NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html
NAMs出版プロジェクト: 『スピノザと表現の問題』ドゥルーズ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html(本頁)
スピノザ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html
ドゥルーズ;Deleuze体系:
分子化 プラトン;Plato
スピノザ;Spinoza【 分 析 】 カント;Kant
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ;Leibniz | ベルクソン;Bergson
\|/
【規定】差異と反復ーーシネマ①②ーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学]
フーコー;Foucault/ | \(ヒューム;Hume)
(マルクス;Marx)/ アンチ \フロイト;Freud
/・オイディプス\
サルトル;Sartre【 総 合 】 ニーチェ;Nietzsche
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Spinoza et le problème de l'expression (1968)
『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991
Table des matières
Introduction : Rôle et importance de l’expression
Première partie : Les triades de la substance
Chapitre I : Distinction numérique et distinction réelle –
Introduction : Rôle et importance de l’expression
Première partie : Les triades de la substance
Chapitre I : Distinction numérique et distinction réelle –
Chapitre II : L’attribut comme expression –
Chapitre III : Attributs et noms divins –
Chapitre IV : L’absolu –
Chapitre V : La puissance
Deuxième partie : Le parallélisme et l’immanence
Chapitre VI : L’expression dans le parallélisme –
Deuxième partie : Le parallélisme et l’immanence
Chapitre VI : L’expression dans le parallélisme –
Chapitre VII : Les deux puissances et l’idée de Dieu –
Chapitre VIII : Expression et idée –
Chapitre IX : L’inadéquat –
Chapitre X : Spinoza contre Descartes –
Chapitre XI : L’immanence et les éléments historiques de l’expression
Troisième partie : Théorie du mode fini
Chapitre XII : L’essence de mode : passage de l’infini au fini –
Troisième partie : Théorie du mode fini
Chapitre XII : L’essence de mode : passage de l’infini au fini –
Chapitre XIII : L’existence du mode –
Chapitre XIV : Qu’est-ce que peut un corps ? –
Chapitre XV : Les trois ordres et le problème du mal –
Chapitre XVI : Vision éthique du monde –
Chapitre XVII : Les notions communes –
Chapitre XVIII : Vers le troisième genre –
Chapitre XIX : Béatitude
Conclusion : Théorie de l’expression chez leibniz et chez spinoza (l’expressionnisme en philosophie)
Appendice : Étude formelle du plan de l’Éthique et du rôle des scolies dans la réalisation de ce plan
スピノザと表現の問題 新装版 (叢書・ウニベルシタス)
目次
はしがき
序論 表現の役割と重要性
第 I 部 実体の三つ組
第1章 数的区別と実在的区別
第2章 表現としての属性
第3章 属性と神の名称
第4章 絶対者
第5章 力
第 II 部 平行論と内在性
第6章 平行論における表現
第7章 二つの力と神の観念
第8章 表現と観念
第9章 非十全性
第10章 デカルトとスピノザ
第11章 表現の内在性と歴史的要素
第 III 部 有限様態について
第12章 様態の本質、無限から有限への移行
第13章 様態の存在
第14章 身体は何をなしうるか
第15章 三つの秩序と悪の問題
第16章 倫理的世界観
第17章 共通概念
第18章 第三種の認識に向かって
第19章 至福
結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)
付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究──二つの『エティカ』
原注
訳者注
訳者あとがき
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドゥルーズ,ジル(ドゥルーズ,ジル/Deleuze,Gilles)
1925年生まれのフランスの哲学者。1969年からパリ第八大学教授をつとめる。ドゥルーズは概念の創造に哲学本来のあり方を探り、自ら概念を新たに創造することによって哲学を作り直そうとした。1995年11月4日死去
工藤 喜作(クドウ キサク)
