金曜日, 1月 30, 2015

チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考

    (リンク::::::::::ドゥルーズノート
NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_57.html(本頁)以下リンクは別頁へ
目次☆☆、→シネマ1シネマ2アンチ・オイディプス千のプラトー
0=はじめに、
  序 論:反復と差異
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復
3=第3章:思考のイマージュ
4=第4章:差異の理念的総合
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合
6=結 論:差異と反復

  チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』  
             ______|________はじめに:
        差異__|__反復             |/同一性
     ___|__     |
序論:    差異の哲学 / の哲学
    |      |  反復と差異     ハイデガー/|ヘーゲル
 一: |      |  __|_反復と         |美しき魂
 それ自身における差異| |   一般性の区別 反復=イデア|
    |      | |  __|__    普遍性  |
 ショーペンハウアー | | |  |  |  一 | 特 |
    |      | |行動  法  概念・
般ー十ー殊 |
    | アリストテレス|    /  |  性 | 性 |
    |   類的差異、|キルケゴール_|_  単独性  |
    |  カテゴリーと|    _|_  |      |
    |   種的差異 |   |   | 留保(阻止) |
    |      | |  着衣___裸        |
 一義性と差異    |(時間)リズム| 拍子(空間)   |
 スコトゥス、    | |     |          |
 スピノザ、     | |   二:|     ヒューム |
 ニーチェ      | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
    | ライプニッツ |___時間の総合 デカルト   |
    |ヘーゲル、カント      |    カント   |
    |______|      現在__過去__円環  |
       |     マルクス  |   |   |  |
     ハイデガー   フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
 プラトン『ソピステス』    見せかけ   |______|デカルト
       |     理念     ベルクソン|   カント
 四:差異の理念的総合 =多様体  三:思考のイマージュ プラトン
    カント|_________________|障害としての諸公準
 ライプニッツ         |         /自然的or哲学的
 微分 ベルクソン 五:感覚されうるものの___    
   潜在的      非対称的総合      |      表象批判
  可 |
 実   他者 /良識、共通感覚  結論:差異と反復 存在=
  能-+-在    ダーウィン           ニーチェ 差異
  的 |
 的 個体的差異 個体化 強度の  一義性を永遠回帰における
   現働的   強度的 巻き込み  特徴   反復として実現すること


差異と反復4より    
               現働的      
             可能的+実在的  
               潜在的      

      _____________________
     /                     \
   A(                       )B 記憶の全体、過去
     \_____________________/
      \                   /
       \ _______________ /   従来の心理学、哲学で無視されがちな、 
      A' (               )  B' 精神生活の無数の反復及び、
         \_____________/      無数の切断面
          \           /
記憶全体       \ _______ /
          A'' (_______)B'' 無数の切断面
             \自我の運動 /     
       _______\ ↑↓  /________P 現実的表象を現す運動平面         
      /        \ ↑↓ /身体の形象   /             
     /          \/        /   
    /             S 現在の知覚  /    
   /____________________/
  ベルクソン『物質と記憶』における知覚と記憶、円錐モデル


Amazon.co.jp: 差異と反復〈上〉 (河出文庫): ジル ドゥルーズ, Gilles Deleuze, 財津 理: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4309462960


形式: 文庫
「アンチ・オイディプス」以前のドゥルーズの著作の中で、中心的な位置を占める作品である。

翻訳は、非常に読み易く、流動的と言われるドゥルーズの文体を良く活かしていると思われる。
勢いに乗れば、一気に読み進むことが出来ると思う。プラトン、アリストテレス、デカルト、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、フロイトといった哲学者が絶えず参照されるが、全てを知っている必要はなく、だいたいこんなことを言っていたな、ということが分かれば良いという程度の知識で十分です。
また、訳者による注が充実していて、読み進める上で非常に参考になります。むしろ、訳者の懇切丁寧な注がなければ、読み切ることは難しかったかもしれません。

スタイルとしては、哲学史を批判的に検討する中で、自身の哲学を展開するという形をとり、全体がニーチェ哲学(運動性、多様性、肯定性、そして永遠回帰)の解釈といった趣きである。
差異が運動を産み、運動が差異を産む、多様性に満ちた、潜在的な、ディオニュソス的な世界・・・
表象=再現前化が、意味、概念、体系を構築する以前の、剥き出しにされた裸形の世界が、世界観として提示される。
そして、プラトン、デカルト、カント、ヘーゲルといった哲学者達が批判的に検討され、同一性の哲学として解体されていく。表象=再現前化の哲学は、差異を同一性に従属させようとするが、同一化される以前、同一性の底には、概念化され得ない差異がひしめいている。
永遠回帰の思想は、選別する思想であり、全てが還帰することによってしか存在しないという世界の中で、同一性を破壊し、そして起源も根拠も破壊し、偶然を、多様を、差異を肯定する。
「永遠回帰は、肯定する力である」p182
「永遠回帰の基体は、同じものではなく、異なるものであり、似ているものではなく、類似していないものであり、一ではなく、多であり、必然性ではなく、偶然である」p197
ドゥルーズの世界観の提示の仕方は、二パターンある。
一つは、過去の哲学者達の考え方を、一つ一つ俎上に載せながら、各個に撃破していく方法だ。
そしてもう一つは、多様体の側から、潜在性から、いかにして差異化=微分化して現実化が起きるのか、という方法だ。

 過去の哲学者達(同一性に拠って哲学を確立させた)は、感性から想像へ、想像から記憶へ、記憶から思考へと向かって、構築を行ってきたが、ドゥルーズはそれらの能力の限界を暴露することによって、能力の底に潜在的に潜んでいる、差異を解放する。デカルトが明晰判明な理性に基づいて哲学を築き上げた時、理性の光は何によって根拠づけられていたか?前提を遡って行けば、人間が元々持っている理性を無条件に信頼しているという場面に辿りつく。良識が公平に分配されているというが、良識は、共通の尺度でもって媒体を設定し、中間項を設けて世界を平板化する。p337
カントの認識論は、諸カテゴリーの中で、それぞれのカテゴリーに対応するように、対象を振り分け、一つの固定的なイメージを造り上げなかっただろうか?一つの観念なり概念は、諸能力によって総合的に合成されるのではないだろうか?

