http://www.freeassociations.org/
| ||||||||||||||||||||||||
(a)賃金上昇による算術的価格上昇(b)利益率上昇による幾何学的価格上昇
Wealth of Nations — Bk 1 Chpt 09
https://www.marxists.org/reference/archive/smith-adam/works/wealth-of-nations/book01/ch09.htm
TABLE OF CONTENTS | |
Cover Table of Contents | |
Preface, by Edwin Cannan | |
Editor's Introduction, by Edwin Cannan | |
Volume I Introduction and Plan of the Work | |
Book I: Of the Causes of Improvement... | |
I.1. Of the Division of Labor | |
I.2. Of the Principle which gives Occasion to the Division of Labour | |
I.3. That the Division of Labour is Limited by the Extent of the Market | |
I.4. Of the Origin and Use of Money | |
I.5. Of the Real and Nominal Price of Commodities, or of their Price in Labour, and their Price in Money | |
I.6. Of the Component Parts of the Price of Commodities | |
I.7. Of the Natural and Market Price of Commodities | |
I.8. Of the Wages of Labour | |
I.9. Of the Profits of Stock | |
I.10. Of Wages and Profit in the Different Employments of Labour and Stock | |
I.11. Of the Rent of Land Tables for I.11. | |
Book II: Of the Nature, Accumulation, and Employment of Stock | |
II. Introduction | |
II.1. Of the Division of Stock | |
II.2. Of Money Considered as a particular Branch of the General Stock of the Society... | |
II.3. Of the Accumulation of Capital, or of Productive and Unproductive Labour | |
II.4. Of Stock Lent at Interest | |
II.5. Of the Different Employment of Capitals | |
Book III: Of the different Progress of Opulence in different Nations | |
III.1. Of the Natural Progress of Opulence | |
III.2. Of the Discouragement of Agriculture in the Ancient State of Europe after the Fall of the Roman Empire | |
III.3. Of the Rise and Progress of Cities and Towns, after the Fall of the Roman Empire | |
III.4. How the Commerce of the Towns Contributed to the Improvement of the Country | |
Book IV: Of Systems of political Œconomy | |
IV. Introduction | |
IV.1. Of the Principle of the Commercial or Mercantile System | |
IV.2. Of Restraints upon the Importation from Foreign Countries of such Goods as can be Produced at Home | |
IV.3. Of the extraordinary Restraints upon the Importation of Goods of almost all Kinds, from those Countries with which the Balance is supposed to be Disadvantageous | |
Volume II IV.4. Of Drawbacks | |
IV.5. Of Bounties | |
IV.6. Of Treaties of Commerce | |
IV.7. Of Colonies | |
IV.8. Conclusion of the Mercantile System | |
IV.9. Of the Agricultural Systems, or of those Systems of Political Œconomy, which Represent the Produce of Land, as either the Sole or the Principal, Source of the Revenue and Wealth of Every Country | |
Book V: Of the Revenue of the Sovereign or Commonwealth | |
V.1. Of the Expences of the Sovereign or Commonwealth | |
V.2. Of the Sources of the General or Public Revenue of the Society | |
V.3. Of Public Debts | |
Appendix | |
Footnotes (Book I, Ch. I-IX) | |
Footnotes (Book I, Ch. X-XI) | |
Footnotes (Books II-III) | |
Footnotes (Book IV) | |
Footnotes (Book V) | |
About the Book and Author |
(A. Smith , 1776: p.65).1:6もし、たとえば狩猟者の国民のなかで、海狸一頭をころすのに、一頭の鹿をころす労働の二倍が、通常かかるとすると、とうぜん、一頭の海狸は二頭の鹿と交換される、すなわちそれだけのねうちがあることになるであろう。通常二日または二時間の労働の生産物であるものが、通常一日または一時間の労働の生産物であるものの、二倍のねうちをもつのはとうぜんである。
中村賢一郎『経済学説研究』(118~120頁)によると、スミスはv+mのドグマに陥っていないとのことである。
《「労働の年生産物全体は,結局その住民の消費を充足すべく,また収入
獲得のために予定されたものであるにせよ,それが最初に土地か生産的労
働者の手のいずれかに由来するばあいには,自然にそれ自体は二つの部分
に分割される。その一つが資本の回収,つまりすでに資本のなかからひき
あげられた食料品や材料などの半製品や完成品を更新するために予定され
たものであり,他の部分はこの資本の所有者の資財の利潤としての収入
が,他の人の土地の地代としての収入のいずれかを構成するために予定さ
れた ものなのである 」[ スミス 1776,『諸国民の富』(国富論)岩波文庫(2) 340-1 頁]。
このように、スミスはある意味でドグマに陥ってはいない。…
…売上金額の国民所得への解消(V+Mのドグマ)からいえることは、スミス
が国民所得の「付加価値集計方法」(value added method)の先駆的発見者であ
るということ、さらに所得集計上の「重複計算の除去」(eliminathon of multiple
counting)を指摘した先駆者として高く評価されるべきことである。》
(同119頁)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1700/7600sa.htm
>HOME >DATABASE
『国富論』
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
第一章 分業について
第二章 分業を生む原理について
第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
第四章 貨弊の起源と使用について
第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
第六章 商品の価格の構成部分について
第七章 商品の自然価格と市場価格について
第八章 労働の賃金について
第九章 貯えの利潤について
第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
第一節 職業の性質自体から生じる不平等
第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
第一一章 地代について
第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について
過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
第一期
第二期
第三期
金銀の比価の変動
銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
第一の種類
第二の種類
第三の種類
銀の価値の変動にかんする余論の結論
改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
本章の結論
第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
序論
第一章 貯えの分類について
第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
第五章 資本のさまざまな使用について
第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
第一章 富裕の自然的進歩について
第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか
第四編 政治経済学の諸体系について
序論
第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
第四章 戻し税について
第五章 奨励金について
穀物貿易と穀物法にかんする余論
第六章 通商条約について
第七章 植民地について
第一節 新植民地建設の動機について
第二節 新植民地の繁栄の諸原因
第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
第八章 重商主義についての結論
第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について
第五編 主権者または国家の収入について
第一章 主権者または国家の経費について
第一節 防衛費について
第二節 司法費について
第三節 公共事業と公共施設の経費について
第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
第二項 青少年教育のための施設の経費について
第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
本章の結論
第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
第二節 租税について
第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
地代にではなく土地の生産物に比例する税
家賃にたいする税
第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
特定の職業の利潤にたいする税
第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
第三項 労働賃金にたいする税
第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
人頭税
消費財にたいする税
第三章 公債について
・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1700/7600sa.htm
>HOME >DATABASE
『国富論』
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
第一章 分業について
第二章 分業を生む原理について
第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
第四章 貨弊の起源と使用について
第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
第六章 商品の価格の構成部分について
第七章 商品の自然価格と市場価格について
第八章 労働の賃金について
第九章 貯えの利潤について
第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
第一節 職業の性質自体から生じる不平等
第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
第一一章 地代について
第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について
過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
第一期
第二期
第三期
金銀の比価の変動
銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
第一の種類
第二の種類
第三の種類
銀の価値の変動にかんする余論の結論
改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
本章の結論
第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
序論
第一章 貯えの分類について
第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
第五章 資本のさまざまな使用について
第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
第一章 富裕の自然的進歩について
第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか
第四編 政治経済学の諸体系について
序論
第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
第四章 戻し税について
第五章 奨励金について
穀物貿易と穀物法にかんする余論
第六章 通商条約について
第七章 植民地について
第一節 新植民地建設の動機について
第二節 新植民地の繁栄の諸原因
第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
第八章 重商主義についての結論
第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について
第五編 主権者または国家の収入について
第一章 主権者または国家の経費について
第一節 防衛費について
第二節 司法費について
第三節 公共事業と公共施設の経費について
第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
第二項 青少年教育のための施設の経費について
第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
本章の結論
第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
第二節 租税について
第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
地代にではなく土地の生産物に比例する税
家賃にたいする税
第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
特定の職業の利潤にたいする税
第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
第三項 労働賃金にたいする税
第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
人頭税
消費財にたいする税
第三章 公債について
・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1700/7600sa.htm
>HOME >DATABASE
『国富論』
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
第一章 分業について
第二章 分業を生む原理について
第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
第四章 貨弊の起源と使用について
第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
第六章 商品の価格の構成部分について
第七章 商品の自然価格と市場価格について
第八章 労働の賃金について
第九章 貯えの利潤について
第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
第一節 職業の性質自体から生じる不平等
第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
第一一章 地代について
第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について
過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
第一期
第二期
第三期
金銀の比価の変動
銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
第一の種類
第二の種類
第三の種類
銀の価値の変動にかんする余論の結論
改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
本章の結論
第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
序論
第一章 貯えの分類について
第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
第五章 資本のさまざまな使用について
第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
第一章 富裕の自然的進歩について
第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか
第四編 政治経済学の諸体系について
序論
第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
第四章 戻し税について
第五章 奨励金について
穀物貿易と穀物法にかんする余論
第六章 通商条約について
第七章 植民地について
第一節 新植民地建設の動機について
第二節 新植民地の繁栄の諸原因
第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
第八章 重商主義についての結論
第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について
第五編 主権者または国家の収入について
第一章 主権者または国家の経費について
第一節 防衛費について
第二節 司法費について
第三節 公共事業と公共施設の経費について
第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
第二項 青少年教育のための施設の経費について
第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
本章の結論
第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
第二節 租税について
第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
地代にではなく土地の生産物に比例する税
家賃にたいする税
第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
特定の職業の利潤にたいする税
第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
第三項 労働賃金にたいする税
第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
人頭税
消費財にたいする税
第三章 公債について
・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)
『国富論』
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
Smith, Adam 1776 An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations=20000516 水田 洋(監訳・杉山 忠平訳,『国富論』,岩波文庫
<目次>
・凡例
・第三版の読者に
・第四版の読者に
・序文および本書の構想
第一編 労働の生産力の改良、および労働の生産物が国民ののさまざまな階層のあいだに自然に分配される順序について
第一章 分業について
第二章 分業を生む原理について
第三章 分業は市場の広さによって制限されるということ
第四章 貨弊の起源と使用について
第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨弊価格について
第六章 商品の価格の構成部分について
第七章 商品の自然価格と市場価格について
第八章 労働の賃金について
第九章 貯えの利潤について
第一〇章 労働と貯えのさまざまな用途における賃金と利潤について
第一節 職業の性質自体から生じる不平等
第二節 ヨーロッパの政策によって引き起こされる不平等
第一一章 地代について
第一節 つねに地代を提供する土地生産物について
第二節 地代をときには提供し、ときには提供しない土地生産物について
第三節 つねに地代を提供する種類の生産物と、ときによって地代を提供したりしなかったりする種類の生産物との、それぞれの価値のあいだの割合の変動について
過去四世紀間の銀の価値の変動についての余論
第一期
第二期
第三期
金銀の比価の変動
銀の価値は依然として減少しつづけているという疑念の根拠
改良の進行が三つのことなる種類の原生産物に及ぼすさまざまな効果
第一の種類
第二の種類
第三の種類
銀の価値の変動にかんする余論の結論
改良の進行が製造品の実質価格に及ぼす影響
本章の結論
第二編 貯えの性質と蓄積と用途について
序論
第一章 貯えの分類について
第二章 社会の貯え全体の一特定部門と考えられる貨幣について、すなわち国民資本の維持費について
第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
第四章 利子つきで貸しつけられる貯えについて
第五章 資本のさまざまな使用について
第三篇 さまざまな国民における富裕の進歩のちがいについて
第一章 富裕の自然的進歩について
第二章 ローマ帝国没落後のヨーロッパの旧状での農業の阻害について
第三章 ローマ帝国没落後の諸都市の発生と発達について
第四章 都市の商業はどのようにして農村の改良に寄与したか
第四編 政治経済学の諸体系について
序論
第一章 商業的あるいは商人の体系の原理について
第二章 国内で生産できる品物の外国からの輸入にたいする制限について
第三章 貿易差額が不利と想定される諸国からの、ほとんどすべての種類の品物の輸入にたいする特別の制限について
第一節 商業主義の原理からみてさえそれらの制限が不合理であることについて預金銀行、とくにアムステルダムの預金銀行にかんする余論
第二節 他の諸原理からみてもそれらの特別の制限が不合理であることについて
第四章 戻し税について
第五章 奨励金について
穀物貿易と穀物法にかんする余論
第六章 通商条約について
第七章 植民地について
第一節 新植民地建設の動機について
第二節 新植民地の繁栄の諸原因
第三節 アメリカの発見と、喜望峰経由の東インド航路の発見から、ヨーロッパが引き出した利益について
第八章 重商主義についての結論
第九章 農業主義について、すなわち、土地の生産物がすべての国の収入と富の唯一または主要な源泉だとする政治経済学の諸体系について
第五編 主権者または国家の収入について
第一章 主権者または国家の経費について
第一節 防衛費について
第二節 司法費について
第三節 公共事業と公共施設の経費について
第一項 社会の商業を助長するための公共事業と公共施設について
そして第一に、商業一般の助長に必要な公共事業と公共施設について
商業の特定部門を助長するのに必要な公共事業と公共施設について
第二項 青少年教育のための施設の経費について
第三項 あらゆる年齢の人びとの教化のための施設の経費について
第四節 主権者の尊厳を保つための経費について
本章の結論
第二章 社会の一般収入あるいは公収入の源泉について
第一節 主権者または共同社会の専属でありうる原資すなわち源泉について
第二節 租税について
第一項 賃料にたいする税、地代にたいする税
地代にではなく土地の生産物に比例する税
家賃にたいする税
第二項 利潤、すなわち貯えから生じる収入にたいする税
特定の職業の利潤にたいする税
第一項と第二項への付録。土地、家屋、および貯えの基本価値にたいする税
第三項 労働賃金にたいする税
第四項 すべての種類の収入に無差別にかかることを目的とする税
人頭税
消費財にたいする税
第三章 公債について
・解説(水田 洋)
・索引(引照文献/人名・地名・国名/事項)
4:2に
みえざる手
2:3
ドグマへの反例
各国の土地と労働の年々の全生産物は、うたがいもなく、究極的には、その国の住民の消費にたいして供給し、かれらに収入をもたらすように、さだめられているにしても、それがはじめて、地中から、あるいは生産的労働者の手中からでてくるときは、二つの部分にわかれるのがとうぜんである。二つのうちのひとつで、しばしば最大である部分は、第一に、資本の回収、すなわち、資本からひきだされていた食料品、材料、完成品の更新に、あてられる。他方の部分は、この資本の所有者にたいして、かれの資財の利潤としての収入を、あるいは他のある人物にたいして、かれの土地の地代としての収入を、形づくるのにあてられる。だから、土地の生産物は、その一部分が農業者の資本を回収し、他の部分がかれの利潤と地主の地代を支はらい、そしてこのようにして、この資本の所有者にたいしてはかれの資財の利潤として、他のある人物にたいしてはかれの土地の地代として、ともに収入を形づくる。おなじように、大製造業の生産物のうち、つねに最大のものである一部分は、そのしごとの企業者の資本を回収し、他の部分は、かれの利潤を支はらって、この資本の所有者にたいする収入を、形づくるのである。
河出、水田訳
上
上357頁
2,第三章 資本の蓄積について、あるいは生産的労働と不生産的労働について
1:11
◆銀の価値の変動についての余論の結論
[支那はヨーロッパのどの部分よりもずっと富裕な国である]が、そこでは、貴金属の価値はヨーロッパのどの部分よりも、ずっとたかい。
帝国の構造142頁
水田訳は支那を使用
『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation)とは1817年に発表したイギリスの経済学者デイヴィッド・リカードによる研究である。
経済学及び課税の原理 (PDF) (日本語) 翻訳(小笠原誠治)文
目次
序文
お知らせ
第1章 価値について
第2章 地代について
第3章 鉱山の地代について
第4章 自然価格と市場価格について
第5章 賃金について
第6章 利潤について
第7章 海外貿易について
第8章 課税について
第9章 原生産物に対する税
第10章 地代に対する税
第11章 十分の一税
第12章 地租 第13章 金に対する税
第14章 家屋に対する税
第15章 利潤に対する税
第16章 賃金に対する税
第17章 原生産物以外の商品に対する税
第18章 救貧税 第19章 投資先の突然の変化について
第20章 価値と富、その性質の違い
第21章 利潤と利子に及ぼす資本蓄積の効果
第22章 輸出奨励金と輸入制限
第23章 生産奨励金について
第24章 地代に関するアダムスミスの教義
第25章 植民地貿易について
第26章 粗収入と純収入について
第27章 通貨と銀行について
第28章 豊かな国と貧しい国の金、穀物、及び労働の相対価値について
第29章 生産者によって支払われる税
第30章 価格に及ぼす需要と供給の影響について
第31章 機械について
第32章 マルサス氏の地代論
『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation)とは1817年に発表したイギリスの経済学者デイヴィッド・リカードによる研究である。
経済学及び課税の原理 (PDF) (日本語) 翻訳(小笠原誠治)文
http://www.gci-klug.jp/ogasawara/ricardo1.pdf
目次
序文
お知らせ
第1章 価値について
第2章 地代について
第3章 鉱山の地代について
第4章 自然価格と市場価格について
第5章 賃金について
第6章 利潤について
第7章 海外貿易について
第8章 課税について
第9章 原生産物に対する税
第10章 地代に対する税
第11章 十分の一税
第12章 地租 第13章 金に対する税
第14章 家屋に対する税
第15章 利潤に対する税
第16章 賃金に対する税
第17章 原生産物以外の商品に対する税
第18章 救貧税 第19章 投資先の突然の変化について
第20章 価値と富、その性質の違い
第21章 利潤と利子に及ぼす資本蓄積の効果
第22章 輸出奨励金と輸入制限
第23章 生産奨励金について
第24章 地代に関するアダムスミスの教義
第25章 植民地貿易について
第26章 粗収入と純収入について
第27章 通貨と銀行について
第28章 豊かな国と貧しい国の金、穀物、及び労働の相対価値について
第29章 生産者によって支払われる税
第30章 価格に及ぼす需要と供給の影響について
第31章 機械について
第32章 マルサス氏の地代論
水とダイヤモンドのパラドックス
http://para.zashiki.com/water-diamond/water-diamond.html
商品の価格を決定するのは限界効用
これまでは、水とダイヤモンドのパラドックスは使用価値によって交換価値を生み出す、つまり実用性が高いほど価格が高いという前提で議論されていました。しかし、この前提を否定して、交換価値を決定するのはモノの希少性と商品を一単位追加するときに得られる満足度(限界効用)であるとした人たちがいました。その中心人物が、ジェボンズ、メンガー、ワルラスの三人です。1870年代に三人はほとんど同時期にこの概念を提唱しており、この概念は限界革命と呼ばれます。
「一般的な水」と「具体的な水」は区別しなくてはならない
水ほど有用なものはないけれども、それはほとんどなにも購買しないだろう。どんなものも、それと交換に手にいれることは、ほとんどできないのである。その反対に、ダイアモンドは、ほとんどなんの使用価値ももたないけれども、非常に大量の他の財貨が、しばしば、それと交換にえられるであろう。
スミス
国富論
1:4
河出 世界の大思想より
国の豊かさの性質とその原因についての検討
AnInquiryintotheNatureandCausesoftheWealth ofNations.
