http://www.freeassociations.org/
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社。☆
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻、新書全13巻
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年 幻燈社@
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一巻』(上下)筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全4巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社。1929年岩波文庫より初版資本論も出しているがそれとは別。☆
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻、新書全13巻
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年 幻燈社@
牧野 紀之 訳、対訳・初版資本論 第1章及び附録 、信山社出版 (1993/09)@
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一巻』(上下)筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全4巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946(あゆみ出版1977)
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社「世界の大思想」シリーズ全3巻☆
(長谷部は1929年岩波文庫より初版資本論も出しているがそれとは別)
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之(資本論翻訳委員会)訳、新日本出版社、1982~9年、新書全13巻、新装版全5巻1997年
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年、幻燈社@
牧野 紀之 訳、対訳・初版資本論 第1章及び附録 、信山社出版 (1993/09)@
山形浩生訳2004年、ネット上無料公開@未完冒頭、商品の章のみ
http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一巻』(上下)筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全3巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946(あゆみ出版1977)
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社「世界の大思想」シリーズ全3巻☆
(長谷部は1929年岩波文庫より初版資本論も出しているがそれとは別)
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之(資本論翻訳委員会)訳、新日本出版社、1982~9年、新書全13巻、新装版全5巻1997年
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年、幻燈社@
牧野 紀之 訳、対訳・初版資本論 第1章及び附録 、信山社出版 (1993/09)@
山形浩生訳2004年、ネット上無料公開@☆未完冒頭、商品の章のみ
http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一巻』(上下)筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全3巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社「世界の大思想」シリーズ全3巻☆
(長谷部は1929年岩波文庫より初版資本論も出しているがそれとは別)
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之(資本論翻訳委員会)訳、新日本出版社、1982~9年、新書全13巻、新装版全5巻1997年
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年、幻燈社@
牧野 紀之 訳、対訳・初版資本論 第1章及び附録 、信山社出版 (1993/09)@
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一、二巻』(上下)筑摩書房、2005年@
横張誠他訳『マルクス・コレクション 第三巻』所収、資本論初版、第一章のみ、筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全3巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
Das Kapital『資本論』Karl Marx 邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
生田長江訳、1919年大正8年、緑葉社、第一分冊第四章まで@☆国会図書館DB
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946(あゆみ出版1977-1982)
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社「世界の大思想」シリーズ全3巻☆
(長谷部は1929年岩波文庫より初版資本論も出しているがそれとは別)
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之(資本論翻訳委員会)訳、新日本出版社、1982~9年、新書全13巻、新装版全5巻1997年
江夏美千穂訳、初版資本論、1983年、幻燈社@
牧野 紀之 訳、対訳・初版資本論 第1章及び附録 、信山社出版 (1993/09)@
山形浩生訳2004年、ネット上無料公開@☆未完冒頭、商品の章のみ
http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一、二巻』(上下)筑摩書房、2005年@
横張誠他訳『マルクス・コレクション 第三巻』所収、資本論初版、第一章のみ、筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全3巻、超抄訳☆
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
資本論全訳
高畠素之
長谷部文雄
岡崎次郎、向坂訳はほんとは岡崎訳なので略
平井規之(資本論翻訳委員会)
>>777
参考
《資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」として
現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は
商品の分析をもって始まる。》
(昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)
《資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、
個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の
分析をもって始まる。》
(向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)
《資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集ま
り」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれ
の研究は商品の分析から始まる。》
(平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23a巻47頁)
《資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス『経済学
批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。
だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。》
(鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)抄訳
《資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、
個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析
から始まる。》
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
http://www.amazon.co.jp/dp/4406025472/
ref=sr_1_9?ie=UTF8&qid=1464620828&sr=8-9&keywords=%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%
96+%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ドイツ語エンゲルス版を主な底本として、マルクス校閲版、エンゲルス校閲版などを参照した「資本論」の全訳。82~89年にかけて新書版全13冊として刊行された訳書の一部改訂版。
登録情報
単行本: 541ページ
出版社: 新日本出版社 (1997/12)
言語: 日本語
ISBN-10: 4406025472
ISBN-13: 978-4406025478
索引含め全六巻
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5つ星のうち 5.0いい意味でも悪いい意味でも読みやすい。
投稿者 泥まみれ 投稿日 2011/12/12
形式: 単行本
俺はさう真面目に経済学を勉強してはゐませんが、資本論は全巻読みました。長谷部訳と大月の全集版を使ひ分けて読んでゐました。資本論の意義はあへて詳しく書くこともないでせう。不滅の古典であることは絶対に否定できません。誤解はないでせうが、本書は資本の理論の本で、資本主義経済の理論を扱つてゐるものです。社会主義が主題ぢやありません。実際、資本論といふのは訳題で、原書の題名はただ『資本』ですから。さて本書は通訳としては一番新しいもので、新書版をさらに改訳してゐます。日本語としてもこなれてゐていい訳ですが、読みやすさを追求しすぎてやや訳し過ぎてゐて訳語も簡素化し過ぎてゐる観があります。ちよつと行き過ぎでせう。その分読みやすいわけですけど。要するにいい意味でも悪い意味でも読みやすいわけですね。訳し過ぎがないといふ意味ぢやむしろ新書版の旧訳のはうがいいでせうね。結局は原書を読むに如くはないのでせうけどね。
1 コメント 2人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか?
