http://www.freeassociations.org/
NAMs出版プロジェクト: 柄谷行人:哲學是普遍思考 youtube 20170117
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/httpsyoutubeg-isiagsbjm.html《僕がマルクス主義に代わって新しいことを言っているというように受け取らないでほしい
僕はマルクス的なんですよ
ただ今までやってるようなマルクス主義はダメだと言っているわけで
だから僕の態度はマルクス的であり
マルクス主義的でないだけ、それをわかってほしい
香港だけではない
あらゆる世界がこの帝国主義の中でどうやっていくかということですから
同じことですよ
香港だけではない日本でも同じなんですよ
別に僕は日本国家ではないので
あなたがたを香港国家だとは思わない
中国国家だとも思わない
そう言う立場で考えることが哲学なんです、言わばね
その態度は不朽も何も
みなさんそういう風に考えていけばいいではないですか》
柄谷行人『世界史の構造』日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html
『世界史的构造』大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
『世界史的結構』台湾版目次
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
『세계사의 구조』韓国語版目次
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592
Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」
Kojin Karatani: 洋書
Isonomia and the Origins of Philosophy (英語) 2017/9
Kojin Karatani (著), Joseph Murphy (翻訳)
出版社: Duke Univ Pr (Tx) (2017/09) 『哲学の起源』の翻訳
この他にNation and Aesthetics: On Kant and Freud (Global Asias)2017/6
Kojin Karatani、 Jonathan E. Abel こちらは『定本柄谷行人集 4 ネーションと美学』の翻訳
柄谷行人
『世界史の構造』日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html
大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
台湾版目次
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
韓国語版目次
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592
Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」
https://itun.es/jp/bQpJ-
Kojin Karatani: 洋書
https://www.amazon.co.jp/s/ref=dp_byline_sr_book_1?ie=UTF8&text=Kojin+Karatani&search-alias=books-us&field-author=Kojin+Karatani&sort=relevancerank
世界史的構造-柄谷行人文集 [(日)柄谷行人] 3720円 中央編訳
跨越性批判-柄谷行人文集.2 [(日)柄谷行人] 3120円 中央編訳
歴史与反復-柄谷行人文集.3 [(日)柄谷行人] 2700円 中央編訳
作為隠喩的建筑-柄谷行人文集.1 [(日)柄谷行人] 2530円 中央編訳
参考:
Exchanging Without Exploiting -A Critique of Karatani Kôjin’s The Structure of World History Lange, Elena L
http://www.zora.uzh.ch/114166/1/Lange_Karatani_SWH_review_HM2015.pdf
UZH - Asien-Orient-Institut - Elena Lange
https://www.aoi.uzh.ch/de/japanologie/personenuebersicht/wissangestellte/lange.html(20) Elena Louisa Lange | University of Zurich, Switzerland - Academia.edu
https://uzh.academia.edu/ElenaLouisaLange2001, The Principles of New Associationist Movement (NAM), NAM原理英語版
Amazon.co.jp: Contemporary Japanese Thought (Weatherhead Books on Asia) 電子書籍: Richard Calichman: Kindleストア 2005,2012
https://www.amazon.co.jp/dp/B0092XA510/
12 Comments:
2017年03月03日
柄谷行人「普遍宗教は甦る」
これからアメリカに行く。
昨年11月、
広州(「Dの研究」の研究)、
香港(柄谷行人国際研究学会)
で講演。
中国語ではU(無)、D(道)
柄谷行人:現在的世界,其實正在重複120年前發生過的事情
https://youtu.be/U_8nsnqlgHE 3/3 2:24
世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁、『思想的地震』52~3頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
__________________________________________
|1750~ |1810~ |1870~ |1930~ |1990~
|1810 |1870 |1930 |1990 |
______|______|______|______|______|_______
覇権国家 オランダ | イギリス | アメリカ インド?