Amazon.co.jp: 差異と反復〈下〉 (河出文庫): ジル ドゥルーズ, Gilles Deleuze, 財津 理: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4309462979/

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投稿者 ホッケ太郎 投稿日 2010/8/21
形式: 文庫
多様性とは?
一つの問題を設定するということは、一つの解を導く。いわば、問題を設定すれば、その解が何であるかということは、問題の設定の中に含まれている。問題を設定するに当たっては、複数の問題を設定していくことが出来る。一つの問題と解が作り出す世界観。それが複数であれば、複数の世界観が成立するということになる。そして、一つの問題と解から、別の問題と解に移行することも出来る。これが流動性と運動性である。
 この世界は生成変化してやまない流動的な世界であり、同一性の存続を許さない。同一性は、永遠回帰の選別する力によって、ふるいにかけられ、破壊される。そして差異に溢れた流動する生成変化する世界が描き出される。
 これほど躍動感に満ち、読み解いていくことが楽しい哲学書を私はこの書物以外に知らない。





■[Gilles Deleuze]ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」より抜粋
ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」(聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12
〈マルクス〉
私は共産党に入ったことは一度もありません。(精神分析を受けたことも一度もありません。そういったことはすべて免れました。)60年代以前は、自分をマルクス主義者だと思ったこともありません。共産党員にならなかったのは、党が党員の知識人に何をさせていたかを見て知っていたからです。
当時私がマルクス主義者でなかったわけは、つきつめればマルクスを知らなかったからだということもことわっておかなければなりません。
マルクスを読んだのはニーチェと同じ時期でした。素晴らしいと思いました。彼の生み出したさまざまなコンセプトは、私にとって今でも役立つものです。そこにはひとつの批判、根本的な批判が存在しています。『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に完全に貫かれた作品です。現在私は、自分を完全にマルクス主義者だと考えています。例えば、「管理社会」について書いた記事は(月刊ロートル・ジュールナル1号 1990年5月号に掲載、ミニュイ社刊『記号と事件』に収録、邦訳河出書房新社)、マルクスが彼の時代には知りえなかったことを語っているにもかかわらず、完璧にマルクス主義的なテクストです。
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。
〈著作〉
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。
〈絵を描くこと〉
私は今もう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を描くでしょう。


記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)のp.21

「一冊の本を読むには二通りの読み方がある。一つは本を箱のようなものと考
え、箱だから内部があると思い込む立場、これだとどうしても本のシニフィエ
を追い求めることになる。・・・こうして注釈が行われ、解釈が加えられ、説
明を求めて本についての本を書き、そんなことが際限なくつづけられるわけだ。
 もう一つの読み方では、本を小型の非意味機械と考える。そこで問題になる
のは『これは機械だろうか。機械ならどんな風に機能するのだろうか』と問う
ことだけだろう。読み手にとってどう機能するのか。もし機能しないならば、
何も伝わってこないならば、別の本にとりかかればいい。・・・説明すべきこ
とは何もないし、理解することも、解釈することもありはしない。電源に接続
するような読み方だと考えていい。」

フーコー思考集成3
80 劇場としての哲学 
蓮実重彦訳 (文庫フーコーコレクション3:299頁)
「わけても偉大なものとみえる二冊の書物、『差異と反復』と『意味の論理学』について語らねばならない。たぶんあまりの偉大さ故にであろう、それを語るのは至難の業だし、また、語ってみせたものもほとんどいはしない。思うに、この著作は、他を圧する比類なきいま一つの徴候たるクロソフスキー(ママ)のそれと謎めいた共鳴を響かせつつ、ながらく人びとの頭上を旋回するであろう。だがおそらくはいつの日か、時代はドゥルーズ的なものとなっていよう。…」
(Theatrum philosophicum 「クリティック」誌、282号、1970年11月)

http://1libertaire.free.fr/MFoucault244.html
Theatrum philosophicum

Michel Foucault

« Theatrum philosophicum », Critique, no 282. novembre 1970, pp. 885-908. (Sur G. Deleuze, Différence et Répétition. Paris. PUF, 1969, et Logique du sens, Paris, Éd. de Minuit, coll. « Critique », 1969.)

Dits Ecrits tome II texte n°80

Il me faut parler de deux livres qui me paraissent grands parmi les grands : Différence et Répétition, Logique du sens. Si grands sans doute qu'il est difficile d'en parler et que peu l'ont fait. Longtemps, je crois, cette oeuvre tournera au-dessus de nos têtes, en résonance énigmatique avec celle de Klossowski, autre signe majeur et excessif. Mais un jour, peut-être, le siècle sera deleuzien. …

////////

最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能-+-在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   反 復
  一 | 差
  般-+-
  性 | 異
   一義性
ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。

簡易目次
はじめに、
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復


『差異と反復』
http://www.arsvi.com/b1900/6800dg.htm

■Deleuze, Gilles 1968 Différence et répétition, Presses universitaires de France. =19921125 財津 理 『差異と反復』,河出書房,525p. ISBN-10: 4309230296 ISBN-13: 9784309230290 \5800 
()内の固有名は引用者のメモ

■目次
 はじめに             (ハイデガー、ボルヘス)

序論 反復と差異

 反復と一般性――行動の視点からする第一の区別
 一般性の二つのレヴェル――類似の等しさ
 法則の観点からする第二の区別
 反復、自然の法則と道徳法則
 
 キルケゴール、ニーチェ、ペギーによる、反復の哲学プログラム
 
 反復と一般性-概念の視点からする第三の区別
 概念の内包と「阻止」の現象
 「自然的阻止」の三つの事例と反復――名目的諸概念、自然の諸概念、自由の諸概念
                      (カント『プロレゴメナ』)
 
 反復は概念の同一性によって説明されず、否定的でしかない条件によっても説明されないということ
 「死の本能」の諸機能――差異との関係における、そして一つの定立的な原理を要請する者としての、反復(自由の諸概念の例)               (フロイト)
 
 二つの反復――概念の同一性と否定的条件による反復、差異による、そして《理念(イデア)》における過剰による反復(自然的諸概念と名目的諸概念の例)   (レヴィ・ストロース、図形*、リズム、/ ペギー、ルーセル **)
 反復における裸のものと着衣のもの     (タルド)
 
 概念的差異と概念なき差異         (カント、ライプニッツ)
 しかし、差異の概念(《理念(イデア)》)は、概念的差異に還元されることはなく、同様に、反復の定立的な本質は、概念なき差異に還元されることはない

第一章 それ自身における差異

 差異と暗い背景
 差異を表象=再現前するということは必要なのだろうか。表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根)
 幸福な契機、差異、大と小
 
 概念的差異、最大かつ最高の差異
 アリストテレスによる差異の倫理学、および、差異の概念と概念的差異の混同
 種的差異と類的差異
 四つのアスペクト、あるいは差異の従属――概念の同一性、判断の類比、諸述語の対立、知覚されたものの類似
 差異と有機的な表象=再現前化
 
 一義性と差異
 配分の二つのタイプ
 一義性と類似の和解不可能性、
 一義的なものの三つの契機――スコトゥス、スピノザ、ニーチェ
 永遠回帰における反復は存在の一義性の定義である
 
 差異とオルジックな表象=再現前化(無限大と無限小)
 理由としての根拠
 ヘーゲルによる差異の論理学と存在論――矛盾
 ライプニッツによる差異の論理学と存在論――副次的矛盾(連続性と不可職別者)
 差異のオルジックなあるいは無限な表象=再現前化は、前述の四つのアスペクトから、どうして免れていないのか
 