NAMs出版プロジェクト: マルクス『資本論』:メモ及び目次
II
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0#_2-19
19. 対象についての従来の諸叙述
第一節 重農学派
第二節 アダム・スミス
一 スミスの一般的観点
二 スミスによるv+mへの交換価値の分解 (v+mのドグマ、正解はc+v+m)
三 不変資本部分
四 アダム・スミスにおける資本と収入
五 要約
第三節 スミス以降の論
前者の帰納、後者の演繹は相補的。
(小田中 直樹 『ライブ・経済学の歴史』あたりの読み物が両者をつなぐだろう。)
また、国富論は様々なアイデアの宝庫。
《公共事業および公共施設の費用について 主権者または国家の、第三のそしてさいご
の義務は、つぎのような公共施設および公共事業を設立し維持するという義務であって、
…》(河出『国富論』第五篇第三部。国防、司法に続く部)
以上は社会的公共資本の元。
以下は行動経済学の元。
《だれもが利得の機会を多少とも過大評価し 、またたいていの人は損失の機会を多少と
も過小評価する 》 (国富論1:101岩波書店版1, 190頁 )
マルクスの協働理論は国富論のピンづくりから(1:1)、ジェボンズの限界効用のアイデアは
ダイヤと水価格論議(1:4)から批判的に生み出された。
参考:
http://blog.goo.ne.jp/sotashuji/e/c1b0ef259a3649a15eefb9660c776ce1
間宮陽介著「市場社会の思想史」評
ケインズに関しては、それをモデル化したヒックスの1937年論評↓(pdfで邦訳同時公開済み)と
出来れば『価値と資本』(岩波文庫)を見ればケインズが現代経済学の元とわかる。
http://genpaku.org/generaltheory/hicksislm.pdf
マクロとミクロを分けたのもケインズだ(一般理論#21:1)。
ついでに、読まなくてもいいからリカードとマルクスも持っておくといい…かも。
もう一度よく考え直してみてよ Try to reconsider carefully | リカードの中立命題(等価定理)は2つある!
http://hatano1113.wix.com/blog#!%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E5%91%B
D%E9%A1%8C%EF%BC%88%E7%AD%89%E4%BE%A1%E5%AE%9A%E7%90%86%EF%BC%89%E3%81%AF%EF%BC%92%E3%81%
A4%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%81/c1tye/DA380DAA-1E8D-4490-996B-FE0C87FA93D3
Tuesday, February 28, 2012
前エントリー「リカードの中立命題とバローの中立命題」の最後で、リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明することは不可能だと指摘した。そのことについて確認しよう。
リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを尋ねる問題で想定されている答えはすでに説明した。その説明によれば、公債の発行・償還が同一世代内で完 結しているケースはリカードの中立命題、異世代に渡っているケースはバローの中立命題ということになる。しかし、この答えは誤りだ。リカードは世代交代に 言及しており、本質的にバロー教授の議論と同じことを述べているのだ(注1)。
リカードの主著『経済学および課税の原理』を紐解くと、第17章(87)において国債の中立性(租税と国債の等価性)について論じた箇所を確認することができる(注2)。精読するまでもなく、ここには世代の議論は出てこない。リカードの中立命題にとって重要なのは『経済学および課税の原理』ではなく、1820年に発表された「Funding System」(公債制度論)という論説だ(注3)。
少し長くなるが、該当箇所を引用してみる(注4)。
「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」(磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)
リカードが次世代に遺産を残す可能性に言及していることは明らかだ。しかも、租税負担のあるなしを比較している。これはバロー論文の骨子とまったく同じアイディアだ。リカードの中立命題には世代を考慮していないバージョンと世代を考慮したバージョンの2つが存在するのだ。
むろん、ここで強調したいことはリカードの凄さではない。リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明させるような問題は公務員試験(に限らず全ての試験)には不適切ということだ。これまで、この出題で合否が決まっていないことを祈るばかりだ。
私の講義ではリカードの中立命題とバローの中立命題を同じ定理として教えている。テキストである『財政学をつかむ』もそのような説明を採用している(注5)。しかし、公務員試験受験者の便宜を考えると、リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明できるような指導も行う必要がありそうだ。
[注]
1:『財政学をつかむ』332ページのコラム19も参照。
2:岩波文庫版の上・下(羽鳥卓也・吉沢芳樹訳、1987年)、雄松堂書店のデイヴィド・リカードウ全集の第1巻(堀経夫訳、1972年)がアクセスしやすい。一穂社による岩波文庫復刻版(小泉信三訳、オリジナルは1952年)は日本語が古めかしい。吉田秀夫訳も1948年で古いが、ネット上で全文を読むことができる(青空文庫)。
3:1992年のバロー教授自身によるコメント論文(ユージン・ガーフィールド教授のCitation Classics)でも「Funding System」の重要性が強調されている。
BARRO, R.J. (1992) "RICARDIAN EQUIVALENCE - A CITATION-CLASSIC COMMENTARY ON ARE GOVERNMENT BONDS NET WEALTH," CC/ART HUMAN (2): 16-16 JAN 20 1992.
ブキャナン教授のコメント論文では『経済学および課税の原理』が文献リストに含まれているのに対して、「Funding System」は脚注で触れられているに過ぎない。
Buchanan, James M. (1976) "Barro on the Ricardian Equivalence Theorem," Journal of Political Economy, Vol.84, No.2: pp.337-342.
4:利子率の想定は5%であると推察される。原文は以下のとおり。
It would be difficult to convince a man possessed of 20,000l., or any other sum, that a perpetual payment of 50l. per annum was equally burdensome with a single tax of 1000l. He would have some vague notion that the 50l. per annum would be paid by posterity, and would not be paid by him; but if he leaves his fortune to his son, and leaves it charged with this perpetual tax, where is the difference whether he leaves him 20,000l., with the tax, or 19,000l. without it? (Sraffa, Piero ed. (1951) The Works and Correspondence of DAVID RICARDO, Volume IV Pamphlets and Papers 1815-1823, p.187)
5:ただし、私もかつて誤りを書いた(下記論文67ページ)。この論文をもとにした2009年の著書では修正を施した。
畑農鋭矢(2004)「財政赤字のマクロ経済効果―カルマン・フィルタによる中立命題の検証―」『フィナンシャル・レビュー』第74号:65- 91ページ.
《これとは反対に、秩序体系を奉じる人間(マンオブシステム)は、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則(プリンシプル)をもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則──立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる──をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。》
アダム・スミス『道徳感情論』講談社学術文庫
6:2
ハイエクがよく引用したという
間宮陽介ケインズとハイエク
《これとは反対に、秩序体系を奉じる人間(マンオブシステム)は、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。
彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則(プリンシプル)をもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則──立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる──をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。》
アダム・スミス『道徳感情論』講談社学術文庫
6:2
ハイエクがよく引用したという
スミスは、百科全書家を想定している
《これとは反対に、秩序体系を奉じる人間(マンオブシステム)は、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。
彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則(プリンシプル)をもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則──立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる──をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。》
アダム・スミス『道徳感情論』講談社学術文庫
6:2
ハイエクがよく引用したという
間宮陽介74頁
スミスは、百科全書家を想定している
http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/archives/2013-08-19.html
「道徳感情論 The Theory of Moral Sentiments (講談社学術文庫2176)」アダム・スミス、高哲男 訳
※翻訳の原典は第六版(1790年)である。第四部までが第一巻、それ以降が第二巻として印刷・発行された。(p9-11、「凡例」)
The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. Fellow of the Royal Societies of London and Edinburgh; One of the Commissioners of his Majesty's Customs in Scotland; and formerly Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The sixth Edition, with considerable Additions and Corrections. In two Volumes. London: Printed for A. Strahan; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech, and J. Bell & Co. at Edinburgh. MDCCXC [1790].
[初版(1759年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1759.
[第二版(1761年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The Second Edition. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1761.
[第三版(1767年)] The Theory of Moral Sentiments. To which is added A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, L.L.D. The Third Edition. London: Printed for A. Millar, A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh; And sold by T. Cadell in the Strand. 1767.
[第四版(1774年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fourth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. & F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1774.
[第五版(1781年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fifth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. and F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1781.
≪目次: ≫
訳者まえがき (二〇一三年四月 高 哲男)
お知らせ
凡例
第一部 行為の適合性(プロプライエティ)について 〔三篇構成〕
第一篇 適合性という感覚について
第一章 共感(シンパシー)について
第二章 相互の共感がもつ喜びについて
第三章 他人の心的傾向(アフェクション)の適合性や不適合性を、我々のものと一致するかしないかによって判断する方法について
第四章 同じ主題の続き
第五章 友好的な美徳と尊敬すべき徳について
第二篇 適合性と両立するさまざまな激情(パッション)の程度について
序論
第一章 身体に起源をもつ激情について
第二章 想像力の特別な傾向や習慣に由来する激情(パッション)について
第三章 非社交的(アンソーシャル)な激情について
第四章 社交的な激情について
第五章 利己的な激情について
第三篇 行為の適合性をめぐる人間の判断に及ぼす幸運と不運の影響について――すなわち、後者よりも前者の状態にあるほうが、はるかに人間の是認を得やすくなる理由は何か
第一章 悲哀に対する我々の共感は、一般に、喜びに対する共感に較べていちだんと鋭くはあるが、主要な当事者が自然に感じる激しさには、遠く及ばないのが普通だということ
第二章 功名心の起源について、すなわち、身分の区分について
第三章 富者と高い地位を賞賛する、すなわち、貧しくて卑しい身分の人物を軽蔑し、軽視する我々の習性(ディスポジション)によって引き起こされる道徳感情の腐敗について
第二部 功績(メリット)と欠陥(デメリット)について、すなわち、報奨と罰の対象について 〔三篇構成〕
第一篇 功績(メリット)と欠陥(デメリット)という感覚(センス)について
序論
第一章 感謝にふさわしい対象だと思われるものはすべて報奨に値するということ、したがって同様に、憤りにふさわしい対象だと思われるものはすべて罰に値するということ
第二章 謝意と憤りの適切な対象について
第三章 恩恵を施す人物の行為が是認されないところでは、それを受け取る人物の謝意に対する共感がほとんど存在しないということ、したがって逆に、災いのもとになる人物の動機が否認されないところでは、災いを被る人物の憤りに対するいかなる共感も存在しないということ
第四章 前章までの要約
第五章 功績と欠陥という感覚の分析
第二篇 正義と善行(ベネフィセンス)について
第一章 このような二つの徳の比較
第二章 正義という感覚、自責の念、および功績という意識について
第三章 このような自然(ネイチャー)の成立ちの効用(ユーティリティ)について
第三篇 運(フォーチュン)が人間の感情に及ぼす影響について――行為の功績と欠陥を中心に
序論
第一章 運がもつこのような影響の原因について
第二章 運がもつこのような影響の程度について
第三章 感情のこのような不規則性の究極の原因について
第三部 我々自身の感情と行為に関する我々の判断の基礎、および義務感について
第一章 自己是認と自己否定の原理について
第二章 賞賛への愛について、および賞賛に値するものへの愛について、さらには、非難に対する不安について、および非難に値するものへの不安について
第三章 良心の影響力(インフルエンス)と支配力(オーソリティー)について
第四章 自己欺瞞(セルフ・ディシート)の性質、および一般規則の起源と用途について
第五章 道徳性の一般規則がもつ影響と権威について、および、それが正しく絶対者(ディティ)の法と見なされるということ
第六章 義務感が我々の行為の唯一の原動力であるのが当然であるのはどのような場合で、また、他の動機といっしょになるのが当然であるのはどのような場合か
第四部 是認という感情に対して効用がもつ効果について 〔一篇構成〕
第一章 効用という心象(アピアランス)があらゆる技芸の生産物に与える美しさについて、および、この種の美がもつ広範な影響について
第二章 効用という心象が人間の特徴や行為に付与する魅力について、つまり、この魅力を知覚することが、どの程度まで是認の本源的な原動力の一つと見なせるかについて
第五部 道徳的な是認や否認という感情に対する慣習や流行の影響について 〔一篇構成〕
第一章 美醜をめぐる我々の観念に対する慣習や流行(ファッション)の影響について
第二章 慣習と流行が道徳感情に及ぼす影響について
第六部 美徳(ヴァーチュー)の特徴について 〔三篇構成〕
序論
第一篇 本人自身の幸福に影響するかぎりでの個人の特徴について、すなわち賢明(プルーデンス)さについて
第二篇 他人の幸福に影響を及ぼしうるかぎりで見た個人の特徴について
序論
第一章 個々人(インディヴィデュアルズ)が自然の女神(ネイチャー)によって我々の配慮と思いやりに任せられる際の道理や理法について
第二章 そもそも社会が我々の善行(ベネフィセンス)に委ねられる道理(オーダー)について
第三章 万人に共通する思いやり(ビネヴォランス)について
第三篇 自制心について
第六部の結論
第七部 道徳哲学の体系について 〔四篇構成〕
第一篇 道徳感情の理論において検討されるべき問題について
第二篇 徳(ヴァーチュー)の性質について与えられてきたさまざまな説明について
序論
第一章 徳が適合性にあるという体系について
第二章 徳は賢明さにあるとする体系について
第三章 徳は思いやり(ビネヴォランス)にあるとする体系について
第四章 勝手気ままな体系について
第三篇 是認の原動力をめぐって形成されてきたさまざまな体系について
序論
第一章 是認の原動力を自己愛から導きだす体系について
第二章 是認の原動力は理性にあるという体系について
第三章 是認の原動力は感情であるとする体系について
第四篇 道徳性に関する実践的規則をさまざまな著者が取り扱った方法について
附論 言語の最初の形成、および本源的ならびに複合的な言語のさまざまな特質に関する考察
言語の最初の形成に関する考察
訳者解説 (二〇一三年四月二二日 高 哲男)
索引
《これとは反対に、秩序体系を奉じる人間(マンオブシステム)は、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。
彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則(プリンシプル)をもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則──立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる──をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。》
アダム・スミス『道徳感情論』講談社学術文庫
6:2:2
ハイエクがよく引用したという
間宮陽介74頁
スミスは、百科全書家を想定している
The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. Fellow of the Royal Societies of London and Edinburgh; One of the Commissioners of his Majesty's Customs in Scotland; and formerly Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The sixth Edition, with considerable Additions and Corrections. In two Volumes. London: Printed for A. Strahan; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech, and J. Bell & Co. at Edinburgh. MDCCXC [1790].
