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孔子画伝
宥坐の器(ゆうざのき)及び『論語』概念構造図:メモ
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「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。
敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
付録:
宥坐の器(ゆうざのき)
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
敧器ともいう。
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
観周敧器
出典 (明治書院)新釈漢文大系53『孔子家語』宇野精一著 118頁
巻第二 三恕 第九
孔子觀於魯桓公之廟、有敧器焉。夫子問於守廟者曰、此謂何器。對曰、此蓋爲宥坐之器。孔子曰、吾聞、宥坐之器、虡則敧、中則正、滿則覆。明君以爲至誡。故常置之於坐側。顧謂弟子曰、試注水焉。乃注之水、中則正、滿則覆。夫子喟然歎曰、嗚呼夫物惡有滿而不覆哉。
孔子、魯の桓公の廟(べう)を觀(み)るに、敧器(きき、傾いた器)有り。
夫子(ふうし)、廟を守る者に問ひて曰く、此れ何の器と謂ふ、と。
對へて曰く、此れ蓋(けだ)し宥坐(いうざ)の器(き)爲(た)り。
孔子曰く、吾聞く、宥坐の器は、虡(むな)しきときは則ち敧(かたむ)き、中なるときは則ち正しく、滿(み)つるときは則ち覆(くつがへ)る。
明君、以て至誡(しかい)と爲(な)す。故に常に之を坐の側(かたはら)に置く、と
顧みて弟子(ていし)に謂ひて曰く、試みに水を注げ、と。乃(すなは)ち之に水を注ぐに、中なれば則ち正しく、滿つれば則ち覆(くつがへ)る。
夫子(ふうし)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、嗚呼(ああ)、夫(そ)れ物は惡(いづ)くんぞ滿ちて覆(くつがへ)らざるもの有らんや、と。
(ほぼ同じ内容が、『荀子』宥坐篇、『淮南子』道應訓、『説苑』敬愼篇、『韓詩外伝』巻三にある)
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
以下上記ブログより引用。
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。
中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。
孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。
それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。
御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。
そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」
虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る
参考1:
『論語』より
雍也06-29
子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、
子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。
先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。だが人民の間にとぼしくなって久しいことだ。」
子路13-21
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也、
子の曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。
先生が言われた、「中庸の人を見つけて交わらないとすれば、せめては狂者か狷者だね。狂の人は[大志を抱いて]進んで求めるし、狷の人は[節義を守って]しないことを残しているものだ」
述而07-10
子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏、唯我與爾有是夫、子路曰、子行三軍、則誰與、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事而懼、好謀而成者也、
子、顔淵に謂いて曰わく、これを用うれば則ち行い、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯だ我と爾(なんじ)と是れあるかな。子路が曰わく、子、三軍 を行なわば、則ち誰れと与(とも)にせん。子の曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)して死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり。必ずや事に臨(のぞ)み て懼(おそ)れ、謀(ぼう)を好みて成さん者なり。
先生が顔淵に向かって言われた、「用いられたら活動し、捨てられたら引きこもるという[時宜(じぎ)を得た]振る舞いは、ただ私とお前だけにできることだ ね。」子路がいった。「先生が大軍をお進めになるとしたら、誰と一緒なさいますか。」先生は言われた、「虎に素手で立ち向かったり、河を歩いて渡ったりし て、死んでもかまわないというような[無鉄砲な]男とは、私は一緒にやらないよ。どうしてもというなら、事に当たって慎重で、よく計画をねって成し遂げる ような人物とだね」
参考2:
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前をつけて記憶する
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元「君子」=脳全体をバランスよく使う。
雍也06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
衛靈公15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
参考3:
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が開いている人のこと
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学ん
で時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このよ
うな「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17,17-02
付録 :
VIDEO
孔子画伝
(聖蹟図)
尼山致祷図(第1図)/麒麟玉書図(第2図)/二竜五老図(第3図)/鈞天降聖図(第4図)/俎豆礼容図(第5図)/職司委吏図(第6図)/命名栄貺図(第7図)/職司乗田図(第8図)/問礼老聴図(第9図)/在斉聞韶図(第10図)/晏嬰阻封図(第11図)/退修詩書図(第12図)/夾谷会斉図(第13図)/帰田謝過図(第14図)/誅少正卯図(第15図)/女楽文馬図(第16図)/因●去魯図(第17図)/匡人解囲図(第18図)/醜次同車図1(第19図)/醜次同車図2(第20図)/宋人伐木図(第21図)/楛矢貫隼図(第22図)/適衛撃磐図(第23図)/学琴師襄図(第24図)/西河返駕図(第25図)/霊公問陣図(第26図)/子路問津図(第27図)/在陳絶糧図(第28図)/子西沮封図(第29図)/作歌丘陵図(第30図)/杏壇礼楽図(第31図)/跪受赤虹図(第32図)/西狩獲麟図(第33図)/夢奠両楹図(第34図)/治任別帰図(第35図)/漢高祀魯図(第36図)
http://www.cpcjapan.com/china/history/koushi/koushi.html
在斉聞韶図(第10図)(斉に在りて詔を聞くの図)7:13
孔子36歳
晏嬰阻封図(第11図)(斉の景公が孔子を臣下に用いるのに反対する晏嬰の図)18:3
孔子36歳
女楽文馬図(第16図)(斉国が魯国に女性楽団と馬を贈り、内政を乱そうとした図)18:4
孔子57歳
醜次同車図1(第19図)(衛国でパレードに参加させられる孔子{絵には不在}の図)9:18(15:13)
孔子58歳
醜次同車図2(第20図)(衛国を去るため車に乗り込む孔子の図)同上
孔子58歳
宋人伐木図(第21図)(木を切り倒して孔子一行に脅しを掛ける宋国人の図)7:22
孔子58歳
適衛撃磐図(第23図)(衛国で磐を打った孔子が通りがかりの人物に批評される図)14:41
孔子58歳
霊公問陣図(第26図)(衛の霊公が軍事に関して孔子に尋ねる図)15:1
孔子60歳
子路問津図(第27図)(旅の途中、ふたりの隠者が孔子を批判した図)18:6
孔子64歳
在陳絶糧図(第28図)(陳国と蔡国の軍隊に包囲され、飢えに苦しむ孔子の一行の図)15:2
孔子64歳、子路55歳
孔子の遍歴した国々
魯→周→斉→魯→衛→陳→宋→鄭→蔡→楚→衛→魯
207 Comments:
焚書坑儒に際して原=論語は壁に隠された
http://lh4.googleusercontent.com/-_I2yrufAEoM/UrrKWEHhb5I/AAAAAAAAa68/QeL7sCGOQsg/s1600/blogger-image--486431861.jpg
孔子は理想を音楽に見出した
07-13(>>225)
http://lh6.googleusercontent.com/-aG3nzlR9wUM/UrrA9RNKSSI/AAAAAAAAa4Q/QrzTCyHZMoc/s640/blogger-image--829830456.jpg
http://3.bp.blogspot.com/-Ywnqx1ravUs/Urrk35YNoXI/AAAAAAAAa7w/ea2bZF5ao0k/s1600/131225_2235_001.jpg
在斉聞韶図(『孔子画伝』第10図)(斉に在りて詔を聞くの図) 孔子36歳
図版参照:
孔子家語
顧沅『聖蹟図』賛詩訓釈稿 竹村, 則行
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/19834 上
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac/repository/100000/handle/2324/19834/p001.pdf
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/25159 下
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac/repository/100000/handle/2324/25159/p001.pdf
及び
http://1.bp.blogspot.com/-K9qonmVozbs/Urrsluh2AEI/AAAAAAAAa9A/rvc6rWVifVo/s400/131225_2235_011.jpg
上図は裏返し
螺旋状に移行上昇する?
国立国会図書館デジタル化資料 - 至聖文宣王
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1685451
資料種別 (materialType)
Book
タイトル (title)
至聖文宣王
タイトルよみ (titleTranscription)
シセイ ブンセンオウ
著者 (creator)
張楷 編
中山久四郎 解説
著者標目 (creator:NDLNH)
張, 楷, 明時代
中山, 久四郎, 1874-1961
著者標目よみ (creatorTranscription:NDLNH)
チョウ, カイ
ナカヤマ, キュウシロウ
出版地 (publicationPlace)
東京
出版者 (publisher)
亜東書房
http://www.ato-shoten.co.jp/newweb/pdf/Y51.pdf
10278027 孔子聖跡図 ISBN978-7-212-06050-3
[明] 張楷絵/張立華点校 303 頁 ■ 3,654 円 ( 税込 ) ●明代になり、孔子の生涯事跡を反映する連環図画作品が出現。 本書は明代張楷の 『聖迹図』 (38 幅) と北平民社 1934 年 3 月影印本 『孔子聖迹図』 (104 幅) を合編。
10278027 孔子聖跡図 - 中国書籍の亜東書店 | 中国、台湾、香港、韓国の輸入図書販売
http://www.ato-shoten.co.jp/newweb/sas/tharar/10278027.php
孔子聖跡圖
中国歴代絵刻本名著新編
[明]張楷絵/張立華点校/
安徽人民出版社
2013年 1月
ISBN: 9787212060503
B5小/303p/繁体字
3,654
円(税込)
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明代になり、孔子の生涯事跡を反映する連環図画作品が出現。本書は明代張楷の『聖迹図』(38幅)と北平民社1934年3月影印本『孔子聖迹図』(104幅)を合編。
明(みん、1368年 - 1644年)は中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。
朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。
https://lh6.googleusercontent.com/-I_N6iTBk_v4/UrrHLgvZ81I/AAAAAAAAa6A/EQGE5XDHsN 略
[7]:sage:13/12/29 00:25
哲学 / 【現代思想の】千葉雅也 10【貴公子】 [削除]
論語06-29
子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、
子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。
先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。だが人民の間にとぼしくなって久しいことだ。」
論語06-29
子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、
子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。
先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。だが人民の間にとぼしくなって久しいことだ。」
13-21
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也、
子の曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。
先生が言われた、「中庸の人を見つけて交わらないとすれば、せめては狂者か狷者だね。狂の人は[大志を抱いて]進んで求めるし、狷の人は[節義を守って]しないことを残しているものだ」
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以下上記ブログより引用。
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。
中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。
孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。
それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。
御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。
そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」
虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る
187 2012/07/16(月)08:11 O↓
子曰 中庸之爲徳也 其至矣乎 民鮮久矣
子曰く、中庸の徳たるや、それ至れるかな。民鮮なきこと久し。
綱渡り師のバランスの如く
万物に対する不偏の中間重心の威力たるや
これまさに至れるかな!!