 差異、肯定と否定
 否定的なものの錯覚             (<ヘーゲル>、ニーチェ)
 否定的なものの排除と永遠回帰        (カント、ヘルダーリン)
 
 プラトンによる差異の論理学と存在論
 分割の方法と諸形態――要求者たち、テスト―根拠、問い―問題、(非)―存在、および否定的なものの身分
                       (プラトン『ソピステス』、ハイデガー)
 差異の問題において決め手となるもの――見せかけ(シミュラクル)、見せかけ(シミュラクル)の抵抗
                       (マラルメ、ジョイス)


第二章 それ自身へ向かう反復

 反復、それは、何かが変えられること       (ヒューム)
 時間の第一の総合――生ける現在         (ベルクソン)
 ハビトゥス、受動的総合、縮約、観照
 習慣の問題                   (タルド)
 
 時間の第二の総合――純粋過去
 《記憶》、純粋過去、そして諸現在の表象=再現前化
 過去の四つのパラドックス
 習慣における反復と記憶における反復
 物質的反復と精神的反復
 
 デカルト的コギトとカント的コギト、未規定なもの、規定作用、規定されうるもの
 ひび割れた《私》、受動的な自我、そして時間の空虚な形式
 記憶の不十分な点、時間の第三の総合
 時間の、形式、順序、相対、セリー        (キルケゴール)
 第三の総合における反復――欠如によるその条件、変身のその作用者、その無条件な特徴
                         (クロソウスキー、<ニーチェ>、ヘルダーリン)
 永遠回帰における反復という観点からする、悲観的なものと喜劇的なもの、歴史、信仰
                         (マルクス、ヘルダーリン)

 反復と無意識――『快感原則の彼岸』       (フロイト)
 第一の総合と拘束――《ハビトゥス》
 第二の総合――潜在的な諸対象と過去       (ラカン、ベルクソン)
 エロスとムネモシュネ
 反復、置き換えと偽装――差異
 無意識の本姓に関する諸帰結――セリー状の、差異的=微分的な、そして問いかけ的な無意識
 第三総合あるいは第三の「河岸」に向かって――ナルシシズム的自我、死の本能、そして時間の空虚な形式
 死の本能、対立と物質的反復
 死の本能と永遠回帰における反復         (ブランショ、くじ引き、ボルヘス)

 類似と差異
 システムとは何か
 暗き先触れと「異化させるもの」
 文学的システム
 幻想(ファンタスム)あるいは見せかけ(シミュラクル)、および差異に対する同一的なものの三つの形態

 プラトン主義の真の動機は、見せ掛け(シミュラクル)の問題の中にある
 見せ掛け(シミュラクル)と永遠回帰における反復   (プラトン『ソピステス』)
第三章 思考のイマージュ

 哲学における前提の問題                 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利       (ニーチェ)

◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想           
◯第三の公準――再認というモデル
 思考とドクサ                      (ベルクソン、カント)
 カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント

 諸能力の差異=微分的理論
 諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
 プラトン哲学の両義性                  (プラトン『国家』)
 思考するということ――思考におけるその発生       (ハイデガー、アルトー)

◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの        (プラトン『テアイテトス』)
 愚劣の問題                  (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)

◯第六の公準――指示の特権                (ラッセル)
 意味と命題                  (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
 意味のパラドックス                   (ルイス・キャロル)
 意味と問題 
◯第七の公準――解の様相
 新理論における解の錯覚
 問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性  (プロクロス)

 「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
 差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約   (ニーチェ、プラトン『メノン』)


第四章 差異の理念的総合

 問題的な審廷としての理念             (カント)
 未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用――差異

 微分                       (ヘーゲル、ライプニッツ)
 量化可能性、および規定可能性の原理        (ニュートン)
 質化可能性、および相互規定の原理         (マイモン)
 ポテンシャリティ、および十分な規定作用の原理(セリー的形式)  (ロンスキ、ラグランジュ、カルノー)

 微分法において無限小が無用であること       (カルノー、<ポアンカレ>)
 〈差異的=微分的〉と〈問題的〉
 問題の理論――弁証法と科学

 《理念(イデア)》と多様体     (フッサール、リーマン)
 諸構造――それらの基準、諸《理念(イデア)》のタイプ    (パルメニデス、エピクロス、ニュートン、マルクス)
 副次的矛盾の方法――特異なものと正則なもの、特別なものと通常のもの      (シェリング、ヘーゲル)

 《理念(イデア)》、そして諸能力に関する差異的=微分的理論   (マイモン、カント)
 問題と問い             (ジョイス、『オデュッセイア』、プルースト、プラトン『パルメニデス』)
 命令と遊び=賭け          (ライプニッツ、レーモン・ルーセル、ブランショ、ニーチェ)

 《理念(イデア)》と反復      (ハイデガー、ブランショ)
 反復、特別なものと通常のもの    (ハイデガー、ニーチェ)
 否定的なものという錯覚
 差異、否定と対立                (アルトー、ギヨーム)
 否定的なものの発生               (ヘーゲル、マルクス)

 《理念(イデア)》と潜在性                (プルースト、デカルト)
 潜在的なものの実体性――<スベテノ仕方デ・・・・・・存在者>  (<デカルト>)
 差異化=微分的な無意識、あるいは対象の二つの半身
 半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
 潜在的なものと可能的なものの区別             (ベルクソン)
 差異的=微分的な無意識、あるいは判明で―曖昧なもの

 《理念(イデア)》の現実化のプロセスとしての異化=分化  (<時-空>的力動、ベーア)
 力動あるいはドラマ
 ドラマ化の普遍性               (リラダン、ニーチェ)
 (差異/異)化=(微分/分)化という複雑な基礎概念


第五章 感覚されうるものの非対称的総合

 差異と雑多なもの            (カルノー、キュリー)
 差異と強度               (ノヴァーリス)

 差異の取り消し
 良識と共通感覚             (カルノー、ヘーゲル)
 差異とパラドックス

 強度、質、広がり――取り消しの錯覚   (レオン・セルム、カルノー、クラウジウス)
 深さあるいはスパティウム        (カント)

 強度の第一の特徴――即自的に不等なもの
  数における不等なものの役割      (プラトン『ティマイオス』)
 第二の特徴――差異を肯定すること
  否定的なものという錯覚
  感覚されうるものの存在
 第三の特徴――巻き込み
  本性上の差異と程度上の差異
  エネルギーと永遠回帰
  永遠回帰における反復は、質的なものでも延長的なものでもなく、強度的なものである  (ニーチェ、パスカル)