[初版(1759年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1759.
[第二版(1761年)] The Theory of Moral Sentiments. By Adam Smith, Professor of Moral Philosophy in the University of Glasgow. The Second Edition. London: Printed for A. Millar, in the Strand; And A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh. 1761.
[第三版(1767年)] The Theory of Moral Sentiments. To which is added A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, L.L.D. The Third Edition. London: Printed for A. Millar, A. Kincaid and J. Bell, in Edinburgh; And sold by T. Cadell in the Strand. 1767.
[第四版(1774年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fourth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. & F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1774.
[第五版(1781年)] The Theory of Moral Sentiments; or, An Essay toward an Analysis of the Principles by which Men naturally judge concerning the Conduct and Character, first of their Neighbours, and afterwards of themselves. To which is added, A Dissertation on the Origin of Languages. By Adam Smith, LL.D. The Fifth Edition. London: Printed for W. Strahan, J. and F. Rivington, W. Johnston, T. Longman; and T. Cadell in the Strand; and W. Greech at Edinburgh. 1781.
≪目次: ≫
訳者まえがき (二〇一三年四月 高 哲男)
お知らせ
凡例
アダム・スミス
道徳感情論
第一部 行為の適合性(プロプライエティ)について 〔三篇構成〕
第二部 功績(メリット)と欠陥(デメリット)について、すなわち、報奨と罰の対象について 〔三篇構成〕
第三部 我々自身の感情と行為に関する我々の判断の基礎、および義務感について
第四部 是認という感情に対して効用がもつ効果について 〔一篇構成〕
第五部 道徳的な是認や否認という感情に対する慣習や流行の影響について 〔一篇構成〕
第六部 美徳(ヴァーチュー)の特徴について 〔三篇構成〕
第七部 道徳哲学の体系について 〔四篇構成〕
LA RICHESSE CACHÉE DES NATIONS | GABRIEL ZUCMAN *
gabriel-zucman.eu/richesse-cachee/
Cette page présente les calculs et les données utilisées dans mon livre La Richesse cachée des nations. Enquête sur les paradis fiscaux (Le Seuil, 2013).
cachée feminine singular of the past participle of cacher
hidden 隠れた
*
原題はアダム・スミスの国富論の仏語タイトル↓を想起させるもの。
(国富論 Recherches sur la nature et les causes de la richesse des nations (en anglais, An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations), ou plus simplement la Richesse des nations, est le plus célèbre ouvrage d’Adam Smith. Publié en 1776, c’est le premier livre moderne d’économie.)
失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学|書籍出版|NTT出版
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002336
タックス・ヘイブンと戦う方法について最良の書を著した。必読書である――トマ・ピケティ
グローバル資本主義の暗部「タックス・ヘイブン」。近年、先進国の協調による包囲網が敷かれているとはいえ、巨額な資金が税金逃れを目的に依然として流れ込んでいる。まだ20代の若手経済学者によって書かれた本書は、タックス・ヘイブンの実体を経済学的手法により、客観的に計測、現在の対策を検証し、そして未来のグローバルな課税対策を提案する。
2:19
ドグマ
第二節 固定資本の構成部分,補填,修繕,蓄積
9. 前貸資本の総回転。回転循環
10. 固定資本と流動資本とにかんする諸学説。重農主義者とアダム・スミス
11. 固定資本と流動資本とにかんする諸学説。リカードウ
12. 労働期間
13. 生産時間
14. 通流時間
15. 資本前貸の大きさにおよぼす回転時間の影響
第一節 労働期間が流通期間に等しいばあい
第二節 労働期間が流通期間より大きいばあい
第三節 労働期間が流通期間より小さいばあい
第四節 結語
第五節 価格変動の影響
16. 可変資本の回転
第一節 剰余価値の年率
第二節 個別可変資本の回転
第三節 社会的に考察された可変資本の回転
17. 剰余価値の流通
第一節 単純再生産
第二節 蓄積と拡大再生産
三 社会的総資本の再生産と流通
18. 緒論
第一節 研究の対象
第二節 貨幣資本の役割
19. 対象についての従来の諸叙述
第一節 重農学派
第二節 アダム・スミス
一 スミスの一般的観点
二 スミスによるv+mへの交換価値の分解 (v+mのドグマ、正解はc+v+m)
三 不変資本部分
四 アダム・スミスにおける資本と収入
五 要約
第三節 スミス以降の論
新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
インタビュアー
サージェントはこの理論を30年以上前に開発しましたが、主流派にこれまで採用されてこなかったのはなぜでしょうか? 何が最近変わったのでしょうか?
コクラン
実際のところ、FTPLはもっとずっと以前に遡ります。アダム・スミスは次のような素晴らしい言葉を残しています:
税のうち一定割合はある種の紙幣で支払わなければならない、と布告した王子は、それによってその紙幣に一定の価値を与えているのである。(国富論、第2冊)
“A prince who should enact that a certain proportion of his taxes should be paid in a paper money of a certain kind might thereby give a certain value to this paper money.” (Wealth of Nations, Book II)
ということで、基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。
すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか? 誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るのでしょうか? これが経済学の謎です。
FTPLはこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わねばなりません。かつては羊や山羊で納税していた時代もありましたが、今は受け取ってもらえません。彼らは紙幣を取り戻したがっています。ということで、根本的には、貨幣の価値は、政府がそれを税金として受け取ることから生じているのです。
サージェントの研究はそのことを示す上で極めて素晴らしいものでした。しかしミルトン・フリードマンも、金融政策と財政政策の協調について有名な論文を書いています。ということで、ある意味においては、この理論は昔から存在していたのです。問題は、どの程度重きを置くか、ということに過ぎなかったわけです。
Cochrane, John H. (1998) “A Frictionless View of US Ination.” In Ben S. Bernanke and Julio J. Rotemberg. eds. NBER Macroeconomics Annual 1998. Cambridge, MA US: MIT Press. pp. 323–334.
Sargent & Wallace (1981)
Some Unpleasant Monetarist Arithmetic Thomas Sargent,Neil Wallace (1981)
https://www.minneapolisfed.org/research/qr/qr531.pdf
Leeper, Eric M. (1991) “Equilibria under ’Active’ and ’Passive’ Monetary Policies.” Journal of Monetary Economics. Vol. 27. No. 1. pp. 129–147.
Woodford, Michael (1994) “Monetary Policy and Price Level Determinacy in a Cash in Advance Economy.” Economic Theory. Vol. 4. pp. 345–380.
Woodford, Michael (1995) “Price Level Determinacy without Control of a Monetary Aggregate.” CarnegieRochester Conference Series on Public Policy. Vol. 43. pp. 1–46.
Sims, Christopher (1994) “A Simple Model for the Study of the Determination of the Price Level and the Interaction of Monetary and Fiscal Policy.” Economic Theory. Vol. 4. pp. 381–399.
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
行動経済学
比較優位
ftpl
これらすべて
がアダムスミス起源と言える
アダム・スミス国富論1:11:2
《食物にたいする欲求は、各人において、人間の胃のせまい能力によって制限されている…》
“The demand for food is limited by the capacity of a man's stomach."
行動経済学の逆襲 (早川書房)
リチャード セイラー (著), 遠藤 真美 (翻訳)
…経済学はいくつかの核となる前提が設定され 、その前提の下で理論が展開されている 。
経済理論の核となる前提とは 、人は自分にとって最適な行動を選択する 、というものだ 。
つまり 、私たちは経済学者の言う 「合理的期待 ( r a t i o n a l e x p e c t a t i o n s ) 」
に基づいて選択をしているというのである 。…
この制約付き最適化 ( c o n s t r a i n e d o p t i m i z a t i o n =限られた予算の下で
最良のものを選ぶこと )の前提は 、経済理論のもう 1つの柱である均衡 ( e q u i l i b r i u
m )と結びついている 。価格が自由に変動する競争市場では 、供給と需要が一致するように
価格が調整される 。これを少し単純化すると 、 「最適化 +均衡 =経済学 」という式で表す
ことができる 。この組み合わせは強力で 、他の社会科学はとうてい太刀打ちできない 。とこ
ろがいくつか問題がある 。経済理論が拠って立つ前提には欠陥があるのだ 。…
私たちが住んでいるのはエコンの世界ではない 。ヒュ ーマンの世界だ 。それはあなたも
わかっているし 、私もわかっている 。そして 、大半の経済学者も人間なので 、自分たちが住
んでいるのがエコンの世界ではないことを 、経済学者もわかっている 。現代経済思想の父 、
アダム ・スミスは 、そうはっきり述べている 。名著 『国富論 』を書く前に 、人間の 〝情念 〟
だけを論じた本をスミスは書いているのだ 。
『資本主義の教養学』での講演をお願いするために、猪木先生の研究室にお伺いしました。大変お忙しいとのことで、YesともNoともつかないペンディングの状況になってしまいましたが、引き続き粘り強く交渉させて頂こうと思います。また、岩井克人先生、堂目卓生先生にも、引き続き講演を依頼中です。
事前に読んだのがこの本で、「経済学に何ができるか?」という、誰もが知りたい重要なテーマを扱っています。結論は至って常識的で、現代社会が直面する問題を解決するために経済学の論理を知ることは重要だが、価値選択の問題は政治の領域であり、経済学が力を発揮できるのはそれ以前の段階までであるから、その限界をわきまえて経済理論だけを言いつのらない品性が必要なのだということです。
この本の中で特に力点を置かれているのが、アダム・スミスの「道徳感情論」やデイヴィッド・ヒュームの「人性論」の中で論じられている「人間研究の学」を経済学という社会科学の枠組みにどう落とし込むのかという論点です。例えば、アダム・スミスは人間を「賢い人 wise man」と「弱い人 weak man」の二類型に分け、それぞれが補完関係を保ちながら発展させてきたのが現実の経済社会であり、実際には経済発展の原動力となってきた人間の弱い面(世間の評価に振り回され野心と虚栄心に突き動かされる)をどうプラスに転化させるかが重要だと言っていて、それに対するアダム・スミスの解答が人間の「賢明さ」であり、フランク・ナイト*の解答が「知性」なのだそうです。
*20世紀前半のアメリカの経済学者。マーシャルの経済学を継承し、道徳哲学に裏付けられた自由主義と自由企業制度の改革と社会進歩の考えを深化した。自由競争に全幅の信頼を置くフリードマンらとは違い、政府による政策的な介入をある程度は是認する立場を取っている(Wikipediaより抜粋)。
黒木論考
http://jshet.net/docs/journal/53/531kuroki.pdf
1. 競争の不経済性―「完全競争・不確実性および利潤」再考ナイトは『利潤』で,「日常生活の中で適当に使われている言葉が専門用語の使い方に深刻な混乱をもたらしてきた」と語り(Knight [1921] 2006, 22―23),利潤や競争が論じられる場合に特にその傾向が顕著だと指摘していた.さらに最晩年に至ってもなお,「個人主義的分析のなかで切り捨てられている主要な事実は,間違いなく『競コンペティション 争 』なのだ」とか,競争や勝ち負けは「市場の関係について(過去多くの偉大な著述家によって)力説されてきた理にかなった交換とは正反対のものだ」などと語り(Knight [1967] 1999, 449―50 / 訳 249),競争をめぐる世の誤解や無理解を戒める彼の “説教” が止むことはなかった.だが,経済学的分析のなかで「競争」が「切り捨てられている」とは一体どういうことだろう.またスミスら過去の偉大な思想家が力説してきた「理にかなった交換」と「競争」とが実は「正反対」であり,「一般理論のなかに対ライバルリー抗心が占める場所はない」(ibid.)とまでナイトが断言していたのはなぜか.『利潤』以降もナイトが繰り返し指摘した通り,経済学の一般理論における競争状態,すなわち理念的な「完全競争」状態とは,参加者全員が価格受容者であって,誰も価格や他人への恣意的な影響力をもたない,という大前提をさす.その意味において平等かつ自由に各人が経済活動を営みうる理想状態こそ完全競争状態なのである.ナイトは整理する.理想的な市場は(参加資格は伴うが)全く自由である.というのも完全競争の下では,参加者すべてが等しく無数の機会に恵まれており,したがって誰も他人に対する恣意的な力などもっていないからである.そこでは自由交換による相互利益という原則を受け容れること以外,意見が一致する必要は全くない.各人は他人に干渉されることなく自身の欲望に従うことができるのであり,ただ全ての取引において他の参加者との自由な合意を考慮するだけでよい.この状況が通例『自由競争』として描写されるものであるが,そこには動機としての対ライバルリー抗心が占めるもっともらしい場所は存在しない.それは協力関係の正反対であるし,およそ “勝利” が敗北によって相殺されるということは明らかだからである.他人を妨害しようという思いだけでなく,他人のために役立ちたいという意志が個人の動機から排除されているにもかかわらず,完全競争の行き着く先は理想的な協力関係なのである.(Knight 1960, 29)足の引っ張り合いや席の譲り合いなどなく,単に市井で提示される価格や自由契約の原則に従っているだけで他人との理想的な協力関係が成立する状態,これこそが完全競争のもたらす均衡状態であり,“自由競争” 論者が想定する理想状態だ,というわけである7).あるいは完全競争市場とは,“もし仮に我々が見栄や流行といった不合理な事情に左右されることなく,自身の選好や価格情報だけを判断基準に据え,予算制約や技術制約に従って消費・生産活動に勤いそししむならば,意外にも一種の理想的な協力関係が生まれ,資源が効率的に配分されて,個人所得・国民所得が最大化される” という理論的事実を明示するための仮想空間にすぎないとも言える.それはいわば「経済的理想状態」の成立条件を明示するために理念的に組み上げられた「競争の真空地帯」なのである.再びナイトの表現を借りれば,それは他人と「張り合うこともなければ,値切ることもなく」,「まるで他人がスロットマシーンでもあるかのように
比較優位 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/比較優位
比較優位(ひかくゆうい、英: comparative advantage)は、経済学者であったデヴィッド ・リカードが提唱した概念で、比較生産費説やリカード理論と呼ばれる学説・理論の柱と なる、貿易理論における最も基本的な概念である。アダム・スミスが提唱した絶対 ...
概念-具体例-比較優位の一般化-議論
第7回 リカードが発見した貿易の大原理 「比較優位」 (1/3ページ) - 池上 ...
bizacademy.nikkei.co.jp/culture/b-keizai/article.aspx?id...
それは「比較優位」という考え方です。これはイギリスの経済学者デヴィッド・リカードが 発見した、貿易の大原理です。それ以来、国際貿易というのは世界の常識になりました。 リカードはアダム・スミスの『国富論』に影響を受け、自由貿易を唱え ...
自由貿易と比較優位 – 経済学入門
kezai.net/global/free
比較優位 国ごとに自然条件の違いや生産技術の発達レベルの違いがあり、あらゆる財 の生産においてそれぞれ得意・不得意があります。 わたしたちは ... 重商主義下の保護 貿易に対してアダム・スミスなどにより唱えられたのが最初です。
リカード理論 「絶対優位」と「比較優位」の誤解 - 高校生からのマクロ ...
abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html?sp
第一線のエコノミスト、あるいは、経済学者でさえ、しばしばこの比較優位の原理の意味 を、絶対優位と取り違えて議論し .... リカードは、アダム・スミスの「絶対優位」論 にたいして、「いいえ、そうではありません、『あらゆる産業において絶対劣位 ...
デヴィッド・リカードの『比較優位の原理』 - Biglobe
www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es002/business004.html
デヴィッド・リカードの『比較優位の原理・比較生産費説』について解説します。 ... 化 を通して構築していくアプローチを初めて採用した経済学者であり、『国富論』のアダム・ スミスとデヴィッド・リカードは古典派経済学の思想的・モデル的な二大源流になってい ます。
絶対優位と比較優位の違いを教えてください! - たとえば、日本とアメリカ ...
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp>...>経済、景気
国際貿易において、絶対優位と比較優位の違いは何ですか? ... 比較優位と絶対優位 についての質問です A国はX財を100個 Y財を80個 B国はX財を80. .... 交通インフラの 整備に反対する人は、アダム・スミスにもカール・マルクスにもフリ.
リカードが発見した貿易の大原理 「比較優位」|出世ナビ|NIKKEI STYLE
style.nikkei.com/.../DGXMZO03464810Q6A610C1000...
