ハイデガー『存在と時間』:図解(数字は『存在と時間』の篇:章あるいは節番号)
現 存 在 1:1 ___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
事物的存在性 配慮 配視 ・ 2:4(日常性)
既在性_____現成化/瞬視_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復_________________予期_| 通俗的
今 2:6(内部性)
不決断/決断、決意
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43 TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より) 現 存 在 1:1 ___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 ・ ・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
事物的存在性 配慮 配視 ・ 2:4(日常性)
既在性________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復_________________予期_| 通俗的
今/瞬視 2:6(内部性)
不決断/決断、決意
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43 TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より) 世 界 ー 内 ー 存 在 現存在
日常性の様式 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ \了解|~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~~/\ \| /|~
~/ <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|道具______|/~~|______|_|世 界 性
~〜/事物~~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~環境
~~~~~~~~~~~脱自~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 性 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
|
反復__________予期
(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性の様式 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ \了解|~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~~/\ \| /|~
~/ <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|道具______|/~~|______|_|世 界 性
~〜/事物~~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~環境
~~~~~~~~~~~脱自~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 性 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
|
反復__________予期
(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64
「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」(ちくま文庫上287−8頁第五章第28節)
現 存 在
__________世界ー内ー存在________________
| | |
世 界 _________内=存在 自 己
| | \_不安(世界 内=存在 自己) |
| | 頽 |
| | _理解_落_好奇心_良心_投企_死_投企_ |
| |_/_語り___空談_____沈黙___沈黙_\_内=存 |
世界性 \_情態性__曖昧性____不安___不安_/ 在 |
|_ ・ ・ ・ ・ |
| | ・ ____________________|
環境世界| _______|_______ ・ ・
| | |人間 ・ ・ | ・ 自
道具 | 非本来的 ・ ・本来的 ・ ・ ・ ・己・気遣い
| | | ・ ・ 自己 ・ ・ 関 心
近づける| |_開示性_________決意性_先駆的決意性 ・ |
/| | | ・ |
方域| 道具全体性__道具__差しおく___適所性・ | ・ ・ 世 |
\| \_適所_/ | 界 |
場 全体性 | |
過去_________現在_________将来 |
既在性________現在化__自分に先んじて存在_______|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却・反復 予期
http://yojiseki.exblog.jp/10766805/
_____________気 遣 い の 構 造_____________
| | |
| 非本来的 |
|日常性27、71________非_|___________ |
| | 58| | |
| | 16____|____ | |
|38 |開 示 性68 顧視・| 配視| 視 |(好奇心) |
|安らぎ | | 他者26 | | |
| 好奇心|了解 呼び声|良心 実 存 意志| | |
| | | 本来的 | | |
|誘惑____|情状性___|__(良心)気遣い64_____|______|
| 空談 | | 57|\ | | |
| | | | \ | | |
| | | 死__責め(非58) | |
|疎外、 | | | | | |
|捕囚 曖昧性|語り |決意性 | 沈黙| (語り) |(空談36)|
| | | _解 釈72 | | |
| | | | | | | |
| | |歴史性74〜 | | |
| | |時間性 | | | |
| | | | 既 在 |過去 (反復)忘却 |
| | | | | | \|| |
| | | |_瞬 視 決断(不決断 現在\| |
| | | | |の現在化) || |
| | | | |/ || |
| | | 到来的 先駆|将来(未来)|予期 |
| | | | | | | |
| | | 本来的理解_(気遣い)__非本来的理解|
| | | | | 67 | |
| | |___脱 自79_| | |
| | | | |
| |__________現存在__________| |
| | |
|転落(動性) 頽落38 | |
|__________________|__________________|
| | |時間性 | | | |
| | | | 既 在 |過去 (反復)忘却 |
| | | | | | \|| |
| | | |_瞬 視 決断(不決断 現在\| |
| | | | |の現在化) || |
| | | | |/ || |
| | | 到来的 先駆|将来(未来)|予期 |
| | | | | | | |
| | | 本来的理解_(気遣い)__非本来的理解|
| | | | | 67 | |
『存在と時間』図式
ハイデガー『存在と時間』読解には基本的にカントの批判書と同じ構造を措定すればいいことに気づいた。
続篇は哲学史を遡行する予定だったという。
量と質は存在に、関係と様相は現存在にあたる。
事物的存在はカテゴリーに、世界内存在はアンチノミー(道具的存在という概念自体はアリストテレスの影
響だろうが、その倫理的範型とでも言うべき様相における非本来性と本来性は現象学的な二律背反と言えよう)
にあたる。また、関心を関係と考えることも出来る。
漢数字は篇・章。英数字は節。
_______________________________________
| | | (範疇的、 |
| 一・一 | カテゴリー) |
| (9〜11) | 14 |
| 一・二 | |
| (12〜13) | |
| | | |
| 空間 | 時間 | |
| | 存 在 (環境世界) |
| フッサール10 | 私9 | 一・三(14〜24) |
| 人間学、神学、 | 存在者9 | |
|心理学、生物学10| | |
|カッシーラー11 | | |
|環境、範疇的12 | 内存在12 | |
| 世界認識13 | | |
|_________|___『 存 在 と 時 間 』_____________|
|一・四~六(25~44) | | |
| 世界性14 | | 序 論 |
|道具的存在、配慮的| | 序・一 (1~8) 序・二 |
|、世界内存在15 | | (1〜4) | (5〜8) |
空間性23デカルト18~21 | | |
| (非本来性38←|→本来性54、61) | |
日常的27 | | | |
情状性29____倫 理_______現存在_______目的論 二・五~六__|
恐れ30/対象(世界内存在15) | | (72~83)|
| 自体/理由 |二・一~四 他者47 |アリスト|デカルト|
|解釈 視、了解31|(45~71) | |テレス6|18~21
|循環32 陳述33|死49~53 | |44_歴史性74~77
|語り34 空談35|良心の呼び声56~58 |カント7|ヘーゲル|
好奇心36曖昧性37|59 決意性62循環63 | 64| /\(ニーチェ
|被投性38不安40|カント64到来的65 現象学 |/6_\|76)
|____気遣い39~42_キルケゴール|______フッサール7__|_82_|
(世界内存在、 、開示性68
アンチノミー?) |
|
|
非本来的 本来的54
時間性(日常性/歴史性/
ベルグソン66 時間内部性78~81)66
日常性67
(了解/情状性/頽落/語り)
現成化 瞬視 キルケゴール68
予期 期待(先駆として時熟)
忘却
(脱自的統一)
68 歴史性74~77(ニーチェ76)
時間内部性78~81
時間83
http://yojiseki.exblog.jp/10727036/
クーラの神話
ハイデガーの『存在と時間』第42節に以下のような神話が引用されており、その他者への気遣いをめぐる考察が福祉関連の人びとに参照されている。
クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae ヒュギーヌスの寓話より
昔、クーラ(気遣い、関心、憂い)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
"Cura cum fluvium transiret, vidit cretosum lutum sustulitque cogitabunda atque coepit fingere.
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。
dum deliberat quid iam fecisset, Jovis intervenit. rogat eum Cura ut det illi spiritum, et facile impetrat. cui cum vellet Cura nomen ex sese ipsa imponere, Jovis prohibuit suumque nomen ei dandum esse dictitat.
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
dum Cura et Jovis disceptant, Tellus surrexit simul suumque nomen esse volt ui corpus praebuerit suum. sumpserunt Saturnum iudicem, is sic aecus iudicat:
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このものを所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。
'tu Jovis quia spiritum dedisti, in morte spiritum, tuque Tellus, quia dedisti corpus, corpus recipito, Cura eum quia prima finxit, teneat quamdiu vixerit. sed quae nunc de nomine eius vobis controversia est, homo vocetur, quia videtur esse factus ex humo.'
クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae
ヒュギーヌスの寓話より
"Cura cum fluvium transiret, vidit cretosum lutum sustulitque cogitabunda atque coepit fingere.
昔、クーラ(気遣い、関心、憂い)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
dum deliberat quid iam fecisset, Jovis intervenit.
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
rogat eum Cura ut det illi spiritum, et facile impetrat.
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。
cui cum vellet Cura nomen ex sese ipsa imponere, Jovis prohibuit suumque nomen ei dandum esse dictitat.
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
dum Cura et Jovis disceptant, Tellus surrexit simul suumque nomen esse volt ui corpus praebuerit suum. sumpserunt Saturnum iudicem, is sic aecus iudicat:
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
'tu Jovis quia spiritum dedisti, in morte spiritum, tuque Tellus, quia dedisti corpus, corpus recipito, Cura eum quia prima finxit, teneat quamdiu vixerit. sed quae nunc de nomine eius vobis controversia est, homo vocetur, quia videtur esse factus ex humo.'
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このものを所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。
http://www.search.com/reference/Cura
『存在と時間 上』
Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit
細谷 貞夫,ちくま学芸文庫,524p. http://www.arsvi.com/b1900/2700hm.htm
■目次
凡例
献辞
序にかえて
巻頭言
序論 存在の意味への問いの提示
第1章 存在の問いの必然性、構造および優位
第1節 存在への問いをあからさまに反復する必然性
第2節 存在への問いの形式的構造
第3節 存在問題の存在論的優位
第4節 存在問題の存在的優位
第2章 存在問題の開発における二重の構造 考究の方法および構図
第5節 存在一般の意味の解釈のための
地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論
第6節 存在論の歴史の解体の課題
第7節 考究の現象学的方法
A 現象の概念
B ロイズの概念
C 現象学の予備概念
第8節 論考の綱要
第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する
第1編 現存在の準備的な基礎分析
第1章 現存在の準備的分析の課題の提示
第9節 現存在の分析論の主題
第10節 人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定
第11節 実存論的分析論と未開的現存在の解釈、「自然的世界概念」を取得することの困難さ
第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
第12節 世界=内=存在を、内=存在そのものを手引きとして素描する
第13節 ひとつの基づけられた様態についてなされる、内=存在の例示 世界認識
第3章 世界の世界性
第14節 世界一般の世界性の理念
A 環境性と世界性一般の分析
第15節 環境世界のなかで出会う存在者の存在
第16節 内世界的存在者において通示される、環境世界の世界適合性
第17節 指示と記号
第18節 趣向性と有意義性、世界の世界性
B 世界性の分析を、デカルトにおける世界の解釈と比較対照する
第19節 res extensaとしての「世界」の規定
第20節 「世界」の存在論的規定の基礎
第21節 デカルトの「世界」存在論の解釈学的論究
C 環境世界の「身の廻り」的性格と現存在の空間性
第22節 世界の内部にある用具的存在者の空間性
第23節 世界=内=存在の空間性
第24節 現存在の空間性と空間
第4章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「世間」
第25節 現存在の誰れかをたずねる実論的な問いの手がかり
第26節 ほかの人びとの共同現存在と日常的共同存在
第27節 日常的自己存在と世間
第5章 内=存在そのもの
第28節 内=存在を主題的に分析する課題
A 現の実存論的構成
第29節 心境としての現=存在
第30節 心境のひとつの様態としての別れ
第31節 了解としての現=存在
第32節 了解と解意
第33節 解意の派生的様態としての言明
第34節 現=存在と話、言語
B 現の日常的存在と現存在の頽落
第35節 世間話
第36節 好奇心
第37節 曖昧さ
第38節 頽落と被投性
第6章 現存在の存在としての関心
第39節 現存在の構造全体の根源的全体性への問い
第40節 現存在の際立った開示態としての不安という根本的心境
第41節 関心としての現存在の存在
第42節 関心としての現存在の実論的解釈を、現存在の前=存在論的な自己解意によって検証する
第43節 現存在、世界性および実在性
(a)「外界」の存在と証明可能性との問題としての実存性
(b)存在論的問題としての実在性
(c)実在性と関心
第44節 現存在、開示態および真理性
(a)伝統的な心理概念とその存在論的基礎
(b)真理性の根源的現象と、伝統的心理概念の派生的性格
(c)真理の存在様相と真理の前提
『存在と時間 下』
http://www.arsvi.com/b1900/2700hm2.htm
Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit
細谷 貞夫,ちくま学芸文庫,472p.
■目次
凡例
第2編 現存在と時間性
第45節 現存在の準備的基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実論的解釈の課題
第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在
第46節 現存在的な全体存在を存在論的に把握し規定することの、みかけの不可能性
第47節 ほかの人びとの死についての経験の可能性と、全たき現存在の把捉の可能性
第48節 未済、終末ならびに全体性
第49節 死の実存論的分析と、この現象についておこないうる諸他の解釈との対照的区別
第50節 死の実存論的=存在論的構造の素描
第51節 死へ臨む存在と、現存在の日常性
第52節 終末へ臨む日常的存在と、死についての十全な実存論的概念
第53節 本来的な〈死へ臨む存在〉の実存論的投企
第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性
第54節 本来的な実存的可能性の臨床の問題
第55節 良心の実存論的=存在論的基礎
第56節 良心の呼び声としての性格
第57節 関心の呼び声としての良心
第58節 呼びかけの了解と負い目
第59節 良心の実存論的解釈と、通俗的な良心解意
第60節 良心において臨証される本来的存在可能の実存論的構造
第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性
第61節 現存在の本来的な全体存在の画定から時間性の現象的打開へいたる方法的進路の素描
第62節 先駆的覚悟性としての現存性の実存的=本来的な全体存在可能
第63節 関心の存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析論全般の方法的性格
第64節 関心と自己性
第65節 関心の存在論的意味としての時間性
第66節 現存在の時間性と、そこから生ずる実存論的分析のいっそう根源的な反復の課題
第4章 時間性と日常性
第67節 現存在の実存論的構成の基綱と、その構成の時間的解釈の素描
第68節 開示態一般の時間性
(a)了解の時間性
(b)心境の時間性
(c)頽落の時間性
(d)話の時間性
第69節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
(a)配視的配慮の時間性
(b)配視的配慮から内世界的客体の理論的発見への変容の時間的意味
(c)世界の超越の時間的問題
第70節 現存在的空間性の時間性
第71節 現存在の日常性の時間的意味
第5章 時間性と歴史性
第72節 歴史の問題の実存論的=存在論的提示
第73節 歴史の通俗的理解と現存在の経歴
第74節 歴史性の根本的構成
第75節 現存在の歴史性と世界=歴史
第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源
第77節 歴史性の問題についての上述の論述と、ウィルヘルム・ディルタイの諸研究およびヨルク伯爵の思想との連関
第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性
第78節 上述した現存在の時間的分析の不備
第79節 現存在の時間性と時間の配慮
第80節 配慮される時間と内時性
第81節 内時性と、通俗的時間概念の成立
第82節 時間性、現存在および世界時間の実存論的=存在論的連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対照
(a)ヘーゲルの時間概念
(b)時間と精神の連関についてのヘーゲルの解釈
第83節 現存在の実存論的=時間的分析論と、存在全般の意味への基礎存在論的な問い
訳者の注記
訳者後記『存在と時間』について
SEIN UND ZEIT VON MARTIN HEIDEGGER Elfte, unveränderte Auflage 1967 MAX NIEMEYER VERLAG TÜBINGEN Zuerst erschienen als Sonderdruck aus »Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung« Band VIII herausgegeben von Edmund Husserl © Max Niemeyer Verlag Tübingen 1967 Alle Rechte vorbehalten – Printed in Germany Druck: Gutmann & Co., Heilbronn Einband von Heinr. Koch, Tübingen Digitalisiert in Deutschland 2002 vom Schwarzkommando EDMUND HUSSERL in Verehrung und Freundschaft zugeeignet Todtnauberg i. Bad. Schwarzwald zum 8. April 1926 [page left blank] Vorbemerkung Die Abhandlung »Sein und Zeit« erschien zuerst Frühjahr 1927 in dem von E. Husserl herausgegebenen Jahrbuch für Phänome- nologie und phänomenologische Forschung Bd. VIII und gleich- zeitig als Sonderdruck. Der vorliegende, als neunte Auflage erscheinende Neudruck ist im Text unverändert, jedoch hinsichtlich der Zitate und der Interpunktion neu durchgesehen. Die Seitenzahlen des Neu- druckes stimmen bis auf geringe Abweichungen mit denen der früheren Auflagen überein. Die in den bisherigen Auflagen angebrachte Kennzeichnung »Erste Hälfte« ist gestrichen. Die zweite Hälfte läßt sich nach einem Vierteljahrhundert nicht mehr anschließen, ohne daß die erste neu dargestellt würde. Deren Weg bleibt indessen auch heute noch ein notwendiger, wenn die Frage nach dem Sein unser Dasein bewegen soll. Zur Erläuterung dieser Frage sei auf die im gleichen Verlag er- schienene »Einführung in die Metaphysik« verwiesen. Sie bringt den Text einer im Sommersemester 1935 gehaltenen Vorlesung. [page left blank] VII Inhalt Einleitung Die Exposition der Frage nach dem Sinn von Sein Erstes Kapitel Notwendigkeit, Struktur und Vorrang der Seinsfrage
§ 1. Die Notwendigkeit einer ausdrücklichen Wiederholung der Frage nach dem Sein ... 2
§ 2. Die formale Struktur der Frage nach dem Sein ... 5
§ 3. Der ontologische Vorrang der Seinsfrage ... 8
§ 4. Der ontische Vorrang der Seinsfrage ... 11 Zweites Kapitel Die Doppelaufgabe in der Ausarbeitung der Seinsfrage Die Methode der Untersuchung und ihr Aufriß
§ 5. Die ontologische Analytik des Daseins als Freilegung des Horizontes für eine Interpretation des Sinnes von Sein überhaupt ... 15
§ 6. Die Aufgabe einer Destruktion der Geschichte der Ontologie ... 19
§ 7. Die phänomenologische Methode der Untersuchung ... 27 A. Der Begriff des Phänomens ... 28 B. Der Begriff des Logos ... 32 C. Der Vorbegriff der Phänomenologie ... 34
§ 8. Der Aufriß der Abhandlung ... 39
Erster Teil Die Interpretation des Daseins auf die Zeitlichkeit und die Explikation der Zeit als des transzendentalen Horizontes der Frage nach dem Sein Erster Abschnitt Die vorbereitende Fundamentalanalyse des Daseins Erstes Kapitel Die Exposition der Aufgabe einer vorbereitenden Analyse des Daseins
§ 9. Das Thema der Analytik des Daseins ... 41
§ 10. Die Abgrenzung der Daseinsanalytik gegen Anthropologie, Psy- chologie und Biologie ... 45
§ 11. Die existenziale Analytik und die Interpretation des primitiven Daseins. Die Schwierigkeiten der Gewinnung eines »natürlichen Weltbegriffes« ... 50 VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins
§ 12. Die Verzeichnung des In-der-Welt-seins aus der Orientierung am In-Sein als solchem ... 52
§ 13. Die Exemplifizierung des In-Seins an einem fundierten Modus. Das Welterkennen ... 59 Drittes Kapitel Die Weltlichkeit der Welt
§ 14. Die Idee der Weltlichkeit der Welt überhaupt ... 63
A. Die Analyse der Umweltlichkeit und Weltlichkeit überhaupt
§ 15. Das Sein des in der Umwelt begegnenden Seienden ... 66 § 16. Die am innerweltlich Seienden sich meldende Weltmäßigkeit der Umwelt ... 72
§ 17. Verweisung und Zeichen ... 76
§ 18. Bewandtnis und Bedeutsamkeit; die Weltlichkeit der Welt ... 83
B. Die Abhebung der Analyse der Weltlichkeit gegen die Interpretation der Welt bei Descartes
§ 19. Die Bestimmung der »Welt« als res extensa ... 89 § 20. Die Fundamente der ontologischen Bestimmung der »Welt« ... 92
§ 21. Die hermeneutische Diskussion der cartesischen Ontologie der »Welt« ... 95
C. Das Umhafte der Umwelt und die »Räumlichkeit« des Daseins
§ 22. Die Räumlichkeit des innerweltlich Zuhandenen ... 102 § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins ... 104
§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum ... 110 Viertes Kapitel Das In-der-Welt-sein als Mit- und Selbstsein. Das »Man«
§ 25. Der Ansatz der existenzialen Frage nach dem Wer des Daseins ......... 114
§ 26. Das Mitdasein der Anderen und das alltägliche Mitsein ... 117
§ 27. Das alltägliche Selbstsein und das Man ... 126 Fünftes Kapitel Das In-Sein als solches
§ 28. Die Aufgabe einer thematischen Analyse des In-Seins ... 130
A. Die existenziale Konstitution des Da
§ 29. Das Da-sein als Befindlichkeit ... 134
§ 30. Die Furcht als ein Modus der Befindlichkeit ... 140 § 31. Das Da-sein als Verstehen ... 142
§ 32. Verstehen und Auslegung ... 148
§ 33. Die Aussage als abkünftiger Modus der Auslegung ... 154
§ 34. Da-sein und Rede. Die Sprache ... 160 IX B. Das alltägliche Sein des Da und das Verfallen des Daseins § 35. Das Gerede ... 167 § 36. Die Neugier ... 170
§ 37. Die Zweideutigkeit ... 173
§ 38. Das Verfallen und die Geworfenheit ... 175 Sechstes Kapitel Die Sorge als Sein des Daseins
§ 39. Die Frage nach der ursprünglichen Ganzheit des Strukturganzen des Daseins ... 180
§ 40. Die Grundbefindlichkeit der Angst als eine ausgezeichnete Er- schlossenheit des Daseins ... 184
§ 41. Das Sein des Daseins als Sorge ... 191 § 42. Die Bewährung der existenzialen Interpretation des Daseins als Sorge aus der vorontologischen Selbstauslegung des Daseins ... 196
§ 43. Dasein, Weltlichkeit und Realität ... 200 a) Realität als Problem des Seins und der Beweisbarkeit der »Außenwelt« ... 202 b) Realität als ontologisches Problem ... 209 c) Realität und Sorge ... 211 § 44. Dasein, Erschlossenheit und Wahrheit ... 212 a) Der traditionelle Wahrheitsbegriff und seine ontologischen Fundamente ... 214 b) Das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit und die Abkünf- tigkeit des traditionellen Wahrheitsbegriffes ... 219 c) Die Seinsart der Wahrheit und die Wahrheitsvoraussetzung ....... 226 Zweiter Abschnitt Dasein und Zeitlichkeit
