(プルードン、リンク::::::::::)
プルードン関連資料:ベルンシュタイン 『社会主義の前提と社会民主党の任務』 第二章より
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_6357.html:本頁
エドゥアルト・ベルンシュタイン(Eduard Bernstein, 1850年1月6日 - 1932年12月18日)は、ドイツの社会民主主義理論家・政治家。ドイツ社会民主党(SPD)党員。社会民主主義、修正主義の理論的創始者。 ユダヤ系。
以下、
ベルンシュタイン 『社会主義の前提と社会民主党の任務』 第二章「マルクス主義とヘーゲル弁証法」より
B マルクス主義とブランキ主義
「国民がその資本(アヴァンス)を蕩尽してしまうときは、国の生産と商業がなくなるときは、……
クラブの政治や国民工場の閉鎖によって意気阻喪した労働者たちが、生きんがために兵隊になるときは、……
ああ、そこで諸君は、弁護士たちによって扇動され、芸術家たちによって成就され、文士や詩人たちによって
指導される革命が、いかなるものであるかを知るであろう!……
山岳党、ジロンド党、フウヤン派、フランチェスコ派、王党派、ジャンセニウス派、バブーフ派の諸君、惰眠よ
り目覚めよ! 諸君に、私が予告する事態まで六週間とへだたっていないのである。」
プルードン、『人民代表者(ルプレザンタン・デュ・プープル.Le Représentant du Peuple ,février 1848 - août 1848)』紙、一八四八年四月二十九日。
ヘーゲル哲学は、さまざまな著述家たちによって、フランス大革命の反映であるといわれてきた。事実それは、理性の
対立的進化ということにより、かの大闘争のイデオロギー的な写しであるといいうるのであって、ヘーゲルによれば、こ
の大闘争では「人間が逆立ちし、すなわち、思想で立っていた」のである。もちろんヘーゲルの体系では、政治的理性の
進化は、王政復古時代のプロイセンの開明的警察国家でその頂点にたっするのである。しかしヘーゲルの死ぬ前年、フラ
ンスでは王政復古がブルジョア王政に道をゆずり、急進派の進出がふたたびヨーロッパに広がり、これはついに、ブルジ
ョア王政と、ヘーゲルを楯持ちとした階級たるブルジョアジーとにたいする、ますます激しい攻撃へと導いた。新しいも
のの急進的な代表者たちにとっては、いまや、帝政と王政復古とは、大革命の上昇しつつある発展行程の中断としてのみ
考えられたのであり、ブルジョア王政によって以前にみられた発展への転換が生じたが、いまや社会的諸条件の変化に直
面して、この発展の前途には、もはやフランス革命の巡行を中断したような邪魔物があってはならなかった。
…
プルードンは、この節のはじめでモットーとして二、三の文章をかかげたもとの論文で、彼流に当時すでに一八四八年
六月の闘争を予言したのであるが、そのなかで彼は、クラブでまたはクラブによって説得されたパリの労働者たちに、つ
ぎのことをいましめている。すなわち、十九世紀の経済革命は、十八世紀の革命とはまったく異なるのであるから、労働
者たちがたえずクラブで説教されていた一七九三年の伝統は、時勢に全然あわないということ、それである。彼はつぎ
のように述べている。一七九三年の恐怖政治は、国民の大多数の生存諸条件をいささかも脅かさなかった。しかし一八四
八年には、恐怖政治は二大階級を相互に衝突させることになるが、この二大階級は、両者ともその生存のために、生産物
の流通と相互的諸関係とに依存しているのであって、それら、の衝突は、一切のものの没落を意味するであろう、と。
これは、プルードン主義的に誇張されて表現されてはいるか、しかしフランスの所与の経済構造のもとでは、実際に当
をえたものであった。
…
…要するに、一七九三年の恐怖政治を模範とする政治は、言えうるかぎりでもっとも無意味
でもっとも目的に反するものであった。そしてそれは無意味であったから、一七九三年の衣裳をまとったり、一七九三年の
言葉をくり返したり競ったりすることは、愚劣以上のことであり、それは、まさに政治的革命の渦中にあったということ
からして、一つの犯罪であり、このため、早速、数千の労働者が彼らの生命をもって、また他の数千の労働者が彼らの自
由をもって、その犯罪を償わなければならないこととなったのである。したがって「小市民」プルードンの警告は、一切
のグロテスクな誇張をもつにしても、革命的言辞のお祭り騒ぎのさなかで、彼の洞察力と道徳的勇気とを証明したのであ
り、それは、「プロレタリア的・革命的」衣裳にくるまって新たな草月(プレリアル)〔訳注 フランス共和暦の第九月で、五月二十日
~六月十八日〕を渇望していた文筆家、芸術家その他のブルジョア的ボヘミアンたちよりも、政治的には高い地位にプル
ードンを据えたのである。マルクスとプルードンは、ほぼ同時期に~~前者は『階級闘争』のなかで、後者は『一革命家
の告白』のなかで~~二月革命の経過を二つの歴史過程として、すなわち、重要な時期ごとに革命の敗北が示される歴史
過程として、描写している。しかしプルードンと異なって、マルクスは反革命の発生のなかにこそ革命的な進歩をみた。