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ついでにお勧め本も言いますと、新潮社版の『マルクス・エンゲルス選集』全一六巻というものがあるんです。新潮社というのは、「週刊新潮」を見てもわかるように、左翼が基本的に嫌いなはずです
いま生きる資本論
佐藤優
「資本論」直訳の驚異
http://shihonron999.blog.fc2.com/
今評判のジャーナリスト池上彰が、過日、テレビによる時事解説番組で「資本論」を採り上げた。番組冒頭、岩波版の資本論を取り上げ、有名な冒頭文を訥々(とつとつ)と朗読していわく、「むずかしいですね、よくわかりませんねえ」と。その後、跳びとびの自己流解説を進めながら、この感嘆詞を何度か繰り返した。
今や日本の大学ではこの難解問題を放置したまま、資本論を教材にすること皆無となり、その落日ぶりは目を覆うばかりだ。資本論は、役立たずのまま日本ではその生命力を閉じるのか?
こんなときに2008年から、的場昭弘という60歳になろうという経済学博士が、「超訳『資本論』」で荒稼ぎを始めていた。池上の講義もこれに助言を得て番組を乗り切ったと感謝している。だがこの博士の文章の荒っぽさは派手なだけが売りでつかみ所が幽霊に似て落ち着かない、いわば教壇経済学でしかない、という印象だ。あたかも、池上の解説が時事の解釈にとどまって解決への道は示され得ない、と同類なのだ。
まずここでは、その冒頭文章の「難しさ」の正体を真正面からとりあげる。難しさがマルクスにあるのか、日本の翻訳者にあるのか?
先ず、原著者カール・マルクス自身叙述の英語版を転載しよう。これは日本の翻訳者すべてが採用してきたサミュエル・ムーアとエドワード・エーヴリングによって第3のドイツの版から英語に翻訳され、フレデリック・エンゲルスによって編集された「英語版」のことである。
The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity.
小生が、これを翻訳の唯一原則とする「直訳体=外国語をその原文の字句や語法に忠実に翻訳すること(広辞苑)」で日本語化した結果は、つぎのとおりとなる。
「およそ諸社会の富は、なかんずく、生産の資本家様式が優先する社会においては、それ自身を『商品の膨大な集積』として現す、その単位がたった一つの商品でありながら。我われの研究はそれ故に一個の商品の分析とともに始めなければならない」。と。
この文章の簡潔にして流麗であること、惚れ惚れするくらいだ。そのポイントは「なかんずく」と「たった一つの・・・でありながら。」にある。これがもたらす高揚した雰囲気で、よーし俺も、たった1個の商品の分析にとりかかるか! という調子がでてくる。ガラパゴス化した従来の和訳本ではこのエネルギーが沸くどころか、何ダこんなギクシャクした物言いは、苦労ばかり背負い込んで成果なしのくたびれもうけになるのではないか? と遅疑逡巡の憂いを醸成するばかりであろう。
その憂鬱の原因となった今までの和訳の標本とも言うべき文書、三つを紹介しよう。
一つは、昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社
「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(35p)。
次に、平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店
「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」(71p)。
二つに共通する冒頭の「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は」という表現は原文とは無縁の勝手な作文である。まして前者の文の「諸社会の富」という複数表現は「支配的に行われる」という専有語と矛盾すること明白だ。また「原基形態」という生物用語は不適応も甚だしい。「原基」を広辞苑でひいてみるがいい。又後者の文が採用する「基本形態」の「基本」も「単位がたった一つ」に対応するには漠然も甚だしい。ここでは「たった一つの商品」が研究の出発点なのに、その意味がまったく理解されていないようだ。
三つ目は、的場昭弘の荒っぽさを象徴する翻訳文、超訳 「資本論」2008年第1刷、祥伝社
「資本主義的生産様式を支配している社会的富は、『巨大な商品のかたまり』として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。われわれの研究は商品の分析から始まる」(52p)。
とんだ文章である。そもそも、社会的富が資本主義的生産様式を支配する、などということは何処から出てくる寝言なのか? 『巨大な商品のかたまり』という大岩石はどうやって作られ現れるのか? そんなでかいことを指摘した以上どうして研究を「かたまり」から始めないのか? まさに、気違い沙汰の文章でとらえどころがない。これでも「博士」なのだから今の大学のレベルも急降下して低落したものだ。こんな「超訳」を読んでマルクスを勉強したなどとバンザイする学生ドモは国を滅ぼす元凶だ。
以上三件によってマルクスの難解さを求めれば、その罪はすべて大学の教授であり博士でもある日本人翻訳者にある。
日本人がこうした翻訳者の文書によってマルクスを読んできたとしたら、日本人にしてマルクスを読んだ者、学んだ者は誰一人いなかった!ということになろう。日本で資本論を読んだと吹聴したら、翻訳者の自己流で書かれたマルクス本を見たにすぎないのだ。真のマルクスはいまだ遠くかなたで待ちくたびれている、ということになる。
すべからく「直訳資本論」でマルクスに接近しようではないか。JIS 9000 を「直訳」でISO 9000の国際標準に回復させたように。
第6回 1月11日 第1節 商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)」 : 『資本論』を読む会の報告
http://shihonron.exblog.jp/3388587/
●注一【 カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、3ページ〔『全集』、第13巻、13ページ〕。】で指示されている箇所の叙述は?