それは「比較優位」という考え方です。これはイギリスの経済学者デヴィッド・リカードが 発見した、貿易の大原理です。それ以来、国際貿易というのは世界の常識になりました。 リカードはアダム・スミスの『国富論』に影響を受け、自由貿易を唱えました。2国間で ...
アダムスミスの国富論『絶対優位の原理』をまとめたよ - Zebra Crossing
managementofmylife.hatenadiary.jp>...>学習
アダムスミスという名前、国富論という本のタイトル、もちろん以前にこれらを耳にした ことはあります。 ... 絶対的に優位な分野がなくても比較的優位な分野で生産を行い、 貿易することよって、利益は必ず貿易する二国に出るということを説明し ...
国際分業(こくさいぶんぎょう)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/国際分業-63973
分業には、アダム・スミスが指摘したように、作業を分割するもの(技術的分業)と職業を 分化するもの(社会的分業)とがあり、ともに ... これは、各国の適性を生産費で表現し、 各国は相対的に生産費が低い、つまり比較優位をもっている商品の生産に特化(国際 ...
絶対優位説論者としてのアダム・スミス - 経済学史学会 (Adobe PDF) -htmlで見る
jshet.net/docs/conference/77th/yfs.pdf
都市伝説の形成過程:絶対優位説論者としてのアダム・スミス ... アダム・スミスは貿易 に関して「余剰のはけ口」、「新市場発見(輸出)による生産性向上」、 ... 述べておらず、 彼の考察は比較優位的状況も、さらには、先進国と新興国との間に賃金格差が存.
>>361
減価マネーは地域で循環し、地域を自律させる
ベーシックインカムは国家が破綻すればそれで終わり(複利は全ての国家を破綻させるから)
減価マネーでしか税金を払えないということがポイントになる
この考え方はアダム・スミスに既にあった
参考:
新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
ということで、基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。
すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命
に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額
に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの
紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか?
誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るので
しょうか? これが経済学の謎です。
FTPLはこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に
税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わね
ばなりません。
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないと
いう、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうる
であろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
ナチスは賠償金支払いのための不景気に起因し
リバタリアンはアメリカ帝国主義の覇権確立の好景気に起因する
柄谷行人が言うように一般的にこれらは交互に循環する
この循環という考えがマルクスに足りない
周期的恐慌への視角がかえって政治を含めた国家全体の景気循環を見えにくくしている
ナッシュ均衡
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/blog-post_12.html@
NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html
参考:ゲーム理論で解明されたユダヤの知恵
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_28.html
ナッシュ均衡
ゲーム理論入門/(7)映画「ビューティフル・マインド」について - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20080826/game_7
https://video.twimg.com/ext_tw_video/962911828954136576/pu/vid/640x360/rB67xk7PBbWkaJOR.mp4
ゲーム理論入門/(7)映画「ビューティフル・マインド」についてAdd Star
経済, 映画 |
映画「ビューティフル・マインド」について
ナッシュの半生を描いた映画「ビューティフル・マインド」では、ナッシュがナッシュ均衡のアイディアを思いつくシーンで、以下のようなシチュエーションが描写されている。
1人の美人とそれ以外の女性3人がバーに入ってくる
こちらの男性は3人
→ 3人が1人の美人に群がれば、競合して誰も美人をゲットできないだけでなく、気を悪くした他の3人の女性にも相手にされなくなる。結局、誰も女性をゲットできない。
→ 3人が美人を無視してそれぞれ美人以外の女性にアタックすれば、各人が女性をゲットできる。こちらの方が皆がハッピーな結果となる。
映画では、この考察をもとに、バーを飛び出したナッシュが後にノーベル経済学賞の対象となる論文を書いたことになっている。
しかし…
他者が美人を無視するならば、自分が美人をアタックするのが最適反応戦略となる。すなわち、映画のナッシュが良いと考えた結果はナッシュ均衡ではない。
ゲーム理論では全体にとって良いかどうかを考えて行動する利他主義は想定していない。それは、ナッシュ均衡は必ずしもパレート最適とならないことに端的に表れている。
ハリウッドの脚本だから仕方ないのかもしれないが、これではナッシュ均衡に関する誤った理解が広がる恐れがある!
(…でもこの脚本が第74回アカデミー脚色賞を取っている)*1
ビューティフル・マインド [DVD]
ビューティフル・マインド [DVD]
出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
発売日: 2008/10/17
メディア: DVD
購入: 1人 クリック: 61回
この商品を含むブログ (22件) を見る
ちなみに、「Anderson, Simon P., Maxim Engersy (2002) “A Beautiful Blonde: a Nash coordination game,” University of Virginia, Working Paper」(リンク)では、このシチュエーションのナッシュ均衡について考察を行っている。
*1:個人的な話をすると、当初はこの映画を公開時に見に行こうと考えていたのだが、「王様のブランチ」などの紹介番組でこのシーンを見て一気に行く気を失った。ナッシュ本人も含めこの点をあまり気にした人はいなかったようだが、これではニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て天動説を考え付いた、とか、アインシュタインがニュートン力学の限界に気づいてエーテル理論を思いついた、というのと同じようなものではないか、と一人で非常に憤激していたことを覚えている。
当時の私の友人に宛てたメールから、そのあたりの失望感が現れている部分を引用しておく:
=======
先ほどTBSの「王様のブランチ」で「ビューティフル・マインド」(日本では本日公開)のそのシーンをやっていましたが、これって「他人の戦略を所与とした場合の最適反応戦略を各人が取っている」という定義からして、ナッシュ均衡になっていないのではないでせうか。(他人が美人をあきらめるという戦略を所与とすれば、自分が美人を口説くのが最適戦略になる) ま、脚本家が勝手に創り上げたエピソードだからどうでも良いけど。 [Sent: Saturday, March 30, 2002 11:59 AM]
=======
その後CSN1の映画紹介番組でそのシーンをもっと詳しくやっていましたが、その中では「アダム・スミスは間違っている。自分の利益だけじゃなく全体の利益も考えなくてはならないんだあ~」と叫びつつナッシュが酒場を出て行くシーンが紹介されていました。これはむしろゲーム理論ではなく厚生経済学の考え方だと思いますが、ひょっとしてこれは、ナッシュが狂気の中で自分が19世紀のイタリア人経済学者Paretoになったと錯覚して、パレート均衡(誰も他人の効用を悪化させずに自分の効用を高めることができない状態)の概念を思い付いたという幻想を再現したシーンなのでせうか…てそんなわけないか(でもこれでアカデミー脚色賞もらっているんだからな~)。 [Sent: Saturday, March 30, 2002 07:34 PM]
=======
NON-COOPERATIVE GAMES
John Nash 1951
http://www.lsi.upc.es/~ia/nash51.pdf
ナッシュ均衡
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/blog-post_12.html@
NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html
参考:ゲーム理論で解明されたユダヤの知恵
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_28.html
ナッシュ均衡
ゲーム理論入門/(7)映画「ビューティフル・マインド」について - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20080826/game_7
https://video.twimg.com/ext_tw_video/962911828954136576/pu/vid/640x360/rB67xk7PBbWkaJOR.mp4
「アダム・スミスは間違っていた…」
NON-COOPERATIVE GAMES
John Nash 1951
http://www.lsi.upc.es/~ia/nash51.pdf
ゲーム理論入門/(7)映画「ビューティフル・マインド」についてAdd Star
経済, 映画 |
映画「ビューティフル・マインド」について
ナッシュの半生を描いた映画「ビューティフル・マインド」では、ナッシュがナッシュ均衡のアイディアを思いつくシーンで、以下のようなシチュエーションが描写されている。
1人の美人とそれ以外の女性3人がバーに入ってくる
こちらの男性は3人
→ 3人が1人の美人に群がれば、競合して誰も美人をゲットできないだけでなく、気を悪くした他の3人の女性にも相手にされなくなる。結局、誰も女性をゲットできない。
→ 3人が美人を無視してそれぞれ美人以外の女性にアタックすれば、各人が女性をゲットできる。こちらの方が皆がハッピーな結果となる。
映画では、この考察をもとに、バーを飛び出したナッシュが後にノーベル経済学賞の対象となる論文を書いたことになっている。
しかし…
他者が美人を無視するならば、自分が美人をアタックするのが最適反応戦略となる。すなわち、映画のナッシュが良いと考えた結果はナッシュ均衡ではない。
ゲーム理論では全体にとって良いかどうかを考えて行動する利他主義は想定していない。それは、ナッシュ均衡は必ずしもパレート最適とならないことに端的に表れている。
ハリウッドの脚本だから仕方ないのかもしれないが、これではナッシュ均衡に関する誤った理解が広がる恐れがある!
(…でもこの脚本が第74回アカデミー脚色賞を取っている)*1
ビューティフル・マインド [DVD]
《われわれは夕食を、肉屋や酒屋やパン屋の仁慈に期待するのではなくて、かれら自身の利害についてのかれらの関心に、期待するのである。》国富論1:1
コースの定理
「社会的費用の問題」(1960年)、企業・市場・法/ロナルド・H・コース/宮沢 健一 所収
The Problem of Social Cost”, Journal of Law and Economics 3: 1-44, (1960)
http://www2.econ.iastate.edu/classes/tsc220/hallam/Coase.pdf
ミクロ経済学
ページの問題点
ミクロ経済学(ミクロけいざいがく、英: Microeconomics)は、マクロ経済学に並ぶ近代経済学の主要な一分野である。
経済主体の最小単位と定義する家計(消費者)、企業(生産者)、それらが経済的な取引を行う市場をその分析対象とし、世の中に存在する希少な資源の配分について研究する経済学の研究領域であり、最小単位の経済主体の行動を扱うためミクロ経済学と呼ばれる。
これとは別に個別の経済活動を集計したマクロ経済学という領域もあり、ミクロ経済学と併せて経済学の二大理論として扱われている。ただし、現代ではマクロ経済学もミクロ経済学の応用分野の一つという面が強い。ミクロ経済学は、その応用分野であるマクロ経済学、財政学、金融論、公共経済学、国際経済学、産業組織論などに対して、分析の基礎理論を提供する役割をも果たしている。
経済学者の岩田規久男はミクロ経済学の誕生がアダム・スミスの著書『国富論』(1776年)に始まるとしている[1]。
目次
主要理論 編集
一般に、価格理論、ゲーム理論、契約理論の三分野がミクロ経済学の主要分野とされる[2][3]。
価格理論 編集
需給理論 編集
詳細は「需要と供給」を参照
需給理論は特定の市場における需要と供給の原理について説明した理論であり、需要理論と供給理論に分けて考えることができる。
需要とは支払い能力を伴う特定の財(もの、およびサービス)を消費しようとする欲望であり、これはその財の価格などによって変動する。経済学においてはあらゆる価格帯での需要を需要表としてまとめて観察し、その価格の変動に伴う需要量の変動を曲線として示したものを需要曲線と言う。需要曲線は一般的に価格が高ければ需要量は減少し、低価格なら需要量は増大する相関関係があり、これを需要の法則と言う。(ものが安いほどよく売れる)つまり、一般に需要曲線は右下がりとなる。
一方で供給とは物財・サービスを市場に提供する活動であり、これもまた価格などによって変動する。あらゆる価格帯における供給量の変動を曲線として示すと同じように供給曲線が見られる。一部の例外を除いて、供給曲線は価格が低ければ供給量は減少し、価格が高くなれば増大するという需要曲線とは正反対の関係があり、これを供給の法則と呼ぶ。つまり、一般に供給曲線は右上がりとなる。
均衡理論 編集
市場というメカニズムは価格を通じて需給を均衡させる。価格とは財に対して貨幣により示される相対的な価値であり、これは需要と供給の均衡によって左右される。価格は中立的である上に柔軟に市場で管理されているため、優れた資源の配分に貢献している。
価格調整の過程においては需要と供給の法則が大きく影響を与える。市場においては購買は低価格を望み、販売は高価格を望むという正反対の行動の原理が一般的に作用するため、両者の考えが一致する価格が調整されていく。その過程においては余剰と不足という二つの不均衡を想定することが可能であり、余剰とは所与の価格では供給量が需要量を超えている状態を指し、商品価値の下落を招く。不足は所与の価格では需要量が供給量を超えている状態を指し、商品価値の高騰を招く。こうして均衡された商品価値が市場の中で規定され、生産物の供給量と需要量が等しい状態に向かう。つまり、一般に財の価格と数量は需要曲線と供給曲線の交点で均衡する。その一方で、財の価格と数量は、市場における貨幣価値の自己表現という性格を併せ持つ。
市場構造 編集
経済学的な意味での市場が持つ構造であり、競争の性質と度合いによって分類できる。効率性や有効需要、厚生などいくつかの観点から、市場構造を見極めることが一般的になっている。
完全競争は消費者と生産者がそれぞれ不特定多数でかつ財について完全な情報を持つ場合の、カルテルや不買運動などを起こさない完全な競争の元での市場構造であり、消費者は自己の効用(財から得られるメリット)を、生産者は自己の利益を、それぞれ最大限にするよう行動する条件の下では、個々の企業が価格を統制できず、需給理論に基づいた均衡的な価格が自然と導き出される。そのため企業はその均衡価格に従って生産の規模などを決定することとなる。ただしこれは非常に理論的な状況で、多くの場合は不完全競争となる。
不完全競争としては独占的競争、寡占、独占があり、独占的競争は商品の差別化により市場の一部を独占し、寡占は少数の販売者が特定の産業全体を支配し、独占では単一の販売者が特定の商品や産業を完全に支配している市場構造である。不完全競争では商品差別化や非価格競争、共謀や価格協定(カルテル)が起きやすくなり、消費者は不当に高い価格で財を購入することが多い。近年では、不完全競争の分析をゲーム理論の応用として体系的に考えることが多い。
ゲーム理論 編集
詳細は「ゲーム理論」を参照
価格理論では経済主体は価格受容者として行動し、技術的外部性も仮定されていなかった。それに対して、ゲーム理論では各経済主体間での金銭的外部性や技術的外部性が仮定される。
契約理論 編集
「契約理論」を参照
脚注 編集
^ 岩田規久男 『経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1994年、171頁。
^ 菅谷拓生、「ゲーム理論 戦略的状況を分析する強力な ツール」、『経済セミナー』4・5 月号、pp. 35–39,、日本評論社,2014。
^ 岩崎敦「メカニズムデザインの考え方とマッチングのメカニズム」、2015年、『オペレーションズ・リサーチ: 経営の科学』60(6)、323-329。
関連項目 編集
ホモ・エコノミクス
消費者行動分析 編集
消費者行動分析
希少性 - 機会費用 - 財
選好 - 無差別曲線 - 効用 - 限界効用 - 限界代替率
需要と供給 - 弾力性 - 消費者余剰 - 生産者余剰
裁定取引 - 期待効用関数
企業行動分析 編集
費用 - 費用曲線 - 生産関数
規模の経済 - 完全競争 - 利潤最大化 - 独占
市場分析 編集
市場の失敗 - 公共財 - 外部性
パレート効率性 - 社会的便益 - 社会的費用
一般均衡 - 部分均衡 - ゲーム理論
不完全情報
岩田
自然的秩序形成のメカニズム
こうした市場の機能をはじめて理論的に明らかにしたのは 、アダム ・スミスである 。スミスは 『国富論 』でこのことを 「見えざる手 」という言葉を用いて 、次のように説明している 。
「各個人は 、 (中略 )その勤労活動をば 、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうとできるだけ努力するから 、誰もが必然的に社会の年々の収入をできるだけ多くしようと骨折ることになるわけである 。もちろん 、かれは普通 、社会一般の利益を増進しようなどと意図しているわけでもないし 、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない 。 (中略 )生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは 、自分自身の利得のためなのである 。だが 、こうすることによって 、かれは 、他の多くの場合と同じく 、見えざる手に導かれて 、みずからが意図してもいなかった一目的を増進することになる 。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは 、その社会にとって 、これを意図していた場合に比べて悪いことではない 。自分の利益を追求することによって 、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも 、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである 。社会のためにと称して商売している徒輩が 、社会のために良い事をたくさんしたというような話は 、いまだかつて聞いたことがない 」 ( 『アダム ・スミス 』中央公論社 、三八八 ~三八九頁 )
ミクロ経済学の誕生は 、一七七六年のアダム ・スミスの 『国富論 』にまでさかのぼるが 、マクロ経済学の誕生は 、それから百六十年も後の一九三六年のジョン ・メイナ ード ・ケインズの 『雇用 ・利子及び貨幣の一般理論 』 (一九三六年 )に求められる 。したがって 、マクロ経済学の歴史は一九九四年現在まだ六十年足らずしか経っていない 。
法と経済学
18世紀の初頭に、アダム・スミスは重商主義者の立法がもたらす経済的効果を議論した。 その後も、独占禁止法や証券取引法などの分野においては、経済学的アプローチが用いられた。しかし近年まで、経済学が、市場外の活動を調整する法律の分析に適用されることはなかった。1961年に、ロナルド・コースおよびグイド・カラブレイジは、「社会的費用の問題」および「危険分配と不法行為法に関する若干の考察」という論文を、それぞれ独自に公表した。これらが、現代における法と経済学の起源であるとみなされている。その後、シカゴ大学ロー・スクール教授でアメリカ合衆国第7巡回区控訴裁判所裁判官(判事)のリチャード・ポズナーなどを中心に多くの研究者によって研究が進められてきた。
4:5
第五章 奨励金について
輸出奨励金は、グレート・ブリテンにおいて、国内産業の特定の諸部門の生産物について、しばしば請願され、ときどき交付される。そういう手段によってわれわれの商人と製造業者は、かれ
国富論
288
砂漠で一杯の水が1000ダカット
国富論にはない
336
ジョンロウの失敗談
法学講義 岩波文庫
288
砂漠で一杯の水が1000ダカット
国富論にはない
越村が言及
336
ジョンロウの失敗談
厚生経済学の基本定理(こうせいけいざいがくのきほんていり、英: Fundamental theorems of welfare economics)とは、以下のパレート効率性と競争均衡配分の関係について述べた2つの定理のことである。1950年代にケネス・アローとジェラール・ドブルーが厳密な数学的証明を与えた。
厚生経済学の第一基本定理
消費者の選好が局所非飽和性を満たせば、競争均衡によって達成される配分はパレート効率的である、というものである。局所非飽和性とは、どんなにわずかにでも消費量の増減が許されるならば、より好ましい消費量を実現できるという仮定である。
厚生経済学の第二基本定理
局所非飽和性に加え選好の凸性などのしかるべき追加的条件の下で、任意のパレート効率的配分は、適当な所得分配を行うことによって競争均衡配分として実現可能であるというものである。
第一定理の解釈 編集
私的所有制完全競争経済において、需給法則に基づく価格メカニズムを通じてパレート効率性という望ましい資源配分が実現できることを示しているというのが、厚生経済学の第一基本定理に対する有力な見方である。この定理はアダム・スミスの「(神の)見えざる手」を資源配分の文脈で理論的に再構成しているという見方もある。
このような見方に基づいて、パレート効率性を達成するためには、特に政府は経済に介入すべきではないという結論が引き出される事が多い。但し、このような政策を正当化するには、競争均衡が実体経済で実現するという想定が適当か否かを考える必要がある。例えば、完全競争の想定は適当であるか、私有制が確立しているのか(所有権の明確性)、なんらかの要因で市場は欠けていないか、経済に競争均衡が存在する為の条件がみたされているのか(規模に関する収穫非逓増、選好の凸性など)などについて検討する必要がある。また、外部性や公共財がある経済は、古典的な私的所有制経済には含まれないため、この定理の大前提は成り立たず、競争均衡は一般にパレート効率性を達成しない(このような状態を市場の失敗という)ことにも注意しなければならない。
http://www.qmss.jp/interss/03/materials/smith.htm
アダム・スミス『国富論』
われわれの食事は問屋やパン屋の自愛心によっている.
