木曜日, 6月 12, 2014

ルソー(『社会契約論』関連)

                    (政治学リンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: ルソー、ゲーテ、ソローの植物学:メモ再掲
『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html

NAMs出版プロジェクト: ルソー
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_12.html:本頁@
「(18世紀の社会思想家で、直接民主制を主張した)ルソーのころのジュネーブの人口は2万400人だったが、これぐらいだと直接民主制ができる。しかも僕たちには今、SNSやツイッター(Twitter)というのがあって、たとえば勝間(和代)さんやホリエモン堀江貴文さん)は、ツイッターでフォロワーが15万人もいる。1人のサービスを15万人がフォローしていて、しかも勝間さんや堀江さんはそれに(レスポンスを)返している。そういうことができるインターネットというテクノロジーは、10万人とか5万人という規模だったら、直接民主制を可能にするんですよ」

もし、人民が十分に情報を与えられて熟慮するとき、市民がたがいにいかなるコミュニケーションも取らないのであれば[Si (...) les Citoyens n'avaient aucune communication entre eux]、小さな差異が数多く集まり、結果としてつねに一般意志が生み出され、熟慮はつねによいものとなるであろう。 [……]  一般意志がよく表明されるためには、国家のなかに部分的社会が存在せず、また各市民が自分だけに従って意見を述べることが重要なのである(注3)。注3 第二篇第三章。全集第五巻、一三五─一三六頁。一般意志2.0東浩紀より孫引き



社会契約論』(しゃかいけいやくろん、Du Contrat Social ou Principes du droit politique, 社会契約について、もしくは政治的権利の原理)は、思想家ジャン=ジャック・ルソーによって執筆され、1762年フランスで公刊された政治哲学の著作である。古くは『民約論』とも訳した。「一般意志」というルソーの造語を世に送り出した書として有名である。


社会契約論
作田啓一訳
1:6
もし社会契約から、本質的でないものを取り除くなら、次の言葉に帰着することがわかるだろう。われわれのおのおのは、身体とすべての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われわれは、団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる。

2:3
全体意志と一般意志とのあいだには、しばしばかなり相違がある。後者は共同の利益だけを考慮する(六)。前者は私的な利益にかかわるものであり、特殊意志の総和にすぎない。しかし、これらの特殊意志から、〔一般意志との距離である〕過不足分を相殺させて引き去ると(1)、差の総計が残るが、これが一般意志である。

3:12

第十二章 主権はいかにして維持されるか  

 主権者は、立法権以外になんらの力も持たないので、法によってしか行動できない。そして、法は一般意志の真正の行為(四六)以外の何ものでもないのだから、主権者は人民が集会したときのほかは、主権者として行動しえない。人民の集会! とんでもない妄想だ! と人は言うだろう。今日では、それは妄想である。だが、二千年前にはそうではなかったのだ。人間はその本性を変えたのだろうか。


3:15

代表者という着想は近世のものである。それは封建政体、すなわちあの不正で不条理な政体から今日に受け継がれている。この政体のもとでは、人間は堕落しており、人間という名称も〔臣下を意味していたので〕屈辱的なものであった。古代の共和国においては、いや君主国においてさえ、人民はけっして代表者を持たなかった。


ギリシア人にあっては、人民のなすべきことはすべて人民みずからが行なった。人民はたえず広場で集会した。

4:3
「抽籤による選出が民主政の本性にふさわしい」とモンテスキューは言っている。これには私も賛成である。

特殊意志×n=全体意志
全体意志-Y=一般意志

参考:
NAMs出版プロジェクト: くじ引き関連資料 +ヴェネツィアのくじ引き

社会契約論  (白水社)原著1762年
目次  
 緒言 
第一篇  
 第一章 第一篇の主題  
 第二章 最初の社会について  
 第三章 最強者の権利について  
 第四章 奴隷状態について  
 第五章 最初の約束につねにさかのぼらなければならないこと  
 第六章 社会契約について  
 第七章 主権者について  
 第八章 社会状態について  
 第九章 土地所有権について 
第二篇  
 第一章 主権は譲渡できないこと  
 第二章 主権は分割できないこと
 第三章 一般意志は誤ることがあるか  
 第四章 主権の限界について  
 第五章 生と死の権利について  
 第六章 法について  
 第七章 立法者について  
 第八章 人民について  
 第九章 人民について(続き)  
 第十章 人民について(続き)  
 第十一章 立法のさまざまな体系について  
 第十二章 法の分類 
第三篇  
 第一章 政府一般について  
 第二章 政府のさまざまな形態を構成する原理について
 第三章 政府の分類  
 第四章 民主政について  
 第五章 貴族政について  
 第六章 君主政について  
 第七章 混合政府について  
 第八章 あらゆる統治形態があらゆる国にふさわしいわけではないこと 
 第九章 よい政府の特徴について  
 第十章 政府の悪弊とその堕落の傾向について  
 第十一章 政治体の死について  
 第十二章 主権はいかにして維持されるか  *
 第十三章 主権はいかにして維持されるか(続き)  
 第十四章 主権はいかにして維持されるか(続き)  
 第十五章 代議士または代表者について  **
 第十六章 政府の設立はけっして契約ではないこと  
 第十七章 政府の設立について  
 第十八章 政府の簒奪行為を防ぐ手段 
第四篇  
 第一章 一般意志は破壊できないこと  
 第二章 投票について  
 第三章 選挙について  
 第四章 ローマの民会について  
 第五章 護民府について  
 第六章 独裁について  
 第七章 監察制度について  
 第八章 市民宗教について  
 第九章 結論 
社会契約論または共和国の形態についての試論(初稿) 
〔解題〕私と『社会契約論』(作田啓一) 
〔解説〕社会契約による共和国の設立(川出良枝)