「一見したところでは、ブルジョア的富は一つの巨大な商品の集まりとして現われ、一つ一つの商品はその富の基本的定在として現われる。ところがそれぞれの商品は、使用価値と交換価値という二重の観点のもとに自己をあらわしている。」
(国民文庫『経済学批判』23頁)
■第2段落について
●ここでは商品は「まず第一に、外的対象であり、その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である」と述べられている。ここで分析される商品は、「外的対象」「物」であることに注意しておこう。
●「受用」とは?
言葉の意味としては「うけいれて、もちいること」。「受用の対象」とは「消費の対象」ということだろう。
チケット売買のチケットキャンプ
(歴史的訳書は絶版等でも記載しておく。ISBNなどは第一冊のもの)
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/資本論
主な翻訳:
Karl Heinrich Marx著、今村仁司ら訳『資本論〈第1巻(上・下)〉』筑摩書房、ISBN 978-4480401144、2005年(第1巻のみの訳)
Karl Heinrich Marx著、岡崎次郎訳『資本論 (1-9)』大月書店、ISBN 978-4272802517、2000年
Karl Heinrich Marx著、向坂逸郎訳『資本論 1 -9)』岩波文庫、ISBN 978-4003412510、1969年
Karl Heinrich Marx著、資本論翻訳委員会訳『資本論 1-』新日本出版社、ISBN 978-4406008921、1982年
Karl Heinrich Marx著、資本論翻訳委員会訳『〔上製版〕資本論』新日本出版社、ISBN 978-4406025539、1997年
Karl Heinrich Marx著、中山元訳『資本論〈第1巻(1)〉』日経BP、ISBN 978-4822248789、2011年
Karl Heinrich Marx著、長谷部文雄訳『資本論(1-13)』青木文庫、上製本(全5冊)青木書店ほか
Karl Heinrich Marx著、宮川實訳『資本論(1-13)』
Karl Heinrich Marx著、河上肇・宮川實訳『資本論1(上)』改造社、(1下以降刊行できず)
Karl Heinrich Marx著、高畠素之訳『資本論(1-5)』改造社、(戦後)未来社ほか(最初の完成した翻訳)
Karl Heinrich Marx著、松浦要訳『資本論(1-2)』(2冊で中絶、翻訳の嚆矢)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現われ、個別の商品はその富の要素的形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(新日本出版社、1997年、[上製版]第一巻59頁)
ハインリッヒ新しい読み方52より孫引き
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/name/%E3%80%94%E4%B8%8A%E8%A3%BD%E7%89%88%E3%80%95%E8%B3%87%E6%
9C%AC%E8%AB%96/code/978-4-406-02553-9/
商品詳細
ISBN978-4-406-02553-9 C3333
〔上製版〕資本論
全三巻〈全5冊〉+別冊・総索引
定価37,800円(本体35,000円)1997年12月31日カール・マルクス/著日本共産党付属社会科学研究所/監修資本論翻訳委員会/訳
A5判上製箱入[分売不可] 本巻平均各770ページ,別冊232ページ
資本主義社会の生成,発展,消滅の必然性を力強く生き生きとした筆致で明らかにし,矛盾を深める現代世界の分析に確固とした指針を与えつづける『資本論』。多数の研究者の英知を集め,邦訳史上画期をなした既刊新書版を,草稿研究など最新の到達をもとに一部改訂し,大活字による上製版で刊行。克明な全巻総索引を別冊で付す。本巻平均各770ページ,別冊232ページ
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個別の商品はその富の要素的形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(新日本出版社、1997年、[上製版]第一巻59頁)
ハインリッヒ新しい読み方52より孫引き
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個別の商品はその富の要素的形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(新日本出版社、1997年、[上製版]第一巻59頁)
ハインリッヒ新しい読み方52より孫引き
https://prezi.com/m/fgqx-_8ycja9/presentation/
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)
