火曜日, 5月 10, 2016

201605 【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を 発見


参考:


            (歴史学リンク::::::::::

201605 【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見
http://nam-students.blogspot.com/2016/05/201605.html

エジプトのピラミッドがオリオン座の形に並べられたという説があるが…*


【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!!©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1462876630/-100

【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!!©2ch.net


1 :
2016/05/10(火) 19:37:10.11 ID:CAP_USER

カナダ・ケベック在住の15歳の少年William Gadoury君は、「マヤ暦で2012年に世界の終りが予言されている」という逸話を知ったことをきっかけに南米の古代文明に興味を持ち、
3年前からある仮説を立てて独自に「研究」を行っていた。その仮説とは、マヤ文明の古代都市が星座の並びを模して配置されているというものである。

Gadoury君は「なぜマヤ文明の都市は川から離れた山奥の不便な場所に造られたのか?」と疑問を持ち、上述の仮説を思いついた。
この仮説を検証するためにGadoury君が使ったツールはなんとGoogle Maps。Gadoury君はマヤのGISをダウンロードして地図上にプロットし、その地図に南米から見ることのできる範囲の星図を重ね合わせてみた。

結果、驚くべきことが明らかになった。マヤ文明の117の都市が実際の星の並びと一致していたのだ。さらにGadoury君は、当時のマヤ文明の星座では重要とされていた星に対応する都市がまだ見つかっていないことに気づいた。
それは現在のオリオン座に相当する部分の星だった。Gadoury君はこの発見をカナダ宇宙庁に報告し、
NASAとJAXAの撮影した画像を提供してもらった。もし仮説の通りなら、メキシコのユカタン半島に未発見の古代都市が存在するはずだった。

衛星画像を拡大して調査した結果、86メートルのピラミッドと数十の家屋からなる新たな都市が発見された。
マヤ文明でこれまで発見された中でも特に規模の大きなこの都市は、Gadoury君によって「K’ÀAK’ CHI’」と名付けられた。これは古代マヤ文明の言葉で「火の口」という意味である。

地元のヒーローになったGadoury君は「3年間の努力と人生の夢が報われました」と語っている。
Gadoury君は5月18日にモントリオールのマギル大学で開催される「全カナダ科学エキスポ」で報告を行う予定だという。

翻訳ソース
http://societas.blog.jp/1057101629#PkmJ5vq.twitter_tweet_box_count

大本のソース(仏語)
http://www.journaldemontreal.com/2016/05/07/un-ado-decouvre-une-cite-maya
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【考古学】カナダの中学生が見つけた古代マヤ文明の都市 実は休耕地?専門家から疑問の声[05/12]©2ch.net

1 :
2016/05/12(木) 22:18:04.59 ID:CAP_USER
中学生が見つけた「マヤ遺跡」、実は休耕地? 
CNN.co.jp 2016.05.12 Thu posted at 11:48 JST 
http://www.cnn.co.jp/fringe/35082468.html 
http://www.cnn.co.jp/fringe/35082468-2.html 

(CNN) 5月に入り、カナダの中学生がグーグル・アースや衛星写真を使ってメキシコの古代マヤ文明の都市を発見したとする夢のあるニュースが世界を駆け巡った。 
だが専門家からは、この「失われた都市」はただの休耕地だったのではないかとの疑問の声が出ている。 

カナダの中学生ウィリアム・ガドリーさん(15)は、マヤ文明の星座の位置をもとに未知の古代都市の場所を割り出したとしていた。 
カナダ宇宙局からこの地域の衛星写真を提供してもらい、グーグルの地図と重ねて検討したところ、当該地点に四角い土地と構造物の残骸のようなものがあったのだ。 

地元紙が7日にこの「発見」を報じると、「失われた都市」の発見だと多くのメディアがそれに続いた。 

だがメソアメリカ地域(中央アメリカでアステカ、マヤ、テオティワカンなどの古代文明が築かれた領域)を専門とする人類学者や考古学者からは疑問の声が上がっている。 

ニューヨーク州立大学オルバニー校のロバート・ローゼンズウィグ准教授はCNNに対し、この「新発見」には気になる点がいくつもあると語った。 

今回見つかったとされる都市はユカタン半島にあり、広さは80~120平方キロ。 
同准教授によればマヤ文明の都市としては最大級といえる大きさだ。 
「あの地域は人が入れないような奥地ではないし、よく知られているところだ。だからこれだけの規模の未発見都市というのは、全くあり得ないとは言わないまでも、可能性は非常に低い」と准教授は言う。 

また准教授は「四角く見えるものは、現在は耕作されていない畑だ」と指摘する。 
それも休耕地になってから大した年月は経っていないという。 

もっとも、ガドリーさんの推論はけっして的外れではない。 
マヤ人が天文学に通じていたことは事実であり、星座や惑星の配置は都市計画における重要な要素になっていたからだ。
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 *
オリオン・ミステリー―大ピラミッドと星信仰の謎: ロバート ボーヴァル, エイドリアン ギルバート, Robert Bauval, Adrian Gilbert, 近藤 隆文: 本 http://www.amazon.co.jp/dp/4140802154#customerReviews
単行本: 370ページ
出版社: 日本放送出版協会 (1995/03)