凡例  
一、本書で使用されるテキストは、JEAN-JACQUES ROUSSEAU ; ŒUVRES COMPLÈTES, Bibliothèque de la Pléiade, N. R. F.,édition publiée sous la direction de Bernard GAGNEBIN et Marcel RAYMANDである。



iTunes でブックをチェック:
artwork

社会契約論

ジャン=ジャック・ルソー & 作田啓一
哲学/思想, ブック, ノンフィクション
2010年7月30日
『社会契約論』の決定版、作田訳が待望のUブックス化。民主主義の聖典か、はたまた全体主義思想の先駆けか。民主主義を支えるのは、神に比される立法者、それとも「市民宗教」? 解説は川出良枝・東大教授。

_____



『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html

135:

《人民はアセンブリ(集会したとき・寄り合い)においてだけ、主権者として行動しうるだろう》(ルソー「社会契約論」)。3:12 岩波文庫


**

《代表という考えは近代のものである。…古代の共和国では、いな君主国においてすら、人

民は決して代表者をもたなかった》(同)3:15


「代表者という考えは近世のものである。それは封建政治に、すなわち人間が堕落し、人間という名前が恥辱のうちにあった、かの不正でバカげた政治に、由来している。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった。こうした言葉を、ひとは知らなかったのだ。」(岩波文庫p.133-134)3:15

「だからわたしはいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在そのものによってしか代表されえない、と。権力は譲りわたすこともできよう、しかし、意志はそうではない。」(p.42)2:1

ルソー『社会契約論』を読む -

http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120627


《ルソーはこういっています。人民は集会に来たときにだけ主権者として行動しうると。》

柄谷行人「憲法9条の今日的意義」(2016年1月23日講演のテキスト起こし) 

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/300.html

人民は集会したときにだけ、 主権者として行動しうるであろう (第三編 第一 二章).


参考:
NAMs出版プロジェクト: Karinthy Frigyes Lancszemek フリジェシュ・カリンティ「鎖」1929
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/karinthy-frigyeslancszemek1929.html?m=0

「多様な意見」はなぜ正しいのか スコット・E・ペイジ 2007 日経BP社 2009.01.26 水谷 淳訳
https://www.amazon.co.jp/dp/B00QT9O6UG/

多様性予測定理--予測モデルの集団において、

集団的誤差=平均個人誤差-予測多様性
CE=AE-DIV

http://www.youtube.com/watch?v=KtaaCAJjGr4

____

特殊意志×n=全体意志
全体意志-Y=一般意志

____
クロード・E・シャノン
https://ja.wikipedia.org/wiki/相互情報量

相互情報量は次のようにも表せる。

{\begin{aligned}I(X;Y)&{}=H(X)-H(X|Y)\\&{}=H(Y)-H(Y|X)\\&{}=H(X)+H(Y)-H(X,Y)\end{aligned}}

ここで H(X) と H(Y) は周辺エントロピーH(X|Y) と H(Y|X) は条件付きエントロピーH(X,Y) は X と Y の結合エントロピーである。H(X) ≥ H(X|Y) であるため、これは上述の非負性とも一貫している。


相互情報量 I(X;Y)=H(X) - H(Y|X)


18 Comments:

Blogger yoji said...

意志はwill
意思はintend (おもに法律用語)

ルソーのvouloirはwillの方だから意志

6:29 午前  
Blogger yoji said...

群衆は、軍隊が兵営に集まるのと同じくらい迅速に広場に集まってくる。…
人民の力は、集中しなければ発揮されない。それは拡散すると、地面にまき散らさ
れた火薬が、一粒ずつしか発火しないのでさっぱり効果がないように、雲散霧消
してしまう。

ルソー『社会契約論』3:8

7:31 午後  
Blogger yoji said...

一般意志 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/一般意志
一般意志(いっぱんいし、フランス語:Volonté générale、英語:General will)とは、 社会の全ての人に共有される意志。フランスの哲学者ジャン=ジャック・ ... それはつまり 、「特殊意志」の総和である「全体意志」は私の利益をこころがけている点である。
概要-独裁との関係-参考文献-脚注

10:37 午前  
Blogger yoji said...