<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(新日本出版社、1997年、[上製版]第一巻59頁)
<資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積物(1)」として現われている。
したがって、この富の要素形態である商品の分析は、われわれの研究の出発点である。
(1) カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ページ。>
(江夏美千穂、上杉聡彦訳、フランス語版資本論、1979年、法政大学出版局,3頁)@ 1872年ラシャトル版
G-W-G'が
M-A-M'という記載法になる
《資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積物(1)」として現われている。
したがって、この富の要素形態である商品の分析は、われわれの研究の出発点である。
(1) カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ページ。》
(江夏美千穂、上杉聡彦訳、フランス語版資本論、1979年、法政大学出版局,3頁)1872年ラシャトル版より翻訳
この上下巻本はアマゾンでも安くなりつつあるのでオススメ
以下、資本論フランス語(ラシャトル)版1872、本源的蓄積1:26原注にはじめて引用されたゲーテの警句、
《原注 ゲーテは、こうした子供だましに腹を立てて、次のような対話でそれを嘲弄している。
先生「お父さんの財産はどこから入ったのですか?」
小学生「お祖父さんからです」
先生「お祖父さんのは?」
小学生「ひいお祖父さんからです」
先生「じゃあ、そのひいお祖父さんのは?」
小学生「人から取ったのです(Il l'a prise)」(La 314.1,大月②933ページ、10行目)
ゲーテ『教理問答』ゲーテ全集、コッタ、1850年、第2部、276pからの引用
林直道1975年245頁より
江夏版でも無論訳されている
以下、資本論フランス語(ラシャトル)版1872、本源的蓄積1:26原注にはじめて引用されたゲーテの警句、
《原注 ゲーテは、こうした子供だましに腹を立てて、次のような対話でそれを嘲弄している。
先生「お父さんの財産はどこから入ったのですか?」
小学生「お祖父さんからです」
先生「お祖父さんのは?」
小学生「ひいお祖父さんからです」
先生「じゃあ、そのひいお祖父さんのは?」
小学生「人から取ったのです(Il l'a prise)」(La 314.1,大月②933ページ、10行目)
ゲーテ『教理問答』ゲーテ全集、コッタ、1850年、第2部、276pからの引用》
林直道1975年245頁より
江夏版でも無論訳されている
廣松資本論の哲学71頁
《『資本論』本文の冒頭は資本主義的生産様式が支配的におこなわれている社会の富は“巨大なる商品集成”として現われ、
個々の商品がその富の原基形態として現われる。われわれの研究は、だから、商品の分析を以って始まる」という有名
なー文につづけて、まずは商品を有用物、使用価値物として措定する。ところで、この有用物という規定だが·....》
川上重人『シェイクスピアは『資本論』のなかでどう描かれたか』(本の泉社)
『資本論』の中には第一巻を中心に、次の八つのシェイクスピア作品が登場する。
「ヘンリー四世・第一部」(第一巻・二カ所)
「から騒ぎ」(第一巻・二カ所)
「夏の夜の夢」(第一巻・一カ所)
「アテネのタイモン」(第一巻・一カ所)
「お気に召すまま」(第一巻・一カ所)
「ハムレット」(第一巻・一カ所)
「ヴェニスの商人」(第一巻・三カ所)
「ジョン王」(第三巻・一カ所)
(マルクス、リンク:::::::::)
川上重人『シェイクスピアは『資本論』のなかでどう描かれたか』(本の泉社)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/09/blog-post_13.html
柄谷行人氏ロングインタビュー 「ルネサンス的」文学の系譜 『定本 柄谷行人文学論集』刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
http://dokushojin.com/article.html?i=2104
シェークスピアか源氏物語か
>『資本論』はシェークスピアの引用だらけです(笑)。
川上重人『シェイクスピアは『資本論』のなかでどう描かれたか』(本の泉社)
『資本論』の中には第一巻を中心に、次の八つのシェイクスピア作品が登場する(12箇所)。
「ヘンリー四世・第一部」(第一巻・二カ所)
「から騒ぎ」(第一巻・二カ所)
「夏の夜の夢」(第一巻・一カ所)
「アテネのタイモン」(第一巻・一カ所)
「お気に召すまま」(第一巻・一カ所)
「ハムレット」(第一巻・一カ所)
「ヴェニスの商人」(第一巻・三カ所)
「ジョン王」(第三巻・一カ所)
シェークスピア
ヘンリー4世第一部
33,第四版のために
かように剣を使ったが、冥府の竜たるマルクスは「たちまち窮地」におちいって、彼の足もとに息たえたのだ!