1930年横浜に生まれる。東京教育大学大学院博士課程満期退学。筑波大学名誉教授、目白大学名誉教授。文学博士。2010年死去
________
目次
はしがき
序論 表現の役割と重要性
第 I 部 実体の三つ組
第1章 数的区別と実在的区別
第2章 表現としての属性
第3章 属性と神の名称
第4章 絶対者
第5章 力
第 II 部 平行論と内在性
第6章 平行論における表現
第7章 二つの力と神の観念
第8章 表現と観念
第9章 非十全性
第10章 デカルトとスピノザ
第11章 表現の内在性と歴史的要素
第 III 部 有限様態について
第12章 様態の本質、無限から有限への移行
第13章 様態の存在
第14章 身体は何をなしうるか
第15章 三つの秩序と悪の問題
第16章 倫理的世界観
第17章 共通概念
第18章 第三種の認識に向かって
第19章 至福
結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)
付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究──二つの『エティカ』
原注
訳者注
訳者あとがき
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドゥルーズ,ジル(ドゥルーズ,ジル/Deleuze,Gilles)
1925年生まれのフランスの哲学者。1969年からパリ第八大学教授をつとめる。ドゥルーズは概念の創造に哲学本来のあり方を探り、自ら概念を新たに創造することによって哲学を作り直そうとした。1995年11月4日死去
工藤 喜作(クドウ キサク)
1930年横浜に生まれる。東京教育大学大学院博士課程満期退学。筑波大学名誉教授、目白大学名誉教授。文学博士。2010年死去
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Spinoza: Philosophie pratique (1981)
http://www.leseditionsdeminuit.com/f/flip.php?editor=3&livre_id=2016
Couverture 1
Du même auteur 4
Titre 5
Copyright 6
Exergue 7
chapitre premier - Vie de Spinoza 9
BIBLIOGRAPHIE
Couverture 1
Du même auteur 4
Titre 5
Copyright 6
Exergue 7
chapitre premier - Vie de Spinoza 9
BIBLIOGRAPHIE
24
I. Dévalorisation de la conscience (au profit de la pensée) : Spinoza le matérialiste 27
chapitre II - Sur la différence de l’Éthique avec une morale 27
II. Dévalorisation de toutes les valeurs, et surtout du bien et du mal (au profit du « bon » et du « mauvais ») : Spinoza l’immoraliste 33
III. Dévalorisation de toutes les « passions tristes » (au profit de la joie) : Spinoza l’athée 37
chapitre III - Les lettres du mal (correspondance avec Blyenbergh) 43
chapitre IV - Index des principaux concepts de l’Éthique 61
chapitre V - L’évolution de Spinoza (sur l’inachèvement du Traité de la réforme) 145
chapitre VI - Spinoza et nous 161
Table des matières 173
Justification 175
I. Dévalorisation de la conscience (au profit de la pensée) : Spinoza le matérialiste 27
chapitre II - Sur la différence de l’Éthique avec une morale 27
II. Dévalorisation de toutes les valeurs, et surtout du bien et du mal (au profit du « bon » et du « mauvais ») : Spinoza l’immoraliste 33
III. Dévalorisation de toutes les « passions tristes » (au profit de la joie) : Spinoza l’athée 37
chapitre III - Les lettres du mal (correspondance avec Blyenbergh) 43
chapitre IV - Index des principaux concepts de l’Éthique 61
chapitre V - L’évolution de Spinoza (sur l’inachèvement du Traité de la réforme) 145
chapitre VI - Spinoza et nous 161
Table des matières 173
Justification 175
『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002
スピノザ―実践の哲学 - 京都大学哲学研究会
https://sites.google.com/site/kyototekken2011/shu-ping/supinoza-shi-jianno-zhe-xue
スピノザ―実践の哲学
著者:G.ドゥルーズ
平凡社ライブラリー (440)
発売日:2002/08
存在論-観念論
評価 C
【内容】
ドゥルーズのスピノザについての論文集。 第一章はスピノザの伝記。第三章はスピノザの概念をいくつか辞典的に整理。第六章はエッセイ。あとは論文という構成。
【目次】
第一章 スピノザの生涯
第二章 道徳と生態の倫理のちがいについて
第三章 悪についての手紙(ブレイエンベルフとの往復書簡)
第四章 『エチカ』主要概念集
第五章 スピノザの思想的発展(『知性改善論』の未完成について)
第六章 スピノザと私たち
【レビュー】
■全体の構成
六章仕立てだが、内容として続き物であるわけではなく、好きな箇所から読んでいっていいと思う