全ては一本足で立つ舞踏者の
恐るべき平衡の一点を求めるその心こそ
我等が常に求めることなれ。
全てはバランスだ。
Don't think,feel your balance!!
しかしかかる平衡感覚を持つ人は少なくなりもうしただ。
439 7/8(月)07:54 O↓
子曰 不得中行而與之 必也狂狷乎 狂者進取 狷者有所不爲也
子曰く、中行を得てこれと與にせずんば、必ずや狂狷か。狂者は進み取る。狷者は爲さざる所あるなり。
中庸の徳をわきまえバランスを得た行いの人と共に行動するのがベストだが、
それが無理ならわしは気違いじみた奴か頑固一点張りのような人間と行動するさ。
曹操や織田信長みたいな気違いじみた奴は果敢に行動するし進取の気性がある。
頑固一点張りの人間はならぬものはならぬの一点張りでそれとは対照的だがやらないことがあるから。
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。
敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
敧器ともいう。
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>436)
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。
敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>436)
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。
敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>436)
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、一杯の時はひっくり返る。
水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>436)
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>436)
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>439)
https://lh5.googleusercontent.com/-2mc3rdX9OzM/Ur9ZIF3FjjI/AAAAAAAAbDo/glGPeQx3aTY/s1600/blogger-image-2088362086.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>439)
観周敧器https://lh5.googleusercontent.com/-2mc3rdX9OzM/Ur9ZIF3FjjI/AAAAAAAAbDo/glGPeQx3aTY/s1600/blogger-image-2088362086.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
06-29(>>187)
13-21(>>439)
観周敧器https://lh5.googleusercontent.com/-2mc3rdX9OzM/Ur9ZIF3FjjI/AAAAAAAAbDo/glGPeQx3aTY/s1600/blogger-image-2088362086.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
>>655
06-29(>>187)
13-21(>>439)
観周敧器
https://lh5.googleusercontent.com/-2mc3rdX9OzM/Ur9ZIF3FjjI/AAAAAAAAbDo/glGPeQx3aTY/s1600/blogger-image-2088362086.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-xqeTJQph9mA/Ur6CvKj7lmI/AAAAAAAAbCQ/bQygrVjpyCk/s1600/gaden1.jpg
「孔子、敧器を観るの図」明代。著者未詳。孔子故里博物館蔵。敧器に水が入っていない時は傾き、
一杯の時はひっくり返る。水がほどよく入っている時はまっすぐになる。
「孔子家語」「三恕」にある中庸を説いた故事を絵に表した図
http://1.bp.blogspot.com/-Qsp1Wp8oFyM/Ur7ay1IdeII/AAAAAAAAbDA/0U1ibVVZYaU/s1600/koushi2.jpg
敧器(きき、傾いた器)または宥坐の器(ゆうざのき)。
敧(き)とはかたむけるという意味。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。
http://www.youtube.com/watch?v=g6EkZLebc4E
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。
http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
参照:
>>655
06-29(>>187)
13-21(>>439)
学はパーソナリティシステム
仁は行動システム
礼は文化システムとも考えられる
これらは行為システム内にある
政は社会システム
子の曰わく、道に志し、徳に依り、仁に依り、芸に游(あそ)ぶ。
先生が言われた、「正しい道を目指し、[我が身に修めた]徳を根拠とし、[諸徳の中で最も重要な]仁によりそって、芸[すなわち教養の中]に遊ぶ。」
学を経済の位置におけた根拠は以下、
07-07
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉、
子の曰わく、束脩(そくしゅう)を行うより以上は、吾れ未だ嘗(かつ)て誨(おし)うること無くんばあらず。
先生が言われた、「乾し肉一束を持ってきた者から上は、[どんな人でも]私は教えなかったということはない。」
葉公
07-18
13-16
13-18
07-16
子曰、加我數年、五十以學、易可以無大過矣、
子の曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易(えき)を学べば、大なる過ち無かるべし。
先生が言われた、「私がもう数年経って、五十になってから学んだとしても、やはり大きな過ちなしにゆけるだろう」
https://lh5.googleusercontent.com/-_d5Yteryh20/Ur_iKi97JqI/AAAAAAAAbEI/FaOxRJCMh98/s1600/blogger-image--1856185060.jpg
孔子『論語』構造図
_______________________
| | | |
| | 政 | |
| | | |
| 学 |_____|_____|
| | | |
| | | |
| | | |
|___________徳_____|_____|
| | |
| 孝 | |
| | |
| 仁 | 礼 |
| | |
| | |
| | |
道___________|___________|
天
(怪力乱神)
(天と道は老子の範疇である。)
_______________________
| | | |
| | 政 | 礼 |
| | | |
| |_____徳_____|
| | | |
| | 学 | 仁 |
| | | |
|___________道_____|_____|
| | |
| | |
| | |
| 天 | |
| | |
| | |
| (怪力乱神) | |
|___________|___________|
(天と道は老子の範疇である。)
孔子『論語』構造図
_______________________
| | | |
| | 政 | |
| | | |
| 学 |_____|_____|
| | | |
| | | |
| | | |
|___________徳_____孝_____|
| | |
| | |
| | |
| 仁 | 礼 |
| | |
| | |
| | |
道___________|___________|
天
(怪力乱神)
(天と道は老子の範疇である。)
改訂前は、
_______________________
| | | |
| | 政 | 礼 |
| | | |
| |_____徳_____|
| | | |
| | 学 | 仁 |
| | | |
|___________道_____|_____|
| | |
| | |
| | |
| 天 | |
| | |
| | |
| (怪力乱神) | |
|___________|___________|
(天と道は老子の範疇である。)
孔子『論語』構造図
_______________________
| | | |
| | 政 | 礼 |
| | | |
| 学 |_____|_____|
| | | |
| | 学 | 仁 |
| | | |
|___________徳_____孝_____|
| | |
| | |
| | |
| 仁 | 礼 |
| | |
| | |
| | |
道___________|___________|
天
(怪力乱神)
(天と道は老子の範疇である。)
改訂前は、
_______________________
| | | |
| | 政 | 礼 |
| | | |
| |_____徳_____|
| | | |
| | 学 | 仁 |
| | | |
|___________道_____|_____|
| | |
| | |
| | |
| 天 | |
| | |
| | |
| (怪力乱神) | |
|___________|___________|
(天と道は老子の範疇である。)
論語(画伝付き)
巻 第一 学而第一
爲政第二 1、
雍也第六 29、
巻 第四 述而第七 5、7、13、16、20、22
泰伯第八 14
巻 第五 子罕第九 5、7、13、15、17、18、
郷黨第十
巻 第六 先進第十一
顔淵第十二 19
巻 第七 子路第十三 10、16
憲問第十四 26、 41、45、
巻 第八 衛靈公第十五 1、2
季子第十六
巻 第九 陽貨第十七 1、
微子第十八 3、4、5、6
巻 第十 子張第十九
尭曰第二十
8-19
堯 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF
堯
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堯
五帝
帝
王朝 五帝
姓・諱 伊祁放勲
父 嚳
母 陳鋒氏の娘
堯
堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。
『史記』「五帝本紀」によれば、嚳の次子として生まれ、嚳の後を継いだ兄から禅譲を受けて帝となった。羲仲、羲叔、和仲らに命じ、天文を観察して暦を作らせたという。
治世中に大洪水が発生したので、この治水工事に誰を送るかを決める時に臣下は鯀を推薦した。堯は鯀を採用するのは良くないと思ったが、臣下が試しに使ってみれば良いと言ったので試して見たが、堯の予想通り失敗し、堯は鯀を殺した。治水工事は鯀の息子の禹が後に実行する事になる。
堯には丹朱と言う息子がいたがこれを後継者とはせずに、後継者を定めるために臣下から推薦者を挙げさせた。その中の舜を選んで人格を見る事にした。まず自分の二人の娘を舜に降嫁し人格者である事を見極めた後に、舜に人民を治めさせ、その手腕を見極めた所で舜を自身の後継者と定めた。その後、8年が経ってから崩御した。
また、『十八史略』によれば平陽に都したとし、質素な生活を送っていたとしている。
別の書物での堯の伝説として、羿(羿の字は羽の下に廾、姓は后)を挙げる。その頃の太陽は全部で十個あり、交代で地上を照らしていたのだが、ある時に十個が一度に地上を照らすようになったために地上は灼熱地獄となった。堯は弓の名人である羿に何とかして来いと命令すると、羿は九個の太陽を打ち落として帰ってきて、救われた民衆は堯を褒め称え帝に迎えたという。
後世には舜と共に聖天子として崇められ、堯舜と並び称される。
堯舜伝説は春秋時代末には既に形作られていたようで、起源となったような人物がいるのかは解らないが、中国人民日報は2000年に山西省で堯舜時代の遺跡が見つかったと発表している。
また1993年に郭店一号楚墓から発見された竹簡には堯や舜の事跡が記録されており、注目される。
堯舜伝説の異説[編集]
唐代の歴史家・劉知幾は、その著書・『史通』で、堯舜伝説を否定する以下の内容のことを書き残している。
『山海経』等の歴史・地理書には、「囚堯城」や「帝丹朱」という記述があり、このことから想定するに、堯は実力者の舜に強制的に退位させられ、「囚堯城」に幽閉された。それから間もなく、舜は丹朱(帝丹朱)を即位させたが、しばらくして、人々の支持はことごとく自分に集まっているとして、丹朱を廃して自身が即位したのではないか。第一、そんなに徳の高い大人物が次から次と出て来るものだろうか。
鼓腹撃壌[編集]
堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
原文 書き下し文 現代語訳
日出而作
日入而息
鑿井而飲
耕田而食
帝力何有於我哉
日出でて作し、
日入りて息ふ。
井を鑿ちて飲み、
田を耕して食らふ。
帝力何ぞ我に有らんや。
日の出と共に働きに出て、
日の入と共に休みに帰る。
水を飲みたければ井戸を掘って飲み、
飯を食いたければ田畑を耕して食う。
帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。
ウィキメディア・コモンズには、堯に関連するカテゴリがあります。