シェークスピア
ヘンリー4世
52,1:1:1:3
商品の価値対象性は、つかまえどころがない点で、クイックリおかみ〔シェークスピアの『ウインザーの陽気な女房』や『ヘンリ四世』に出てくる人物〕と異なる。
シェークスピア
から騒ぎ
89,1:1:2
誰かここで、夜番のシーコールに教えてつぎのように語るおひとよしのドッグベリー〔シェークスピアの『むだ騒ぎ』における警吏。おろかでおせっかいな属吏のあだ名〕のことを想いださぬ人があろうか、──「男ぶりがよいということは境遇のたまものだが、読み書きができるということは生れつきだ」と。
シェークスピア
真夏の夜の夢1:1
112,1:1:3:2:a
かように、商品は貨幣を恋しているが、しかし「まことの恋路はままならぬもの」である。
シェークスピア
アテネのタイモン4:3
経哲草稿参照
136,1:1:3:3:a
九一 「黄金? 黄色い、ぎらぎらする、貴重な黄金じゃないか? ……こいつが此ッ位いありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賤も貴に、老も若に、怯も勇に変えることが出来る。……神たち、何とどうです? これ此ッ位いありゃ、神官共だろうが、お傍仕えの御家来だろうが、みんな余所へ引っばってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕を引ッこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編み上げもすりゃ、引きちぎりもする、忌しい奴を有りがたい男にもする、白癩病みをも拝ませる、盗賊にも地位や爵や介添えや名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰当りの土くれめ、……淫売め……」(シェークスピア『アセンズのタイモン』〔第四幕第三場、坪内逍遙訳による〕。)
九二 「およそ世に行なわれるもののうち、黄金ほど悪いものはない。それは国をほろぼし、人の家屋敷をうばい、また時には、徳ある人の心を動かして、邪悪な行ないになずませる。それは人々に、わる賢い鉄面皮や、どんな罪業も恥じない不信心を教える。」(ソフォクレス『アンティゴーネ』。)
九三 「貪慾はプルトーそのものを地中からひき出そうとする。」(アテナイオス『学者の饗宴』〔三九七頁〕。)
使用価値としての商品は、特殊的な慾望を充たすのであって、質料的富の特殊的な要素をなす。…
シェークスピア
お気に召すまま2:7
176,1:2:4:3
人間は、地上に現われた最初の日と同じように、いまなお毎日、生産する以前にも途中でも消費しなければならない。
(地上より世界という舞台が訳語として正確)
シェークスピア
ハムレット
286,1:3:8:5
注121
話にもならぬ統計的饒舌家たるポロニアス・アーサー・ヤング〔ポロニアスは『ハムレット』にでる人物であって饒舌な廷臣〕も、同じ考え方である。
シェークスピア
ベニスの商人
4:1
300,1:3:8:6
だが資本は〔シャイロックとともに〕答えていった、──「私のすることに不都合はない! 私が要求するものは私の権利だ! 私の証文に書いてある違約金と抵当物だ!」
シェークスピア
ベニスの商人
4:1
300,1:3:8:6
「そうです、心臓です。証文にそう書いてあります。」〔301〕
シェークスピア
から騒ぎ
446,1:4:13:4
注190
地方のドッグベリーたち
この判決は「偉大な無給者」たる地方の治安判事たちによって下されたのではなく、ロンドンで最高裁判所の一つによって下されたのである。
シェークスピア
ベニスの商人
4:1
514,1:4:13:9
三〇七 「私が生活する手段を奪うなら、お前は私の生命を奪うのだ。」(シェークスピア〔『ヴェニスの商人』、第四幕第一場〕。)
シェークスピア
ジョン王4:3
利子
461,3:5:26
今日のブルジョア世界の白痴性は、このクソ貴族たる百万長者の「論理」が全イギリスに注入した尊敬によって示される以上には、よく示されえない。
第一章商品
第一節商品の二因子 、即ち使用価値と価値 (価値の実体と価値の大小 )
資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は 『膨大なる商品集積 」 (一 )として現われ 、個々の商品はその成素形態として現われる 。故に我々の研究は 、商品の分析を以って始まる 。
(一 )拙者 『経済学批判 』 (べルリン 、一八九五年刊 、第四頁 ) 。
資本論: 高畠素之訳 1巻
資本論: 高畠素之訳 1巻2017/5/17
https://www.amazon.co.jp/dp/B071FBDSBB/
カール・マルクス、 フリードリヒ・エンゲルス
Kindle版
