木曜日, 11月 15, 2012

『永遠平和のために』と歓待の原理(カントとデリダ)

(→ QUINE-DERRIDAカント:インデックスリンク::::::

「歓待のテーマは政治的なものにおいて倫理的なものを分節するのに、もっとも適しているのです。」(デリダ「ユートピアではなく、不−可能なもの」『パピエ・マシン』邦訳下319頁)

デリダは「万国の世界市民たち、もう一努力だ! Cosmopolites de tous les pays, encore un effort!」☆(邦訳「世界」1996.11)など☆☆で、多国間で訪問は許されるが宿泊は許されない☆☆☆☆というカント『永遠平和のために』(1795)☆☆☆の条項を引用している。

  「世界市民の法=権利は普遍的な歓待(Hospitalität)の諸条件に制限されなければならない。」(カント『永遠平和のために』第二章第三確定条項)@

デリダは無論こうしたカントの歓待の原理を不十分だとする。 この態度はデリダが第三批判における「嘔吐」にこだわった態度と似ている(『エコノミメーシス』)。柄谷行人☆☆☆☆☆が王道を行くならデリダは覇道を行くことで身体性を回復しようとしているのだ。むろん彼なりの修辞学で、、、、



☆☆☆☆☆:
<しかし、カントの考えは、たんに、単独行動主義に対する多国間協調主義のようなものではありません。国際連盟や国際連合がカントの「国家連盟」の構想にもとづくのは確かですが、彼は別にそのようなものを目標としていたのではなかった。彼がそれを提起したのは、現実主義的な妥協案としてにすぎません。

互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大しつつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることをまったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面ではin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべてが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。(『永遠平和のために』、宇都宮芳明訳)@@>

(柄谷行人『世界共和国へ』より。カントの引用は第二章第二確定条項より)

《カントの見たフランス革命
  カントが『永遠平和のために』を書いたのは、一七八九年のフランス革命以後の情勢においてです。つまり、それはカントが、集権的な国家によって平等を性急に実現しようとするジャコバン主義的な恐怖政治を見たあとです。カントは直接にそれについて言及していない。そのため、ヘーゲルによるカントの批判、つまり、カントの主観的道徳論あるいは理性主義はロベスピエールのような恐怖政治を必然的にはらむというような批判が行き渡っています。むろん、そうではない。カントは、国家権力をにぎって強行する革命に反対したのです。
  カントは、フランス革命が性急な「外的革命」として、その誤謬を修正するのに数世紀もかかるようなものであったと批判すると同時に、それが無限に遠く離れた未来であるにせよ、この地上に実現されるであろう「神の国」(世界共和国)への第一歩となったことを評価したのです。この二つの観点が重要だと思います。それは、カントの言い方でいえば、統整的理念と構成的理念の区別厳密には、理性の統整的使用と理性の構成的使用にかかわる問題です。》
(柄谷行人『世界共和国へ』より)

柄谷行人『世界史の構造』など
http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/Karatani.htm
 カントの永遠平和論はしばしば非現実的な理想論と見なされているが、柄谷によれば、カントのいったことは「自然の狡智」を通して実現されたという。一九世紀末の帝国主義の時代に支配的となったのは大国の覇権争いであり、その結果が第一次大戦だったが、その未曾有の破壊の経験から国際連盟が登場した。その国際連盟は無力で第二次大戦を防ぐことができなかったが、その結果として国際連合が形成された。この国際連合も無力だが、それを嘲笑して無視し続けるなら、世界戦争になるだろう。それは新たに国際連合を形成することにつながるだろう。こうして、カントの見方には、ヘーゲルのリアリズムよりももっと残酷なリアリズムが潜んでいる、と論じられている(S2四五三‐四五五頁)。

この『世界史の構造』の該当箇所は重要である。

ヘーゲル法哲学#324
《…永久平和はしばしば、人類が近づいてゆかねばならない理想として要求される。こうしてカントは、国家間の争いを調停すべき君主同盟(6)を提案したし、神聖同盟もほぼこうした機関たろうとする意図をもっていた。しかし国家は個体であって、個体性には否定のはたらきが本質的に含まれている。それゆえ、たとえ一群の国家が一つの家族に作りあげられるとしても、この結合体は個体性としては、おのれにとって対立物を作り出し、敵を産み出すにちがいない。…》

ヘーゲルエンチクロペディ#209
《…主観的な目的は、客観的なものが互いに磨滅しあい止揚しあうこれらの過程の力として、自分自身はこれらの過程の外にありながら、しかもこれらの過程の中で自己を維持するものである。これが理性の狡智である。》

☆☆☆☆:
2:3
<…だが外国人が要求できるのは、客人の権利(この権利を要求するには、かれを一定の期間家族の一員として扱うという、好意ある特別な契約が必要となろう)ではなくて、訪問の権利であるが、この権利は、地球の表面を共同に所有する権利に基づいて、たがいに交際を申し出ることができるといった、すべての人間に属している権利である。>(第二章第三確定条項より)
☆☆☆:
永遠平和のために
    一哲学的考察
カント (著)/ 宇都宮芳明 (訳) 岩波文庫
(原題ZUM EWIGEN FRIEDEN)1795
目  次

  永遠平和のために

 第一章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む
  第一条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約と見なされてはならない 。
  第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない。
  第三条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。
  第四条項 国家の対外戦争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
  第五条項 いかなる国家も、他の国家の体制や政治に、暴力をもって干渉してはならない。
  第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない 。

 第二章 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む
  第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
  第二確定条項 国際法、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。@@
  第三確定条項 世界市民法は、普遍的な普遍的な 友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。@☆☆☆
  
  第一補説 永遠平和の保証について
  第二補説 永遠平和のための秘密条項(1796)

   付録 一 永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について
      二 公法の先験的概念による政治と道徳の一致について

解 説
訳 注

☆☆:
<彼〔異邦人/訪問者〕は滞在権を認められるのではなく、訪問権だけを認められるのです。カントはこの点で数々の截然たる区別を行っています。私はこれを「条件つきの歓待」と呼んで、「無条件の」歓待あるいは「純粋な」 歓待と呼ぶものに対置したいのです。これは条件なしの歓待であり、たと え新来者が市民でなくとも、それが誰であるかを同定しようとは求めないものです。>
(ジャック・デリダ、「ジャック・デリダとの対話― 歓待、正義、責任」『批評空間』(第II期 23 号)、太田出版、1999)

他に、ジャック・デリダ、『歓待について』、廣瀬浩司訳、産業図書、1999、参照。

☆:
 デリダ「万国の世界市民たち、もう一努力だ!」(「世界」1996.11)











追記:
柄谷行人はソクラテスの影響を強調するが、デリダにはサルトルの影響がある。
カントからの影響はドゥルーズの方が深刻に受け止めている。
サルトル「自らの時代のために書く」Sartre “Écrire pour son époque” 1948
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/sartre-ecrire-pour-son-epoque-1948.html

60 Comments:

Blogger yoji said...

http://archive.2ch-ranking.net/philo/1284105112.html


47 : 考える名無しさん [] 2010/09/23(木) 01:10:12 P
これだけでしめてしまうのはさすがに45さんには失礼だと思うので 
付け加えさせてもらえば、ドゥルーズは哲学者という限定を引き受けていた 
という点において偉大であったということですね。デリダは難民のための 
避難都市をつくろうというので「万国の世界市民たち、もう一努力だ!」なんていう 
エッセイを書いてしまう「良心的知識人」ではあるけれども、「哲学者」である 
ドゥルーズは絶対にそういうことは書かない。そういう意味において 
ドゥルーズは偉大な「哲学者」であった、哲学者として自身を切りとじていたという 
ことなんだと思います。ちなみにドゥルーズに卓見した「主観」はないでしょう。 
主客未分化な、あるいは主客の結晶しかなかったと思いますけど。

5:39 午前  
Blogger yoji said...

http://www.asahi-net.or.jp/~dq3k-hrs/derrida/sekaishimin.htm

テクスト「万国の世界市民よ、もう一努力だ」
●       問題
・ 「避難都市」の問題:亡命知識人の保護の場所としての「都市」
・ 「難民」の問題:
→ 国家主権に基づかない国際法、「本国送還なき、帰化なき庇護権」は可能か
現代における「コスモポリタニズム」の可能性。
・ 「歓待」:移民労働者や難民の滞在権の問題
→「歓待とは文化そのもの」「倫理=歓待」
●      構成
1)              現代における「世界市民主義」と「都市」
庇護と歓待
2)              アーレント『全体主義の起源2』(みすず書房)第五章「国民国家の没落と人権の終焉」の分析(300-
3)              課題の緊急性とアーレント以後の「庇護権」の歴史(303-305)
4)              ベンヤミンと「警察の暴力」(『暴力批判論』『法の力』(306-307)
5)              「歓待とは文化そのもの」「倫理とは歓待である」(307)
6)              「避難都市」の歴史(308-309)
a) 「民数記」
b) レヴィナス『逃れの町』など
7)              カント『永遠平和のために』読解(310-312)
●      参考文献
1)  デリダが論じている本
�       アーレント『全体主義の起源2』(みすず書房)
�       ベンヤミン『暴力批判論』(岩波文庫)
�       レヴィナス「逃れの町」、『聖句の彼方』(法政大学出版局)所収
�       カント『永遠平和のために』(岩波文庫ほか)
2)  関連図書
�       デリダ『法の力』(法政大学出版局)
�       デリダ『歓待について』(産業図書)
�       デリダ『言葉にのって』(ちくま学芸文庫)(とくに91頁以下)
�       デリダ「世紀と赦し」『現代思想』2000年11月号所収
�       『現代思想』2002年11月号、特集「難民とは誰か」
�       加藤節、宮島喬編『難民』(東京大学出版会)
�       小野紀明『二十世紀の政治思想』(岩波書店、岩波テキストブックス)
�        

5:04 午後  
Blogger yoji said...