ぼくのかんがえた最強のオンライン直接民主主義 - mizchi log
http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20091024/1256384797
2009-10-24
ぼくのかんがえた最強のオンライン直接民主主義
政治


昨日の東氏の朝生における主張を読み、大学受験のときの妄想を字に起こそうと思った。
かなり乱暴な意見なので、人によってはただ不快感を催すだけかもしれない。それでも言いたい。言わせてください、僕の政治観とネットの未来を。
政治学なんて全く知らない若憎の意見だけど、まあ知らないなりの自由な発想とかあるんじゃないかな!


「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案 : J-CASTニュース

「(18世紀の社会思想家で、直接民主制を主張した)ルソーのころのジュネーブの人口は2万400人だったが、これぐらいだと直接民主制ができる。しかも僕たちには今、SNSやツイッター(Twitter)というのがあって、たとえば勝間(和代)さんやホリエモン(堀江貴文さん)は、ツイッターでフォロワーが15万人もいる。1人のサービスを15万人がフォローしていて、しかも勝間さんや堀江さんはそれに(レスポンスを)返している。そういうことができるインターネットというテクノロジーは、10万人とか5万人という規模だったら、直接民主制を可能にするんですよ」

僕が最初にもった感想は、「東さんスケールがちっちゃいよ!工夫によっちゃ10万人以上だって全然可能なんじゃない?」ということ。
現在の政治システムは前時代的な制約によって運営されているんじゃないか、と昔から考えていた。すくなくとも改善されるべきは大量に残っているだろう。じゃあ、ウェブのインフラ化を極限までに押し進めると、どういう世界があるだろう?それについて考えてみる。


追記:あくまで架空の理想的なインフラなので、セキュリティとか度外視して話を進める

ワールドワイブウェブが個人の能力を拡大した

電信が可能にしたのは距離と時間の概念の払拭であり、ワールドワイドウェブが可能にしたそれは個人の可能性の拡大である。
誰しもが能力があれば、その規模に見合ったアクションを取ることが可能であるし、またそうあるべきだ。それは政治的な場でも同様であると僕は考える。*1

既存の選挙システムは、「コミュニティから代表者を選ぶ」昔ながらの代議士制度だが取られているが、これは旧来の物理的な限界によって課された限界だ。政治中枢の情報処理能力を、一極集中するしか、膨大な情報・リソース(国富)を最適に分配することが出来なかった。
だが今はどうだ?現在では、そのスケーラビリティと意思決定の為の情報収集はウェブにおいては問題とはならない。

現在だと選挙期間以外何をしているかわからない国会議員という特権階級によって政治が運営されている。彼等の主張は党是でテンプレ化されていて、彼等個人に重きを置く必要を感じない*2。だから彼等の権利を国民に等分配してしまえばいいんだ!というかなり乱暴な考えによって次の主張が生まれた。



ぼくのかんがえた最強の直接民主主義

まず、どういうものか簡単に述べておきたい。といっても複雑なルールがあるわけじゃない。
簡単に言えば以下の二点に集約される。


全ての有権者は自分が属する国籍、地方によって個別の法案への投票権を持つ(ポスト)
有権者は事案ごとに信頼する第三者へ票を委託することが出来る(ルーティング)


この二つは今適当に名前を付けた。このシステムでは、専門家は存在しても、職業政治家は存在しない(と思う。いや、どうかな)。
このシステムの肝は、より広く信頼される人がハブとして振る舞う*3。それは友人でもいいし、本で知ってる誰かでもいい。その信頼する人が信頼する人の・・・とルーティングを辿り、最終的にポストを設定した人間がその決定権を持つことになる。そして分野ごとに細かく票のルーティングを設定できるし、いつでも変更できる。軍事だったらI氏、福祉だったらM氏、なんてね。政治的関心の程度によってルーティングは細かくなるだろう。まったく政治的にインポテンツな野郎でも「友人のアイツなら信用できる」といった、より簡易な政治参加も可能だ。
ルーティングは個人の信条の自由において公開するかはどうかは自由だ。が、公開している人の方が、より多くの人に信頼されやすいだろう。そしてその信頼に基づいて、或いは信頼を醸成する為に、ウェブ上のブロゴスフィアなんかによって完全に公開で討論されるのが望ましい。そう、東氏の言うように、その全ての過程は透明化されるべきだ*4。


簡単に思いつく問題点とそのアドホックな対応

もちろん、これはシステム的な問題を抱えていないわけじゃない。本当に自分が信頼する人の公開ルーティングがその通りかわからないし、ルーティングがループして死票になっているかもしれない。A→B , B→C C→Aだと票が届かず死んでしまう。
「決戦日に死票化しているとき当事者に告知してルーティングの変更を促す」とか、「膨大な票が動くとき、ハブはルーティングに関する嘘をつけない」とか、そんなルールで対応できるかもしれないが、曖昧にノブレスオブリージュを適応していいか、ちょっと考えないといけない。ここらへん煮詰めてないので適当。


解き放たれるのは「神の見えざる手」か「リヴァイアサン」か

そして、そこで何が起こるか。おそらく、民意の反映は最速になる。(そのように設計したのだから)。が、そこで何が起こるだろう?
エリート主義を信望する人には受け入れら無い衆愚化を引き起こすかもしれない。そこで民主主義と集合知の真価が試されるだろう。

そこで何が起こるか、社会学者でもない僕ははっきりとしたビジョンを持つことができない。でもこういう国があったら興味を持つでしょう?