§ 45. Das Ergebnis der vorbereitenden Fundamentalanalyse des Daseins und die Aufgabe einer ursprünglichen existenzialen Interpretation dieses Seienden ... 231 Erstes Kapitel Das mögliche Ganzsein des Daseins und das Sein zum Tode
§ 46. Die scheinbare Unmöglichkeit einer ontologischen Erfassung und Bestimmung des daseinsmäßigen Ganzseins ... 235 § 47. Die Erfahrbarkeit des Todes der Anderen und die Erfassungs- möglichkeit eines ganzen Daseins ... 237
§ 48. Ausstand, Ende und Ganzheit ... 241 § 49. Die Abgrenzung der existenzialen Analyse des Todes gegenüber möglichen anderen Interpretationen des Phänomens ... 246
§ 50. Die Vorzeichnung der existenzialontologischen Struktur des Todes ....... 249
§ 51. Das Sein zum Tode und die Alltäglichkeit des Daseins ... 252 § 52. Das alltägliche Sein zum Ende und der volle existenziale Begriff des Todes ... 255 § 53. Existenzialer Entwurf eines eigentlichen Seins zum Tode ... 260 X Zweites Kapitel Die daseinsmäßige Bezeugung eines eigentlichen Seinkönnens und die Entschlossenheit § 54. Das Problem der Bezeugung einer eigentlichen existenziellen Mög- lichkeit ... 267
§ 55. Die existenzial-ontologischen Fundamente des Gewissens ... 270
§ 56. Der Rufcharakter des Gewissens ... 272
§ 57. Das Gewissen als Ruf der Sorge ... 274
§ 58. Anrufverstehen und Schuld ... 280
§ 59. Die existenziale Interpretation des Gewissens und die vulgäre Gewissensauslegung ... 289
§ 60. Die existenziale Struktur des im Gewissen bezeugten eigentlichen Seinkönnens ... 295
Drittes Kapitel Das eigentliche Ganzseinkönnen des Daseins und die Zeitlichkeit als der ontologische Sinn der Sorge
§ 61. Vorzeichnung des methodischen Schrittes von der Umgrenzung des eigentlichen daseinsmäßigen Ganzseins zur phänomenalen Frei- legung der Zeitlichkeit ... 301
§ 62. Das existenziell eigentliche Ganzseinkönnen des Daseins als vor- laufende Entschlossenheit ... 305
§ 63. Die für eine Interpretation des Seins-sinnes der Sorge gewonnene hermeneutische Situation und der methodische Charakter der exi- stenzialen Analytik überhaupt ... 310
§ 64. Sorge und Selbstheit ... 316
§ 65. Die Zeitlichkeit als der ontologische Sinn der Sorge ... 323
§ 66. Die Zeitlichkeit des Daseins und die aus ihr entspringenden Auf- gaben einer ursprünglicheren Wiederholung der existenzialen Analyse ... 331
Viertes Kapitel Zeitlichkeit und Alltäglichkeit
§ 67. Der Grundbestand der existenzialen Verfassung des Daseins und die Vorzeichnung ihrer zeitlichen Interpretation ... 334
§ 68. Die Zeitlichkeit der Erschlossenheit überhaupt ... 335 a) Die Zeitlichkeit des Verstehens ... 336 b) Die Zeitlichkeit der Befindlichkeit ... 339
c) Die Zeitlichkeit des Verfallens ... 346
d) Die Zeitlichkeit der Rede ... 349
§ 69. Die Zeitlichkeit des In-der-Welt-seins und das Problem der Trans- zendenz der Welt ... 350
a) Die Zeitlichkeit des umsichtigen Besorgens ... 352
b) Der zeitliche Sinn der Modifikation des umsichtigen Besorgens zum theoretischen Entdecken des innerweltlich Vorhandenen ....... 356
c) Das zeitliche Problem der Transzendenz der Welt ... 364
§ 70. Die Zeitlichkeit der daseinsmäßigen Räumlichkeit ... 367
§ 71. Der zeitliche Sinn der Alltäglichkeit des Daseins ... 370
XI Fünftes Kapitel Zeitlichkeit und Geschichtlichkeit
§ 72. Die existenzial-ontologische Exposition des Problems der Geschichte 372
§ 73. Das vulgäre Verständnis der Geschichte und das Geschehen des Daseins ... 378
§ 74. Die Grundverfassung der Geschichtlichkeit ... 382 § 75. Die Geschichtlichkeit des Daseins und die Welt-Geschichte ... 387
§ 76. Der existenziale Ursprung der Historie aus der Geschichtlichkeit des Daseins ... 392
§ 77. Der Zusammenhang der vorstehenden Exposition des Problems der Geschichtlichkeit mit den Forschungen W. Diltheys und den Ideen des Grafen Yorck ... 397
Sechstes Kapitel Zeitlichkeit und Innerzeitigkeit als Ursprung des vulgären Zeitbegriffes
§ 78. Die Unvollständigkeit der vorstehenden zeitlichen Analyse des Daseins ... 404
§ 79. Die Zeitlichkeit des Daseins und das Besorgen von Zeit ... 406
§ 80. Die besorgte Zeit und die Innerzeitigkeit ... 411
§ 81. Die Innerzeitigkeit und die Genesis des vulgären Zeitbegriffes ......... 420
§ 82. Die Abhebung des existenzial-ontologischen Zusammenhangs von Zeitlichkeit, Dasein und Weltzeit gegen Hegels Auffassung der Beziehung zwischen Zeit und Geist ...428
a) Hegels Begriff der Zeit ... 428
b) Hegels Interpretation des Zusammenhangs zwischen Zeit und Geist ... 433
§ 83. Die existenzial-zeitliche Analytik des Daseins und die fundamental- ontologische Frage nach dem Sinn von Sein überhaupt ... 436
http://www.docin.com/p-3834122.html
220 Comments:
3節と自分の理解を纏めて表にしてみました。
:基礎的存在論→存在一般の意味を扱う存在論→各種存在領域を扱う学
・存在者
↓
--------------
↓ ↓
現存在 非現存在的存在者(内世界的存在者)
↓
--------------
↓ ↓
道具的存在者 事物的存在者
注:道具的/事物的の対立は、現存在の態度に由来する
存在と時間全体の目次は以下の通り。
第一部
第一編 現存在の準備的な基礎分析
第二編 現存在と時間性
第三編 時間と存在
第二部
第一編 カントの図式論および時間論-時節性の問題設定の前段階として
第二編 デカルトの《cogito sum》の存在論的基礎と、res cogitans の問題圏への中世的存在論の継承
第三編 古代的存在論の現象的基盤とその限界の判別尺度としてのアリストテレスの時間論
この内、書かれたのは、第一部第一編と第二編のみ。つまり三分の一だけ。
序論 存在の意味への問いの開陳
第一章 存在問題の必然性、構造、および優位
●第一節 存在の問いを表立って繰り返すことの必然性
●第二節 存在への問いの形式的構造
●第三節 存在問題の存在論的優位
●第四節 存在問題の存在的優位
第二章 存在問題を仕上げるときの二重の課題 根本的探求の方法とその構図
●第五節 存在一般の意味を学的に解釈するための地平から
邪魔者を取り払うこととしての現存在の存在的分析論
●第六節 存在論の歴史の破壊という課題
●第七節 根本的探求の現象学的方法
●第七節・A 現象という概念
●第七節・B ロゴスという概念
●第七節・C 現象学の予備概念
●第八節 この論述の構図
第一部 時間性をめがける現存在の学的解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の究明
第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の開陳
●第九節 現存在の分析論の主題
●第十節 人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論の境界を画すること
●第十一節 実存論的分析論と未開の現存在の学的解釈 「自然的な世界概念」を獲得することの諸困難
第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
●第十二節 内存在そのものに定位することにもとづいて描かれた世界内存在の下図
●第十三節 一つの基礎づけられた様態で示された内存在の範例 世界認識
第三章 世界の世界性
●第十四節 世界一般の世界性の理念
A 環境世界性と世界性一般との分析
●第十五節 環境世界の内で出会われる存在者の存在
●第十六節 世界内部的存在者に即しておのれを告げるところの、環境世界の世界適合性
●第十七節 指示と記号
●第十八節 適所性と有意義性 世界の世界性
B 世界性の分析をデカルトでみられる世界の学的解釈に対して対照させること
●第十九節 拡ガリアルモノとしての「世界」の規定
●第二十節 「世界」の存在論的規定の諸基礎
●第二十一節 「世界」のデカルト的存在論についての解釈学的討議
C 環境世界の環境性と現存在の空間性
●第二十二節 世界内部的な道具的存在者の空間性
http://www.kengakusha.com/MHBT.html
中公クラシックス版目次
目次
凡例
献辞
巻頭言
緒論 存在の意味如何という問いの開展
第一章 存在問題の必要と構造と優位
第一節 存在如何の問いをことさらに繰返すことの必要
第二節 存在如何の問いの形式的構造
第三節 存在問題の存在論的優位
第四節 存在問題の存在的優位
第二章 存在問題の精練確立における二重課題。探究の方法とその構図
第五節 そもそもの存在の意味を解釈せんがための地平の拓開露表としての、現存在の存在論的分析論
第六節 存在論史を破壊する課題
第七節 探究の現象学的方法
第八節 論文の構図
第一部 時間性にもとづくとする現存在の学的解釈と、存在如何の問いの超越論的〔先験的〕地平としての時間の解明
第一篇 現存在の予備的基礎分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の開展
第九節 現存在の分析論の主題
第一〇節 人間学、心理学、および生物学に対する現存在分析論の界限
第一一節 実存論的分析論と、原始的現存在の解釈。『自然的世界概念』獲得の困難
第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
第一二節 「内存在」そのものの方に定位しての「世界内存在」の予描
第一三節 基づけられた〔高次〕様態において示される「内存在」の範例。世界認識作用
第三章 世界の世界性
第一四節 世界一般の世界性の理念
A.環境界性と世界性一般との分析
第一五節 環境界内で出会する存在者の存在
第一六節 世界内部的存在者において告げられている環境界の世界適合性
第一七節 指示と記号
第一八節 適在性と有意義性。世界の世界性
B.デカルトにおける世界解釈に対する世界性分析の対照
第一九節 延長的事物としての『世界』の規定
第二〇節 『世界』の存在論的規定の諸基礎
第二一節 デカルト的『世界』存在論の解釈学的討究
C.環境の環性 des Umhafte と現存在の『空間性』
第二二節 世界内部的に用在せる者の空間性
第二三節 「世界内存在」の空間性
第二四節 現存在の空間性、および空間
第四章 共同存在および自己存在としての、「世界内存在」。『ひと・世人 das Man』
第二五節 現存在は誰かという実存論的問いの始設
第二六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
第二七節 日常的自己存在と「ひと」
第五章 「内存在」そのもの
第二八節 「内存在」の主題的分析の課題
A.「現われ」の実存論的構成本質
第二九節 感存性としての「現われ―在ること」
第三〇節 感存性の一様態としての「恐れ」
第三一節 了解作用としての「現われ―在ること」
第三二節 了解作用と解釈
第三三節 解釈の派生様態としての陳述
第三四節 「現われ―存在」と「語り」。言語
B.「現われ」の日常的存在と、現存在の頽落
第三五節 空談
第三六節 好奇心
第三七節 曖昧性
第三八節 頽落と被投性
第六章 現存在の存在としての慮
第三九節 現存在の構造全体の根源的全体性如何の問い
第四〇節 現存在の最も顕著な開示性としての不安という根本感存性
第四一節 慮としての現存在の存在
第四二節 現存在の前存在論的自己解釈からする、慮としての現存在の実存論的解釈の保証
第四三節 現存在、世界性、および実在性
第四四節 現存在、開示性、および真理
訳者注および訳注補遺
あとがき
第二篇 現存在と時間性
第一章 現存在の可能的全体存在と、死への存在
第二章 自己本来的存在可能の現存在的証言と、覚悟性
第三章 現存在の自己本来的な全体存在可能と、慮の存在論的意味としての時間性
第四章 時間性と日常性
第五章 時間性と歴史性
第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性
訳者注および訳注補遺
あとがき
事項索引兼訳語対照表
人名索引
勁草書房版目次
M.ハイデガー 著
松尾啓吉 訳
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26570.html
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b51445.html
ar ein Modus der Sorge, deshalb ist hinreichend gezeigt, dass erst die Zeitlichkeit die Einheit der Sorge ermöglicht. Damit ist als Sinn der Sorge die Zeitlichkeit in ihren drei Ekstasen ausgewiesen:[20]
Zeitlichkeit Sorge In-sein Ontologischer Charakter
Zukunft Sich-vorweg-sein Verstehen Existenzialität
Gewesenheit Schon-sein-in-der-Welt Befindlichkeit Faktizität
Gegenwart Sein-bei Besorgen Verfallen
Die Sorge läuft wie gezeigt nicht in einer linearen Zeit ab, vielmehr ist die Zeitlichkeit ve
http://de.wikibooks.org/wiki/Martin_Heidegger/_Sein_und_Zeit/_Drittes_Kapitel_%C2%A7%C2%A7_61%E2%80%9366
Zeitlichkeit___Sorge_________In-sein____Ontologischer Charakter
Zukunft____Sich-vorweg-sein____Verstehen___Existenzialität
Gewesenheit_Schon-sein-in-der-Welt_Befindlichkeit__Faktizität
Gegenwart__Sein-bei________Besorgen___Verfallen
Zeitlichkeit___Sorge________In-sein____Ontologischer Charakter
時間性 関心 内=存在 存在様式
Zukunft____Sich-vorweg-sein____Verstehen___Existenzialität
将来 自分に先立っている存在 了解 実存性
Gewesenheit_Schon-sein-in-der-Welt_Befindlichkeit__Faktizität
既在性 世界内に既に自己に 情態性 事実性
先立って在ること
Gegenwart__Sein-bei________Besorgen___Verfallen
現在 傍らに在ること 配慮 頽落
世界ー内ー存在
現存在
道具/環境 世界性
日常性
(の様式) ___ 空間
頽落/ \ 内=存在
(好奇心)視 配視 顧視 瞬視(>)(<)ろ >>> 視覚
(空談) 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
<_(__\ \___| |_決断、/__)_)
(曖昧性)公共性 ______ _____ 他者>
| ♡良心____責め 倫理
| | /
| | 気遣い_
| _ | / |
(非本来的 / / \|\/本来的| 自己
理解) / / |/\ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~死\ \了解|~~~~~~~~~~~
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~/ <___恐れ____不安 \_> //~
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|恐れ/不安___|/~~|______|_|/~~~~~
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歴史性_________時間性 |
過去____現在____未来 |
時 間 既在 到来的 |
決断____先駆 |
(不決断)_/ | |
将来____|
|
反復__________予期
(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
世界ー内ー存在
現存在
道具/事物 環境、世界性
日常性 <<<
(の様式) \ \ ___ 空間
\ \ 頽落/ \ 内=存在
(好奇心)視 配視 顧視 瞬視(>)(<)ろ >>> 視覚
(空談) 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
<_(__\ \___| |_決断、/__)_)
(曖昧性)公共性 ______ _____ 他者>
| ♡良心____責め 倫理
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| | 気遣い_
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(非本来的 / / \|\/本来的| 自己
理解) / / |/\ 理解| 論理
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歴史性_________時間性 |
過去____現在____未来 |
時 間 既在 到来的 |
決断____先駆 |
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将来____|
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反復__________予期
(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
世界ー内ー存在
現存在
道具/事物 環境、世界性
日常性 <<<
(の様式) \ \ ___ 空間
\ \ 頽落/ \ 内=存在
(好奇心)視 配視 顧視 瞬視(>)(<)ろ >>> 視覚
(空談) 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
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(曖昧性)公共性 ______ _____ 他者>
| ♡良心____責め 倫理
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理解) / / |/\ 理解| 論理
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歴史性_________時間性 |
過去____現在____未来 |
時 間 既在 到来的 |
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心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
道具/事物 環境、世界性
日常性 <<< 自 己
(の様式) \ \ ___ 空間
\ \ / \ 内 = 存 在
(好奇心)視 配視 顧視 瞬視(>)(<)ろ >>> 視覚
(空談) 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
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理解) 頽落/ |/\ 理解| 論理
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歴史性_________時間性 |
過去____現在____未来 |
時 間 既在 到来的 |
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(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
道具/事物 環境、世界性
日常性 <<< 自 己
(の様式) \ \ ___ 空間
\ \ / \ 内 = 存 在
(好奇心)視 配視 顧視 瞬視(>)(<)ろ >>> 視覚
(空談) 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
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理解) / /頽落 \ \ 理解| 論理
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歴 史 性__________時 間 性 |
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将来
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(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
Zeitlichkeit___Sorge________In-sein____Ontologischer Charakter
時間性 関心 内=存在 存在論的性格
Zukunft____Sich-vorweg-sein____Verstehen___Existenzialität
将来 自分に先立っている存在 了解 実存性
Gegenwart__Sein-bei________Besorgen___Verfallen
現在 傍らに在ること 配慮 頽落
Gewesenheit_Schon-sein-in-der-Welt_Befindlichkeit__Faktizität
既在性 世界内に既に自己に 心境、情態性 事実性
先立って在ること
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性
の様式 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 視 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視覚
空談 語り( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 発話
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| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
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| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
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~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|道具______|/~~|______|_|/世 界 性
~~〜/事物~~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~~環境
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歴 史 性________時 間 性 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |
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心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)/
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性
の様式 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ \了解|~~~~~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~~/\ \| /|~~~
~/ <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|道具______|/~~|______|_|/世 界 性
~〜/事物~~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~~環境
~~~~~~~~~~~脱自~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 性 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
|
反復__________予期
(忘却)________/
心境 配慮 了解 内=存在
◯現事実性 ◯頽落性 ◯実存性 存在論的性格
(◯=気遣いを構成する三契機64)
Konrad Burdach, 'Faust und die Sorge
deutsche vierteljabrschrift fur literaturwissenshaft und 11923 pp.1 y ss.
Deutsche Vierteljahrsschrift fur Literaturwissenschaft
Burdach Faust and
タイトル Deutsche Vierteljahrsschrift für Literaturwissenschaft und Geistesgeschichte.
出版事項 Halle, Saale : Max Niemeyer Verlag, 1923-
種別 未製本分は3階雑誌フロア(洋雑誌)
配架場所 中央 3F雑誌
請求記号 SF 0039
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形態 v. ; 23-25 cm.
頻度 Quarterly
巻次・年月次 1. Jahrg., Heft 1 (1923)-
ISSN 0012-0936
注記 Publisher varies: Stuttgart : J.B. Metzlersche Verlagsbuchhandlung, <1957->
Some vols. have supplements.
インデックス Vol. 1 (1923)-40 (1966), 1 v.
分類 PN4 .D4
弘前大学紀要
ところで,「ケア」すなわち“Care” の語義には両
義性があることも,ケアを語る際にはよく知られてい
ることである。一般的には,『バイオエシックス百科
事典』等を参照して,“Care” の語源がラテン語の
“cura” に由来するものであり,相反する二つの意味
で使われていたとするものである。すなわち,一方で
は,心配,不安,気苦労といった人間にとっては厄介
な重荷となるような負の意味において,他方では,気
遣い,世話,手当てといった誰かに対して恩恵を施す
という正の意味においてである。
前者は,人間の個人の内面の心境・心情であるが,
自己と他者との関係性の反映であり,相手次第では,
子供可愛さの親心であったり,嫌な同僚との軋轢で
あったりする。後者は,自己と他者とに具体的に働き
かけることであるが,これも相手次第では,救いや癒
しになったり,逆に,迷惑になったり,面倒がられる
ことにもなる。
ところで,この「ケアの両義性」にこそ着目するこ
とによって,そこから「ケア」を人間存在の根源をな
す不可欠の要素として「人間の存在論」を展開したの
が,他ならぬ『存在と時間』(1927年)におけるハイ
デッガーなのである。
『存在と時間』の中で最も「非学問的」な部分は,
“Sorge” のラテン語の語源である“cura” の物語に触
れている段であろう。(細谷貞雄他訳『存在と時間』
上,理想社,昭38,326-328頁より,要約して引用す
る。)
それによれば,“cura” (憂い)が川を渡って陶土を
見いだし,ひと形を成した。そこにユピテルが通り掛
かったので,“cura” はひと形に“spiritus” を与えて
くれるように頼み,彼は快諾した。そこで“cura” は
ひと形に自分の名前を付けようとすると,ユピテルは
自分の名前を付けるべきだとして争いになった。する
と,陶土が身を起こし,そのひと形の素は自分なのだ
から自分の名こそ相応しいと言って譲らない。そこで
三者はサトゥルヌス(時の氏神)を裁判官にして裁定
を乞うた。裁定によれば,ユピテルは“spiritus”
(息,生,精神)を与えたのだからそのひと形が死ぬ
時に“spiritus” を取り,陶土はその身を与えたのだ
から死んだらその身を取るように,そして“cura”
は,そのひと形を成したのだから,それが生きている
間は“cura” がそれを支配するように,ただ名前につ
いては,そのものの形は明らかに陶土から成っている
のだから,“homo” (人間)と呼ぶのが相応しいだろ
う,というものであった。
つまり“homo” (人間)と言う名称は,その素材で
ある“humus” (土,塵,取るに足らぬもの)に因む
ものであり,元々「土から成り,土に帰るもの」と言
う意味が含意されているのである。
この寓話は,「人間」は生きている限り,“cura” つ
まり,「憂い」や「労苦」に支配されていることを暗
喩しており,ハイデガーが,「人間」が「存在」する
その根本に「死への憂い」が潜んでいるとした論拠を
なしているのである。そして,この部分だけを見る限
りでは,シェーラーが,ハイデガーの人間観を
“HOMO CURANS”(死を憂える者)として,「愛」
に欠けた暗い存在観のように考え,自ら“HOMO
AMANS” (愛する者)という人間観を提唱しようと
したのも無理からぬことであったと思われる。
しかし,ハイデガーが着目した「ケアの両義性」と
はもっと別の面にあったのである。
Ⅳ ハイデガーと『ファウスト』の人間像
ところで,この“cura” を廻る言わば「原因奇譚
説」を,ハイデガーは「本文」においてではなく「注
記」において,K.ブルダッハの「ファウストと憂い
(“Sorge” )」という論考で「偶然」に発見したと記述
している。にもかかわらず,この段は『存在と時間』
の中で,人間の存在を“Sorge(cura)” に位置づける
核心的な部分になっているのである。そしてそれは,
同じく,ブルダッハの「ファウストと憂い」の中で
“cura” という言葉が「両義性」をもっていることに
気付かされたことによると記しているのである。
[PDF]
紀 要
www.hs.hirosaki-u.ac.jp/.../HEALTHSCIENCESHIROSAKI_Vol.8.p...