デリダ邦訳文献
http://www.geocities.jp/agrippa0510/

26.    「大学の瞳=被後見人―「根拠律」と大学の理念―」 「思想」8404(→『他者の言語』に収録
64.    「INTERPRETATIONS AT WAR カント、ユダヤ人、ドイツ人」 「現代思想」9305・9306・9307・9308(Phénoménologie et Politique Mélanges offerts à Jacques Taminiaux)
80.    「信仰と知 たんなる理性の限界内における「宗教」の二源泉」 「批評空間」9610・9701・9704・9707(La religion)(Foi et savoir)

5:32 午後  
Blogger yoji said...

寛容、もしくは歓待の掟について―マルクーゼ、 ハーバーマス、デリダを ... (Adobe PDF) -htmlで見る
あるが、そのなかの「永遠平和のための第三確定条項」では次のように記され. ている。 世界市民の法=権利は普遍的な歓待(Hospitalität)の諸条件に制限されな. ければ ならない。27. 当条項を読むさい重要なことは、カントがこの歓待を異邦人に対するある 種 ...
ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/.../山本%2008.pdf

5:35 午後  
Blogger yoji said...

デリダ邦訳文献
http://www.geocities.jp/agrippa0510/


27.    「哲学を教えること―教師、芸術家、国家―カントとシェリングから―」 「思想」8404(→『他者の言語』に収録)

たんたる理性〜への言及あり

5:51 午後  
Blogger yoji said...

http://www32.atwiki.jp/lacan/pages/12.html
ラカン試訳 - カントとサド

 パンフレットは劇的ではある。しかしその中では舞台照明により、身振りとしての対話が想像できる限りまで続くことを許されている。その照明はすぐに消え、パンフレット中のパンフレットの《フランス人よ、共和主義者たらんとすればさらなる努力を》という題名の攻撃文書に道を譲る。 
 そこでなお述べられることは、高く評価されないにしても、普通は一つのまやかしとして理解されている。ここで歴史的な現代性のあざけりのうちに同種のものの徴候を見ようとして、現実的なものに対するより近い関係を指摘することで、夢の中の夢に認められる効果に注意を喚起される必要はない。まやかしは明らかであり、そのテキストを二度見るほうがよいだろう。 
 この攻撃文書の肝腎なことは、言うなれば、享楽への規則を提示する格率のなかに見られるのである。それを普遍規則として提示することにより、そこにカントのモードについての権利が現れることが奇妙ではあるが。その格率とは次のように言われる。 
 《私はあなたの身体を享楽する権利を有する、と誰もが私に言うことができる。そしてその権利を私は行使する。私がそれを満足させようとする意欲を持っているという濫用の気まぐれのなかで、いかなる限界によっても止められることなしに。》 
 そのような格率は、わずかでも社会にその束縛による効果が与えられるのであれば、すべての人の意志を制圧することが主張される規則である。 

9:23 午後  
Blogger yoji said...

http://nam-students.blogspot.jp/2010/02/quine-derrida.html
NAMs出版プロジェクト: QUINE-DERRIDA






  W. V. QUINE,
Harvard University.
Traduit par Jacques DERRIDA et Roger MARTIN.

1964年にデリダはクワインの論文(というよりエッセイ)をフランス語に翻訳(Roger Martinとの共訳)している。クワインは後にデリダがケンブリッジ大学で名誉博士号を得ることに反対するが、この時は共闘関係があったことになる。
クワインの論文"Les Frontières de la théorie logique "は、英語では発表されていないとWEBにあったがどうなのだろうか?(内容はヘーゲル,フッサールを枕に、ゲーデルらを含む近代の論理学の歴史を扱っているようだが。)
元原稿は1962年イェール大学での講演記録のようだが、どこかに英文の原文があれば翻訳したいと思う

12:09 午前  
Blogger yoji said...

ジャック・デリダ - Wikipedia
フーコー
『狂気の歴史』にたいしてデリダが1963年コレージュ・ドゥ・フィロゾフィックにおける書評講演『コギトと「狂気の歴史」』[26]を行った。フーコーは「狂気の歴史」第二章の冒頭において、デカルトのコギトが狂気や異常さ、錯乱、不条理などを哲学の領域の圏外へと排除された旨の記述をしているが、このフーコーのデカルトの言及についてデリダは、まず、「デカルトの意図に関してそこに提出されている解釈は正当化されるか?という、いわば偏見の問題」を提起し、この偏見について、「ひとはシーニュ(兆候・記号)を理解しているだろうか?デカルトがいい、またいおうとしたことを理解しているだろうか」としながら、兆候を理解するには、たとえば精神分析家は患者のことばをしゃべらなくてはならないとする[27]。また「デカルトの意図が兆候として理解されれば、それの属する歴史的構造とそく関係を持つことになるだろうか?つまり、ひとが付与しようとする歴史的意味を持つだろうか?」と問いを出す。次にデリダは、「フーコーの企図はあまりに豊かであり、ひとつの方法とか、語の伝統的な意味でのひとつの哲学によってさえ先立たれるにはあまりに多方面にわたる兆候を示している」[28]として「デカルト的な型のコギトがコギトの最初にして最後の形ではない」という。またフーコーが「近づきえない原初的な純粋さ」として狂気を語り、理性がロゴス的絶対者に依拠することのない(頼るべきもののない)相対性に自身を位置づけることについて、しかし誰がその依拠不可能性を語るのか?誰がそのような言表不可能な狂気について語りうるのか?」と問いかける。フーコーはこのような語りの困難について鋭敏ではあるが、この問題については方法論的・哲学的な前提条件としての特徴を認めようとしていないなどとデリダは批判した[29]。フーコーはこうしたデリダに批判に対して「私の身体、この紙、この炉[30]」を執筆し、また「デリダへの回答[31](1971)」を日本の雑誌「パイデイア」に寄稿した。デリダの批判に激怒したフーコーは以後、絶交し、デリダの論文掲載を編集者として拒否したこともあった[32]。またデリダの論敵であったサールとの対談ではデリダの方法を「テロリスト的な蒙昧主義」と評した[33]。しかしフーコーはデリダがのちにチェコスロバキアで収監されたときには救援活動を行った。
ジョン・サール
デリダ/サール論争は、1971年から1977年にかけて行われた。中山元によればサール(オースティン)の「真面目」への批判は、1981年にガダマーとの論争における「よき意思」への批判と連携している[25]。サールはフーコーの「テロリスト的な蒙昧主義」という表現をうけて、「デリダはあまりに曖昧に書くため、読者はなにを理解したのかいうことができないほどであり、これが蒙昧主義ゆえんである。また、デリダを批判すると、彼は必ず「あなたは理解していない」つまり「あなたは馬鹿」という。これがテロリズム的側面である」といっている[33]。
ケンブリッジ大学での名誉博士号授与の選考委員会ではクワイン、デヴィッド・アームストロング、ルネ・トムら18人の教授から反対表明が出され、デリダの仕事は明晰さと厳密さの基準を満たしていない、まるでダダイストのようなトリッキーでギミックに満ちたものであり、この哲学は虚偽かトリヴィアルなものにすぎない、真理や理性の価値への挑戦であり、授与に値しないとした[34]。
ノーム・チョムスキーは単純なアイデアをむやみな修辞で記述しているとした。
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、ケンブリッジ大学のデリダへの名誉博士号授与に対して、「理性、真理、学問の諸価値への理解しがたい攻撃にすぎない」[35]という反対声明に署名している。
リチャード・ローティは『偶発性、アイロニー、連帯』のなかでデリダを批判。
批判というより揶揄したものに、

11:32 午後  
Blogger yoji said...

音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

10:58 午前  
Blogger yoji said...


http://www43.atwiki.jp/miraijin/pages/14.html


  Q.次の日本の首相や政権交代の時期は?
  A.首相は今の民主党議員が入れ替わりで就任する。それが終わると自民党に移る(長期政権?)

  Q.麻生さんや安倍さんはまた首相をやることがありますか?
  A.ない、しかし2010年の自民党で最も有力な人物が圧倒的な支持力をキープして長く首相を務める
    4年以内にわかるだろう

10:20 午前  
Blogger yoji said...

http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/599.html
カントによる批判と評価
 ヨーロッパ中に知れ渡ったこの出来事に深い関心を抱いたカントは、かなり大がかりな
調査を姶めた。三九歳のカントが、その後援者の娘クノープロッホ嬢宛の手紙でこの事件
の詳細な調査報告をしたのは、大火の四年後である。彼はその中で、スウェーデンボルグ
の千里眼は「何よりも強力な証明力を持ち、およそ考えられる一切の疑念を一掃してしま
うように思われる」(『視霊者の夢。B版収録のカントの手紙)と述べている。
 この手紙の中でカントはまた、スウェーデンボルグに手紙を書き、自分の質間事項にス
ウェーデンボルグが新刊書の中で答えるという約束をとりつけた、とも述べている。カン
トの依頼を受け実際にスウェーデンボルグに会った友人の伝えるところによると、スウェ
ーデンボルグは「理性的で、親切で、率直な」人物であったという。
 ところが二年経っても、スウェーデンボルグが新刊書の中でカントの質問に答えた形跡
もなく(おそらく単純な失念と思われる)、またスウェーデンボルグの著作を送るという前述の
友人の約束も果たされなかった。苛立った(いらだった)カントは八巻もの分厚い『天界の秘義』を自ら
買い込んで読み、一七六六年にスウェーデンボルグヘの枇判書『視霊者の夢』の出版に踏み切ったのである。
 カントの批判の痛烈さは、次のような言葉に反映している。「この著者の大著はナンセン
スに満ち」「完全に空で理性の一滴も含まない」。実際、カント学者K・フィッシャーは『視
霊者の夢』を評して、カントにとって形而上学とスウェーデンボルグは「一撃でぴしゃり
と殺されるべき二匹のハエ」だった、と述べている。
 しかしカントは、表面上はともかく、スウェーデンボルグの心霊能力や思想に対しての
みならず、霊的な存在一般に対して終始、両面価値的(アンビヴアレント)な態度を見せている。すなわち、カ
ント自身、超自然的なものをどう処理してよいか、まだ確信が持てなかったのである。だ
からこそカントは、スウェーデンボルグの「大著は理性の一滴も含まない。それにもかか
わらず、その中には、同様の対象に関して理性の最も精細な思弁がなしうる思考との、驚
くべき一致が見られる」(『視霊者の夢』B版)と述べざるをえなかったのである。この批判書
において彼はまた、スウェーデンボルグの千里眼に関して、「真実であるという完全な証明
が容易に与えられるに違いない種類」の出来事である、と明言している。
 その思索の方法は異なるものの、カントの哲学とスウェーデンボルグの思想には、英知
界と感性界(スウェーデンボルグでは霊界と自然界)というニ世界の分立、時間と空間の観念性、
霊魂の不死に関する思索、宗教における道徳性の強調などの点で、本質的に共通している
部分がある。
 カントは『視霊者の夢』出版の四年後、ケーニヒスベルク大学の教授になり、そののち
一〇年以上の長い沈黙期間を経て『純粋理性批判』を出版し、不動の名声を確立した。こ
の沈黙の期間の講義で彼が再びスウェーデンボルグに言及し、次のように評したことは注
目に値しよう。
「スウェーデンボルグの思想は崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、
この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である、と彼は述べている」(K・
ぺーリツ編『カントの形而上学講義』)。
 