という妄想。あなたはこの意見に対してどう考えるだろうか。たぶん、この程度は自分が聞いたこと無いだけでいろんな人が言ってたんじゃないか、とも思える。
あくまで、俺こんなゲーム考えたんだ!ぐらいの妄想なので、マジ叩きは勘弁な!


Permalink | コメント(1) | トラックバック(3) | 20:46

*1:なお、現時点においてそのノウハウは片寄っていると言わざるを得ないが

*2:あくまで個人的な感覚である

*3:Googleのページランクアルゴリズムに似た動きをするかもしれない

*4:というのも過激なので何らかの付帯条件をつけてもいいだろうな

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nminorunminoru 2009/10/25 03:33
第三者へ委託するぐらいなら、投票を代行する人工知能的なエージェントを使った方がよくないですか?
自分の過去の投票や、Webの履歴、検索に使った語句、ソーシャルブックマーク先などの情報を元にして学習を行なわせれば実現できると思います。

10:41 午前  
Blogger yoji said...

(六) 第二篇第四章の次の個所を参照。「意志を一般的なものたらしめるのは、投票者の数よりも、むしろ投票者を一致させる共同の利益である」。

11:04 午前  
Blogger yoji said...

社会契約論 作田啓一訳 より

1:6
…もし社会契約から、本質的でないものを取り除くなら、次の言葉に帰着するこ
とがわかるだろう。われわれのおのおのは、身体とすべての能力を共同のものと
して、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われわれは、団体の
なかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる。

2:3
全体意志と一般意志とのあいだには、しばしばかなり相違がある。後者は共同の
利益だけを考慮する。前者は私的な利益にかかわるものであり、特殊意志の
総和にすぎない。しかし、これらの特殊意志から、〔一般意志との距離である〕過不
足分を相殺させて引き去ると、差の総計が残るが、これが一般意志である。*

3:15
ギリシア人にあっては、人民のなすべきことはすべて人民みずからが行なった。
人民はたえず広場で集会した。

4:3
「抽籤による選出が民主政の本性にふさわしい」とモンテスキューは言っている。
これには私も賛成である。


特殊意志×n=全体意志
全体意志-Y=一般意志

6:58 午前  
Blogger yoji said...

3:1

政府のなかには、さまざまな中間的な力があり、その諸関係が、全体と全体との関係、すなわち主権者と国家との関係を形づくっている。この後者の関係は、連比の両外項の関係としてあらわすことができ、その比例中項が政府である。政府は主権者から命令を受け取り、それを人民に与える。そこで、国家を均衡のとれた状態に置くためには、他の
諸力がすべて相殺され合うと仮定した場合、政府そのものの平方または二乗と、一面では主権者であり、他面では臣民である市民の平方または二乗とが、等しい状態に置かれなければならない(三)。


(三) 連比とはa:b=b:c=c:d……の形式であり、ルソーは、この形式によって、主権者Souverain、国家État(あるいは人民、すなわち主権者であるとともに臣民である市民の全体)、政府Gouvernementの三者間の関係をあらわそうとしている。aを主権者(S)、cを国家(E)、bを政府(G)とすれば、S/G=G/EしたがってS×E=となる。二つの比に含まれているG(政府)が比例中項である。

7:03 午前  
Blogger yoji said...

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701423.html
2006年03月26日
「みんなの意見」は案外正しい [著]ジェームズ・スロウィッキー
[評者]柄谷行人(哲学者)
[ジャンル]人文
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表紙画像
著者:ジェームズ・スロウィッキー、小高 尚子、小高 尚子、小高 尚子  出版社:KADOKAWA