「見えざる手」に導かれて社会の利益が促進されている.
トップページへ
第3章概説へ
分業は、人間の本性にひそむ交換という性向から生じる
(中略)
ほかのたいていの動物はどれも、ひとたび成熟すると、完全に独立してしまい、ほんらい、他の生き物の助けを必要としない。ところが人間は、仲間の助けをほとんどいつも必要としている。だが、その助けを仲間の博愛心にのみ期待してみてもむだである。むしろそれよりも、もしかれが、自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ、そしてかれが仲間に求めていることを仲間がかれのためにすることが、自分自身の利益にもなるのだということを、仲間に示すことができるなら、そのほうがずっと目的を達しやすいのである。他人にある種の取引きを申し出るものはだれでも、このように提案するのである。私のほしいものをください、そうすればあなたの望むこれをあげましょう、というのが、すべてのこういう申し出の意味なのであって、こういうふうにして、われわれは、自分たちの必要としている他人の好意の大部分をたがいに受け取りあうのである。
われわれが食事をとれるのも、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、自分自身の利益にたいするかれらの関心によるのである。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、自愛心にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてなのである。
(第1編第2章)
個人の私利をめざす投資が、見えざる手に導かれて、社会の利益を促進する
ところが、すべてどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値とつねに正確に等しく、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。それゆえ、各個人は、かれの資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値をもつような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけなのである。
もちろん、かれはふつう、社会一般の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。外国産業よりも国内の産業活動を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、これを意図していた場合にくらべて、かならずしも悪いことではない。自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである。
社会のためにと称して商売をしている徒輩[とはい-やから、ともがら]が、社会のためにいい事をたくさんしたというような話は、いまだかつて聞いたことがない。もっとも、こうしたもったいぶった態度は、商人のあいだでは通例あまり見られないから、かれらを説得してそれをやめさせるのは、べつに骨の折れることではない。
自分の資本をどういう種類の国内産業に用いればよいか、そして、生産物が最大の価値をもちそうなのはどういう国内産業であるかを、個々人だれしも、自分自身の立場におうじて、どんな政治家や立法者がやるよりも、はるかに的確に判断することかできる、ということは明らかである。個々人に向かって、かれらの資本をどう使ったらよいかを指示しようとするような政治家がいるとすれば、かれは、およそ不必要な世話をみずから背負いこむばかりでなく、一個人はおろか枢密院や議会にたいしてさえ安んじて委託はできないような権限を、また、われこそそれを行使する適任者だと思っているような人物の手中にある場合に最も危険な権限を、愚かにも、そして僭越にも、自分で引き受けることになるのである。
(第4編第2章)
・ 下線部引用者
・ [ ]内引用者
http://www.sakuhinsha.com/politics/23190.html
北京のアダム・スミス 21世紀の諸系譜
ジョヴァンニ・アリギ
中山智香子監訳
山下範久解説
本体 5,800円
ISBN 978-4-86182-319-0
発行 2011.3
【内容】
21世紀資本主義の〈世界システム〉は、中国の台頭によってどうなるのか? 東アジアの経済的復興と新たな〈世界システム〉への転換を、アダム・スミスの経済発展理論をもとに壮大な歴史的視野から分析。
付:アリギ生前最後のインタビュー(聞き手:デヴィット・ハーヴェイ)、日本語版解説《山下範久:資本主義から市場社会へ》
アダム・スミス的な市場社会の後継者は、むしろ中国である……。東アジアのGDPは、19世紀半ばまで西洋を圧倒していた。しかしアヘン戦争以降、世界は、西洋が覇権を握る「大いなる分岐」を迎えた。ところが、経済学の祖アダム・スミスは『国富論』で「西洋と東洋の力の差は、いずれ消滅するだろう」と予言している。本書は、スミスの経済発展理論を、マルクスやシュンペーターとも比較しながら再評価し、アメリカの“終末的危機”と中国の興隆のダイナミズムを、壮大な歴史的視野の中から分析したものである。西洋国家システムの弱体化、東アジアの経済的復興によるグローバル市場社会の構築という、新たな〈世界システム〉が大胆に展望される。
【内容目次】
はじめに
序章
第1部 アダム・スミスと新しいアジアの時代
第1章 デトロイトのマルクスと北京のスミス
第2章 アダム・スミスの歴史社会学
第3章 マルクス、シュンペーター、そして資本と権力の「終わりなき」蓄積
第2部 グローバルな乱流を追跡する
第4章 グローバルな乱流の経済学
第5章 グローバルな乱流の社会的ダイナミズム
第6章 ヘゲモニーの危機
第3部 解体するヘゲモニー
第7章 ヘゲモニーなき支配
第8章 史的資本主義の領土的論理
第9章 実現しなかった世界国家
第4部 新アジア時代の系譜
第10章 「平和的台頭」の挑戦
第11章 国家、市場、資本主義、そして東と西
第12章 中国台頭の起源とダイナミズム
終章
ジョヴァンニ・アリギ・インタヴュー
(インタヴュアー:デヴィッド・ハーヴェイ)
資本の曲がりくねった道
日本語版解説 山下範久
資本主義から市場社会へ
──『北京のアダム・スミス』に寄せて
ジョヴァンニ・アリギ著作一覧
ジョヴァンニ・アリギ『長い20世紀』へ
アダム・スミス
見えざる手
https://i.gyazo.com/0e442e66c6d498b2fef9eb6d0e2ece4a.gif
低画質
支配労働価値説(読み)しはいろうどうかちせつ
世界大百科事典内の支配労働価値説の言及
【労働価値説】より
…スミスはその《国富論》(1776)において,労働こそが人間が自然に対して支払う〈本源的購買貨幣〉であることを明らかにするとともに,労働の量が価値の真実の標準尺度であることを指摘し,それを彼の経済学の体系の基礎に据えた。しかし,その規定が商品を生産するのに投下された労働量によるのか(投下労働価値説),それとも商品が支配することのできる労働量によるのか(支配労働価値説)を必ずしも明りょうにはしなかった。しかもその2様の把握は資本主義的商品生産社会を〈初期未開社会〉と区別する彼の視点とも対応し,最終的には彼自身の労働価値説を市場の需給関係で決定される賃金,利潤,地代それぞれの自然率によって構成される現象に埋没した生産費説に帰着させることになった。…
ベストアンサーに選ばれた回答
プロフィール画像
ric********さん 2015/7/813:41:14
ある商品の価値について考えるとき、
労賃を基準にして考えることにするとして、
その商品を作るためにかかった労賃
(直接労務費ばかりでなく、
その材料や生産に必要な道具を生産するのに要した
労賃も含む)を基準にして考えるのが
投下労働価値説。
つまり、その商品を生産するために
どれだけの労働が必要かを示すもの。
その商品の価格と労賃(時給)の比率で測るのが
支配労働価値説。
つまり、その商品と交換にどれだけの
労働を雇用(支配)できるかを示すもの。
ナイス 0
違反報告
G-W-G'商品支配労働価値
A-W-G'投下労働価値
A-W-G -W-G'
投下労働価値 商品支配労働価値
A-W-G'投下労働価値
\
G-W-G'商品支配労働価値
A-W 投下労働価値
\
W-G'商品支配労働価値
A-W 投下労働価値
\
W-G 商品支配労働価値
A-W-G 投下労働価値
\
W-G-A 商品支配労働価値
ある商品の価値について考えるとき、
労賃を基準にして考えることにするとして、
その商品を作るためにかかった労賃
(直接労務費ばかりでなく、
その材料や生産に必要な道具を生産するのに要した
労賃も含む)を基準にして考えるのが
投下労働価値説。
つまり、その商品を生産するために
どれだけの労働が必要かを示すもの。
その商品の価格と労賃(時給)の比率で測るのが
支配労働価値説。
つまり、その商品と交換にどれだけの
労働を雇用(支配)できるかを示すもの。
A-W-G 投下労働価値
W-G-A 商品支配労働価値
ある商品の価値について考えるとき、
労賃を基準にして考えることにするとして、
その商品を作るためにかかった労賃
(直接労務費ばかりでなく、
その材料や生産に必要な道具を生産するのに要した
労賃も含む)を基準にして考えるのが
投下労働価値説。
つまり、その商品を生産するために
どれだけの労働が必要かを示すもの。
その商品の価格と労賃(時給)の比率で測るのが
支配労働価値説。
つまり、その商品と交換にどれだけの
労働を雇用(支配)できるかを示すもの。
道徳1:3
したがって他者の激情を、対象に対してふさわしいものと認めることは、それに対して全面的に共感すると言うことに等しく、そう認めないということは、それに対してまったく共感しないと言うのと同じことになる。
サグデン257
労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。
目次
労働価値説の萌芽
編集
マルクスはウィリアム・ペティを労働価値説の始祖として評価した[1]。1662年に出版されたウィリアム・ペティの『租税貢納論』には以下のような指摘がみられる。
もしある人が、1ブッシェルの穀物を生産しうるのと同じ時間に、銀1オンスをペルーの大地のなかからロンドンにもってくることができるとしよう。この場合、一方は他方の自然価格(natural price)である。ところが、もし新しい・しかももっと楽な〔採掘ができる〕諸々の鉱山のおかげで、ある人がかつて1オンスを獲得したのと同じ容易さで、銀2オンスを獲得することができるならば、そのときには、他の条件にして等しい限り、穀物は1ブッシェルが10シリングでも、かつて1ブッシェルが5シリングであったのと同様に安価である、ということになるであろう[2]。
ただし、彼は「すべての物は、二つの自然的単位名称、すなわち土地および労働によって価値づけられなければならない」[3]とも述べており、完全に労働価値説に立ったわけではなかった。
スミスの労働価値説
編集
アダム・スミスは『国富論』で「労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった。世界のすべての富が最初に購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである」と述べ[4]、労働価値説を確立した。ただしスミスの見解には二つの観点が混在していた[5]。彼は「あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りである」[6]とし、商品の生産に投下された労働によって価値を規定した。これは投下労働価値説と呼ばれる。しかし他方において、商品の価値は「その商品でかれが購買または支配できる他人の労働の量に等しい」と述べ[7]、支配労働価値説と呼ばれる観点も示した。
スミスにとっては、商品の価値が投下された労働によって決まるということと、商品の価値が労働の価値によって決まるということは、明瞭に区別されていなかった。そのため、彼は投下労働価値説が当てはまるのは「資本の蓄積と土地の占有にさきだつ初期未開の社会状態」だという見解を示した。労働生産物が労働者自身に帰属する場合、交換は各生産物に投下された労働の量に従って行われる。しかし資本家や地主が登場すると、労働者は賃金、資本家は利潤、地主は地代を得るようになる。商品の価格は賃金と利潤と地代によって構成されるようになる[8]。このスミスの考え方は価値構成説と呼ばれる。
リカードの投下労働価値説
編集
デヴィッド・リカードはスミスから投下労働価値説を受け継ぎ、支配労働価値説を斥けた。彼によれば、商品の生産に必要な労働量と商品と交換される労働量は等しくない。例えば、ある労働者が同じ時間に以前の2倍の量を生産できるようになったとしても、賃金は以前の2倍にはならない。したがって支配労働価値説は正しくないとする[9]。
資本蓄積が始まると投下労働価値説は妥当しなくなる、という説に対しては、資本すなわち道具や機械に間接的に投下された労働量と直接的に投下された労働量の合計によって商品の価値が決まるという見解を示した[10]。
リカードは投下労働価値説を完全に維持することはできなかった。彼は賃金の騰落が資本の構成によって商品の価格に異なる影響をもたらすことに気づいた[11]。投下労働価値説の出発点においては、賃金の上昇は利潤の低下をもたらすだけであり、商品の価格には影響しないはずであった。しかし投下資本に占める賃金の比率が社会的な平均より高い場合、賃金の上昇は生産費用を平均以上に高め、賃金の比率が平均より低い場合は生産費用の上昇は平均以下となる。いずれの資本に対しても平均的な利潤が得られるならば、前者の場合は利潤の低下分より賃金の上昇分のほうが大きい。したがって商品の価格は上昇するのに対し、後者の場合は逆に商品の価格は低下する。投下労働量と関係なく商品の価格が変動するわけである。
マルクスの剰余価値説
編集
カール・マルクスはリカードの投下労働価値説を受け継ぎ、労働と労働力を概念的に区別することによって資本家の利潤の源泉が剰余価値であることを明らかにした[12]。賃金と交換されるのは労働ではなく労働力であり、労働力の価値の補填分を越えて労働が生み出す価値が剰余価値であって、これを利潤の源泉とした。
また、労働が行われる過程での実体的要素を労働対象・労働手段・労働とし、労働対象と労働手段をあわせて生産手段と呼んだ。受動的要素である生産手段は価値を生まないが、能動的要素である労働は価値を生む。資本家の観点からみれば、生産手段に投じられる資本ではなく労働力に投じられる資本が利潤を生むということになる。マルクスは生産手段を不変資本、労働力を可変資本と呼んだ[13]。
リカードが賃金の騰落の影響に関して悩んだ問題は、マルクスでは不変資本と可変資本の構成の問題として整理されることになった。投下労働価値説の考え方に従えば、労働力に多く資本を投下すれば、つまり可変資本の比率が高ければ、それだけ生産物の価値は増大し、剰余価値も大きくなる。しかし実際には、労働力の比率が高ければ高率の利潤が得られるということはない。市場における競争の結果として利潤率は均等化すると考えなければならない。すると商品の価格は投下労働量に比例するとは言えなくなる。
市場における利潤率の均等化の結果として成立する価格をマルクスは『資本論』第三巻で生産価格と呼んだ[14]。生産手段と労働力に支払われた価格を費用価格とし、平均利潤を加えたものである。この生産価格は投下労働量に比例するものではないため、第一巻の投下労働価値説と第三巻の生産価格論は矛盾するのではないかという批判を呼び起こした。代表的なのがオイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクの『カール・マルクスとその体系の終結』である[15]。また、費用価格も生産価格によって売買されることをマルクスが十分に論じなかったため、後に転形問題と呼ばれる論争のテーマとなった。
マルクスは差額地代とは別に絶対地代も成立しうることを認め、最劣等地においても地代はゼロではないという見解を示した[16]。生産物の価値は投下労働だけでなく地代によっても規定されることになり、投下労働価値説としての一貫性はリカードより一歩後退した。
限界革命
編集
詳細は「限界効用理論」を参照
1870年代にウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、カール・メンガー、レオン・ワルラスの3人の経済学者が、ほぼ同時に、かつ独立に限界効用理論に基づく経済学の体系を樹立し、新古典派経済学の創始者となった。労働価値説は彼らの学説にとって、労働力を生産過程における唯一の希少な資源と仮定する特殊モデルと整理され、以後、マルクス経済学と価値の本質をめぐる論説に決着がつかないまま今日に至っている。
そして、イアン・スティードマンをはじめとするネオ・リカーディアンによる労働価値説不要論が有名になった1970年代後半以降は、労働価値説を放棄するマルクス経済学者も出てきている(オスカル・ランゲOn the ecomic theory of socialism,1936)。マルクス経済学者はこの流れを「資本家による労働者の搾取」を容認する表皮的経済学と批判している。
出典・脚注
編集
[ヘルプ]
^ カール・マルクス『経済学批判』、大月書店〈国民文庫〉、1966年、58-59ページ
^ ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1952年、89-90ページ
^ ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1952年、79ページ
^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、53ページ
^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1987年、20-21ページ
^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、52ページ
^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、52ページ
^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、第1編第6章
^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第1節
^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第2節
