http://www.freeassociations.org/
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/touch/searchdiary?word=*%5B%A5%E1%A5%E2%5D&of=20
更新を終えて布団に入ってから、ジル・ドゥルーズがヴォルテールについて語った言葉を思い出した。
ロベール・マジオリ(聞き手)――(中略)ライプニッツのことは誰でも知っているとはいえ、それは『カンディード』経由の理解にすぎないし、「考えうるかぎりで最良の世界」という言葉をヴォルテールが嘲笑したから、ライプニッツが知られているにすぎないのです。この質問はほんの冗談だと思って聞いていただきたいのですが、こんなふうに愚弄されると、哲学者の名声に傷がつくものなのでしょうか。
ジル・ドゥルーズ――そうはおっしゃいますが、ヴォルテールもれっきとした哲学者なのだし、『カンディード』はとても重要なテクストなのですよ。ライプニッツからヴォルテールに移りかわるところで演じられたのは、思想史でも特に重要なターニングポイントです。ヴォルテールは啓蒙の光を一身に体現している。つまり光の体制そのもの、そして物質と生命の体制、さらには理性の体制がほかならぬヴォルテールなのであり、これがバロックの体制とはまったく違うものになっているわけです。ライプニッツがこの新しい時代を準備したのだとしても、大筋は変わりません。新しい時代になって神学的理性が崩壊し、理性は純然たる人間的理性に変貌するからです。しかし、バロックそのものが、すでに神学的理性の危機をあらわしていた。つまりバロックとは、崩壊しつつある世界を再構築する最後のこころみだったのです。分裂病の定義もこれとやや似たかたちでなされているし、いわゆるバロック型の舞踏と分裂病患者の姿勢が対照されたことすらあるのです。しかし、自分たちの世界は考えうるかぎりで最良の世界だ、とライプニッツが語るとき、この「最良」は古典主義時代の善にとってかわり、まさに善の破綻を前提にしているのだということを忘れてはならない。自分たちの世界が最良のものであるのは、それが善に支配されているからではなく、新しいものを産み出し、それを受けいれるのに適しているからだ。ライプニッツはそう考えるわけです、とても面白い考え方だし、ヴォルテールにしても、まさかこの考え方を拒絶することはないでしょう。ふつうライプニッツのオプティミズムとされているものとは似ても似つかない考え方です。それどころか、ライプニッツの場合、進歩の可能性はことごとく劫罰をめぐるバロック的な考え方にその根拠を置いている、つまり考えうるかぎりで最良の世界の出現は、劫罰を約束された者によって支えられているのです。なぜそうなるかといえば、劫罰を運命づけられた者はみずから進歩をあきらめ、またあきらめることによって果てしなく大量の「進歩性」を解き放つにいたるからです。この点からすると、ベラヴァルのすぐれた翻訳で読むことのできる「哲学者の信仰告白』はじつにすばらしい文章だといえます。この本にはベルゼブルの歌が出てきますが、これは悪について書かれた文章のなかで、おそらくもっとも美しいテクストだと思う。いま危機に瀕し、崩壊しつつあるのは、もはや神学的理性ではなく、啓蒙の理性とも呼ばれる人間的理性のほうなのです。そこで、人間的理性をいくらかは救い、再構築するためのこころみをつうじて、私たちはネオバロックなるものに立ち会うことになる。だからこそ、私たちはヴォルテールよりもライプニッツに近い立場に立つのではないでしょうか。
――ジル・ドゥルーズ「ライプニッツについて」、『記号と事件――1972-1990の対話』宮林寛訳、河出書房新社、1992(改版1996)
ジル・ドゥルーズ『記号と事件――1972-1990の対話』宮林寛訳、河出書房新社、1992(改版1996)
http://youjnsu.livedoor.biz/archives/2007-07.html
『・・フーコーはハイデガーよりアンリ・ミショーに近く、場合によってはコクトーにも似ているとおもいます。フーコーは生の問題、呼吸の問題を介してミショーとコクトーに合流するのです。』とドゥルーズは言う。フーコーがどのようにしてミショーから霊感を受けたのか、わたしは知らない。しかも『フーコーにとってミショーは着想の源になりえたのです。』とも語っている。ドゥルーズがどのようなことを指して言っているのか、わたしは理解してはいない。ただミショーが”襞”について語っているところがある。その文面をみると手がかりはある。
CG12-50Yell2
CG12-50Yell2
「ミショーとその影」
