土曜日, 10月 09, 2010

『四庫全書』の色区分

司馬遷の『史記』などは武田泰淳も指摘する通り構造主義の先駆けであう。しかし、この『史記』や前時代の『四書大全』をも包含する「書籍」がある。

それは、『四庫全書』(一冊というより百科事典を集めた図書館のようなものだが→wiki。比較すべきは明代の「叢書」である『永楽大典』であろうが。)である(解題の総目提要だけでも200巻になる。ただし作られたのは全7部だそうだ→参考サイト)。
ヘーゲルはその『歴史哲学』で清の時代に『四庫全書』(現在のCD-ROM版でも153枚)を編纂をした乾隆帝を絶賛している。

「最近の皇帝の中では特に乾隆帝が、その学識の点で傑出している。」(岩波文庫旧版『歴史哲学』上263頁。長谷川訳新版だと上巻222頁に該当箇所。)

さて、『四庫全書』の簡単な解説文をネットで探してみた。
http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=2_11&wr_id=3


以下上記サイトより
<四庫全書>は中国歴史上規模が一番大きい著書だけではなく世界的にも規模が一番大きい百科著書である。

<四庫全書>の編纂は紀元 1773年から始まった。 その頃の中国は情勢が安定して経済が繁栄したので集権した乾隆皇帝は成果を誇るために前人未到な大きい本を編纂する事にした。 そして清朝政府は <四庫全書館>を特別に設立して <四庫全書>の編纂の責任を負うようにした。 乾隆皇帝の6番目の息子である(永瑢)に編纂の責任を負うようにしてその頃の著名な学者である朱筠(1729―1781)に総執筆を担当するようにした。
< 四庫全書>は 10年の歳月を経ってからこそ編纂されたが、全般著書は4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている。その頃編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超え筆 写人員は 4000人余りである。

<四庫全書>の編纂過程はとても特色があり、 全書は(*注1)の大分類に従って四種類の色になっている。 その頃の編纂総管はこの全書が中国の古代と現代の内容が網羅され、数量がとても多いことを考慮して便利さと美観を考慮し春、夏、 秋、冬 の四つの季節の色で区分することを主張した。なので<経>は緑で, <史>は赤い色<子>は薄い藍色で、 <集>は浅黒い色になった。

<四庫全書>には 18世紀後期の多くの学科領域と学術流派の重要な古代書籍たちが収録された。 ここには中国の著名な経典古籍である (論語)、(春秋)、(史記)、(資治通鑒)、(孫子兵法)、(本草綱目)などがあるだけでなく日本と韓国、インド、そしてヨーロッパから中国へ来た宣教 師たちの一部著書も入っている。

*注1
# 経部 - 儒教の経書・注疏および言語学関連書
# 史部 - 歴史書
# 子部 - 思想・宗教・自然科学関連書
# 集部 - 文学作品


引用終わり。

つまり

は、ひとつずつが図書館(庫)であるとともに、

という季節でもあるのだ。
『源氏物語』に出てくる庭園(六条院)のような、、、、(色分けは風水の発想にも似ている)。

もしも、未来において、異常気象で季節がなくなれば、こうした発想も人類からなくなるのだろうか。


追記:CD-ROM外観


台湾にある『四庫全書』(上記記述の色と実際の色とではイメージが違う)


上海での『四庫全書』ブックフェア



追記:
『四庫全書』(1773-1781)より少し前、18世紀後半という意味では、ほぼ同時代(!)の『百科全書』(1751-1772)の体系(3区分)に合わせると以下になる、、、かも。


                               /\
                              /__\
                             /\  /\  
                            /__\/__\
                           /\      /\
                          /__\    /__\   
                         /\  /\  /\  /\ 
                        /__\/__\/__\/__\
                       /\              /\
                      /__\  集部ー文学作品   /__\ 
                     /\  /\          /\  /\
                    /__\/__\        /__\/__\
                   /\      /\      /\      /\
                  /__\    /__\    /__\    /__\
                 /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\
                /__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\     
               /\                              /\
              /__\                            /__\
             /\  /\                          /\  /\
            /__\/__\                        /__\/__\
           /\      /\                      /\      /\
          /__\    /__\                    /__\    /__\
         /\  /\  /\  /\                  /\  /\  /\  /\
        /__\/__\/__\/__\    、           /__\/__\/__\/__\
       /\              /\              /\              /\ 
      /__\            /__\            /__\子部ー 思想・宗教・自然科学関連書
     /\  /\          /\  /\          /\  /\          /\  /\
    /__\/__\        /__\/__\        /__\/__\        /__\/__\
   /\経部ー儒教の経書・注疏   /\      /\      /\      /\      /\      /\
  /__\および言語学関連書   /__\史部ー歴史書_\    /__\    /__\    /__\    /__\
 /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\

(対西欧では鎖国政策をとってしまったとはいえ乾隆帝がフランスの『百科全書』を知っていた可能性は大いにある。勅令が1741年だそうだからむしろ『四庫全書』の方が早いのかもしれないが。ちなみに『百科全書』は1728年に刊行されたイギリスの『百科事典』に刺激され1745年に出版が告知されている。→wiki だから乾隆帝はイギリスの百科事典に刺激を受けていたのかも知れない。マテオ・リッチ等当時中国在住の西欧人の著作も『四庫全書』に収録されていたし、キリスト教の啓蒙的な色彩を知っていたからこそ鎖国政策をとったとも考えられる。中野美代子『乾隆帝』によれば自らの戦役を西欧人に銅版画に描かせており、かなりの西欧通だったようだ。)

参考:
イギリス版『百科事典』(1728年)の口絵


イギリス版『百科事典』の口絵詳細は以下
http://www.cyclopaedia.org/frontispieces/introduction.html
(中国古代のパズル↓が描かれているらしい。中国との相互交流は宣教師を通じてかなりあったと思われる。)

33 Comments:

Blogger yoji said...