¥ 0
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¥ 99Kindle 価格
第一章 商品
第一節 商品の二因子 、即ち使用価値と価値 (価値の実体と価値の大小 )
資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は 『膨大なる商品集積 」 (一 )として現われ 、
個々の商品はその成素形態として現われる 。故に我々の研究は 、商品の分析を以って始まる 。
(一 )拙者 『経済学批判 』 (べルリン 、一八九五年刊 、第四頁 ) 。
資本論: 高畠素之訳 1巻2017/5/17
https://www.amazon.co.jp/dp/B071FBDSBB/
Kindle版
¥ 99Kindle
参考文献
a)マルクス『資本論』の邦訳(出版年昇順)
松浦要訳『資本論』経済社出版部、一九一九年
生田長江訳『資本論』緑葉社、一九一九年
高畠素之訳『資本論』第一-三巻、大鐙閣。而立社、一九二一-二四年
河上肇·宮川実訳『資本論』岩波書店、一九二七-二九年
長谷部文雄訳『資本論』第一-三巻、日本評論社、一九四六-四八年
向坂逸郎訳『資本論』第一-三巻、岩波書店、一九四七-五四年
岡崎次郎訳『資本論』第一-三巻、大月書店、一九六一-六四年
宮川実訳『資本論』第一-三巻、あゆみ出版、一九七七-八二年
江夏美千穂·上杉聰彦訳『フランス語版資本論』第1巻、法政大学出版、一九七九年
資本論翻訳委員会訳『資本論』第一-三巻、新日本出版社、一九八二-八九年
江夏美千穂訳『初版資本論』第1巻、幻燈社書店、一九八三年
江夏美千穂訳『第二版資本論』幻燈社書店、一九八五年
今村仁司·三島憲一 ·鈴木直訳『資本論』第1巻、筑摩書房、
中山元訳『資本論』第1巻、日経BP社、二〇一一年
マルクス研究年誌2017より
参考文献
a)マルクス『資本論』の邦訳(出版年昇順)
松浦要訳『資本論』経済社出版部、一九一九年
生田長江訳『資本論』緑葉社、一九一九年
高畠素之訳『資本論』第一-三巻、大鐙閣。而立社、一九二一-二四年
河上肇·宮川実訳『資本論』岩波書店、一九二七-二九年
長谷部文雄訳『資本論』第一-三巻、日本評論社、一九四六-四八年
向坂逸郎訳『資本論』第一-三巻、岩波書店、一九四七-五四年
岡崎次郎訳『資本論』第一-三巻、大月書店、一九六一-六四年
宮川実訳『資本論』第一-三巻、あゆみ出版、一九七七-八二年
江夏美千穂·上杉聰彦訳『フランス語版資本論』第1巻、法政大学出版、一九七九年
資本論翻訳委員会訳『資本論』第一-三巻、新日本出版社、一九八二-八九年
江夏美千穂訳『初版資本論』第1巻、幻燈社書店、一九八三年
江夏美千穂訳『第二版資本論』幻燈社書店、一九八五年
今村仁司·三島憲一 ·鈴木直訳『資本論』第1巻、筑摩書房、二〇〇五年
中山元訳『資本論』第1巻、日経BP社、二〇一一年
マルクス研究年誌2017より
資本主義的生産様式が支配的である社会の富は 、 「商品の巨大な集まり 」として現れ 、個々の商品はその富の要素形態として現れる 。それゆえ 、われわれの研究は商品の分析から始まる 。
佐々木資本論
新版 資本論 第1分冊 単行本(ソフトカバー) – 2019/9/20
カール・マルクス (著), 日本共産党中央委員会社会科学研究所 (監修)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4406063757?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4406063757
平井規之訳の誤り
マルクスは原文104頁の最後で以下のように記述し平井規之はそれを以下のように訳しているが誤りである。
デジタル化している途中で違和感を感じたので調べてみた。
私の翻訳が誤りだと言うのであれば訂正願いたい。
理由は、確かに、辞書では最初に「ふるまう」が登場するが、このように翻訳すると、まるで、マルクスが作った概念である商品が貨幣に対して特殊的商品として「ふるまう」が如き奇妙な理解に繋がるからである。
小学館独和大辞典1985年1月18日、2382頁にはverhaltenの使われ方が記載されておりその3には「関係にある」という記載があるから、この場合、「ふるまう」ではなく「特殊的商品の関係にある」という翻訳が正しい。
Da alle andren Waren nur besondre Äquivalente des Geldes, das Geld ihr allgemeines Äquivalent, verhalten sie sich als besondre Waren zum Geld als der allgemeinen Ware.
