移動を開放すればするほど、国際秩序は安定するのだ、と。
――近年のアメリカと中国は、経済的な相互依存が進んでいたはずですが、逆に国家間の貿易戦争に陥ってますね?
中野 そうですね。当時のアメリカでは、グローバリゼーションの深化によって、国家主権の概念までもが時代遅れの産物となるという極端な論調すら珍しいものではなくなっていましたが、今となれば、楽観が過ぎたと言えるでしょうね。
 ただし、当然のことですが、アメリカには、より現実主義的な言説もありました。その代表者のひとりが、カーター政権の国家安全保障担当の大統領補佐官やオバマ政権の外交顧問などを務め、米国外交に隠然たる影響力をもった政治学者のズビグニュー・ブレジンスキーです。彼は、1997年に発表した『壮大なチェス盤』において、地政学的な観点から冷戦後の世界情勢を分析し、21世紀におけるアメリカの世界戦略を雄弁に語りました。
 彼が重視したのは、「ユーラシア大陸の支配者こそが世界の支配者になる」というマッキンダー以来の地政学でした。「ユーラシア大陸=壮大なチェス盤」というわけです。
 そして、彼は、ソ連崩壊によって、アメリカが、西側からはNATO、南側からは中東諸国との同盟、東側からは日米同盟という三方面からユーラシア大陸を取り囲んだことにより、一国家が単独でグローバルな覇権国家になったと考えました。しかも、ユーラシア大陸がユーラシア大陸にない国家によって支配されるという、世界史上かつてなかった新しい地政学的状況にあることに気づいたんです。

――たしかに、アメリカがユーラシア大陸を支配するというのは、考えてみれば、非常に特殊な状況に思えます。
中野 そうなんです。だからこそ、ブレジンスキーは決して楽観的ではなかった。地政学的な環境は移ろいやすいですから、アメリカの圧倒的地位が長く続くものではなく、もってもせいぜい一世代程度のものだろうと考えていたのです。そして、それまでの間に協調的な国際秩序を構築することにアメリカは全力を挙げるべきだと主張したのです。
――なるほど。

「グローバル化すべき」と言う人が、 完全に“時代遅れ”である理由

「最悪の事態」を招いたアメリカは、何を見誤ったのか?

中野 そのうえで、ブレジンスキーはアメリカがとるべき大戦略について、このように論じました。
 まず、ユーラシア大陸の西側においては、ロシアの覇権を阻止すべく、EUとNATOを東方へ拡大し、この地域の最重要ポイントであるウクライナを西側陣営へと帰属させる。ロシアはこれに反発するだろうが、アメリカは「拡大西洋」とロシアの協調関係を形成し、ロシアを西洋化し、無害化すればよい、と。
 次に、ユーラシア大陸の東側においては、日米同盟によって中国の領土的な野心を牽制しつつも、東アジアを安定化させる地域大国である中国とアメリカの協調関係を維持する。つまり、アメリカは、東アジアにおいて米中日の勢力均衡を保つバランサーの役割を演じるべきであると論じたのです。ちなみに、ブレジンスキーは、日本についてアメリカの「保護領」と語っていることも押さえておいたほうがいいでしょう。
――「保護領」ですか……。
中野 ええ。率直な発言だと思いますね。ともあれ、ブレジンスキーは、以上のような戦略をユーラシア大陸の西と東において同時に遂行することで、アメリカはグローバル覇権を維持できると主張したわけです。そして、実際に、アメリカの大戦略は、おおむねブレジンスキーが描いたように進められてきたと言っていいでしょう。
 ただ、もしこの大戦略が失敗したらどうなるか? ブレジンスキーが最悪の事態として恐れていたのは、ロシア、中国、イランの三大勢力が反米同盟を結成し、アメリカをユーラシア大陸から駆逐するというものでした。もしアメリカが、ユーラシア大陸から駆逐されれば、世界は無秩序状態に放り込まれる。これが、ブレジンスキーが最も恐れた事態だったんです。
――え……アメリカは、いま現在、まさにその三大勢力との関係が緊迫しているのでは?
中野 そうです。まさに、ブレジンスキーが最も恐れていた事態に陥ってしまったわけです。それも、1997年の時点で一世代はアメリカの覇権が続くことを想定していたにもかかわらず、20年もたたないうちに、東ヨーロッパ、中東、東アジアの三方面において、地政学的な不安定化が同時多発的に生じてしまった。
 これについて、国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミードは、ロシア、イラン、中国の三大勢力が、冷戦後に成立した国際秩序を修正しようとしているのだと解釈しています。
 ロシアはかつてのソ連の勢力圏を復活させたいと願っており、中国は、アジアからアメリカの勢力を追い出そうとしている。イランは、サウジアラビアを盟主とするスンニ派勢力に支配された中東を、イラン率いるシーア派が支配するものへと代えるという野心をもっている。そして、この三大勢力にとって共通の敵が、アメリカなのだ、と。
――恐ろしい話ですね。なぜ、そんなことになってしまったんでしょう?
中野 アメリカが根本的に見誤っていたことがあるんです。
――何を見誤っていたんですか?
中野 地政学の祖とも言われる、イギリス人であるマッキンダーの地政学と比較するとわかりやすいんです。
 マッキンダーが活躍した20世紀初頭の世界ではイギリスの覇権が衰退し、ロシアやドイツといった新興大国が既存の国際秩序に挑戦しようとしていました。そのため、マッキンダーの問題意識は、イギリスがいかにして世界の支配者となるかという「攻撃的」なものではなく、ロシアやドイツが世界の覇権を握るのをいかにして阻止するかという「防衛的」なものでした。
 したがって、「東ヨーロッパを制する者がユーラシア大陸を制し、そして世界を制する」という公理のもとでマッキンダーが設定したイギリスの戦略目標は、東ヨーロッパを制することではなく、ロシアやドイツが東ヨーロッパを制するのを阻止ことにありました。だから、東ヨーロッパはロシアとドイツが手を結ぶのを防ぐために緩衝地帯として位置付けられたんです。
 ところが、ブレジンスキーは、20世紀末の世界においてアメリカが唯一無二のスーパーパワーになった時点で、アメリカが世界の支配者としての地位をできるだけ長く持続することを考えていました。そのため、マッキンダーの地政学が、他国に覇権を握られるのを阻止する「防衛的」なものだったのに対して、ブレジンスキーの地政学はアメリカによる世界支配を実現するための「積極的・攻撃的」なものだったんです。
 そして、アメリカの覇権国家としてのパワーを過大視していた。たしかに、アメリカの軍事力、経済力、技術力は比類ないもので、中国、イラン、ロシアは遠く及ばなかった。しかし、「積極的・攻撃的」に世界秩序を築くほどには強くなかったんです。
――強気に出過ぎた、と?