カテゴリ: 中国の君主夏殷周の人物儒教文化英雄
http://www.cpcjapan.com/china/history/koushi/koushi.html
孔子関連(歴史)
サンプル画像をご覧になれます
孔子の写真なら、ストックフォトのシーピーシー・フォト
『東洋の合理思想』228頁メモ
正名(方法)13:3
知命(内容、実践)2:4、20:5
知の限界2:17
(カントではなく)ソクラテスと対比。孔子の正名にはソクラテス〜アリストテレスのような知的検討が欠けている。
________
『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17
(礼/非礼)→礼 3:15(92頁)
(和/不和)→和 13:23(24とする書もある)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
「過」「如何」さらに「仁」4:6にも当てはまるらしい。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も 3:15が一番いい例示だということがわかりやすくなる。
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note1723
17-23
子路曰、君子尚勇乎、子曰、君子義以爲上、君子有勇而無義爲亂、小人有勇而無義爲盗、
子路が曰わく、君子 勇を尚(とうと)ぶか。子の曰わく、君子義を以て上(かみ)と為す。君子 勇有りて義なければ乱を為す。小人 勇有りて義なければ盗を為す。
子路が言った、「君子は勇を貴びますか。」先生は言われた、「君子は正義を第一にする。上に立つ者が勇敢であっても正義が無いなら乱を起こすし、下々の者が勇敢であっても正義が無いなら盗みを働く。」
02-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、
子の曰わく、由よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。
先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」
03-15
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚*人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、
子、大廟に入りて、事ごとに問う。或るひとの曰わく、孰(たれ)かスウ人の子(こ)を礼を知ると謂うや、大廟に入りて、事ごとに問う。子これを聞きて曰わく、是れ礼なり。
先生は大廟の中で儀礼を一つ一つ尋ねられた。ある人が「スウの役人の子供が礼を知っているなどと誰がいったんだろう、大廟の中で一つ一つ尋ねている。」といったが、先生はそれを聞くと「それ[そのように慎重にすること]が礼なのだ。」といわれた。
概念の変革だが少し意味がズレる
13-23
子曰、君子和而不同、小人同而不和、
子の曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。
先生が言われた、「君子は調和するが雷同しない。小人は雷同するが調和はしない。」
同
小人l
--+--和
l君子
不 同
04-06
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也
子の曰わく、我れ未だ仁を好む者、不仁を悪くむ者を見ず。仁を好む者は、以てこれに尚(くわ)うること無し。不仁を悪くむ者は、其れ仁を為す、不仁者をし て其の身に加えしめず。能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)しこれ有らん、我れ未だこれを見ざるなり。
先生がいわれた、「私は、未だ仁を好む人も不仁を憎む人も見たことがない。仁を好む人はもうそれ以上のことはないし、不仁を憎む人もやはり仁を行ってい る、不仁の人を我が身に影響させないからだ。もしよく一日の間でも、その力を仁のために尽す者があったとしてごらん、力の足りない者など、私は見たことが ない、あるいは[そうした人も]いるかも知れないが・・・・、私は未だ見たことがないのだ」
これも再帰的
01-01
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠 い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人 にはできないことだから。]」
01-01と関係
13-16
葉公問政、子曰、近者説、遠者來、
葉公(しょうこう)、政を問う。子の曰わく、近き者説(よろこ)び遠き者来たる。
葉公が政治のことを訊ねられた。先生は言われた、「近くの人々は悦び、遠くの人々は[それを聞いて慕って]やって来るように」
07-21
子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之、
子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得(う)。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。
先生が言われた、「私は三人で行動したら、きっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれを見習い、善くない人にはその善くないことを[我が身について]直すからだ。」
05-28
子曰、十室十邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好學也、
子の曰わく、十室の邑(ゆう)、必ず忠信、丘が如き者あらん。丘の学を好むに如(し)かざるなり。
先生がいわれた、「十軒ばかりの村里にも、丘(私)くらいの忠信の人はきっといるだろう。丘の学問好きには及ばない[だけだ]」
05-22
子在陳曰、歸與歸與、吾黨之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之也、
子、陳に在りて曰わく、帰らんか、帰らんか。吾が党の小子、狂簡、斐然として章を成す。これを裁する所以(ゆえん)を知らざるなり。
先生は陳の国でいわれた、「帰ろうよ、帰ろうよ。うちの村の若者たちは志が大きく、美しい模様を織りなしてはいるが、どのように裁断したらよいか分からないでいる。[帰って私が指導しよう。]」
60歳
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note60y
カントとスピノザ
孔子と老子
仏教とヒンズー教(バラモン)
老子と孔子
第5集 子見老子 日本語字幕版
孔子と老子の会話中国語字幕版は以下、 http://www.youtube.com/watch?v=MdhVH1... 孔子が周に行った時、老子に会い、礼について質そうとすると、老子は言った。
「きみが慕う上古の聖人も、その身はおろか骨さえ朽ちはてて、いまはただ空しいことばを残すだけである。とかく君子は、時を得て用いられれば馬車に乗る身となり、時を得なければさすらいの身となるもの。『良賈(りょうこ=商売の上手なちゃんとした商人)は品物を奥深くしまいこんで、外見は空しいようにみえ、君子は、すぐれた徳を身の内深くそなえて、外貌は愚かなようにみえる』と聞いているが、きみの高慢と多欲と、もったいぶりとまよいの念を取り去り給え。それらはきみに何の益もないもの。私がきみに言いたいのは、ただこれだけである。」
孔子は辞去して弟子に言った。
「鳥ならばよく飛び、魚ならばよく泳ぎ、獣ならばよく走ることは、私もよく知っている。走るものは網を張って捕え、泳ぐものは糸を垂れて釣り、飛ぶものは滑(いぐるみ=糸をつけた矢)をもって射落とすことができる。しかし、竜にいたっては風雲に乗って天にあがるというが、私には実体がわからない。私は今日、老子に会ったが、竜にさながらと言おうか、まったく、つかみどころがなかった。」
(以下略。『史記』「列伝」篇、ちくま文庫版より。)
孔子適周,將問禮於老子。
老子曰:
「子所言者,其人與骨皆已朽矣,獨其言在耳。且君子得其時則駕,不得其時則蓬累而行。吾聞之,良賈深藏若虛,君子盛德容貌若愚。去子之驕氣與多欲,態色與淫志,是皆無益於子之身。吾所以告子,若是而已。」
孔子去,謂弟子曰:
「鳥,吾知其能飛;魚,吾知其能遊;獸,吾知其能走。走者可以為罔,遊者可以為綸,飛者可以為矰。至於龍,吾不能知其乘風雲而上天。吾今日見老子,其猶龍邪!」
シャーマニズムの合理化
アニミズムの深化
99 2012/05/06(日)14:49 O↓
子曰 我未見好仁者惡不仁者 好仁者無以尚之 惡不仁者其爲仁矣 不使不仁者加乎其身 有能一日其力於仁矣乎 我未見力不足者 蓋有之乎 我未之見也
先生がおっしゃった。
「拙者はいまだに真に仁を好む者や不仁を厭う者を見たことがありませんですじゃ。
仁を好む者には何も付け足す必要もありません。
不仁を厭う者はそれには劣り、消極的に仁をなすと言えましょうが、
まあ立派な者ですね、不仁の者から影響を受けないんですから。
徹底的に一日を仁で貫き通して腕まくりで力んでみたからといって、
それをする力に不足しているものなど見たことないですな。
まあ、そういう人ももしかしたらいるかもしれませんが、見たことはないですな。
仁を実践する力は何も大袈裟なものではない。本当は簡単なんです。」
04-07
100 2012/05/07(月)19:18 O↓
子曰 人之過也 各於其黨 顴過斯知仁矣
人の失策(ヘマ)というものは、同じ類の人間ならだいたい共通するものだ。
人の過ちを観察することで、その人がどの程度の仁者なのか知ることができるね。
07-29
子の曰わく、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。
先生がいわれた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくるよ」
12=04
司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼、
司馬牛、君子を問う。子の曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、曰わく、憂えず、懼れず、斯れこれを君子と謂うべきか。子の曰わく、内に省(かえり)みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れん。
司馬牛が君子のことをお訊ねした。先生は言われた、「君子は心配もぜず、恐れもしない。」「心配もせず恐れもしないなら、それで君子といって宜しいのでしょうか。」先生は言われた、「心に反省してやましくなければ、一体、何を心配し何を恐れるのか。」
4-21
子の曰わく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
先生がいわれた、「すぐれた人を見れば同じようになろうと思い、つまらない人を見たときには吾と我が心に反省することだ」
15-21
子の曰わく、君子は諸(こ)れを己のれに求む。小人は諸れを人に求む。
先生が言われた、「君子は自分に[反省して]求めるが、小人は他人に求める。」
『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17
(礼/非礼)→礼 3:15(92頁)
(和/不和)→和 13:23(24とする書もある)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
「過」「如何」さらに「仁」4:6にも当てはまるらしい。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も 3:15が一番いい例示だということがわかりやすい。
02-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、
子の曰わく、由よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。
先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」
03-15
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚*人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、
子、大廟に入りて、事ごとに問う。或るひとの曰わく、孰(たれ)かスウ人の子(こ)を礼を知ると謂うや、大廟に入りて、事ごとに問う。子これを聞きて曰わく、是れ礼なり。
先生は大廟の中で儀礼を一つ一つ尋ねられた。ある人が「スウの役人の子供が礼を知っているなどと誰がいったんだろう、大廟の中で一つ一つ尋ねている。」といったが、先生はそれを聞くと「それ[そのように慎重にすること]が礼なのだ。」といわれた。
12=04
司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼、
司馬牛、君子を問う。子の曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、曰わく、憂えず、懼れず、斯れこれを君子と謂うべきか。子の曰わく、内に省(かえり)みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れん。
司馬牛が君子のことをお訊ねした。先生は言われた、「君子は心配もぜず、恐れもしない。」「心配もせず恐れもしないなら、それで君子といって宜しいのでしょうか。」先生は言われた、「心に反省してやましくなければ、一体、何を心配し何を恐れるのか。」
8:46 午後
yoji さんは書きました...