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同じく,ブルダッハの「ファウストと憂い」の中で. “cura” という言葉が「両義性」をもっていることに. 気付かされたことによると記しているので .... 間をみて K. ブルダッハの「ファウストと憂い. (“Sorge”)」という論考が所収されているという「文 ...
現 存 在
______________|
| 頽
| _理解_落_好奇心_良心_投企_死_投企_
| __内=存在__/_語り___空談_____沈黙___沈黙_\_内=存在
世 | 不安 \_情態性__曖昧性____不安___不安_/ |
界 |(世界 内=存在 自己)・ ・ ・ |
| | ・ ・ ・ |
内_|__自 己____________________ ・ __自 己
| | | ・ ・ | ・ | |
存 | 人間 ・ ・本来的 ・ | |
在 | 非本来的 ・ ・ 自己 ・ | |
| | ・ ・ ・ 気遣い |
| | ・ ・ ・ 関心 |
| |___開示性_________決意性_先駆的 | |
| 決意性 | |
|__世 界 | | 世 界
| | |
世界性 | |
/ \ | |
道具全体性 環境世界 | |
| | | |
差しおく 近づける | |
適所_| |__方域 | |
全体性| | | |
適所性 場 | |
| |
過去_____現在______________将来 |
| | | |
既在性____現在化______自分に先んじて存在__|
(事実性) (頽落性) (実存性)
現 存 在
______________|
| 頽
| _理解_落_好奇心_良心_投企_死_投企_
| __内=存在__/_語り___空談_____沈黙___沈黙_\_内=存在
世 | 不安 \_情態性__曖昧性____不安___不安_/ |
界 |(世界 内=存在 自己)・ ・ ・ ___|
| | ・ ・ ・ | |
内_|__自 己____________________ ・ | 自 己
| | | ・ ・ | ・ | |
存 | 人間 ・ ・本来的 ・ | |
在 | 非本来的 ・ ・ 自己 ・ | |
| | ・ ・ ・ 気遣い |
| | ・ ・ ・ 関心 |
| |___開示性_________決意性_先駆的 | |
| 決意性 | |
| ・ | |
| 過去_________現在__________将来 | |
| | | | | |
| 既在性________現在化__自分に先んじて存在__| |
| (事実性) (頽落性) (実存性) |
| |
|__世 界 世 界
|
世界性
/ \
環境世界 道具全体性____差しおく___適所性
| \_適所_/
近づける 全体性
/|
方域 |
\|
場
ちなみに『トランスクリティーク』では、1:3:2でハイデガーがスピノザとの対比で批判され、
そのギリシア哲学理解も(オルテガ『哲学の起源』が引用され)疑問に付されていた。
____『トランスクリティーク』構造図____
| | | | |
|代表機構 | 移動 | 1:1 | 1:2 |
| | |カント的 |綜合的判断|
|____2:1____|転回_第一部__の問題|
| 移動と批判 | カント |
|恐慌として|アナキスト| 1:3 | イントロ|
|の視差 |たち |超越論的と|ダクション|
|微細な差異|_____|__横断的|_____|
| | | | |
| | 2:2 | 国家と |ネーション|
| |綜合の危機| 2:4 |
|____第二部____|トランスクリティカルな|
| マルクス |対抗運動 | |
| 2:3 | | | 可能なる|
|価値形態と| | 資本と |コミュニズム
|剰余価値_|_____|_____|_____|
または、
____『トランスクリティーク』構造図____
| | | | |
|代表機構 | 移動 | 1:1 | イントロ|
| | |カント的 |ダクション|
|____2:1____|転回_第一部_____|
| 移動と批判 | カント |
|恐慌として|アナキスト| 1:2 | 1:3 |
|の視差 |たち |綜合的判断|超越論的と|
|微細な差異|_____|__の問題|__横断的|
| | | | |
| | 2:2 | 国家と |ネーション|
| |綜合の危機| 2:4 |
|____第二部____|トランスクリティカルな|
| マルクス |対抗運動 | |
| 2:3 | | | 可能なる|
|価値形態と| | 資本と |コミュニズム
|剰余価値_|_____|_____|_____|
(『存在と時間』−世界−内存在)÷共同現存在=人生論
(『存在と時間』−環境世界−開示性+気遣い)÷共同現存在=人生論
(『存在と時間』−環境世界−開示性+頽落)÷共同現存在−気遣い=人生論
頽落+(『存在と時間』−環境世界−開示性)÷共同現存在=人生論
(『存在と時間』−環境世界−開示性)÷共同現存在+頽落=人生論
(『存在と時間』−環境世界−開示性)÷共同現存在+頽落=人生論
(『存在と時間』−環境世界+頽落)÷共同現存在=人生論
1975 (17)
特集・旅のゲーテ(その2)
ゲーテとハルツ旅行 丸山武夫
ゲーテのベルリーン旅行 今井道児
ボヘミアの旅-カールスバート、マリーエンバートその他- 山下肇
『遍歴時代』における諦念について 中村恒雄
ゲーテの「世界文学」要請について 大沢峯雄
ファウストと憂い-大五幕解釈の試み- 小栗浩
『ヴェニス短詠』の美学 万足卓
ゲーテとコーラン 鈴木邦武
ゲーテとヘルダーリンにおける見ることと聞くこと 野村一郎
ゲーテと初期トーマス・マンの芸術観 片山良展
バルラハとゲーテ 小塩節
ゲーテ年鑑
http://www.goethejapan.jp/gjj-j.html
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オンライン書店ビーケーワン:小栗 浩
www.bk1.jp/books/authorSearchResult/?...0... - キャッシュ
... 日本大学講師、文学博士。著書に「『西東詩集』研究」「『ファウスト』論考」「ドイツ古典主義の成立」など。 ... 1~3日. 小栗 浩/ 出版:同学社/ 発行年月:2010.5/ 税込価格:¥1890 ... ファウスト』論考 解釈の試み. 小栗 浩/ 出版:東洋出版/ 発行年月:1987/ ...
オンライン書店ビーケーワン:『ファウスト』論考 解釈の試み
www.bk1.jp/product/00553027 - キャッシュ
『ファウスト』論考 解釈の試み のお求めはビーケーワンで。10/31まで全品国内送料無料。 . bk1 オンライン書店 ... ファウスト』論考 解釈の試み. 弊社では現在お取り扱いができません. お困りの方. 『ファウスト』論考(東洋出版). 小栗 浩著. 税込価格
24 ゲーテ年鑑. 第17巻
出版地 : 東京;形態 : 214,10p 図 ; 22cm;注記 : 背の書名:Goethe−Jahrbuch;内容 : 特集・旅のゲーテその2 ゲーテとハルツ旅行(丸山武夫) ゲーテのベルリーン旅行(今井道児) ボヘミアの旅−カールスバート,マリーエンバートその他(山下肇) 『遍歴時代』における諦念について(中村恒雄) ゲーテの「世界文学」要請について(大沢峯雄) ファウストと憂いー第五幕解釈の試み(小栗浩) 『ヴェニス短詠』の美学(万足卓) ゲーテとコーラン(鈴木邦武) ゲーテとヘルダーリンにおける見ることと聞くこと(野村一郎) ゲーテと初期トーマス・マンの芸術観(片山良展) バルラハとゲーテ(小塩節) 独文レジュメ;本体価格 : 非売品...【図書情報】 (translate) (번역) (翻译)
★掲載アーカイブURL; http://api.porta.ndl.go.jp
★著者;
(1)日本ゲーテ協会
★刊行物;
★出版者; 日本ゲーテ協会
★出版&形態事項;
★出版年;
(1)1975 (2)1975
現 存 在
___________世界ー内ー存在______________
| | |
世 ___________内 自
界 | 存\_不安(世界 内=存在 自己) 己
| | 頽 在 |
世 | _理解_落_好奇心_良心_投企_死_投 企 |
界 |_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存在|
性 \_情態性__曖昧性____不安___不 安/ |
|_ ・ ・ ・ ・ |
環境 | ・ ___________________|
世界 | _______|_______ ・ ・
| | |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・・・ ・ 自己_気遣い
| | | ・ ・ 自己 ・ ・ 関 心
近づける| |_開示性_配_______決意性_先駆的決意性 ・ |
/| | 慮 ・ ・ |
方 | 道具____道具___差しおく___適所性・・・ ・ ・世界 |
域 | 全体性 \_適所_/ ・ |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
ハイデガーとウィトとの関係は哲学史的にはライプニッツを源流に置くとわかり
やすい。
__ニーチェ__ハイデガー
ライプニッツ_|
|____ラッセル__ウィト
両者の差異を強調することもできるし、共通性を強調することもできるが、論理
(学)内に倫理をそれぞれ別の形で取り入れた、ということは言えると思う。
ちなみにハイデガー『ニーチェ』の第三部はライプニッツを扱っているが、この
部分だけ文庫化されていないのが惜しい。
ハイデガーとウィトとの関係は哲学史的(系譜的)にはライプニッツを源流に置くとわかりやすい。
__ニーチェ__ハイデガー
ライプニッツ_|
|____ラッセル__ウィト
両者の差異を強調することもできるし、共通性を強調することもできるが、論理(学)内に
倫理をそれぞれ別の形で取り入れた、ということは言えると思う。
ちなみにハイデガー『ニーチェ』の第三部はライプニッツを扱っているが、ここだけ文庫化
されていないのが惜しい
(細谷貞雄はそもそも『ニーチェ』第三部を訳していない。邦訳が入手出来るとすれば薗田宗人訳の白水社版単行本版)。
現存在
世界ー内ー存在
_世 界 頽
(世界性) _理解_落_好奇心_良心_投企_死_投 企
| 内=存在/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存
| \_情態性__曖昧性____不安___不 安/ 在
| 自 己 ・被投性 ・ ・ ・
|__ | ・ ・ ・ ・
| ||__________ ・ ・ ・
環境世界| _______|_______ ・ ・
| | |人間・ 共同現存在 ・ | ・ 自
道具 | 非本来的・ /共同存在 ・本来的 ・・・ ・ ・己_気遣い
| | | ・ ・ 自己 ・ ・ 関 心
近づける| |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
世界ー内ー存在/現存在
_世 界
(世界性)
| 自 己__________
| _______|_______
| 内=存在 |人間 共同現存在 | 自
| | 非本来的 /共同存在 本来的 ・ ・ ・ ・己
|__ | | 自己 ・
| || |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・ ・
| ||_不安(世界 内=存在 自己)・ ・ ・
| || ・ ・ ・ ・
環境世界|| ・被投性 ・ ・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存_気遣い
| | \_理解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ 在 関 心
近づける| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
現存在____________不安(世界 内=存在 自己)
世界=内=存在(自己)____
(世界性)| |
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 | 自
| | 非本来的 /共同存在 本来的 ・ ・ ・ ・己
|__ | | 自己 ・
| || |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・ ・
環境世界|| ・被投性 ・ ・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存_気遣い
| | \_理解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ 在 関 心
近づける| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
現存在
世界=内=存在(自己)____
(世界性)| |
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 | 自
| | 非本来的 /共同存在 本来的 ・ ・ ・ ・己
|__ | | 自己 ・
| || |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・ ・
| ||_不安(世界 内=存在 自己)・ ・ ・
| || ・ ・ ・ ・
環境世界|| ・被投性 ・ ・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存_気遣い
| | \_理解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ 在 関 心
近づける| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
現存在
世界=内=存在______(自 己)
(世界性)| |
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 | 自
| | 非本来的 /共同存在 本来的 ・ ・ ・ ・己
|__ | | 自己 ・
| || |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・ ・
| ||_不安(世界 内=存在 自己)・ ・ ・
| || ・ ・ ・ ・
環境世界|| ・被投性 ・ ・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存_気遣い
| | \_理解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ 在 関 心
近づける| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮 了解
現 存 在
世界=内=存在_____(自 己)
(世界性) | |
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 | 自
| |非本来的 /共同存在 本来的 ・ ・ ・ ・己
|__ | | 自己 ・
| | | |_開示性________決意性_先駆的決意性 ・
| | | ・ ・ ・ ・
| | |_不安 ・ ・ ・ ・
| | | (世界・内=存在 自己) ・ ・ ・
| | | ・ ・ ・ ・
環境世界| | ・被投性 ・ ・ ・
| | | _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 | |/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存_気遣い
| | \_了解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ 在 関 心
近づける| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・ 世 |
域 | \_適所_/ ・ 界 |
\| 全体性 ・ |
場所 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮
286 :考える名無しさん :2011/12/06(火) 00:37:04.44 0
おれが知っているハイデガーがウィトゲンシュタインのことに言及しているケースは、
全集15巻ゼミナール。
思考することの困難にいてウィトが、部屋から出ようと試みるひとに例えているというもの。
窓は高すぎる、暖炉は狭すぎる、はて困ったとおもったら、ドアが開いていたっていうはなし。
ウィトがこれをどこで言ったか知っているひといるかな。
Routledge philosophy guidebook to Wittgenstein and the Philosophical investigations
http://books.google.co.jp/books?id=jDJGjCOU3SUC
のp.20によると
culuture and value(反哲学的断章) 1980 p.42
もしくは
Ludwig Wittgenstein: The Man and His Philosophy
に入っている
gasking and jackson 1978 Wittgenstein as teacher
らしい。
Routledge philosophy guidebook to Wittgenstein and the Philosophical investigations
http://books.google.co.jp/books?id=jDJGjCOU3SUC
のp.20によると
Ludwig Wittgenstein: The Man and His Philosophy
に再録された
gasking and jackson 1978 Wittgenstein as teacher p.52
らしい。
culuture and value(反哲学的断章) 1980 p.42
にも似たような記述があるようです。
横レスですが、
>>286
>おれが知っているハイデガーがウィトゲンシュタインのことに言及しているケースは、
>全集15巻ゼミナール。
>思考することの困難にいてウィトが、部屋から出ようと試みるひとに例えているというもの。
>窓は高すぎる、暖炉は狭すぎる、はて困ったとおもったら、ドアが開いていたっていうはなし。
>ウィトがこれをどこで言ったか知っているひといるかな。
"Routledge philosophy guidebook to Wittgenstein and the Philosophical investigations"
http://books.google.co.jp/books?id=jDJGjCOU3SUC
のp.20によると
"Ludwig Wittgenstein: The Man and His Philosophy"
に再録された
"Wittgenstein as teacher"gasking and jackson 1978 p.52
らしい(邦訳未確認)。
"culuture and value" 1980 p.42(邦題:反哲学的断章)
にも似たような記述があるようです。
288 :考える名無しさん :2011/12/06(火) 01:02:41.53 0
全集15巻は66年から69年のゼミの記録で、ウィトの名が3回出てくる。
一つは上に述べたやつで、もう一つはゼミ生のひとりが、「論考」の言葉=有機体という考え方を指摘している。
もう一つはハイデガーの言葉かどうかさだかでないが、ゼミの記録として、
「論考」の冒頭の命題「現実的なものは成立して事柄である」をとりあげて、
なんとも面妖な命題だっていっている。
横レスですが、
>>286
>おれが知っているハイデガーがウィトゲンシュタインのことに言及しているケースは、
>全集15巻ゼミナール。
>思考することの困難にいてウィトが、部屋から出ようと試みるひとに例えているというもの。
>窓は高すぎる、暖炉は狭すぎる、はて困ったとおもったら、ドアが開いていたっていうはなし。
>ウィトがこれをどこで言ったか知っているひといるかな。
"Routledge philosophy guidebook to Wittgenstein and the Philosophical investigations"
http://books.google.co.jp/books?id=jDJGjCOU3SUC
のp.20によると
"Ludwig Wittgenstein: The Man and His Philosophy"K. T. Fann
に収録された
"Wittgenstein as teacher"Gasking and Jackson
らしい(邦訳未確認)。
"culuture and value" 1980 p.42(邦題:反哲学的断章)
にも似たような記述があるようです。
ゲーデル
/ \
ラッセル___ウィト
/
_フレーゲ__フッサール
ライプニッツ_| \
|_二ーチェ________ハイデガー
:
ゲーデル
/ \
ラッセル___ウィト
/
_フレーゲ__フッサール
ライプニッツ_| \
|_二ーチェ________ハイデガー
290 :考える名無しさん :sage :2011/12/06(火) 03:23:28.95 0
まるをつける まるをはずす
べつの せかいが できるかな
ハイデガーとウィトゲンシュタインの類似(と違い)という話は
正直、より多くの参照点を導入しないと面白い話には全くならないと思うんだけど
上の人のコメントにもう少し加えとく
・一つ目の言及は、フィンクとのフライブルク大学における66-67年の共同ゼミナール
(このスレで関心を持つ人は少ないかもしれないが、アガンベンが出ていたゼミナール)
こちらは、ヘラクレイトスにおける ta panta をどう解釈できるか、という文脈。
その解釈の際、解釈学的循環から抜けられるのかどうか、といった文脈。
そこで、>>286のような話が引かれるが、言うまでもなくこれは『哲学探究』99。
>>288
>もう一つはゼミ生のひとりが、「論考」の言葉=有機体という考え方を指摘している。
回答の際、ハイデガーは、ユクスキュルの名を引いている事
また、そこで、デリダなどが好んで取り上げる、『形而上学の根本諸問題』での
石、動物、人間における世界の問題、有機体の問題が言及されている事も重要
・二つ目の言及は、ル・トールでのゼミナール(1969年9月2日)でのもの。
ここで引用されているのは、論考の冒頭の命題(のハイデガー的理解)。
ギリシャ的な「存在」の豊かな経験に対して、私達にとって「存在」はもはや空虚な語に過ぎず
「世界は、規定しうる/規定された出来事(Fall)の総体」というウィトゲンシュタインのテーゼは
そうした私達にとっての「存在」を良く示している、というもの。
ゲーデルと違った回路でラッセルの論理学を批判したウィトは、
フッサールを批判したハイデガーと重なる(柄谷『隠喩としての建築』参照)。
特にウィトの語った世界の驚異について有名な命題はハイデガーが着目した
ライプニッツの以下の命題と響き合う。むろんライプニッツは実学を志向したので
直接ウィトとは繋がらないが。
ライプニッツ『二十四の命題』1690
<「二四の命題(Die 24 Sätze)」と命名し注目したのはハイデッガーである。短いながら、その内容は、
晩年の『モナドロジー』にも似て、存在の定義から発して倫理への示唆にまで至る。つまり、「理由及
び理由律」(1)→「可能」(2)→可能の存在要求的性格(5)→「最大」(9)→「多様性」(13)→「秩序(判明
な認識、 美、完全生)」(18)→「喜び」(18,23,24)という進行は、ライプニッツ形而上学全体を俯瞰す
るようなスケールをもつ。>『ライプニッツを学ぶ人のために』(世界思想社p.189より)
以下、ハイデッガー 薗田宗人訳『ニーチェ3』 (白水社pp.222-225)より
(カタカナ表記をひらがな表記に変えた。
ラテン語原文はhttp://la.wikisource.org/wiki/24_th%C3%A8ses_m%C3%A9taphysiquesより。
その他、
http://tetsugaku.tripod.com/philosophe/leibniz/24.html または、
池田善昭『『モナドロジー』を読む』、ライプニッツ著作集8、海神通信にも邦訳及び解説がある。)
ライプニッツ『二十四の命題』
Godefridus Guilielmus Leibnitius 24 thèses métaphysiques
一 なぜ無ではなく、なにかが実在するのか、という根拠が自然のなかにある。…
1. Ratio est in Natura, cur aliquid potius existat quam nihil.…
以下略
ゲーデルと違った回路でラッセルの論理学を批判したウィトは、
フッサールを批判したハイデガーと重なる(柄谷『隠喩としての建築』参照)。
特にウィトの語った世界の驚異について有名な命題はハイデガーが着目した
ライプニッツの以下の命題と響き合う。むろんライプニッツは実学を志向したので
直接ウィトとは繋がらないが。
ライプニッツ『二十四の命題』1690
<「二四の命題(Die 24 Sätze)」と命名し注目したのはハイデッガーである。短いながら、その内容は、
晩年の『モナドロジー』にも似て、存在の定義から発して倫理への示唆にまで至る。つまり、「理由及
び理由律」(1)→「可能」(2)→可能の存在要求的性格(5)→「最大」(9)→「多様性」(13)→「秩序(判明
な認識、 美、完全生)」(18)→「喜び」(18,23,24)という進行は、ライプニッツ形而上学全体を俯瞰す
るようなスケールをもつ。>『ライプニッツを学ぶ人のために』(世界思想社p.189より)
以下、ハイデッガー 薗田宗人訳『ニーチェ3』 (白水社pp.222-225)より
(カタカナ表記をひらがな表記に変えた。
ラテン語原文はhttp://la.wikisource.org/wiki/24_th%C3%A8ses_m%C3%A9taphysiquesより。
その他、
http://tetsugaku.tripod.com/philosophe/leibniz/24.html または、
池田善昭『『モナドロジー』を読む』、ライプニッツ著作集8、海神通信にも邦訳及び解説がある。)
ライプニッツ『二十四の命題』
Godefridus Guilielmus Leibnitius 24 thèses métaphysiques
一 なぜ無ではなく、なにかが実在するのか、という根拠が自然のなかにある。…
1. Ratio est in Natura, cur aliquid potius existat quam nihil.…
以下略
__ニーチェ__ハイデガー
ライプニッツ_|
|____ラッセル__ウィト
フッサール
__ニーチェ__ハイデガー
ライプニッツ_|
|
|____ラッセル__ウィト
ゲーデル
__ニーチェ__ハイデガー
| /
ライプニッツ_| フッサール
|
| ゲーデル
| /
|____ラッセル__ウィト
272 :考える名無しさん :sage :2011/12/06(火) 05:21:45.21 P
ニーチェを西欧人が認めたがらない事実は
ニーチェによるキリスト教批判が未だ有効
だということを逆に証明している
だいたいニーチェを読まない人はスピノザも
ライプニッツもカントもドゥルーズも読んでない人だ
リチャード・クーやウォルフレンみたいな人が指摘するの
を待たなければ日本人も自分のことはわからないが
>>198
>http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg
>(ツォリコーンゼミナールより)
北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』にもこの図は紹介されている
AAにするなら、
区区
区区区
あるいは、
人 人
生 生
論 論
人 人 人
生 生 生
論 論 論
といったところだろう。
複数の人生が考慮されている点が一般的な人生論と違う。
それぞれの円も開いているが、図の右上が開いている所がポイントだ。
凡庸な哲学者なら右上も埋めてしまうだろう。現象学の優位性がここにある。
『論理哲学論考』より
以下、ウ(ヴ)ィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より、カントに関する記述の引用です。
対称性をめぐる考察がウィトの主旨ですが、カントが四次元をわかっていない、と受け取ることも出来ますし、カントの批判をウィトが推し進めたとも受け取れます。
///////////////////////
六・三六一 〓 右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に既に存立しており、それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。
…………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
a b
ここで二つの合同な図形α、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせることはできない。
右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことほ、このこととは全く関係がない。
右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。
『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p114より)
『思惟において方向を定めるとは、どういうことか』1786への批判は『存在と時間』23節にもある。
世界内存在という主観的な構造をカントが見ていないというものだ。
ウ(ヴ)ィトゲンシュタインがおこなったカント『思惟において方向を定めるとは、どういうことか』1786への批判はハイデガー『存在と時間』23節にもある。
ただし世界内存在という主観的な構造をカントが見ていないというものだ。
『論理哲学論考』より
以下、ウ(ヴ)ィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より、カントに関する記述の引用です。