風水は片隅で扱われた主題とされる場合もあるが『四庫大全』でも扱われている。

以下参考:
www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/.../minakuchitakuju2.pdf

王褘の『青巌叢録』は、風水は近世に入って、二大流派に分かれたと述べる。一つは、中国大陸の福建に興った「宗そう廟びょう之法」であり、専ら方位を検討して風水上の吉凶を占断する。そしていま一つは、福建に隣接する江西に興った「江西之法」であり、専ら地形を検討して風水上の吉凶を占断するのだという。この見解は清朝時代に至り、『四庫全書』の解題集『四庫全書総目提要』子部術数類相宅相墓之属の「『葬書』二巻」条に全文引用されたことによって、定説としての地位を確保した

引用終わり。

また、図解に関しては近年も以下の書籍が出ている。
http://tenant.depart.livedoor.com/t/bjshop68/item5778507.html
図解三命通会 第一部八字神?-四庫全書白話図解術数

3:26 午後  
Blogger yoji said...

朱子学

               形而上

                天
 
              \物/性/
               \理/
               /気\
              /陰/陽\

6:07 午前  
Blogger yoji said...

朱子学

              形而下

            火     水 
             \陽/陰/
              \気/土
           心  /理\
             /性/物\
            木     金
               天
              形而上

8:01 午前  
Blogger yoji said...

朱子学
    形而下
  火     水 
   \陽/陰/
    \気/土
 心  /理\
   /性/物\
  木     金
     天
    形而上

8:06 午前  
Blogger yoji said...

参考:『四書五経入門』平凡社ライブラリー 196−8頁より

孔子曰く、

意訳:
『詩経』の学習は、人心をやわらげ、情愛を深めさせる効果がある。
『書経』は、歴史に通じさせ、知識を豊かにさせる。
(音楽の学習は心を広々とさせ、かつ純真にする。)
『易経』は、精神を鎮め、思考を精密にさせる。
礼の教育は、身を引き締め、態度を慎重にさせる。
『春秋』は、事件と事件との関係を正確に記述する能力を会得させる。


『詩』の学習が浅薄であると、ただのお人よしになる。その注意が必要。
『書』については衒学的なほら吹き学者にならないように注意すること。
(音楽の学習は、まちがうと奔放で気ままな性格を作る。)
『易』については世俗を軽蔑して非社会的・反社会的にならぬように注意。
『礼』については、礼儀作法に拘泥して細事にうるさい人物にならぬように注意。
『春秋』については、物事の因果関係について詭弁を用い、常識を攪乱することにならぬように、その注意が必要である。


原文:
http://ctext.org/liji/jing-jie/zh?en=on
《經解》

1 經解:
孔子曰:
“入其國,其教可知也。其為人也
:溫柔敦厚,《詩》教也
;疏通知遠,《書》教也
;廣博易良,《樂》教也
;潔靜精微,《易》教也
;恭儉莊敬,《禮》教也
;屬辭比事,《春秋》教也。

故《詩》之失,愚
;《書》之失,誣
;《樂》之失,奢
;《易》之失,賊
;《禮》之失,煩
;《春秋》之失,亂。

Jing Jie:
Confucius said, 'When you enter any state you can know what subjects (its people) have been taught.
If they show themselves men who are mild and gentle, sincere and good, they have been taught from the Book of Poetry.
If they have a wide comprehension (of things), and know what is remote and old, they have been taught from the Book of History.
If they be large-hearted and generous, bland and honest, they have been taught from the Book of Music.
If they be pure and still, refined and subtile, they have been taught from the Yi.
If they be courteous and modest, grave and respectful, they have been taught from the Book of Rites and Ceremonies.
If they suitably adapt their language to the things of which they speak, they have been taught from the Chun Qiu.

Hence the failing that may arise in connexion with the study of the Poems is a stupid simplicity;
that in connexion. with the History is duplicity;
that in connexion with Music is extravagance;
that in connexion with the Yi is the violation (of reason);
that in connexion with the practice of Rites and Ceremonies is fussiness;
and that in connexion with the Chun Qiu is insubordination.

1:14 午後  
Blogger yoji said...

朱子学
    形而下
  火     水 
   \陽/陰/
    \気/土
 心  /理\道
   /性/物\
  木     金
     天
    形而上

1:15 午後  
Blogger yoji said...

26 経解 通論 六芸(六経)の得失について論じたもの。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BC%E8%A8%98

礼記:wiki

1:18 午後  
Blogger yoji said...

 _______________________
|           |           |        
|           |           |
|  書経       |    詩経     |       
|           |           |        
|  春秋       |   (楽経)    |        
|           |           |      
|           |           |        
|___________|___________|
|           |     |     |         
|           | 大学  | 孟子  |         
|           |     |     |         
|    易経     |____礼記_____|        
|           |     |     |        
|           | 中庸  | 論語  |        
|           |     |     |       
|___________|_____|_____|

2:06 午後  
Blogger yoji said...