4-21
子の曰わく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
先生がいわれた、「すぐれた人を見れば同じようになろうと思い、つまらない人を見たときには吾と我が心に反省することだ」
8:47 午後
yoji さんは書きました...
15-21
子の曰わく、君子は諸(こ)れを己のれに求む。小人は諸れを人に求む。
先生が言われた、「君子は自分に[反省して]求めるが、小人は他人に求める。」
05-22
子在陳曰、歸與歸與、吾黨之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之也、
子、陳に在りて曰わく、帰らんか、帰らんか。吾が党の小子、狂簡、斐然として章を成す。これを裁する所以(ゆえん)を知らざるなり。
先生は陳の国でいわれた、「帰ろうよ、帰ろうよ。うちの村の若者たちは志が大きく、美しい模様を織りなしてはいるが、どのように裁断したらよいか分からないでいる。[帰って私が指導しよう。]」
60歳
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note60y
07-21
子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之、
子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得(う)。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。
先生が言われた、「私は三人で行動したら、きっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれを見習い、善くない人にはその善くないことを[我が身について]直すからだ。」
5:33 午前
yoji さんは書きました...
05-28
子曰、十室十邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好學也、
子の曰わく、十室の邑(ゆう)、必ず忠信、丘が如き者あらん。丘の学を好むに如(し)かざるなり。
先生がいわれた、「十軒ばかりの村里にも、丘(私)くらいの忠信の人はきっといるだろう。丘の学問好きには及ばない[だけだ]」
04-06
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也
子の曰わく、我れ未だ仁を好む者、不仁を悪くむ者を見ず。仁を好む者は、以てこれに尚(くわ)うること無し。不仁を悪くむ者は、其れ仁を為す、不仁者をし て其の身に加えしめず。能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)しこれ有らん、我れ未だこれを見ざるなり。
先生がいわれた、「私は、未だ仁を好む人も不仁を憎む人も見たことがない。仁を好む人はもうそれ以上のことはないし、不仁を憎む人もやはり仁を行ってい る、不仁の人を我が身に影響させないからだ。もしよく一日の間でも、その力を仁のために尽す者があったとしてごらん、力の足りない者など、私は見たことが ない、あるいは[そうした人も]いるかも知れないが・・・・、私は未だ見たことがないのだ」
ちくま新書『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17(>>)
(礼/非礼)→礼 3:15(>>)(92頁)
(和/不和)→和 13:23(>>)(24とする書もある)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も 3:15が一番いい例示だということがわかりやすい。
内在的反省が基本にある。
(>>)(>>)
ちくま新書『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17(>>54)
(礼/非礼)→礼 3:15(>>78)(92頁)
(和/不和)→和 13:23(>>441)(24とする書もある)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も
3:15(>>78)が一番いい例示だということがわかりやすい。
内在的反省が基本にある。
01-01(>>11),04-21(>>111),12-04(>>387),15-21(>>521)
ちくま新書『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17(>>54)
(礼/非礼)→礼 3:15(>>78)(92頁)
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も
3:15(>>78)が一番いい例示だということがわかりやすい。
内在的反省が論語の基本にある。
01-01(>>11),04-21(>>111),12-04(>>387),15-21(>>521)
☆「心の欲するところに従って矩を踰えず」の心境。
孔子は自分の人生を振り返って <為政第二020>
孔子の立ち振舞い
孔子が人と接する態度は <郷党第十241>
家老と話す時の様子は <郷党第十242>
宮廷での様子は <郷党第十244>
孔子の食生活とお酒は <郷党第十247>
近親者を亡くした人へは <述而第七159>
喪服をつけた人には <子罕第九218>
孔子学園の様子 パート②
三人行えば我が師あり <述而第七171>
孔子が憂えた四つの点 <述而第七153>
歌の指導方法は <述而第七181>
孔子が言及しなかった事 <述而第七170>
子貢の感想 <公冶長第五105>
顔淵が溜息まじりに云う <子罕第九219>
孔子の冗談 <子罕第九210>
<泰伯第八202 8:15>
孔子学園の様子 パート①
孔子の教育方針の四本柱 <述而第七174>
孔子が慎重を期したこと <述而第七162>
利と命について <子罕第九209>
孔子が弟子達に求めた態度<述而第七158>
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。
その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。
北斗七星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「ここに二つの物がある、それはーー我々がその物を思念すること長くかつしばしば
なるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところ
なく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則であ
る。…」(岩波文庫317頁)
Zwei Dinge erfüllen das Gemüth mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: der bestirnte Himmel über mir und das moralische Gesetz in mir.(V, 161)(1)
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/works/Abhl_17.htm
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。
その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。
北斗七星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
ドイツの哲学者カント
『私の心を感嘆と畏敬で満たす二 つののものがある。それは、星の煌く天空と、私の内なる道徳律とである』
06-01
子曰、雍也可使南面、
子の曰わく、雍(よう)や南面せしむべし。
先生がいわれた、「雍は南面させてもよい」
南面=天子や諸侯は南向きで政治をとった。「南面させてもよい」とは立派な政治家になれるとの意味。
15-05
子曰、無爲而治者、其舜也與、夫何爲哉、恭己正南面而已矣、
子の曰わく、無為にして治まる者は其れ舜なるか。夫(そ)れ何をか為さんや。己れを恭々(うやうや)しくして正しく南面するのみ。
先生が言われた、「何もしないでいて巧く治められた人はまあ舜だろうね。一体、何をされたろうか。御身をつつしまれて、真南に向いておられただけだ。」
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。
その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。
北斗七星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
関連
06-01
15-05
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。
その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。
北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
儒教では、中間色である 「紫」 を正色(原色)である 「赤」 よりも格下に見る [11]が、天皇大帝は 「紫宮」 あるいは 「紫微宮」、「紫宸殿」(ししんでん)、「大極殿」(だいごくでん)などと呼ばれる宮殿に住んでいることになっており、また北極星の光芒は紫色とされ、紫色を最高の神聖な色としている[12]。 [13]
^ たとえば 『論語』 「陽貨篇」 に孔子の言葉として 「紫の朱を奪うを悪(にく)む」 とある。
http://c5d5e5.asablo.jp/blog/2013/10/09/7004145
孔子の見た星空 ―
2013年10月09日 11:50
物理学の先生が書かれた星空と漢詩文のお話。発行は、大修館書店。
最初に読んだときは、随分と天体に詳しい漢詩の先生だと思ったが、著者紹介を読んで納得。
孔子、とあるが、清代までの中国の長い歴史上の漢詩文に詠まれた星々を巡る。時に、関連する日本の詩文も登場する。
なにより、面白いのは、ステラナビゲータを駆使して、詩文の詠まれた当時の星空を再現し、論ずるところ。さすがに二千年も前の星空は、今とはだいぶ異なる。再現した星空を元に、これまでの解釈を正していくところは、さすがに科学の先生。北極星を巡る議論など、なかなかのもの。
ステラナビゲータ:アストロアーツの天文ソフト
http://www.astroarts.co.jp/
星空を観察するために、星空を再現するのが、本来の用途だが、こんな使い方もあるとは。
星座というと、すっかり西洋のそれに馴染んでしまっているが、中国の星座の話も興味深い。同じ星の並びを見て、何を想像したのか。中国では、今も通用するのだろうか。
手元に、漢詩の詩集があれば、時折、参照しながら、いっそう楽しめる。詩経、杜甫、李白、白居易、唐詩選、など。逆に、本書があれば、詩文に登場する星、星座の理解も助かる。
http://c5d5e5.asablo.jp/blog/2013/10/09/7004145
孔子の見た星空: 古典詩文の星を読む - 福島久雄 - Google Books
漢詩は、わが国では主に作者や作品ごとに個別に鑑賞されてきた場合が多かったの ですが、本書は星という主題について、多くの詩文を作者・時代を問わず並べかえた、 いわば横の切り口で見たものであります。巻末の星の名句集もこの形で集録しました。
books.google.com/books/about/孔子の見た星空.html?id...
「太陽信仰」と「南面思想(天子南面説)」がイコールであるとの、御解答 ...
前方後円墳と南面思想(天子南面説)の関係(1/29)」について質問したところ、 onia222 さんから次のような御解答を頂きました。 「つまり「太陽信仰」とは、「南面思想(天子南面 説)」とイコールなのです。」 「南面思想は道教(北極星)では有り ...
m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1055095390
左上位 弐 ―天子南面―|パンダ・ライフ - Ameba
2013年2月20日 ... 左上位は元々「天子南面」思想から来ています。 古来より天子(日本では天皇)は北を 背に南を向いて玉座に. 座る事が決められていました。 なぜそうなるのかはこれも やはり諸説あります。 ネットで調べただけでも、古代中国からの北極星信仰 ...
ameblo.jp/koushi-panda-neko/entry-11471245521.html
幻の『倭人三国伝』 三貴神の天降り仮説ー歴史知のチャレンジ 第一章 ...