対称性をめぐる考察がウィトの主旨ですが、カントが四次元をわかっていない、と受け取ることも出来ますし、カントの批判をウィトが推し進めたとも受け取れます。
///////////////////////
六・三六一 右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に既に存立しており、それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。
…………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
a b
ここで二つの合同な図形α、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせることはできない。
右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことは、このこととは全く関係がない。
右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。
『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p114より)
ヴィトゲンシュタインがおこなったカント『思惟において方向を定めるとは、どういうことか』1786への批判はハイデガー『存在と時間』23節にもある。
ただしハイデガーのそれは分析的なものではなく、世界内存在という主観的な構造をカントが見ていないというものだ。
以下、『論理哲学論考』より
六・三六一 右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に既に存立しており、それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。
…………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
a b
ここで二つの合同な図形α、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせることはできない。
右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことは、このこととは全く関係がない。
右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。
『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p114より)
ヴィトゲンシュタインがおこなったカント『思惟において方向を定めるとは、どういうことか』
(1786)への批判はハイデガー『存在と時間』23節にもある。
ただしハイデガーのそれは分析的なものではなく、世界内存在という主観的な構造をカントが
見ていないというものだ。ハイデガーには以下のような本質的なカント批判はできなかった。
以下は『論理哲学論考』より
六・三六一 右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に
既に存立しており、それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。
…………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
a b
ここで二つの合同な図形α、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせること
はできない。
右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことは、このこととは
全く関係がない。
右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。
『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p.114より)
ヴィトゲンシュタインがおこなったカント『思惟において方向を定めるとは、どういうことか』(1786)への批判はハイデガー『存在と時間』23節にもある。
ただしハイデガーのそれは分析的なものではなく、世界内存在という主観的な構造をカントが見ていないというものだ。ハイデガーには以下のような本質的なカント批判はできなかった。
以下は『論理哲学論考』より
六・三六一 右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に既に存立しており、それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。
…………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
a b
ここで二つの合同な図形a、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせることはできない。
右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことは、このこととは全く関係がない。
右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。
『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p.114より)
ニーチェ『反時代的考察』2
「生に対する歴史の利害について」2
ちくま134頁より
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
『存在と時間』76節で言及されている
ニーチェ『反時代的考察』3
「教育者としてのショーペンハウアー」
に分化と国家についての記述(303頁?)がある。
柄谷が定本1で引用しているのはこれ。
歴史性
_____(歴史学)開示と解釈
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
ブルクハルト ピタゴラス派 |シラー、ルター
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43
以下、ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史 ピタゴラス派
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史 ブルクハルト
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史 シラー、ルター
以上が『存在と時間』76節で言及されている。
訂正:
柄谷が言及したのは、
ニーチェ『反時代的考察』1冒頭
「ダーヴィト・シュトラウス 告白者と著述家」より
これに文化と国家?についての記述(9頁?)がある。
柄谷が定本1で引用しているのはこれ。
ハイデガーは下からの革命を支持したので、議会も選挙も拒否した。むろん官
僚制(=統治の代理人)も。
選挙、代理人の拒否は表象の拒否を意味するので、ハイデガーの思想と深く関わる。
端的に言えば、実在論的存在(表象されるもの)と唯名論的存在者(表象す
るもの)の差異は自らの決断による以外には埋まることがないという思想だ。
(「いいかえると、投票はするが、それは代表制(議会)における投票のごと
きものではない、というのです」柄谷『戦前の思想』)。
ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。
ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ
し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくて
むしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそ
うしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる
直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろう
としているのは他でもない、自分自身の未来なのである。
(「アドルフ・ヒットラ~と国家社会主義体制を支持する演説」1933年)
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-606.html
左右の違いの認識なども、空間がアプリオリに決定するというカント説=
唯名論にハイデガーは依拠するが、ただしそれらの規定はあくまで共同体を
前提にしたものだ。ハイデガー自身はギリシアとドイツの二つの民族の間にい
たと言うだろうが。
興味深いことに、柄谷はハイデガーが突撃隊を支持したことを、西田幾多郎が
海軍に加担したことと比較している(定本5巻232頁)。
ハイデガー批判は盛んだが、西田への批判は十分ではない、、、ということは
日本人は未だに自分の姿が見えていないということでもある。
466 :age :sage :2011/12/10(土) 00:10:32.53 P
ハイデガーは下からの革命を支持したので、議会も選挙も拒否した。むろん官
僚制(=統治の代理人)も。
選挙、代理人の拒否は表象の拒否を意味するので、ハイデガーの思想と深く関わる。
端的に言えば、実在論的存在(表象されるもの)と唯名論的存在者(表象す
るもの)の差異は自らの決断による以外には埋まることがないという思想だ。
(「いいかえると、投票はするが、それは代表制(議会)における投票のごと
きものではない、というのです」柄谷『戦前の思想』)。
ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。
ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ
し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくて
むしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそ
うしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる
直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろう
としているのは他でもない、自分自身の未来なのである。
(「アドルフ・ヒットラ~と国家社会主義体制を支持する演説」1933年)
(p)http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-606.html
左右の違いの認識なども、空間がアプリオリに決定するというカント説=
唯名論にハイデガーは依拠するが、ただしそれらの規定はあくまで共同体を
前提にしたものだ。ハイデガー自身はギリシアとドイツの二つの民族の間にい
たと言うだろうが。
興味深いことに、柄谷はハイデガーが突撃隊を支持したことを、西田幾多郎が
海軍に加担したことと比較している(定本5巻232頁)。
ハイデガー批判は盛んだが、西田への批判は十分ではない、、、ということは
日本人は未だに自分の姿が見えていないということでもある。
467 :考える名無しさん :sage :2011/12/10(土) 00:18:17.19 P
表象の問題は何も貧しい国家だけの問題ではない。
(p)http://yokato41.exblog.jp/12288301/
柄谷――「朝まで生テレビ」にしても何にしても,TV でディスカッションをしながら,その内容
に関して視聴者からファックスで意見を聞いたり世論調査をしたりするけれど,それは非常に曖昧
かつ流動的で,誰かが強力にしゃべると,サーッとそちらに変わったりして,一定しないんですね.
黒崎――だから,直接民主主義というのを,どの時点でやるのか,ニュースを流す前にやるのか,
後にやるのか,それだけで結果が全然違ってくる.
柄谷――自己というものを持つには,一定程度の時間が必要なんですよ.そのことは,ヒュームも
言っているし,ニーチェも実はそれをひそかに引用していると思う.
つまり,自己というのは一つの政府(ガヴァメント)だ,多数の自己の間での代表だ,とその意味
で,自己というものがすでに代表制でしょう.そうすると,その ような自己から成り立つ政府形態
というものを考えるときに,それを直接民主主義でやるというのはおかしいんです.全国民がボタ
ンを押して絶えず現在での意 見で政策を決めるようになれば,政策の一貫性なんてなくなるんですよ.
「構造と力」と言った場合、それら互いに対立概念なのだ
構造の臨界に力が召還されるのだから
小説は構造の外から常に異なる言説を取り入れ続ける
この場合、小説は運動であり力だ
皆既月食をハイデガー風に考えると、
太陽が存在で月が存在者で人間が現存在。
太陽 地球 月
存在 現存在 存在者
人間という現存在は太陽という存在から放たれる光による
自らの影を存在者に見出す。
507 :考える名無しさん :sage :2011/12/12(月) 04:06:54.03 P
ハイデガーは時間を導入して論理学を批判したが、
その導入はスピノザを無視することで成り立つ
程度の偽りの論理学だった。
スピノザ哲学には最初から時間がないから
ハイデガーの言う存在者は様態に過ぎない。
そして本質と実在は同時に、疑いつつある、
のだから現存在という規定も無意味だ。
残るは実体だが、これを存在と呼ぶのは本質を
規定しないことを意味してしまう。
『存在と時間』独自のタームをその後発展させら
れなかったのは属性の定義が曖昧だからでもある。
現 存 在
世界=内=存在______(自己)
(世界性)|\不安 |
| |世界・内=存在・自己|
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 |
| | 非本来的 /共同存在 本来的自己 ・ ・自 己
| | | ・
|__ | |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・ ・
環境世界|| ・ 被投性 ・ ・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___不 安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___沈 黙\_内=存在_気遣い
| | \_了解_頽_好奇心_良心_投企_死_投 企/ ・ 関 心
遠ざかり| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ 世 界 |
面 | \_適所_/ ・ |
\| 全体性 ・ |
場所 ・ 日常性
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮
現 存 在
世界=内=存在______(自己)
(世界性)|\不安 |
| |世界・内=存在・自己|
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 |
| | 非本来的 /共同存在 本来的自己 ・ ・自 己
| | | ・
|__ | |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・
| || ・ ・ ・・ ・
環境世界|| ・ 被投性 ・ ・・ ・
| || _情態性__曖昧性____不安___・不安 ・
道具 ||_/_語り___空談_____沈黙___・沈黙\_内=存在_気遣い
| | \_了解_頽_好奇心_良心_投企_死_・投企/ ・ 関 心
遠ざかり| 落 ・ ・ |
/| | ・ ・ |
方 | 道具全体性__道具__差しおく___適所性・・・ ・ 世 界 |
面 | \_適所_/ ・ |
\| 全体性 ・ |
場所 ・ 日常性|
過去_________現在_________将来 時間性
既在性________現在化____自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) (実存性)
忘却/反復 予期
心境、情態性 配慮
ライプニッツ→ゲーデルという正統派のラインが分析哲学側の人間にも
認識されていないからそれに対する反措定も不毛なものになる。
ちなみにゲーデル数はライプニッツのパクリだ。
「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」
(『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679
「計算の原理」1679、邦訳ライプニッツ著作集1、64−5頁より)
傍流だけが人気を集めてもしかたない。
ハイデガー、ウィトは傍流。
ただし、ドイツ観念論を中心に考えればハイデガーは最重要人物。
ここに捻れがある。
ドイツ観念論はライプニッツの可能性を隠蔽してゆく歴史だから、そう考えると
ハイデガーのライプニッツ読解がドイツ観念論にとってもハイデガーにとっても重要になる。
http://homepage1.nifty.com/haniu/040828.html
フォン・ノイマンが「ゲーデル博士への賛辞」と題して述べたことから抜粋引用する。
クルト・ゲーデルの現代論理学における業績は, たぐいまれで記念碑的なものです. ・・・・・ 本当に
それは記念碑以上のもので, 空間と時間を遠く離れたところでも目にすることのできる目標物で
あります. ・・・・・ 論理学の主題はゲーデルの業績によって, はっきりと完全にその性質と可能性を
変えました. ・・・・・
・・・・・
強調しなければならない重要な点は, これが哲学的原理とかもっともらしい知的態度ではなく, 極
端に複雑な種類の厳密な数学的証明の結果だということです.
そしてドイツとギリシアをつなぐ媒介に選ばれた詩人がヘルダーリンだった。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
ハイデガーのヘルダーリン論は以下の構図を持つ
天
神々 人間たち
大地
つまりハイデガーは詩の中に論理的構造を見出しているということだ。
それは自己言及システムを持ち、パラドックスにいたるようになっている。
ただ、それらはゲーデルとは違うし、ゲーデルを意識して(「ゲーデルが
内側からやった事を自分は外側からやった」)論理を破壊したウィトとも違う。
ハイデガーの論理学にはあらかじめ非合理な限界がもうけられているが、
これらはヘーゲルの論理と同じく、自己言及性のパラドクスを誘発するから
その構造を自覚しないで、否定又は肯定することは無意味だ。
つまりハイデガー理解にもゲーデルの自己言及性の限界の論理的理解が
欠かせない。それなしではそれ自体が文学を否定する文学ということになって
しまうのだ。
ゲーデルは1951年第1回アルバート・アインシュタイン賞を受賞した。その受賞式で, フォン・ノイマンが「ゲーデル博士への賛辞」と題して述べたことから抜粋引用する。
クルト・ゲーデルの現代論理学における業績は, たぐいまれで記念碑的なものです. ・・・・・ 本当にそれは記念碑以上のもので, 空間と時間を遠く離れたところでも目にすることのできる目標物であります. ・・・・・ 論理学の主題はゲーデルの業績によって, はっきりと完全にその性質と可能性を変えました. ・・・・・
ゲーデルは, ある数学の定理が, 一般に受け入れられている厳密な数学の手段では, 証明もその否定もできないことを示した最初の人であります。いいかえると, 彼は決定不可能な命題の存在を示したのです。彼はさらに, この決定不可能な問題の中にひじょうに重要で特別な命題があることを証明しました. その命題とは, 数学が内部矛盾しているかどうかというものです. この結果には, ある意味で逆説的な"自己否定"という点で注目すべきものがあります. すなわち数学が矛盾をはらんでいないという確信は, "数学的手段"では決して得ることができないのです. 強調しなければならない重要な点は, これが哲学的原理とかもっともらしい知的態度ではなく, 極端に複雑な種類の厳密な数学的証明の結果だということです.
・・・・・
ゲーデルが実際に証明したこの定理は, 数学だけに関係したものではなく, 現代論理学の言葉で形式化しうる, すなわち厳密徹底的な記述をもったすべての体系についてのものなのです. つまりそのようなどんな体系であっても, 内部矛盾していないことを, その体系自身の方法では示すことができないのです.
・・・・・(広瀬 健・横田一正 著「ゲーデルの世界」海鳴社 19ページ~)
Stimmungen 気分
Befindlichkeit 情状性、心境
現 存 在
________世界=内=存在
| ______/不安 自己
| |世界、内=存在、自己|
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 |
世 | 非本来的 /共同存在 ☆本来的自己 ・ ・ 自
界 | | 己
性 | |_開示性_____☆決意性_☆先駆的決意性 ・
_|_ | ・ ・ ・・ ・
| | | 気分・ ・ ・・ ・
環境世界| | _情状性__曖昧性____不安___・不安_ 内
| | |_/_語り___空談_____沈黙___・沈黙_\_存_気遣い
道具 |被投性\_了解_頽_好奇心_良心_企投_死_・企投_/ 在 関 心
| | 落 ・ ・ cura
遠ざかり| ・ 世 |
|\ 道具全体性___道具__差しおく___適所性・・・ ・ ・界 日
|方面 \_適所_/ ・ 常
|/ 全体性 ・ 性
場所 ・ |
過去_________現在_________未来 時間性
既在性________現在_________到来_____脱自態
(事実性) (頽落) (実存性)
忘却/反復 予期
おのれのほうへともどって おのれへと向かって を出会わせる 現象的性格
気分、情状性=心境 配慮
瞬視☆ (日常性)
今 (内部性)
歴史性
_____(歴史学)開示と解釈
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43
TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
現 存 在
________世界=内=存在
| ______/不安 自己
| |世界、内=存在、自己|
| | _______|_______
| | |人間 共同現存在 |
世 | 非本来的 /共同存在 ☆本来的自己 ・ ・自
界 | | 己
性 | |_開示性____☆決意性_☆先駆的決意性 ・
_|_ | ・ ・ ・・ ・
| | | 気分・ ・ ・・ ・
環境世界| | _情状性__曖昧性___不安___・不安_ 内
| | |_/_語り___空談____沈黙___・沈黙_\_存_気遣い
道具 |被投性\_了解_頽_好奇心_良_企投_死_・企投_/ 在 関 心
| | 落 心 ・ ・ cura
遠ざかり| ・ 世 |
|\ 道具全体性___道具__差しおく___適所性・・・ ・ 界 日
|方面 \_適所_/ ・ 常
|/ 全体性 ・ 性
場所 ・ |
過去_________現在_________未来 時間性
既在性________現在_________到来____脱自態
(事実性) (頽落) (実存性)
忘却/反復 予期
おのれのほうへともどって おのれへと向かって を出会わせる 現象的性格
気分、情状性=心境 配慮
瞬視☆ (日常性)
今 (内部性)
歴史性
____(歴史学)開示と解釈
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43
TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 |1:2 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性_責め_不安___不安/ ・ | sorge
_|_ 気分・1:5 非・ ・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざかり| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | ・ 世 |
| 方 道具全体性_道具_差しおく____適所性・・・ ・ ・界 |
| 域 1:3 \_適所_/ ・ |
|/ 全体性 ・ |
場 配慮 ・ 2:4(日常性)
過去_________現在________将来 2:3 時間性
既在性________現在化___自分に先んじて存在_____|
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 2:3〜6
忘却/反復 予期
今 2:6(内部性)
序論:1、2 2:5 歴史性
著者:ハイデガー
出版社名:中央公論新社
発売日:2003年
●内容紹介
現象学的解釈学の方法によってあばき出される「現存在」の存在の意味と真相。
●著者紹介
ハイデガー 1889~1976。ドイツの哲学者。南ドイツのメスキルヒに生まれる。フライブルク大学神学部に入学するが、哲学研究に転じ、フッサール現象学の影響を 受けた。1923年、マールブルク大学教授となり、27年には主著『存在と時間』を刊行。翌年、フライブルク大学に戻り、33年には学長に選出されたが、 一年後に辞職した。以降は研究に没頭、第二次大戦後、一時教授活動を禁止されたが、51年に復職、86歳の死に至るまで旺盛な思索活動を続けた。『存在と 時間』が当時の哲学界にもたらした衝撃は深甚で、今日も広汎な影響を与えつづけている
●目次
序論 存在の意味への問いの開陳
(存在問題の必然性、構造、および優位;
存在問題を仕上げるときの二重の課題―根本的探究の方法とその構図);
第1部 時 間性をめがける現存在の学的解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の究明
(現存在の予備的な基礎的分析(現存在の予備的分析の課題の開陳;
現存 在の根本機構としての世界内存在一般;
世界の世界性;
共存在および自己存在としての世界内存在―「世人」))
内存在そのもの;現存在の存在としての気遣い;
第2篇 現存在と時間性
(現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在;
本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性)
第3章 現存在の本来的な全体存在しうることと、気遣いの存在的な意味としての時間性
(現存在にふさわしい本来的な全体存在の限界づけより、時間性から邪 魔者を現象的に取り払うことへといたる方法的な歩みの下図;
先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在しうること ほか);
第4章 時間性 と日常性(現存在の実存論的機構の根本事態と、この機構の時間的な学的解釈の下図;開示性一般の時間性 ほか);
第5章 時間性と歴史性(歴史の問題の実 存論的・存在論的開陳;
歴史の通俗的了解内容と現存在の生起 ほか);
第6章 時間性と、通俗的な時間概念の根源としての時間内部性
(現存在の前述の時間 的分析の不完全性;現存在の時間性と、時間についての配慮的な気遣い ほか)
ハイデガーは1946年に中国文学研究家のHsiao(パウル・シャオ、蕭欣義)と老子の翻訳を試みている(芽野良男作成年譜より)。
ハイデガーが興味を示したのは第1章と第15章、特に第15章のラインに興味を示したと言う。
((p)http://www.thomehfang.com/suncrates3/9poetico.htm)
参考:"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙)
(p)http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
山小屋にて1947年8月9日
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"
[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >(注:第15章より)
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
親愛なる情を持って
あなたのマルティン・ハイデガーより
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
ハイデガーは1946年に中国文学研究家のHsiao(パウル・シャオ、蕭欣義)と老子の翻訳を試みている(芽野良男作成年譜より)。
ハイデガーが興味を示したのは第1章と第15章、特に第15章の以下のラインに興味を示したと言う。
(http://www.thomehfang.com/suncrates3/9poetico.htm)
<濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。>
http://nam-students.blogspot.com/2010/09/blog-post_9310.html#note15
参考:
"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子の引用)
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
山小屋にて1947年8月9日
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"
[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
親愛なる情を持って
あなたのマルティン・ハイデガーより
58節
Gleichwohl liegt in der Idee von "schuldig" der Charakter des
Nicht.
それにもかかわらず、「責めあり」という理念のうちには、非という性格がひそんでいる。
中公世界の名著p456
脱自的共同存在――ハイデガーの「根源的倫理学」をめぐって」(日本現象学会編 ...
Ekstatische Mitsein: Heideggers ursprüngliche Ethik, in: Jahrbuch für ...