 _______________________
|           |           |        
|           |           |
|  書経       |    詩経     |       
|           |           |        
|  春秋       |   (楽経)    |        
|           |           |      
|           |           |        
|___________|___________|
|           |     |     |         
|           | 大学  | 中庸  |         
|           |     |     |         
|    易経     |____礼記_____|        
|           |     |     |        
|           | 孟子  | 論語  |        
|           |     |     |       
|___________|_____|_____|

2:16 午後  
Blogger yoji said...

朱子学
   火  形而下  水 動 用
惻隠羞悪\ 情/欲 /    
辞譲是非 \陽/陰/
     土\気/器
 心    /理\道
仁義礼智信/性/物\
    /     \    
   木       金 静 体
       天
      形而上

8:44 午後  
Blogger yoji said...

                 /\金
                /天_\
               /\孟子/\  
              /_心\/__\
             /\物 木  性/\
            /__\    /__\   
           /\大学/\理=道\孔子/\ 
          /__\/__\/__\/__\
         /\              /\
        /__\            /__\ 
       /\春秋/\   朱子学    /\中庸/\
      /__\/__\        /__\/__\
     /\  火   /\      /\  水   /\
    /__\ 気  /__\    /__\ 気  /__\
   /\易経/\陰 /\書経/\  /\詩経/\陽 /\礼記/\
 土/地_\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\ 

11:08 午前  
Blogger yoji said...

               /\
              /__\
             /\  /\  
            /__\/__\
           /\      /\
          /__\キリスト/__\   
         /キリスト\  /\秘跡(途中まで) 
        /__\/__\/__\/__\
       /\              /\
      /__\            /__\ 
     /\統率/\   神学大全   /\  /\
    /__\/__\        /生活\/身分\
   /\      /\      /\      /\
 三位一体\ 神  /人間\    /法_\倫理  /予言\
 /\  /\  悪\  /\  /かたどり\  /\  /\
/教え\唯一神\/創造\/天使\/目的\/行為\/_徳\/倫理\ 

11:21 午前  
Blogger yoji said...

イブン・スィーナ(またはイブン・シーナ、Ibn SINA 1980-1037)は西欧ではアヴィセンナの名で知られる近代医学の創始者。アリストテレスの百科全書的知識の後継者でもある。
『世界史の構造』(158頁)で世界帝国における合理的で総合的な知の例として、朱子、トマス・アクィナスと並べられていたので調べてみた。

『東方の医と知』に詳しいが、ヒポクラテスの四元素説を医学に定式化したことや、恋煩いの青年の相手を特定することでその病を治すエピソードが面白い。

「自然とは元素のこと

  混じり合っては体となる

 ヒポクラテスは正しくも
 
  水、火、土、風を説く

 証拠といえば肉体は 
 
  死して四元素に帰りゆく」


(『東方の医と知』152頁より。『医学の歌』としても邦訳〜〜草風館版だと上記の該当箇所は13頁〜〜がある。)


          黄胆汁ー火ー夏
             /\
            /  \
           /    \
         熱/______\乾
     血液  /|      |\  黒胆汁
     |  / |      | \  |
     空気/  |      |  \ 土       
     | \  |      |  / |      
     春  \ |      | /  秋   
         \|______|/        
         湿\      /冷           
           \    /               
            \  /                  
             \/ 
           粘液ー水ー冬

四体液、四元素、四季との関係図(『医学の歌』232頁より孫引き)

11:23 午前  
Blogger yoji said...

               /\
              /__\
             /\  /\  
            /__\/__\
           /\      /\
          /__\キリスト/__\   
         /キリスト\  /\秘跡(途中まで) 
        /__\/__\/__\/__\
       /\              /\
      /__\            /__\ 
     /\統率/\   神学大全   /\  /\
    /__\/__\        /生活\/身分\
   /\      /\      /\      /\
 三位一体\ 神  /人間\    /法_\倫理  /予言\
 /\  /\  悪\  /\  /かたどり\  /\  /\
/教え\唯一神\/創造\/天使\/目的\/行為\/_徳\/倫理\ 


参考:『トマス=アクィナス』清水書院138ページ

11:25 午前  
Blogger yoji said...

バルトリハリ [[:en:Bhartrihari|Bhartrihari]][[Category:人物]]

=概略=
生没年不詳だがおよそ5世紀後半または6世紀前半頃。インドのサンスクリット語詩人,文法学者,哲学者。言語の実体を,[[ヴェーダーンタ学派]]の哲学に基づいて解明した。抒情詩に《シュリンガーラ・シャタカ(恋愛百頌)》などがあるが,別人の作という説も有力。 

=理論=
音韻学のバルトリハリの「スポータ理論」。
まず、声によってスポータ(蕾)が破られて開顕し、
開顕したスポータが意味を発生される。

[[聖教量]]。
バルトリハリは、言葉と意味との結合関係は常住不変であるとして、言葉の本性としての「spoTa」という概念を提唱した。

=詩=

 「偉大な人々の心は/富貴においては/蓮の花のように柔和である。逆境においては/大山の岩石のように堅固だ」([[上村勝彦]]著『インドの詩人』春秋社)

=参考文献=

バルトリハリ『古典インドの言語哲学1、2』(赤松明彦訳註、東洋文庫、平凡社)