2013年10月11日 ... 北極星信仰から太陽信仰への鞍替えは、移動から定住への変化と関係が深いようだ。 海運や水産で暮らしている海洋民族 ... そこで皇帝は北極星の威光を受けて支配する ので、北を背に南面するのである。 もちろん中国も農耕が中心なので、 ...
www46.atpages.jp/mzprometheus/historyfolklore/5703
諏訪春雄通信 46
日本人の公式の方位観は中国の天の信仰をうけいれて、北極星にむかい、右回りを 重んじる南北軸(子午線)重視ですが、それとは ... 大和王権は中国を見習って、子午線を 重視したから、大和王権下の神社の多くは、社殿も神座も南面の子午線重視である。
www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f05/suwa46.htm
北辰妙見信仰の系譜 1
もうすでに、北辰妙見信仰という言葉が出ていますが、ここでは一般的に北辰妙見信仰 がどういうものであるか、概観してみることにします。難しい言葉も出てきますが、わかり やすく解説したつもりです。 (1)北極星の特別な地位 まず、北極星(ポラリス)が、 ...
www.d1.dion.ne.jp/~okmys/myoken1.htm
「右腕」は南面思想により自分が南を向いた場合、すぐ傍の西(右)に
立つ「下位」の部下への賛辞。
「左遷」は上位から下位の立場へ移る場合、対峙する臣下の者の目から
みれば右にいる立場から左にいる立場に変わるように映るので
降格を表す言葉になりました。
「右に出るものはいない」の例えも左上位から来ています。
右から左へと書く縦書き書面に順列を表すと、一番上位の者が右に
書かれる事になります。
これは対峙する読むものにとっては右に映りますが、その順位を
決定した人(天子南面の言葉からすれば天子)から見ればその人は
「左」に位置する事になります。
「左遷」や「右に出る者がいない」の考え方は左大臣・右大臣の
位置関係と同じです。
http://ameblo.jp/koushi-panda-neko/entry-11471245521.html
☆北辰妙見信仰の系譜 1
もうすでに、北辰妙見信仰という言葉が出ていますが、ここでは一般的に北辰妙見信仰がどういうものであるか、概観してみることにします。難しい言葉も出てきますが、わかりやすく解説したつもりです。
(1)北極星の特別な地位
まず、北極星(ポラリス)が、どういう星か、説明しましょう。こぐま座のアルファ星で、ちょうどくまのしっぽの先に当たり、光度2.1等の星です。というよりも、地球の北の地軸の延長線上(天の北極)にあり、一晩中動かない星といえば、誰でも知っていますね?。実際は、天の北極よりも1度近く離れており、小さな半径で日周運動をしているのですが、古来より航海などで北を指す星として、大変重視されてきました。
日本では、「子(ね)の星」と呼ばれています。子は十二支の最初ですが、方角でいうと北を指す言葉です。ちなみに、「子午線」というのは、子と、南の方角午(うま)を結ぶ線という意味があります。
見かけ上、すべての星(太陽や月も含む)が北極星を中心に運行するので、昔の人々は、この星に特別な地位を与えました。古代中国では、北極星に対する信仰が生まれ、日本にも入ってきて、これから述べる北辰妙見信仰になったのです。
(2)道教と陰陽道における北辰信仰
古代中国では、あらゆる星が北極星を中心に巡ることから、全宇宙を司る星として、最高レベルの神として崇拝されるようになったとは、すでに書いたとおりです。
北極星は、北辰(ほくしん)と呼ばれ、天帝の化現した姿だと信じられていました。辰とは、龍神のことです。北辰は、道教の中心的な神である太一神(たいいっしん)と同一視され、また、陰陽道で宇宙生成、森羅万象を司る神として位置づけられる泰山府君(たいざんふくん)とも、同一神であると見なされることもあります。
陰陽道(「おんみょうどう」と読む。余談だが、山陽と山陰を結ぶ鉄道を総称して「陰陽連絡線」というが、こちらは普通に「いんよう」と読んだ方がよい)とは、中国の陰陽五行説(すべてのものが「陰」と「陽」で成り立つという二元論。たとえば、太陽は「陽」で、月は「陰」であるなど。この思想は、日本を含む中国文化圏に多大な影響を与えた。「五行」の方は、あとで説明する)にもとづく自然観察の方法に、様々な民間信仰が結びついて神秘思想として体系化されたものです。
陰陽道における北辰の概念は、中国のものとほぼ同じで、天地草創の中心に位置する宇宙根元の神とされます。北辰から、日月が生じ、五星(木星、火星、土星、金星、水星)が生まれ、それが五行になったといいます。
五行とは、すべてのものを構成する元素と考えられたもので、木火土金水(もっかどごんすいと読む)の五つから森羅万象は成り立っているという中国の宇宙観です。さらに、五行から人間が生じ、人間の根元をたどれば北辰に達すると考えられていました。
ちなみにインド(仏教)では、四大(地水火風)、それに空(くう)を加えた五大という考え方があります。墓地で見かける五輪塔は、五大を形にしたものです。
北辰信仰は、北極星に対するものですが、広く北斗七星も「辰」と見なされ、北斗祭祀もまた、北辰信仰と習合していきました。下松の降星伝説で、「七星」とあるのも、北斗信仰との関連を想起させて、興味深く想います。形から言えば、北斗七星の方が、より辰(龍神)のようにも見えますね。
陰陽道では、北辰は今日でも、鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん。鎮宅霊符とは、陰陽道最強の護符のこと)として祀られています。しかし、一般には次に述べるように、仏教に取り入れられて妙見菩薩に対する信仰として、普及していきました。
http://www.d1.dion.ne.jp/~okmys/myoken1.htm
星信仰から太陽信仰への以降は、
遊動から定住への移行と対応するらしい
古来から星は移動の道しるべだった
エジプトのピラミッド、は両者の相克の例
日本では順序が混乱している
飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ
始皇帝の北辰信仰も
遊説した孔子も
移動民として考えれば星信仰も納得出来る
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
ちなみに星信仰から太陽信仰への以降は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝の北辰信仰も遊説した孔子も移動民として考えればその星信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連
06-01
15-05
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
言及されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
ちなみに星信仰から太陽信仰への以降は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝の北辰信仰も遊説した孔子も移動民として考えればその星信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通はソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子の背景にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
言及されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
ちなみに星信仰から太陽信仰への以降は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝の北辰信仰も遊説した孔子も移動民として考えればその星信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子の背景にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
言及されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。
ちなみに星信仰から太陽信仰への以降は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝の北辰信仰も遊説した孔子も移動民として考えればその星信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。」
ちなみに星信仰から太陽信仰への以降は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝も遊説した孔子も移動民として考えればその北辰信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
カントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。」
ちなみに星信仰から太陽信仰への移行は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝も遊説した孔子も移動民として考えればその北辰信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子にはシャーマニズムの伝統がある。指摘された北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
同じく指摘されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。」
ちなみに星信仰から太陽信仰への移行は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝も遊説した孔子も移動民として考えればその北辰信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
普通は孔子の『論語』02-17(>>54)は、ソクラテスの「無知の知」と比べられる。その方が対話主義的な部分が説明出来るから。
ただ孔子の背景にはシャーマニズムの伝統がある。指摘された北極星信仰もそうした要素の一つではないだろうか?
02-01(>>36)
https://lh5.googleusercontent.com/-sBV0P6BfJb0/UsKmsCf2mnI/AAAAAAAAbHo/jujOTZDM3VA/s1600/blogger-image--774849395.jpg
同じく指摘されたカントの『実践理性批判』のラストは以下、墓碑銘にもなっている。
こちらはシャーマニズムではなく宇宙論が背景にある。
http://1.bp.blogspot.com/-5ZD32ASeSuk/UL3qluevz1I/AAAAAAAAPFY/4IRWoUkWffM/s1600/IMG_01941.jpg
「(邦訳)繰り返し,絶え間なく熟考すればするほど,それだけ新たにたかまりくる
感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が
内なる道徳律とである。」
ちなみに星信仰から太陽信仰への移行は、遊動から定住への移行と対応するらしい。
古来から星は移動の道しるべだった。エジプトのピラミッドは両者の相克の例だ。
日本では順序が混乱している。飛鳥時代に星信仰が輸入された側面があるからだ。
始皇帝も遊説した孔子も移動民として考えればその北辰信仰も納得出来る。
政治的立場を超えたエスピテーメーなのだ。
関連?