ハイデガーがアリストテレスから受け継いだ「銀杯」の分析↓
1質料
|
2形相__|___
|\
| \3目的
4起因
http://yojiseki.exblog.jp/6306542/
存在と時間冒頭
「・・・・・・トイウノハ、君タチガ「存在スル」トイウ言葉ヲ使ウトキ
イッタイ君タチハ何を意味スルツモリナノカ、・・・以前ニハソレヲワカッテイルト
信ジテイタノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ・・・・・・」
プラトン、ソフィステス244aより
荘子ですよ。
マルティン・ハイデガー。
20世紀哲学の最大の発見、ハイデガーの『存在と時間』は、紀元前の『荘子』の単なるパクリであるという話の3回目を。「存在への問い」とはすなわち「道(Tao)を悟る」という荘子の思想であるということについて、今回は分かりやすく、状況証拠から参りましょう♪
どうやら、『存在と時間』が荘子のパクリだ、という指摘は、日本では今からちょうど10年前(笑)、中央公論の1999年1月号の今道友信さんの手記「一哲学者が歩んだ道」においてなされたのが初めてのようです。
一哲学者の歩んだ道
では、そこを引用してみます。
>二十世紀の重要な哲学の一つに実存主義があります。実存を語る時、誰もが使う「世界的内在」という概念があるのです。これはハイデガーが使ったドイツ語「Das In-der-Welt-Sein」の訳として私たちの先輩たちがこんな風にしたものですから、まるでハイデガーの造語のように日本でも思われていますけど、実は荘周(荘子)の「処世」という術語の間接的なドイツ訳なのです。天心岡倉覚三がロンドンで、"The Book of Tea(茶の本)"を書いて出版したとき、荘周の「処世」を英訳して「Being In The World」としたのは十九世紀末でした。それが一九〇八年シュタインドルフによってドイツ語に訳された際、この英語がそのまま逐語訳されてあのようになったという次第です。ご承知のように、「処世」とは「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねますから、ハイデガーの言っていることは荘周の考えそのままと言っていいでしょう。(以上「一哲学者の歩んだ道(第三回)--二十世紀の終わりに」より引用)
・・・かなり衝撃的な話なんですが、この事実は、英語版のWikipediaにも載っています。
参照:Wikipedia The Book of Tea
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Book_of_Tea
>According to Tomonobu Imamichi, Heidegger's concept of Dasein in Sein und Zeit was inspired -- although Heidegger remains silent on this-- by Okakura Kakuzo's concept of das-in-der-Welt-sein (to be in the being of the world) expressed in The Book of Tea to describe Zhuangzi's philosophy, which Imamichi's teacher had offerred to Heidegger in 1919, after having followed lessons with him the year before.
>私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、そのときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレで、連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語がことわりもなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっだなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
2007-06-29
ハイデガー『存在と時間』は道元『正法眼蔵』の影響?
今日、何気なく沼田勇『日本人の正しい食事: 現代に生きる石塚左玄の食養・食育論』(2005年、農山漁村文化協会)を読んでいたら驚くべき記述に出会った。
ハイデッガーの『存在と時間』の発想は、道元禅師の『正法眼蔵』のなかの「有時の巻」から得たことを、ハイデルベルク大学のヤスペルス教授が弟子丸泰仙和尚に耳打ちして、「日本人は『正法眼蔵』をあまり読んでいないようですな」とつけ加えたということです。(79頁)
これ、本当なんだろうか。つまり、ハイデガーが道元読んでたというのは。そして、『存在と時間』が『正法眼蔵』の「有時」の影響というのは?
いや、俺が知らないだけで、常識なのかな? どうなんだろう。
http://digi-log.blogspot.com/2007/06/blog-post_29.html
ハイデガーが茶の本から影響を受けたことは充分考えられる
茶の本は道教の影響が濃い
これでハイデガーが道教に興味を持った理由も説明がつく
Link zu diesem Datensatz http://d-nb.info/361981058
Titel Das Buch vom Tee / Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff
Person(en) Okakura, Kakuzō ; Steindorff, Marguerite ; Carrington, Ulrich Steindorff
Verleger Leipzig : Insel-Verl.
Erscheinungsjahr [1919]
Umfang/Format 83 S. ; 8
Gesamttitel Insel-Bücherei ; Nr 274
Einheitssachtitel The book of tee
Leipzig Signatur: SB 764 - 274
Bereitstellung in Leipzig
https://portal.dnb.de/opac.htm?method=showFullRecord¤tResultId=Woe%3D115571566%26any¤tPosition=31
世界内存在 In-der-Welt-sein
荘子の
「処世」とは「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる
"The Book of Tea(茶の本)"を書いて出版したとき、荘周の「処世」を英訳して「Being In The World」としたのは十九世紀末
それが一九〇八年?シュタインドルフSteindorffによってドイツ語に訳された際、この英語がそのまま逐語訳されてあのようになったという次第です。ご承知のように、「処世」とは「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねますから、ハイデガーの言っていることは荘周の考えそのままと言っていいでしょう。(以上「一哲学者の歩んだ道(第三回)--二十世紀の終わりに」より引用)
しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。シナの歴
史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——われら自身を取り扱
うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。
(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は
浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂《う》き世の中にも美を見
いだそうと努めている。
茶の本 岡倉覚三 村岡博訳
第三章 道教と禅道
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html
このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在(das-in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。
荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。
以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」中央公論1999年1月号
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
>私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、そのときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレで、連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語がことわりもなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっだなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。
この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。
とはいえ茶道にキリシタンの洗礼の儀式が影響を与えたという説もあるから、影響はどちらか一方からのものではなく相互的なものかも知れない。
Link zu diesem Datensatz http://d-nb.info/361981058
Titel Das Buch vom Tee / Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff
Person(en) Okakura, Kakuzō ; Steindorff, Marguerite ; Carrington, Ulrich Steindorff
Verleger Leipzig : Insel-Verl.
Erscheinungsjahr [1919]
知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道 今道 友信 (単行本 - 2000/3)
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 ・ ・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざかり| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_差しおく____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
事物的存在性 配慮 配視 ・ 2:4(日常性)
忘却/反復_________________予期_ 2:3|
既在性________現成化_______到来_|_脱自態_時間性
過去_________現在________未来_| 通俗的
今 2:6(内部性)
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43 TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より)
entfernen 遠ざける
Entfernung 遠ざかり
bewenden lassen 済ましておく
適所を得させる
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_良心_死 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| |
世界性 \情状性__不安_/ ・| |
_|_ 気分 ・ ・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__ ・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | C決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
| 界 |
場 配慮 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式
B退屈の第二形式
C退屈の第三形式 『存在と時間』第65節参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_良心_死 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 \情状性__不安_/ ・| |
_|_ 気分 ・ ・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
| 界 |
場 配慮 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在)『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_良心_死 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 \情状性__不安_/ ・| |
_|_ 気分 ・ ・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_良心_死 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 \情状性__不安_/ ・| |
_|_ 気分 ・ ・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 情状性___不安_/ ・| |
_|_ 気分 良心・ 死・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 情状性___不安_/ ・| |
_|_ 気分 良心・ 死・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(自己、内=存在)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
:
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
世界性 情状性___不安_/ ・| |
_|_ 気分 良心・ 死・ ・| |
| | ______| |
環境世界| __|__C・ ・ |
| | 非本来的/本来的・ 自 |
| A | | ・ |・・己 |
| |開示性_決意性_先駆的・ |
| | 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現在____ 到来_脱自態
B今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
退屈=根本気分(気分は情状性、心境の様態)
退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
:
『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| | ______| |
| | __|__C・ ・ |
| A | 非本来的/本来的・ 自 |
| | | ・ |・・己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現成化____到来_脱自態
B 今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
:
『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\_存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| | ______| |
| | __|__C・ ・ |
| A | 非本来的/本来的・・自 |
| | | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現成化____到来_脱自態
B 今 (内部性)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
:
『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| | ______| |
| | __|__C・ ・ |
| A | 非本来的/本来的・・自 |
| | | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現成化____到来_脱自態
B 今 (内部性)
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
:
『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| |・ ______| |
| |・ __|__C・ ・ |
| A |・非本来的/本来的・・自 |
| |・ | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 界 |
配慮/瞬視 (日常性)
過去_____現在_____将来 時間性
既在性____現成化____到来_脱自態
B 今 (内部性)
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
:
『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| |・ ______| |
| |・ __|__C・ ・ |
| A |・非本来的/本来的・・自 |
| |・ | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ (日常性)
過去____現在____将来 時間性
既在性___現成化___到来__脱自態
B 今 (内部性)
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照
補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関心
在 存 | 良心 死 |
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関心
在 存 | 良心 死 |
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/放射線量__
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己___病気/発送電分離_|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_放射線量/発送電分離_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己___病気/本来性___|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/放射線量__
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己___病気/発送電分離_|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 半減期
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_放射線量/発送電分離_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己___病気/本来性___|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 半減期
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_放射線量/発送電分離_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_内部_企投__関
在 存 | 被曝 死 心
在 自己___病気/本来性___|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 半減期
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | 放射線量 発送電分離 |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
癌 半減期|
原発版:ハイデガー『存在と時間』時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
|
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | 放射線量 発送電分離 |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 良心 死 心
在 自己__非本来的/本来的__|
癌 半減期|
原発版:ハイデガー『存在と時間』時間性
:
世 世界_放射線量/発送電分離_
現 界 | |
存_内_内存在_了解_頽落_企投__関
在 存 | 内部被曝 死 心
在 自己____癌/本来性___|
|
改変:ハイデガー『存在と時間』 半減期
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的__関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
良心 死 |
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | 放射線量 発送電分離 |
存_内_自己__非本来的/本来的__関
在 存 | 癌 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
内部被曝 良心 死 |
半減期|
原発版:ハイデガー『存在と時間』時間性
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | 放射線量 発送電分離 |
存_内_自己__非本来的/本来的__関
在 存 | 癌 健康 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
内部被曝 良心 死 |
半減期|
原発版:ハイデガー『存在と時間』時間性
世 世界__環境世界/道具全体性
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的_関
在 存 | 心
在 内存在_了解_頽落_企投_|
良心 死|
図解:ハイデガー『存在と時間』時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的__関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
良心 死 |
図解:ハイデガー『存在と時間』 時間性
:
世 世界_環境世界/道具全体性_
現 界 | 放射線量 発送電分離 |
存_内_自己__非本来的/本来的__関
在 存 | 癌 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
内部被曝 良心 死 半減期|
原発版:ハイデガー『存在と時間』時間性
存在と存在者の差異
は、
ベクレルとシーベルトの差異
ただし、
現存在は内部被曝=ベクレルを含む
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4(日常性)
既在性________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復________今________予期_| 通俗的 内部性
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
:
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4 日常性
既在性________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復________今________予期_| 通俗的 内部性
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世 ____________内1:5〜2:2 自
界 | 存\_不安 世界 内=存在 己
| | 頽 在 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4 日常性
既在性________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復________今________予期_| 通俗的 内部性
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
:
現 存 在 1:1
___________世界=内=存在____________
|1:3 1:2| 1:4|
世界 __________内存在1:5〜2:2 自己
| | \_不安 世界 内=存在 |
| | 頽 良 1:6 | 1:6
| |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内 | 気遣い
| |__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存・|・関 心
| |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
世界性 \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・ | Sorge
_|_ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・ | |
| | ・ _________________| |
環境世界| _______|______ ・ ・ |
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 |
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 |
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ |
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4 日常性
既在性________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去_________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復________今________予期_| 通俗的 内部性
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| |・ ______| |
| |・ __|__C・ ・ |
| A |・非本来的/本来的・・自 |
| |・ | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
過去____現在____将来 時間性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
B 今 内部性
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣い、時間性)参照
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| |・ ______| |
| |・ __|__C・ ・ |
| A |・非本来的/本来的・・自 |
| |・ | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
過去____現在____将来 時間性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
B 今 内部性
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣い、時間性)参照
:
匠匠
匠匠匠
1/2くらいの比率でdasains は複数形で使用される
:
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
良心 死 |
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
図解:ハイデガー『存在と時間』
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
良心 死 |
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
:
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
情状性___不安_||
*(気分)良心 死 |
|
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
:
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投__|
情状性___不安/ |
*(気分)良心 死 |
|
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
:
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_関
在 存 | 先駆的決意性 心
在 内存在_了解_頽落_企投_ |
情状性___不安_\|
*(気分)良心 死 |
|
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性)**
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
**退屈の二つの特徴もしくは構造的契機 Strukturmomente
空虚放置(空無への放置 Leergelassenheit)/
釣られ引き止められ(宙づりのままに保持されてある Hingehaltenheit)
:
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_|
在 存 | 先駆的決意性 |
在 内存在_了解_頽落_企投_ |
情状性___不安_\関
*(気分)良心 死 心
|
既在性___現成化___到来__時間性
B 今 内部性
A退屈の第一形式(世界性)**
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
**退屈の二つの特徴もしくは構造的契機 Strukturmomente
空虚放置(空無への放置 Leergelassenheit)/
釣られ引き止められ(宙づりのままに保持されてある Hingehaltenheit)
:
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
世 世界_環境世界/道具全体性_A
現 界 | |
存_内_自己__非本来的/本来的C_|
在 存 | 先駆的決意性 |
在 内存在_了解_頽落_企投_ |
情状性___不安_\関
*(気分)良心 死 心
|
既在性___現成化___到来__時間性
今 B 内部性
A退屈の第一形式(世界性)**
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節、参照
**退屈の二つの特徴もしくは構造的契機 Strukturmomente
空虚放置(空無への放置 Leergelassenheit)/
釣られ引き止められ(宙づりのままに保持されてある Hingehaltenheit)
:
現 存 在
____世界=内=存在____
| | |
世界 _____自己 内=存在
| | ____________|
| || 頽 \_不安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存・・関心
| | |語り___沈黙_| 在 気遣い
| | 情状性___不安_/ ・ |
_|_ \(気分) 良心 死 ・ |
| | \____ ・ ・ |
| | ・ __|__ ・ ・ |
| | ・非本来的/本来的・・自 |
| | ・ | ・ ・ 己 |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
現 存 在
____世界=内=存在____
| | |
世界 _____自己 内=存在
| | ____________| 不
| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存・・関心
| | |語り___沈黙_| 在 気遣い
| | 情状性___不安_/ ・ |
_|_ \(気分) 良心 死 ・ |
| | \____ ・ ・ |
| | ・ __|__ ・ ・ |
| | ・非本来的/本来的・・自 |
| | ・ | ・ ・ 己 |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
:
現 存 在
____世界=内=存在____
| | |
世界 _____自己 内=存在
| | ____________| 不
| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存・・関心
| | |語り___沈黙_| 在 気遣い
| | 情状性___不安_/ ・ |
_|_ \(気分) 良心 死 ・ |
| | \____ ・ ・ |
| | ・ __|__ ・ ・ |
| | ・非本来的/本来的・・自 |
| | ・ | ・ ・ 己 |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
:
現 存 在
____世界=内=存在____
| | |
世界 ____自己 内=存在
| | ____________| 不
| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存・・関心
| | |語り___沈黙_| 在 気遣い
| | 情状性___不安_/ ・ |
_|_ \(気分) 良心 死 ・ |
| | \____ ・ ・ |
| | ・ __|__ ・ ・ |
| | ・非本来的/本来的・・自 |
| | ・ | ・ ・ 己 |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
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リンク:
スピノザ
プルードン ヘーゲル
マルクス 空海 カント
坂本龍馬 ハイデガー
柄谷☆ フロイト
大抵の批判は外からもっと大きなものを持ってきたり、
新たな価値観によってその古いとされる価値観をひっくり返したりする。
だがそれだと批判された構造は(上下逆さでも)そのまま
残るし、さらに外側に新たな大きな権力構造をつくることになる。
それに対して、脱構築は内側から自明性を打ち破る。
具体的には多くの場合語源を遡る。
注意すべきは批判対象となる思想体系の用語をそのまま
使う場合が多いということだ。
ハイデガー批判の場合、デリダは「精神」というハイデガー
が使った用語をそのまま使った。そもそも脱構築の語源は
ハイデガーの言う破壊の仏訳なのだが。
脱構築は(イロニーと違って)価値観が宙づりになるのでユーモアと
でも呼ぶべき態度だと思う。
弁証法(これが脱構築の対概念だろう)と違って曖昧だと批判されるが、
絶えざる運動である限りその批判は受けいれざるを得ない。
temporale
時節性
存在時性
#5、6
荘子とハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein)
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以下、『茶の本』(岡倉覚三・天心 第三章 道教と禅道 村岡博訳)より
「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂《う》き世の中にも美を見いだそうと努めている。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html
このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。
荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。
以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)より
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
「私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、そのときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレ で、連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独 訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語がことわり もなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっ だなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。」
(後に『知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道』今道友信 2000/3 に再録)
この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。
とはいえ茶道にキリシタンの洗礼の儀式が影響を与えたという説もあるから、影響はどちらか一方からのものではなく相互的なものかも知れない。
資料:
"Das Buch vom Tee"
/ Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff
Person(en) Okakura, Kakuzō ; Steindorff, Marguerite ; Carrington, Ulrich Steindorff
Verleger Leipzig : Insel-Verl.
Erscheinungsjahr [1919]
Link zu diesem Datensatz
http://d-nb.info/361981058
上記書籍は1921年版だそうだが残念ながら奥付がない。
該当箇所は31頁。確かに"Kunst des In-der-Welt-Sein(s)"とある。
« Allein der wichtigste Gedanke des Taoismus an das Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die Chinesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von der Kunst des “In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt von der Gegenwart, von uns selbst. »
"Chinesische Historiker haben vom Taoismus immer als von der .Kunst des In-der -Welt-Seins' gesprochen, denn er handelt von der Gegenwart - von uns selbst."
参考:大島淑子 Oshima Yoshiko "Leben als Phaenomen"
あるいは、
"Historiker haben vom Taoismus immer als von der >Kunst des In-der-Welt- Seins< gesprochen, denn er handelt von der…"
参考:"Identität als Unverborgenheit: Kant, Nishida, Heidegger" Yoshiaki Yamashita
山下善明(明星大学)著『非覆蔵性としての同一性―カント、西田、ハイデガー―』(邦訳なし?)
http://yojiseki.exblog.jp/14401302/
Subject 「世界内存在」という語の由来
Author イストラン [ 602 to ばなな ] 2/5/Fri/1999
>岡倉は荘子の「処世」と言う語を、英訳してBeing In the World としましたが、
>それが1908年にドイツ語に訳されたときに Das In-der-Welt-Sein になった
ひょえ。そんなことがあったんですか。茶の本というのは何か
有名で、読んだことがあったんですが、そうかこれに関係して
いたのか。
>「処世」とは「世に処る(おる)In-Sein」と「世に処するVerwalten」の両義が
>あるので、まさにハイデッガーの言うことにピッタリ。
なるほど。世に在るということでは世に投げ出されてある、という
風になり、世に処するということでは世に対して投げる、ということに
なるのかな。
>「世界内存在」という重々しい訳語を捨てて、「処世」という意味を念頭に
>おいて読むとハイデッガーの言っていることは、もっと我々に身近なものとなるかも。
ううむ。ぐちゃぐちゃに軽めの読書会を目指しますね。
返信(引用有) 返信(引用無) 全スレッド ツリー表示 最新20 新規投稿 削除 編集
トピック= 590 宛先= 600 同宛先= 返信= 604
Subject 「世界内存在」という語の由来
Author ばなな [ 600 to イストラン ] 2/4/Thu/1999
今道友信さんが、回想録(中央公論一月号)の中でハイデッガーの『世界内存在』という
語は、日本人から教えられたものだという面白いエピソードを紹介しています。
(「一者の研究」という彼のドイツ語の著作にもあります)
まだハイデッガーが無名の頃、当時ドイツに在外研究で出張中の伊藤吉之助
のドイツ語の家庭教師をしていました。そのとき、伊藤はハイデッガーに
岡倉天心の「茶の本」を贈りました。(1919年)
岡倉は荘子の「処世」と言う語を、英訳してBeing In the World としましたが、
それが1908年にドイツ語に訳されたときに Das In-der-Welt-Sein になった
という次第。ハイデッガーの「存在と時間」が出版されたのは、1925年で、
ここで彼は、西洋哲学史ではじめて「世界内存在」を哲学用語として使ったという次第。
「処世」とは「世に処る(おる)In-Sein」と「世に処するVerwalten」の両義が
あるので、まさにハイデッガーの言うことにピッタリ。
「世界内存在」という重々しい訳語を捨てて、「処世」という意味を念頭において読むと
ハイデッガーの言っていることは、もっと我々に身近なものとなるかも。http://www.eleutheria.com/philosophia/data/590.html
「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——
われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあ
すの分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。
道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中に
も美を見いだそうと努めている。」(『茶の本』「第三章 道教と禅道」岡倉天心 村岡博訳より)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html
このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの
世界内存在(in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。
荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。
« Allein das wichtigste Gedanke des Taoismus an das
Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die chi-
nesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von
der "Kunst des In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt
von der Gegenwart, von uns selbst. »
"Das Buch vom Tee" p.31
/ Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff [1919]
参考;今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
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現 存 在
____世界=内=存在____
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世界 ____自己 内=存在
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| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存
| | |語り___沈黙_| 在
| | 情状性___不安_/ ・
_|_ \(気分) 良心 死 ・
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| | ・ __|__ ・ ・
| | ・非本来的/本来的・・自
| | ・ | ・ ・ 己・・関心
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ 気遣い
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過去____現在____未来 時間性
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| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
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| | 情状性___不安_/ ・
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| | \____ ・ ・
| | ・ __|__ ・ ・
| | ・非本来的/本来的・・自・・関心
| | ・ | ・ ・ 己 気遣い
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環境世界| 決意性・ |
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配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
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| | ・ __|__ ・ 自
| | ・非本来的/本来的・・己・・関心
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環境世界| 決意性・ |
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配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
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存在、存在論
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____世界=内=存在____
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| | ・ __|__ ・ 自
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| | ・ | ・ ・ ・ 気遣い
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| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
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既在性___現成化___到来_(脱自態)
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存在、存在論
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| | ・ __|__ ・ 自・・関心
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既在性___現成化___到来_(脱自態)
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| | ・非本来的/本来的・・己 |
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環境世界| 決意性・ |
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配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
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存在、存在論
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世界 ____自己 内=存在
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_|_ \(気分) 良心 死 ・
| | \____ ・ ・ 気遣い
| | ・ __|__ ・ 自・・関心
| | ・非本来的/本来的・・己 |
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|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
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現 存 在
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世界 ____自己 内=存在
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| || 頽 \_安
| || 了解_落_企投_ 内
| ||/視___好奇心 \・存
| | |語り___沈黙_| 在
| | 情状性___不安_/ ・
_|_ \(気分) 良心 死 ・
| | \____ ・ ・ 気遣い
| | ・ __|__ ・ 自・・関心
| | ・非本来的/本来的・・己 |
| | ・ | ・ ・ ・ |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
過去____現在____未来 時間性
今 内部性
歴史性
存在、存在論
厚生白書(平成11年版)
wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199901/b0011.html - キャッシュ
英語のsecurityは,ラテン語のse-curusを語源にしており,seは「解放」を,curusは「不安」を意味している。つまり,元来,不安からの解放,危険や脅威のない平静な状態を意味していた。英語では,securityは,「安心」「防護」「保障」「保安」など,危険や不安の ...