 強度と微分
 《理念(イデア)》の現実化における個体化の役割
 個体化と異化=分化
 個体化は強度的である                 (ダーウィン)
 個体的差異と個体化の差異
 「交錯」、「巻き込み」、「繰り広げ」         (ルクレティウス、ライプニッツ)

 システムの進化
 包み込みの中心
 個体化のファクター、《私》と《自我》
 心的なシステムにおける他者の本性と機能

結論 差異と反復

 表象=再現前化批判
 有限か無限かという二者択一は無益であること       (ヘーゲル、ライプニッツ)
 同一性、類似、対立、そして類比――それら(四つの錯覚)はどのようにして差異を裏切るのか
 しかし、同一性、類似、対立、そして類比は、どのようにして反復をも裏切るのか

 理由としての根拠――その三つの意味
 根拠から無底へ                (ムネモシュネ、アリストテレス、<フローベール>、カント、デカルト)
 非人称的な個体化と前個体的な特異性      (シェリング、ショーペンハウエル)

 見せかけ(シミュラクル)
 《理念(イデア)》と問題に関する理論
 《他者》
 遊び=賭けの二つのタイプ――それらの特徴   (パスカルの賭け、プラトン的籤、ライプニッツ的チェスゲーム、ニーチェ)
 カテゴリー批判                (カント、ホワイトヘッド)

 反復、同一的なもの
 二つの反復
 病理学と芸術、常同症とリフレーン――すべての反復の共存の場所としての芸術
 存在論的な、第三の反復へ向かって

 時間の形式と三つの反復
 第三の反復の選別的な威力――永遠回帰とニーチェ(見せかけ(シミュラクル)たち)
 還帰しないもの
 《同じ》ものの三つの意味――存在論、錯覚、そして誤謬
 存在の類比と表象=再現前化、存在の一義性と反復


http://homepage1.nifty.com/pdo/time4.htm


最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章(下巻)を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能一十一在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   反 復
  一 | 差
  般一十一
  性 | 異
   一義性
以下のようにも書ける(第四章、ドラマ化の普遍性、単行本331頁)。
   思考力
    十

   想像力
「潜在的なものをその反復の基底まで追及してゆくのが思考の仕事であるならば、現実化のもろもろのプロセスをそのような繰り返しあるいは反響という観点から把握するのは想像力の仕事である。」

ちなみに本書はドゥルーズの初期集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』*の後半部分が最適(後に共闘するガタリは上記図を全面展開していることからもわかるように本作は後期作品にも繋がる)。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。

簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ    ___上/下巻
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復


1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«I.De Hume à Bergson/II.Etudes classiques/III.Etudes nietzschéennes/IV.Critique et clinique/V.Esthétique/ VI.Etudes cinématographiques/VII.Etudes contemporaines/VIII.Logique du sens/IX.LAnti-Œdipe/X.Différence et répétition/XI.Milleplateaux.»

Oeuvre de Deleuze - L'esprit deleuzien
http://www.espritdeleuzien.com/ressources/oeuvre-de-deleuze/
Le critère de Deleuze 

David Lapoujade évoque un projet de bibliographie rédigé par Deleuze vers 1989, dans lequel le philosophe « a repris et classé l'ensemble de ses travaux, y compris les livres, selon une série de thèmes généraux » :
  1. De Hume à Bergson
  2. Etudes classiques
  3. Etudes nietzschéennes
  4. Critique et clinique
  5. Esthétique
  6. Etudes cinématographiques
  7. Etudes contemporaines
  8. Logique du sens
  9. L’Anti-Œdipe
  10. Différence et Répétition
  11. Mille plateaux
Deleuze distingue nettement l'ensemble de ses études thématiques et quatre livres dans lesquels il développe directement un nouveau point de vue philosophique. Ces quatre livres peuvent être à leur tour distingués : 
  • Différence et Répétition (1968), la thèse principale en Philosophie de Deleuze, et Logique du sens (1969), qui marquent l'aboutissement d'une première période dans l'oeuvre deleuzienne. 
  • L'Anti-OEdipe (1972) et Mille plateaux (1980), les deux tomes de Capitalisme et schizophrénie, écrits en collaboration avec Félix Guattari. 
TFCムービーズ#002:概論

■ジル・ドゥルーズ+カトリーヌ・クレマン「ドゥルーズのABC―動物のA」
[名称] 「動物」について
[時代・地域] 1988-89年 フランス
[分類]  概論
Deleuze and Guattari, Web Resources
http://www.langlab.wayne.edu/CStivale/D-G/index.html

Stivale - Deux regimes de fous, Table of Contents
http://www.langlab.wayne.edu/CStivale/D-G/TwoRegimesTOC.html


http://plaza.rakuten.co.jp/devenir/diary/200107180000/
ドゥルーズの著作は数多くありますが、便宜的に大きく5つに分類してみます。

(1)哲学史家としての専門的な研究
(2)独創的な思想家としての著作
(3)フェリックス・ガタリとの共著。
    *ちなみにドゥルーズの絢爛たる才能は彼とのコラボレーションによって
     花開いたと言うことができます。
(4)芸術論。晩年の映画論や絵画論。およびカフカやプルーストを論じた批評的著作。
(5)その他(対談など)。

/////////

前にも指摘したが、弁証法は修辞学・レトリックであって論理学ではない。
また、柄谷『世界史の構造』第一部は吉本が料理し切れなかった素材を扱っている。

柄谷の交換図は自由と平等のベクトルを交差させてつくられる。
初歩的な論理学だが極めて強力だ。

例えば、A.Oの以下の図も柄谷の交換図に対応させた方がわかりやすい。

          ↓

 専制君主  大地  
-----十----- 平等
貨幣=資本  CsO
    自 由   (パラノ↘︎)

自由とは地域通貨=貨幣発行権のこと
平等とは、、、

【玩具】黒ひげ危機一発 : 初音ミクや「艦これ」の島風が黒ひげに [2/19]©2ch.net

15 Comments:

Blogger yoji said...