バルトリハリの『ヴァーキヤ・パディーヤ』
「ブラフマンとことば」
「文について」

春秋社『夢幻の愛 インド詩集』
〔バルトリハリ/著〕 〔ビルハナ/著〕 上村勝彦/〔訳〕著 出版社名

http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/50638416.html
[[ヘルマン・ヘッセ]]の「インドの詩人バルトリハリに」

西欧では著名な存在であるらしい。Webではすでに彼の詩の英訳がなされている。彼は詩のみならず言語学の分野でも注目されているらしい。Webでの紹介記事では、チョムスキーやヴィトゲンシュタインも彼に注目したという。ヘッセの詩にあるように、快楽と禁欲の間を揺れ動いていた人物とされている。東洋趣味のヘッセが取り上げたくなる人物である。

An den indischen Dichter Bhartrihari

Wie du, Vorfahr und Bruder, geh auch ich
Im Zickzack zwischen Trieb und Geist durchs Leben,
Heut Weiser, morgen Narr, heut inniglich
Dem Gotte, morgen heiß dem Fleisch ergeben.
Mit beiden Büßergeißeln schlag ich mir
Die Lenden blutig: Wollust und Kasteiung;

Bald Mönch, bald Wüstling, Denker bald, bald Tier;
Des Daseins Schuld in mir schreit nach Verzeihung.
Auf beiden Wegen muß ich Sünde richten,
In beiden Feuern brennend mich vernichten.

Die gestern mich als Heiligen verehrt,
Sehn heute in den Wüstling mich verkehrt,
Die gestern mit mir in den Gossen lagen,
Sehn heut mich fasten und Gebete sagen,
Und alle speien aus und fliehen mich,
Den treulos Liebenden, den Würdelosen;
Auch der Verachtung Blume flechte ich
In meines Dornenkranzes blutige Rosen.
Scheinheilig wandl’ ich durch die Welt des Scheins,
Mir selbst wie euch verhaßt, ein Greuel jedem Kinde,
Und weiß doch: alles Tun, eures wie meins,
Wiegt weniger vor Gott als Staub im Winde.

Und weiß: auf diesen ruhmlos sündigen Pfad
Weht Gottes Atem mich, ich muß es dulden,
Muß weiter treiben, tiefer mich verschulden
Im Rausch der Lust, im Bann der bösen Tat.

Was dieses Treibens Sinn sei, weiß ich nicht.
Mit den befleckten, lasterhaften Händen
Wisch ich mir Staub und Blut vom Angesicht
Und weiß nur: diesen Weg muß ich vollenden.

Hesse


インドの詩人バルトリハリに


君や先祖や兄弟のように、私もまた
生涯本能と精神の間を往来し
今日は賢者、明日は愚者、今日は心から
神に従い、明日は肉欲に従う。
私は肉体を打った二つの改悛の鞭打ち
快楽と苦行。

ときに苦行者、ときに放蕩者、ときに思索者、ときに獣。
私の存在の罪は赦しに歩を進める。
いずれの道を選んでも私は罪へと向かい
いずれの業火も私を焼き尽くすに違いない。

昨日はみな私を聖人と尊敬し
今日はみな私を放蕩に戻ったのを知り
昨日はみな私と共に溝に横たわり
今日はみな私に食事を与えず、非難し
不誠実な友で不名誉である私を
みな唾きし、避けて遠ざかり
私は不名誉の花を織り
血まみれの荊の冠にする。
だが承知している。君の行為、私の行為
全て神の前では風の中の塵のように揺れない。

承知している。この不名誉な罪深き荊の道では
神の息吹は私に吹きつける。私はこれに耐え
これを追い返し、欲望の陶酔と悪業の呪縛の中で
さらに罪を重ねるに違いない。

この行動の罪の本質は私には分からない。
私はこの汚れた悪の手で
顔からと塵と血を拭い
承知している。私はこの道を歩み続けるに違いない。

ヘッセ

9:32 午前  
Blogger yoji said...

五行説 相勝説
木土水火金

     木


金         土


   
  火     水

73頁思想の中の

相生説
木火土金水木
(王朝交代に利用)


       木
金 ____/____土
     /  _/
    / _/
   /_/
  火      水

6:58 午後  
Blogger yoji said...

冬(明石の君)|夏(花散里)
_______|_____
       |
秋(秋好中宮)|春(紫の上)

京都にモデルとなった大邸宅(渉成院)がある。源氏物語では春(紫の上)・夏(花散里)・秋(秋好中宮)・冬(明石の君)
春の女性・・・鞍馬寺のつづら折で、10歳の紫の上を見初めて、光源氏は宮中に連れてきて育てる。
しかし高貴な女性をと考えた光源氏は妻を娶る。紫の上は病に臥せて、出家を望む。光源氏は出家を認めず迷いを抱えたまま世を去る。
夏の女性・・・短い夏のように愛されるが、光源氏が訪ねるのは希だった。
秋の女性・・・早くに母を亡くしたが、天皇に結婚し幸せに暮らした。
冬の女性・・・身分不相応と自ら身を引き、光源氏との間にできた子供も自分で育てる。子供が成長して天皇に見初められ、明石の君も宮中に住み、孫達に囲まれて過ごした。
紫式部は冬の辛抱強い女性に一番の幸せを与えた。

http://ameblo.jp/cm115549901/entry-11100632972.html

2011/12/08
nhk放送

4:42 午前  
Blogger yoji said...

http://www.kanshundo.co.jp/museum/kyotokanko/higashiyama/07kikokutei/index.htm

隠れ京都案内>東山周辺>隠れ京都案内「源氏物語ゆかりの地・枳殻邸(

渉成園

)」

隠れ京都案内・源氏物語ゆかりの地「枳殻邸(渉成園)」
執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ)


◆下京の、知られざる光源氏ゆかりの地「枳殻邸」
 2008年は、源氏物語千年紀。源氏物語が紫式部によって書かれたと記録される年から、今年はちょうど1000年に当たります。千年紀を記念して、今回は下京区にある、あまり知られていない源氏物語ゆかりの地をご紹介いたしましょう!