^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第4節
^ カール・マルクス『賃金、価格、利潤』、土屋保男訳、大月書店〈国民文庫〉、1965年
^ カール・マルクス『資本論(1)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第1部第5-6章
^ カール・マルクス『資本論(6)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第3部第9章
^ ベーム=バーヴェルク『マルクス体系の終結』、木本幸造訳、未來社、1969年
^ カール・マルクス『資本論(8)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第3部第45章
関連項目
編集
効用価値説
労働価値説と支配労働価値説一和田豊『価値の理論』の検討神田敏英(2004年12月17日受理)
A Value Theory by Labor and
a Value Theory by Labor which it enables a Person to command
Toshihide KAUDA 和田豊『価値の理論』(桜井書店、2003年12月)1は、20世
投下労働 labor employed 支配労働 labor commanded 投下労働
1:1:5
あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しようとのぞむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得するさいの苦労と手数である。
…
労働は、すべてのものにたいして支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣である。金によってでも銀によってでもなく、労働によって、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配させうる労働の量に、正確にひとしい。
越村経済学史124~5参照
このコメントは投稿者によって削除されました。
国富論
1:5
投下労働価値説
ある商品を所有し、みずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとしい。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺度なのである。
1:5
支配労働価値説
あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しようとのぞむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得するさいの苦労と手数である。
…
労働は、すべてのものにたいして支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣である。金によってでも銀によってでもなく、労働によって、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配させうる労働の量に、正確にひとしい。
越村経済学史124~5参照
国富論
1:5
投下労働価値説
ある商品を所有し、みずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとしい。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺度なのである。
1:5
支配労働価値説
あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しようとのぞむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得するさいの苦労と手数である。
…
労働は、すべてのものにたいして支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣である。金によってでも銀によってでもなく、労働によって、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配させうる労働の量に、正確にひとしい。
越村経済学史旧版新評論社1953縦書き124~5参照
新版春秋95~6
経済学図説
25図スミスの再生産論(SK)67頁
(仮想図)
社会階層 本源的所得 派生的所得
主権者 / 租税
\統治費 ↗︎ ↑↑
/
地主 / 地代
\土地 ↑
金融業者/ 利子
\貨幣 ↗︎ ↗︎
利潤
↗︎
/(生産的資本) 年生産物 *
労働手段
資本家 磨滅分 ⇄ 労働手段 *
原料 ⇄ 原料 ↑ ↑
\ 労働力→(付加された価値/消費財)
↘︎
労働者 / 労賃 ↑
\
経済学図説
25図スミスの再生産論(SK)67頁
(仮想図)
社会階層 本源的所得 派生的所得
主権者 / 租税
\統治費 ↗︎ ↑↑
/
地主 / 地代
\土地 ↑
金融業者/ 利子
\貨幣 ↗︎ ↗︎
/ 利潤
(生産的資本) 年生産物 ↗︎
労働手段 *
資本家 磨滅分 ⇄ 労働手段 *
原料 ⇄ 原料 ↑ ↑
\ 労働力→(付加された価値/消費財)
↘︎
労働者 / 労賃 ↑
\
経済学図説
25図スミスの再生産論(SK)67頁
(仮想図)
社会階層 本源的所得 派生的所得
主権者 / 租税
\統治費 ↗︎ ↑↑
/
地主 / 地代
\土地 ↑
金融業者/ 利子
\貨幣 ↗︎ ↗︎
/ 利潤
(生産的資本) 年生産物 ↗︎
労働手段 *
資本家 磨滅分 ⇄ 労働手段 *
原料 ⇄ 原料 ↑ ↑
\ 労働力→(付加された価値/消費財)
↘︎
労働者 / 労賃 ↑
\
2:05 午前 削除
経済学図説
25図スミスの再生産論(S.K.)67頁
(仮想図)
社会階層 本源的所得 派生的所得
主権者 / ←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー租税
\統治費 ↗︎ ↑↑
/ ab
地主 / ←ーーーーーーーーーーーーーーー地代
\土地 ↗︎
c
金融業者/ ←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー利子
\貨幣 ↗︎a ↗︎
/
/ ←ーーーーーーーーーーーーーーー利潤
(生産的資本) 年生産物 ↗︎
労働手段 d
資本家 磨滅分 ⇄ 労働手段 cd
原料 ⇄ 原料 ↑↑
\ 労働力→(付加された価値/消費財)
↗︎ ↘︎ b
労働者 / ←ーーーーーーーーーーーーーーー労賃 ↑
\
越村はスミスの(v+m、cがない)ドグマを指摘するが租税を考慮しているところはマルクスより優れている
根井サミュエルソン
コラム ⑦スミスの公債論アダム ・スミスの 『国富論 』ほど話題にのぼる割に実際に読まれることの少ない古典は稀だが 、丁寧に読めば 、経済学のあらゆる問題に対する示唆を得ることができるといっても過言ではない 。スミスは 、 『国富論 』第四編 「経済学の諸体系について 」のなかで 、 「およそ私人が一家を治めるにあたって思慮分別あるやり方とされるものは 、一大王国を治めるうえにおいても 、まず 、愚かなことであるはずがない 」 ( 『国富論 Ⅱ 』大河内一男監訳 、中公文庫 、 1 9 7 8年 、 1 2 3ペ ージ )と述べているが 、この考え方は 、第五編 「主権者または国家の収入について 」のなかで 、公債問題を論じるときにも堅持されている 。つまり 、一家が借金をし続けることが危険であるのと同様に 、国家も借金漬けになるのは決して 「思慮分別あるやり方 」ではないというのだ 。とくに 、スミスは 、本文でも述べたように 、戦争経費をまかなうために公債や公債借換制度が利用されてきた歴史をよく知っていたので 、財政の 「無規律 」がどれほど危険であるかを繰り返し指摘している 。 「もし 、戦争の経費は 、つねにその年度内の収入でまかなうということになっていれば 、この臨時収入をあげてきた租税が 、戦争も終わったのになお続くようなことはないであろう 。そこで 、個々人の資本蓄積能力は 、公債借換制度の場合よりも 、戦時中は小さくなるにしても 、平時には大きくなるであろう 。戦争だからといって 、かならずしも旧資本をすべて食いつぶすわけでもなかろうし 、平和になれば 、食いつぶした分より多くの新資本の蓄積をひき起こすであろう 。総じて 、戦争はもっと早く終わり 、また 、特段の理由もなく戦争に訴えることも少なくなろう 。国民は 、戦争が続いているあいだはその負担を余すところなく身に受けるわけだから 、ほどなく戦争に飽きてくるだろうし 、また 、政府のほうも 、国民の機嫌をとるために 、必要以上に戦争が長引かぬようにせざるをえないであろう 。戦争の負担が重く 、また 、避けるわけにゆかぬものだということがあらかじめわかっていれば 、国民も 、戦うべき真の 、つまり実質的な利益がなにもないのに 、いたずらに戦争を望むようなことはしなくなるであろう 。そうすれば 、個人の資本蓄積能力が 、ある程度害われる時期は 、もっと稀にしかやってこなくなるし 、また 、もっと短いあいだしか続かなくなるだろう 。反対に 、この能力が最高に発揮される時期は 、公債借換制度のもとで可能であるよりも 、はるかに長続きするであろう 。 」 ( 『国富論 Ⅲ 』大河内一男監訳 、中公文庫 、 1 9 7 8年 、 4 0 4 - 4 0 5ペ ージ )
https://hpo.hatenablog.com/entry/20110112/1294820979
アダム・スミスの自然率
「神の見えざる手」よりも、人の自然な利潤率である「自然率」の方が目に見える。そして、経済と経営の分野ではより具体的で大切。
アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
作者: 堂目卓生
出版社/メーカー: 中央公論新社
発売日: 2008/03
メディア: 新書
購入: 8人 クリック: 169回
この商品を含むブログ (113件) を見る
p.167-
まず、スミスは、現実の価格は市場価格(market price)に一致すると考えた。(中略)こうして、現実の価格は、需要者間の競争、供給者間の競争によって市場価格に一致する。
一方、自然価格(natural price)とは、賃金、利潤、地代の自然率によって構成される価格である。賃金、利潤、地代はそれぞれ、労働、資本、土地など、商品の生産に必要なサービスに対する報酬であり、それらの自然率とは、その社会において、一般的、平均的であるとされる報酬率(サービス単位あたりの報酬)のことである。ある商品一単位の生産に必要な労働、資本、土地のサービス量は技術的に決まっているので、それらの量に、賃金、利潤、地代の自然率を掛け合わせれば、その商品の自然価格を求めることができる。
この前後に2つ重要な脚注がついている。
2.スミスは、賃金、利潤、地代の自然率は、社会が進歩している状態にあるか、一定の状態にあるか、それとも衰退している状態にあるかによって左右されると考える。
4.スミスは、ある商品について、自然価格を支払う意思のある人の需要を「有効需要」(effectual demand)と呼んだ。供給が有効需要に一致する場合には、市場価格は自然価格に一致するだろう。供給が有効需要を下回るときには、市場価格は自然価格を上回るだろう。反対に、反対に、供給が有効需要を上回るときには、市場価格は自然価格を下回るだろう。しがたって、すべての商品の市場価格が自然価格に一致する傾向をもつということは、すべての商品の供給が有効需要に一致するということである。
単純に考えれば、以下のようにはならないか。
「進歩している状態」 = [ 供給 < 有効需要 ] = 高い自然率
「一定の状態」 = [ 供給 = 有効需要 ] = ぎりぎりの自然率
「衰退している状態」 = [ 供給 > 有効需要 ] = 低い、あるいはマイナスの自然率
自然率とは、その社会において、一般的、平均的であるとされる報酬率(サービス単位あたりの報酬)のこと
第1編 労働の生産性の向上をもたらす要因と、各階層への生産物の分配にみられる自然の秩序(分業;分業の起源;市場の大きさによる分業への制約 ほか);第2編 資本の性格、蓄積、利用(資財の分類;社会の総資本のうち特殊部門としての通貨、すなわち国民資本の維持費;資本の蓄積と、生産的労働と非生産的労働 ほか);第3編 国による豊かさへの道筋の違い(豊かさへの自然な道筋;ローマ帝国の崩壊後に生まれたヨーロッパの旧秩序と農業への障害;ローマ帝国崩壊後の都市の発生と発展 ほか)
内容
市場とは、労働とは、豊かさとは。経済と社会のしくみ、本質を、わかりやすい例と平易な言葉で解き明かした政治経済学の金字塔。「近代経済学の祖」といわれる18世紀経済学者の名著を、第一人者が新訳。
ISBN等
4-532-13326-2
ISBN等
978-4-532-13326-9
書誌番号
3-0207020994
現在の予約数0人
予約申込 予約かごに入れる
国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 下
著者名等
アダム・スミス/著 ≪再検索≫
著者名等
山岡洋一/訳 ≪再検索≫
著者等紹介
【山岡】1949年生まれ。翻訳家。主な訳書に「市場対国家」「巨象も踊る」「新・日本の経営」「ビジョナリー・カンパニー」「バブルの歴史」「ビジョナリー・カンパニー2」「自由論」などがある。
出版者
日本経済新聞出版社
出版年
2007.3
大きさ等
22cm 594p
注記
An inquiry into the nature and causes of the wealth of nations.6th ed./の翻訳
NDC分類
331.42
件名
経済学-古典学派 ≪再検索≫
要旨
グローバリゼーションに潜む問題を見抜いていた洞察力、国の役割の本質に迫る慧眼。現代社会が抱える課題とその答えがここにある。現代を読み解く「知の遺産」。
目次
第4編 経済政策の考え方(商業中心の考え方、重商主義の原理;国内で生産できる商品の輸入規制;貿易収支が自国に不利とされる国からの輸入に対するほぼ全面的な規制;戻し税;輸出奨励金;通商条約;植民地;重商主義の帰結;重農主義―土地生産物が国の収入と富の唯一の源泉または主要な源泉だとする経済政策の考え方);第5編 主権者または国の収入(主権者または国の経費;社会の一般財政収入の源泉;政府債務);解説 『国富論』と現代経済学
内容
グローバリゼーションに潜む問題を見抜いていた洞察力、国の役割の本質に迫る慧眼。現代社会が抱える課題とその答えがここにある。「近代経済学の祖」といわれる18世紀経済学者の名著を、第一人者が新訳。
ISBN等
4-532-13327-0
ISBN等
978-4-532-13327-6
書誌番号
3-0207020995
絶対優位と比較優位
http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html
https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_28.html@
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下
まず比較優位はスミスの説いた絶対優位とは違う
絶対優位はトランプのような国家間の勝ち負け論になってしまうが比較優位はwin-winを想定し得る
マンキューはソローの「私は理髪店に対して慢性的な赤字だ。彼は私から何も買おうとしないからね」
という言葉を紹介し、《しかし、そのことでソローが収入に応じた暮らしをやめることはないし、必要に
なればいつでも彼は理髪店に行くのである。》と付け加えている
マンキューマクロ入門篇200頁
アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社[4:2]
賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下
この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。
違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
国富論4:2
第二章 国内で生産されうるような、財貨の諸外国からの輸入にたいする、諸抑制について
かうよりもつくる方がたかくつくであろうものを、けっしてうちでつくろうとくわだてないというのが、すべての慎慮ある一家の主人の、原則である。したて屋は、かれ自身の靴をつくろうとくわだてないで、靴つくりからそれをかう。靴つくりは、かれ自身の衣服をつくろうとくわだてないで、したて屋を使用する。農業者はそのどちらをもつくろうとはくわだてないで、それらのちがった手工業者を使用する。かれらのすべては、かれらの勤労の全体を、かれらがその隣人たちにいくらかまさっているやりかたで使用し、それの生産物の一部あるいは、おなじことだがその一部の価格をもって、かれらが必要とする他のものをなんでも購買するのが、かれらの利益になることをしるのである。
もしある外国がわれわれにある商品を、われわれが自分でそれをつくることができるよりもやすく、供給しうるならば、われわれがある利点をもっているやりかたで使用された、われわれ自身の勤労の、生産物のある部分をもって、かれらからそれをかう方がいい。
http://webpark1746.sakura.ne.jp/jafee2015/pdf/YoshiiSatoshi.pdf
“By means of glasses, hotbeds, and hot walls, very good grapes can be raised in Scotland, and very good wine too can be made of them at about thirty times the expence for which at least equally good can be brought from foreign countries. Would it be a reasonable law to prohibit the importation of all foreign wines merely to encourage the making of claret and burgundy in Scotland? But if there would be a manifest absurdity in turning towards any employment thirty times more of the capital and industry of the country than would be necessary to purchase from foreign countries an equal quantity of the commodities wanted, there must be an absurdity, though not altogether so glaring, yet exactly of the same kind, in turning towards any such employment a thirtieth, or even a three-hundredth part more of either” (Smith 1776, vol. 1, p.423). 4:2