■群衆が賢くあるための一定の状態とは

 本書の原題を直訳すると、「群衆の知恵」である。すなわち、本書は「群衆の狂気」あるいは「衆愚」という伝統的な通念に、異議を唱えるものである。
 著者があげている例では、見本市に出された雄牛の重量を当てるコンテストで、雄牛についてよく知らない八〇〇人の人たちが投票した値の平均値が、専門家の推測よりも正解に近かったという。
 この理由は説明されていない。ただ、個々の専門家よりも群衆のほうが知力・判断力において優越する場合があるということは、衝撃的な発見である。
 しかし、集団が賢明な判断をくだすためには、いくつかの条件がいる。それは、集団の成員が、多様性、独立性、分散性をもつことである。さらに、多様な意見を集約するリーダーシップが不可欠である。そして、実は、これらの要件を満たすことは容易ではない。
 たとえば、集団の中で討議すると、個々人は賢くなるだろうが、討議を重ねるほどに、皆が同じ意見をもつようになる。そして、多様性・分散性・独立性が失われ、いわゆる「群集心理」に陥ってしまう。ゆえに、群衆がいつも賢いというわけではない。一定の状態にある群衆が賢いのである。
 実際には、集団がこのような要件をみたす場合は多くない。その要件を満たす代表的な例として、意思決定を市場にまかせる「予測市場」がある。確かに、市場では、人々は相互に独立している。とはいえ、市場であれば何でもいいというわけではない。利潤を目指す市場にはいつも、付和雷同的なバブルが生じる危険があるからだ。
 すると、本書は、少数の専門家や指導者よりも大衆が賢い、といっているのではない、ということがわかる。むしろ、私には、集団の成員の多様性・分散性・独立性を保持し、さらにそこから創造的な意見を集約できるようなリーダーシップこそが望ましい、といっているように思われる。
 だから、本書の言い分は、見かけほど奇抜ではない。ただ、実行するのが難しいだけである。
 [評者]柄谷行人(米コロンビア大学客員教授)
     *
 小高尚子訳、角川書店・286ページ・1680円/James Surowiecki 米国誌「ニューヨーカー」のビジネスコラムニスト。

8:50 午後  
Blogger yoji said...

NAMs出版プロジェクト: Karinthy Frigyes Lancszemek フリジェシュ・カリンティ「鎖」1929
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/karinthy-frigyeslancszemek1929.html?m=0
「多様な意見」はなぜ正しいのか スコット・E・ペイジ 2007 日経BP社 2009.01.26 水谷 淳訳

多様性予測定理--予測モデルの集団において、

集団的誤差=平均個人誤差-予測多様性
CE=AE-DIV

http://www.youtube.com/watch?v=KtaaCAJjGr4

9:28 午後

9:22 午後  
Blogger yoji said...

「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
著者名等  スコット・ペイジ/著  ≪再検索≫
著者名等  水谷淳/訳  ≪再検索≫
出版者   日経BP社
出版者   日経BP出版センター
出版者   日経BP出版センター
出版年   2009.1
大きさ等  21cm 486p
注記    The difference./の翻訳
NDC分類 361.44
件名    集団心理学  ≪再検索≫
要旨    名門P&Gの最高研究スタッフでも歯が立たなかった超難題を解決したのは、名もない科
学者たちの寄せ集めだった。多様な人間集団がときに恩恵をもたらし、ときに害悪をもた
らすのはなぜか?複雑系研究の俊英が「多様性」の謎に挑んだ注目作。
目次    1 ツールボックスを分析する(多様な観点―我々は事柄をどのように見るか;ヒューリ
スティック―逆のことをすべし ほか);2 多様性の恩恵―ツールから組み立てる(多
様性と問題解決―ダーウィンの核心;情報寄せ集めモデル―心なきシグナル ほか);3
 多様な価値―利害の衝突か(それとも)?(多様な好み―タパスがある理由;好みの寄
せ集め―四つの(それほどではないが)がっかりさせる結果 ほか);4 プリン―多様
性は恩恵をもたらすか?(認識的な多様性の原因―家族休暇か、大学か、アイデンティテ
ィーか?;経験的証拠―プリン);5 積極的になる(実り多いロジック―アイデアを実
行へ移す)
ISBN等 4-8222-4600-0
ISBN等 978-4-8222-4600-6
書誌番号  3-0209004358

9:27 午後  
Blogger yoji said...

【物理】ミクロの原理「ハイゼンベルクの不確定性原理」に欠陥 小沢教授理論の正しさを光を使った実験で確認/名古屋大・東北大
1 :依頼36-96,100@白夜φ ★:2013/07/18(木) 21:18:29.06 ID:???
ミクロの原理、成立せず 小沢教授理論の正しさ確認

 
ミクロの世界の測定に関する「ハイゼンベルクの不確定性原理」が成立しない場合があるとした小沢正直名古屋大教授の理論の正しさを、
光を使った実験で確認したと、東北大と名大のチームが17日、英科学誌電子版に発表した。

従来考えられてきた限界よりも、精密な測定が可能なことを示す成果。
より安心な量子情報通信などへの応用が期待できるという。

小沢教授は2003年に理論を提唱。
昨年、中性子を使った実験で確かめたと発表したが、今回は光という身近なものを使い、より一般的に確かめられたとしている。

小沢教授は「通信の安全性を担保する技術につながり、新たな産業に結びつくだろう」と話している。

2013/07/17 20:11 【共同通信】
_____________

▽記事引用元 47NEWS2013/07/17 20:11配信記事
http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013071701001892.html