枳殻邸の正面大門。

 「枳殻邸」、はてさて、何と読むでしょう?「キコクテイ」です。枳殻邸の正式名は「渉成園(しょうせいえん)」といいますが、造園当時、周囲に「枳殻(からたち)」を生垣として植えたことから、「枳殻邸」という別称を持っています。私たち地元の人には「キコクテイ」の名で親しまれています。

現在でも残る、枳殻(からたち)の生垣

 枳殻邸(渉成園)は、江戸時代に三代将軍・徳川家光から東本願寺の別邸として寄進された御殿ですが、その昔、平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の旧蹟であったという伝説があります。

河原左大臣・源融(822-895)
 この源融こそ、あの『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルではないかと言われる人物です。


 源融は嵯峨天皇の第十二子として生まれながら、臣下の源氏姓を賜り、侍従、右衛門督、大納言などを歴任し、左大臣となりました。光源氏も帝の子でありながら、臣下として「源氏」の姓を名乗ることになりました。

 物語での光源氏の住居は「六条院」、源融が住んだ場所も「六条河原院」と呼ばれていたそうで、六条河原院跡と伝説の残る枳殻邸(渉成園)にくると、まるで光源氏が実在していたかのような錯覚を覚えてしまいます。

4:44 午前  
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少女 [編集]

(源氏33歳4月-35歳10月)

葵の上との子夕霧が元服する。源氏は思うところあって、彼を大学に学ばせるが、貴顕の子弟として夕霧はこれを恥じる。幼馴染で恋仲の雲居雁はかつての頭中将(内大臣)の娘であるが、彼女との仲も今や源氏の政敵となった内大臣によって塞えられ、夕霧は鬱々とする。翌々年、源氏の邸宅六条院が完成する。院は四季の町に分けられており、春に紫の上、夏に花散里そのほかの人びと、秋は斎宮女御の宿下りの町(このために秋好中宮と呼ばれる)、冬に明石の上が住いする。末尾に、紫の上と秋好中宮の春秋の争い歌がある。少女参照。

21 少女 おとめ 源氏33歳-35歳 a系

5:03 午前  
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21帖 おとめ

5:04 午前  
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http://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/gogyou.htm

蒼天已死 黄天当立 歳有甲子 天下大吉

蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子、天下大吉


蒼天とは

漢帝国をさし、漢に代わって黄帝を信仰する太平道が甲子の年に王朝を起こす時である との意である。

そもそも中国では、陰陽五行思想により森羅万象は五行【木火土金水の五気の作用・動き】の循環で説明できると考えられていた。
五行に配当される色は、木=蒼(青)、火=朱(赤)、土=黄、金=白、水=玄(黒)〔五行図参照〕

各王朝は五色の一つを、その王朝を象徴する色としていたのである。
つまり漢帝国は蒼の色を象徴としたのである。
また、各王朝は木火土金水のいずれかの徳を天から授けられて天下を支配するとされており、漢は火徳を持って王となったのである。漢を炎漢、炎劉などと呼ぶのは、そのためである。

したがって漢に変わる王朝は、土徳を支配元素としなければいけないのである。
〔これを相生(そうせい)という。火生土・・・火は土を生む〕


【 五行図 】
五行 季節 方位 色 四神 十干 五臓 五味 惑   星
木 春 東 蒼(青) 蒼龍 甲乙 脾 酸 歳星(木星)
火 夏 南 朱(赤) 朱雀 丙丁 肺 苦 ケイ惑(火星)
土 季夏 中央 黄 (人) 戊己 心 甘 鎮星(土星)
金 秋 西 白 白虎 庚辛 肝 辛 太白(金星)
水 冬 北 玄(黒) 玄武 壬癸 賢 鹹 辰星(水星)


五行相生説 木→火→土→金→水→木 木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じ
五行相勝説
(五行相克説) 木→金→火→水→土→木 木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち


土の色は黄。
よって、漢帝国に代わるのは、信仰する黄天にちなんで黄色の布を頭に着けた黄巾賊である となる。

(ただし、蒼天=後漢については、異論もある。蒼天=青 つまり木徳となり、相生説、相勝説いずれでも木徳→土徳の説明が成り立たないからである。後漢は、火徳でありその点でもよろしくない。このため、太平道が独特な五行思想を持っていたとの説などが発表されている。)

220年後漢献帝は、魏に帝位を禅譲し、文帝(曹丕)は、改元し黄初とした。222年呉の孫権も黄武の年号を建てた。土徳によって王朝を建てたため、『黄』の文字を使用したのであろう。(229年孫権は帝位につき黄龍と改元)

ちなみに221年 蜀漢を建国した劉備は、章武の年号を建て、漢を受け継いだことを天下に知らしめたのである。
蜀漢の最後の年号は、炎興 漢王朝の復興の悲願をこめたものであった。

9:40 午後  
Blogger yoji said...