10:23 午前  
Blogger yoji said...

http://www.geocities.jp/ixtutou144/kant1.htm

10:23 午前  
Blogger yoji said...



(絶版になっているので入手困難につき勝手に引用させていただきます)
「スウェーデンボルグの思想」1995年
高橋和夫
講談社現代新書1235番   第一刷発行
P200-P206

10:24 午前  
Blogger yoji said...

http://kagehinata64.blog71.fc2.com/blog-entry-120.html














・何故「ヒアアフター(来世)」というタイトルなのか

一番違和感を感じたのはこれだったりします。
この映画では「生きている人」に焦点が当たっていて、ドラマの向かうべきところは来世ではないと思います。
*追記「here after」という言葉から「今からの生き方」「今後」「将来」というふうにも解釈できると思います。
単純にタイトルの意味を「来世」ととらえないほうがいいかもしれません。


・ジョージや、周りの人たちの気持ち

この映画で優れていると思ったのは「死者と交信をすることで、傷ついてしまう」人たちの姿を描いたところ。
彼の兄は商売に役立てたいのだけど、ジョージは「これは能力なんかじゃない、呪いだ」と言っている。
初めてこれを言ったときに、この言葉に共感する要素は少ないです。
ですが料理教室で出会ったメアニーのエピソードでそれを痛感させてくれます。
死んだ人ともう一度会いたいと願う人はいるでしょうか、これを見ると「悲しいだけで、いいことなんてないんじゃないか」そう思います。

それでも、双子の兄のジェイソンが、弟のマーカスを救ってくれたことを教えてくれたのは、本当によかったと思いました。



・ジョージは何故料理教室に通っていたの?

おそらく彼は家庭を持ちたいと願っていたのでしょう。
しかし彼の呪いの重さはメアニーとは共有することができなかった・・。
彼はこの能力を背負って生きなければならかったのです。



・ジョージが好きなチャールズ・ディケンズ

何故ジョージが作家のディケンズが好きなのかは明かされませんでしたが、彼の代表作の「クリスマス・キャロルは「死んだあとの世界を見せる」という物語です。
作中に登場した絵画のディケンズの夢も、彼が共感したもののひとつだったのでしょう。
彼が共感することが、ディケンズの物語の中にあったのだと思います。



・死者の世界の描写

オカルト的要素を期待した人にはちょっとがっかりかも。
白い靄がかかったような世界をちょっぴり見せるだけですからね。
ほとんどはマットデイモンの「語り」で死者の言葉が生きている人に伝わります。
自分はこの語り口が気に入っています。



・ラスト。ジョージとマリーの再会。

直前の「キスをしたと思わせる」シーンはちょっと蛇足なんじゃないかとも思いました。
意味深ですが、人によって解釈は異なるでしょう。
これから「惹かれあう」のであって、2人の再会は「始まり」にしか過ぎないのだとおもいます。
そう解釈するなら、あのキスはきたる未来の暗示なのかも。

メアニーという、もっと恋人に近い存在の彼女を登場させたのに、フェードアウトしてしまったのも残念。

本来感動的であるはずのラストで、そんな余計なことを考えてしまった自分はちょっと損をしているのかもしれません。

「手を取ること」はジョージにとって死者と「繋がる」ための方法だった。
それでもラストでは生きる者と繋がるために、自ら彼女の手を取った・・・。

そう考えると、とてもいいラストシーンです。

12:06 午前  
Blogger yoji said...

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen15.html


スウェーデンボルグの死後の世界

ブルース・ヘンダーソン・著  鈴木泰之・訳  たま出版  1994年刊

●天界に行くか地獄に行くかを決定するものは、あなたが自分の人生の中で「何を行なうか」ではなく、「なぜそうするのか」である。
●天界でも地獄でも、あることを考えながら、しかもそれと違うことを行なうといった分離した心を持つことは許されない。基本的に善であるどんな間違いや悪も、次第に天界の真理と情愛に入れ替わってゆきます。
 生活と愛を通して地獄を選んだ人には、これと逆のことが起こります。

●この世で固めてしまった性格を、死後に変えることはできません。あなたの愛したものがあなたを定めており、死後何か他のものを愛そうとするなら、あなたの生命に反してくるからです。

●どの人も、霊としての外側と内側を持っている。霊の外側とは、その世界で他人と付き合ってゆくために適応させる自分の身体(特に顔つき・話し方・態度)である。けれども霊の内側とは、その人固有の意図とその結果としての思考であって、これはめったに顔つき、話し方、また態度の中に明らかとなるものではない。人は子供のときから、自己固有の意図から考えることを隠して、友情・親切・誠実を装うことに慣らされている。そこで、習慣の問題として、自己の内面がどのようなものか気にもしないで、外面では道徳や市民生活を身につける。この習慣が、人の中に深く隠れているものや外面的なものに対するその人の意図について無知であることの源泉となっている。

●この世の極悪人ですら、外面的には賞賛に値する生活を送るでしょう。付き合いをよくし、親切にし、宗教儀式をおろそかにせず、よい評判を得ようとします。殺人を犯した者が「善良な人物」と見なされていたことを何度も聞いたことが有るでしょう。
 このように、外側の生活は衣服を着るようなものであって、とうてい本当のその人を示すものではありません。内部の人である本当のその人が、天界あるいは地獄に自分のためにすでに用意されている住まいを見つけるのです。
 この世では、自分の本当の気持ちを偽ることが容易にできます。来世では不可能です。

●スウェーデンボルグは、天界に行くか地獄に行くかを決定するものは、あなたが自分の人生の中で「何を行なうか」ではなく、「なぜそうするか」である、と説明しています。

●(私たちの「内部の記憶」とでもいうべき「生命の書」が)他界で開かれ、それに従って裁かれる。人はほとんどこのことを信じることができないが、まったく本当のことである。

 その人にとって明確でなかった目的であっても、またその人が考えたことも、すべてのものが、その人の話し行なったあらゆるものと一緒になって、最も些細なことまでもその書の中にあり、そして主が許されるときにはいつでも、天使たちの前で白日の下に晒されるかのように、その書に内容が明らかにされる。このことは何度も私たちに示され、少しの疑いも残らないほど多くの経験で立証されている。

●スウェーデンボルグは、「主が最後の審判について予告されたとき、働き以外のものは調べない、また、よい働きをなした者は永遠の生命に入り、悪い働きをなした者は永遠の刑罰に入る(マタイによる福音書25章32~46)、と表明された(中略)」と言っています。

●最も高潔な人でさえ、ときどき心の中で「決してだれも気がつくはずがない」と考えて、地獄の誘惑を感じることがあります。ともすればこれは、私たちみんなを「自分は善人でない」と感じさせてしまいます。しかし、私たちの心に浮かんでくるものについて私たちに責任はなく、ただ私たちの生活の一部に選び取ったものについてだけ私たちに責任がある、と聖書は教えており、スウェーデンボルグがこれを確証しています。

●だれも悪の生活に対する罰としてあなたを地獄に送り込むことをしません。人はただ自分が本当に地獄に行きたいから地獄に行くのです。自分の選んだ生活が地獄にあるから、地獄に行きたいのです。そこが故郷だからです。
 地獄は、嘘つき、泥棒、人殺し、姦淫する者、詐欺師など、他人を傷つけることを平気でやって、自分を満足させる人々の故郷です。(中略)
 神がたえず私たちを天界に引き上げようとなされている間、地獄はたえず私たちを引きずり込もうとしています。
 あざむき、嘘つき、他人を傷つけるといった、私たちが悪いと知っていることを行なうとき、特にこれらを何の良心のとがめもなく喜んで行なうとき、地獄に味方し、地獄を自分に引き寄せています。(中略)
 地獄に行く人たちはこの世で地獄への道を歩み始める、ということにスウェーデンボルグは同意します。彼らはもっぱら自己中心の生活を送ることでこの道を歩み始めます。
 

5:07 午後  
Blogger yoji said...

ベアテ・シロタ ゴードンさんがお亡くなりになったのは本当に残念だ。これから必要になる人だった。改憲派には彼女の本を読んで欲しい。国家を越えた理想としての憲法… http://t.co/46TksVzj 1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝:

8:31 午後  
Blogger yoji said...