「グローバル化すべき」と言う人が、 完全に“時代遅れ”である理由

「攻撃的」戦略で墓穴を掘ったアメリカ

中野 ええ。例えば、アメリカは、コソボやソマリアにおける紛争に対して、人道的介入を行いましたが、これは従来の国際秩序の基礎にあった主権国家という枠組みを踏み越えて、他国に介入するという野心的な試みでした。人道という普遍的な価値が、国家主権という規範の上位に立つ秩序の建設をアメリカはめざしたわけです。
 そして、決定的だったのはイラク戦争です。2001年に九・一一テロが勃発すると、当時のジョージ・ブッシュ政権は「テロとの戦い」を掲げて、イラク戦争へと突き進んでいきました。さらには、中東諸国の民主化を企てるという途方もないプロジェクトに乗り出したわけです。
 私は、2003年にイラク戦争が起こったときに、「これはまずい」と思いました。これで、アメリカの覇権国家としての寿命が縮まる、と。
 アメリカがフセインを叩き潰すのは簡単かもしれないけれど、フセインがいることでなんとか均衡状態を保っていた中東は混乱を極めて、泥沼状態になるに違いない。そうなれば、アメリカはもっとはやく疲弊していくことになる。当時、私はイギリスのエディンバラ大学に留学して、経済ナショナリズムの研究を深めていたこともあって、そう直観しました。
 ところが、その頃、日本では、大多数の識者が「日米同盟が大事だから、イラク戦争賛成」などと言ってましたが、「バカな……」と思いました。アメリカの覇権が衰えれば、アメリカの一極体制で最も恩恵を受けていた日本が最もまずいことになります。本当はあのとき、日本は「日米同盟が大事だから、イラク戦争反対」と主張すべきだったんです。
――中野さんがおっしゃるように、現在、中東は混迷の度合いを深めるばかりですね。
中野 ええ。中東は、イラク戦争や「アラブの春」によって勢力均衡が崩れ、サウジアラビアとイランが地域覇権を争うようになり、シリアの内戦は、サウジアラビアとイランの覇権戦争の代理戦争と化して泥沼化していったわけです。
 しかも、イランの核開発問題、エジプトやトルコの政情不安、イスラエル・パレスチナ問題など、放置していては危険な課題が山積しています。その結果、オバマ政権はイラクから撤兵するとともに、経済成長著しい東アジアに世界戦略の軸足を移そうとしましたが、中東にも国力を振り向け続けざるを得なくなったんです。
――つまり、東アジアと中東に国力を分散させることで、アメリカの疲弊が進むと? 
中野 そういう状況を自ら招いたわけです。
 そして、アメリカの戦略ミスで最も象徴的なのはウクライナ問題です。ブレジンスキーは、NATOの東方拡大によって、ウクライナまでをアメリカの勢力圏に収めることを目論みました。さらに、ロシアを西洋化し、無害化すればよい、とまで言ったんです。
 その結果、どうなったか? 2014年に、ウクライナにおいて親ロシア政権に対する親ヨーロッパ派による政変が勃発した際、NATOの東方拡大を目論むアメリカは親ヨーロッパ派に加担しましたが、これに反発したロシアは、ウクライナに侵攻してクリミアを奪取しました。
 もちろんロシアの行為は、ウクライナに対する事実上の侵略であり、アメリカやNATOが強く非難したように、国際法違反の疑いが濃厚ではあります。しかし、そんなことは、プーチンは百も承知のうえで行動に移したわけです。
 もともとロシアは、NATOの東方拡大については、苦々しく思いつつも、ポーランドやバルト三国あたりまでは許容していました。しかし、ウクライナはロシアにとって黒海への玄関口にあたる安全保障上の要衝中の要衝です。ここを取られると、ナイフを喉元に突きつけられることになる。それを阻止しようとするのは、主権国家として当然のことでしょう。ロシアのウクライナ侵攻を誘発したのは、明らかにアメリカの攻撃的な東方拡大戦略だったのです。
――なるほど。
中野 この結末を予測していたアメリカの要人もいました。たとえば、冷戦初期のアメリカの外交政策立案者で、ソ連の封じ込めなどの戦略を立てたジョージ・ケナンです。彼は、1998年当時、NATOの東方拡大はロシアの反発を招くとして強く反対していました。