ドゥルーズは”この襞”についてのミショーの考えがフーコーに限りなく接近していると指摘している。もっともドゥルーズの襞に関する考え方は、マラルメに対しても指摘している。『・・襞は、おそらくマラルメにとって最も重要な概念である。』と言い、『”エロディヤード”は、すでに襞の詩なのである。』とさえ言っている。それと同時に『・・”書物”あるいは数多くの頁をもつモナド。こうして"書物”はあらゆる襞を含んでいる・・』という、ドゥルーズの思考は深く考えさせられてしまう。襞とは何か、この深い問いをわたしは語ることができない。けれどもそれを絵画的な問のしかで語ることはできる。それはドゥルーズがライプニッツの哲学を語った”襞”という書物があります。その箇所をとり上げてわたしの画像解説(CG12-50Yell1/CG12-50Yell2)とします。
『・・ライプニッツは”哲学者の信仰告白”においてこう言っている。「光りは闇のまっただ中に亀裂から射すよう漏れてくる。」光りは天窓から、肘型に曲がったあるいは折れた開口部から、鏡を介してやってくるのであり、白は「いくつもの小さな鏡の反射」からなっていることを理解しなければならないのだろうか。もっと厳密にいえば、モナドは亀裂などもたず、光りは「密閉され」、これが理性まで高められるとき、それぞれのモナドのなかにともされ、内部のあらゆるちいさな鏡によって白を生じるのである。
光りは白を作り出すが、また影も生み出すのだ。生み出された白はモナドのなかの明るい部分と溶け合い、暗い地、つまり底(fuscum)にむかって暗くなり、減衰してゆくのである。この暗い底から、「多なかれ少なかれ、よく調節された陰影と色調によって」ものが生じるのである。まるでデザルグの場合のように、遠近法を反転し「眼のかわりに光るものを、物体のかわりに不透明なものを、射影のかわりに陰影を」おくだけで十分だったのだ。ヴェルフリンは、この増大し、減衰し、度合いによって伝播する光りの漸進性から何かを学んだ。それは明るさの(また動きの)相対性、明と暗が不可分なこと、輪郭の消滅であり、ようするにデカルトに対する反駁である。デカルトは光りの物理学と理念の論理学という二重の観点から、ルネサンスの人であり続けたのだ。
明るみはたえず暗がりに潜ってゆく。明暗は、ニ方向に移動することができる一つの系列にしたがってモナドをみたす。一方の端には暗い底があり、他方の端には密閉された光りがある。密閉された光りはそれが灯るときには、限られた地域に白を生み出す。しかし白はしだいに影を帯び、モナドの全体のなかの暗い底にむけて広がってゆくにしたがって、暗さに、徐々に厚くなっていく影に場を譲ってしまう・・』
また、ライプニッツはボイネブルクと初めて出会ってから間もない時期に、標題も署名もない試論を一篇、ボイネブルクに送っている。これは多数の人物の手を経て、最終的にはアウグスブルクの神学者ゴットリープ・シュピッツェルのもとに届き、シュピッツェルは著者の素性を知らぬまま、1669年、この試論を「無神論者に対する自然の信仰告白」(Confessio naturae contra atheistas)という表題を付して公刊した。この「告白」の基本モティーフは、当時の無神論者と唯物論者〔質料主義者〕に対抗して、神の存在と霊魂の不死を理論的に擁護しようとするところにあった。 ポール・アザールは著作『ヨーロッパ精神の危機』のなかで、ライプニ
17世紀西欧における教会合同の試み ――ライプニッツとボシュエとの往復書簡に関する一考察―― La tentative en vue de la réunion des Églises en Europe occidentale au dix-septième siècle: Réflexion sur les lettres échangées entre Leibniz et Bossuet 福 島 清 紀 FUKUSHIMA Kiyonori
無人島上の後半部分は差異と反復の議論と重なる
副読本に最適
簡易目次
はじめに、
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
『差異と反復』
http://www.arsvi.com/b1900/6800dg.htm
■Deleuze, Gilles 1968 Différence et répétition, Presses universitaires de France. =19921125 財津 理 『差異と反復』,河出書房,525p. ISBN-10: 4309230296 ISBN-13: 9784309230290 \5800
■目次