06-01(>>155)
15-05(>>505)
孔子学園の様子
孔子の教育方針の四本柱 (述而第七174)07-24(>>237)
孔子が慎重を期したこと (述而第七162)07-12(>>224)
利と命について (子罕第九209)09-01(>>284)
孔子が弟子達に求めた態度(述而第七158)07-08(>>220)
三人行えば我が師あり (述而第七171)07-21(>>234)
孔子が憂えた四つの点 (述而第七153)07-03(>>215)
歌の指導方法は (述而第七181)07-31(>>248)
孔子が言及しなかった事 (述而第七170)07-20(>>233)
子貢の感想 (公冶長第五105)05-13(>>137)
顔淵が溜息まじりに云う (子罕第九219)09-11(>>295)
孔子の冗談 (子罕第九210)09-02(>>285)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0319
定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠、
定公問う、君、臣を使い、臣、君に事(つか)うること、これを如何。孔子対(こた)えて曰わく、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。
定公が「主君が臣下を使い、臣下が主君に仕えるには、どのようにしたものだろう。」とお訊ねになったので、孔先生は答えられた、「主君が臣下を使うには礼によるべきですし、臣下が主君に仕えるには忠によるべきです。」
03-19
礼
↑
↓
忠
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネL| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の能の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
孔子『論語』概念構造図:
___________
|行政|歴史|農業|音楽|
|__政__孝__礼__|
| |叛乱| |詩経|
|__|__徳__|__|
|年齢|知 |中庸| 聖|
|__学__|忠_仁君子|
|経済|言葉|日常| 死|
____道__|__|信義|弟子|
|
天 |
孔子『論語』概念構造図:
___________
|行政|歴史|農業|音楽|
|__政__|__礼__|
| |叛乱|孝 |詩経|
|__|__徳__忠__|
|年齢|知 |中庸|君子|
|__学__|__仁__|
|経済|言葉|信義| 死|
____道__|__|日常|弟子|
|
聖 |
|
天 |
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネL| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の能の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/ | | \
/___ | | ___\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/ | | | | \
/_____ | | | | _____\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネL| | | \
/ | | | | | | \
/_________|_|_|__|_|_|_________\
『論語』の中心的な徳目「仁義礼智信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の能の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネL| | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
孔子『論語』概念構造図:
___________
|行政|歴史|農業|音楽|
|__政__孝__礼__|
| |叛乱| |詩経|
|__|__徳__|__|
|年齢|知 |中庸| 聖|
|__学__|忠_仁君子|
|経済|言葉|日常| 死|
____道__|__|信義|弟子|
|
天 |
孔子『論語』概念構造図:
___________
|行政|歴史|農業|音楽|
|__政__|__礼__|
| |叛乱|孝 |詩経|
|__|__徳__忠__|
|年齢|知 |中庸|君子|
|__学__|__仁__|
|経済|言葉|信義| 死|
____道__|__|日常|弟子|
|
聖 |
|
天 |
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
03-03
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何、
子の曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何。人にして仁ならずんば、楽を如何。
先生がいわれた「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなければ楽があってもどうしようぞ」
里仁第四
04-01
子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知、
子の曰わく、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。択(えら)んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ知なることを得ん。
先生がいわれた、「仁に居るのが立派なことだ。あれこれ選びながら仁をはずれるのでは、どうして智者といえようか」
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。 仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁の ことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
07-29
子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣、
子の曰わく、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。
先生がいわれた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくるよ」
顔淵第十二
12-01
顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、顔 淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣、
顔淵、仁を問う。子の曰わく、己れを克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己れに由(よ) る。而して人に由らんや。顔淵の曰わく、請(こ)う、其の目(もく)を問わん。子の曰わく、礼に非ざれば視ること勿(な)かれ、礼に非ざれば聴くこと勿 れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵の曰わく、回、不敏(ふびん)なりと雖ども、請う、斯の語を事(こと)せん。
顔淵が仁のことをお訊ねした。先生は言われた、「我が身を慎んで礼[の規範]に立ち戻るのが仁と言うことだ。一日でも身を慎んで礼に立ち戻れば、世界中が 仁になつくようになる。仁を行うのは自分次第だ。どうして人頼みできようか。」顔淵が「どうかその要点をお聞かせ下さい。」と言ったので、先生は言われ た、「礼に外れたことは見ず、礼に外れたことは聞かず、礼に外れたことは言わず、礼に外れたことはしないことだ。」顔淵は言った、「回は愚かではございま すが、このお言葉を実行させて頂きましょう。」
12-02
仲弓問仁、子曰、出門如見大賓、使民如承大祭、己所不欲、勿施於人、在邦無怨、仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣、
仲弓、仁を問う。子の曰わく、門を出でては大賓(だいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭に承(つか)えまつるが如くす。己れの欲せざる所は人に施す こと勿かれ。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し。仲弓が曰わく、雍、不敏なりと雖ども、請う、斯の語を事とせん。
仲弓が仁のことをお訊ねした。先生は言われた、「家の外で[人に会うときに]は大切な客に会うかのようにし、人民を使うときには大切な祭りを行うかのよう にし、自分の望まないことは人に仕向けないようにし、国にいても怨まれることがなく、家にいても怨まれることがない。」仲弓は言った、「雍は愚かではござ いますが、このお言葉を実行させて頂きましょう」
12-03
司馬牛問仁、子曰、仁者其言也ジン*、曰、其言也ジン*、斯可謂之仁已乎、子曰、爲之難、言之得無ジン*乎、
司馬牛(しばぎゅう)、仁を問う。子の曰わく、仁者は其の言やジ ン*。曰わく、其の言やジン、斯れこれを仁と謂うべきか。子の曰わく、これを為すこと難たし。これを言うにジンなること無きを得んや。
司馬牛が仁のことをお訊ねした。先生は言われた、「仁の人はその言葉が控えめだ。」「その言葉が控えめなら、それで仁と言って宜しいでしょうか。」先生は 言われた、「実践が難しい[と思えば]、もの言うことも控えないでおれようか。[そこが大切なところだ]」
12-22
樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、擧直錯諸在、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者 直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆擧皐陶、不仁者遠矣、湯有天下、選於衆擧伊尹、不仁者遠矣、
樊遅(はんち)、仁を問う。子の曰わく、人を愛す。知を問う。子の曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子の曰わく、直(なお)きを挙げて諸(こ)れを枉 (まが)れるに錯(お)けば、能く枉れる者をして直からしめん。樊遅退きて子夏に見(まみ)えて曰わく、嚮(さき)に吾れ夫子に見えて知を問う、子の曰わ く、直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめんと。何の謂いぞや。子夏が曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有(たも) ち、衆に選んで皐陶(こうよう)を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。湯(とう)、天下を有ち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。
樊遅が仁のことをお訊ねすると、先生は「人を愛することだ。」と言われた。智のことをお訊ねすると、「人を知ることだ。」と言われた。樊遅はまだよく分か らなかった。先生は言われた、「正しい人々をひきたてて邪悪(よこしま)な人々の上に位(くらい)づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。」 樊遅は退出してから子夏に会って話した、「先ほど私はうちの先生にお会いして智のことをお訊ねしたが、先生は『正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位 づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。』とおっしゃった。どういう意味だろうか。」子夏は言った、「充実しているね、そのお言葉は。舜が天 下を取ったとき、大勢の中から選んで皐陶(こうよう)をひきたてたので、仁でない者共は遠ざかった。湯(とう)が天下を取ったときも、大勢の中から選んで 伊尹(いいん)を引き立てたので、仁でない者共は遠ざかったのだ。」
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
03-03
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何、
子の曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何。人にして仁ならずんば、楽を如何。
先生がいわれた「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなければ楽があってもどうしようぞ」
里仁第四
04-01
子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知、
子の曰わく、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。択(えら)んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ知なることを得ん。
先生がいわれた、「仁に居るのが立派なことだ。あれこれ選びながら仁をはずれるのでは、どうして智者といえようか」
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。 仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁の ことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
顔淵第十二
12-01
顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、顔 淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣、
顔淵、仁を問う。子の曰わく、己れを克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己れに由(よ) る。而して人に由らんや。顔淵の曰わく、請(こ)う、其の目(もく)を問わん。子の曰わく、礼に非ざれば視ること勿(な)かれ、礼に非ざれば聴くこと勿 れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵の曰わく、回、不敏(ふびん)なりと雖ども、請う、斯の語を事(こと)せん。
顔淵が仁のことをお訊ねした。先生は言われた、「我が身を慎んで礼[の規範]に立ち戻るのが仁と言うことだ。一日でも身を慎んで礼に立ち戻れば、世界中が 仁になつくようになる。仁を行うのは自分次第だ。どうして人頼みできようか。」顔淵が「どうかその要点をお聞かせ下さい。」と言ったので、先生は言われ た、「礼に外れたことは見ず、礼に外れたことは聞かず、礼に外れたことは言わず、礼に外れたことはしないことだ。」顔淵は言った、「回は愚かではございま すが、このお言葉を実行させて頂きましょう。」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
04-02
子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁、
子の曰わく、不仁者(ふじんしゃ)は以て久しく約に処(お)るべからず。以て長く楽しきに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
06-23
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、
子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。
先生が言われた、「智の人は[流動的だから]水を楽しみ、仁の人は[安らかにゆったりしているから]山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は楽しみ、仁の人は長生きをする。」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
15-33
子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之、仁能守之、不莊以莅*之、則民不敬、知及之、仁能守之、莊以莅*之、動之不以禮、未善也、
子の曰わく、知はこれに及べども仁これを守ること能わず、これを得ると雖も必ずこれを失う。知はこれに及び仁能く守れども、荘以てこれにノゾまざれば、則 ち民は敬せず。知はこれに及び仁能くこれを守り、荘以てこれにノゾめども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善ならざるなり。
先生が言われた、「智は[人民を治めるのに]十分であっても、仁徳で守れなければ、仮令[人民を]獲得してもきっと手放すようになる。智は[人民を治める のに]十分で、仁徳で守れても、威儀を正して臨まなければ、人民は敬わない。智は[人民を治めるのに]十分で、仁徳でよく守り、威儀を正して臨んでも、 [人民を]鼓舞するのに礼によるのでなければ、まだ立派ではない。」
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四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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/ | 智 仁 | \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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二次元 / | | | | \
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一次元 / | | | | | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
179 :考える名無しさん:2012/07/12(木) 18:42:10.87 O
樊遅問知 子曰 務民之義 敬鬼神而遠之 可謂知矣 問仁 曰 仁者先難而後獲 可謂仁矣
樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂うべし。仁を問う。仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅さんが先生に知者について尋ねた。
「人として今を生きるその意義を探求し実践していかなきゃならないね。
また人の道を超えた鬼や神についてはこれを敬いながらもそれと距離をとることだね。
いくら空を見上げても自分の足元がぐらいついてたんじゃどうしようもないからね。こういうのが知者だよ。」
ついでだから仁者についても尋ねた。
「人が嫌がることや困難と思うことを率先してやって、利益とかは後回しだ。
こういうのが仁者だろうさ。」
518 :考える名無しさん:2013/09/20(金) 21:10:15.30 O
子曰 君子義以爲質 禮以行之 孫以出之 信以成之 君子哉
子曰く、君子は義を以って質と爲し、禮を以ってこれを行い。
孫以ってこれを出だし、信を以ってこれを成す。君子哉。
君子というものは正義を以って本質とし、禮を以って何事も行い。
謙遜を以って自己を表出し、信頼を以って完成する。
義禮孫信これを完備して君子ってもんだ。
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
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一次元 / | | | | | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
06-22 (>>179)
15-18 (>>158)
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
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三次元 / | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
参考:
06-22 (>>179)
15-18 (>>518)
●『論語』の君子と脳機能
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
参考:
15-18 (>>518)
06-22 (>>179)
●『論語』の君子と脳機能
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
参考:
15-18 (>>518)
06-22 (>>179)
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
●『論語』の君子と脳機能
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右
「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左
「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右
「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左
「義」=正義。例:本を書く。
四次元
君子=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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二次元 / | | | | \
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一次元 / | | | | | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右
「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左
「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右
「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左
「義」=正義。例:本を書く。
四次元
「君子」=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右
「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左
「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右
「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左
「義」=正義。例:本を書く。
四次元
「君子」=脳全体をバランスよく使う。
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
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三次元 / | | \
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二次元 / | | | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の
あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した
四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き
よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視
していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左「義」=正義。例:本を書く。
四次元「君子」=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
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左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。
二次元左「智」=知識。例:名前を付ける。
三次元右「信」=信用。例:サッカーのパス。
三次元左「義」=正義。例:本を書く。
四次元 「君子」=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
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二次元 / | | | | \
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一次元 / | | | | | | \
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『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む。
二次元左「智」=知識。 例:名前を付ける。
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス。
三次元左「義」=正義。 例:本を書く。
四次元 「君子」=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付ける
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本を書く
四次元 「君子」=脳全体をバランスよく使う。
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元 「君子」=脳全体をバランスよく使う。
雍也06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
衛霊公15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
04-02
子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁、
子の曰わく、不仁者(ふじんしゃ)は以て久しく約に処(お)るべからず。以て長く楽しきに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」
06-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣、
樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。
樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、それが仁といえることだ」
06-23
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、
子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。
先生が言われた、「智の人は[流動的だから]水を楽しみ、仁の人は[安らかにゆったりしているから]山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は楽しみ、仁の人は長生きをする。」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
12:03 午前
yoji said...