大分大学
熊谷教子
カントの思考世界と日本


http://ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf

基礎的文献


 訪問の権利は,地球上の表面を共同に所有する権利に基づいて,たがいに交際を申し出る
ことができるといった,すべての人間に属している権利である。地球の表面は球面で,人間
はこの地表のうえを無限に分散していくことはできず,結局は併存して互いに忍耐しあわな
ければならない。人間はもともとだれひとりとして,地上のある場所にいることについて,
他人よりも多くの権利を所有しているわけではない。
(『永遠平和のために』)

 外国人が他国に足をふみいれる際にみとめられるのは,所有の権利ではなく、あくまでも訪
問の権利の枠内にとどまるべきだ,とカントはいう。ただ現実の社会情勢は,カントの主張
とぱおおきく隔たっている。ヨーロッパ諸国は,交易や布教活動の名のもとに自国や自派の勢
力拡大を世界の各地でくりひろげる。カントにはそれらの行為は,人格をもつ国家を物件とみ
なす行為に思えた。

 われわれの大陸の文明化された諸国家、とくに商業活動の盛んな諸国家の非友好的な態度
を比較してみると,かれらがほかの土地やほかの民族を訪問する際に(訪問することは,か
れらにとって,そこを征服することと同じことを意味するが)示す不正は,恐るべき程度に
まで達してしている。アメリカ,アフリカ、香料諸島(モルッカ諸島)、喜望峰などぱ,それら
が発見されたとき,かれらにとってはだれにも属さない土地であるかのようであったが,そ
れはがれらが先住民たちを無に等しいとみなしたからである。東インド(ヒンドゥスタン)
では,かれらは商業支店を設けるだけだという口実の下に軍隊を導入したが,しかしそれと
ともに先住民を圧迫し,その諸国家を扇動して,広範な範囲におよぷ戦争をおこし,飢え、
反乱,裏切り.そのほか人類を苦しめるあらゆる災厄と同様の悪事をもちこんだのである。
 それゆえ中国と日本(ニポン Nipon)が,これらの来訪者をためしたあとで,つぎの
措置をとったのは賢明であった。すなわち中国は,来航は許したが入国は許さず,日本は来
航すらもヨーロッバ民族の一民族にすぎないオランダ人だけに許可し,しかも,その際かれら
を囚人のようにあつかい,自国民との交際に制限をあたえたのである。
(『永遠平和のために』)


 近代になってヨーロッパの海外進出をくい止める措置として,清朝中国や徳川政権下の日本
をはじめ東アジアのいくつかの国が,鎖国政策をとったことをカントは「賢明な措置」として
肯定している。かれはケンペルの旅行記をとおして,日本が鎖国政策に踏み切った理由をかれ
なりに理解していた。ケンペルは『日本誌』の付録第二章「もっともな理由のある日本の鎖国」
でつぎのような見解をのべている。

 日本人の場合は,異国との交わりは、ただ生活のため,便益のため、贅沢のために必要な
物資を入手する方便であることは,だれも否定しないであろう。日本の場合には,外国から
もたらすものは,法律は自分の国の国造りのため,宗教は心の安らぎのため,学問は教養の
充実のため,機械技術は生活の必要を充たし,生活に輝きをあたえるため、生産物は衣食生
活に潤いをあたえるため,薬剤は健康をたもつためにほかならない。
 人類の繋りの基盤がここに置かれているならば,自然にめぐまれ,あらゆる種類の必要物
資を豊富に授かっており,かつその国民の多年にわたる勤勉な努力によって国造りが完成し
ている国家としては,自分からは何も求めるものがない外国にたいしては,外国人どもの計
略にのらず,貪慾をはねかえし,騙されないようにし,戦いをしないようにして,その国民
と国境を守ることが上策であり,また為政者の義務でもある。
 その国の位置やその他の条件が,このような隔離を許す状態であり,この国の国民が非常
に強くかつ勇敢で,この隔離状態をまもりとおせるならば。それはたしかに納得できる国家
の行き方であろう。日本は他の世界諸国に比べて、このような有利な条件に恵まれている国
である。@

 このような賛美ともとれる日本理解とかれの鎖国権護論は,ケンペル自身が「現にわたしが
耳にした限りでも,最近の学者のなかにも何人か,目本の鎖国を非難する議論を展開している
ものがある」@@とかたっているように,ヨーロッバでは賛否両論意見がわかれるところであっ
だ。ヨーロッパ中心主義がつよまる十八世紀半ばをすぎるとなおさらである。


@
1)E、Kampfcr,Geshichte und Bcschreibung von Japan,Bd.2,Lemgo 1779,S.395.
  ケンベルの鎖国論は,最初『廻国奇観』に掲載されていが,C.W,Dohmが『日本誌』のドイツ語版
 を編集するさいに,『日本誌』の末尾に収録して出版した。したがって,この論文では,ドーム版『日
 本誌』のページ数をしめすことにする。
@@
2)Phvsische Geogmphie in: Kants Werke Bd.IX,S.159.

8:57 午後  
Blogger yoji said...

大分大学
熊谷教子
カントの思考世界と日本


http://ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf

基礎的文献


 「訪問の権利は,地球上の表面を共同に所有する権利に基づいて,たがいに交際を申し出る
ことができるといった,すべての人間に属している権利である。地球の表面は球面で,人間
はこの地表のうえを無限に分散していくことはできず,結局は併存して互いに忍耐しあわな
ければならない。人間はもともとだれひとりとして,地上のある場所にいることについて,
他人よりも多くの権利を所有しているわけではない。」
(『永遠平和のために』)

 外国人が他国に足をふみいれる際にみとめられるのは,所有の権利ではなく、あくまでも訪
問の権利の枠内にとどまるべきだ,とカントはいう。ただ現実の社会情勢は,カントの主張
とぱおおきく隔たっている。ヨーロッパ諸国は,交易や布教活動の名のもとに自国や自派の勢
力拡大を世界の各地でくりひろげる。カントにはそれらの行為は,人格をもつ国家を物件とみ
なす行為に思えた。

 「われわれの大陸の文明化された諸国家、とくに商業活動の盛んな諸国家の非友好的な態度
を比較してみると,かれらがほかの土地やほかの民族を訪問する際に(訪問することは,か
れらにとって,そこを征服することと同じことを意味するが)示す不正は,恐るべき程度に
まで達してしている。アメリカ,アフリカ、香料諸島(モルッカ諸島)、喜望峰などぱ,それら
が発見されたとき,かれらにとってはだれにも属さない土地であるかのようであったが,そ
れはがれらが先住民たちを無に等しいとみなしたからである。東インド(ヒンドゥスタン)
では,かれらは商業支店を設けるだけだという口実の下に軍隊を導入したが,しかしそれと
ともに先住民を圧迫し,その諸国家を扇動して,広範な範囲におよぷ戦争をおこし,飢え、
反乱,裏切り.そのほか人類を苦しめるあらゆる災厄と同様の悪事をもちこんだのである。
 それゆえ中国と日本(ニポン Nipon)が,これらの来訪者をためしたあとで,つぎの
措置をとったのは賢明であった。すなわち中国は,来航は許したが入国は許さず,日本は来
航すらもヨーロッバ民族の一民族にすぎないオランダ人だけに許可し,しかも,その際かれら
を囚人のようにあつかい,自国民との交際に制限をあたえたのである。」
(『永遠平和のために』)


 近代になってヨーロッパの海外進出をくい止める措置として,清朝中国や徳川政権下の日本
をはじめ東アジアのいくつかの国が,鎖国政策をとったことをカントは「賢明な措置」として
肯定している。かれはケンペルの旅行記をとおして,日本が鎖国政策に踏み切った理由をかれ
なりに理解していた。ケンペルは『日本誌』の付録第二章「もっともな理由のある日本の鎖国」
でつぎのような見解をのべている。

 「日本人の場合は,異国との交わりは、ただ生活のため,便益のため、贅沢のために必要な
物資を入手する方便であることは,だれも否定しないであろう。日本の場合には,外国から
もたらすものは,法律は自分の国の国造りのため,宗教は心の安らぎのため,学問は教養の
充実のため,機械技術は生活の必要を充たし,生活に輝きをあたえるため、生産物は衣食生
活に潤いをあたえるため,薬剤は健康をたもつためにほかならない。
 人類の繋りの基盤がここに置かれているならば,自然にめぐまれ,あらゆる種類の必要物
資を豊富に授かっており,かつその国民の多年にわたる勤勉な努力によって国造りが完成し
ている国家としては,自分からは何も求めるものがない外国にたいしては,外国人どもの計
略にのらず,貪慾をはねかえし,騙されないようにし,戦いをしないようにして,その国民
と国境を守ることが上策であり,また為政者の義務でもある。
 その国の位置やその他の条件が,このような隔離を許す状態であり,この国の国民が非常
に強くかつ勇敢で,この隔離状態をまもりとおせるならば。それはたしかに納得できる国家
の行き方であろう。日本は他の世界諸国に比べて、このような有利な条件に恵まれている国
である。」@

 このような賛美ともとれる日本理解とかれの鎖国権護論は,ケンペル自身が「現にわたしが
耳にした限りでも,最近の学者のなかにも何人か,目本の鎖国を非難する議論を展開している
ものがある」@@とかたっているように,ヨーロッバでは賛否両論意見がわかれるところであっ
だ。ヨーロッパ中心主義がつよまる十八世紀半ばをすぎるとなおさらである。


@
1)E、Kampfer,Geshichte und Bcschreibung von Japan,Bd.2,Lemgo 1779,S.395.
  ケンベルの鎖国論は,最初『廻国奇観』に掲載されていが,C.W,Dohmが『日本誌』のドイツ語版
 を編集するさいに,『日本誌』の末尾に収録して出版した。したがって,この論文では,ドーム版『日
 本誌』のページ数をしめすことにする。
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2)Phvsische Geogmphie in: Kants Werke Bd.IX,S.159.

9:13 午後  
Blogger yoji said...