この反革命の克服をつうじてはじめて、転覆党は真に革命的な党に成熟する、と後は書いたのである。そのさい彼が時期
の評価で思い違いをしたこと~~なぜなら、ここでは政治的な意味での革命的ということが問題なのであるから~~を、
マルクスは早速みてとったが、しかしこの前長の基礎にあった原理上の誤りを、彼はけっして完全には認識しなかったよ
うであり、同様にエンゲルスも、『階級闘争』への序文でそれを明らかにはしなかったのである。
…
ヘーゲル弁証法の大きな欺瞞性は、それがけっして全部誤っているのではない、ということである。それが真理を
物欲しそうに眺めるのは、鬼火が電光にたいしてするのと同じである。ヘーゲル弁証法が自己矛盾しないのは、まさにそ
れによれば、一切のものが矛盾を内蔵しているからである。経済がなお占めていた席に暴力を据えることは、矛盾であろ
うか? いや、矛盾ではない。なぜなら、暴力はまさにそれ自身「一つの経済的な力」なのであるから。
理性のあるものなら、この後者の命題の相対的な正当さに異論をさしはさみはしないであろう。しかし、暴力が経済的
な力として作用し、それによって意図された結果が生じるのは、どのようにしてであるのか、またいつなのであるか、と
いう問題を提起するならば、そこではヘーゲル弁証法はわれわれを見捨てるのであって、われわれが大失敗をしないよう
にするには、具体的な事実と正確に~~「形而上学的に」~~定義された概念とを考慮しなければならない。ヘーゲル
主義の論理的とんぼ返りは、根本的にかつ機知縦横にその色彩を変える。鬼火と同様にそれは、彼岸の眺望を漠然とした
輪郭でわれわれに示すのである。しかし、それを信頼して自分の道を選ぶやいなや、われわれはきまって泥沼に足をふみ
いれるであろう。マルクスとエンゲルスがなしとげた偉大なことを、彼らは、ヘーゲル弁証法のおかげでなしとげたので
はなく、ヘーゲル弁証法にもかかわらずなしとげたのである。他方、彼らがブランキ主義のもっとも重要な欠陥のまえを不
注意にも通り過ぎたとすれば、それはまず第一に、彼ら自身の理論のなかにあるヘーゲル的混合物のせいなのである。
…
『世界大思想全集 社会・宗教・科学 第十五巻 ベルンシュタイン メーリング』
戸原四郎訳、河出書房新社1960年、49~58頁より抜粋
原著は1899年
Eduard Bernstein
Die Voraussetzungen des Sozialismus und die Aufgaben der Sozialdemokratie. J. H. W. Dietz, Stuttgart 1899
Digitalisat(Neudruck: Dietz-Verlag, Berlin, 1991,
ISBN 3-320-01582-6).
他にも邦訳書はあるが現在入手困難。ちなみに上記邦訳書は、メーリングのショーペンハウアー論(その賞讃)も所収していて興味深い。
また、上記テクストの抜粋されなかった部分でベルンシュタインは1850年マルクス=エンゲルス「回状」(マルクス・エンゲルス「共産主義者同盟中央委員会の同盟員への呼びかけ」( 1850.3*)および,同「呼びかけ」(1850.6),MEW第7巻)を批判している。同じ「回状」を柄谷行人は永続革命批判の観点から批判している(at第一号)。
参考:
[PDF]後期マルクスにおける革命戦略の転換〈1〉
荒木武司 著
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61603.pdf
*
「労働者が最後の勝利を得るためには、……自分の階級利益を明らかに理解し、できるだけ早く独自な党的立場を占め、 一瞬間といえども民主主義的小ブルジョアの偽善的な空文句に迷わされずに、プロレタリアートの党の独立化を進めなければならない。 彼らの戦いの閧の声はこうでなければならない-永続革命、と」(マルクス=エンゲルス『1850年3月の中央委員会の同盟員への呼びかけ』7-259)
10 Comments:
カウツキー
レーニン
ベルンシュタインは
セットで考えると良い
tcb410
レーニンlカウツキー
ーーーー+ーーーーー
ベルンシl
ュタインl
学者としてはカウツキー
政治家としてはレーニン
経済家としてはベルンシュタイン
差異論文(40巻)におけるマルクスの見たては柄谷も解説したように
デモクリトストとアリストテレスの差異を
エピクロスが止揚するというものだろう
差異論文ノートでマルクスはカントのアンチノミーを研究している
ただ数学手稿でもカントを観念論としていたから
乗り越えるものとしてのカントという立場を取り、結局
ヘーゲル的になる
tcb239参照
社会主義の諸前提と社会民主主義の任務 (1974年) (現代思想〈7〉) [古書] [単行本]
エドゥアルト・ベルンシュタイン (著), 清水 幾太郎 (編集), 佐瀬 昌盛 (翻訳)
出版社: ダイヤモンド社 (1974)
古書で高値になっている
ベルンシュタイン『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』