温室、温床、温壁によれば、きわめてすぐれたぶどうを、スコットランドで栽培することができるし、またきわめてすぐれたぶどう酒も、すくなくともおなじくすぐれたものを諸外国からもってくることができる費用の、約三十倍をかければ、そのぶどうからつくることができる。スコットランドでクラレット〔ボルドー赤ぶどう酒〕やブルゴーニュをつくるのを奨励するためだけに、あらゆる外国のぶどう酒の輸入を禁止するのは、妥当な法律であろうか。だが、もとめられている諸商品のひとしい量を、諸外国から購買するのに必要であるだろうよりも、三十倍おおくのその国の資本と勤労を、なにかの業務にふりむけることに、明白なばからしさが存在するならば、どちらかを三十分の一おおく、あるいは三百分の一おおくでさえ、なにかそういう業務にふりむけることには、それほどまったくひどいものではないが正確におなじ種類の、ばからしさが存在するにちがいない。
アダム・スミス (著), 山岡 洋一 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4532133270/
下巻も上巻に引き続き書いてある記述が歴史的にも貴重な資料と言えますが経済学に精通する人以外には「退屈」かも知れません。
そういう人にはP.549の解説から読む方がいいし理解も早いでしょう。
国富論はあまりにも書いてある内容が広範囲なために読む章によってでも焦点がボケてしまいがちだが
解説から知れば
第1編は「ミクロ経済学」
第2編は「マクロ経済学」
第3編は「経済史」
第4編は「経済政策論」
第5編は「財政学」と要約されていてわかりやすい。
はじめに下巻末の解説から読み、次に上巻から読み進める
読み方としては問題集ドリルの答えから先にみるようで正しくはないかもしれないが
こっちのほうが挫折しないで読み終えられるかもしれません。
見えざる手のあと
「社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも 、自分自身の利益を追求する方が 、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある 」 ( 『国富論 』大河内一男監訳 ・中公文庫より )アダム ・スミス
サージェームススチュアートの重商主義への批判として書かれた
アダム・スミスの輸入政策論著者榎並 洋介雑誌名星薬科大学一般教育論集号16ページ39-72発行年1998 URL http://
§罫⑰☆一゜訳H、一二〇頁。「見えざる手」という言葉は『国富論』の出版に先立つ十数年前に出版された「道徳感情論』(一七7 五九年)の中で初あて使われたものであるが、これはサー・ジェイムズ・スチュアートが彼の『政治経済学原理』において使用した4 「為政者゜。訂言ψ・日昌」に抗する装置概念として位置づけることができるのではないかということに関しては、菊地壮蔵「『国富論』第
四篇における「商業の体系」についてージェイムズ・スチュアート批判の隠喩として読むー」(『商学論集』〔福島大学〕第六〇巻第三 4 号、「九九二年)がある。しかしながら、もともとスミスは重商主義理論の体系書であるスチュアートの『政治経済学原理』(一七六 七年)を論破することを意識して『国富論』(一七七六年)を書いたのであった。スミスは一七七二年九月三日のボウルトニー宛の手 紙で、「サー・ジェイムズ・スチュアートの本については、私は貴方と同じ意見を抱いております。一度もその本に言及はしませんで したが、同書の誤った理論はどれも、私の本の中で明白かつ的確な論破に遭っているものと自負しています」(↓ゴ。Oo隅oψ・8且。昌8 0(>O餌日o◎ヨ」葺oO津o臼●ぺ国゜ρζo胡・盾コo『①昌ムピo力゜ヵo。力oり゜○×甘「9一Φべや゜℃二〇。N°)と書いているからであ
齊藤 誠 (@makotosaito0724)
2019/05/23 11:08
今日の金融論はグレーバー負債論10章の中世、迫力の章。「政府から独立した神の秩序としての経済」というイスラームの考えを、アダム・スミスは「政府から独立した自生的な秩序としての経済」と換骨奪胎した。国富論には、ガザ―リーやトゥースィーなどイスラム学者の著作からの引用が確認されている。
Twitterアプリをダウンロード
負債論 貨幣と暴力の5000年
デヴィッド・グレーバー
形式: 単行本変更
価格:¥6,480
11件中1 - 10件
小倉光雄
ベスト500レビュアー
5つ星のうち4.0貨幣に関する非常に興味深い起源論と発展史が書かれている、その根拠は人類学的観察だ
2016年12月19日
形式: 単行本Amazonで購入
序章では、著者の反資本主義の活動家としての発言が目を引く。グローバルな破産国家管財人としてのIMFに反対して、債権放棄を促し、さらにはIMFの解体を公言する。そこから、負債の本質に迫ろうと言うのだが、著者によれば負債とは貨幣のある面での本質なので、論は貨幣の起源へと遡行して行く。
アダム・スミス流の、仮想的な未開社会での物々交換の不便性から貨幣が発達してきたという考えは大間違いだと著者は言う。著者の人類学者としての知識によれば、貨幣がなくて不便をかこつ未開社会など世界のどこにも存在しない。未開社会では、人物Aが財Aを欲しいが手元には財Bしかなく人物Bが財Aを持っているが財Bは欲しくないとき、何が起こるか?人物Bは人物Aに財Aを渡し、人物Aが人物Bの欲しいものを獲得できる時まで待つだけなのだ。つまりこれは、一種の信用売りで、そのような記憶が木切れか何かに記録されればそれは借用証書となり、それが貨幣として共同体内で流通し始める。だから負債が貨幣の起源なのだ。さらに言えば、貨幣による交換は共同体が接触したときのみ行われるのではなく、共同体内部でも行われた。共同体が接触した時に行われる交換は商業的なものというよりも祝祭的なイベントになるのが人類学による観察だ。さらに交換や信用にもとずく社会形成について理論的な分析がされ、それを基盤に著者は貨幣を軸にして人類史5000年を振り返る。
顔見知りどうしの温かな匂いに包まれた交換は多くが、商業経済ではなく著者が言う所の人間経済で行われていた。人間経済とは人間こそが最も価値を持つ経済であり、それは殺人に対する購いや花嫁の受け入れに伴うお礼等のやり取りだった。このような際に貨幣が支払われる事はあったが、それは人間の価値に遠く及ばない事を双方が確認するものだった。つまり社会的人間関係を確認するための社会的通貨として使われた。しかし、この関係が属人的な性質を奪われ計量可能性の枠組みに移行するとそこから必然的に奴隷制や売春が発生する。この過程で多くの暴力が介在した事は疑いないだろう。紀元前800年までの大帝国ではすでにこのような事態が進行し、債務地獄に陥って債務奴隷になったり家族を売り飛ばさざるをえない境遇に陥ってしまった民衆を徳政令で救う事が王の課題となった。
次の、著者の言う枢軸時代(前800年から紀元後600年まで)には、鋳造貨幣が誕生し、軍事=鋳造貨幣=奴隷制複合体とでも言うべきシステムが誕生した。ギリシアやローマ帝国がそうだ。征服のため移動する軍隊の兵士と現地民の間の交換は、二度と合わない者どうしの交換だからこそ、貨幣での決済がふさわしい。そこで兵士の給料のために鋳造貨幣が支払われた。貨幣で決済してしまうと、そこで貸し借りの紐帯が切断されるので、共同体内部ではむしろ避けられる事だった。金で解決するなんてなんと水臭い、という事だ。このようにして貨幣経済が広まったのだが、帝国の崩壊とともに再び鋳造貨幣は消え去り信用経済へと戻ったのが中世だ(1450年まで)。
大航海時代が開幕し、遅れた西ヨーロッパに新大陸からの搾取された富が流れ込み、資本主義が成長する。新大陸に行ったコンキスタドールの暴虐ぶりは周知の事だが、その心理状態についての著者の分析は鋭い。例えばコルテスは自身が重債務者であり、彼の兵士もまたコルテスにより法外な必要経費を取られ、もうけるはずが逆に債務者となった。この債務がヒリヒリとした焦燥感をもたらし、新大陸のインディオを同じ人間としてみる心の余裕を奪い、普通の人間なら見るに耐えない状況を作り出したのだと言う。征服後にコルテスは債務により無一文になった。ここで著者は短いが注目すべき発言をする。資本主義の時代は、民主主義、科学、福祉が進展し明らかにそれまでより生活は向上したが、それは資本主義でなくても実現できたのではないかと言う。これは論証はされず信念の開陳に聞こえる。さらに資本主義の発展は詳述されず、すぐ次の現代の金融資本主義に時代へと移行してしまう。そこでは、著者の活動家としての主張が展開される、内容は冒頭のIMFに関する話しと同様だ。例えば、負債は契約で発生するから平等な個人の間で成立するが、実は現代の雇用においても、それは対等ではない個人と法人の間に成立し、勤務時間の間だけ自分を債務奴隷として差し出しているのだというのは、すでにカール・マルクスにより指摘されている事で特に斬新な考えとは言えない。
貨幣を軸に人類5000年史を祖述する膨大な著述でありながら、文体は平易でエピソード的な話題も多く盛り込まれ、本文600ページを読むのに苦痛は感じない。しかし、個人で得られる知識には限界がある。例えば中国とその従属国の話題では、日本も歴史上ずっと変わらず中国の朝貢国であるかの様にさらっと書かれると、アレ変だなと感じる。同様に他の地域や時代に関する著述でも同じような過度の単純化があるのではと疑ってしまう。全体としてみると最初と最後におかれた短いアジテーション部分に挟まれて、貨幣に関する非常に興味深い起源論と発展史が書かれていると言う印象だ。最後に著者は、勤勉な貧者だけでなく勤勉でない(他の人生の楽しみー友人や家族との語らいーに時間を費やす)貧者の立場にも立つ事を宣言する。
83人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
コメント 違反を報告
反論もある
中野剛志氏の貨幣と負債の認識について ~MMT(現代貨幣理論)のこと その1~ - 暮らしの経済手帖 - Yahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/metamorphoseofcapitalism/36648446.html?__ysp=44Ki44OA44Og44K544Of44K5IG1tdA%3D%3D
新フィッシャー主義とFTPL
d.hatena.ne.jp/himaginary/201…
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
財務省も国家を信じていない
天下り先への利益誘導が絶対だ
IMFも彼らの天下り先だ
公務員は増やすべきだが人材の多様性と
組織における流動性が必要だ
柄谷行人に倣って遊動性と言いたいところだが
NAMの組織構造を日本国省庁と地方行政府が採用すべきだ
道徳感情論7:2:4
マンデビル批判?
させたり怒らせたりしない範囲で 、このような激情のもつ猛威の抑制をめざすだけである 。 1 2マンドヴィル博士の著書 (注 2 )の大きな誤りは 、あらゆる激情を 、全体として不道徳なものと ─ ─程度や方向を問うことなく ─ ─想像させたことにある 。こうして彼は 、すべての事柄を 、他者の感情であるか 、または感情であるはずのものと何らかの関連性を有する虚栄心 、として論じる 。だから彼が 、お好みの結論 、つまり 、私的な不道徳は公共の利益であると認めさせるのは 、この詭弁を駆使してのことである 。偉大さへの愛 、つまり 、人間生活における洗練された技術や改善 、衣装 、家具 、高位にふさわしい装備や備品 、建築 、彫像 、絵画 、音楽など 、すべて快適なものに対する好みが 、その境遇に何の不都合ももたらさずに 、このような激情がもつ欲望充足を許容する場合でさえ 、ぜいたくで 、みだらで 、しかも 、見せびらかしだと見なすべきだというのであれば 、確かに 、ぜいたく 、みだら 、および見せびらかしが 、公共の利益であることは間違いない 。というのは 、そのような口汚い名前で呼ぶのが適切だと彼が考える資質をもたないかぎり 、洗練された技術が奨励されることなどあるはずがなく 、雇用不足のために 、衰退するに違いない 。彼の時代より前に流行した 、いくつかの通俗的な禁欲主義の ─ ─徳は 、我々がもっているあらゆる激情の完全な抹消や絶滅にあるという ─ ─教義が 、この勝手気ままな体系の真実の基礎であった 。マンドヴィル博士にとって 、以下のこと 、つまり第一に 、激情の全面的克服は 、人間の間では実際けっして生じないこと 、第二に 、もしそれが普遍的に生じるとすれば 、すべての産業や商業だけでなく 、さらに 、ある意味で人間生活の本分をすべて終わらせてしまい 、社会を破滅に招くと証明することは 、ごく簡単なことであった 。この最初の命題によって 、真実の徳など存在しないばかりか 、そのようにいわれていることは 、人類に対する詐欺やペテンにすぎないことを 、さらに 、第二の命題によって 、そのようなものなしには 、いかなる社会も成功したり繁栄したりできないのだから 、私的な不道徳は公共の利益である 、と彼は証明したと思ったのである 。 1 3マンドヴィル博士の体系とはそのようなものだが 、昔それは 、世間を大いに騒がせ 、おそらく 、それを上回る不道徳の根拠など提供できなかった代物ではあるが 、少なくとも 、それ以外の原因から生じる不道徳が劣らず厚顔無恥に現れること 、さらに 、そのように動機が腐敗するということを 、今まで聞いたこともないみだらな図々しさで我々に率直に学ばせ 、認めさせた 。 1 4だが 、この体系がいかに破壊的であるように見えようと 、もしそれがいくつかの点で真理をついていなかったら 、あれほど多数の人々につけ込むことはできなかっただろうし 、もっと立派な原理の支持者の間に 、あれほど一般的な驚きを引き起こすことも不可能であっただろう 。自然哲学の体系は 、一見したところでは 、大いに信頼できそうに思われるし 、長い間世界でごく一般的に受け入れられてきたものであるが 、それでもなお 、自然のなかにはまったく基礎を
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
参考:
新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
560 考える名無しさん[sage] 2021/07/03(土) 14:58:07.63 ID:0
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、
法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
参考:
新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
柄谷が、会費はQで支はらわれなければならないという、
法令をだすとすれば、かれはそうする
ことによって、Qに一定の価値をあたえうるであろう。
558 考える名無しさん[sage] 2021/07/03(土) 14:39:30.92 ID:0
たとえばその全国集会あとの会議での、たしか休み時間だったとおもう。
ラウンジのソファで、会計係であった当時まだ20代前半だったであろう関口君と休んで
いると、柄谷がやってきた。たぶん、会議でも、NAM会員の年会費の件が話し合われた
のかもしれないのだが、いきなりこう切り出したのだ。
「会費を無料ではだめなのか?」(言葉は正確ではない。)
私は一瞬きょとんとしたが、関口君がすぐに、「それは無理です。」と返答した。
ちょうど私たちが、倉数さんが事務局長になった新事務体制が直面したのが、会員更新
に伴う年会費徴収手続きだったからだ。たしか、財政の帳簿みたいのをみて、私が、
このままの推移だと、予算がなくなって、サーバー代金など払えなくなるのじゃないか?
と事務所メールで問題提起したのではないかとおもう。それに対し、たしか倉数さんは、
そうですね、だから1万円にしたら、とか返信したような。さらに、現在はコンサルタント会社
の社長をやっているという生井さんは、いや10万円でも高くない、とか言い出して。記憶
間違いになっているかもしれないが、そこらへんから、いったいどういう感覚の人たち
なんだ、と私が突っ込みメールを書きはじめ(あとで倉数さんから直接、人格破壊だ、
とかの批判をいただくことになったが…)、そもそも事務が決める話ではないのだから、
財政のシユミレーションを作って評議会に問題提起したらどうなんだ、という話になったと
おもう。(本書によると、二千円から三千円の値上げになっている。)しかもそこに、近いうち
導入するかもしれない地域通貨Qとの組み合わせと、どう事務作業を簡略化するかの話
が付け加わっていったような。そういう背景の中で、柄谷の、「無料」という提案が、私的な
場面でだとはいえ、投げ出されたのだったとおもう。だから、もしかして、円では無料で、
すべてQでの年会費でいいのではないか、という含意だったのかもしれないのだが、
記憶ではわからない。
"THE MEAN
RAPACITY, THE MONOPOLIZING
SPIRIT OF MERCHANTS
AND MANUFACTURERS, WHO
NEITHER ARE, NOR OUGHT
TO BE, THE RULERS OF MANKIND"
imgfip.com
「人類の支配者でもなければ、そうなるべきでもない商人や製造業者の卑しい強欲さ、独占的な精神」。人類の支配者でもなく、そうあるべきでもない」。
imgfip.com
Adam Smith?
https://www.adamsmithworks.org/speakings/adamsmith-myths-and-realities
I will let Smith himself explain why he defines the Wealth of Nations as a very violent attack against mercantilism.