はじめに (ハイデガー、ボルヘス)
序論 反復と差異
反復と一般性――行動の視点からする第一の区別
一般性の二つのレヴェル――類似の等しさ
法則の観点からする第二の区別
反復、自然の法則と道徳法則
キルケゴール、ニーチェ、ペギーによる、反復の哲学プログラム
反復と一般性-概念の視点からする第三の区別
概念の内包と「阻止」の現象
「自然的阻止」の三つの事例と反復――名目的諸概念、自然の諸概念、自由の諸概念
(カント『プロレゴメナ』)
反復は概念の同一性によって説明されず、否定的でしかない条件によっても説明されないということ
「死の本能」の諸機能――差異との関係における、そして一つの定立的な原理を要請する者としての、反復(自由の諸概念の例) (フロイト)
二つの反復――概念の同一性と否定的条件による反復、差異による、そして《理念(イデア)》における過剰による反復(自然的諸概念と名目的諸概念の例) (レヴィ・ストロース、図形*、リズム、/ ペギー、ルーセル **)
反復における裸のものと着衣のもの (タルド)
概念的差異と概念なき差異 (カント、ライプニッツ)
しかし、差異の概念(《理念(イデア)》)は、概念的差異に還元されることはなく、同様に、反復の定立的な本質は、概念なき差異に還元されることはない
第一章 それ自身における差異
差異と暗い背景
差異を表象=再現前するということは必要なのだろうか。表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根)
幸福な契機、差異、大と小
概念的差異、最大かつ最高の差異
アリストテレスによる差異の倫理学、および、差異の概念と概念的差異の混同
種的差異と類的差異
四つのアスペクト、あるいは差異の従属――概念の同一性、判断の類比、諸述語の対立、知覚されたものの類似
差異と有機的な表象=再現前化
一義性と差異
配分の二つのタイプ
一義性と類似の和解不可能性、
一義的なものの三つの契機――スコトゥス、スピノザ、ニーチェ
永遠回帰における反復は存在の一義性の定義である
差異とオルジックな表象=再現前化(無限大と無限小)
理由としての根拠
ヘーゲルによる差異の論理学と存在論――矛盾
ライプニッツによる差異の論理学と存在論――副次的矛盾(連続性と不可職別者)
差異のオルジックなあるいは無限な表象=再現前化は、前述の四つのアスペクトから、どうして免れていないのか
差異、肯定と否定
否定的なものの錯覚 (<ヘーゲル>、ニーチェ)
否定的なものの排除と永遠回帰 (カント、ヘルダーリン)
プラトンによる差異の論理学と存在論
分割の方法と諸形態――要求者たち、テスト―根拠、問い―問題、(非)―存在、および否定的なものの身分
(プラトン『ソピステス』、ハイデガー)
差異の問題において決め手となるもの――見せかけ(シミュラクル)、見せかけ(シミュラクル)の抵抗
(マラルメ、ジョイス)
第二章 それ自身へ向かう反復
反復、それは、何かが変えられること (ヒューム)
時間の第一の総合――生ける現在 (ベルクソン)
ハビトゥス、受動的総合、縮約、観照
習慣の問題 (タルド)
時間の第二の総合――純粋過去
《記憶》、純粋過去、そして諸現在の表象=再現前化
過去の四つのパラドックス
習慣における反復と記憶における反復
物質的反復と精神的反復
デカルト的コギトとカント的コギト、未規定なもの、規定作用、規定されうるもの
ひび割れた《私》、受動的な自我、そして時間の空虚な形式
記憶の不十分な点、時間の第三の総合
時間の、形式、順序、相対、セリー (キルケゴール)
第三の総合における反復――欠如によるその条件、変身のその作用者、その無条件な特徴
(クロソウスキー、<ニーチェ>、ヘルダーリン)
永遠回帰における反復という観点からする、悲観的なものと喜劇的なもの、歴史、信仰
(マルクス、ヘルダーリン)
反復と無意識――『快感原則の彼岸』 (フロイト)
第一の総合と拘束――《ハビトゥス》
第二の総合――潜在的な諸対象と過去 (ラカン、ベルクソン)
エロスとムネモシュネ
反復、置き換えと偽装――差異
無意識の本姓に関する諸帰結――セリー状の、差異的=微分的な、そして問いかけ的な無意識
第三総合あるいは第三の「河岸」に向かって――ナルシシズム的自我、死の本能、そして時間の空虚な形式
死の本能、対立と物質的反復
死の本能と永遠回帰における反復 (ブランショ、くじ引き、ボルヘス)
類似と差異
システムとは何か
暗き先触れと「異化させるもの」
文学的システム
幻想(ファンタスム)あるいは見せかけ(シミュラクル)、および差異に対する同一的なものの三つの形態
プラトン主義の真の動機は、見せ掛け(シミュラクル)の問題の中にある