15-33
子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之、仁能守之、不莊以莅*之、則民不敬、知及之、仁能守之、莊以莅*之、動之不以禮、未善也、
子の曰わく、知はこれに及べども仁これを守ること能わず、これを得ると雖も必ずこれを失う。知はこれに及び仁能く守れども、荘以てこれにノゾまざれば、則 ち民は敬せず。知はこれに及び仁能くこれを守り、荘以てこれにノゾめども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善ならざるなり。
先生が言われた、「智は[人民を治めるのに]十分であっても、仁徳で守れなければ、仮令[人民を]獲得してもきっと手放すようになる。智は[人民を治める のに]十分で、仁徳で守れても、威儀を正して臨まなければ、人民は敬わない。智は[人民を治めるのに]十分で、仁徳でよく守り、威儀を正して臨んでも、 [人民を]鼓舞するのに礼によるのでなければ、まだ立派ではない。」
12-22
樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、擧直錯諸在、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者 直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆擧皐陶、不仁者遠矣、湯有天下、選於衆擧伊尹、不仁者遠矣、
樊遅(はんち)、仁を問う。子の曰わく、人を愛す。知を問う。子の曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子の曰わく、直(なお)きを挙げて諸(こ)れを枉 (まが)れるに錯(お)けば、能く枉れる者をして直からしめん。樊遅退きて子夏に見(まみ)えて曰わく、嚮(さき)に吾れ夫子に見えて知を問う、子の曰わ く、直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめんと。何の謂いぞや。子夏が曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有(たも) ち、衆に選んで皐陶(こうよう)を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。湯(とう)、天下を有ち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。
樊遅が仁のことをお訊ねすると、先生は「人を愛することだ。」と言われた。智のことをお訊ねすると、「人を知ることだ。」と言われた。樊遅はまだよく分か らなかった。先生は言われた、「正しい人々をひきたてて邪悪(よこしま)な人々の上に位(くらい)づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。」 樊遅は退出してから子夏に会って話した、「先ほど私はうちの先生にお会いして智のことをお訊ねしたが、先生は『正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位 づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。』とおっしゃった。どういう意味だろうか。」子夏は言った、「充実しているね、そのお言葉は。舜が天 下を取ったとき、大勢の中から選んで皐陶(こうよう)をひきたてたので、仁でない者共は遠ざかった。湯(とう)が天下を取ったときも、大勢の中から選んで 伊尹(いいん)を引き立てたので、仁でない者共は遠ざかったのだ。」
411 :考える名無しさん:2013/06/15(土) 11:00:18.35 O
樊遅問仁 子曰 愛人 問知 子曰 知人 樊遅未達 子曰 擧直錯諸枉 能使枉者直 樊遅退
見子夏曰 郷也吾見於夫子 而問知 擧直錯諸枉 能使枉者直 何謂也
子夏曰 富哉言乎 舜有天下 選於衆 擧皐陶 不仁者遠矣 湯有天下 選於衆 擧伊尹 不仁者遠矣
樊遅仁を問う。子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。
樊遅未まだ達せず。子曰く、直きを擧げて諸れを枉がるに錯く。能く枉がれる者をして直からしむ。
樊遅退く 子夏を見て曰く、郷に吾夫子に見えて、知を問う。直きを擧げて諸れを枉がるに錯く。能く枉がれる者をして直からしむと、何の謂いぞや。
子夏曰く、富めるかな言や、 舜天下を有ち 衆に選んで皐陶を擧ぐれば、不仁なる者遠ざかる。
湯天下に有ち、衆に選んで、伊尹を擧ぐれば、 不仁なる者遠ざかる。
412 :考える名無しさん:2013/06/15(土) 11:01:51.63 O
樊遅さんが今度は仁について質問した。
「人を愛することじゃよ」
知について質問した。
「人を知ることじゃよ」
よく分からなかったのでさらに尋ねた。
「正直な人間を曲がった人間の上に置けば、そのうち曲がった人間も真っ直ぐになるさ」
樊遅さんは退出した。
そして子夏さんに会ったので先生の言う正直な人間云々の意味を尋ねた。
「十分な含蓄ある説明ですよ。
舜が天下を治めてた時に、皐陶を抜擢したので悪いのはいなくなりました。
湯が天下を治めて時に、伊尹を抜擢したので悪い奴は遠ざかりました。
人の性質を知り、政治を行うそれが知なんですね。」
180 :考える名無しさん:2012/07/13(金) 06:20:25.04 O
子曰 知者樂水 仁者樂山 知者動 仁者静 知者樂 仁者壽
子曰く、知者は水を楽しみ。仁者は山を楽しむ。知者は動き。仁者は静かなり。知者は楽しみ。仁者は寿ながし。
知者はサーファーで、仁者はアルピニストだよ。
知者ってもんは動き回ってサーファーのように動くものを楽しむ。
仁者は静寂の中、動かないものをアルピニストのように楽しむ、そして彼自身がヒマーラヤのようなもんさ。
知者サーファーは楽しいだろうさ。
アルピニスト仁者は遭難しなきゃ長生きさ。
参考:
15-18 (>>518)
06-22 (>>179)
06-23 (>>180)
12-22 (>>411,>>412)
学而01-06
子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、
子の曰わく、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ。
先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ」
『論語』という革命思想 安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964 http://nico.ms/1358473008
仁、感覚が作動していること
君子、学習回路が作動していること
04-05
子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是、
子の曰わく、富と貴(たっと)きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。貧しきと賎しきとは、是れ人の悪くむ所な り。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去りて悪(いずく)にか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違うことなし。造次(ぞうじ)に も必ず是(ここ)に於てし、巓沛(てんはい)にも必ず是に於いてす。
先生がいわれた、「富と貴い身分とはこれは誰でも欲しがるものだ。しかしそれ相当の方法[正しい勤勉や高潔な人格]で得たものでなければ、そこに安住しな い。貧乏と賎しい身分とはこれは誰でも嫌がるものだ。しかしそれ相当の方法[怠惰や下劣な人格]で得たのでなければ、それも避けない。君子は人徳をよそに してどこに名誉を全うできよう。君子は食事をとるあいだも仁から離れることがなく、急変のときもきっとそこに居り、ひっくり返ったときでもきっとそこに居 る」
04-05日食
02-17
先生は言いました。「 仲由 よ、あなたに知るということを教えましょうか。知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとするのが、知るということです」
17-02
子曰、性相近也、習相遠也、
@yojisekimoto: http://t.co/GUMgJmai98 何かを学ぶことは、危険な行為だ。 なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。 しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。 学...
@yojisekimoto: http://t.co/BJbeBU7DJT 学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。 (学而第一1―1)
@yojisekimoto: http://t.co/NtuUBj7nQW 学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。 この悦びほど、人間にとって大切なものはない。 (学而第一1―2)
@yojisekimoto: http://t.co/OecIcZkDvp 学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」 と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。 (学而第一1―3)
@yojisekimoto: http://t.co/1wPl7sK8lE 女性と小人との関係ほど厄介なものはない。両者の距離が近づくと、小人は急に馴れ馴れしくなる。それで女性が嫌になって距離をとろうとすると、今度は怨む。 (陽貨第十七25)
@yojisekimoto: http://t.co/h9LDq2uJ8i 君子は表面的な知識の収集はできず、認識の枠組の刷新ができる。 小人は認識の枠組の刷新はできず、表面的な知識の収集ができる。 (衛霊公第十五34)
yojisekimoto highlighted:
一九九 過ちを改めないのが過ち 過ちを犯しながらそれを改めないことを、過ちという。 (衛霊公第十五30)
31 seconds ago
子貢が尋ねた。 「一言で、一生行うべきことを表現する言葉はございますか?」 孔子が答えた。 「それは『恕』かな。自分がやりたくもないことを、命令だからとか仕方ないからとかいって、人にやってはならない。それが『恕』だ。(己の欲せざるところを、人に施すなかれ)」 (衛霊公第十五24)
01-01
超訳
何かを学ぶことは、危険な行為だ。 なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。 しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。 (学而第一1―1)
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。 この悦びほど、人間にとって大切なものはない。 (学而第一1―2)
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」 と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。 (学而第一1―3)
01-01
超訳
…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。 (学而第一1―1)
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。… (学而第一1―2)
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」 と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。 (学而第一1―3)
17-25
女性と小人との関係ほど厄介なものはない。両者の距離が近づくと、小人は急に馴れ馴れしくなる。それで女性が嫌になって距離をとろうとすると、今度は怨む。 (陽貨第十七25)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964
http://nico.ms/1358473008
仁、感覚が作動していること
君子、学習回路が作動していること
@yojisekimoto: http://t.co/QgsV7vw2aq 知者は水のような流れを楽しむ。 仁者は豊かな命を育む山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かである。 知者は楽しみ、仁者は祈る。 (雍也第六23)
@yojisekimoto: http://t.co/eW8dG64Dpy 学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。君子は、自分の直面する困難を学ぶ機会と受けとめて挑戦し、何か過...
@yojisekimoto: http://t.co/j3zBDbXcSJ 私は論語の思想を、次のように捉えている。 「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。この言葉に、論語の思想の全ての基礎...