 しかし、アメリカは「攻撃的」な戦略をとってしまった。そして、ウクライナ侵攻を目の当たりにしたブレジンスキーは、「欧米諸国はウクライナをNATOに引き込むつもりはないとロシアに保証するべきである」と言わざるを得なくなったんです。
 ヘンリー・キッシンジャーが「西側諸国はウラジミール・プーチンのことを悪魔のごとく扱うが、そんなものは政策ではない。政策欠如の言い訳に過ぎない」と断じましたが、結局のところ、東ヨーロッパの現実を冷徹に見据えれば、ウクライナを西側陣営に組み入れようとするのではなく、ロシアとの間の中立地帯として、緩衝地帯におく「防衛的」な戦略が賢明だったということです。
 しかし、すでにコトは起こってしまいました。
――もう、取り返しはつかないと?

「グローバル化すべき」と言う人が、 完全に“時代遅れ”である理由

国家の「安全保障」は、「経済的利益」に優先する

中野 もちろんです。そして、結果として、アメリカにとって非常にまずい状況が生まれました。アメリカは、ロシアに軍事的に対抗する方針は早々に放棄して、経済制裁によって対抗しましたが、これがロシアが中国に接近する事態を招いたのです。
――中国とロシアという二大反米勢力が接近するのは、非常にまずいですね……。
中野 そうですね。ここで注意しておくべきことがあります。第一に、ロシアにクリミアを奪取されることで、NATOは地政学的に不利な立場に置かれますが、同盟国であるアメリカは早々に軍事的な対抗を放棄したことです。ここから類推すべきなのは、もし中国が尖閣諸島を奪取しても、アメリカは軍事的な対抗をしない可能性があるということです。
 第二に、アメリカやNATO諸国はロシアに経済制裁を加えましたが、ロシアはそれを織り込んだうえで軍事行動を起こしたという事実です。つまり、国家の安全保障の利益は、経済的利益よりも優先するということです。ロシアのウクライナ侵攻は、ローズクランスの「貿易、金融、生産要素の移動を開放すればするほど、国際秩序は安定するのだ」という言説が楽観的すぎることを実証したわけです。国家の安全保障のためには、経済的利益を度外視した行動をするのが、国際政治の現実なのです。
――なるほど……。
中野 そして、この「楽観論」が東アジアの軍事バランスを大きく揺るがす元凶となりました。
――どういうことですか?
中野 1990年代のアメリカは、中国に対して、グローバル経済への統合を支援するという戦略を進めていました。中国を経済的な相互依存関係の中にからめ取り、グローバルなルールや制度の下に服させることで、アメリカ主導のアジア太平洋の秩序を認めさせようとしたんです。
 この方針に基づいて、アメリカは、中国に対して恒久的な最恵国待遇を付与し、WTOへの加盟を承認しました。しかし、中国政府はWTOへの加盟の承認を勝ち取るために、アメリカ議会やホワイトハウスに対する工作活動を行っていたことが明らかになっています。アメリカを利用した「富国」による「強兵」が中国の目論見だったんです。
 こうしてアメリカの協力によってグローバル経済に統合された中国は、2000年代、年平均でおよそ10%の高度経済成長を遂げ、同時に軍事費を年率二桁台という急速なペースで増大させたわけです。そして、2000年代半ばから、中国が軍事的にも経済的にも無視することができない大国として台頭し、東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦するようになりました。
 もちろん、軍事費で見れば、現在でもまだ、アメリカは中国の3倍近い規模を誇ります。だけど、アメリカはその軍事力をグローバルに展開しなければならないうえに、中国と対峙するには太平洋を横断して制海権を維持しなければなりません。自国の周辺の展開のみに注力できる中国との東アジアにおけるパワー・バランスは、すでに中国側に傾いているとみられるのです。
――中国は、アメリカの楽観的な「経済的相互依存」戦略を利用したわけですね? 中国が一枚上手だった、と?