見せ掛け(シミュラクル)と永遠回帰における反復 (プラトン『ソピステス』)
第三章 思考のイマージュ
哲学における前提の問題 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利 (ニーチェ)
◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想
◯第三の公準――再認というモデル
思考とドクサ (ベルクソン、カント)
カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント
諸能力の差異=微分的理論
諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
プラトン哲学の両義性 (プラトン『国家』)
思考するということ――思考におけるその発生 (ハイデガー、アルトー)
◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの (プラトン『テアイテトス』)
愚劣の問題 (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)
◯第六の公準――指示の特権 (ラッセル)
意味と命題 (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
意味のパラドックス (ルイス・キャロル)
意味と問題
◯第七の公準――解の様相
新理論における解の錯覚
問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性 (プロクロス)
「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約 (ニーチェ、プラトン『メノン』)
第四章 差異の理念的総合
問題的な審廷としての理念 (カント)
未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用――差異
微分 (ヘーゲル、ライプニッツ)
量化可能性、および規定可能性の原理 (ニュートン)
質化可能性、および相互規定の原理 (マイモン)
ポテンシャリティ、および十分な規定作用の原理(セリー的形式) (ロンスキ、ラグランジュ、カルノー)
微分法において無限小が無用であること (カルノー、<ポアンカレ>)
〈差異的=微分的〉と〈問題的〉
問題の理論――弁証法と科学
《理念(イデア)》と多様体 (フッサール、リーマン)
諸構造――それらの基準、諸《理念(イデア)》のタイプ (パルメニデス、エピクロス、ニュートン、マルクス)
副次的矛盾の方法――特異なものと正則なもの、特別なものと通常のもの (シェリング、ヘーゲル)
《理念(イデア)》、そして諸能力に関する差異的=微分的理論 (マイモン、カント)
問題と問い (ジョイス、『オデュッセイア』、プルースト、プラトン『パルメニデス』)
命令と遊び=賭け (ライプニッツ、レーモン・ルーセル、ブランショ、ニーチェ)
《理念(イデア)》と反復 (ハイデガー、ブランショ)
反復、特別なものと通常のもの (ハイデガー、ニーチェ)
否定的なものという錯覚
差異、否定と対立 (アルトー、ギヨーム)
否定的なものの発生 (ヘーゲル、マルクス)
《理念(イデア)》と潜在性 (プルースト、デカルト)
潜在的なものの実体性――<スベテノ仕方デ・・・・・・存在者> (<デカルト>)
差異化=微分的な無意識、あるいは対象の二つの半身
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
潜在的なものと可能的なものの区別 (ベルクソン)
差異的=微分的な無意識、あるいは判明で―曖昧なもの
《理念(イデア)》の現実化のプロセスとしての異化=分化 (<時-空>的力動、ベーア)
力動あるいはドラマ
ドラマ化の普遍性 (リラダン、ニーチェ)
(差異/異)化=(微分/分)化という複雑な基礎概念
第五章 感覚されうるものの非対称的総合
差異と雑多なもの (カルノー、キュリー)
差異と強度 (ノヴァーリス)
差異の取り消し
良識と共通感覚 (カルノー、ヘーゲル)
差異とパラドックス
強度、質、広がり――取り消しの錯覚 (レオン・セルム、カルノー、クラウジウス)
深さあるいはスパティウム (カント)
強度の第一の特徴――即自的に不等なもの
数における不等なものの役割 (プラトン『ティマイオス』)
第二の特徴――差異を肯定すること
否定的なものという錯覚
感覚されうるものの存在
第三の特徴――巻き込み
本性上の差異と程度上の差異