Bernstein, Eduard, Die Voraussetzungen des Sozialismus und Aufgaben der Socialdemocratie, Dietz Verlag Berlin 1991, nach der ersten Auflage, Stuttgart 1899
translated by Henry Tudor, The Preconditions of Socialism, 1993, Cambridge Univ. Press
金原賢之訳『マルキシズム批判』,1926, 岩波書店
松下芳男訳『マルキシズムの改造』, 1928, 「世界大思想全集」47, 春秋社
守田有秋・ 松下芳男訳『マルキシズムの修正』, 1929, 「社会思想全集」13, 平凡社
戸原四郎訳『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』, 1960, 「世界大思想全集」第2期15, 河出書房新社
佐瀬昌盛訳『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』, 1974, 「現代思想」7、ダイヤモンド社
社会民主主義の最も基本的な文献の1つである。
日本語訳は5つ(上記)以上あるが、いずれも現在古本でも入手困難である。
金原訳は、松下によれば、1920年版にもとづいた「大いに推奨するに足る好訳」とあるが、見ていない。
松下訳は、1923年版にもとづいた達意の良訳である。開国50年でこの水準に達していているのは、漢語とかなを併用した日本語の柔軟さであろうか。
守田訳、戸原訳は見ていない。
佐瀬訳は、1921年版にもとづいた分かりやすい適訳であるが、図書館から借り出さざるをえない。
英語訳は入手できるが、決して分かりやすい訳ではない。余りすすめない。
ドイツ語原本はDietzから入手できる。
http://homepage2.nifty.com/socialist-consort/Opinions/Bernstein/Bernstein1899.html
世界大思想全集 [第2期] 第15 (社会・宗教・科学思想篇 第15)
[目次]
目次
ベルンシュタイン 社会主義の前提と社会民主党の任務 / p1
初版への序文 / p5
第一万部への序文 / p12
第一万三千部への序文 / p21
新版によせて / p23
第一章 マルクス主義的社会主義の基本的諸命題 / p25
A マルクス主義の科学的諸要素 / p25
B 唯物史観と歴史的必然性 / p28
C マルクス主義の階級闘争論と資本発展論 / p37
第二章 マルクス主義とヘーゲル弁証法 / p42
A ヘーゲル弁証法的方法の落し穴 / p42
B マルクス主義とブランキ主義 / p49
第三章 近代社会の経済的発展 / p59
A マルクス価値論の意義について / p59
B 近代社会での所得の運動 / p68
C 生産での経営諸階層と社会的富の分布 / p77
D 恐慌と近代経済の適応可能性 / p90
第四章 社会民主党の諸任務と可能性 / p106
A 社会主義の政治的および経済的前提諸条件 / p106
B 産業協同組合の達成能力 / p118
C 民主主義と社会主義 / p142
I 民主主義と国民経済 / p142
II 民主主義の地方分権的原理 / p157
D 社会民主党の当面の諸任務 / p164
I 国防問題、対外政策、植民地問題 / p164
II 農業問題 / p177
III 協同組合政策 / p182
IV 自治体政策 / p185
むすび 最終目標と運動 / p193
あとがき / p215
メーリング 著作集(史的唯物論について他) / p229
史的唯物論について / p233
ショーペンハウアーとニーチェ / p283
一 アルトゥール・ショーペンハウアー / p283
二 ショーペンハウアーへ帰れ! / p285
三 資本主義の哲学(ニーチェ) / p289
四 ニーチェについて / p295
五 ニーチェと社会主義 / p304
解説 / p309
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
書名 世界大思想全集
書名ヨミ セカイ ダイ シソウ ゼンシュウ
書名別名 Sekai dai shiso zenshu
巻冊次 [第2期] 第15 (社会・宗教・科学思想篇 第15)
出版元 河出書房新社
刊行年月 1960
ページ数 320p 図版
大きさ 19cm
全国書誌番号
52011967
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/334079.html
F・メーリング
フランツ・メーリング(Franz Mehring, 1846年2月27日-1919年1月29日)ドイツのマルクス主義者、歴史家、文芸史家、評論家。
生涯[編集]