The sneaking arts of underling tradesmen are thus erected into political maxims for the conduct of a great empire. […] By such maxims as these, however, nations have been taught that their interest consisted in beggaring all their neighbours. Each nation has been made to look with an invidious eye upon the prosperity of all the nations with which it trades, and to consider their gain as its own loss. Commerce, which ought naturally to be, among nations, as among individuals, a bond of union and friendship, has become the most fertile source of discord and animosity. […] the impertinent jealousy of merchants and manufacturers […] the mean rapacity, the monopolizing spirit of merchants and manufacturers, who neither are, nor ought to be the rulers of mankind […] originally both invented and propagated this doctrine […] and they who first taught it were by no means such fools as they who believed it. Their [merchants and manufacturers] interest is, in this respect, directly opposite to that of the great body of the people. (WN IV.c.9-10)
渡辺論考
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/232775/1/kronso_190_2_51.pdf
26)重商主義を「経済的新マキァヴェリズム(economic neo-Machiavellianism)」と再定義するホントは,「貿易
の嫉妬は国際貿易への国家理性の適用であった」(Hont [2005] p. 13, 7 ページ)とも論じている。貿易の嫉妬
と「国家理性」との関係については,さらに Pool [2005] pp. 100-31 も参照。
27)スミスはいう。「人類の支配者でもないし,あるべきでもない商人や製造業者の卑しい強欲,独占を求める精
# (monopolizing spirit)
of monopoly)であったということは,疑うことができない。」(WN, p. 493, [2] 岩波373 ページ)なお当時の国際社
会理解をめぐるヒュームとスミスとの異同については,Van de Haar([2009] pp. 41-56 [2013]),田中[2016]
……,この(重商主義の)学説を考案したのも普及させたのも,もとは独占の精神(spirit
(本誌)を参照。
28)この第8章は,はじめ「『国富論」初版および第2版への補遺と訂正」(別冊)として1784年に刊行された。
河出
4:3
しかし、人類の支配者でもなく、そうあるべきでもない、商人と製造業者たちのいやしい貪欲すなわち独占的精神は、おそらくなおすことはできないにしても、かれら自身いがいのどんな人の平穏をも、みださぬように阻止することは、きわめて容易であろう。
グレーバー負債論414頁#10でスミスへのイスラムの影響についての依拠したのは以下、
Seeking the Roots of Adam Smith's Division of Labor in Medieval Persia
Hamid Hosseini
History of Political Economy, 1998, vol. 30, issue 4, 653-681
Warren B. Mosler #MMT
@wbmosler
@StevenHailAus @scotthill222 Adam Smith (1776): "A prince, who should enact that a certain proportion of his taxes be paid in a paper money of a certain kind, might thereby give a certain value to this paper money."
2021/03/21 0:49
https://twitter.com/wbmosler/status/1373300627900620800?s=21
Adam Smith Karl Marx John Maynard Keynes Homo Economicus Economics - Human Behavior PNG
https://12png.com/png/96yjK8MzzF/adam-smith-karl-marx-john-maynard-keynes-homo-economicus-economics-human-behavior-png
地域通貨花子1
@TiikituukaHana
@_luminous_woman ただしアダム・スミスは家計と財政の混同を促進してしまった。
《あらゆる私人の家族の運営において、慎慮であるものが、一大王国の運営において愚行だということは、めったにありえない。》国富論4:1:2
2021/12/22 6:47
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1473409824058908675?s=21
《アダム・スミスはこう言っている。資本は節倹によって増加し、質素倹約の人は公益の増進者である、そして富の増加は消費してもなお残る生産物の残余如何にかかっている、と。こうした命題が大なる程度、真理であるというのは確かである。けれども無窮の真理というわけではない。》ケインズ一般理論#23:7
ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』で次のように記した。
投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性、すなわち、われわれの積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ、快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある。何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとする、その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。[5]
一般理論#12:7
#126 Dirk Ehnts: How Banks Create Money
https://youtu.be/H6Dd8W0oGUY
19:00
Cf.
Adam Smith
"A prince, who should enact that a certain proportion of his taxes be paid in a paper money of a certain kind, might thereby give a certain value to this paper money."
An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(1776)
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
"It is the great multiplication of the productions of all the different arts, in consequence of the division of labour, which occasions, in a well-governed society, that universal opulence WHICH EXTENDS ITSELF TO THE LOWEST RANKS OF THE PEOPLE."
- Wealth Of Nations I, ch. I, 22
https://twitter.com/dehnts/status/1556925500429193217?s=21
#126 Dirk Ehnts: How Banks Create Money
https://youtu.be/H6Dd8W0oGUY?t=19m
Adam Smith
"A prince, who should enact that a certain proportion of his taxes be paid in a paper money of a certain kind, might thereby give a certain value to this paper money."
Adam Smith
An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(1776)
BOOK II. CHAPTER II.
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1556952073241251840?s=21
https://twitter.com/dehnts/status/1556925500429193217?s=21
https://www.blogger.com/comment.g?blogID=28938242&postID=1581385227091861902
MMT・BOT
@MMT_revolution
紙幣自体には何の値打ちもありませんが、国家がこれを税金の支払い等の手段として認め、強制的に流通させることによって、支払い手段としての価値を持つようになっているのです。
#西田昌司
2022/08/22 18:19
https://twitter.com/mmt_revolution/status/1561644184398102528?s=21
本ノ猪
@honnoinosisi555
「多くの人間が陥る本当の不幸は、真の幸福を実現するための手段が手近にあることを忘れ、遠くにある富や地位や名誉に心を奪われ、静坐し満足しているべきときに動くことにある。」(堂目卓生『アダム・スミス』中公新書、P284) pic.twitter.com/aF6VHrgVMG
2022/10/11 19:13
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1579777325725802497?s=21
ケインズにも似た言葉がある
第七章
諸商品の自然価格および市場価格について … すべての個々の商品の市場価格は、じっさいに市場にもってこられた量と、その商品の自然価格、すなわちそれをそ こへもってくるのに支はらわれなければならない地代と労働と利潤との全価値を、支はらう意志のある人々の需要と の比率によって規制される。このような人々は、有効需要者、かれらの需要は有効需要と、よんでいいのであって、 なぜなら、それは、その商品を市場にもたらすという効果をあげるのに十分であるだろうからである。それは、絶対需 要とはちがう。非常にまずしい人も、ある意味では、六頭だての馬車にたいする需要をもつといっていいし、かれはそ れをもちたいとおもうかもしれない。しかし、かれの需要は有効需要ではないのであって、それをみたすためにその商 品が市場にもたらされることは、けっしてありえぬからである。
ある商品の、市場にもたらされる量が、有効需要におよばないときは、それをそこへもってくるのに支はらわなけれ ばならない地代と賃銀と利潤の全価値を、支はらう意志のあるすべての人々が、かれらの欲するだけの量を、供給され ることはできない。まったくそれなしでいるよりも、かれらのうちのある人々は、いくらかおおくを支はらおうという 気になるだろう。ただちに、この人々のあいだで競争がおこり、市場価格は、不足のおおきさがこの競争のはげしさを 増大させる程度におうじて、おおくあるいはすくなく、自然価格をこえるであろう。その商品の獲得がたまたま競争者 たちにとってもつ、重要性の大小におうじて、おなじ程度の不足がひきおこす競争も、はげしさがちがうのがふつうで ある。都市封鎖や飢饉のときの、生活必需品の法外な価格は、そのためである。
河出水田訳
国富論
Isabella M. Weber
@IsabellaMWeber
Adam Smith, commonly acknowledged as founding father of modern economics, on the role of wages and profits for price increases. pic.twitter.com/e0KLIDWdz3
2023/06/02 6:44
(a)賃金上昇による算術的価格上昇
(b)利益率上昇による幾何学的価格上昇
じっさいには、高利潤の方が高賃金よりもずっとおおく、しごとの価格をひきあげる傾向がある。たとえば、亜麻織物の製造業において、もし、しごとをするさまざまな人々すなわち亜麻繊維の調整工、紡績工、織布工などの賃銀が、すべて一日に二ペンス上昇するとすれば、一反の亜麻布の価格を、それに使用された人数にひとしい倍数の二ペンスに、かれらがそのように使用されていた日数を乗じたものだけ、たかめることしか必要ではないであろう。その商品の価格のうちで、賃銀に分解する部分は、その製造業のさまざまな段階のすべてをつうじて、賃銀のこの上昇にたいする算術的比率で上昇するにすぎないであろう。しかし、もしそれらのしごとをする人々の、さまざまな使用者のすべての、利潤が五パーセントひきあげられるとすれば、その商品の価格のうちで利潤に分解する部分は、その製造業のさまざまな段階のすべてをつうじて、利潤のこの上昇にたいする幾何学的比率で、上昇するであろう。亜麻繊維の調整工の使用者は、かれの亜麻繊維をうるにあたって、かれがその職人たちに前貸しした材料と賃銀の全価値にたいする、追加的な五パーセントを要求するであろう。紡績工の使用者は、亜麻繊維の前ばらい価格と、紡績工の賃銀との、双方についての追加的な五パーセントを要求するであろう。織布工の使用者は、おなじような五パーセントを、亜麻糸の前ばらい価格と織布工の賃銀との双方について、要求するであろう。商品価格をひきあげる点で、賃銀の上昇は、負債の累積における単利とおなじやりかたで作用する。利潤の上昇は複利のように作用する。われわれの商人や親方製造業者は、高賃銀が、国内でも国外でもかれらの財貨の価格をたかめ、それによってうれゆきをへらすという、わるい効果をもつことについて、おおいに不平をいう。かれらは、高利潤の効果については、なにもいわない。かれらは、自分たちのもうけの有害な効果にかんしては、沈黙している。かれらは、他の人々のもうけについてだけ、不平をいうのである。
In reality high profits tend much more to raise the price of work than
high wages. If in the linen manufacture, for example, the wages of the dif-
ferent working people; the flax-dressers, the spinners, the weavers, &c.
should, all of them, be advanced two pence a day: it would be necessary to
heighten the price of a piece of linen only by a number of two pences equal
to the number of people that had been employed about it, multiplied by the
number of days during which they had been so employed. That part of the
price of the commodity which resolved itself into wages would, through all
the different stages of the manufacture, rise only in arithmetical propor-
tion to this rise of wages. But if the profits of all the different employers of
those working people should be raised five per cent. that part of the price
of the commodity which resolved itself into profit, would, through all the
different stages of the manufacture, rise in geometrical proportion to this
rise of profit. The employer of the flax-dressers would in selling his flax
require an additional five per cent. upon the whole value of the materials
and wages which he advanced to his workmen. The employer of [150]
the spinners would require an additional five per cent. both upon the ad-
(a) Arithmetic
Price increase driven
by wage increase
(b) Geometric
Price increase driven
by profit rate increase
イザベラ・M・ウェーバー @IsabellaMWeber 一般に近代経済学の創始者として知られるアダム・スミスは、物価上昇における賃金と利益の役割について述べている pic.twitter.com/e0KLIDWdz3 2023/06/02 6:44
実際には、高い利益は高い賃金よりもはるかに仕事の値段を上げる傾向があります。例えば、リネン製造において、亜麻布を裁断する人、紡績する人、織る人など、さまざまな労働者の賃金を1日2ペンス上げるとすると、1枚のリネンの価格を上げるのに必要なのは、そのために雇われた人の数と同じ数の2ペンスに、彼らがそうして働いていた日数をかけた分だけであろう。商品の価格のうち賃金に分解される部分は、製造のすべての異なる段階を通じて、この賃金の上昇に算術的に比例してのみ上昇することになる。しかし、これらの労働者のすべての異なる雇用者の利潤が5%引き上げられると、商品の価格のうち利潤に分解される部分は、製造のすべての異なる段階を通じて、この利潤の上昇に幾何学的に比例して上昇することになる。亜麻加工業者の雇用主は、その亜麻を販売する際に、その材料と労働者に支払う賃金の全価値に対して、さらに5パーセントを要求するだろう。紡績工の雇用主は,亜麻を販売する際に,労働者に提供する材料と賃金の両方に対して,5パーセントの追加を要求するだろう
(a)賃金上昇による算術的価格上昇(b)利益率上昇による幾何学的価格上昇
Wealth of Nations — Bk 1 Chpt 09
https://www.marxists.org/reference/archive/smith-adam/works/wealth-of-nations/book01/ch09.htm
2023/06/02 Isabella M. Weberさんのツイート アダム・スミス
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2023/06/isabella-m-weber.html
Wealth of Nations — Bk 1 Chpt 09
https://www.marxists.org/reference/archive/smith-adam/works/wealth-of-nations/book01/ch09.htm
In reality high profits tend much more to raise the price of work than high wages.
If in the linen manufacture, for example, the wages of the different working people, the flax-dressers, the spinners, the weavers, etc., should, all of them, be advanced twopence a day; it would be necessary to heighten the price of a piece of linen only by a number of twopences equal to the number of people that had been employed about it, multiplied by the number of days during which they had been so employed.
That part of the price of the commodity which resolved itself into wages would, through all the different stages of the manufacture, rise only in arithmetical proportion to this rise of wages. But if the profits of all the different employers of those working people should be raised five per cent, that part of the price of the commodity which resolved itself into profit would, through all the different stages of the manufacture, rise in geometrical proportion to this rise of profit.
国富論1:9
じっさいには、高利潤の方が高賃金よりもずっとおおく、しごとの価格をひきあげる傾向がある。
たとえば、亜麻織物の製造業において、もし、しごとをするさまざまな人々すなわち亜麻繊維の調整工、紡績工、織布工などの賃銀が、すべて一日に二ペンス上昇するとすれば、一反の亜麻布の価格を、それに使用された人数にひとしい倍数の二ペンスに、かれらがそのように使用されていた日数を乗じたものだけ、たかめることしか必要ではないであろう。
その商品の価格のうちで、賃銀に分解する部分は、その製造業のさまざまな段階のすべてをつうじて、賃銀のこの上昇にたいする算術的比率で上昇するにすぎないであろう。しかし、もしそれらのしごとをする人々の、さまざまな使用者のすべての、利潤が五パーセントひきあげられるとすれば、その商品の価格のうちで利潤に分解する部分は、その製造業のさまざまな段階のすべてをつうじて、利潤のこの上昇にたいする幾何学的比率で、上昇するであろう。
Isabella M. Weber
@IsabellaMWeber
Adam Smith, commonly acknowledged as founding father of modern economics, on the role of wages and profits for price increases. pic.twitter.com/e0KLIDWdz3
2023/06/02 6:44
イザベラ・M・ウェーバー @IsabellaMWeber 一般に近代経済学の創始者として知られるアダム・スミスは、物価上昇における賃金と利益の役割について述べている pic.twitter.com/e0KLIDWdz3 2023/06/02 6:44
(a) Arithmetic
Price increase driven
by wage increase
(b) Geometric
Price increase driven
by profit rate increase
(a)賃金上昇による算術的価格上昇
(b)利益率上昇による幾何学的価格上昇
スミス
https://x.com/tiikituukahana/status/1857145942476280286?s=61
1:5 支配労働価値説:
《あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しようとのぞむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得するさいの苦労と手数である。…
…労働は、すべてのものにたいして支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣である。金によってでも銀によってでもなく、労働によって、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配させうる労働の量に、正確にひとしい。》
越村経済学史124~5参照
labour commanded theory of value 支配労働説
labour embodied theory of value 投下労働説
https://www.dictjuggler.net/ecostock/?word=labour
投下の訳語に別語あり? employed 越村四元7
越村信三郎
経済学図説
越村はスミスのドグマを指摘するが租税を考慮しているところはマルクスより優れている
25図スミスの再生産論(S.K.)67頁
(仮想図)
社会階層 本源的所得 派生的所得
主権者 / ←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー租税
\統治費 ↗︎ ↑↑
/ ab
地主 / ←ーーーーーーーーーーーーーーー地代
\土地 ↗︎
c
金融業者/ ←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー利子
\貨幣 ↗︎a ↗︎
/
/ ←ーーーーーーーーーーーーーーー利潤
(生産的資本) 年生産物 ↗︎
労働手段 d
資本家 磨滅分 ⇄ 労働手段 cd
原料 ⇄ 原料 ↑↑
\ 労働力→(付加された価値/消費財)
↗︎ ↘︎ b
労働者 / ←ーーーーーーーーーーーーーーー労賃 ↑
\