エネルギーと永遠回帰
永遠回帰における反復は、質的なものでも延長的なものでもなく、強度的なものである (ニーチェ、パスカル)
強度と微分
《理念(イデア)》の現実化における個体化の役割
個体化と異化=分化
個体化は強度的である (ダーウィン)
個体的差異と個体化の差異
「交錯」、「巻き込み」、「繰り広げ」 (ルクレティウス、ライプニッツ)
システムの進化
包み込みの中心
個体化のファクター、《私》と《自我》
心的なシステムにおける他者の本性と機能
結論 差異と反復
表象=再現前化批判
有限か無限かという二者択一は無益であること (ヘーゲル、ライプニッツ)
同一性、類似、対立、そして類比――それら(四つの錯覚)はどのようにして差異を裏切るのか
しかし、同一性、類似、対立、そして類比は、どのようにして反復をも裏切るのか
理由としての根拠――その三つの意味
根拠から無底へ (ムネモシュネ、アリストテレス、<フローベール>、カント、デカルト)
非人称的な個体化と前個体的な特異性 (シェリング、ショーペンハウエル)
見せかけ(シミュラクル)
《理念(イデア)》と問題に関する理論
《他者》
遊び=賭けの二つのタイプ――それらの特徴 (パスカルの賭け、プラトン的籤、ライプニッツ的チェスゲーム、ニーチェ)
カテゴリー批判 (カント、ホワイトヘッド)
反復、同一的なもの
二つの反復
病理学と芸術、常同症とリフレーン――すべての反復の共存の場所としての芸術
存在論的な、第三の反復へ向かって
時間の形式と三つの反復
第三の反復の選別的な威力――永遠回帰とニーチェ(見せかけ(シミュラクル)たち)
還帰しないもの
《同じ》ものの三つの意味――存在論、錯覚、そして誤謬
存在の類比と表象=再現前化、存在の一義性と反復
http://homepage1.nifty.com/pdo/time4.htm
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。
中心縦軸に反復と差異を置いても同じことだ。ただし差異は横に条理化し得る。
潜在的
可 | 実
能-+-在
的 | 的
現働的
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。
潜在的
可 | 実
能-+-在
的 | 的
現働的
縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)。
反 復
差 | 一
-+-般
異 | 性
一義性
差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404
5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5
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レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。
潜在的
可 | 実
能一十一在
的 | 的
現働的
これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。
反 復
一 | 差
般一十一
性 | 異
一義性
ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
簡易目次
はじめに、
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
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最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章を読む時に以下の図が頭にあるといい。
潜在的
可 | 実
能一十一在
的 | 的
現働的
これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。
反 復
一 | 差
般一十一
性 | 異
一義性
ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。
簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
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レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章(下巻)を読む時に以下の図が頭にあるといい。