▽関連
Scientific Reports 3, Article number: 2221 doi:10.1038/srep02221
Received 07 August 2012 Accepted 02 July 2013 Published 17 July 2013
Experimental violation and reformulation of the Heisenberg's error-disturbance uncertainty relation
http://www.nature.com/srep/2013/130717/srep02221/full/srep02221.html
東北大学
ハイゼンベルクの測定誤差と擾乱に関する不確定性関係の破れの実験的検証に成功-光を用いた小澤の不等式の新たな検証実験-
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/2013/07/press20130717-01.html
名古屋大
2013/07/17
ハイゼンベルクの測定誤差と擾乱に関する不確定性関係の破れの実験的検証に成功ー光を用いた小澤の不等式の新たな検証実験ー
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20130717_is.pdf

*ご依頼いただきました。

12:02 午後
Blogger yoji said...
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press_20130717_01.pdf

12:02 午後
Blogger yoji said...
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press_20130717_01.pdf

ε(x)η(p)≥h 2

から

ε(A)η(B)+ε(A)σ(B)+σ(A)η(B)≥ 1 [A,B] 2

への修正はどんなイメージなのか

4:47 午前  
Blogger yoji said...

「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
著者名等  スコット・ペイジ/著  
著者名等  水谷淳/訳  
出版者   日経BP社
出版者   日経BP出版センター
出版者   日経BP出版センター
出版年   2009.1
大きさ等  21cm 486p

http://store.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P46000.html
目 次
「多様な意見」はなぜ正しいのか

謝辞
はしがき
序論 我々の違いを分析する

パート1 ツールボックスを分析する
第1章 多様な観点 我々は事柄をどのように見るか
第2章 ヒューリスティック 逆のことをすべし
第3章 解釈 自分のプライベートな平地
第4章 予測モデル 本を表紙で判断する
第5章 物差しとツールボックス 脳のためのノギス

パート2 多様性の恩恵――ツールから組み立てる
第6章 多様性と問題解決 ダーウィンの核心
第7章 情報寄せ集めモデル 心なきシグナル
第8章 多様性と予測 モデルの集団

パート3 多様な価値――利害の衝突か(それとも)?
第9章 多様な好み タパスがある理由
第10章 好みの寄せ集め 四つの(それほどではないが)がっかりさせる結果
第11章 ツールボックスと好みの相互作用 アリスに訊いてみよう

パート4 プリン――多様性は恩恵をもたらすか?
第12章 認識的な多様性の原因 家族休暇か、大学か、アイデンティティーか?
第13章 経験的証拠 プリン

パート5 積極的になる
第14章 実り多いロジック アイデアを実行へ移す

エピローグ ケチャップの問題

4:31 午前  
Blogger yoji said...

The difference./の翻訳
パート2が重要


「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
著者名等  スコット・ペイジ/著  
著者名等  水谷淳/訳  
出版者   日経BP社
出版者   日経BP出版センター
出版者   日経BP出版センター
出版年   2009.1
大きさ等  21cm 486p

http://store.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P46000.html
目 次
「多様な意見」はなぜ正しいのか

謝辞
はしがき
序論 我々の違いを分析する

パート1 ツールボックスを分析する
第1章 多様な観点 我々は事柄をどのように見るか
第2章 ヒューリスティック 逆のことをすべし
第3章 解釈 自分のプライベートな平地
第4章 予測モデル 本を表紙で判断する
第5章 物差しとツールボックス 脳のためのノギス

パート2 多様性の恩恵――ツールから組み立てる
第6章 多様性と問題解決 ダーウィンの核心
第7章 情報寄せ集めモデル 心なきシグナル
第8章 多様性と予測 モデルの集団

パート3 多様な価値――利害の衝突か(それとも)?
第9章 多様な好み タパスがある理由
第10章 好みの寄せ集め 四つの(それほどではないが)がっかりさせる結果
第11章 ツールボックスと好みの相互作用 アリスに訊いてみよう

パート4 プリン――多様性は恩恵をもたらすか?
第12章 認識的な多様性の原因 家族休暇か、大学か、アイデンティティーか?
第13章 経験的証拠 プリン

パート5 積極的になる
第14章 実り多いロジック アイデアを実行へ移す

エピローグ ケチャップの問題

4:38 午前  
Blogger yoji said...