ポンメルンのシュラーヴェ Schlawe (現在ポーランド・スワヴノ Sławno)にプロイセン軍人の子として生まれ、1866年から1870年にライプツィヒ大学とベルリン大学で言語学・古ギリシア語文法・古イタリア語比較文法・新聞学・史学を学んだ。在学中から新聞記者として議会記事を書くうちに労働者運動に親しみ、1881年から《ベルリン人民新聞》によりオットー・フォン・ビスマルクの社会主義者取締法廃止のための論陣を張り、同時にマルクスとエンゲルスの著作を徹底的に研究する。1891年に社会民主党に入党しその機関紙《新時代 Neue Zeit》、さらに《ライプツィヒ新聞 Leipziger Volkszeitung》を編集した。1902年~1907年にかけて中央機関紙《前進 Vorwärts》にあらわれた修正主義の傾向に抗争している。
1912年に党中間派が提案した進歩党、国民自由党などとブロックを組むという政策に反対し、中間派のカール・カウツキーと対立していたローザ・ルクセンブルクと接近する。1913年ルクセンブルク、マルフレフスキと《社会民主主義通信》を創刊。第一次世界大戦の当時には《前進》誌上で軍事公債の承認に激しく反対し、1916年ルクセンブルクやカール・リープクネヒト、クララ・ツェトキンなどの社会民主党内の左派とともに「スパルタクス団」を結成し、戦争反対の非合法活動に従事し、8月から12月まで拘禁されている。1917年プロイセン国会議員補欠選挙に当選。1918年のドイツ共産党の創設に参加した。1919年1月15日に同志であったリープクネヒトとルクセンブルクが虐殺された知らせを聞かされ、ドイツ社会民主党の堕落に失望しつつベルリン郊外で世を去った。
歴史家としてはマルクス、エンゲルス、ラッサールの遺稿を整理して『Aus dem literarischen Nachlass von K.marx, F.Engels und F.Lassalle 1902年』を編集し、マルクス主義発祥の解明に貢献した。メーリングはドイツ社会民主党きっての文筆家であり、ジャーナリストと論争家の気質を持ち、レッシングやシラー、ハイネ以来のドイツ文学の遺産を批判的に継承した。
著作[編集]
『レッシング伝説 Lessing-Legende』1893年
『ドイツ社会民主党史 Geschichte der deutschen Sozialdemokratie』1897-98年
『マルクス主義の源流 Geschite vom Ausgange des Mittelalters』1923年
『マルクス伝 Karl Marx』1918年
関連項目[編集]
マルクス主義関係の記事一覧
カテゴリ: ドイツ社会主義の人物共産主義者マルクス主義ドイツの歴史学者1846年生1919年没
ベルンシュタインによるヘーゲル弁証法批判,
レビュー対象商品: 世界大思想全集〈〔第2期〕 第15〉社会・宗教・科学思想篇 (1960年)
エドゥアルト・ベルンシュタイン(Eduard Bernstein, 1850年1月6日 - 1932年12月18日)は、ドイツの社会民主主義理論家・政治家。ドイツ社会民主党(SPD)党員。社会民主主義、修正主義の理論的創始者。 ユダヤ系。
以下、ベルンシュタイン 『社会主義の前提と社会民主党の任務』 第二章「マルクス主義とヘーゲル弁証法」より
B マルクス主義とブランキ主義
「国民がその資本(アヴァンス)を蕩尽してしまうときは、国の生産と商業がなくなるときは、……
クラブの政治や国民工場の閉鎖によって意気阻喪した労働者たちが、生きんがために兵隊になるときは、……
ああ、そこで諸君は、弁護士たちによって扇動され、芸術家たちによって成就され、文士や詩人たちによって
指導される草命が、いかなるものであるかを知るであろう!……
山岳党、ジロンド党、フウヤン派、フランチェスコ派、王党派、ジャンセニウス派、バブーフ派の諸君、惰眠よ
り目覚めよ! 諸君に、私が予告する事態まで六週間とへだたっていないのである。」
プルードン、『人民代表者(ルプレザンタン・デュ・プープル.Le Repr'sentant du Peuple ,f'vrier 1848 - ao't 1848)』紙、一八四八年四月二十九日。
ヘーゲル哲学は、さまざまな著述家たちによって、フランス大革命の反映であるといわれてきた。事実それは、理性の対立的進化ということにより、かの大闘争のイデオロギー的な写しであるといいうるのであって、ヘーゲルによれば、この大闘争では「人間が逆立ちし、すなわち、思想で立っていた」のである。もちろんヘーゲルの体系では、政治的理性の進化は、王政復古時代のプロイセンの開明的警察国家でその頂点にたっするのである。しかしヘーゲルの死ぬ前年、フランスでは王政復古がブルジョア王政に道をゆずり、急進派の進出がふたたびヨーロッパに広がり、これはついに、ブルジョア王政と、ヘーゲルを楯持ちとした階級たるブルジョアジーとにたいする、ますます激しい攻撃へと導いた。新しいものの急進的な代表者たちにとっては、いまや、帝政と王政復古とは、大革命の上昇しつつある発展行程の中断としてのみ考えられたのであり、ブルジョア王政によって以前にみられた発展への転換が生じたが、いまや社会的諸条件の変化に直面して、この発展の前途には、もはやフランス革命の巡行を中断したような邪魔物があってはならなかった。