http://d.hatena.ne.jp/clinamen/touch/searchdiary?word=*%5B%A5%E1%A5%E2%5D&of=20

更新を終えて布団に入ってから、ジル・ドゥルーズがヴォルテールについて語った言葉を思い出した。

ロベール・マジオリ(聞き手)――(中略)ライプニッツのことは誰でも知っているとはいえ、それは『カンディード』経由の理解にすぎないし、「考えうるかぎりで最良の世界」という言葉をヴォルテールが嘲笑したから、ライプニッツが知られているにすぎないのです。この質問はほんの冗談だと思って聞いていただきたいのですが、こんなふうに愚弄されると、哲学者の名声に傷がつくものなのでしょうか。
ジル・ドゥルーズ――そうはおっしゃいますが、ヴォルテールもれっきとした哲学者なのだし、『カンディード』はとても重要なテクストなのですよ。ライプニッツからヴォルテールに移りかわるところで演じられたのは、思想史でも特に重要なターニングポイントです。ヴォルテールは啓蒙の光を一身に体現している。つまり光の体制そのもの、そして物質と生命の体制、さらには理性の体制がほかならぬヴォルテールなのであり、これがバロックの体制とはまったく違うものになっているわけです。ライプニッツがこの新しい時代を準備したのだとしても、大筋は変わりません。新しい時代になって神学的理性が崩壊し、理性は純然たる人間的理性に変貌するからです。しかし、バロックそのものが、すでに神学的理性の危機をあらわしていた。つまりバロックとは、崩壊しつつある世界を再構築する最後のこころみだったのです。分裂病の定義もこれとやや似たかたちでなされているし、いわゆるバロック型の舞踏と分裂病患者の姿勢が対照されたことすらあるのです。しかし、自分たちの世界は考えうるかぎりで最良の世界だ、とライプニッツが語るとき、この「最良」は古典主義時代の善にとってかわり、まさに善の破綻を前提にしているのだということを忘れてはならない。自分たちの世界が最良のものであるのは、それが善に支配されているからではなく、新しいものを産み出し、それを受けいれるのに適しているからだ。ライプニッツはそう考えるわけです、とても面白い考え方だし、ヴォルテールにしても、まさかこの考え方を拒絶することはないでしょう。ふつうライプニッツのオプティミズムとされているものとは似ても似つかない考え方です。それどころか、ライプニッツの場合、進歩の可能性はことごとく劫罰をめぐるバロック的な考え方にその根拠を置いている、つまり考えうるかぎりで最良の世界の出現は、劫罰を約束された者によって支えられているのです。なぜそうなるかといえば、劫罰を運命づけられた者はみずから進歩をあきらめ、またあきらめることによって果てしなく大量の「進歩性」を解き放つにいたるからです。この点からすると、ベラヴァルのすぐれた翻訳で読むことのできる「哲学者の信仰告白』はじつにすばらしい文章だといえます。この本にはベルゼブルの歌が出てきますが、これは悪について書かれた文章のなかで、おそらくもっとも美しいテクストだと思う。いま危機に瀕し、崩壊しつつあるのは、もはや神学的理性ではなく、啓蒙の理性とも呼ばれる人間的理性のほうなのです。そこで、人間的理性をいくらかは救い、再構築するためのこころみをつうじて、私たちはネオバロックなるものに立ち会うことになる。だからこそ、私たちはヴォルテールよりもライプニッツに近い立場に立つのではないでしょうか。
――ジル・ドゥルーズ「ライプニッツについて」、『記号と事件――1972-1990の対話』宮林寛訳、河出書房新社、1992(改版1996)
ジル・ドゥルーズ『記号と事件――1972-1990の対話』宮林寛訳、河出書房新社、1992(改版1996)

12:53 午後  
Blogger yoji said...


http://youjnsu.livedoor.biz/archives/2007-07.html
『・・フーコーはハイデガーよりアンリ・ミショーに近く、場合によってはコクトーにも似ているとおもいます。フーコーは生の問題、呼吸の問題を介してミショーとコクトーに合流するのです。』とドゥルーズは言う。フーコーがどのようにしてミショーから霊感を受けたのか、わたしは知らない。しかも『フーコーにとってミショーは着想の源になりえたのです。』とも語っている。ドゥルーズがどのようなことを指して言っているのか、わたしは理解してはいない。ただミショーが”襞”について語っているところがある。その文面をみると手がかりはある。

CG12-50Yell2







CG12-50Yell2
「ミショーとその影」












ドゥルーズは”この襞”についてのミショーの考えがフーコーに限りなく接近していると指摘している。もっともドゥルーズの襞に関する考え方は、マラルメに対しても指摘している。『・・襞は、おそらくマラルメにとって最も重要な概念である。』と言い、『”エロディヤード”は、すでに襞の詩なのである。』とさえ言っている。それと同時に『・・”書物”あるいは数多くの頁をもつモナド。こうして"書物”はあらゆる襞を含んでいる・・』という、ドゥルーズの思考は深く考えさせられてしまう。襞とは何か、この深い問いをわたしは語ることができない。けれどもそれを絵画的な問のしかで語ることはできる。それはドゥルーズがライプニッツの哲学を語った”襞”という書物があります。その箇所をとり上げてわたしの画像解説(CG12-50Yell1/CG12-50Yell2)とします。

『・・ライプニッツは”哲学者の信仰告白”においてこう言っている。「光りは闇のまっただ中に亀裂から射すよう漏れてくる。」光りは天窓から、肘型に曲がったあるいは折れた開口部から、鏡を介してやってくるのであり、白は「いくつもの小さな鏡の反射」からなっていることを理解しなければならないのだろうか。もっと厳密にいえば、モナドは亀裂などもたず、光りは「密閉され」、これが理性まで高められるとき、それぞれのモナドのなかにともされ、内部のあらゆるちいさな鏡によって白を生じるのである。

光りは白を作り出すが、また影も生み出すのだ。生み出された白はモナドのなかの明るい部分と溶け合い、暗い地、つまり底(fuscum)にむかって暗くなり、減衰してゆくのである。この暗い底から、「多なかれ少なかれ、よく調節された陰影と色調によって」ものが生じるのである。まるでデザルグの場合のように、遠近法を反転し「眼のかわりに光るものを、物体のかわりに不透明なものを、射影のかわりに陰影を」おくだけで十分だったのだ。ヴェルフリンは、この増大し、減衰し、度合いによって伝播する光りの漸進性から何かを学んだ。それは明るさの(また動きの)相対性、明と暗が不可分なこと、輪郭の消滅であり、ようするにデカルトに対する反駁である。デカルトは光りの物理学と理念の論理学という二重の観点から、ルネサンスの人であり続けたのだ。

明るみはたえず暗がりに潜ってゆく。明暗は、ニ方向に移動することができる一つの系列にしたがってモナドをみたす。一方の端には暗い底があり、他方の端には密閉された光りがある。密閉された光りはそれが灯るときには、限られた地域に白を生み出す。しかし白はしだいに影を帯び、モナドの全体のなかの暗い底にむけて広がってゆくにしたがって、暗さに、徐々に厚くなっていく影に場を譲ってしまう・・』

12:57 午後  
Blogger yoji said...

また、ライプニッツはボイネブルクと初めて出会ってから間もない時期に、標題も署名もない試論を一篇、ボイネブルクに送っている。これは多数の人物の手を経て、最終的にはアウグスブルクの神学者ゴットリープ・シュピッツェルのもとに届き、シュピッツェルは著者の素性を知らぬまま、1669年、この試論を「無神論者に対する自然の信仰告白」(Confessio naturae contra atheistas)という表題を付して公刊した。この「告白」の基本モティーフは、当時の無神論者と唯物論者〔質料主義者〕に対抗して、神の存在と霊魂の不死を理論的に擁護しようとするところにあった。 ポール・アザールは著作『ヨーロッパ精神の危機』のなかで、ライプニ

1:02 午後  
Blogger yoji said...