ドイツ語辞書専門店 securityの語源について考えよう
argentmoney.blog60.fc2.com/blog-entry-20.html - キャッシュ
皆さんのインターネットにつないでるパソコンのセキュリティは如何でしょうか? ... ラテン語、ギリシャ語は今あなたが学んでいる言語とは切っても切り離せない言葉となってます。はい。 ... secernere(分離する、分離して隠しておく)というのが元々のラテン語です。
神田外語大学 - エッセイ「語源の楽しみ」
www.kandagaigo.ac.jp/kuis/culture/archive_101-110.html - キャッシュ
原語はSecurity Council。「security安全」はsecure の名詞形ですが、もとをたどるとラテン語のsē-cūraにいきつきます。sēは[~から自由であること]、cūrāはcuraの奪格形(~から)。両方あわせて「危険から自由であること」すなわち「安全を保障すること」となり ...
ハイデッガー 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次
序論 有の意味への問の概要的提示
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
第二節 有への問の形式的構造
第三節 有・の・問のオントローギッシュな優位
第四節 有・の・問のオンテッシュな優位
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題
研究の方法と構図
第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の
オントローギッシュな分析論
第六節 オントロギーの歴史の構造解体という課題
第七節 研究の現象的方法
A. 現象という概念
B. ロゴスという概念
C. 現象学の予備概念
第八節 論攷の構図
ハイデッガー 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房版
序論 有の意味への問の概要的提示
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
第二節 有への問の形式的構造
第三節 有・の・問の有論的優位
第四節 有・の・問の有的優位
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
第六節 有論の歴史の構造解体という課題
第七節 研究の現象的方法
a 現象という概念
b ロゴスという概念
c 現象学の予備概念
第八節 論攷の構図
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一編 現有の準備的基礎分析
第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
第九節 現有の分析論の主題
第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
注:
全集版では「有論的」は「オントローギッシュな」、「有的」は「オンテッシュな」になっている。
ハイデッガー 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房版
序論 有の意味への問の概要的提示
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
第二節 有への問の形式的構造
第三節 有・の・問の有論的優位
第四節 有・の・問の有的優位
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
第六節 有論の歴史の構造解体という課題
第七節 研究の現象的方法
a 現象という概念
b ロゴスという概念
c 現象学の予備概念
第八節 論攷の構図
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一編 現有の準備的基礎分析
第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
第九節 現有の分析論の主題
第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
第一二節 内に=有ることそのことに定位しつつ世界の=内に=有ることを予め輪郭づけすること
第一三節 内に=有ることを或る一つの基礎づけられた様態に即して例示すること。世界認識
第三章 世界の世界性
第一四節 世界の世界性一般という理念
A 廻りの世界性と世界性一般との分析
第一五節 廻りの世界のなかで出会われる有るものの有
第一六節 内世界的に有るものに即してそれ自身を通告する廻りの世界適合性
第一七節 附託と記号(指し向けと標示)
第一八節 帰趨(趨向)と指示性、世界の世界性
B デカルトに於ける世界の解釈に対して世界性の分析を対照させること
第十九節 「世界」を延長セル物<res extensia>として規定すること
第二◯節 「世界」の有論的規定の諸基礎
第二一節 デカルトの「世界」有論に関する解釈学的論議
C 廻りの世界の廻りという性格と現有の「空間性」
第二二節 内世界的に手許に有るものの空間性
第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性
第二四節 現有の空間性と空間
第四章 共に有ることと自己で有ることとしての世界の = 内に = 有ること。「ひと」
第二五節 現有の誰への実存論的問の着手(設定)
第二六節 他人の共現有と日常的な共に有ること
第二七節 日常的に自己であることとひと
第五章 内に = 有ることそのこと
第二八節 内に = 有ることを主題的に分析するという課題
A 現の実存論的構成
第二九節 情態性としての現に = 有ること
第三◯節 情態性の一様態としての恐れ
第三一節 理解としての現に = 有ること
第三二節 理解と解釈
第三三節 解釈の派生的様態としての陳述
第三四節 現に = 有ることと話。言葉
B 現の日常的有と現有の頽落
第三五節 空話(雑談)
第三六節 好奇心
第三七節 曖昧性
第三八節 頽落と被投性
第六章 現有の有としての関心(慮)
第三九節 現有の構造全体の根源的全体性への問
第四◯節 現有の卓抜なる開示性としての不安という根本情態性
第四一節 関心(慮)としての現有の有
第四二節 現有を関心として解釈する実存論的解釈を、現有の前有論的自己解釈にもとづいて、その真なることを確証すること
第四三節 現有と世界性と実在性
a 「外<的世>界」の有と証明可能性との問題としての実在性
b 有論的問題としての実在性
c 実在性と関心
第四四節 現有と開示性と真性
a 伝統的真性概念とその有論的諸基礎
b 真性の根源的現象と伝統的真性概念の派生性
c 真性の有り方と真性の前提
注:
全集版では「有論的」は(オントローギッシュな)、「有的」は(オンテッシュな)、「関心」は(慮)、等になっている。
ハイデッガー 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房(1967年版)
注:
全集版では「有論的」は(オントローギッシュな)、「有的」は(オンテッシュな)、「関心」は(慮)、等になっている。
序論 有の意味への問の概要的提示
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
第二節 有への問の形式的構造
第三節 有・の・問の有論的優位
第四節 有・の・問の有的優位
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
第六節 有論の歴史の構造解体という課題
第七節 研究の現象的方法
a 現象という概念
b ロゴスという概念
c 現象学の予備概念
第八節 論攷の構図
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一編 現有の準備的基礎分析
第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
第九節 現有の分析論の主題
第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
第一二節 内に=有ることそのことに定位しつつ世界の=内に=有ることを予め輪郭づけすること
第一三節 内に=有ることを或る一つの基礎づけられた様態に即して例示すること。世界認識
第三章 世界の世界性
第一四節 世界の世界性一般という理念
A 廻りの世界性と世界性一般との分析
第一五節 廻りの世界のなかで出会われる有るものの有
第一六節 内世界的に有るものに即してそれ自身を通告する廻りの世界適合性
第一七節 附託と記号(指し向けと標示)
第一八節 帰趨(趨向)と指示性、世界の世界性
B デカルトに於ける世界の解釈に対して世界性の分析を対照させること
第十九節 「世界」を延長セル物<res extensia>として規定すること
第二◯節 「世界」の有論的規定の諸基礎
第二一節 デカルトの「世界」有論に関する解釈学的論議
C 廻りの世界の廻りという性格と現有の「空間性」
第二二節 内世界的に手許に有るものの空間性
第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性
第二四節 現有の空間性と空間
第四章 共に有ることと自己で有ることとしての世界の = 内に = 有ること。「ひと」
第二五節 現有の誰への実存論的問の着手(設定)
第二六節 他人の共現有と日常的な共に有ること
第二七節 日常的に自己であることとひと
第五章 内に = 有ることそのこと
第二八節 内に = 有ることを主題的に分析するという課題
A 現の実存論的構成
第二九節 情態性としての現に = 有ること
第三◯節 情態性の一様態としての恐れ
第三一節 理解としての現に = 有ること
第三二節 理解と解釈
第三三節 解釈の派生的様態としての陳述
第三四節 現に = 有ることと話。言葉
B 現の日常的有と現有の頽落
第三五節 空話(雑談)
第三六節 好奇心
第三七節 曖昧性
第三八節 頽落と被投性
第六章 現有の有としての関心(慮)
第三九節 現有の構造全体の根源的全体性への問
第四◯節 現有の卓抜なる開示性としての不安という根本情態性
第四一節 関心(慮)としての現有の有
第四二節 現有を関心として解釈する実存論的解釈を、現有の前有論的自己解釈にもとづいて、その真なることを確証すること
第四三節 現有と世界性と実在性
a 「外<的世>界」の有と証明可能性との問題としての実在性
b 有論的問題としての実在性
c 実在性と関心
第四四節 現有と開示性と真性
a 伝統的真性概念とその有論的諸基礎
b 真性の根源的現象と伝統的真性概念の派生性
c 真性の有り方と真性の前提
第二編 現有と時性
第四五節 現有の準備的基礎的分析の成果とこの有るもの<すなわち、現有>の根源的な実存論的解釈という課題
第一章 現有に可能な全体に・有あることと死への有
第四六節 現有に可能な全体に・有ることを有論的に把捉し規定することの外見上の不可能性
第四七節 他人の死の経験可能性と現有全体の把捉可能性
第四八節 未済の終末と全体性
第四九節 死の実存論的分析を<死という>この現象に関して可能なるその他の諸解釈に対して区別し境界づけること
第五◯節 死の実存論的有論的構造の先行的輪郭づけ
第五一節 死への有と現有の日常性
第五二節 終末への日常的な有と死の充全な実存論的概念
第五三節 死への本来的有の実存論的企投
第二章 本来的に有り・得ることの現有的な証しと覚悟性
第五四節 本来的な実存的可能性を証することの問題
第五五節 良心の実存論的・有論的諸基礎
第五六節 良心の喚び声という性格
第五七節 関心の喚び声としての良心
第五八節 喚び掛けの理解と負目
第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
第六◯節 良心に於て証されたる本来的に有り・得ることの実存論的構造
第三章 現有の本来的な全体的に・有り・得ることと、関心の有論的意味としての時性
第六一節 現有の本来的な全体的に・有ることの境界づけから時性の現象的露開に至る方法的歩みの先行的輪郭づけ
第六二節 先駆的覚悟性としての現有の実存的に本来的な全体的に・有り・得ること
第六三節 関心の有・の・意味を解釈するために獲得されたる解釈学的状況と実存論的分析論の方法的性格一般
第六四節 関心と自己性
第六五節 関心の有論的意味としての時性
第六六節 現有の時性と、この時性から発源して来る、実存論的分析の一層根源的なる反復に属する諸課題
第四章 時性と日常性
第六七節 現有の実存論的体制の根本成分と、この体制の時性的解釈の先行的輪郭づけ
第六八節 開示性の時性一般
a 理解の時性
b 情態性の時性
c 頽落の時性
d 話の時性
第六九節 世界の = 内に = 有ることの時性と、世界の超越の問題
a 見廻し的配慮の時性
b 見廻し的配慮が内世界的に直前に有るものの理論的発見へと変様することの時性的意味
c 世界の超越の時性的問題
第七◯節 現有的空間性の時性
第七一節 現有の日常性の時性的意味
第五章 時性と歴史性
第七二節 歴史の問題の実存論的 = 有論的な簡潔にして根本からの展開
第七三節 歴史の通俗的理解と現有の経歴
第七四節 歴史性の根本体制
第七五節 現有の歴史性と世界 = 歴史
第七六節 現有の歴史性からの歴史学の実存論的起源
第七七節 歴史性の問題の先述の展開と、ウィルヘルム・ディルタイの諸探究及びヨルク伯の諸考想との聯関
第六章 時性と、通俗的時間概念の起源としての内時間性
第七八節 現有の先述の時性的分析の不完備性
第七九節 現有の時性と、時を配慮すること
第八◯節 配慮された時間と内時間性
第八一節 内時間性と、通俗的時間概念の成立
第八二節 時性と現有と世界時間との実存論的 =有論的聯関を、時間と精神との間の関係についてのヘーゲルの見解に対照して際立たせること
a ヘーゲルの時間概念
b 時間と精神との聯関についてのヘーゲルの解釈
第八三節 現有の実存論的・時性的分析論と有の意味一般への基礎的有論の問
ハイデッガー 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房(1967年版)
注:
同じ訳者による創文社全集版(1997年)では「有論的」は(オントローギッシュな)、「有的」は(オンテッシュな)、「関心」は(慮)、「実存論的」は(実存論的)あるいは(実存論的 - オントローギッシュな)等になっている。
序論 有の意味への問の概要的提示
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
第二節 有への問の形式的構造
第三節 有・の・問の有論的優位
第四節 有・の・問の有的優位
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
第六節 有論の歴史の構造解体という課題
第七節 研究の現象的方法
a 現象という概念
b ロゴスという概念
c 現象学の予備概念
第八節 論攷の構図
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一編 現有の準備的基礎分析
第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
第九節 現有の分析論の主題
第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
第一二節 内に=有ることそのことに定位しつつ世界の=内に=有ることを予め輪郭づけすること
第一三節 内に=有ることを或る一つの基礎づけられた様態に即して例示すること。世界認識
第三章 世界の世界性
第一四節 世界の世界性一般という理念
A 廻りの世界性と世界性一般との分析
第一五節 廻りの世界のなかで出会われる有るものの有
第一六節 内世界的に有るものに即してそれ自身を通告する廻りの世界適合性
第一七節 附託と記号(指し向けと標示)
第一八節 帰趨(趨向)と指示性、世界の世界性
B デカルトに於ける世界の解釈に対して世界性の分析を対照させること
第十九節 「世界」を延長セル物<res extensia>として規定すること
第二◯節 「世界」の有論的規定の諸基礎
第二一節 デカルトの「世界」有論に関する解釈学的論議
C 廻りの世界の廻りという性格と現有の「空間性」
第二二節 内世界的に手許に有るものの空間性
第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性
第二四節 現有の空間性と空間
第四章 共に有ることと自己で有ることとしての世界の = 内に = 有ること。「ひと」
第二五節 現有の誰への実存論的問の着手(設定)
第二六節 他人の共現有と日常的な共に有ること
第二七節 日常的に自己であることとひと
第五章 内に = 有ることそのこと
第二八節 内に = 有ることを主題的に分析するという課題
A 現の実存論的構成
第二九節 情態性としての現に = 有ること
第三◯節 情態性の一様態としての恐れ
第三一節 理解としての現に = 有ること
第三二節 理解と解釈
第三三節 解釈の派生的様態としての陳述
第三四節 現に = 有ることと話。言葉
B 現の日常的有と現有の頽落
第三五節 空話(雑談)
第三六節 好奇心
第三七節 曖昧性
第三八節 頽落と被投性
第六章 現有の有としての関心(慮)
第三九節 現有の構造全体の根源的全体性への問
第四◯節 現有の卓抜なる開示性としての不安という根本情態性
第四一節 関心(慮)としての現有の有
第四二節 現有を関心として解釈する実存論的解釈を、現有の前有論的自己解釈にもとづいて、その真なることを確証すること
第四三節 現有と世界性と実在性
a 「外<的世>界」の有と証明可能性との問題としての実在性
b 有論的問題としての実在性
c 実在性と関心
第四四節 現有と開示性と真性
a 伝統的真性概念とその有論的諸基礎
b 真性の根源的現象と伝統的真性概念の派生性
c 真性の有り方と真性の前提
第二編 現有と時性
第四五節 現有の準備的基礎的分析の成果とこの有るもの<すなわち、現有>の根源的な実存論的解釈という課題
第一章 現有に可能な全体に・有あることと死への有
第四六節 現有に可能な全体に・有ることを有論的に把捉し規定することの外見上の不可能性
第四七節 他人の死の経験可能性と現有全体の把捉可能性
第四八節 未済の終末と全体性
第四九節 死の実存論的分析を<死という>この現象に関して可能なるその他の諸解釈に対して区別し境界づけること
第五◯節 死の実存論的有論的構造の先行的輪郭づけ
第五一節 死への有と現有の日常性
第五二節 終末への日常的な有と死の充全な実存論的概念
第五三節 死への本来的有の実存論的企投
第二章 本来的に有り・得ることの現有的な証しと覚悟性
第五四節 本来的な実存的可能性を証することの問題
第五五節 良心の実存論的・有論的諸基礎
第五六節 良心の喚び声という性格
第五七節 関心の喚び声としての良心
第五八節 喚び掛けの理解と負目
第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
第六◯節 良心に於て証されたる本来的に有り・得ることの実存論的構造
第三章 現有の本来的な全体的に・有り・得ることと、関心の有論的意味としての時性
第六一節 現有の本来的な全体的に・有ることの境界づけから時性の現象的露開に至る方法的歩みの先行的輪郭づけ
第六二節 先駆的覚悟性としての現有の実存的に本来的な全体的に・有り・得ること
第六三節 関心の有・の・意味を解釈するために獲得されたる解釈学的状況と実存論的分析論の方法的性格一般
第六四節 関心と自己性
第六五節 関心の有論的意味としての時性
第六六節 現有の時性と、この時性から発源して来る、実存論的分析の一層根源的なる反復に属する諸課題
第四章 時性と日常性
第六七節 現有の実存論的体制の根本成分と、この体制の時性的解釈の先行的輪郭づけ
第六八節 開示性の時性一般
a 理解の時性
b 情態性の時性
c 頽落の時性
d 話の時性
第六九節 世界の = 内に = 有ることの時性と、世界の超越の問題
a 見廻し的配慮の時性
b 見廻し的配慮が内世界的に直前に有るものの理論的発見へと変様することの時性的意味
c 世界の超越の時性的問題
第七◯節 現有的空間性の時性
第七一節 現有の日常性の時性的意味
第五章 時性と歴史性
第七二節 歴史の問題の実存論的 = 有論的な簡潔にして根本からの展開
第七三節 歴史の通俗的理解と現有の経歴
第七四節 歴史性の根本体制
第七五節 現有の歴史性と世界 = 歴史
第七六節 現有の歴史性からの歴史学の実存論的起源
第七七節 歴史性の問題の先述の展開と、ウィルヘルム・ディルタイの諸探究及びヨルク伯の諸考想との聯関
第六章 時性と、通俗的時間概念の起源としての内時間性
第七八節 現有の先述の時性的分析の不完備性
第七九節 現有の時性と、時を配慮すること
第八◯節 配慮された時間と内時間性
第八一節 内時間性と、通俗的時間概念の成立
第八二節 時性と現有と世界時間との実存論的 =有論的聯関を、時間と精神との間の関係についてのヘーゲルの見解に対照して際立たせること
a ヘーゲルの時間概念
b 時間と精神との聯関についてのヘーゲルの解釈
第八三節 現有の実存論的・時性的分析論と有の意味一般への基礎的有論の問
「廻りの世界」→(廻り世界)
創文社全集版には『有と時』として訳した理由が訳者の辻村公一によって書かれている(繋辞としての有)。
1997年版は、1967年版にあった九鬼周造の訳語を使用していないという。また、Seinを「有」と訳したのは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時間」)。
創文社全集版には原語に近いという「ハイデッガー」と表記した理由、『有と時』として訳した理由が訳者の辻村公一によって書かれている(繋辞としての有)。
1997年版は、1967年版にあった九鬼周造の訳語を使用していないという。また、Seinを「有」と訳したのは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時間」)。
『存在と時間』と『形而上学の根本諸概念』における退屈論との対応関係
*退屈=根本気分のひとつ(気分は情状性、心境の様態)
現 存 在
___世界=内=存在____
| | |
世界 __内=存在 自己
| | \_不安 |
| | 了解_頽_企投_ 内|
| |/視__落_好奇心\・存・・関心
| |語り___沈黙_| 在| 気遣い
| 情状性___不安_/ ・| |
_|_ (気分) 良心 死 ・| |
| |・ ______| |
| |・ __|__C・ ・ |
| A |・非本来的/本来的・・自 |
| |・ | ・ ・ 己 |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・ |
環境世界| 決意性・ |
| 道具全体性_適所性・・・世 |
場 ・ 界 |
配慮/瞬視 ・ 日常性
過去____現在____将来 時間性
既在性___現成化___到来_(脱自態)
B 今 内部性
歴史性
(存在論)
A退屈の第一形式(世界性?)
B退屈の第二形式(時間性?)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
『存在と時間』第65節(気遣い、時間性)参照
http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20120524/1337836393
一.何かによって退屈させられること(Gelangweiltwerden von etwas)
二.何かに際して退屈すること(Sichlangweilen bei etwas)
三.なんとなく退屈だ(Es ist einem langweilig)
実質
形式
現存在
Commented by yojisekimoto at 2009-10-08 16:48
______________
/ _____ \
( ( __ ) )様相世界、器官なき身体
\______)(__)|__/
\ / \// /
\__/__ //__/ 現存在、欲望する諸機械
(/ _| |\)
/\_/___|/\
/_/\____/__\
// (__) \_\
( \/ )感覚世界、ひとつの生
\____________/
ドゥルーズのベルグソン+クラインの壺モデル
様相世界の現実性を主張しつつ、感覚世界の非絶対性を主張する。
ただし、様相世界におけるひとつの生は、現存在を通じる回路を可能にしたうえで、
感覚世界で肯定される。
ハイデガーをめぐる応答
(リンクだとクリックしたいと思うので作成した)
以下のAAの原図は東浩紀作成のものですが、浅田彰経由でクラインの管をつかったところなども
ふくめて、ハイデガー解釈として的確だと思います。
最近ではケア=介護の問題として論じている人がいてこれは例外的に魅力的ですが、それは
あくまで哲学的言説としてではなく経験談としての魅力です。
_______ ____メタレベル(存在)
|| \ /
||規定 \ /
|| \ /二重襞
\/ )
__○__○__○__○__○__○__ オブジェクトレベル
(存在者の集合=世界)
↓メタレベル(存在)
_____
( __ )↑論理形式の産出
)( )|
/↓ \//___実存論的構造(2レベルの媒介)
/規定 //
/ _| |\ ↑
/ _/ | \
/_/______\_\オブジェクトレベル(存在者)
// ☆現存在 \_\
(○ (メタレベルへの入り口) )
\○__○____○_____/
○=客体的存在者
ハイデガーのギリシア理解がドッズ以前、あるいは『黒いアテナ』以前の古き良きギリシアであることは否定できないでしょう。
柄谷の批判はそうした言説に対して、ギリシア哲学は言説を売る側に立っていたひとたち、つまり共同体からずれたひ
とたちから出て来たという当たり前の事実を指摘したものにすぎない。
むろん、ハイデガーのヘルダーリン経由のギリシア理解はある種の開き直りとしてまったく評価出来ない訳ではない。
事実、柄谷はそこに自己言及のシステムを見ているし、これは最大級の評価でもある。
しかも柄谷はNAMへの参加をハイデガーのナチへのコミットと同じ種類のものとして言及している
(「新潮」2004?.8福田和也との対談)。
118:2008/12/19(金) 19:14:06 [sage]
柄谷行人はハイデガーの存在論を「ハイデガーが究極的に見出すのは、自己言及的な形式体系、あるいは自己差
異的な差異体系である」としてある程度評価しています(定本第2集p.133)。
ちなみに、存在=メタレベル、存在者=オブジェクトレベルという柄谷の解釈を東浩紀は受け継いで図解
(『存在論的、郵便的』より)↓しています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg
ただし、実際にハイデガー自身が書いた図はそれとは違っています。
http:// pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg
(上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」、
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より。
参考サイト:www.archi.kyoto-u.ac.jp
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)
これは複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば先の図と整合性があります。また、右上を余白にした
所に図を見るものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。
939 名前: 訂正 Mail: sage 投稿日: 2009/10/16(金) 06:01:34 [ 0 ]
>>938
>実際にハイデガー自身が書いた図
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg
http://yojiseki.exblog.jp/9192080/
http://www.zeno.org/Philosophie/M/Hegel,+Georg+Wilhelm+Friedrich/Ph%C3%A4nomenologie+des+Geistes/C.+(DD)+Das+absolute+Wissen/VIII.+Das+absolute+Wissen
Hegel, Georg Wilhelm Friedrich, Phänomenologie des Geistes, C. (DD) Das absolute Wissen, VIII. Das absolute Wissen - Zeno.org
. Ihre Aufbewahrung nach der Seite ihres freien, in der Form der Zufälligkeit erscheinenden Daseins ist die Geschichte, nach der Seite ihrer begriffenen Organisation aber die Wissenschaft des erscheinenden Wissens; beide zusammen, die begriffene Geschichte, bilden die Erinnerung und die Schädelstätte des absoluten Geistes, die Wirklichkeit, Wahrheit und Gewißheit seines Throns, ohne den er das leblose Einsame wäre; nur –
aus dem Kelche dieses Geisterreiches
schäumt ihm seine Unendlichkeit.