…
プルードンは、この節のはじめでモットーとして二、三の文章をかかげたもとの論文で、彼流に当時すでに一八四八年六月の闘争を予言したのであるが、そのなかで彼は、クラブでまたはクラブによって説得されたパリの労働者たちに、つぎのことをいましめている。すなわち、十九世紀の経済革命は、十八世紀の革命とはまったく異なるのであるから、労働者たちがたえずクラブで説教されていた一七九三年の伝統は、時勢に全然あわないということ、それである。彼はつぎのように述べている。一七九三年の恐怖政治は、国民の大多数の生存諸条件をいささかも脅かさなかった。しかし一八四八年には、恐怖政治は二大階級を相互に衝突させることになるが、この二大階級は、両者ともその生存のために、生産物の流通と相互的諸関係とに依存しているのであって、それら、の衝突は、一切のものの没落を意味するであろう、と。
これは、プルードン主義的に誇張されて表現されてはいるか、しかしフランスの所与の経済構造のもとでは、実際に当をえたものであった。
…
…要するに、一七九三年の恐怖政治を模範とする政治は、言えうるかぎりでもっとも無意味でもっとも目的に反するものであった。そしてそれは無意味であったから、一七九三年の衣裳をまとったり、一七九三年の言葉をくり返したり競ったりすることは、愚劣以上のことであり、それは、まさに政治的革命の渦中にあったということからして、一つの犯罪であり、このため、早速、数千の労働者が彼らの生命をもって、また他の数千の労働者が彼らの自由をもって、その犯罪を償わなければならないこととなったのである。したがって「小市民」プルードンの警告は、一切のグロテスクな誇張をもつにしても、革命的言辞のお祭り騒ぎのさなかで、彼の洞察力と道徳的勇気とを証明したのであり、それは、「プロレタリア的・革命的」衣裳にくるまって新たな草月(プレリアル)〔訳注 フランス共和暦の第九月で、五月二十日~六月十八日〕を渇望していた文筆家、芸術家その他のブルジョア的ボヘミアンたちよりも、政治的には高い地位にプルードンを据えたのである。マルクスとプルードンは、ほぼ同時期に~~前者は『階級闘争』のなかで、後者は『一革命家の告白』のなかで~~二月革命の経過を二つの歴史過程として、すなわち、重要な時期ごとに革命の敗北が示される歴史過程として、描写している。しかしプルードンと異なって、マルクスは反革命の発生のなかにこそ革命的な進歩をみた。この反革命の克服をつうじてはじめて、転覆党は真に革命的な党に成熟する、と後は書いたのである。そのさい彼が時期の評価で思い違いをしたこと~~なぜなら、ここでは政治的な意味での革命的ということが問題なのであるから~~を、マルクスは早速みてとったが、しかしこの前長の基礎にあった原理上の誤りを、彼はけっして完全には認識しなかったようであり、同様にエンゲルスも、『階級闘争』への序文でそれを明らかにはしなかったのである。
…
ヘーゲル弁証法の大きな欺瞞性は、それがけっして全部誤っているのではない、ということである。それが真理を物欲しそうに眺めるのは、鬼火が電光にたいしてするのと同じである。ヘーゲル弁証法が自己矛盾しないのは、まさにそれによれば、一切のものが矛盾を内蔵しているからである。経済がなお占めていた席に暴力を据えることは、矛盾であろうか? いや、矛盾ではない。なぜなら、暴力はまさにそれ自身「一つの経済的な力」なのであるから。
理性のあるものなら、この後者の命題の相対的な正当さに異論をさしはさみはしないであろう。しかし、暴力が経済的な力として作用し、それによって意図された結果が生じるのは、どのようにしてであるのか、またいつなのであるか、という問題を提起するならば、そこではヘーゲル弁証法はわれわれを見捨てるのであって、われわれが大失敗をしないようにするには、具体的な事実と正確に~~「形而上学的に」~~定義された概念とを考慮しなければならない。ヘーゲル主義の論理的とんぼ返りは、根本的にかつ機知縦横にその色彩を変える。鬼火と同様にそれは、彼岸の眺望を漠然とした輪郭でわれわれに示すのである。しかし、それを信頼して自分の道を選ぶやいなや、われわれはきまって泥沼に足をふみいれるであろう。マルクスとエンゲルスがなしとげた偉大なことを、彼らは、ヘーゲル弁証法のおかげでなしとげたのではなく、ヘーゲル弁証法にもかかわらずなしとげたのである。他方、彼らがブランキ主義のもっとも重要な欠陥のまえを不注意にも通り過ぎたとすれば、それはまず第一に、彼ら自身の理論のなかにあるヘーゲル的混合物のせいなのである。
…
『世界大思想全集 社会・宗教・科学 第十五巻 ベルンシュタイン メーリング』
戸原四郎訳、河出書房新社1960年、49~58頁より抜粋
原著は1899年
Eduard Bernstein
Die Voraussetzungen des Sozialismus und die Aufgaben der Sozialdemokratie. J. H. W. Dietz, Stuttgart 1899 Digitalisat(Neudruck: Dietz-Verlag, Berlin, 1991, ISBN 3-320-01582-6).