読んでおもしろいと思ったのは、第二章と第五章。
■おもしろかった章(2,5,6)
第二章は、スピノザ哲学を生の哲学と規定しているのが特徴。意識、善悪の倫理観、悲しみの受動的感情を否定する理論を作ったとして解釈している。ニーチェよりも先に、ニーチェ的なことを言った哲学者という解釈。 スピノザは、形而上学から入るには難解なので、生の哲学という方面から入るのはとっかかりとしていいかもしれない。
第五章は、思想の発展過程を検証する系の論文。知性改善論からエチカの間の発展を説明するものとして、「共通概念」に着目している。六章のうちで一番研究論文っぽい。研究者が、論文を作るために個々の解釈を知る必要がある場合は、参考になるかもしれない。
あと、読み物としては第六章がおもしろかった。エチカを音楽と結びつけたエッセイ。論証的ではなく、これが一番気楽に読める。
_____
I(全論理空間)
◯
/\
/ \
/ \
a=b=S / \ a/=b/=M
◯/ \◯
Sは実体\ / Mは様態
\ /
\ /
\ /
\/
◯
O(空なるクラス)
図は『論理学史』(山下正男)p208より、スピノザ哲学の論理構成。
デカルトの場合、属性は主にS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
例を挙げるならば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを生んだ。
上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定さらには思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。
また、ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の用語ではない。
(ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていたからだ。
ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の説に
ついての考察」『ライプニッツ著作集』8巻132頁)。
ライプニッツはこんな図式を描いている。
瞬間Aにおける肉体の状態 | 瞬間Aにおける魂の状態
次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)
「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
(アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作集 8』320 頁)。
共通概念=スピノザの公理をドゥルーズは肯定的に捉えている。ライプニッツの複数性へとスピノザの一元論を変換する鍵がそこにある。
法よりも判例が大事というのと同じだ。ドゥルーズの感覚論はゆがんではいるが、、、
ドゥルーズが、共通感覚には否定的だが、共通概念に肯定的なのは、上記図のように感覚に概念を対応させるためで、概念の優位を称えているのではない。
(ドゥルーズが、カントの主要テーマをランボーやシェークスピアの引用で要約したことが想起される。)
ドゥルーズもまた並行論者なのだ。
|
欲望する諸機械|器官なき身体
|
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
/・オイディプス\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
上はカント、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらを
ニーチェ、
スピノザが横断する。マルクス、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
返信削除スピノザ 【分析=分子化】 ハイデガー
\ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(マルクス)アンチ フロイト
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
上はカント、ハイデガーの準備したマトリクスである。これらを
ニーチェ、
スピノザが横断する。マルクス、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
Nietzsche、Spinozaが鍵だ。アプリオリな分析はLeibnizにある。
潜在的
可能的+実在的
現働的
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。
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返信削除
返信削除ドゥルーズが実践の哲学で引用
芸術家や学者あるいは哲学者はレンズを磨くことに一生懸命だ。彼らは将来決して起こらない出来事のために一生懸命準備をしているようなものだ。もしもある日こうして磨かれたレンズが完成すれば、僕たちは皆驚くばかりの素晴らしい美しさのこの世界を見ることだろうよ。
https://ameblo.jp/atelier-myriad-happiness/entry-11903582379.html
ヘンリー・ミラー
https://books.google.co.jp/books?id=tYiEtOWlXKEC&pg=PA14&dq=henry+miller+spinoza&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiojLDbmo7aAhVDXrwKHQFBA1AQ6AEIJDAA
#v=onepage&q=henry%20miller%20spinoza&f=false
You see, to me it seems as though the artists, the scientists, the philosophers were grinding lenses. It's all a grand preparation for something that never comes off. Someday the lens is going to be perfect and then we're all going to see clearly, see what a staggering, wonderful, beautiful world it is...
Henry Miller, quoted from Gilles Deleuze: Spinoza. Practical Philosophy (1970)
Henry Miller, Sexus.