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論などは観念論や主観主義を
徹底あるいは複数化することで実在論に至った典型だと思います。
ちなみにウィトは中途半端な観念論としてショーペンハウアーを
考えています。
唯物論
|
客観__|__主観
|
観念論
さて、主観的云々と観念論云々は上記のように概念設定自体がズレることもあり、
客観的な観念論(カント?等)も、主観的な唯物論(一部の心理学や一部の
進化論等)もあり得ます。
また、主観的と客観的はカントの『啓蒙とは何か』における公と私のように
逆転する可能性もあります。例えばリークする公務員の行動は私的では
ない、、、
その流れで言うと、唯物論を仮想敵にしたハイデガーには客観的な部分もあり、
その意味で哲学史家として(だけ)は評価できます。例えばライプニッツ再
評価の一部はハイデガーに負っています。
http://yojiseki.exblog.jp/7590366
『シェリング講義』書評
(以下、先日の日記に出てきた本の書評メモです。)
『シェリング講義』1999年、新書館
マルティン ハイデガー, Martin Heidegger著, 木田 元, 迫田 健一訳
本書ではハイデガーが珍しくスピノザに言及している。
正確にはシェリングの『人間的自由の本質』経由の間接的な言及だが、許し難い意図的なスピノザの誤読がある。
ハイデガーはシェリングを引用し、スピノザの誤りが「神が諸事物であり」、「一個の事物であるとするところにあるのだ」(p200)とし、存在忘却の典型だとしている。
しかし、シェリングの原書ではその先があり、「一個の事物であるところの無限的な実体の抽象的な概念的把握に、あるのである。」(世界の名著続9、p416)と続くのだ。
シェリングもハイデガーもスピノザを批判し、それ以上に能動性の契機を見出そうとしているのだが(シェリングは上記書p410でスピノザのいう実体を「A」、個別的実体を「A/a」と記載する等正確に理解しようとしているが)、ハイデガーの方はスピノザを矮小化したうえで「ドイツ観念論」に可能性を無理矢理見出そうとしているように見える。
それもカントの批判哲学に寄り添う形のドイツ観念論をカントのものではないと、カントを両義的に捉えるというよりも矮小化(p102,134,191)しつつ、、、(これはあるべきものの逆転であるというフランツ・バーダーの悪の定義にあてはまる。世界の名著p438)。
カントについては置くとして、肝心な点は、ハイデガーの存在忘却の指摘が実はスピノザの論理に近いという事だ。
例えば、p116(及びp148)に出てくるハイデガー作成の存在-神-論の図は、
(要素を抽出するなら、)
存在者である限り
存在者 存在者全体
ロゴス
というものだが(左端の「存在者」を本書では「存在者そのもの」と記しており、複数に対する単数、様態に対する実体、つまり存在者=オンではなく存在=ウーシア的なものとも理解できる)、これは山下正男がスピノザを図解した以下の図、
(同じく要素を抽出するなら、)
全論理空間
実体 様態
空のクラス
と、上下は逆だが相似である(『論理学史』山下正男p208より。ただしハイデガーはヘーゲルと同じで最終的には排中律を取らない)。
つまり、ハイデガーはスピノザを無視する事でその地位を築いたのである(ニーチェですらスピノザを正しく読んでいたのに)。
「悪」を欠如やたんなる転倒としてではなく、人間の可能的形態としての自由論、それも数学的な理性体系(p108)の中に位置づけるとするなら、スピノザの即物的で動的な「悪」の定義こそ重要になるはずだが、、、
そもそもハイデガーがカントの遺稿に言及するなら(p92-3)そこに記されたスピノザの重要性にきづいたはずである。
索引もあり、訳も読みやすく本書の「存在」自体はたいへん意義があると思う。
http://yojiseki.exblog.jp/8953039/
ネグリのスピノザ理解:書評メモ
情況別冊 2009年7月号
68年のスピノザ
http://www.mosakusha.com/newitems/2009/07/20097.html
上記書に所収された、ネグリによるスピノザの一元化を批判した上野修の論考は当たっているが、一方でネグリは『エチカ』を精密に読んでいるのでそうした精密な読みのレベルを無効と宣言している印象を与える危険もある。
『国家論』、『神学政治論』、『エチカ』は上野の言うように還元不可能な三分野を扱っているのでネグリの一元化は危険なのは確かだが、エチカは三者を横断する原理を扱っているからネグリと違う回路を通れば一元化(汎神論)も可能なのだ。
ここでアガンベンが考察したヘブライ語文法要綱も加えて図示したい。
________________
| | /|
|デカルトの |神学 / |
|哲学原理 |政治論 / |
| (ステート)|(ネーション)|
|国家論 | /文法論 |
| | / |
|_______|/______|
| | |
|知性改善論 | |
|(キャピタル)| |
|エチカ1 | エチカ2 |
| | |
|_______|_______|
エチカの決定論という主題の展開にマルクスの『資本論』があるが、これはエチカ2におけるアソシエーションに繋がるものでは必ずしもない。
「ハイデガーの無にスピノザの充溢が応答する」(p.80)とネグリは詩的かつ政治学的に述べるが、『エチカ』で重要な箇所は柄谷行人が『探求2』で指摘した無限の数学的理解だ。これによって個々の双務的契約に無限の可能性が与えられるのであり(ネグリの表現に倣えば「スピンザの充溢」)、アソシエーションに繋がりえるのである。
ハイデガーのスピノザ無視についてデリダがインタビューで語っていたはず
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スピノザに近づいてみる ——「倫理」と「思考」のための60冊+α(再掲 ...
國分功一郎選 スピノザ『エチカ』岩波文庫 言わずと知れたスピノザの主著。はっきり 言って、冒頭から読み始めたために脱落するひとが多い! ...... ジャック・デリダは「 ハイデッガーにおけるスピノザの排除(forclusion)」と言っていました。
ameblo.jp/philosophysells/entry-10965449454.html - キャッシュ
Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ
books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
Interviews, 1974-1994 Jacques, Derrida Elisabeth, Weber ... To whatever degree I can subscribe to the Heideggerian discourse on the
去勢
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ジャック・デリダ 1989 (=1996 鵜飼 哲 訳 「「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」(Nancy, Jean=Luc ed. 1989 Cahires Confrontation 20: Apres Le Sujet Qui Vient, Aubier(=1996 港道 隆 他 訳 『主体の後に誰が来るのか?』,現代企画室)),146-184)
forclusion仏
foreclosure英
質流れ
Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ
books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
Interviews, 1974-1994 Jacques, Derrida Elisabeth, Weber ... To whatever degree I can subscribe to the Heideggerian discourse on the subject, I have always been a little troubled by ... The foreclosure of Spinoza seems to me to be significant.
Points . .: Interviews, 1974-1994 - 265 ページ
books.google.co.jp/books?isbn=0804724881
Jacques, Derrida, Elisabeth, Weber - 1995 - プレビュー - 他の版
The foreclosure of Spinoza seems to me to be significant. Here is a great rationalism that does not rest on the principle of reason (inasmuch as in Leibniz this principle privileges both the final cause and representation). Spinoza's substantialist ...
ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁
「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."
Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.
In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html
〜に〜を対置するのである。
ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁
「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。
…に…を対置するのである。」
Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."
Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.
In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html
ネグリ『スピノザとわたしたち』
「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」邦訳では102頁
「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
愛は配慮の場を占める。
Under the same ontological conditions, love愛 takes the place of "care配慮."
「…に…を対置するのである。」
Spinoza systematically inverts Heidegger:
to Angst不安 (anxiety) he opposes Amor愛,
to Umsicht配視 (circumspection) he opposes Mens精神,
to Entschlossenheit決意性 (resolution) he opposes Cupiditas欲望
to Anwesenheit現前 (being-present) he opposes the Conatusコナトゥス,
to Besorgen配慮 (concern) he opposes Appetitus衝動,
to Möglichkeit可能性 (possibility) he opposes Potentia力能.
In this opposition, an anti-purposive presence and possibility unite that which different
orientations of ontology divide.
http://brahane-matemia.blogspot.com/2009/02/reflection-is-wrong-with-us_8044.html
同様の記述が講演録
「スピノザの反近代」
邦訳『68年のスピノザ』78頁
にある。
同様の記述が講演録
「スピノザの反近代」
邦訳『68年のスピノザ』78頁
にある。
「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
愛は配慮の場を占める。
「…に…を対置するのである。」
ヘーゲル
/ \
ジジェク マルクス
/
スピノザ
/ |
ネグリ × デリダ
| /
ハイデッガー
形式(右下)から実体、キッチュへ
アガンベンの『思考の潜勢力(La Potenza del pensiero)』の最後で
紹介されている図:
超越 内在
カント スピノザ
| |
フッサール ニーチェ
\ / |
ハイデガー |
/ \ |
レヴィナス、デリダ フーコー、ドゥルーズ
超越 内在
カント スピノザ
| |\\ ヘーゲル
フッサール ニーチェ\\ /\
\ / | \マルクス \
ハイデガー | \ \
/ \ | \ \
レヴィナス、デリダ フーコー、ドゥルーズ \ \
\ \ \
ネグリ ジジェク
ヘーゲル
/ \
ジジェク マルクス
/
スピノザ
/ |
ネグリ × デリダ
| /
ハイデッガー
超越 内在
カント スピノザ
| |\\ ヘーゲル
フッサール ニーチェ\\ /\
\ / | \マルクス \
ハイデガー | \ \
/ \ | \ \
レヴィナス、デリダ フーコー、ドゥルーズ \ \
\ \ \
ネグリ ジジェク
ヘーゲル
/ \
ジジェク マルクス
/
スピノザ
/ |
ネグリ × デリダ
| /
ハイデッガー
×の部分にニーチェが必要だ
HANNAH ARENDT by Margarethe von Trotta - Trailer (HQ)
http://youtu.be/WTQNWgZVctM
http://www.amazon.de/Hannah-Arendt-Barbara-Sukowa/dp/B00BCDT38Y/ref=pd_sim_b_4
Hannah Arendt
Barbara Sukowa (Darsteller), Axel Milberg (Darsteller), Margarethe von Trotta (Regisseur) | Alterseinstufung: Freigegeben ab 6 Jahren | Format: DVD
Produktinformation
Darsteller: Barbara Sukowa, Axel Milberg, Janet McTeer
Regisseur(e): Margarethe von Trotta
FSK: Freigegeben ab 6 Jahren
Studio: Euro Video
Erscheinungstermin: 10. Oktober 2013
Produktionsjahr: 2012
Spieldauer: 113 Minuten
Durchschnittliche Kundenbewertung: 5.0 von 5 Sternen Alle Rezensionen anzeigen (2 Kundenrezensionen)
ASIN: B00BCDT38Y
Amazon Bestseller-Rang: Nr. 1.973 in Filme & TV (Siehe Top 100 in Filme & TV)
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活動的生活 [編集]
アレントは、人間の生活を「観照的生活」(vita contemplativa)と「活動的生活」(vita activa)の二つに分ける。
観照的生活とは、プラトンの主張するような永遠の真理を探究する哲学者の生活である。
活動的生活とは、あらゆる人間の活動力を合わせたものである。
活動的生活は主として、活動(action/Handeln)、仕事(work/Herstellen)、労働(labor/Arbeiten)の三つに分ける事ができる。
「活動」は、人間が関係の網の目の中で行う行為であり、平等かつお互いに差異のある人間たちの間にのみ存在しうる。個々人は自発的に「活動」を開始し、その行為の結果として自身が何者(who)であるかを暴露する。それはちょうどギリシアにおけるダイモーン(守護霊)のように、自身には決して明らかにはならないが他者には明白ななんらかの徴である。
「仕事」は、職人的な制作活動に象徴される目的-手段的行為をさす。ある特定の目的の達成をめざして行われる行為はアレントにとって「仕事」であった。「活動」はその結果として語り継がれる物語以外の何物をも残さないが、「仕事」はその達成された目的の証としての最終生産物を残す。最終生産物の産出に示される「仕事」の確実性は古来より高く評価されており、それ故にギリシア人は本来「活動」そのものであった政治を「仕事」によって行われるよう置き換えることを試みた、とアレントは指摘している。
「労働」は人間のメタボリズム(?)を反映した行為であり、生存と繁殖という生物的目的のため、産出と消費というリズムにしたがって行われる循環的行為である。「活動」や「仕事」と異なり、人間は生存に伴う自然的な必要を満たすために「労働」を強いられる。それゆえ古来より労働は苦役であり続けたが、アレントによればマルクスによって人間が行うもっとも生産的な行為として位置づけられた。
2013-04-21
■[book] 『存在と時間』 『存在と時間』を含むブックマーク
存在と時間(一) (岩波文庫)
存在と時間(一) (岩波文庫)
作者: ハイデガー,熊野純彦
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2013/04/17
メディア: 文庫
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※ 世の中すごいもんです。 ネットで見られる、熊野の『存在と時間』講義
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/movie?id=711&r=
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/movie?id=712&r=
大好きな熊野純彦の訳した『存在と時間』が岩波文庫から出ました。 おおおお。
これで、レヴィナスとハイデガーを両方訳してしまったのね。 す・す・すごいなあ……。
誤解されちゃ困るので最初に白状すると、わたくし、ハイデガーに限らず哲学書なんてほとんど手にしません。 なにかの出会いのように手にするようになった本やひとの思索があるだけ。 それを味わうだけ。 そんなですので、ただでさえ超絶難解といわれてるハイデガーを翻訳日本語の壁を乗り越えて読むなどありえない。 ーーでした。
けれど、熊野の訳したこれ、驚くべきことに日本語です。 もちろん、いつもの、くまの体です。 か・ん・ぺ・き、端正、です。 いつもよりずっとそう思います。 翻訳読んでる気がしません。 注解のほうが凝縮されてる分、硬く難しく、けれども理解しやすく感じる。 ハイデガーをくまのでよめる愉しみ。
数段落ごとの注解、訳註があります。 研究者ならこちらに仰天されるのでしょうね。 ハイデガーをひらこうとする、屹然とした書き手が思い浮かびます。 膨大、詳細。 それゆえ全4冊。 今月はその一です。 ゼミはこんなかんじなのだろうか?と彷彿とさせる密度に手を引かれながら読んでる気分。 その手がうれしい。 (いや、学生がこの密度をゼミで眼前にしたら死にたくなるかもしれない。)
内容について、わたしにはとてもいえません。 そもそも何をめざしているのだろうか。 けど、哲学ってきっとそうなんだ、根底的へと問われる何層にも重なる思考の引力。 掴めないなにかが現れるような。 たとえ読めなくても。
(ひさしぶりすぎるハテナでありました。全部忘れてるぅ。デザインもきちんとし直さなくっちゃ)
http://d.hatena.ne.jp/kamane/20130421
http://urag.exblog.jp/17658458/
存在と時間(一)
ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)著 熊野純彦(1958-)訳
岩波文庫 2013年4月 本体1,260円 文庫判並製532頁 ISBN978-4-00-336514-4
カバーソデ紹介文より:「存在すること」の意味はなにか。――1927年、マルティン・ハイデガーは『存在と時間』を発表、鮮烈な問いで哲学界の地形を一変させた。生まれでる思考の彩りをも伝える正確な訳文に、注解・訳注、全体を見通す梗概を付す、画期的新訳。(全四冊)
★発売済。底本はニーマイヤー社の第17版(1993年)です。岩波文庫では、桑野務訳全三巻(1960, 1961, 1963年)に続く、新訳になります。桑野版での底本は第4版(1935年)でした。同三巻本は今回の新訳の発売のために版元では品切重版未定になり、書店さんの店頭在庫が新本入手の最後のチャンスになります。三巻本は熊野訳でも参照されていますから、お持ちでない方は急いでお買い求めになることをお薦めします。なお、店頭の現物を見て調べた限りでは、上巻は63刷(2011年11月)、中巻は48刷(2011年5月)、下巻は49刷(2012年1月)を確認できました。文庫で読める『存在と時間』には細谷貞雄訳(ちくま学芸文庫、上下巻、1994年)があります。これは理想社版『ハイデッガー全集』第16・17巻(1963-1964)を文庫化したもので、底本は1927年の初版本ですが、1960年の第9版までのすべての版を参照し、約120箇所にも及ぶ異動について訳者注記でひとつひとつ特記されています。ちくま学芸文庫版では上巻が19刷(2012年5月)、下巻が16刷(2012年4月)に達しています。ところで今回の新訳の訳者でいらっしゃる熊野さんは作品社で目下カントの三批判書を上梓されている最中で、昨年1月に『純粋理性批判』を、そして遠からず『実践理性批判』も刊行されるはずです。後者は4月17日の作品社さんのtweetでは、今月末発売とのことでしたが、公式ウェブサイトの新刊近刊欄からは書名が消えています。発売が近いためにいったんデータが隙間に落ちたのかもしれません。
岩波文庫の熊野純彦訳『存在と時間』があちこちで高評価。ちくま学芸文庫の細谷貞雄訳に馴染んだ者としてはやや複雑な心境ながら、再読の機会を促されました。月曜社・小林氏によると、熊野訳・細谷訳・桑野訳はそれぞれ底本が異なるそう。 URL
http://d.hatena.ne.jp/cmJourney/20130425/1366858825
18:07:49 via web
RT @eksistenz: 熊野純彦訳『存在と時間』落手。冒頭の梗概に加え、数段落ごとに付された注解で原語との対応が示され、訳注では哲学史的な背景や文脈にも言及がなされている。邦訳はもちろん、英訳や仏訳といった既訳の成果をも踏まえた新訳が岩波文庫で読めるというのは、やはり喜ば…
目次
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/toc/4003365143
存在と時間(一) (岩波文庫) [文庫]
ハイデガー (著), 熊野 純彦 (翻訳)
序論 存在の意味への問いの呈示(存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
存在の問いを仕上げるさいの二重の課題 探究の方法とその概略)
第1部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明(現存在の予備的な基礎的分析)
内容紹介
「存在すること」の意味はなにか。「現存在の存在」とはなにか――1927年、マルティン・ハイデガー(1889―1976)は『存在と時間』を発表、ギリシア以来の「存在」の問いに新たな光を投じ、哲学界の地形を一挙に変容させた。生まれでる思考の彩りをも伝える正確な訳文に、注解・訳注、さらに全体を見通す梗概を付した、画期的な新訳。(全四冊)
内容(「BOOK」データベースより)
「存在すること」の意味はなにか。―一九二七年、マルティン・ハイデガー(一八八九‐一九七六)は『存在と時間』を発表、鮮烈な問いで哲学界の地形を一変させた。生まれでる思考の彩りをも伝える正確な訳文に、注解・訳注、全体を見通す梗概を付す、画期的新訳。
登録情報
文庫: 544ページ
出版社: 岩波書店 (2013/4/17)
ISBN-10: 4003365143
ISBN-13: 978-4003365144
発売日: 2013/4/17
ハイデガー『存在と時間』熊野純彦訳 岩波文庫
(マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)
総 目 次
一九五三年 第七版へのまえがき
序論 存在の意味への問いの呈示
第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
第二節 存在への間いの形式的な構造
第三節 存在の問いの存在論的優位
第四節 存在の問いの存在的優位
第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、
現存在の存在論的分析論
第六節 存在論の歴史の破壊という課題
第七節 探究の現象学的方法
A 現象という概念
B ロゴスという概念
C 現象学の予備的概念
第八節 論述の構図
第一部 時間性へと内けた現存在の解釈と、存在への間いの超越端的
地平としての時間の解明
第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
第九節 現存在の分析論の主題
第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を
境界づけること
第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を
獲得することのむずかしさ
第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
第一二節 内存在そのものに方向づけることに仏とづいて、世界内存在を
あらかじめ素描すること
第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識
第三章 世界が世界であること
第一四節 世界一般の世界性の理念
A 周囲世界性と世界性一般との分析
第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の
世界適合性
第一七節 指示としるし
第一ハ節 適所性と有意義性——世界の世界性
B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだ
せること
第一九節 res extensa としての「世界」の規定
第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
第二三節 世界内存在の空間性
第二四節 現存在の空間性と空間
(以上、第一分冊)
第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在「ひと」
第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉
第五章 内存在そのもの
第二八節 内存在の主題的分析の課題
A〈現〉現の実存論的構成
第二九節 情態性としての現—存在
第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
第三一節 理解としての現—存在
第二二節 理解と解釈
第三三節 解釈の派生的様態としての言明
第三四節 現—存在と語り。ことば
B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
第三五節 空談
第三六節 好奇心
第三七節 あいまいさ
第三八節 頽落と被投性
第六章 現存在の存在としての気づかい
第三九節 現存在の構造全休の根源的な全体性への問い
第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
第四一節 気づかいとしての現存在の存在
第四二節 現存在の前存在論的自己解釈に石とづいて、気づかいとしての
現存在の実存論的解釈を確証すること
第四三節 現存在、世界性、および実在性
a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
b 存在論的問題としての実在性
c 実在性と気づかい
第四四節 現存在、開示性、および真理
a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
c 真理が存在するしかたと、真理の前提
(以上、第二分冊)
第二篇 現存在と時間性
第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な
実存論的解釈の課題
第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定する
ことの見かけ上の不可能性
第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
第四ハ節 未済、おわり、および全体性
第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に
対して境界づけること
第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
第五五節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企
第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
第五六節 良心の呼び声の性格
第五七節 気づかいの呼び声としての良心
第五八節 呼びかけの理解と負い目
第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の
実存論的構造
第三章 現存在の本来的な全体的存在司能と、気づかいの存在論的意味
としての時間性
第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な
発掘へといたる方法的な歩みをあら示じめ素描すること
第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的
存在可能
第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的
状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
第六四節 気づかいと自己性
第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的
分析のより根源的な反復という課題
解説——『存在と時間』ヘの途上で
(以上、第三分冊)
第四章 時問性と日常性
第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的
解釈の素描
第六八節 開示性一般の時間性
a 理解の時問性
b 情態性の時間性
c 頽落の時間性
d 語りの時間性
第六九節 世界内存在の時同性と、世界の超越の問題
a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを
理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
c 世界の超越をめぐる時間的問題
第七〇節 現存在に適全的な空間性にぞくする時間性
第七一節 現存在の日常性の時間的意味
第五章 時間性と歴史性
第七ニ節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
第七四節 歴史性の根本体制
第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
第七七節 歴史性の門題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究
ならびにヨルク伯の理念との連関
第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
第七八節 現存在のこれまての時間的分析が不完全であること
第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
第八ー節 時間内部性と、通俗的暗明概念の発生
第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、
現存在ならびに仙界時間の実存論的?存在論的連関をきわだた
せること
a ヘーゲルの時間概念
b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への
基礎存在論的問い
書き込み一覧表
主要訳語対照表