他のすべての商品は貨幣の特殊的等価物にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的等価物であるから、これらの商品は、一般的商品としての貨幣(44)にたいして特殊的商品としてふるまう。(平井規之訳)
3.Die beiden Vorgänge verhalten sich wie Ursache und Wirkung.(小学館独和大辞典1985年1月18日、2382頁)
この二つの出来事は原因と結果の関係にある。
2014年12月23日(火)午後7時53分31秒
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【思想】共産党志位委員長 構想37年ついに「マルクスの学説の到達点を鮮明にした」
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1しじみ ★2019/10/05(土) 03:26:25.13ID:IRL38NF/9>>36>>40>>42>>67>>78
■新版『資本論』刊行記念講演会開く志位氏あいさつ 不破氏が講演
日本共産党中央委員会社会科学研究所が監修し、30年ぶりに全面改訂した新版『資本論』(新日本出版社)の刊行記念講演会が20日、党中央委員会と新日本出版社の主催で東京都内で開かれました。志位和夫委員長が党中央を代表してあいさつ。不破哲三・社研所長が新版の特徴と意義を「『資本論』編集の歴史を踏まえてマルクスの学説の到達点を鮮明にした」と語りました。
志位氏は新版について、1980年代に刊行された訳書から30年間に、マルクスの残した膨大な草稿の主要な部分が日本語訳で刊行されるなど新しい条件が生まれたもとで、エンゲルスの編集の問題点も検討し、訳語・訳文・訳注の全体にわたる改訂を行ったと語りました。
志位氏は「新版の刊行によりマルクスが到達した理論的立場の全体像が奥行きをもって立体的につかめるようになった」と強調。一例として、党綱領が、当面する経済の民主的改革として掲げる「ルールある経済社会」づくりを挙げ、「『資本論』には綱領のこの方針の基礎となる大事な解明が随所にちりばめられています」とのべ、資本は最大の利潤を上げるためには労働時間の最大限の延長を追求すること、これを食い止めるには社会による「強制」によって労働時間を規制するしかなく、資本の民主的規制が避けて通れないと述べている(第一部「労働日」の章)ことなどを詳しく紹介しました。
志位氏は、マルクスの資本主義観と革命観を大きく変えた「恐慌の運動論」の発見がエンゲルスの編集では利用されなかった問題があったが、新版では、マルクスの恐慌論の到達点の全体が読めるようになったことや、未来社会論の核心部分を語った論述についてしかるべき位置に移し、その意義が明瞭になるようにするなど、「新版『資本論』のもつ意義はきわめて大きい」と語り、「マルクスを学び、研究する多くの方々がぜひとも新版を活用していただきたい」と呼びかけました。
不破・社研所長は、まず、マルクスが最初の草稿にかかってからエンゲルスの編集で最後の巻が出るまでの37年間の歴史を紹介、その間、マルクスの構想に大きな転換が起こったことを解明しました。この転換の中心点は、資本主義の没落のとらえ方にかかわるものです。
それまでマルクスは、利潤率の低下が恐慌を引き起こし革命を必然とするという理論に立っていたが、1865年、『資本論』第二部の草稿執筆に取り組む中で、恐慌が別の仕組みで起こることを発見。そこから、『資本論』の新たな探究が始まり、資本主義の搾取と抑圧のもとでの労働者階級の成長とたたかいこそが資本主義没落の推進力となるという新しい没落論を展開したのでした。
続いて不破氏は、悪条件のもとで、残されたマルクスの草稿から『資本論』第二部、第三部の編集にあたったエンゲルスの活動を振りかえり、苦闘の様子を紹介しながら、そこに歴史的限界が残されたことを率直に指摘し、エンゲルス編集の問題点を解決したところに新版『資本論』の重要な意義があると強調しました。
不破氏が指摘した問題点の第一は、マルクスが1865年に恐慌の運動論を発見し、利潤率の低下が恐慌と革命を生み出すという「没落論」を過去のものにしたことに気づかず、古い「没落論」を第三部にそのまま残したことです。
不破氏は、エンゲルス編集に残されたその他の点にもふれながら、これらについて訳注でマルクスの理論的到達をより鮮明にしたと報告。「その立場で翻訳・編集した『資本論』新版の刊行はこれまで世界に例がないものだが、これをやり遂げることは、マルクス・エンゲルスの事業の継承者としての責任・義務であると考えてこの仕事にあたってきた」と結んで大きな拍手をあびました。
萩原伸次郎・横浜国立大学名誉教授が「21世紀のいま、なぜ新版『資本論』を学ぶのか」を語り、山口富男・社研副所長が大幅に増えた訳注などを具体的に紹介しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-21/2019092101_02_1.jpg
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-21/2019092101_02_1.html
新版 資本論 第1分冊 単行本(ソフトカバー) – 2019/9/20
カール・マルクス (著), 日本共産党中央委員会社会科学研究所 (監修)
5つ星のうち4.7 8個の評価
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商品の説明
内容紹介
1980年代にほぼ10年の歳月をかけて刊行し、高い評価を受けた社会科学研究所監修の『資本論』。その完結から30年──『資本論』諸草稿の刊行と研究を踏まえ、訳文、訳語、訳注の全体にわたる改訂を行なった画期的な出版。マルクスの研究を歴史的に探究する角度から大きな前進を遂げた『資本論』研究の成果をあますところなく反映した注目の新版、いよいよ刊行開始!