「グローバル化すべき」と言う人が、 完全に“時代遅れ”である理由

すでに終わった「アメリカのユーラシア支配」

中野 そうなりますね。しかも、2000年代に、欧米や日本が、グローバリゼーションによる経済的相互依存の深化によって、世界秩序は維持できると信じていたころ、中国の戦略理論家たちは、孫子や毛沢東に加えて、マッキンダーやマハンなどの地政学を参照しながら、軍事戦略を熱心に論じていたのです。
 たとえば、中国は自らをグローバル経済に統合して富を得るためには、貿易ルートの安全を確保する海軍力がなければならないと考えました。つまり、西太平洋への出口を確保しなければならないわけですが、その出口とは、沖縄から台湾、フィリピンを通る「第一列島線」にほかなりません。
 しかし、「第一列島線」はアメリカによって押さえられている。したがって、「第一列島線」をアメリカから奪取して確保しなければならない。そして、尖閣諸島は、まさにこの「第一列島線」上にあるわけです。
 つまり、中国が東シナ海や南シナ海において、日本、フィリピン、ヴェトナムそしてアメリカと頻繁に紛争を引き起こすようになったのは、グローバル経済に統合されたことの当然の帰結だということです。ところが、アメリカの対中戦略は、中国側の戦略意図を見落としていた。しかも、イラク戦争以降、中東の泥沼に巻き込まれていたジョージ・ブッシュ政権下のアメリカは、中東に注意を奪われて、中国の台頭を看過してしまったんです。
――すべての話はつながっているんですね……。
中野 そして、2013年に、習近平国家首席が打ち出したのが「一帯一路」構想です。アジアからヨーロッパ、アフリカにまたがる地域の開発を、陸路と海路の双方から進めるという壮大な計画です。さらに、中国は、「一帯一路」構想の一環として、アジア地域のインフラ整備のための資金供給を目的とした「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」を設立しました。
 しかも、この中国の動きへの各国の反応が、アメリカの国際的影響力の著しい低下を印象付けることにもなりました。
 AIIBの構想が打ち出された当初、先進諸国はこれを、戦後のアメリカ主導による世界銀行やIMFを中心とした国際金融体制に対する中国におる修正主義とみなし、消極的な姿勢を示しました。特にアメリカはAIIBを強く警戒し、各国に参加しないように圧力をかけていたとみなされています。
 ところが、イギリス、フランス、ドイツなどの主要国が相次いで参加を表明すると状況は一変。BRICsやアメリカの同盟国である韓国やオーストラリアのみならず、中国との間で領土問題などが緊張関係にある台湾、ヴェトナム、フィリピンまでもが参加し、2019年7月時点で、100カ国・地域が参加するまでになりました。主要国で参加していないのは日米くらいのものです。
 そして、ユーラシア大陸に鉄道などの輸送インフラを整備し、大陸の資源を確保するという「一帯一路」構想が、マッキンダー的な地政学的ヴィジョンに基づいていることは明らかです。実際、中国の著名な研究者たちが「一帯一路」構想の意義を説くに当たって、マッキンダーに言及しています。
 その後の動きを見ていても、「一帯一路」構想の最終的な目的は、単なる需要創出や経済発展の基盤整備ではなく、ロシアやイランなどユーラシア大陸の主要な修正主義勢力と連携し、さらにはヨーロッパ諸国をも引き入れることで、アメリカによるユーラシア支配を終わらせることだと見るべきです。
――つまり、冷戦後のアメリカの戦略ミスによって、アメリカのグローバル覇権はすでに大きく揺らいでいるということですか?
中野 ええ。アメリカも、それをとっくに認めているんです。
(次回に続く)
中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。