索引(人名・事項・文献)
(以上、第四分冊)
ハイデガー『存在と時間』熊野純彦訳 岩波文庫
(マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)
総 目 次
一九五三年 第七版へのまえがき
序論 存在の意味への問いの呈示
第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
第二節 存在への間いの形式的な構造
第三節 存在の問いの存在論的優位
第四節 存在の問いの存在的優位
第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、
現存在の存在論的分析論
第六節 存在論の歴史の破壊という課題
第七節 探究の現象学的方法
A 現象という概念
B ロゴスという概念
C 現象学の予備的概念
第八節 論述の構図
第一部 時間性へと内けた現存在の解釈と、存在への間いの超越端的
地平としての時間の解明
第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
第九節 現存在の分析論の主題
第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を
境界づけること
第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を
獲得することのむずかしさ
第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
第一二節 内存在そのものに方向づけることに仏とづいて、世界内存在を
あらかじめ素描すること
第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識
第三章 世界が世界であること
第一四節 世界一般の世界性の理念
A 周囲世界性と世界性一般との分析
第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の
世界適合性
第一七節 指示としるし
第一八節 適所性と有意義性——世界の世界性
B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだ
せること
第一九節 res extensa としての「世界」の規定
第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
第二三節 世界内存在の空間性
第二四節 現存在の空間性と空間
(以上、第一分冊)
第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在「ひと」
第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉
第五章 内存在そのもの
第二八節 内存在の主題的分析の課題
A〈現〉現の実存論的構成
第二九節 情態性としての現—存在
第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
第三一節 理解としての現—存在
第三二節 理解と解釈
第三三節 解釈の派生的様態としての言明
第三四節 現—存在と語り。ことば
B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
第三五節 空談
第三六節 好奇心
第三七節 あいまいさ
第三八節 頽落と被投性
第六章 現存在の存在としての気づかい
第三九節 現存在の構造全休の根源的な全体性への問い
第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
第四一節 気づかいとしての現存在の存在
第四二節 現存在の前存在論的自己解釈に石とづいて、気づかいとしての
現存在の実存論的解釈を確証すること
第四三節 現存在、世界性、および実在性
a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
b 存在論的問題としての実在性
c 実在性と気づかい
第四四節 現存在、開示性、および真理
a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
c 真理が存在するしかたと、真理の前提
(以上、第二分冊)
第二篇 現存在と時間性
第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な
実存論的解釈の課題
第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定する
ことの見かけ上の不可能性
第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
第四八節 未済、おわり、および全体性
第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に
対して境界づけること
第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
第五三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企
第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
第五六節 良心の呼び声の性格
第五七節 気づかいの呼び声としての良心
第五八節 呼びかけの理解と負い目
第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の
実存論的構造
第三章 現存在の本来的な全体的存在司能と、気づかいの存在論的意味
としての時間性
第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な
発掘へといたる方法的な歩みをあら示じめ素描すること
第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的
存在可能
第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的
状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
第六四節 気づかいと自己性
第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的
分析のより根源的な反復という課題
解説——『存在と時間』ヘの途上で
(以上、第三分冊)
第四章 時問性と日常性
第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的
解釈の素描
第六八節 開示性一般の時間性
a 理解の時問性
b 情態性の時間性
c 頽落の時間性
d 語りの時間性
第六九節 世界内存在の時同性と、世界の超越の問題
a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを
理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
c 世界の超越をめぐる時間的問題
第七〇節 現存在に適全的な空間性にぞくする時間性
第七一節 現存在の日常性の時間的意味
第五章 時間性と歴史性
第七二節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
第七四節 歴史性の根本体制
第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
第七七節 歴史性の門題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究
ならびにヨルク伯の理念との連関
第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
第七八節 現存在のこれまての時間的分析が不完全であること
第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
第八ー節 時間内部性と、通俗的暗明概念の発生
第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、
現存在ならびに仙界時間の実存論的?存在論的連関をきわだた
せること
a ヘーゲルの時間概念
b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への
基礎存在論的問い
書き込み一覧表
主要訳語対照表
索引(人名・事項・文献)
(以上、第四分冊)
現 存 在 1:1
________世界=内=存在________
|1:3 1:2 | |
世界 ________自己1:4 内存在1:5〜2:2
| | ____________________|\_不安 世界 内=存在
| || 頽 良 1:6
| ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内
| ||__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存
| | |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在
世界性 \ \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・
_|_ \ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・
| | \________ ・ ・ ・
環境世界| _______|______ ・ ・
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自 気遣い
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己・・・関 心
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ cura
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ Sorge
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体_性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4(日常性)
既在性_________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去__________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復__________________予期_| 通俗的
今 2:6(内部性)
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43 TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
現 存 在 1:1
________世界=内=存在________
|1:3 1:2 | |
世界 ________自己1:4 内存在1:5〜2:2
| | ____________________|\_不安 世界 内=存在
| || 頽 良 1:6
| ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投 内
| ||__/ 視____好奇心 2:2 2:1 \__存
| | |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在
世界性 \ \_情状性__曖昧性____不安___不安/ ・
_|_ \ 気分 ・1:5 負い目・ 期待・ ・
| | \________ ・ ・ ・
| | ・ | ・ ・ ・
環境世界| _______|______ ・ ・ 気遣い
|1:3| |人間 ・ 共同現存在 ・ | ・ 自・・・関 心
道具 | 非本来的 ・ /共同存在 ・本来的 ・ ・ ・ 己 cura
| | | 顧慮・ 1:4 ・ 自己 ・ ・ Sorge
遠ざける| |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・ |
| | ・ ・ |
|\ | 道具的存在性 ・ 世 |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界 |
|/ 1:3 \_適所_/ ・ |
場 非本来/本来 全体性 ・ |
事物的存在性 配慮 配視 瞬視 ・ 2:4(日常性)
既在性_________現成化_______到来_ 脱自態 時間性
過去__________現在________未来_|_____2:3
忘却/反復__________________予期_| 通俗的
今 2:6(内部性)
(事実性) (頽落性) 1:1(実存性) 存在、存在論
2:5 歴史性
開示と解釈(歴史学)
| 72
好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学
|
フッサール7、10 カント7、43 アリストテレス6 |
デカルト ヘーゲル 、64 ニーチェ76__|
18〜21 6、82 パルメニデス36、44
43 TOP
活動し努力する者の歴史 記念碑的歴史
保存し崇敬する者の歴史 骨董的歴史
苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。
マルティン・ハイデガー
存在と時間
邦訳は 細谷 貞夫,ちくま学芸文庫 上下 より
http://www.arsvi.com/b1900/2700hm.htm
http://www.arsvi.com/b1900/2700hm2.htm
『存在と時間 上』
Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit
=19940607 細谷 貞夫,ちくま学芸文庫,524p.
Last Update:20100819
このHP経由で購入すると寄付されます
■Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit =19940607 細谷 貞夫 『存在と時間 上』,ちくま学芸文庫,524p. ISBN-10:4480081372 ISBN-13:9784480081377 \1200 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
1927年に刊行されるや、ドイツの哲学界に深刻な衝撃をもたらした、ハイデッガーの最初の主著。《存在》の諸相をその統一的意味へさかのぼって解明すること、そして、存在者の《存在》を人間存在(=「現存在」)の根本的意味としての《時間》性から解釈することを主旨として、「現存在の準備的な基礎分析」と「現存在と時間性」の二編から構成する。上巻ではこの前者を収録した。「現存在」の根本的な構成が「世界=内=存在」として提示され、「現存在」のうちに見いだされる「存在了解」を探求すべく、基礎的な問いが差し出される。
■目次
凡例
献辞
序にかえて
巻頭言
序論 存在の意味への問いの提示
第1章 存在の問いの必然性、構造および優位
第1節 存在への問いをあからさまに反復する必然性
第2節 存在への問いの形式的構造
第3節 存在問題の存在論的優位
第4節 存在問題の存在的優位
第2章 存在問題の開発における二重の構造 考究の放送および構図
第5節 存在一般の意味の解釈のための
地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論
第6節 存在論の歴史の解体の課題
第7節 考究の現象学的方法
A 現象の概念
B ロイズの概念
C 現象学の予備概念
第8節 論考の綱要
第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する
第1編 現存在の準備的な基礎分析
第1章 現存在の準備的分析の課題の提示
第9節 現存在の分析論の主題
第10節 人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定
第11節 実存論的分析論と未開的現存在の解釈、「自然的世界概念」を取得することの困難さ
第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
第12節 世界=内=存在を、内=存在そのものを手引きとして素描する
第13節 ひとつの基づけられた様態についてなされる、内=存在の例示 世界認識
第3章 世界の世界性
第14節 世界一般の世界性の理念
A 環境性と世界性一般の分析
第15節 環境世界のなかで出会う存在者の存在
第16節 内世界的存在者において通示される、環境世界の世界適合性
第17節 指示と記号
第18節 趣向性と有意義性、世界の世界性
B 世界性の分析を、デカルトにおける世界の解釈と比較対照する
第19節 res extensaとしての「世界」の規定
第20節 「世界」の存在論的規定の基礎
第21節 デカルトの「世界」存在論の解釈学的論究
C 環境世界の「身の廻り」的性格と現存在の空間性
第22節 世界の内部にある用具的存在者の空間性
第23節 世界=内=存在の空間性
第24節 現存在の空間性と空間
第4章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「世間」
第25節 現存在の誰れかをたずねる実論的な問いの手がかり
第26節 ほかの人びとの共同現存在と日常的共同存在
第27節 日常的自己存在と世間
第5章 内=存在そのもの
第28節 内=存在を主題的に分析する課題
A 現の実存論的構成
第29節 心境としての現=存在
第30節 心境のひとつの様態としての別れ
第31節 了解としての現=存在
第32節 了解と解意
第33節 解意の派生的様態としての言明
第34節 現=存在と話、言語
B 現の日常的存在と現存在の頽落
第35節 世間話
第36節 好奇心
第37節 曖昧さ
第38節 頽落と被投性
第6章 現存在の存在としての関心
第39節 現存在の構造全体の根源的全体性への問い
第40節 現存在の際立った開示態としての不安という根本的心境
第41節 関心としての現存在の存在
第42節 関心としての現存在の実論的解釈を、現存在の前=存在論的な自己解意によって検証する
第43節 現存在、世界性および実在性
(a)「外界」の存在と証明可能性との問題としての実存性
(b)存在論的問題としての実在性
(c)実在性と関心
第44節 現存在、開示態および真理性
(a)伝統的な心理概念とその存在論的基礎
(b)真理性の根源的現象と、伝統的心理概念の派生的性格
(c)真理の存在様相と真理の前提
訳者の注記
後記
■引用
■書評・紹介
■言及
『存在と時間 下』
Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit
=19960607 細谷 貞夫,ちくま学芸文庫,472p.
Last Update:20100819
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■Heidegger, Martin 1927 Sein und Zeit=19960607 細谷 貞夫 『存在と時間 下』,ちくま学芸文庫,472p. ISBN-10:4480081380 ISBN-13:9784480081384 \1200 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
不安や死への自覚を介して未来へと先駆しながら、今において覚悟的に生きる本来的実存が示されるとともに、存在論の基礎となるべき時間性が解明される。
■目次
凡例
第2編 現存在と時間性
第45節 現存在の準備的基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実論的解釈の課題
第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在
第46節 現存在的な全体存在を存在論的に把握し規定することの、みかけの不可能性
第47節 ほかの人びとの死についての経験の可能性と、全たき現存在の把捉の可能性
第48節 未済、終末ならびに全体性
第49節 死の実存論的分析と、この現象についておこないうる諸他の解釈との対照的区別
第50節 死の実存論的=存在論的構造の素描
第51節 死へ臨む存在と、現存在の日常性
第52節 終末へ臨む日常的存在と、死についての十全な実存論的概念
第53節 本来的な〈死へ臨む存在〉の実存論的投企
第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性
第54節 本来的な実存的可能性の臨床の問題
第55節 良心の実存論的=存在論的基礎
第56節 良心の呼び声としての性格
第57節 関心の呼び声としての良心
第58節 呼びかけの了解と負い目
第59節 良心の実存論的解釈と、通俗的な良心解意
第60節 良心において臨証される本来的存在可能の実存論的構造
第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性
第61節 現存在の本来的な全体存在の画定から時間性の現象的打開へいたる方法的進路の素描
第62節 先駆的覚悟性としての現存性の実存的=本来的な全体存在可能
第63節 関心の存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析論全般の方法的性格
第64節 関心と自己性
第65節 関心の存在論的意味としての時間性
第66節 現存在の時間性と、そこから生ずる実存論的分析のいっそう根源的な反復の課題
第4章 時間性と日常性
第67節 現存在の実存論的構成の基綱と、その構成の時間的解釈の素描
第68節 開示態一般の時間性
(a)了解の時間性
(b)心境の時間性
(c)頽落の時間性
(d)話の時間性
第69節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
(a)配視的配慮の時間性
(b)配視的配慮から内世界的客体の理論的発見への変容の時間的意味
(c)世界の超越の時間的問題
第70節 現存在的空間性の時間性
第71節 現存在の日常性の時間的意味
第5章 時間性と歴史性
第72節 歴史の問題の実存論的=存在論的提示
第73節 歴史の通俗的理解と現存在の経歴
第74節 歴史性の根本的構成
第75節 現存在の歴史性と世界=歴史
第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源
第77節 歴史性の問題についての上述の論述と、ウィルヘルム・ディルタイの諸研究およびヨルク伯爵の思想との連関
第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性
第78節 上述した現存在の時間的分析の不備
第79節 現存在の時間性と時間の配慮
第80節 配慮される時間と内時性
第81節 内時性と、通俗的時間概念の成立
第82節 時間性、現存在および世界時間の実存論的=存在論的連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対照
(a)ヘーゲルの時間概念
(b)時間と精神の連関についてのヘーゲルの解釈
第83節 現存在の実存論的=時間的分析論と、存在全般の意味への基礎存在論的な問い
訳者の注記
訳者後記『存在と時間』について
事項索引
人名索引
■引用
■書評・紹介
■言及
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性の様式 共現存在 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
Zuhandenheit Vorhandenheit
手許に在ること 手先に在ること
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い(関心)
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ 了解〜|~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~先駆的決意| /|~
情状性 <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|__道具____|/~~|______|_|世 界 性
~〜~/事物~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~環境
~~~~~~~~~~~〜〜~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |時間性・脱自態
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
Zuhandenheit Vorhandenheit 存在と - Yahoo!検索
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=applpd&x=wrt&p=Zuhandenheit++++++Vorhandenheit+%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8
le monde lunatique 「つねにすでに」ーーハイデガーにおける了解の構造
存在と時間』の読み、私はVorhandenheit(客観性)とZuhandenheit(用具性)という区分 に重きをおいているのですが、それからすると、生物としての「人間」という概念は Vorhandenheitの範疇にはいり、人格をもった人間がZuhandenheitの ...
lunatique.blog20.fc2.com/blog-entry-20.html
le monde lunatique 「つねにすでに」ーーハイデガーにおける了解の構造
存在と時間』の読み、私はVorhandenheit(客観性)とZuhandenheit(用具性)という区分 に重きをおいているのですが、それからすると、生物としての「人間」という概念は Vorhandenheitの範疇にはいり、人格をもった人間がZuhandenheitの範疇として、 存在を ...
lunatique.blog20.fc2.com/?mode=edit&rno=179
Twitter / hat808: (現物は未確認なのだが)熊野純彦訳・ハイデガー『存在 ...
2013年8月9日 ... 現物は未確認なのだが)熊野純彦訳・ハイデガー『存在と時間』ではZuhandenheitに「 手もとにあるありかた」、Vorhandenheitに「目のまえにあるありかた」をあてている① https://twitter.com/ladissemination/status/365730461193994240 …
twitter.com/hat808/status/365859084106346496
Twitter / komorikentarou: 「ポストヒューマニティーズ」の私の論で、原語 ...
2013年7月31日 ... ポストヒューマニティーズ」の私の論で、原語に「存在」が用いられていないVorhandenheitを事物的存在、Zuhandenheitを道具的存在という訳語をあてたのは まずかった。前者を事物的存在者もしくは物在、後者を道具的存在者もしくは用在と ...
twitter.com/komorikentarou/.../362767022167306241
Cahier No.9: ウサギ、アヒル、そして世界の閃き(Aufleuchtung der Welt)
彼独特の難しい用語でいうと、モノの「事物的存在性(Vorhandenheit/presence-at- hand)」よりも、「道具的存在性(Zuhandenheit/readiness-to-hand)」に注目せよ、と 言ったのです。 ところで、ある道具が道具として問題なく機能している時、 ...
cahier9.seesaa.net/article/52254456.html
a.k.a. Shirae(@ttt_cellule)/2012年01月22日 - Twilog
RT @contractio: 〈Zuhandenheit/Vorhandenheit〉:〈手もと存在/手前存在〉ではご 不満か? posted at 02:43:22 · 1月22日 · @ttt_cellule · a.k.a. Shirae@ttt_cellule · @contractio なので普通に意訳したら「客体」にまでなってしまうので ...
twilog.org>Twilog ホーム>@ttt_cellule
ハイデガー「存在と時間」入門 : 新禧一点 - ライブドアブログ - Livedoor
ある」とは、どういうことか、ということについての著作ですが、存在という言葉の意味が 読むに従ってよく分からなくなってしまいます。 ... は道具的存在者として存在している( すなわち道具として生かされている)のであるが、こうした在り方は「道具的存在性」 Zuhandenheitと呼ばれている。 ... にすぎないところの事物的存在者と化しているので あるが、こうした存在様式は「事物的存在性」Vorhandenheitと呼ばれている。
blog.livedoor.jp/jongprotein/archives/13820407.html
第7回「1963 1 9 水曜日」 - 荻本医院:ラカン勉強会
空間という純粋直観は、感官や感覚などの対象が実際に存在していなくても、われわれ の心意識における単なる感性的形式として、ア・プリオリに ..... このZuhandenheitから Vorhandenheitへの変容こそ道具連関が閃き現れるaufleichtenのであり、世界の閃き ...
「ポストヒューマニティーズ」の私の論で、原語に「存在」が用いられていないVorhandenheitを事物的存在、Zuhandenheitを道具的存在という訳語をあてたのはまずかった。前者を事物的存在者もしくは物在、後者を道具的存在者もしくは用在とすべきだった。
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性の様式 共現存在 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
Zuhandenheit Vorhandenheit
手許に在ること、事物 手先に在ること、道具
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い(関心)
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ 了解〜|~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~先駆的決意| /|~
情状性 <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|__道具____|/~~|______|_|世 界 性
~〜~/事物~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~環境
~~~~~~~~~~~〜〜~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |時間性・脱自態
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
世 界 ー 内 ー 存 在
現存在
日常性の様式 共現存在 ___ 空間
/ \ 内 = 存 在
好奇心 配視 顧視 瞬視>)(<) >>> 視
空談 ( \ \ \ ワ /沈黙/ / ) ) 語り
<_(__\ \___| |__/__)_)
Vorhandenheit Zuhandenheit
手許に在ること、事物 手先に在ること、道具
<_(________ ________>
| ♡良心___責め 倫理
曖昧性 公共性 | |\ / 他者
| | \/気遣い(関心)
| _ | 死 |
(非本来的 / / \ \ 本来的| 自 己
理解)/ /頽落 \ \ 理解| 論理
~~~~~~~/ /~~~~~\ 了解〜|~~~~~~~
~ ___/ /__決断~~~\ \_|_____~~
~/ / / 決意/~先駆的決意| /|~
情状性 <__> /恐れ ~/ 不安_|> //~~
~/___恐れ/不安/ / /_____|__//~~~
~|__道具____|/~~|______|_|世 界 性
~〜~/事物~~~~~~~~~~~~~~~|〜〜~〜~環境
~~~~~~~~~~~〜〜~~~~~~~|~~~~~~~
歴 史 性______時 間 |
過去____現在____未来 |
既在 到来的 |時間性・脱自態
決断____先駆 |
(不決断)_/ |/
将来
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