他にも邦訳書はあるが現在入手困難(佐瀬昌盛訳『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』, 1974, 「現代思想」7、ダイヤモンド社)。ちなみに本書は、メーリングのショーペンハウアー論(その賞讃)も所収していて興味深い。
また、上記テクストの抜粋されなかった部分でベルンシュタインは1850年マルクス=エンゲルス「回状」(マルクス・エンゲルス「共産主義者同盟中央委員会の同盟員への呼びかけ」( 1850.3*)および,同「呼びかけ」(1850.6),MEW第7巻)を批判している。同じ「回状」を柄谷行人は永続革命批判の観点から批判している(at第一号)。
*
「労働者が最後の勝利を得るためには、……自分の階級利益を明らかに理解し、できるだけ早く独自な党的立場を占め、 一瞬間といえども民主主義的小ブルジョアの偽善的な空文句に迷わされずに、プロレタリアートの党の独立化を進めなければならない。 彼らの戦いの閧の声はこうでなければならない-永続革命、と」(マルクス=エンゲルス『1850年3月の中央委員会の同盟員への呼びかけ』7-259)
ローザルクセンブルク
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/ronsou/10005619.pdf
ロ ー ザ ・ ル ク セ ン ブ ル ク の マ ル ク ス 主 義 方 法 論r(277)33 関 わ る 必 然 性 で あ っ て み れ ば,当 然 の こ と と し て,人 間 の 主 体 的 実 践 を 含 ん で い る 。 た だ ち が う の は,〈 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 の 場 合 は,そ れ を 物 的 ・ 対 象 的 な 仕 方 で 含 ん で い る の に 対 し,〈 主 体 的 な 当 為 的 必 然 性 〉 は,そ れ を 意 識 的 ・ 行 動 的 な 仕 方 で 含 ん で い る と い う こ と で あ 苔 。 だ と す れ ば,こ の ち が い は,同 じ1つ の 歴 史 的 必 然 の な か の 位 相 の ち が い と い う か,論 理 的 な レ ヴ ェ ル の ち が い と で も い う べ き も の な の で あ ろ う.。 い ず れ に せ よ,そ こ に は,〈 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 が く 主 体 的 な 当 為 的 必 然 性 〉 を 根 拠 づ け,そ し て 後 者 が 逆 に 前 者 を 客 観 的 な 現 実 の な か で 開 示 す る こ と に よ っ て,1つ の 歴 史 的 必 然 性 と し て 有 機 的 に 絡 ま り あ っ て い る と い う 内 的 連 関 が み ら れ る の で あ る 。 そ し て こ の よ う に ロ ー ザ の く 歴 史 的 必 然 性 〉 が,〈 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 と く 主 体 的 な 当 為 的 必 然 性 〉 と の 同 時 的 内 的 結 合 と し て の1つ の 〈 歴 史 的 必 然 性 〉 で あ っ た か ら こ そ,そ れ は,彼 女 に と っ て,科 学 と し て の 自 己 主 張 の 方 法 的 拠 点 と し て 機 能 し え た の で あ り,ま た 当 時 の 静 観 的 解 釈 主 義 と 無 原 則 的 行 動 主 義 と に 対 す る 両 面 批 判 の 武 器 と も な り え た の で あ っ た 。 更 に わ れ わ れ が 彼 女 の 歴 史 的 必 然 性 を こ の よ う な も の と し て 理 解 し て は じ め て,客 観 主 義 的 宿 命 論 者=ロ ー ザ ・ ル ク セ ン ブ ル ク と い っ た 従 来 の 公 式 の 批 判 お よ び そ れ に 対 す る く 初 め に 行 動 あ り き 〉 的 な 反 批 判 と は,い ず れ も,き わ め て 一 面 的 か つ 外 面 的 な も の と し て 退 け ら れ ね ば な ら な い こ と が,納 得 さ れ る と い う も の で あ る 。 否,そ れ ば か り で は な い 。 彼 女 の 歴 史 的 必 然 性 の 概 念 が こ の よ う な 内 実 を 孕 ん で い る か ら.