***************
尖閣問題の経緯
***************

日本側が静かにして棚上げしてたのに、中国人が尖閣突入
  ↓

 海保の船に体当たりし、海保の船を破壊。逮捕。
  ↓
 
 中国政府、「尖閣は中国の領土だ!即時釈放しろ!」 、日本のゼネコン社員を人質に取る
  ↓

 日本政府、中国人を釈放
  ↓

 再び、中国人が尖閣突入、 海保の船にレンガ投げまくって破損させ、上陸
  ↓

 強制送還
  ↓

 尖閣諸島国有化

************************************
中国: 「責任は日本にある!!」
************************************

2:33 午前  
Blogger yoji said...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1377062933
<訳>
世に伯楽がいて、初めて千里の馬が見出されるのである。
千里の馬は常にいても、伯楽は常にいるとは限らない。こういうわけで、名馬有りといっても、ただ下僕の手で粗末に扱われ、馬小屋の中で駄馬と首を並べて死に、千里の馬とたたえられることはない。
千里なる馬は、一食にある時は粟を一石食べ尽くす。馬を養う者は、その馬が千里を走る能力があることを知って育てているのではない。この馬に、千里を走る能力があるといっても、食物の量が不十分なので、力を発揮できず、その馬の才能を表に出すことがない。せめて、並みの馬と同じようにと望んでも、それさえできない。どうしてその馬に千里を走る能力を求めることができようか。いや、できない。
馬に鞭を使うのに名馬にふさわしい方法を用いず、育てるのにその才能を発揮させることもできず、馬は人に対して鳴いて訴えても、その思いを伝えることもできない。鞭を手にして、名馬に向かって言うには、「この世に優れた馬はいない。」と。
ああ、いったい本当に名馬がいないのか。それとも、本当に名馬を見分けることができないのか。

<書き下し文>
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖ども、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死し、千里を以て称せられざるなり。
馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。馬を食ふ者は其の能く千里なるを知りて食はざるなり。是の馬千里の能有りて雖ども、食飽かざれば、力足らず、才の美外に見れず。且つ常馬と等しからんと欲するも、得べからず。安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。
之に策つに其の道を以てせず、之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず之に鳴けども其の意に通ずる能はず。策を執りて之に臨みて曰はく、「天下に良馬無し。」と。
鳴呼、其れ真に馬無きか。其れ真に馬を識らざるか。


[韓愈]:雑説(白文・書き下し文)
http://batmitzvah.blog136.fc2.com/blog-entry-3827.html

韓愈とは - 語彙
韓愈は19歳の時に初めて科挙を受けてから3度不合格になっている。その理由は当時 の科挙は駢文と呼ばれる文体で解答を書くのが習わしとなっており、この外見の美麗さ を重視する文体に反発して、発想の自由な散文文体(いわゆる古文)で文章を書いてい た ...

7:03 午前  
Blogger yoji said...


http://www.chinese-lab.com/search/cc.php
簡体字変換サイト


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

6:46 午前  
Blogger yoji said...

殷 夏



秦は殷の位置へ逆回り
ただし中華思想を北極星とのアナロジーを伴い完成させた

 黒
白黄青
 赤

兵馬俑に塗られた五色は各土地の色

10:24 午前  
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http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044293SA000/?#



NHKスペシャル 中国文明の謎 第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望

特選ライブラリー

始めから再生する

第三集は、色鮮やかな兵馬俑(よう)などから始皇帝の戦略に迫る。乱世を統一するため始皇帝が生み出した「中華」は、皇帝が宇宙を支配するという壮大な世界観だった。

2012年放送(本編: 49分)

視聴期限:2012年12月23日 3時2分

10:25 午前  
Blogger yoji said...


NHKスペシャル 中国文明の謎 第一集 中華の源流 幻の王朝を追う
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044291SA000/
特選ライブラリー

始めから再生する

四千年以上にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持してきた中国文明の謎を探るシリーズ。第一集では「中華(=夏)」という言葉の源流となった幻の王朝・夏の実像を探る。

2012年放送(本編: 49分)

視聴期限:2012年12月23日 1時17分

この番組についてのご注意
放送以外の配信の許諾が得られなかったため、一部映像を編集してお伝えします。


※クリックするとNHKサイトを離れます


NHKスペシャル 中国文明の謎 第二集 漢字誕生 王朝交代の秘密

特選ライブラリー

始めから再生する

なぜ同じ文明を継承してきたのか。中国文明の謎を探るシリーズ。第二集のテーマは漢字。最初の漢字は異形の文字だったが、王朝交代と共に劇的に姿を変える。その理由とは?

2012年放送(本編: 49分)

視聴期限:2012年12月23日 2時11分
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044292SA000/

※クリックするとNHKサイトを離れます

10:27 午前  
Blogger yoji said...

東京国立博物館 - 1089ブログ
http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/39/

10:34 午前  
Blogger yoji said...

夏の秘密は五穀と儀礼で周辺諸国とつながったこと
殷の秘密は青銅武器と神と会話する甲骨文字
周の秘密は殷から流出した漢字を諸国との契約に使ったこと

11:26 午前  
Blogger yoji said...

        (→リンク::::::

6:11 午前  
Blogger yoji said...