全体意思(ぜんたいいし)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/全体意思-1555972
ルソーが一般意思volont g n raleと区別して用いた用語。全体意思は私的利益を追求する特殊意思の総和にほかならず、この全体意思が、公共の利益を追求する一般意思になるのは、それが特殊意思の総和とは別のものになるときである。このことは、各個人が自分の私的利益を超えて高まり、公共の利益を考えて判断する、つまり社会体の成員として考えることを想定している。それを可能にするのが社会契約である。ルソーは社会契約を説明して次のように述べている。「われわれ各人は、身体といっさいの能力とを共同 ...
一般意志(いっぱんいし)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/一般意志-31526
ルソーによれば,各個人の自由意志によって社会契約が行われ国家が成立するが, その際新しい公共我が生誕する。そしてこの公共我はみずからの意志をもつにいたる。 それが一般意志であって,法はその表現にほかならない。ゆえに法に従うことはみずからがその一部をなす主権者=人民の意志に従うことにほかならず,法的強制は「 自由への強制」とみなされる。なおルソーは一般意志のほか全体意志ないし特殊意志 という語を用いている。彼によれば全体意志とは特殊意志の総和にすぎず,私的利益を志向するもの ...
全体意志と一般意志、個別意志と特殊意志の違いを教えてください&... - Yahoo ...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp>...>哲学、倫理
全体意志と一般意志、個別意志と特殊意志の違いを教えてください>< □ルソーの「一般意思」でしたら 原語は「volontē gērērale」で、日本語ではむしろ「全体意思」に近い 各構成員の個別意志「volontē particu...
ルソーの一般意志と全体意志について詳しく教えて下さい - 個々...
-2011年2月21日
一般意志と全体意志ってなにが違うんですか? - 一般意思とは...
-2008年6月14日
detail.chiebukuro.yahoo.co.jpからの検索結果

7:06 午前  
Blogger yoji said...

https://blogs.yahoo.co.jp/assocy/30935036.html?
__ysp=5pS%2F5rK755qE5Lq66ZaT44Gu5oq96LGh5YyW44KS44Or44K944O844GM5qyh44Gu44KI4
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2013/1/17(木) 午後 3:21
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「新しく議員を国民の代表にしても、次のことがこの新たな代表機関の性格とならなければ、それは全く無意味なものになってしまうであろう。その性格とは、ここでは他の人間が州民に代わって行動するのではなくて、むしろ州民が自ら行動するのだと言うこと、ここでは他の人間が州民を代表するのではなくて、むしろ州民が自らを代表するのだということである。」(『マルエン全集』第1巻 p.50)

「もし州民が、彼らの普遍的知性を代表させる為に、verfassungsmaessig(権力構成的→立憲的)なやり方で代表を任命するとすれば、彼らはとりもなおさず、自己のあらゆる判断や分別を自ら完全に放棄した訳であって、判断や分別は、今後は専らこれらの選良に体現されるのである。」(同p.52)


「政治的人間の抽象化をルソーが次のようにえがいているのは正しい。

 『一つの人民に制度をあたえようとあえてくわだてるほどの人は、いわば人間性をかえる力があり、それ自体で一つの完全で、孤立した全体であるところの各個人を、より大きな全体の部分にかえ、その個人がいわばその生命と存在とをそこから受け取るようにすることができ、身体的にして独立的な存在に部分的にして精神的な存在をおきかえることができる、という確信をもつ人であるべきだ。立法者は、人間から彼自身の固有の力をとりあげ、彼自身にとってこれまで縁のなかった力、他の人間たちの助けをかりなければつかえないところの力をあたえなければならないのだ。』」(「ユダヤ人問題によせて」)

以上のようなルソー評価は、もちろん、マルクスの国家論に影響を与えたであろう。特に最初の二つの引用は、パリ・コミューンにおける拘束委任型派遣制議会の発見につながる視点が、この時すでに芽生え始めていたことを示している。それよりも、むしろ、第3の引用の延長線上にある次の一節が、ルソー吸収の成果としては、はるかに重要であると考える。

《独立の人間としては、労働者たちは、同じ資本と関係があるがおたがい同士ではそうでない、個々別々の人間である。彼らの協業は労働過程ではじめて始まるが、労働過程では、彼らはすでに自分自身のものではなくなっている。労働過程に入るとともに、彼らは資本に合体されている。協業する者としては、活動する一有機体の諸分肢としては、彼ら自身は資本の一つの特殊な存在様式であるにすぎない。したがって、労働者が社会的労働者として展開する生産力は、資本の生産力である。労働の社会的生産力は、労働者たちが一定の諸条件のもとにおかれるやいなや無償で展開されるのであり、そして資本は、労働者たちをこのような諸条件のもとに置くのである。労働の社会的生産力は資本にとって何の費用も要しないのであるから、また他方、労働者の労働そのものが資本のものとなる前は労働者によっては展開されないのであるから、この生産力は、資本が生まれながらに持っている生産力として、資本の内在的な生産力として、現れる。》(『資本論』第1部 マニュファクチュアと分業)

一方に個々バラバラの諸個人(アトミズム)、他方に、彼らの社会的結合から生まれる力。しかし、現状において諸個人は、彼自身の個別具体的な日常生活態度のおいてバラバラなままだから、社会的力は、彼ら個々人に対して、疎遠なもの、敵対的なものとならざるを得ない[だからこそ、ルソーは、「立法者」はその状況を超えて社会的力と全体としての諸個人との統合を実現すべきだという]。

マルクスは、ルソーの現状理解・問題把握、すなわち個々人の力が個々人から自立化した社会的力となって個々人に敵対する事態についての認識を高く評価しつつ、その解決案のホリスティック(全体主義的)な側面への批判へと進んだ。ルソーは、平板な全体主義者などではなく、全ての個人が個人として社会的力を我が物とすることを望んだが、彼が提示した解決案は、その意図に反して全体主義化の危険をはらむものだったのである。

ある意味マルクスのその後の作業は、ルソーのこの限界を超えるための努力でもあったのである。


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11:29 午後  
Blogger yoji said...