17世紀西欧における教会合同の試み ――ライプニッツとボシュエとの往復書簡に関する一考察―― La tentative en vue de la réunion des Églises en Europe occidentale au dix-septième siècle: Réflexion sur les lettres échangées entre Leibniz et Bossuet 福 島 清 紀 FUKUSHIMA Kiyonori

1:03 午後  
Blogger yoji said...

無人島上の後半部分は差異と反復の議論と重なる

副読本に最適

1:39 午後  
Blogger yoji said...

簡易目次
はじめに、
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復


『差異と反復』
http://www.arsvi.com/b1900/6800dg.htm

■Deleuze, Gilles 1968 Différence et répétition, Presses universitaires de France. =19921125 財津 理 『差異と反復』,河出書房,525p. ISBN-10: 4309230296 ISBN-13: 9784309230290 \5800 

■目次
 はじめに             (ハイデガー、ボルヘス)

序論 反復と差異

 反復と一般性――行動の視点からする第一の区別
 一般性の二つのレヴェル――類似の等しさ
 法則の観点からする第二の区別
 反復、自然の法則と道徳法則
 
 キルケゴール、ニーチェ、ペギーによる、反復の哲学プログラム
 
 反復と一般性-概念の視点からする第三の区別
 概念の内包と「阻止」の現象
 「自然的阻止」の三つの事例と反復――名目的諸概念、自然の諸概念、自由の諸概念
                      (カント『プロレゴメナ』)
 
 反復は概念の同一性によって説明されず、否定的でしかない条件によっても説明されないということ
 「死の本能」の諸機能――差異との関係における、そして一つの定立的な原理を要請する者としての、反復(自由の諸概念の例)               (フロイト)
 
 二つの反復――概念の同一性と否定的条件による反復、差異による、そして《理念(イデア)》における過剰による反復(自然的諸概念と名目的諸概念の例)   (レヴィ・ストロース、図形*、リズム、/ ペギー、ルーセル **)
 反復における裸のものと着衣のもの     (タルド)
 
 概念的差異と概念なき差異         (カント、ライプニッツ)
 しかし、差異の概念(《理念(イデア)》)は、概念的差異に還元されることはなく、同様に、反復の定立的な本質は、概念なき差異に還元されることはない

第一章 それ自身における差異

 差異と暗い背景
 差異を表象=再現前するということは必要なのだろうか。表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根)
 幸福な契機、差異、大と小
 
 概念的差異、最大かつ最高の差異
 アリストテレスによる差異の倫理学、および、差異の概念と概念的差異の混同
 種的差異と類的差異
 四つのアスペクト、あるいは差異の従属――概念の同一性、判断の類比、諸述語の対立、知覚されたものの類似
 差異と有機的な表象=再現前化
 
 一義性と差異
 配分の二つのタイプ
 一義性と類似の和解不可能性、
 一義的なものの三つの契機――スコトゥス、スピノザ、ニーチェ
 永遠回帰における反復は存在の一義性の定義である
 
 差異とオルジックな表象=再現前化(無限大と無限小)
 理由としての根拠
 ヘーゲルによる差異の論理学と存在論――矛盾
 ライプニッツによる差異の論理学と存在論――副次的矛盾(連続性と不可職別者)
 差異のオルジックなあるいは無限な表象=再現前化は、前述の四つのアスペクトから、どうして免れていないのか
 
 差異、肯定と否定
 否定的なものの錯覚             (<ヘーゲル>、ニーチェ)
 否定的なものの排除と永遠回帰        (カント、ヘルダーリン)
 
 プラトンによる差異の論理学と存在論
 分割の方法と諸形態――要求者たち、テスト―根拠、問い―問題、(非)―存在、および否定的なものの身分
                       (プラトン『ソピステス』、ハイデガー)
 差異の問題において決め手となるもの――見せかけ(シミュラクル)、見せかけ(シミュラクル)の抵抗
                       (マラルメ、ジョイス)


第二章 それ自身へ向かう反復

 反復、それは、何かが変えられること       (ヒューム)
 時間の第一の総合――生ける現在         (ベルクソン)
 ハビトゥス、受動的総合、縮約、観照
 習慣の問題                   (タルド)
 
 時間の第二の総合――純粋過去
 《記憶》、純粋過去、そして諸現在の表象=再現前化
 過去の四つのパラドックス
 習慣における反復と記憶における反復
 物質的反復と精神的反復
 
 デカルト的コギトとカント的コギト、未規定なもの、規定作用、規定されうるもの
 ひび割れた《私》、受動的な自我、そして時間の空虚な形式
 記憶の不十分な点、時間の第三の総合
 時間の、形式、順序、相対、セリー        (キルケゴール)
 第三の総合における反復――欠如によるその条件、変身のその作用者、その無条件な特徴
                         (クロソウスキー、<ニーチェ>、ヘルダーリン)
 永遠回帰における反復という観点からする、悲観的なものと喜劇的なもの、歴史、信仰
                         (マルクス、ヘルダーリン)

 反復と無意識――『快感原則の彼岸』       (フロイト)
 第一の総合と拘束――《ハビトゥス》
 第二の総合――潜在的な諸対象と過去       (ラカン、ベルクソン)
 エロスとムネモシュネ
 反復、置き換えと偽装――差異
 無意識の本姓に関する諸帰結――セリー状の、差異的=微分的な、そして問いかけ的な無意識
 第三総合あるいは第三の「河岸」に向かって――ナルシシズム的自我、死の本能、そして時間の空虚な形式
 死の本能、対立と物質的反復
 死の本能と永遠回帰における反復         (ブランショ、くじ引き、ボルヘス)

 類似と差異
 システムとは何か
 暗き先触れと「異化させるもの」
 文学的システム
 幻想(ファンタスム)あるいは見せかけ(シミュラクル)、および差異に対する同一的なものの三つの形態

 プラトン主義の真の動機は、見せ掛け(シミュラクル)の問題の中にある
 見せ掛け(シミュラクル)と永遠回帰における反復   (プラトン『ソピステス』)


9:51 午前  
Blogger yoji said...