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E6%9C%B1
楊朱
楊朱(ようしゅ、生没年未詳、前370頃? - 前319頃? )は中国の春秋戦国時代の思想家。個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張した。字は子居。

人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとした。儒家、墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃される。著書は伝わらず、「列子(楊朱篇)」、「荘子」などに学説が断片的であるが記載される。

哲学史の研究においては、西洋で同時代に快楽主義を提唱したエピクロスと比較される。

関連項目

6:27 午後  
Blogger yoji said...

http://ja.wikipedia.org/wiki/墨家
墨家
諸子百家
儒家
道家
法家
墨家
名家
陰陽家
縦横家
雑家
農家
小説家
兵家
表・話・編・歴
墨家(ぼくか、ぼっか)は、中国戦国時代に墨子によって興った思想家集団であり、諸子百家の一つ。博愛主義(兼愛交利)を説き、またその独特の思想に基づいて、武装防御集団として各地の守城戦で活躍した。墨家の思想は、都市の下層技術者集団の連帯を背景にして生まれたものだといわれる。代表的な思想家に、墨翟(墨子)がいる。
戦国時代に儒家と並び最大勢力となって隆盛したが、秦の中国統一ののち勢威が衰え消滅した。
目次 [非表示]
1 基本思想(墨家十論)
2 組織
2.1 歴代鉅子
3 参考文献
4 外部リンク
基本思想(墨家十論)[編集]
以下が『墨子』における墨家の十大主張である。全体として儒家に対抗する主張が多い。また実用主義的であり、秩序の安定や労働・節約を通じて人民の救済と国家経済の強化をめざす方向が強い。また全体的な論の展開方法として比喩や反復を多様しており、一般民衆に理解されやすい主張展開が行なわれている。この点、他の学派と異なった特色を有する。特に兼愛、非攻の思想は諸子百家においてとりわけ稀有な思想である。
兼愛
兼(ひろ)く愛する、の意。全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え。儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であるとして排撃した。
非攻
当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。ただし防衛のための戦争は否定しない。このため墨家は土木、冶金といった工学技術と優れた人間観察という二面より守城のための技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果を挙げた。
尚賢
貴賎を問わず賢者を登用すること。「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」と主張し、平等主義的色彩が強い。
尚同
賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。
節用
無駄をなくし、物事に費やす金銭を節約せよという教え。
節葬
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐこと。儒家のような祭礼重視の考えとは対立する。
非命
人々を無気力にする宿命論を否定する。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説く。
非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。
天志
上帝(天)を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。
明鬼
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制する。鬼神について語ろうとしなかった儒家とは対立する。
組織[編集]
墨家集団は鉅子(きょし)と尊称された指導者の下、強固な結束で結ばれていた。その証左として『呂氏春秋』の記述によれば、楚において、守備していた城が落城した責任をとって鉅子の孟勝以下、墨者400人が集団自決したという。城から脱出して孟勝の死と鉅子の引継ぎを田襄子に伝えにいった使者の墨者二人も、楚に戻って後追い自殺したという。このような強固な結束と明鬼編の存在から、墨家集団は宗教集団的色彩をも帯びていたであろうと思われる。
歴代鉅子[編集]
墨子、呂氏春秋等に散見される鉅子の名前は以下の通り。なお、『荘子』・天下篇によれば、墨家は相里氏と鄧陵氏の二派に分れ、互いに「別墨」と非難したとある。また『韓非子』・顕学篇は、前二派に加え相夫氏もあると伝える。末期墨家の鉅子についての詳細は分かっていない。
墨子…初代
禽滑麓(きんかつり)…二代目
孟勝…三代目
田襄子…四代目
以下不詳
呂氏春秋・去私篇には鉅子・腹䵍の名前もある。
参考文献[編集]
浅野裕一『墨子』講談社学術文庫、1998年。
外部リンク[編集]
松岡正剛の千夜千冊:『墨子』墨子

6:29 午後  
Blogger yoji said...

http://ja.wikipedia.org/wiki/墨子
墨子
墨子(ぼくし、生没年不詳、紀元前450~390頃?)は中国戦国時代の思想家。河南魯山の人[1]。あるいはその著書名。墨家の始祖。一切の差別が無い博愛主義(兼愛)を説いて全国を遊説した。いわゆる墨子十大主張を主に説いたことで世に知られている。諱は翟(羽の下に隹)という。
目次 [非表示]
1 経歴
2 著書
3 主な思想
3.1 兼愛
3.2 非攻
4 墨子、および墨家の全体像
5 逸話
6 脚注
7 関連項目
8 参考文献
9 外部リンク
経歴[編集]
最初、儒学を学ぶも、儒学の仁の思想を差別愛であるとして満足せず、独自の学問を切り開き、墨家集団と呼ばれる学派を築くに至った。
生誕地は魯であると思われる。墨(ぼく)という名前から、墨(すみ)を頻繁に使う工匠、あるいは入れ墨をした囚人であった、などの諸説が生まれたが、詳しいことは全くわかっていない。司馬遷の史記・孟子荀卿列伝における墨子についての記述でも、「蓋し墨子は宋の大夫なり」(恐らく墨子は宋の高官であろう)などと憶測の文章になっている。前漢代から早くも謎多き人物であったようである。かなりの学があったようであるから、卑しい身分の家柄の出身では無かった可能性が高い。当時は、学問するにも書物を読むにも相応の家柄でなければ出来なかったからである。
著書[編集]