[603]3/24(日)14:48 0↓
岡崎久彦『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』(PHP研究所)P.127-129

----------------------------------------------------------------------------------
ヨーロッパ伝統のレアルポリティークの世界に突如現れたウィルソン主義に、二十世紀の
国際社会は幻惑させられ、困惑させられ、振り回された。そして、二十世紀の前半の
インテレクチュアルたちは、ウィルソン主義とはいったい何であるかを解明しようと努めた。

ウィルソンは一九二四年に没する。その年はたまたまカントの生誕二百周年に当たった。
神川彦松は、「国際平和思想より観たるカントとウィルソン」という論文を書いた(発表は一九二六年)。

(中略)

神川によれば、カントは「個人間に於て法の確定に依つて個人格の自由と尊厳を保障し
相侵さざらしむる如く、国際間に於てもまた法を確定して各国家の自由と権利を保障し
人間の野蛮性を杜絶し道徳の権威を国内に於る如く国際間に於ても発揮し、以って
人類の平和を樹立せねばならぬのである」(『神川彦松全集 第七巻』四四五ページ)といっている。

これは、前に紹介した「国家にとっても、個人にとっても、存在する倫理システムはただ
一つである」というジェファーソンの思想と同じである。そして神川はウィルソンが第一次
大戦中各所で行なった演説の原文を引用して、ウィルソンの思想がカントと同一であることを立証している。

たとえば、「国際連盟の目的は世界に於ける道徳的な力となることである。そして世界に
生じた悪に対して道徳的な反省を求めることである……」、「我々の目的は、国際問題に
道徳的な解決をもたらすだけでなく、世界の道徳的な力を結集することにある……」
((『神川彦松全集 第七巻』四四三―四五九ページ)等々である。

たしかに、ウィルソン、ジェファーソンのいっていることを突き詰めれば、カントと同じである。
いまではドイツ思想の影響力の凋落もあって、もうそういう分析をする人もいないが、
神川の分析は正鵠(せいこく)を射ているといえる。

10:21 午前  
Blogger yoji said...


http://d.hatena.ne.jp/pick-up/comment?date=20070120§ion=1254068463
2007-01-20 反戦・平和運動/カントの「永遠平和のために」/北村透谷
01:21



『世界、2007年1月』

佐藤優・柄谷行人「国家・ナショナリズム・帝国主義」よりピックアップ:

(柄谷)
120年前をふりかえると、カントの理念にもとづく平和運動が出てきたことに気づきます。実は、日本で最初の反戦・平和運動をやったのは、25歳で自殺した詩人、北村透谷です。彼は、そのために雑誌を出し、カントの「永遠平和のために」を引用しています。

(佐藤)
むしろ日本の行く末が私は非常にわかりにくいのです。高度に発達した資本主義社会であり、生活水準もそこそこで、人間はアトム化し、核家族化している。そのなかに明らかに病理的な拝外主義的ナショナリズムが高まっている。

(佐藤)
靖国問題もいちばんのポイントはそこですね。

(柄谷)
死者の名で語るのはやめるべきです。未来の人間に関しても同じなんですよ。私は、国家と異なるネーションの特徴は、生きている人間だけでなく、死んだ人間とまだ生まれていない人間を含んでいるところにあると思います。ナショナリズムはそこに立脚する。ナショナリズムは宗教・共同体が衰退したのちに出てきた、その代補です。

(柄谷)
中国では今ナショナリズムが燃え盛っているという報道がありますが、私はそう思わない。日本はどうかというと、社会と国家が一体化しすぎていると思う。国家から自立する「個別社会」の契機が乏しいんですね。

(佐藤)
9条で去勢されているという感覚は重要だと思うのです。

(佐藤)
駐米大使館員は160~70人ですが、アメリカの内政を担当しているのは1人です。防衛庁が合同情報本部をつくってもアメリカ班はない。アメリカは調査の対象にならないのです。

(柄谷)
しかし、アメリカを潜在的な敵国として想定しないというのは、信じがたいですね。

10:49 午前
yoji said...
北村透谷 一種の攘夷思想
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/46582_29498.html




 幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。十九世紀の当初、米国に平和協会の設立ありてより英独仏以西等の諸国雷応して、この理想を貫かん事を力


底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 三號」平和社(日本平和會)
   1892(明治25)年6月15日
入力:kamille




校正:鈴木厚司
2008年1月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。 北村透谷『一種の攘夷思想』

11:11 午前  
Blogger yoji said...


http://adat.blog3.fc2.com/?mode=m&no=729
 しかし、カントの考えは、たんに、単独行動主義に対する多国間協調主義のようなも のではありません。国際連盟や国際連合がカントの「国家連盟」の構想にもとづくのは 確かですが、彼は別にそのようなものを目標としていたのではなかった。彼がそれを提 起したのは、現実主義的な妥協案としてにすぎません。


 カントの「現実主義的な妥協」とはどういうものか。柄谷さんは『永遠平和のために』 (宇都宮芳明訳)から次の一節を引用している。




 互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、 理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未 開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大し つつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上の あらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。

 だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることを まったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面で はin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべ てが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合 という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。

5:02 午前  
Blogger yoji said...

 互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、 理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未 開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大し つつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上の あらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることを まったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面で はin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべ てが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合 という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。


『永遠平和のために』 (宇都宮芳明訳)
柄谷行人『世界共和国へ』より

5:04 午前  
Blogger yoji said...

http://churchandpomo.typepad.com/conversation/2006/12/derridas_last_w.html

自動翻訳
「ジャックは、儀式と演説を望みませんでした。彼は、経験から、この仕事を引き受ける友人にとってつらいだろうということがわかっています。彼は、私にあなたに来たことに対して礼を言って、あなたを祝福するよう頼みます。あなたが彼に彼と分担する機会を与えた多くの幸せな瞬間だけについて考えるために、彼はあなたに悲しまないように嘆願します。

私のために微笑んでください、私が終わりまであなたのために微笑みます、と彼が言います。

いつも生を謳歌し、絶えず生き残りを主張してください...

私はあなたを愛しています、そして、私のいる場所から微笑みます。」


Derrida's Last Words
While I don't want to contribute to the fetishization that often attends Derrida worship (English departments everywhere will soon be claiming to have pieces of his bones), I was intrigued by his "final words" published in the lastest issue of Critical Inquiry. The picture at left is an image of his scribbled card. The words translate as follows:

"Jacques wanted no rites and no orations. He knows from experience what an ordeal it is for the friend who takes on this task. He asks me to thank you for coming and to bless you. He beseeches you not to be sad, to think only of the many happy moments you gave him the chance to share with him.

Smile for me, he says, as I will have smiled for you until the end.

Always prefer life and constantly affirm survival...

I love you and am smiling at you from wherever I am."




5:09 午前  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=8762350&i=200910/02/41/a0024841_2121330.jpg

5:09 午前  
Blogger yoji said...

(窓)(窓)http://churchandpomo.typepad.com/conversation/2006/12/derridas_last_w.html

自動翻訳
「ジャックは、儀式と演説を望みませんでした。彼は、経験から、この仕事を引き受ける友人に
とってつらいだろうということがわかっています。彼は、私にあなたに来たことに対して礼を言っ
て、あなたを祝福するよう頼みます。あなたが彼に彼と分担する機会を与えた多くの幸せな瞬間
だけについて考えるために、彼はあなたに悲しまないように嘆願します。

私のために微笑んでください、私が終わりまであなたのために微笑みます、と彼が言います。
いつも生を謳歌し、絶えず生き残りを主張してください...
私はあなたを愛しています、そして、私のいる場所から微笑みます。」


Derrida's Last Words

"Jacques wanted no rites and no orations. He knows from experience what an ordeal it is for
the friend who takes on this task. He asks me to thank you for coming and to bless you. He
beseeches you not to be sad, to think only of the many happy moments you gave him the
chance to share with him.

Smile for me, he says, as I will have smiled for you until the end.
I love you and am smiling at you from wherever I am."

(窓)http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/02/41/a0024841_2121330.jpg

5:18 午前  
Blogger yoji said...


第三期デリダの開始, 2007/10/1 By yojisekimoto
マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル
結論から言えば、デリダは亡霊というよりも恐怖や不安や怒りという情状性(ハイデガー)を導入することで、単なる表象批判ではなく、人間性(統整的理念としてのそれ)をマルクス主義に導入したのだと思う。それはグローバリゼーション及び踏み絵を迫るようなマルクス主義的言説空間の両方を批判するものだ。
全5章のうち、1はシェークスピアをモチーフにブランショに言及し、2はフクヤマを批判し、3は社会問題を列挙し、4は『ブリュメール18日』を扱ったうえでシュティルナーを批判し、5は『ドイツイデオロギー』や『資本論』(=価値形態に関して使用価値以前に物神化があったと指摘している)を扱いハイデガーの存在論に言及している。
デリダは経済学、というよりマルクス経済学を重視していないので、より文学的な政治-経済学的批判になっている。
それは最終的に政治-経済的というよりもユダヤ的なもの(メシアニズムなきメシア的なもの)の擁護になっている。
ただし、4の冒頭で(ここと2の最後の数ページが一番わかりやすいし重要だ)ユゴーの1848年への記述について触れたのにプルードン(明らかにマルクスはプルードンにコンプレックスを持っている)について言及しないのはフェアでないと思うし、今日ではシュティルナーの持つ個人主義をマルクスによる唯物論とその裏返しの亡霊論?の追認(精神/亡霊という分節化において複数の精神をデリダは擁護する)によって揚棄することはできないと思う。
横断的なデリダの思考は刺激的だが、それはプルードンが唱えたような社会革命が政治革命に対抗して待たなければならない実践における横断性を暗示するにとどまっている。
とはいえ、第三期のポストモダン批判以降、つまり冷戦終結以降(柄谷行人が指摘したように知識人が批判的ポジションに安住できなくなった時期である。ちなみに柄谷の『歴史と反復』におけるマルクスとハイデガーを援用した表象批判の方がデリダと同じ主題を扱いつつもより明解である)のこのデリダが一番重要であるのは変わらない、と思う。
少し高価だが待望の翻訳である。

6:33 午前  
Blogger yoji said...