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6752/FLC-j.htm
 「政治的人間の抽象化をルソーが次のようにえがいているのは正しい。

 『一つの人民に制度をあたえようとあえてくわだてるほどの人は、いわば人間性をかえる力があり、それ自体で一つの完全で、孤立した全体であるところの各個人を、より大きな全体の部分にかえ、その個人がいわばその生命と存在とをそこから受け取るようにすることができ、身体的にして独立的な存在に部分的にして精神的な存在をおきかえることができる、という確信をもつ人であるべきだ。立法者は、人間から彼自身の固有の力をとりあげ、彼自身にとってこれまで縁のなかった力、他の人間たちの助けをかりなければつかえないところの力をあたえなければならないのだ。』」

 ここでのマルクスの『社会契約論』からの引用はやや不正確なものとなっています。一部に省略があります。しかし、この一部に省略のある不正確な引用は、「クロイツナハ・ノート」でマルクスが抜粋した文章と完全に一致していることが「クロイツナハ・ノート」の検討から分かります。また、引用の中に強調がありますが、これもまた、原文にはないものです。つまり、強調はマルクスが付けたものな訳です。

 そして、一番大きな論点は、このマルクスによる『社会契約論』の引用は不適切だという批判があるのに対して、本当にそうであるのか否かということです。言い換えれば、マルクスのミス・リーディングだという批判がある訳です。確かに、『社会契約論』を読めば、ルソーがここで意図しているものは、立法者の資質の問題でして、「政治的疎外」を言い表すことを意図した部分ではないことが分かります。しかし、私はこの立法者の資質の問題が論じられた部分を「政治的疎外」を言い表したものとして読み解いたことこそ、マルクスの天才性であると考えております。後の1844年の『経済学哲学手稿』で、アダム・スミスが目の前に展開されている疎外された経済現象をそのものとして正確に論じたものとして扱われているように、「ユダヤ人問題によせて」では、ルソーが目の前に展開されているブルジョア国家という現象をそのものとして正確に論じたものと私は考えております。この問題は、後で『社会契約論』の話になった時に、もう少し立ち入ってお話したいと思います。

11:31 午後  
Blogger yoji said...

「抽籤による選任が民主政の本質である」とモンテスキューは言っている (*2)。賛成である。しかし、どうしてそうなのか。モンテスキューは続けて言っている。「抽籤はだれも傷つけない選び方である。それは、各市民に祖国に奉仕できるという、もっともな期待をもたせるのである」しかし、理由はこの点にあるのではない。
 政府の首長を選ぶことは政府の権能であって、主権の権能ではない点に注意すれば、なにゆえに抽籤による方法がより民主政の本性にかなっているかがわかるだろう。民主政においては、行政は、その行為が簡単ならば簡単なほど、よりよく行なわれるのである。

ルソー社会契約論#4:3

9:28 午前  
Blogger yoji said...

9条を変えると1条も怪しくなる
今の天皇はそれをわかってる
ただそれは別の話
マルクスが生きていたら天皇制をなくせとは言わない
国家をなくせと言うだろう
ただ国家は対外的なものだから単独でなくすことは出来ない
将来的に天皇は京都の象徴になるべきだろう
それは共和制と矛盾しない



http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6752/FLC-j.htm
上にあるようにマルクスによるルソーの引用は恣意的だ
マルクスと直接民主制との相性は良くない
マルクスは工場には指揮者が必要だと考えているからだ
ただここで想起されるのは別のことで、
くじ引きが政治論からなくなったのは資本制の勃興と同時ではないかということだ


《「抽籤による選任が民主政の本質である」とモンテスキューは言っている 。賛成である。
しかし、どうしてそうなのか。モンテスキューは続けて言っている。「抽籤はだれも傷つけ
ない選び方である。それは、各市民に祖国に奉仕できるという、もっともな期待をもた
せるのである」しかし、理由はこの点にあるのではない。
 政府の首長を選ぶことは政府の権能であって、主権の権能ではない点に注意すれば、
なにゆえに抽籤による方法がより民主政の本性にかなっているかがわかるだろう。民主
政においては、行政は、その行為が簡単ならば簡単なほど、よりよく行なわれるのである。 》

ルソー社会契約論#4:3

10:24 午前  

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