ザビーナ・シュピールライン
wikiより
ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
秘密のシンメトリー―ユング・シュピールライン・フロイト [単行本]
アルド カロテヌート (著), 入江 良平 (翻訳), 小川 捷之 (翻訳), 村本 詔司 (翻訳)
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内容(「BOOK」データベースより)
深層心理学の歴史を一人の女性が変えた。ユングとシュピールライン、フロイトの秘められた関係を新発見の文書から解明し、世界に論争の渦を巻き起した問題作。
登録情報
単行本: 460ページ
出版社: みすず書房 (1991/06)
ISBN-10: 4622030454
ISBN-13: 978-4622030454
発売日: 1991/06 (註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。
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シュピールラインは学位論文を書き上げた後、ウィーンに移り、一九一一年十月に初めてフロイトに会った。ウィーン精神分析学協会に正式に入会し、フロイトのグループの会合に出席するようになったシュピールラインは、十一月二十五日に、フロイト、ランク、タウスク、シュテーケルらを前にして、『生成の原因としての破壊』と題する論文の一節を読んだ。この翌日、フロイトはユングに宛ててこう書いている、「昨日、シュピールライン嬢が自分の論文の一節を発表しそれにつづいて刺激的な討論が交わされました。彼女はなかなか素晴らしい。わたしは彼女のことがやっとわかってきました」(15)。
これはひじょうに興味深い論文で(16)、シュピールラインはまず、どうして性本能はポジティヴな結果だけでなく、苦悩とか嫌悪といったネガティヴな結果をも生むのかという疑問を掲げる(この背後にユングとの苦しい恋愛体験があったことは容易に察することができる)。彼女は、それは性本能にたいする社会的抑圧によるのだという諸家の説をしりぞけ、人間の根底には生の本能と破壊本能とがあるのだという考えをうちだす。彼女はそれに生物学的根拠をあたえ(すなわち、生殖の瞬間、両性の性細胞は「破壊」され、合体して胚を形成する。人間の二大本能はこの事実に起因するというのだ)、さらに例証として神話における誕生と死について述べている(この論文は翌年の『精神分析学・精神病理学研究年報』に載った)。
シュピールラインのいうこの破壊本能が、フロイトの「死の衝動」という概念に直接影響をあたえたことはほぼ間違いない。フロイトがこの概念をはじめて公けにしたのは、『快感原則の彼岸』(一九二〇)であるが、註においてフロイトはこう述べている。
「ザビーナ・シュピール・ラインはすでにこの考え方をうちだしている。その論文は内容も思想も豊富だが、残念ながらわたしは完全には理解できない」(17)。
いっぽうユングは『変容の象徴』の中の、「すべてを破壊する母親」「のみこむ母親」について述べた部分の註に、「この事実をもとに、わたしの弟子だったシュピールライン博士は死への衝動という思想を発展させた。これをのちにフロイトが採りいれた」と書いている(18)。。おそらく彼女は、精神分析学創成期における開拓者のひとりとして歴史に名をとどめるべき人物である。
実際、シュピールラインはその論文に、ユングの『リビドーの変容と象徴』から、「情動的欲望、すなわちリビドーは、二つの局相をもつ。つまりリビドーは、すべてを美化する、だがある種の状況のもとではすべてを破壊しうる力をあらわしているのである」という一節ではじまる、リビドーの破壊的側面を論じた部分を長く引用して、自分の考えがユングの思想にもとづいていることを明言している。ユングは死の本能あるいは衝動という言葉を用いないが、ユング──シュピールライン──フロイトという、死の衝動をめぐる線を引くことができよう。
シュピールラインは、学位論文とこの破壊衝動についての論文を含め、三十一の論文を発表した。どれもほとんど歴史の埃の中に埋もれていたわけだが、今後、再評価がすすむことだろう(19)
(15) The Freud/Jung Letters, p.469. これに先立って、十一月十二日にフロイトはユングに、「このあいだの会合で、シュピールライン嬢が初めて発言しました。彼女はとても知的で、理路整然としていました」と書いている。(The Freud/Jung Letters, p.458)
(16) 以下の粗述はカロテヌートの著書の仏語版による(註5参照)。
(17) フロイト『快感原則の彼岸』、人文書院版『フロイト著作集』第6巻、一八六ページ。
(18) ユング『変容の象徴』野村美紀子訳、筑摩書房、六六二ページ。
(19) とくに娘が生まれて以降の幼児研究は、メラニー・クラインの先駆として重要である。
いっぽうユングは『変容の象徴』の中の、「すべてを破壊する母親」「のみこむ母親」について述べた部分の註に、「この事実をもとに、わたしの弟子だったシュピールライン博士は死への衝動という思想を発展させた。これをのちにフロイトが採りいれた」と書いている(18)。。おそらく彼女は、精神分析学創成期における開拓者のひとりとして歴史に名をとどめるべき人物である。
(18) ユング『変容の象徴』野村美紀子訳、筑摩書房、六六二ページ。
ちくま学芸文庫下294頁
フロイトはユングへの手紙でシュピールラインの破壊本能説が「個人的要因に規定されすぎている」と批判している。(邦訳『秘密のシンメトリー』257頁)
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