セクサス―薔薇色の十字架刑1
スピノザとレンズ磨き伝説
返信削除www.furugosho.com/precurseurs/spinoza/lentille.htm
哲学史のなかの<伝説>の一つに、衆人の無理解のなかで形而上学的思索を行っていたスピノザが、生活の資を得るためレンズ磨きをしていたというものがある。スピノザがレンズ磨きを行っていたのは事実と考えられるが、それが生活を支えるためというのは現代のスピノザ研究者によって明確に否定されている。以下、そうした否定論の一例として工藤喜作氏の文章を紹介し、また、より具体的なスピノザのレンズ磨きの状況を知るために、工藤氏が言及しているスピノザからフッデに宛てた書簡の一部を引用し紹介する。
シングルレンズの愛 | 福岡伸一の生命浮遊 | ソトコト
www.sotokoto.net/jp/essay/index.php?id=72
レーウェンフックの同時代人・同国人に哲学者のスピノザがいた。レーウェンフックと同じ年、1632年に生まれている。スピノザもレンズを磨くことによって生計を立てていたといわれている。私はオランダを旅した際、スピノザが隠遁生活を送ったとされるレインスブルグという小村にスピノザの家を訪問したことがある。小さな書斎とそれに続く土間づくりの作業場。そこにレンズを磨く足踏み式の回転盤を置いて、スピノザはあるときレンズを一心に磨き、また別の時は、一心に自らの思索を深めていたのである。 レンズを磨くこと。
返信削除ドゥルーズが実践の哲学で引用
芸術家や学者あるいは哲学者はレンズを磨くことに一生懸命だ。彼らは将来決して起こらない出来事のために一生懸命準備をしているようなものだ。もしもある日こうして磨かれたレンズが完成すれば、僕たちは皆驚くばかりの素晴らしい美しさのこの世界を見ることだろうよ。
https://ameblo.jp/atelier-myriad-happiness/entry-11903582379.html
ヘンリー・ミラー
https://books.google.co.jp/books?id=tYiEtOWlXKEC&pg=PA14&dq=henry+miller+spinoza&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiojLDbmo7aAhVDXrwKHQFBA1AQ6AEIJDAA#v=onepage&q=henry%20miller%20spinoza&f=false
You see, to me it seems as though the artists, the scientists, the philosophers were grinding lenses. It's all a grand preparation for something that never comes off. Someday the lens is going to be perfect and then we're all going to see clearly, see what a staggering, wonderful, beautiful world it is...
Henry Miller, quoted from Gilles Deleuze: Spinoza. Practical Philosophy (1970)
Henry Miller, Sexus.
セクサス―薔薇色の十字架刑1
新潮文庫セクサス下#17
スピノザとレンズ磨き伝説
www.furugosho.com/precurseurs/spinoza/lentille.htm
哲学史のなかの<伝説>の一つに、衆人の無理解のなかで形而上学的思索を行っていたスピノザが、生活の資を得るためレンズ磨きをしていたというものがある。スピノザがレンズ磨きを行っていたのは事実と考えられるが、それが生活を支えるためというのは現代のスピノザ研究者によって明確に否定されている。以下、そうした否定論の一例として工藤喜作氏の文章を紹介し、また、より具体的なスピノザのレンズ磨きの状況を知るために、工藤氏が言及しているスピノザからフッデに宛てた書簡の一部を引用し紹介する。
シングルレンズの愛 | 福岡伸一の生命浮遊 | ソトコト
www.sotokoto.net/jp/essay/index.php?id=72
レーウェンフックの同時代人・同国人に哲学者のスピノザがいた。レーウェンフックと同じ年、1632年に生まれている。スピノザもレンズを磨くことによって生計を立てていたといわれている。私はオランダを旅した際、スピノザが隠遁生活を送ったとされるレインスブルグという小村にスピノザの家を訪問したことがある。小さな書斎とそれに続く土間づくりの作業場。そこにレンズを磨く足踏み式の回転盤を置いて、スピノザはあるときレンズを一心に磨き、また別の時は、一心に自らの思索を深めていたのである。 レンズを磨くこと。