『墨子』
著書『墨子』(53篇現存)は墨子本人やその弟子の思想を記した書物。大部分は墨子本人による記述ではなく、その弟子によって編まれたとみられる。一部が散逸しており、元の姿は無い。近年の先秦時代由来の出土文献と比べることで、墨家集団消滅(後述)以来、清代末までほとんど編集の手が加えられてこなかった事が伺える。
第一構成 「親士」「修身」「所染」「法義」「七患」「辞過」「三弁」
断想集。
第二構成 「尚賢」「尚同」「兼愛」「非攻」「節用」「節葬」「天志」「明鬼」「非楽」「非命」「非儒」
「十論」。墨子の主要論考。
第三構成 「経上」「経下」「経説上」「経説下」「大取」「小取」
「墨弁」。墨子の哲学、幾何学等を記した論文集。
第四構成 「耕柱」「貴義」「公孟」「魯問」「公輸」
言行録、説話集。
第五構成 「備城門」「備高臨」「備梯」「備水」「備突」「備穴」「備蛾傅」「迎敵祠」「旗織」「号令」「雑守」他に散逸して編名が分からないもの10編
城(すなわち市街地)を守る為の詳細かつ具体的な技術論集。
主な思想[編集]
詳細は「墨家」を参照
主な思想は以下のとおりである。兼愛・非攻のような非常に理想主義的な思想を展開する墨子は、当時勢力の拡大に躍起になっていた諸侯の考え方とは相容れず、諸侯からは敬遠されがちであったことが、墨子の多くの編から読み取ることが出来る。
兼愛[編集]
「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという思想。全ての人に平等な愛をということである。
非攻[編集]
一言で言えば、非戦論である。墨子直著と見られ、「人一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」と疑問を投げかけている。
墨子、および墨家の全体像[編集]
墨子と弟子とのやりとりからは、功利主義的な多くの弟子を諭すのに苦労する墨子の姿が散見される[2]。また、墨子自ら楚に赴いて、宋を攻めようとする楚王を説き伏せようと努力することもあった[3]。このような幾多の墨子の努力の甲斐有って、思想集団として、また、兼愛・非攻の究極の実践形と言える防御・守城の技術者集団として、墨家は儒学と並び称される程の学派となった[4][5]。
墨子の没後、墨家集団は三墨と呼称される三つの集団に分裂するも、未だ大勢力を誇るが[4]、秦帝国成立後、突如として各種文献から墨家集団の記述は無くなり、歴史上から消えてしまった。なぜ墨家は忽然と消えてしまったのか。焚書坑儒の言葉に代表される秦帝国の思想統制政策により、集団として強固な結束をもっていた墨家は儒学者その他の思想派よりも早く一網打尽にされ、一気に消滅したと思われる。 さらに漢代になると、墨家と激しく対立していた儒家が一大勢力となった為、墨家思想排斥の動きが加速したであろうことは想像に難くない。
その後、墨子の思想は中国でほとんど顧みられる事が無く、清代まで時代が下る。清末の動乱期になって西洋文明を積極的に摂取していく動きが中国に広がる中で、墨子の思想はキリスト教の思想に酷似しているとの見地から再研究を始める学者が徐々に現れ始めた。その代表的な学者に孫詒譲がいる。かれら清末の学者らによって、墨子の思想は2000年以上の雌伏を経て再評価されるようになった。
逸話[編集]
楚の王は伝説的な大工公輸盤の開発した新兵器、雲梯(攻城用のはしご)を用いて、宋を併呑しようと画策する。それを聞きつけた墨子は早速楚に赴いて、公輸盤と楚王に宋を攻めないように迫る。宋を攻めることの非を責められ困った楚王は、「墨子先生が公輸盤と机上において模擬攻城戦を行い、墨子先生がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしましょう」と提案する。机上模擬戦の結果、墨子は公輸盤の攻撃をことごとく撃退し、しかも手ごまにはまだまだ余裕が有った。王の面前で面子を潰された公輸盤は、「自分には更なる秘策が有るが、ここでは言わないでおきましょう」と意味深な言葉を口にする。すかさず墨子は「秘策とは、私をこの場で殺してしまおうということでしょうが、すでに秘策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、私が殺されても弟子達が必ず宋を守ってみせます」と再び公輸盤をやりこめた。そのやりとりを見て感嘆した楚王は、宋を攻めないことを墨子に誓った。使命を終えた帰り道、宋の城門の軒先で雨宿りをしていた墨子は、乞食と勘違いされて城兵に追い払われてしまった。墨子の御技は、救われた宋人にもわからない程の素早さであった[3] この逸話から「自説を頑なに守る」という意味の「墨守」という故事成語が生まれた。
2004年に当時の小泉純一郎首相が、イラクへの自衛隊派遣に関する国会論争において墨子の「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず」という言葉を引用して自説を主張した。
脚注[編集]
^ 墨子の出身地については、山東省滕州であるという説と、河南省平頂山市の魯山県であるとする説がある。山东滕州央视宣传墨子故里引平顶山网友不满, 2009年08月06日 11:42 来源:大河网 记者 薛素芬
^ 『墨子』魯問編
^ a b 『墨子』公輸編
^ a b 『韓非子』顕学編
^ 『呂氏春秋』有度編
関連項目[編集]
諸子百家
墨家
儒家
孫詒譲
墨攻
専守防衛

6:32 午後  

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