@anmintei: 【必読書】ナチズムへの反省から20世紀後半の叡智が生み出された。
ノーバート・ウィーナー『人間機械論』
エーリッヒ・フロム『悪について』
ピーター・ドラッカー『マネジメント』
アリス・ミラー『魂の殺人』
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』
スタンレー・ミルグラム『服従の心理』
@yojisekimoto: http://t.co/j3zBDbXcSJ
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
@yojisekimoto: http://t.co/VUmTp45L9y 学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964
http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01
超訳
…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。 (学而第一1―1)
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。… (学而第一1―2)
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」 と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。 (学而第一1―3)
参考:
02-17
17-02
02-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、
子の曰わく、由よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。
先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」
17-02
子曰、性相近也、習相遠也、
子の曰わく、性、相(あ)い近し。習えば、相い遠し。
先生が言われた、「生まれ付きは似かよっているが、躾け[習慣や教養]でへだたる。」
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964
http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>)
超訳
…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
(学而第一1―1)
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。… (学而第一1―2)
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」
なのだ。 (学而第一1―3)
参考:
02-17(>>)
17-02(>>)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964 http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>)
超訳
…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
(学而第一1―1)
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。… (学而第一1―2)
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。 (学而第一1―3)
参考:
02-17(>>)
17-02(>>)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964 http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>) 超訳
…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。
参考:
02-17(>>)
17-02(>>)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964 http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>) 超訳
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>)
17-02(>>)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) #so19854964 http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>) 超訳
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>),17-02(>>)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>11) 超訳
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
01-01(>>11) 『超訳論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものと
して、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
01-01(>>11) 『超訳論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学んで時に
これを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このような「学
習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>11) 超訳
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学ん
で時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このよ
うな「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>11) 超訳
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学ん
で時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このよ
うな「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
17-25(>>589)
女性と小人との関係ほど厄介なものはない。両者の距離が近づくと、小人は急に馴れ馴れし
くなる。それで女性が嫌になって距離をとろうとすると、今度は怨む。 (陽貨第十七25)
589 :考える名無しさん:2013/11/27(水) 19:54:06.54 O
子曰 唯女子與小人爲難養 也 近之則不孫 遠之則怨
女子と小人ほど扱いに困るものはない。
近づけば不遜になるし、遠ざければ怨む。
感覚が作動しているという漢方の解釈が仁にふさわしい
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと
私は論語の思想を、次のように捉えている。
「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。 論語の冒頭は、「学ん
で時にこれを習う、亦たよろこばしからずや。」という言葉である。
この言葉に、論語の思想の全ての基礎が込められている、と私は考える。
学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ。 このよ
うな「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。
学習回路の閉じている状態が「悪」であり、そういう者を「小人」と呼ぶ。
01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと
01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の
意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと
01-01(>>11) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(>>54),17-02(>>565)
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が開かれている人のこと
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12) http://nico.ms/1358473008
仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が開いている人のこと
脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること
=君氏の生き方
『脳は論語が好きだった』127頁
一次元
礼以外
恭、泰、荘、威
101頁
7-37
子温而勵*、威而不猛、恭而安、
13-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、
子の曰わく、君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
2-20
季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、
季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬す、孝慈なれば則ち忠あり、善を挙げて不 能を教うれば則ち勧む。
二次元右
仁、労、孝
二次元左
智、明、学
三次元右
信、行
三次元左
義、道、命
107~120頁
04-08
子曰、朝聞道、夕死可矣、
道は別次元かも?
yojisekimoto highlighted:
ある日の朝に、進むべき道を教えてくれる啓示を聞いたなら、その日の夕べに死んでもかまわない。なぜなら進むべき道を知ることが、生きるということの本質なのだから。 (里仁第四8)
49 seconds ago
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
義、道、命 信、行 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智、明、学 仁、労、孝 \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
二次元右
仁、労、孝
二次元左
智、明、学
三次元右
信、行
三次元左
義、道、命
107~120頁
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元 「君子」=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
『脳は論語が好きだった』127頁
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
義、道、命 信、行 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智、明、学 仁、労、孝 \
/___ | | | | ___\
一次元 / | 恭、泰、荘、威| | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
義、道、命 信、行 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智、明、学 仁、労、孝 \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
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恭、泰、
荘、威
一次元
礼以外
恭、泰、荘、威
101頁
7-37
子温而勵*、威而不猛、恭而安、
13-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、
子の曰わく、君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
2-20
季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、
季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬す、孝慈なれば則ち忠あり、善を挙げて不 能を教うれば則ち勧む。
二次元右
仁、労、孝
二次元左
智、明、学
三次元右
信、行
三次元左
義、道、命
107~120頁
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元 「君子」=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
『脳は論語が好きだった』127頁
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義、命 信、行 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智、明、学 仁、労、孝 \
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一次元 / | | | | | | \
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恭,泰,
荘,威
一次元
礼以外
恭、泰、荘、威
101頁
7-37
子温而勵*、威而不猛、恭而安、
子は温にしてはげし、威にして猛ならず。恭々(うやうや)しくして安し。
13-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、
子の曰わく、君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
2-20
季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、
季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬す、孝慈なれば則ち忠あり、善を挙げて不 能を教うれば則ち勧む。
二次元右
仁、労、孝
二次元左
智、明、学
三次元右
信、行
三次元左
義、道、命
107~120頁
04-08
子曰、朝聞道、夕死可矣、
道は別次元かも?
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元
礼以外
恭、泰、荘、威
101頁
7-37
子温而勵*、威而不猛、恭而安、
子は温にしてはげし、威にして猛ならず。恭々(うやうや)しくして安し。
13-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、
子の曰わく、君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
2-20
季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、
季康子問う、民をして敬忠にして以て勧ましむるには、これを如何。子の曰わく、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬す、孝慈なれば則ち忠あり、善を挙げて不 能を教うれば則ち勧む。
二次元右
仁、労、孝
二次元左
智、明、学
三次元右
信、行
三次元左
義、道、命
107~120頁
04-08
子曰、朝聞道、夕死可矣、
道は別次元かも?
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元 「君子」
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
『脳は論語が好きだった』127頁
02-15
子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、
子の曰わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。
先生がいわれた、「学んでも考えなければ[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ[独断に陥って]危険である。」
06-23
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、
子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。
先生が言われた、「智の人は[流動的だから]水を楽しみ、仁の人は[安らかにゆったりしているから]山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は楽しみ、仁の人は長生きをする。」
15-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、
子の曰わく、君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。
先生が言われた、「正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって表し、誠実によって仕上げる。君子だね。」
道(徳)
命(天命)
対象
1,How
2,What
3,Where
37頁『
13-01
子路問政、子曰、先之勞之、請益、曰、無倦、
子路、政を問う。子の曰わく、これに先んじ、これを労す。益を請う。曰わく、倦むこと無かれ。
07-24
子以四教、文行忠信、
子、四つを以て教う。文、行、忠、信。
06-17
子曰、誰能出不由戸者、何莫由斯道也、
子の曰わく、誰か能く出ずるに戸(こ)に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫(な)きや。
04-02
子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁、
子の曰わく、不仁者(ふじんしゃ)は以て久しく約に処(お)るべからず。以て長く楽しきに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」
16-10
孔子曰、君子有九思、視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義、
孔子の曰わく、君子に九思あり。視るには明を思い、聴くには聡を思い、色には温を思い、貌(かたち)には恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、疑わしきには問いを思い、忿(いかり)には難を思い、得るを見ては義を思う。
孔子が言われた、「君子には九つの思うことがある。見るときにははっきり見たいと思い、聞くときには細かく聞き取りたいと思い、顔つきには穏やかでありた いと思い、姿には恭しくありたいと思い、言葉には誠実でありたいと思い、仕事には慎重でありたいと思い、疑わしいことには問うことを思い、怒りにはあとの 面倒を思い、利得を前にしたときは道義を思う。」
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
四次元 「君子」
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は論語が好きだった』127頁)
一次元
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
二次元右
仁04-24(労13-01、孝)
二次元左
智(明、学)知06-23
三次元右
信(行07-24)
三次元左
義15-18(道06-17、命)
04-08 道は別次元かも?
君子16-10
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
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(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
仁04-24(労13-01、孝)
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
智(明、学)知06-23
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
信(行07-24)
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
義15-18(道06-17、命)
04-08 道は別次元かも?
四次元 「君子」
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
君子16-10
(『脳は論語が好きだった』127頁)
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
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/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
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(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
仁04-24(労13-01、孝)
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
智(明、学)知06-23
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
信(行07-24)
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
義15-18(道06-17、命)
04-08 道は別次元かも?
四次元 「君子」
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
君子16-10
(『脳は論語が好きだった』127頁)
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
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一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
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(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む
仁04-24(労13-01、孝)
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える
智(明、学)知06-23
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス
信(行07-24)
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆
義15-18(道06-17、命)04-08 道は別次元かも?
四次元 「君子」
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
君子16-10
(『脳は論語が好きだった』127頁)
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義(命) 信(行)\
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝) \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁04-24(労13-01、孝)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明、学)知06-23
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信(行07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は論語が好きだった』127頁)
●『論語』の君子と脳機能
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁04-24(労13-01、孝)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明、学)知06-23
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信(行07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明、学) 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | 学 |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | 学 |ネし|詩| | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | 学 |ネし|詩| | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(労、孝、道)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
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02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
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(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学(思)02-15,09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行)
/ | | \
/__立 | |不惑(権)
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
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(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行、権)
/ | | \
/__立 | |不惑 \
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
思は右に解釈し直した。
●『論語』の君子と脳機能
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四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 /義(命) 信(行、権)
/ | | \
/__立 | |不惑__\
二次元 / | | | | \
/ 智(明)| 仁(思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
思は右に解釈し直した。
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
耳順 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/義(命) 信(行、権)
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/智(立、明)| 仁(不惑、思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
思は右に解釈し直した。
13-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、
子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 不踰矩
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/義(命) 信(行、権、耳順)
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/智(立、明)| 仁(不惑、思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
思は右に解釈し直した。
13-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、
子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
不踰矩 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/義(命) 信(行、権、耳順)
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/智(立、明)| 仁(不惑、思、労、孝、道徳)
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ |学|詩|ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
(恭,泰,
荘,威)
一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21)
例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15(思),09-31,02-04)知06-23,09-30
例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31)
例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17,09-31、命16-08)04-08 道は別次元かも?
例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
=脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
(『脳は『論語』が好きだった』127頁)
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、
子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。
先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
02-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」
知者=不惑=30歳
16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。
陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」
思は右に解釈し直した。
13-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、
子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。
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