248 :考える名無しさん:2014/03/25(火) 00:26:06.16 0
@HAYASHI_twit
ジャック・デリダとジョン・サールの本棚対決。デリダ=サール論争の火種がこんな形で
散種するとは… @openculture The Book Shelves of Jacques Derrida and John Searle:
cultr.me/1byVlwv

http://biblioklept.org/2010/06/10/jacques-derrida-vs-john-searle-book-shelf-showdown/

http://biblioklept.files.wordpress.com/2010/06/jacques-derrida.jpg

http://biblioklept.files.wordpress.com/2010/06/john-searle.jpg

8:27 午前  
Blogger yoji said...

http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/02/41/a0024841_2121330.jpg
遺言

8:31 午前  
Blogger yoji said...

世界共和国へ

互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大しつつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることをまったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面ではin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべてが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。(『永遠平和のために』、宇都宮芳明訳)

カント的理念の実現末尾

8:26 午後  
Blogger yoji said...

 しかし、カントの考えは、たんに、単独行動主義に対する多国間協調主義のようなものではありません。国際連盟や国際連合がカントの「国家連盟」の構想にもとづくのは確かですが、彼は別にそのようなものを目標としていたのではなかった。彼がそれを提起したのは、現実主義的な妥協案としてにすぎません。

互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大しつつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることをまったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面ではin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべてが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。(『永遠平和のために』、宇都宮芳明訳)

8:27 午後  
Blogger yoji said...




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永遠平和のために
カント & 宇都宮芳明
哲学/思想, ブック, ノンフィクション
2014年4月21日
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世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか.カントは,常備軍の全廃・諸国家の民主化・国際連合の創設など具体的提起を行ない,さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして,人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務づける.あらためて熟読されるべき平和論の古典.

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8:48 午後  
Blogger yoji said...

 永遠平和のための第二確定条項
  国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。

互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、理性によるかぎり次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未開な(無法な)自由を捨てて公的な強制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大しつつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることをまったく欲しないし、そこで一般命題としてin thesi正しいことを、具体的な適用面ではin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的理念のかわりに(もしすべてが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連合という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。(『永遠平和のために』、宇都宮芳明訳)

8:54 午後  
Blogger yoji said...

 永遠平和のための第二確定条項
  国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。

互いに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するためには、理性によるかぎり
次の方策しかない。すなわち、国家も個々の人間と同じように、その未開な(無法な)自由を捨てて公的な強
制法に順応し、そして一つの(もっともたえず増大しつつある)諸民族合一国家(civitas gentium)を形成して、
この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない。だが、彼らは、彼
らがもっている国際法の考えにしたがって、この方策をとることをまったく欲しないし、そこで一般命題と
してin thesi正しいことを、具体的な適用面ではin hypothesi斥けるから、一つの世界共和国という積極的
理念のかわりに(もしすべてが失われてはならないとすれば)、戦争を防止し、持続しながらたえず拡大する連
合という消極的な代替物のみが、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである。(『永遠平和のため
に』、宇都宮芳明訳)

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永遠平和のために
カント & 宇都宮芳明

8:55 午後  
Blogger yoji said...


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ワイド版世界の大思想 第1期〈6〉カント
カント, 樫山欽四郎 & 坂田徳男
哲学/思想, ブック, ノンフィクション
2004年9月1日
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「純粋理性批判」は理性自身による理性能力の批判を試みて認識問題を根拠づけた歴史的著者であり、人間をして自然の立法者たらしめた最初のもの。これに「実践理性批判」「判断力批判」をあわせて、いわゆるカントの三批判書を完全収録し「永久平和論」を加えた。
〈収録タイトル〉
実践理性批判/判断力批判他 ※この電子書籍は、オンデマンド本「ワイド版世界の大思想」を底本としております。
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光文社
永遠平和のために
啓蒙とは何か 他



9:06 午後  
Blogger yoji said...

http://blog.livedoor.jp/t_feifei/archives/53045646.html
海外での軍事活動は国連(本当は「連合国」)のPKOや機雷除去に留めるべきだ 当面米国との同盟は尊重されるべきと考えるが、あまりに属国的な扱いに甘んじるべきではない

アメリカの核の傘がないと中国に生殺予奪の権利を与えることになる可能性は確かに高い なので同盟関係は維持し、アメリカへの直接的な攻撃に対しては同盟国として支援する、つまり現行の日米安保の片務的関係から一歩踏み出してもよい しかしアメリカが自国の恣意的な理由で海外に侵攻する場合には、シーレーンの安全確保や、せめてすでにそうなっている基地の提供にとどめるべきだ

自衛隊はあくまで日本国を守るための軍であって、アメリカのパシリではない

いまこそ国際平和について、真摯に問い直す時期であると確信する

偉大な哲学者、エマヌエル・カントによって著され、1795年にケーニヒスベルク(現カリーニングラード ちなみにカントは生涯すべてをこの街で過ごした)で出版された『永遠平和のために』(原題ZUM EWIGEN FRIEDEN)は200年以上前に書かれた書物だが、その視点はなお鋭く現在を貫いている

岩波文庫で100頁ほどの小著なので、ぜひ原本に当たっていただきたいが、ここでは目次を掲げるに留める それだけでも、カントの主張の論旨をおおよそ理解できるだろう


永遠平和のために

 第1章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む

  第1条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約と見なされて  はならない

  第2条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)  も継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはなら  ない

  第3条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない

  第4条項 国家の対外戦争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない

  第5条項 いかなる国家も、他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない

  第6条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能に  してしまうような行為をしてはならない

 第2章 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む

  第1確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない

  第2確定条項 国際法、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである

  第3確定条項 世界市民法は、普遍的な普遍的な 友好をもたらす諸条件に制限されなければならない

  
  第1補説 永遠平和の保証について

  第2補説 永遠平和のための秘密条項

   付録 一 永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について
      二 公法の先験的概念による政治と道徳の一致について

6:53 午前  
Blogger yoji said...

http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/6bbb0bf9a75681ddd0f4a2356471527b/?cid=955704b5587b81a53cd2bd7752af2ec9&st=0
         カントJIS+2D22「永遠平和への道」 資料

1.『永遠平和のために』目次

第1章「この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む」
 第1条項「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。」
 第2条項「独立しているいかなる国家 (小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない) も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。」
 第3条項「常備軍は、時とともに全廃されなければならない。」
 第4条項「国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。」
 第5条項「いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。」
 第6条項「いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。例えば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる。」

第2章「この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む」
 第1確定条項「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。」
 第2確定条項「国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。」
 第3確定条項「世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されねばならない。」

第1補説「永遠平和の保証について」
第2補説「永遠平和のための秘密条項」
付論1「永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について」
付論2「公法の超越論的概念による政治と道徳の一致について」

6:53 午前  
Blogger yoji said...

http://honto.jp/ebook/pd-contents_0625158084.html
永遠平和のために
カント (著)/ 宇都宮芳明 (訳)
目  次

  永遠平和のために

 第 一 章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む
  第一条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
  第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。
  第三条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。
  第四条項 国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
  第五条項 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
  第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者(percussores)や毒殺者(venefici)を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切り(perduellio)をそそのかしたりすることが、これに当たる。

ほか

6:54 午前  
Blogger yoji said...

永遠平和のために
    一哲学的考察
カント (著)/ 宇都宮芳明 (訳)
(原題ZUM EWIGEN FRIEDEN)1795
目  次

  永遠平和のために

 第1章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む

  第1条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約と見なされてはならない 。

  第2条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない。

  第3条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。

  第4条項 国家の対外戦争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。

  第5条項 いかなる国家も、他の国家の体制や政治に、暴力をもって干渉してはならない。

  第6条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない 。

 第2章 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む

  第1確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。

  第2確定条項 国際法、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。

  第3確定条項 世界市民法は、普遍的な普遍的な 友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。

  
  第1補説 永遠平和の保証について

  第2補説 永遠平和のための秘密条項(1796)

   付録 一 永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について
      二 公法の先験的概念による政治と道徳の一致について

解 説
訳 注

7:01 午前  
Blogger yoji said...

永遠平和のために
    一哲学的考察
カント (著)/ 宇都宮芳明 (訳)
(原題ZUM EWIGEN FRIEDEN)1795
目  次

  永遠平和のために

 第一章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む
  第一条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約と見なされてはならない 。
  第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない。
  第三条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。
  第四条項 国家の対外戦争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
  第五条項 いかなる国家も、他の国家の体制や政治に、暴力をもって干渉してはならない。
  第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない 。

 第二章 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む
  第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
  第二確定条項 国際法、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。
  第三確定条項 世界市民法は、普遍的な普遍的な 友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。
  
  第一補説 永遠平和の保証について
  第二補説 永遠平和のための秘密条項(1796)

   付録 一 永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について
      二 公法の先験的概念による政治と道徳の一致について

解 説
訳 注

7:04 午前  
Blogger yoji said...

2:3


だが外国人が要求できるのは、客人の権利(この権利を要求するには、かれを一定の期間家族の一員として扱うという、好意ある特別な契約が必要となろう)ではなくて、訪問の権利であるが、この権利は、地球の表面を共同に所有する権利に基づいて、たがいに交際を申し出ることができるといった、すべての人間に属している権利である。

7:16 午前  
Blogger yoji said...

3:1
商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。

7:18 午前  
Blogger yoji said...

4:2
…次の命題は公法の先験的公式と呼ぶことができるであろう。 「他人の権利に関係する行為で、その格率が公表性と一致しないものは、すべて不正である。」

7:20 午前  
Blogger yoji said...

デリダがやっているのは権威主義者が使っている言葉を使って
意味をひっくり返すこと
外来の言葉を輸入して新機軸を打ち出すのではなく、
使われている言葉に、あるいは敵が使っている言葉にそのまま違う意味を
付与する
日本でこれが出来たのは森鴎外くらい

民主主義という形式的な言葉に満足することはない

4:57 午前  
Blogger yoji said...