第三章 思考のイマージュ

 哲学における前提の問題                 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利       (ニーチェ)

◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想           
◯第三の公準――再認というモデル
 思考とドクサ                      (ベルクソン、カント)
 カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント

 諸能力の差異=微分的理論
 諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
 プラトン哲学の両義性                  (プラトン『国家』)
 思考するということ――思考におけるその発生       (ハイデガー、アルトー)

◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの        (プラトン『テアイテトス』)
 愚劣の問題                  (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)

◯第六の公準――指示の特権                (ラッセル)
 意味と命題                  (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
 意味のパラドックス                   (ルイス・キャロル)
 意味と問題 
◯第七の公準――解の様相
 新理論における解の錯覚
 問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性  (プロクロス)

 「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
 差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約   (ニーチェ、プラトン『メノン』)


第四章 差異の理念的総合

 問題的な審廷としての理念             (カント)
 未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用――差異

 微分                       (ヘーゲル、ライプニッツ)
 量化可能性、および規定可能性の原理        (ニュートン)
 質化可能性、および相互規定の原理         (マイモン)
 ポテンシャリティ、および十分な規定作用の原理(セリー的形式)  (ロンスキ、ラグランジュ、カルノー)

 微分法において無限小が無用であること       (カルノー、<ポアンカレ>)
 〈差異的=微分的〉と〈問題的〉
 問題の理論――弁証法と科学

 《理念(イデア)》と多様体     (フッサール、リーマン)
 諸構造――それらの基準、諸《理念(イデア)》のタイプ    (パルメニデス、エピクロス、ニュートン、マルクス)
 副次的矛盾の方法――特異なものと正則なもの、特別なものと通常のもの      (シェリング、ヘーゲル)

 《理念(イデア)》、そして諸能力に関する差異的=微分的理論   (マイモン、カント)
 問題と問い             (ジョイス、『オデュッセイア』、プルースト、プラトン『パルメニデス』)
 命令と遊び=賭け          (ライプニッツ、レーモン・ルーセル、ブランショ、ニーチェ)

 《理念(イデア)》と反復      (ハイデガー、ブランショ)
 反復、特別なものと通常のもの    (ハイデガー、ニーチェ)
 否定的なものという錯覚
 差異、否定と対立                (アルトー、ギヨーム)
 否定的なものの発生               (ヘーゲル、マルクス)

 《理念(イデア)》と潜在性                (プルースト、デカルト)
 潜在的なものの実体性――<スベテノ仕方デ・・・・・・存在者>  (<デカルト>)
 差異化=微分的な無意識、あるいは対象の二つの半身
 半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
 潜在的なものと可能的なものの区別             (ベルクソン)
 差異的=微分的な無意識、あるいは判明で―曖昧なもの

 《理念(イデア)》の現実化のプロセスとしての異化=分化  (<時-空>的力動、ベーア)
 力動あるいはドラマ
 ドラマ化の普遍性               (リラダン、ニーチェ)
 (差異/異)化=(微分/分)化という複雑な基礎概念


第五章 感覚されうるものの非対称的総合

 差異と雑多なもの            (カルノー、キュリー)
 差異と強度               (ノヴァーリス)

 差異の取り消し
 良識と共通感覚             (カルノー、ヘーゲル)
 差異とパラドックス

 強度、質、広がり――取り消しの錯覚   (レオン・セルム、カルノー、クラウジウス)
 深さあるいはスパティウム        (カント)

 強度の第一の特徴――即自的に不等なもの
  数における不等なものの役割      (プラトン『ティマイオス』)
 第二の特徴――差異を肯定すること
  否定的なものという錯覚
  感覚されうるものの存在
 第三の特徴――巻き込み
  本性上の差異と程度上の差異
  エネルギーと永遠回帰
  永遠回帰における反復は、質的なものでも延長的なものでもなく、強度的なものである  (ニーチェ、パスカル)

 強度と微分
 《理念(イデア)》の現実化における個体化の役割
 個体化と異化=分化
 個体化は強度的である                 (ダーウィン)
 個体的差異と個体化の差異
 「交錯」、「巻き込み」、「繰り広げ」         (ルクレティウス、ライプニッツ)

 システムの進化
 包み込みの中心
 個体化のファクター、《私》と《自我》
 心的なシステムにおける他者の本性と機能

結論 差異と反復

 表象=再現前化批判
 有限か無限かという二者択一は無益であること       (ヘーゲル、ライプニッツ)
 同一性、類似、対立、そして類比――それら(四つの錯覚)はどのようにして差異を裏切るのか
 しかし、同一性、類似、対立、そして類比は、どのようにして反復をも裏切るのか

 理由としての根拠――その三つの意味
 根拠から無底へ                (ムネモシュネ、アリストテレス、<フローベール>、カント、デカルト)
 非人称的な個体化と前個体的な特異性      (シェリング、ショーペンハウエル)

 見せかけ(シミュラクル)
 《理念(イデア)》と問題に関する理論
 《他者》
 遊び=賭けの二つのタイプ――それらの特徴   (パスカルの賭け、プラトン的籤、ライプニッツ的チェスゲーム、ニーチェ)
 カテゴリー批判                (カント、ホワイトヘッド)

 反復、同一的なもの
 二つの反復
 病理学と芸術、常同症とリフレーン――すべての反復の共存の場所としての芸術
 存在論的な、第三の反復へ向かって

 時間の形式と三つの反復
 第三の反復の選別的な威力――永遠回帰とニーチェ(見せかけ(シミュラクル)たち)
 還帰しないもの
 《同じ》ものの三つの意味――存在論、錯覚、そして誤謬
 存在の類比と表象=再現前化、存在の一義性と反復


http://homepage1.nifty.com/pdo/time4.htm

9:52 午前  
Blogger yoji said...

最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学も知っているといい。文学史も。

あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。
中心縦軸に反復と差異を置いても同じことだ。ただし差異は横に条理化し得る。

   潜在的    
  可 | 実  
  能-+-在   
  的 | 的 
   現働的  

10:04 午前  
Blogger yoji said...


最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能-+-在   
  的 | 的 
   現働的  

縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)。

   反 復
  差 | 一
   -+-般
  異 | 性
   一義性

10:13 午前  
Blogger yoji said...



差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404

5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5


Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能一十一在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   反 復
  一 | 差
  般一十一
  性 | 異
   一義性

ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。

簡易目次
はじめに、
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復

10:34 午前  
Blogger yoji said...



差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404

5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5


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レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能一十一在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   反 復
  一 | 差
  般一十一
  性 | 異
   一義性

ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。

簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復

10:42 午前  
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差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404

5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5


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レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章(下巻)を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能一十一在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   反 復
  一 | 差
  般一十一
  性 | 異
   一義性

ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。

簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ    ___上/下巻
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
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10:55 午前  
Blogger yoji said...