潜在的
可 | 実
能一十一在
的 | 的
現働的
これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。
反 復
一 | 差
般一十一
性 | 異
一義性
ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。
簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ ___上/下巻
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
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差異と反復〈上〉 (河出文庫)
ジル・ドゥルーズ著
エディション: 文庫
価格: ¥ 1,404
5つ星のうち 5.0 潜在的と現働的(現実的), 2015/2/5
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レビュー対象商品: 差異と反復〈上〉 (河出文庫) (文庫)
最低限の哲学史は必須だが、生物学、数学史も知っているといい。文学史も。
あと第四章(下巻)を読む時に以下の図が頭にあるといい。
潜在的
可 | 実
能一十一在
的 | 的
現働的
これは縦軸に反復を横軸に差異を置いても同じことだ(序論及び、柄谷行人『探究2』文庫版150頁参照)。
一義性
一 | 差
般一十一
性 | 異
反 復
ちなみに本書はドゥルーズの集大成であり、ほぼ全著作と繋がっているが、わかりやすい副読本としては『無人島(上)』の後半部分が最適。
プラトンをニーチェによって転覆する圧倒的著作であることは変わらないのだが、文庫本で歩きながら読むと新しい発見がある。電子書籍化を希望する。
簡易目次
はじめに
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ ___上/下巻
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
題:ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一他訳「狂人の二つの体制(1975-1982)及び(1983-1995)」を読んで
ドゥルーズが抽象化して湾曲した線を伴わずに書いた普通の文章は、あまり見かけないために驚くのである。最初はとても簡単な論理で却って理解しにくいが、慣れるととても分かりやすく、ドゥルーズという人間が文章の内に見え出てくる。本書は「無人島」に続くドゥルーズのテクストの集大成であり、宇野邦一さんのあとがきによると、「アンチ・オイディプス」以降のフェリックス・ガタリとの複数の思考の痕跡を見て取れるとのことである。また本書の題名は宇野さんによると、プルーストの作品へのドゥルーズの特異な捉え方、狂気に深い関係があるとのこと。更に彼は「映画Ⅰ-運動イメージ」と「映画Ⅱ-時間イメージ」から「哲学とはなにか」に至るまでの概念を創造するという哲学独自の仕事を含めて、多岐にわたって記述しているということである。ともかく二分冊にて、62項目も書いているのだから、それは対話や刊行される本の序文を含めた夥しいテクスト文の集合であるに違いない。
本書を読んでみると、62項目では主にフーコーに関する文とシネマに関する時間や運動関する記述に、その他パレスチナなどの問題などが加わっている。最初の1項目がとても重要である。この1項目目の「狂人の二つの体制」ではまず人形使いを例に取り三種類の線と権力との関わりについて述べる。詳細は省略。次に二つの記号の体制について、無限と想定される記号の集合と、これに代わって線上のネットワークによる一主体を指示する記号の体制を、妄想型と情念型の狂気の二つの区別と結び付けて述べるのである。そして社会形成と記号の体制との関連を意味論から論じて、ドゥルーズはこの資本主義社会は情念型錯乱と呼ばれるものに対応するとする。この情念型の錯乱では、資本―貨幣の主体形成の線が機能すればするほど分岐の線などを発して自らを脅かすようになるのである。この項目で述べられている「狂人の二つの体制」、これが本書の題名となっている以上に、ドゥルーズの本来的な哲学的なテーマであると私には思われる。