 第一条項
  将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。

 なぜなら、その場合には、それは実はたんなる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではないからである。平和とは一切の敵意が終わることで、永遠のという形容詞を平和につけるのは、かえって疑念を起こさせる語の重複とも言える。平和条約を結ぶ当事者たちですら察知していないような、将来の戦争のための諸原因がまだ残っているとしても、これらの原因は平和条約の締結によってことごとく否定されたのである。もっとも、こうした原因は、公式に記録された文書からでも、きわめて鋭い探索眼をもってすれば、探し出すことができるかもしれないが。--戦争を続けるには双方とも疲れきっているので、さしあたってはどちらの側も触れないでいる古くからの権利主張があるのだが、再戦にむけて最初の好機会を利用しようという悪意から、この権利主張を将来の口実に使おうと保留する(心内留保reservatio mentalis*)のは、ジェスイット派*のカズイスティク*のたぐいで、事態をあるがままの姿で判定すれば、これは統治者の品位を汚すことであるし、またかれの大臣がこうした理由づけに追従することも、その品位を汚すものであろう。--

永遠平和のために 一哲学的考案
Immanuel Kant: Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf. 1795.

12:13 午前  
Blogger yoji said...

カズイスティック

法律書でたまに見かけるこの語だが,なんとなく(前後の文脈等から)「場当たり的な」という意味かなと思っていた。

ググってみると,それらしい説明が出てきた。
'casuiste' は「決疑論者」と訳しても良いのだが、日本でも法学においては 'casuistique' を「決疑論」とはせずに「カズイスティック」と表記することが定着していることを踏まえて、ここでは「カズイスト」としておく。ちなみに、カズイスティック(決疑論)とは、具体的・個別的な規則の適用をめぐる論議・研究であり、道徳神学の一部門でもあったが(『第VIII講』25ページ、訳註2、参照)、法学では、古代ローマの法学や『市民法大全』の研究が、一般的な原則や高度な概念化を指向するものではなく、個々の事例に即した研究であったこと、あるいはそのような性格を指す言葉として用いられている。(下線引用者)
http://www.ne.jp/asahi/site/dogme/desir.html


メルクマールのように広辞苑に載っているレベルのカタカナ語はいいが,そうでないカタカナ語を使う人は,なるべく意味をきちんと書いておいてほしいと思う。

12:17 午前  
Blogger yoji said...

今日「カズイスティック」という言葉を見て「??」となった。


カズイスティックとは、「多義的」「ケースバイケース」という事である。
複数の意味がある言葉を使う事で、ウソをつくことなく心裡留保をする。
これはおそらく我々も日常的に使っている事と思う。
特に日本語なんかは「裏の意味」を含ませるの大好きだし。

例えば、誕生日にプレゼントされたネクタイがすごく悪趣味だったとする。
相手は感想を欲しがっている。
本当の事を言って傷つけるのはマズイ。
かといってウソをつくのもマズイ。

そこで


「すごいな!こんなネクタイ見た事無いよ!」

と、どちらともとれる発言をするのである。


ジェスイット派は、正しい目的の為ならこの様なカズイスティックを駆使する事を認めた。
無論カズイスティックを駆使する文化というのは、ウソを厳しく取り締まる文化である。
ウソが許容されているのならば、あえてカズイスティックにする必要性が薄い。

12:18 午前  
Blogger yoji said...

デリダはハイデガーを内在的に読み替えたが(「脱構築」「精神」等)、
同時に弱点も受け継いでしまっている
それはデリダ自身の言葉で言えば、「スピノザの排除( forclusion)」だ。
(「正しく食べなくてはならない」 邦訳『主体の後に誰が来るのか?』参照)
スピノザ導入のデメリットは時間論が無意味になるということだ。
時間が無くなってしまうと言っていい。
そのことにデリダは自覚的だったと思うが、デリダ研究者は真正面から
論じていない。
内井惣七が『空間の謎・時間の謎』(中公新書)で引用しているBarbour の
The end of time あたりを読むといいと思うのだが、まだ手をつけていない

9:43 午前  
Blogger yoji said...

デリダとライプニッツは実は相性がいい
不可識別者同一の原理をテクスト内で検証するのがデリダだからだ
ミンコフスキー時空とベルクソンの逆円錐は似ているという話があって
内部から見るか外部から見るかの違いでしかない
ただ詳述出来ないがライプニッツもやはりスピノチストで
並行論者だからスピノザの排除はやはりおかしいのだ

7:51 午前  
Blogger yoji said...

デリダとライプニッツは実は相性がいい
不可識別者同一の原理をテクスト内で検証するのがデリダだからだ
ミンコフスキー時空とベルクソンの逆円錐は似ているという話があって
外部から見るか内部から見るかの違いでしかない
ただ詳述出来ないがライプニッツもやはりスピノチストで
並行論者だからスピノザの排除はやはりおかしいのだ

7:52 午前  
Blogger yoji said...

他者の言語、大学の瞳=被後見人で、ハイデガー経由でライプニッツの根拠率を肯定的に展開している
本質主義ではなく他者との応答可能性がとわれる時点で、デカルトの心身を横に置き換えたスピノザと同じことをしているのだが、デリダはそれに気づいていない

6:11 午後  
Blogger yoji said...

デリダは『他者の言語』所収「大学の瞳=被後見人」で、ハイデガー経由でライプニッツの根拠率を肯定的に展開している
本質主義ではなく他者との応答可能性(関係説!)が問われる時点で、デカルトの心身を横に置き換えたスピノザと同じことをし
ているのだが、デリダはそれに気づいていない

6:13 午後  
Blogger yoji said...

デリダは『他者の言語』所収「大学の瞳=被後見人」で、ハイデガー経由でライプニッツの根拠率を肯定的に展開している
本質主義ではなく他者との応答可能性(関係説!)が問われる時点で、デカルトの心身を横に置き換えたスピノザと
同じことをしているのだが、デリダはそれに気づいていない

6:14 午後  
Blogger yoji said...

デリダは『他者の言語』所収「大学の瞳=被後見人」で、ハイデガー経由でライプニッツの
根拠率を肯定的に展開している
本質主義ではなく他者との応答可能性(関係説!)が問われる時点で、デカルトの心身を横に置き
換えたスピノザと同じことをしているのだが、デリダはそれに気づいていない

6:14 午後  
Blogger yoji said...

デリダは『他者の言語』所収「大学の瞳=被後見人」で、ハイデガー経由でライプニッツの
根拠率を肯定的に展開している
本質主義ではなく他者との応答可能性(関係説!)を問うている時点で、デカルトの心身を横に置き
換えたスピノザと同じことをしているのだが、デリダはそれに気づいていない

6:15 午後  
Blogger yoji said...

「現代思想」7301・7302「竪坑とピラミッド―ヘーゲルの記号論への序論」高橋允昭訳(Marges de la philosophie)
「現代思想」7310「ジュネーヴの言語学サークル」高橋允昭訳(Marges de la philosophie)
「現代思想」7408(09)・7410「形式と意義作用―言語の現象学についてのノート」高橋允昭訳(Marges de la philosophie)
「現代思想」7503「からみあい」
「現代思想」7503「プラトンのパルマケイアー」(Dissemination)
「現代思想」7807・7808・7809・7810「他者の言語」(→『他者の言語』に収録)
「現代思想」7909(臨増)「人間の目的=終末」高橋允昭訳(Marges de la philosophie)
「現代思想」8107・8109・8110「繋辞の代補 言語学に面しての哲学」高橋允昭訳(Marges de la philosophie)
「現代思想」8202(臨増)「真実の配達人」清水正・豊崎光一訳
「現代思想」8202(臨増)「Fors」若森栄樹・豊崎光一訳 
「現代思想」8202(臨増)「Glas抜粋」庄田常勝・豊崎光一訳 
「現代思想」8209「哲学の痕跡について―クリスチアン・デカンとの対話」 
「現代思想」8310「言語 哲学の遠い声」(→『現代フランス哲学12講』に収録)
「現代思想」8312「不服従者デリダ」 
「現代思想」8607「鉤[括弧]の中で」松葉祥一・港道隆訳 
「現代思想」8608・8609・8610「Ja, ou le faux-bond」増田一夫・荻野文隆・鵜飼哲訳 
「現代思想」8701「性的差異と死」高橋允昭訳 (Glas)
「現代思想」8705・8712「隠喩の退―引 Le retrait de la métaphore」庄田常勝訳 (Psyché)
「現代思想」8707「自伝的な〃言葉〃pourquoi pas (why not) Sartre」
「現代思想」8803「ハイデガー、哲学者たちの魔窟」浜名優美・福田和美訳 



「現代思想」8805(臨増)「署名 出来事 コンテキスト」 (Marges de la philosophie)(→『有限責任会社』に収録)
「現代思想」8805「哲学とコミュニケーション」廣瀬浩司訳 
「現代思想」8805「有限責任会社abc」 (→『有限責任会社』に収録)
「現代思想」8904「貝殻の奥に潜む潮騒のように ポール・ド・マンの戦争」島弘之訳 
「現代思想」8907(臨増)「戯れする貴重な自由―ディコンストラクションと教育/制度」竹村和子訳 (インタビュアー、イムレ・サルジンスキー)
「現代思想」8908「哲学言語は存在するか?」鵜飼哲訳  
「現代思想」8911「日延べされた民主主義」 
「現代思想」9305・9306・9307・9308「INTERPRETATIONS AT WAR カント、ユダヤ人、ドイツ人」 
「現代思想」9408・9409・9410「アクチュアリティの脱構築」港道隆訳 (Passage)
「現代思想」9501「パサージュ―外傷から約束へ」守中高明訳 (Points de Suspension)
「現代思想」9506「アルジェリアにとっての/に対する様々な態度決定」大西雅一郎訳 
「現代思想」9509「「価格なきもの」について、あるいは商取引における「適正価格」」
「現代思想」9601「これから私はただひとりさまよわなければならない」鵜飼哲訳 
「現代思想」9811(臨増)「この狂った「真実」―友愛という正しき名」守中高明・下澤和義・松丸和弘訳 
「現代思想」9903「トマス・アスホイヤーとの対話」
「現代思想」9903「現象を救済すること サルヴァトーレ・プーリアのために」
「現代思想」9903「他者の単一言語使用」(Le monolinguisme de l'autre)
「現代思想」9903「最悪の抑圧の一つ、言語の禁止について」
「現代思想」9905(臨増)「ハイデガーの手(ゲシュレヒトⅡ)」藤本一勇訳 (Psyché)



「現代思想」0011「世紀と赦し」鵜飼哲訳 
「現代思想」0110(臨増)「限りない悲しみを感じています」松葉祥一訳 
「現代思想」0112(臨増)「現象学と形而上学の閉域 フッサール現象学入門」松葉祥一・亀井大輔訳 
「現代思想」0306「ならずもの」逸見龍生訳 
「現代思想」0409「われらの誠実さを!」 
「現代思想」0412「傷つける真理 言語の格闘」 

5:43 午後  
Blogger yoji said...