基本文献
投稿者 yojiseki 投稿日 2009/1/4
形式: 単行本

ボーヴァルの発見は、ピラミッド番組などで紹介されるが、その意義は正当に評価されているとは言えない。

(メンカウラー王の小ピラミッドは、本当は、ほかの二基と同じ大きさにする予定だったのだろう、という反論も、本書で証明された当時のオリオン信仰〜それはシュメール経由であり太陽神ラーと対立し消滅寸前だったと思われる〜を否定できない。)

10,500年前の星の位置を意図しただけであってピラミッド製造年がその年とは限らないとは思うが、、、

その説は十分科学的であり、トンデモ本として回収するべきではない。

今日ではメキシコのテオティワカンのピラミッドも相似系だとされているし、世界各国のオリオン信仰(あるいは太陽信仰との相克)の再発見は途上にある。

ちなみに、より厳密には魂の再生を願う民間信仰は以下の推移をたどっていると思う。
トーテム信仰(スフィンクスを含む)→星信仰(航海での位置把握手段。北極星信仰を含む)→太陽信仰(権力者の統制の強化と併行)→歴史忘却及び再発見(現代)。

日本では住吉大社、古代古墳にオリオン信仰の跡がみられる。

視覚に訴える説なので、決定版としてBBC番組のDVD発売が待たれる。

1 Comments:

Blogger yoji said...

【考古学】3千年前の神殿が破壊される、ここが貴重だった シリアのアインダラ神殿、謎の足跡と「ソロモン神殿」の手がかり[02/01]

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1しじみ ★2018/02/03(土) 05:20:11.03ID:CAP_USER>>37
3000年前に建造された壮麗な神殿、シリアのアインダラ神殿が、トルコによる空爆で破壊された。
謎めいた巨大な足跡があるほか、旧約聖書に記されたソロモンの神殿の姿を解明する手がかりとなる建造物を残していた神殿だ。

 その大きさにおいても、発掘された範囲の広大さという点においても、シリア屈指の遺跡だった。
なかでもよく知られていたのは、ライオンとスフィンクスを表した石の彫刻と、
古代エルサレムにあったユダヤ教最初の神殿「ソロモンの神殿」に似ている点だ。

 シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)とシリア文化省によると、
1月26日、クルド人勢力が支配する都市アフリンの南部をトルコが攻撃。空爆により、
神殿の大半が破壊されたという。シリア人権監視団と、クルド系メディア「ハワルニュース」の写真と映像から、
神殿が半分以上失われ、遺跡を取り囲んでいた彫刻の多くも壊されたことが確認された。

 アメリカ東洋研究所(ASOR)、文化遺産戦略のシリア分析員であるマリーナ・ガブリエル氏は、
「シリア人の精神にとっても、見守っていた各国の監視団にとって、大きな打撃です」と話す。

神殿に残る「足跡」のミステリー
 アインダラ神殿は3000年以上前、紀元前1300年ごろに建てられた。
地中海の東側にあった青銅器時代の諸王国が崩壊し始める少し前のことだ。

 この神殿は、現在のトルコに現れた強力な国家、ヒッタイト王国の終焉を記録する宗教建築の1つとして重視されている。
古代史上指折りの大戦であるカデシュの戦いで、エジプトのラムセス2世(在位:紀元前1279~1213年)はヒッタイトと戦い、
世界で初めて平和条約を締結して争いを終わらせた。
 アインダラ神殿を建てた人々は、建物の内側にも外側にも精巧な飾りを施した。
ひときわ目を引くのは、神殿の中に通じる石畳に、いくつも連続して彫られている大きな足跡だ。

 大きさが人の足の3倍もある足跡について、
考古学者たちは、男神または女神の通り道を表しているのかもしれないと推測している。
ASORのイラク・シリア分析員、ダレン・アシュビー氏は、「この地域の宗教建築の中でも、独特のもの」だと話す。

また、神殿の内部には、豊穣の女神イシュタルをかたどった彫刻がある。
このため、神殿はイシュタルをたたえる場であり、足跡は彼女が神殿に入る様子を描いているという見方がある。
一方、イシュタルの姿は、ここを征服したアッシリア人が神殿の建設から何世紀も後に加えたのかもしれないと考える考古学者もいて、
足跡の意味は興味深いミステリーのままだ。

 この神殿の装飾と建築様式は、ソロモンの神殿に似た点がいくつかある。
旧約聖書の「列王記」には、エルサレムの神殿の丘に、
ユダヤ教最初の神殿としてソロモンの神殿が建てられたと記されている。
だが、考古学的痕跡は見つかっていないため、近い地域・時代で現存する数少ない神殿は、
ソロモンの神殿の姿を解明するのに極めて重要なのだ。

続きはソースで

画像:2010年当時のアインダラ神殿。鉄器時代の貴重な石の彫刻が多数施されている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020100047/ph_thumb.jpg
画像:細かな模様が彫られた、アインダラ神殿の壁の土台部分。
巨石が地面に垂直に据えられている。幾何学的図形のほかに動物も彫られ、内側と外側の壁を飾っている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020100047/01.jpg
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020100047/03.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/020100047/

11:26 午後  

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