以下はドゥルーズの思想から少し離れていくが私の意見である。この「狂人の体制」における主体の位置づけ及び資本と貨幣の役割を解明するには、たぶん経済や科学からの解明が必要とされて、これらと融合させた思考を持たなければならない。つまり概念の創造は哲学のみの仕事なのではなくて、それらの浸透し組み合わさった論理関数を含めた仕事になるのである。概念が存在の定立を行うために必要ならば、この存在の定立を取り巻く種々な環境を複合的な関数的分析に基づいて、概念の創造を企てなければならない。ドゥルーズが我々に突き付けた最大の哲学的な問題とはこの哲学的な概念の創造を行うこと、行うための思考の方法を問うて確立することなのである。即ち哲学から思考することと、哲学から脱却した思考が求められること。この思考はもはや哲学の思考ではなくて、哲学が成り立つことでも哲学の放棄でもなくて、ただ思考だけが成り立つことであり、これがきっと哲学を成り立たせることでもあるはずである。以下本書を読んで感じたことを、簡単に思いつくままのメモ的な文章にて箇条書きにしてみたい。
1. 「女嫌いについて」:アラン・ロジェの「女嫌い」について読みたいと思ったが、ネット上でどう探してもでてこないのである。「女嫌い」とは有名な本であったと思うのであるが、「人間ぎらい」と混同しているのかもしれない・・。
2. 「欲望と快楽」:ミシェル・フーコーの「快楽」とドゥルーズ自身の「欲望」の明確な違いについての批判的な説明、知についての違いについても。その他の言葉についても。ドゥルーズにしては珍しい文章であるが、そうしたフーコーとドゥルーズの違いは彼らの著作を読むと当然のことであって、それが文章として記述され公開されただけなのかもしれない。
3. 「それ自体では聴覚不可能な力を聴覚可能にすること」における「質量と形相」の「資材と力」への転換。例えば音的資材が聴覚不可能な力を、時間や持続や強度さえも聴覚可能なものにするためにあること。哲学においても極めて複雑な思考資材によって、思考不可能な力を思考可能にすることになると述べている。
4. 「今日の平和主義」における軍拡競争の膨大な費用の必要性。
5. 「言語をめぐる宇野への手紙」:現表行為に主体があるのではなくて、ただアレンジメントだけがあること。同一のアレンジメントのなかに様々な主体を指定する「主体化のプロセス」があり、主体を指定すること。
6. 「六八年五月[革命]は起こらなかった」:イリヤ・ブリゴジンは物理学の領域についても微細な差異が、そのまま伝搬していって、まったく別々の現象が共鳴しあい連結していく状態が存在すると語っていると、ドゥルーズが述べていること。つまり出来事の中には乗り越えがたい何かかが含まれているということ。
7. 「内在性の浜辺」:諸々の存在者は一義的で等しいこと。等しく存在すること。
8. 「創造的行為とは何か」:人民が欠けていること、同時に欠けていないこと。芸術作品とまだ存在していない人民とのあいだの親和力が決して明らかにならないこと。芸術作品はこのまだ存在していない人民に呼びかけを行っていること。
9. 「石たち」:イスラエル人はパレスチナ人民という具体的な事実を否定し続けてきたこと。
10. 「装置とは何か」でのフーコーの記述。装置のなかでの主体性の生産は一つのプロセスであり、主体性の線ができあがってくるのである。この線の断線。この装置の多様性。これまでの〈主体性の生産〉とは異なった、新たな支配に抵抗しうる〈主体性の生産〉訴えることができるとドゥルーズは述べて「知の考古学」におけるアルシーヴの文章の引用。フーコーの対話のなかにフーコーに付きまとっていた主体化の新たな諸様態が現れていて、これを見て取れること。
11. 「主体についての質問への答」:哲学とは主体なき多数多様体となり、統一性としての主体にかかわることのない多数多様の理論となること。
12. 「汚らわらしい戦争」:ブッシュがわが国(フランス)を召使いのようにほめたたえること。重要なのはこの点ではなくて『社会主義の裏切りの論理』がそのままわが身の体制にのしかかってくることの指摘である。ドゥルーズには珍しい直接的な感情を込めて描いた文章である。
13. 「フェリックスのために」:フェリックスはある複数のセグメントからなるシステムを夢想していたのではと、ドゥルーズは述べている。とうことはドゥルーズはシステムを夢想していないということでもある。
14. 「内在――ひとつの生」:この内在の一つの生について語ったものはいないのであり、ひとつの生はいたるところ、主体が横切るすべての瞬間、主体によって計られるすべての瞬間にあるのであり、ひとつはつねに多様体の指標なのである。
以上
本が好き
戸蒔秋二
感想(ネタバレあり)10 か月前
題:ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一他訳「狂人の二つの体制(1975-1982)及び(1983-1995)」を読んで