内容(「BOOK」データベースより)
新書版完結から30年―『資本論』諸草稿の刊行と研究の発展を踏まえ、エンゲルスによる編集上の問題点も検討し、訳文、訳語、訳注の全体にわたる改訂をおこなった。マルクス自身の研究の発展史を余すところなく反映した画期的内容で刊行する。マルクス自身の研究の発展史を反映した新編集版!全12分冊を隔月で刊行。
登録情報
単行本(ソフトカバー): 272ページ
出版社: 新日本出版社; 新版 (2019/9/20)
言語: 日本語
ISBN-10: 4406063757
ISBN-13: 978-4406063753
発売日: 2019/9/20
梱包サイズ: 21 x 15 x 1.8 cm
おすすめ度: 5つ星のうち 4.7 5件のカスタマーレビュー
mountainside
ベスト50レビュアー
5つ星のうち5.0新書版の改訂版!
2019年9月20日
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日本共産党中央委員会社会科学研究所監修の『資本論』改訂版である。冒頭の訳は、諸社会の富は「商品の巨大な集まり」であると訳している。「巨大な」の意味は、「膨大な」という意味であろう。数えきれないほど沢山の商品の集積が資本主義社会の特徴であることを表現している。そのため、『資本論』は商品の分析から始めるというのである。そして「価値」と「使用価値」が定義され、例示される。この訳が特別優れているという印象は特にない。読みやすさも普通である。訳としては、向坂逸郎訳の岩波文庫版と岡崎次郎訳国民文庫版が読みやすさと入手しやすさで一般的に膾炙している。では本書はどうか。まずは、共産党員にとっての『資本論』の学習版であるということだ。日本共産党の立場を明確にした訳が必要なのだ。そういう意味において、本書は共産党員の『資本論』学習会のテキストとして使用される訳なのであろう。
しかし、それ以上の意味はないのではないか。読者は向坂訳と岡崎訳と本書を読み比べてみるとよい。大きな違いがないことに気づかれることであろう。改訂版ではなく、完全な新訳版を見たかった。
しかし、本書はドイツ語で読みたいと思う人にも役立つこと間違いない。お勧めの一冊だ。
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我が亡き後に洪水よ来たれ - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/我が亡き後に洪水よ来たれ
カール・マルクスは『資本論』第1部「資本の生産過程」第3篇「絶対的剰余価値の生産」 第8章「労働日」において、この言葉に言及し、「"大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!" これが ...
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カール・マルクスは『資本論』第1部「資本の生産過程」第3篇「絶対的剰余価値の生産」第8章「労働日」において、この言葉に言及し、「"大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!" これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」と述べた[10]。
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[10]^ カール・マルクス、資本論翻訳委員会 訳『資本論(第二分冊)』新日本出版社〈新日本新書〉、464頁。
2通りの解釈-起源-ダムバスターズ
Karl Marx wrote in Das Kapital (Vol. 1, Part III, Chapter Ten, Section 5) "Après moi, le déluge! is the watchword of every capitalist and of every capitalist nation. Hence Capital is reckless of the health or length of life of the labourer, unless under compulsion from society."[5]
„Nach uns die Sintflut“ ist ein geflügeltes Wort, das Gleichgültigkeit gegenüber Zukünftigem zum Ausdruck bringen soll. Die Redensart ist auch in der Singularform „Nach mir die Sintflut“ gebräuchlich.[1] Entsprechend schreibt Karl Marx in Das Kapital. Band I (1867): „Après moi le déluge! ist der Wahlruf jedes Kapitalisten und jeder Kapitalistennation.“[2]
「我が亡き後に洪水よ来たれ」(わがなきあとにこうずいよきたれ[1]、フランス語: Après nous le déluge / Après moi le déluge)は、フランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人の言葉とされる、もともとはフランス語の語句[2]。日本語では、「わが亡きあとに洪水はきたれ」[3]、「我亡き後に洪水は来たれ」[4]、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ」[5]、などとも訳され、「アプレ・モア・ル・デリュージュ」と音写されることもある。
マルクス主義はなぜ中国で勝利を成し遂げたか - 理論中国-最新情報
jp.theorychina.org/xsqy_2477/.../t20180808_366412.shtml
マルクス主義は人民の理論だ。 ... その実践性は、マルクス主義が空想の理論ではなく、空談の理論 .... 人は青年共産主義者である陳望道氏だ、『資本論』を始めて翻訳した ... 間、戦争の隙間に『共産党宣言』『反デューリング論』『国家と革命』『 ...