こ そ,ロ ー ザ=マ ル ク ス 主 義 の 核 心 を な す 方 法 は,や は り,客 観. コ ロ コ 的 に 不 可 避 的 な 歴 史 の 必 然 性 を 〈 認 識 す る 弁 証 法 〉 で あ る と 同 時 に,そ の ま ま, 主 体 的 な 当 為 的 必 然 性 を く 行 動 す る 弁 証 法 〉 で も あ っ た の で あ る 。 そ し て こ こ で も,皿 の 最 後 で 指 摘 し た の と 同 様 に,〈 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 を 〈 認 識 す る 弁 証 法 〉 の 優 位 が,彼 女.の 歴 史 的 必 然 性 範 疇 の 内 的 構 造 か ら,そ の 特 質 と し て 明 ら か に な る φ で あ る
2(276)第102巻 第4号. ど の よ う に 動 か す の か,と い.う こ と,こ の 階 級 の 二 元 的 矛 盾 に ど う 関 わ る の か, と い う こ と で あ っ た 。 矛 盾 を 自 然 成 長 的 な 枠 の な か に お し と ど め て,そ れ を 鎮 め 妥 協 さ せ る の か,そ れ と も,こ の 矛 盾 を 激 成 し 矛 盾 そ れ 自 体 の 力 で こ の 枠 を 超 え さ せ,か く し て 矛 盾 を 止 揚 す る の か,と い う こ と で あ ワ た 。 プ ロ レ タ リ ア ノ ー ト は ,い う ま で も な く,矛 盾 を 矛 盾 自 体 の 力 で 止 揚 す る と い う,.後 者 の 立 場 に 立 つ 。 そ し て 理 論 認 識 に お け る こ の よ う な 階 級 性 に 媒 介 さ れ て は じ め て,た ん に 客 観 的 可 能 性 に す ぎ な か っ た 社 会 主 義 は,い ま や,〈 ど う あ っ て も そ う あ ・ ら ざ る を え な い ・ そ う あ る ほ か な い 〉 必 然 性 に,い わ ば く 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 と で も い う べ き も の に 転 化 す る 。 し か も こ の 〈 客 観 的 な 不 可 避 的 必 然 性 〉 は,す で に 述 べ た よ う に,純 粋 に 客 観 的 な 必 然 性 で は な く て,一 物 的 ・ 対 象 的 な か た ち で,で は あ る が 一 人 間 の 主 体 的 実 践 を 含 み 込 ん だ 必 然 性 で あ コ コ り る ζ と に よ っ て,そ の ま ま,主 体 の う ち に 内 在 す る 必 然 性 と な る の で あ る 。 す な わ ち そ れ は,上 述 の,〈 客 観 的 に ど う あ っ て も そ う あ ら ざ る を え な い ・ そ う あ る ほ か は な い と こ ろ の ・ 不 可 避 的 な 歴 史 の 必 然 性 〉 を 前 提 に し な が ら も,こ の 必 然 性 に 支 え ら れ て,歴 史 的 主 体 た る プ ロ レ タ リ ア ー ト が,行 動 的 か つ 意 識 的 に,こ の 必 然 性 の な か に 介 入 し て,〈 ど う あ っ て も ぞ う あ る べ き だ ・ そ う し な け れ ば な ら ぬ 〉 と し て,は じ め て 実 現 し う る よ う な,い わ ば 〈 主 体 的 な 当 為 的 必 然 性 〉 と で も い う べ き も の な の だ 。 あ る い は,〈 主 体g)う ち に 内 在 し 主 体 の う ち か ら 内 発 す る 必 然 性 〉 と で も い っ た 方 が,よ り 的 を 射 た 表 現 に な る か も 知 れ な い 。 し か も こ の 自 覚 的 な 意 志 と 行 動 に 担 わ れ た 当 為 的 必 然 性 は,人 為 的 な 三 特 殊 階 級 的 な 性 格 を 免 れ て い る 。 な ぜ な ら,当 為 的 必 然 と し て 主 体 に 内 在 す る 必 然 性 ほ そ の ま ま,先 の 不 可 避 的 必 然 性 と し て の 客 観 的 歴 史 過 程 の 論 理 (一 も の ご と そ れ 自 体 の 論 理)か ら 連 続 し,そ れ に 直 接 に 規 定 さ れ て い る か ら で あ る 。 わ た し は 以 上 の 展 開 の な か で,い さ さ か 便 宜 的 に も,2つ の 歴 史 的 必 然 性 が あ る か の よ う な 叙 述 を し て き た 。 し か し,歴 史 的 必 然 性 に2つ の 種 類 が あ る わ . け で は な い 。 い ず れ の 歴 史 的 必 然 性 も,す で に 示 唆 し た よ う に,社 会 的 事 象 に