デリダの文献表
http://www.comp.tmu.ac.jp/decon/cn10/pg66.html

1:43 午前  
Blogger yoji said...

                     (柄谷行人、法論、リンク:::::::::)
NAMs出版プロジェクト: 『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/201604.html


憲法の無意識 (岩波新書)2016/4/21 柄谷 行人

内容紹介
なぜ戦後70年を経てもなお改憲は実現しないのか。なぜ九条は実行されていないのに残されているのか。改憲、護憲の議論が見逃しているものは何か。糸口は「無意識」である。
日本人の歴史的・集団的無意識に分け入り、「戦争の末の」平和ではない、世界平和への道筋を示す。デモで社会を変え、国際社会に九条を贈与しよう。「憲法の無意識」が政治の危機に立ち現れる。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431600
憲法の無意識 (岩波新書): 柄谷 行人: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4004316006/
■新赤版 1600
■体裁=新書判・並製・208頁
■定価(本体 760円 + 税)(未刊)
■2016年4月20日
■ISBN978-4-00-431600-8 C0230

第1章 憲法の意識から無意識へ
第2章 憲法の先行形態
第3章 カントの平和論
第4章 新自由主義と戦争

1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年
3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年
4岩波書店百周年記念講演2014(○2013)年

本来の順序は、

3日本カント協会創立三十周年記念講演2006年
4岩波書店百周年記念講演2014年(○2013年11月)
1韓国延世大学・「平和」国際会議2015年6月
2たんぽぽ舎・長池講義合同講演2015年11月

フロイト、カントからの引用がやはり目立つものの、さらに邦文資料面での加筆多数。

3.
第3章 カントの平和論

84頁:
憲法9条の思想水脈 (朝日選書823) 単行本 – 2007/6/20山室 信一 (著)

85頁:
三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
中江 兆民 (著), 鶴ヶ谷 真一 (翻訳)

89頁:
北村透谷 一種の攘夷思想
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/46582_29498.html
幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。…
『平和』第三号1892年

90~1頁:
内村鑑三「戦争廃止論」
http://green.ap.teacup.com/lifework/524.html
 近くはその実例を、二十七、八年の日清戦争において見ることができる。二億の富と一万の生命を消費して、日本国がこの戦争から得たものは何であるか。わずかばかりの名誉と、伊藤博文伯が侯となって、彼の妻妾を増したことの他に、日本国はこの戦争から何の利益を得たか。

その目的であった朝鮮の独立は、日清戦争によって強められずに、反って弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、その道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆(きたい)の地位にまで持ち来たったではないか。

この大害毒、大損耗を目前に見ながら、なおも開戦論を主張するようなことは、正気の沙汰とはとても思えない。


http://www.interq.or.jp/kanto/just/ronten/senso_haisi.html

《近くは其実例を二十七八年の日清戦争に於て見ることが出来る、二億の富と一万の
生命を消費して日本国が此戦争より得しものは何である乎、僅少の名誉と伊藤博文
伯が侯となりて彼の妻妾の数を増したることの外に日本国は此戦争より何の利益を
得たか、其目的たりし朝鮮の独立は之がために強められずして却て弱められ、支那
分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、其道徳は非常に堕落し、
東洋全体を危殆の地位にまで持ち来つたではない乎、此大害毒大損耗を目前に視な
がら尚ほも開戦論を主張するが如きは正気の沙汰とは迚も思はれない。》

勿論サーベルが政権を握る今日の日本に於て余の戦争廃止論が直に行はれやうとは
余と雖も望まない、然しながら戦争廃止論は今や文明国の識者の輿論となりつゝあ
る、爾うして戦争廃止論の声の揚らない国は未開国である、然り、野蛮国である、
余は不肖なりと雖も今の時に方て此声を揚げて一人なりとも多くの賛成者を此大慈
善主義のために得たく欲ふ、世の正義と人道と国家とを愛する者よ、来て大胆に此
主義に賛成せよ。
                  〈万朝報・明治36年6月30日〉1903年

110頁:(131頁:)
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。》
(カント全集14『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。

130頁:
商業、カント永遠平和

  第一補説
   永遠平和の保証について

 この保証を与えるのは、偉大な技巧家である自然(諸物の巧みな造り手である自然natura daedala rerum*)にほかならない。…

3… 《商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力 (手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促 進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦 争を防止するように強いられている、と考えるのである。実際、戦争にむけての大合同は、事柄の本性から見てきわめてまれにしか生じないし、それが成功する のはさらにまれだからである。このような仕方で、自然は人間の傾向そのものにそなわる機構を通じて、永遠平和を保証する。なるほどこの保証は、永遠平和の 到来を(理論的に)予言するのに十分な確実さはもたないけれども、しかし実践的見地では十分な確実さをもち、この(たんに空想的ではない)目的にむかって 努力することをわれわれに義務づけるのである。》(カント『永遠平和について』第一補説 3「永遠平和の保証について」岩波文庫より)

131頁:
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟 Foedus Amphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。》(カント全集14 『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。

1:10 午前  
Blogger yoji said...

デリダの脱構築の元はハイデガーの解体だし、その前はルター。

デリダの脱構築(déconstruction)→ハイデガーの解体(Destruktion)→ルターの解体(destruere)

ハイデガーやルターの解体とは、自己の歴史の解体であるし、
デリダの脱構築は、ハイデガーの解体がただの破壊ではなく、
解体し構築するものであることを注意深く付け加えた。



デリダについては、訳書や解説書を合わせると100冊以上もの本が出ているのに、
トレードマークである"脱構築"を説明した『プシュケー』が未完訳のままとなっている。
オリジナルは、デリダが井筒に宛てた書簡。

Jacques Derrida, "Lettre à un ami japonais", Psyché:Inventions de l'autre, 1987
(デリダ「日本の友人への手紙」『プシュケー』(未完訳))

邦訳は「〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か」(丸山圭三郎/訳)の題で、
・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
・『思想』1984年4月号
にそれぞれ所収。

10:25 午後  
Blogger yoji said...

東西の叡智を一身に体現する世界的思想家・井筒俊彦の可能性に迫る/大江健三郎、デリダ、中沢新一、高橋巌、中島岳志、山城むつみ、河合敏雄、末木文美士、田口ランディ、吉村萬壱、他

●目次●
【特別対談】
安藤礼二×若松英輔
コトバの形而上学 井筒俊彦の生涯と思想

【特別収録】
ジャック・デリダ (訳=丸山圭三郎)
[書簡]〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か

【井筒俊彦を読む】
大江健三郎 ----井筒宇宙の周縁で 『超越のことば』井筒俊彦を読む
田口ランディ ----『意識の形而上学----「大乗起信論」の哲学』を読む
吉村萬壱 ----下から
池田晶子 ----『意識と本質』を読む
日野啓三 ----言い難く豊かな砂漠の人
ジャン・コーネル・ホフ(訳=野口良次) ----井筒哲学を翻訳する

【インタビュー】
高橋巖 (聞き手=安藤礼二・若松英輔)
----エラノスで会った〈非〉学問の人

【井筒哲学の可能性】
中沢新一 ----創造の出発点
安藤礼二 ----呪術と神秘 ・井筒俊彦の言語論素描
若松英輔 ----光と意識の形而上学・ 井筒俊彦とベルクソン
中島岳志 ----「東洋の理想」の行方・ 大川周明と井筒俊彦
山城むつみ ----井筒俊彦とロシアと文字と戦争と
上野俊哉 ----スピリチュアル・アナキズムに向かって

【井筒哲学の基層】
河合俊雄 ----井筒俊彦とエラノス精神
末木文美士 ----禅から井筒哲学を考える
頼住光子 ----井筒俊彦と道元
池内恵 ----井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解
納富信留 ----井筒俊彦とプロティノス
澤井義次 ----井筒俊彦とインド哲学

【井筒俊彦と東洋哲学】
鎌田東二 ----詩と宗教と哲学の間 言語と身心変容技法
野平宗弘 ----地球社会化時代の東洋哲学 井筒俊彦とファム・コン・ティエン
松枝到 ----「読む」ことの教え 井筒俊彦から受け取ったこと
永井晋 ----〈精神的東洋を索めて〉 光の現象学

井筒俊彦 略年譜

著者について
1967年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文芸批評家。著書に『祝祭の書物』、『たそがれの国』、『光の曼陀羅』、『神々の闘争』他。

1968年新潟県生まれ。慶応大学仏文科卒業。批評家。「三田文学」編集長。「越知保夫とその時代」で三田文学新人賞評論部門受賞。著書に『井筒俊彦』『魂にふれる』『池田晶子 不滅の哲学』他。



20ページ増補2017年

10:29 午後  
Blogger yoji said...

精神分析の治療の極意はラカンに言わせれば患者に情報を与えないこと
デリダの戦略もメタレベルの情報を与えずテクストを内在的に批判することにある
例えばハイデガーを批判するのにナチス云々ではなくハイデガーの使った「精神」なる語を
展開する
その意味でデリダは精神分析医だし
ソクラテスの(想起)の伝統に沿う

ハリーポッターvs.スターウォーズvs.ジャスティスリーグ

6:39 午後  

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