差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404

5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5


Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章(下巻)を読む時に以下の図が頭にあるといい。

   潜在的    
  可 | 実  
  能一十一在   
  的 | 的 
   現働的  

これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。

   一義性
  一 | 差
  般一十一
  性 | 異
   反 復

ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。

簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ    ___上/下巻
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復

10:57 午前  
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題:ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一他訳「狂人の二つの体制(1975-1982)及び(1983-1995)」を読んで

ドゥルーズが抽象化して湾曲した線を伴わずに書いた普通の文章は、あまり見かけないために驚くのである。最初はとても簡単な論理で却って理解しにくいが、慣れるととても分かりやすく、ドゥルーズという人間が文章の内に見え出てくる。本書は「無人島」に続くドゥルーズのテクストの集大成であり、宇野邦一さんのあとがきによると、「アンチ・オイディプス」以降のフェリックス・ガタリとの複数の思考の痕跡を見て取れるとのことである。また本書の題名は宇野さんによると、プルーストの作品へのドゥルーズの特異な捉え方、狂気に深い関係があるとのこと。更に彼は「映画Ⅰ-運動イメージ」と「映画Ⅱ-時間イメージ」から「哲学とはなにか」に至るまでの概念を創造するという哲学独自の仕事を含めて、多岐にわたって記述しているということである。ともかく二分冊にて、62項目も書いているのだから、それは対話や刊行される本の序文を含めた夥しいテクスト文の集合であるに違いない。

本書を読んでみると、62項目では主にフーコーに関する文とシネマに関する時間や運動関する記述に、その他パレスチナなどの問題などが加わっている。最初の1項目がとても重要である。この1項目目の「狂人の二つの体制」ではまず人形使いを例に取り三種類の線と権力との関わりについて述べる。詳細は省略。次に二つの記号の体制について、無限と想定される記号の集合と、これに代わって線上のネットワークによる一主体を指示する記号の体制を、妄想型と情念型の狂気の二つの区別と結び付けて述べるのである。そして社会形成と記号の体制との関連を意味論から論じて、ドゥルーズはこの資本主義社会は情念型錯乱と呼ばれるものに対応するとする。この情念型の錯乱では、資本―貨幣の主体形成の線が機能すればするほど分岐の線などを発して自らを脅かすようになるのである。この項目で述べられている「狂人の二つの体制」、これが本書の題名となっている以上に、ドゥルーズの本来的な哲学的なテーマであると私には思われる。

以下はドゥルーズの思想から少し離れていくが私の意見である。この「狂人の体制」における主体の位置づけ及び資本と貨幣の役割を解明するには、たぶん経済や科学からの解明が必要とされて、これらと融合させた思考を持たなければならない。つまり概念の創造は哲学のみの仕事なのではなくて、それらの浸透し組み合わさった論理関数を含めた仕事になるのである。概念が存在の定立を行うために必要ならば、この存在の定立を取り巻く種々な環境を複合的な関数的分析に基づいて、概念の創造を企てなければならない。ドゥルーズが我々に突き付けた最大の哲学的な問題とはこの哲学的な概念の創造を行うこと、行うための思考の方法を問うて確立することなのである。即ち哲学から思考することと、哲学から脱却した思考が求められること。この思考はもはや哲学の思考ではなくて、哲学が成り立つことでも哲学の放棄でもなくて、ただ思考だけが成り立つことであり、これがきっと哲学を成り立たせることでもあるはずである。以下本書を読んで感じたことを、簡単に思いつくままのメモ的な文章にて箇条書きにしてみたい。

1. 「女嫌いについて」:アラン・ロジェの「女嫌い」について読みたいと思ったが、ネット上でどう探してもでてこないのである。「女嫌い」とは有名な本であったと思うのであるが、「人間ぎらい」と混同しているのかもしれない・・。
2. 「欲望と快楽」:ミシェル・フーコーの「快楽」とドゥルーズ自身の「欲望」の明確な違いについての批判的な説明、知についての違いについても。その他の言葉についても。ドゥルーズにしては珍しい文章であるが、そうしたフーコーとドゥルーズの違いは彼らの著作を読むと当然のことであって、それが文章として記述され公開されただけなのかもしれない。
3. 「それ自体では聴覚不可能な力を聴覚可能にすること」における「質量と形相」の「資材と力」への転換。例えば音的資材が聴覚不可能な力を、時間や持続や強度さえも聴覚可能なものにするためにあること。哲学においても極めて複雑な思考資材によって、思考不可能な力を思考可能にすることになると述べている。
4. 「今日の平和主義」における軍拡競争の膨大な費用の必要性。

5. 「言語をめぐる宇野への手紙」:現表行為に主体があるのではなくて、ただアレンジメントだけがあること。同一のアレンジメントのなかに様々な主体を指定する「主体化のプロセス」があり、主体を指定すること。
6. 「六八年五月[革命]は起こらなかった」:イリヤ・ブリゴジンは物理学の領域についても微細な差異が、そのまま伝搬していって、まったく別々の現象が共鳴しあい連結していく状態が存在すると語っていると、ドゥルーズが述べていること。つまり出来事の中には乗り越えがたい何かかが含まれているということ。
7. 「内在性の浜辺」:諸々の存在者は一義的で等しいこと。等しく存在すること。
8. 「創造的行為とは何か」:人民が欠けていること、同時に欠けていないこと。芸術作品とまだ存在していない人民とのあいだの親和力が決して明らかにならないこと。芸術作品はこのまだ存在していない人民に呼びかけを行っていること。

9. 「石たち」:イスラエル人はパレスチナ人民という具体的な事実を否定し続けてきたこと。
10. 「装置とは何か」でのフーコーの記述。装置のなかでの主体性の生産は一つのプロセスであり、主体性の線ができあがってくるのである。この線の断線。この装置の多様性。これまでの〈主体性の生産〉とは異なった、新たな支配に抵抗しうる〈主体性の生産〉訴えることができるとドゥルーズは述べて「知の考古学」におけるアルシーヴの文章の引用。フーコーの対話のなかにフーコーに付きまとっていた主体化の新たな諸様態が現れていて、これを見て取れること。
11. 「主体についての質問への答」:哲学とは主体なき多数多様体となり、統一性としての主体にかかわることのない多数多様の理論となること。
12. 「汚らわらしい戦争」:ブッシュがわが国(フランス)を召使いのようにほめたたえること。重要なのはこの点ではなくて『社会主義の裏切りの論理』がそのままわが身の体制にのしかかってくることの指摘である。ドゥルーズには珍しい直接的な感情を込めて描いた文章である。

13. 「フェリックスのために」:フェリックスはある複数のセグメントからなるシステムを夢想していたのではと、ドゥルーズは述べている。とうことはドゥルーズはシステムを夢想していないということでもある。
14. 「内在――ひとつの生」:この内在の一つの生について語ったものはいないのであり、ひとつの生はいたるところ、主体が横切るすべての瞬間、主体によって計られるすべての瞬間にあるのであり、ひとつはつねに多様体の指標なのである。

以上

8:25 午後  
Blogger yoji said...


本が好き
戸蒔秋二
感想(ネタバレあり)10 か月前
題:ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一他訳「狂人の二つの体制(1975-1982)及び(1983-1995)」を読んで

8:29 午後  

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