ロ ー ザ ・ ル ク セ ン ブ ル ク の マ ル ク ス 主 義 方 法 論(275)31 ど の よ う な 内 的 連 関 が ひ そ ん で い る で あ ろ う か,と 。 問 題 の 鍵 は,次 の 一 節 に 萌 芽 的 に ひ そ め ら れ て い る と 思 わ れ る 。 す な わ ち, 「 ベ ル ン シ ュ タ イ ン は く マ ル ク ス の 壮 大 な 著 作 の 全 体 を 貫 く 二 元 論 〉 に ぐ ち を こ ぼ し て い る 。 だ が,マ ル ク ス の く 二 元 論 〉 は,社 会 主 義 の 未 来 と 資 本 主 義 の 現 在,資 本 と 労 働 ブ ル2ヨ ア ジ ー と プ ロ レ タ リ ア ー ト,と い う 二 元 論 に ほ か リ コ ロ ロ コ コ の コ ロ コ コ ロ ロ コ コ コ コ ロ コ コ ロ な ら な い 。 そ れ は,ブ ル ジ 冨 ア 社 会 の な か に 存 在 す る 二 元 論 の,す な わ ち プ ル ロ コ コ コ コ コ コ ロ コ ロ コ コ コ コ コ コ コ コ コ コ ジ ョ ア 社 会 の 階 級 対 立 の,み ご と な 科 学 的 反 映 な の だ 」31)。 こ の よ う な ロ ー ザ の 主 張 か ら 窺 い 知 ら れ る よ う に,彼 女 は,社 会 主 義 プ 『 レ タ 羽 ア ー ト の 勝 利 を 〈 た だ ち に 〉 歴 史 的 必 然 と し て 考 え て い る わ け で は 決 し て な い 。 わ れ わ れ は,だ か ら,こ の,歴 史 的 必 然 と し て の 社 会 主 義 プ 仁 レ タ リ ア ー ト の 勝 利,と い う こ と の な か に 含 め ら れ て い る 内 的 論 理 連 関 を 解 き ほ ぐ さ な け れ ば な ら な い の で あ る 。 す で に ふ れ た よ う に,社 会 主 義 は,物 的 な 諸 関 係 の 分 析 に よ っ て,は じ め て 歴 史 的 に 必 然 的 な 発 展 法 則 と な る こ と が で き た 。 だ が,こ の 諸 関 係 の 総 体 は, 上 述 の 引 用 に み た よ う に,ロ ー ザ に あ っ て は,資.本 の 作 用 と 労 働 の 反 作 用 と の, ブ ル ジ ョ ア ジ ー の 作 用 と プ 巨 レ タ リ ア ー ト の 反 作 用 と の,相 互 関 係 と し て あ り, し た が っ て,そ れ は 人 間 主 体 の 介 入 に よ っ て 動 い て い る も の な の で あ る 。 だ.と す れ ば,歴 史 的 に 必 然 的 な 発 展 法 則 と い っ て も,こ の 限 り で は,い ま だ 傾 向 と し.て あ る に す ぎ ず,客 観 的 な 可 能 性 と し て あ る に す ぎ な い の で あ る 。 資 本 の 世 界 政 策 と 労 働 者 の 社 会 主 義 運 動 と は,い ず れ も 同 様 に,客 観 的 可 能 性 で あ り, 歴 史 の 傾 向 で あ り,ま た そ の か ぎ り で の 歴 史 の 必 然 で あ ら た の で あ るa2).・ し か し,ロ ー ザ に あ っ て,総 体 認 識 の 成 果 は,こ の よ う な 客 観 的 可 能 性 を 示 す だ け の も で は な か っ た 。 理 論 は,理 論 〈 一 般 〉 で も な け れ ば,〈 純 粋 〉 理 論 で も な か っ た 。 理 論 は 階 級 性 を そ の 重 要 な 属 性 と せ ね ば な ら な か っ た 。 そ し て 理 論 の 階 級 性 と は,ロ ー ザ の 場 合,資 ボ の 作 用 と 労 働 の 反 作 用 と の 総 体 を, 31)R.Luxembu■g,σ.の.0,,SS.74-75,『R選 集 』209頁 。 強 調 は 筆 者 。 32)乃 掘.,S.82,
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