______|______|_____________|_____________循
世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
______|______|_______\_____|_______\_____
対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
______|______|__一八四八_\_____|__一九六八_\_____環
エートス |消費的 |禁欲的 | |消費社会 |
______|______|______|______|______|________⇅
社会心理 |伝統志向 |内部志向 | |他人志向 |
______|______|______|______|______|______リ
主要芸術 | 物語 | 小説 | 映画 | テレビ マルチメディア
______|______|______|______|______|______
経済政策 |後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
______|______|______|______|______|______
資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本 ニ
______|______|______|______|______|______
世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
______|______|______|______|______|______ア
国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
______|______|______|______|______|_______
柄谷行人國際研討會
https://www.facebook.com/香港中文大學-日本研究學系-Department-of-Japanese-Studies-CUHK-105148906232262/
内容(「BOOK」データベースより). 『マクベス』やギリシア悲劇を例に、「悲劇は言葉の 両義性にかかわる」と指摘した「言葉と悲劇」、小説『こころ』を分析し、夏目漱石の深層 心理に迫った「漱石の多様性」など、柄谷行人の代表的講演を収録。
柄谷行人「漱石の多様性:講演——「こゝろ... - 柄谷行人を ... - mixiページ
page.mixi.jp/view_page_feed_entry.pl?page_id=20623...
柄谷行人を解体する. 柄谷行人「漱石の多様性:講演——「こゝろ」をめぐって」川口市 前川図書館主催による講演(一九八五年二月二七日)夏目漱石『こころ』をどう読むか : 石原 千秋|河出書房新社 http://t.co/VEvWxnY2fC. 11月04日; @sasaki_makoto.
「こころ」の読解 21 |ロジカル現代文
http://ameblo.jp/gen-dai-bun/entry-11321341748.html
第一は、主人公が死を決意するきっかけとなった、明治天皇の崩御にかかわって「明治の精神」ということが言われていますが、その「明治の精神」とはいったい何かという問題です。
これについては柄谷行人氏の説を『漱石論集成』(第三文明社 一九九二)[『言語と悲劇』]に収められている「漱石の多様性」から引用して紹介します。
「『すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じがはげしく私の胸を打ちました。』とあります。この『時勢遅れ』は、たんに年をとって時代遅れになったということではなくて、実は、ある『遅れ』に関係しているのです。
ここで先生のいう『明治の精神』とは、何でしょうか。これをたんに一つの時代と考えてはなりません。僕は先に、Kのことを禁欲的な理想主義者だといいました。『こころ』では、次のように書かれています。《仏教の教養で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝記を読んだ彼には、ややもすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかもしれません》。このようにいうと、Kはたんに昔よくいたようなタイプの求道的な青年のように見えますね。しかし、Kのような極端なタイプは、ある時期に固有のものだというべきです。それは仏教であれキリスト教であれ、それ以前のもの、あるいはそれ以後のものとは異質です。たとえば、明治十年代末に北村透谷はキリスト教に向かい、西田幾多郎は禅に向かった。それらはKと同じく極端なものでした。
彼らがそのような内面の絶対性に閉じこもったのは、明治十年代末に明治維新にあった可能性が閉ざされ、他方で、制度的には近代国家の体制が確立されていった過程があったからです。つまり、彼らはそれぞれ政治的な闘いに敗れ、それに対し、内面あるいは精神の優位をかかげて世俗的なものを拒否することで対抗しようとしたのです。しかし、透谷は自殺し、西田は帝国大学の選科という屈辱的な場所に戻っていきました。Kが自殺したのも、先生があとで気づいたように、たんに失恋や友人に裏切られたということではなかった。異性に惹かれるということ自体において、Kはあの精神主義的な抵抗の挫折を感じていたのですから。 たぶん、同じようなことが漱石自身にもあったはずです。彼はべつに政治的な運動にコミットしていませんが、明治十年代に明治維新の延長として革命が深化されねばならないということを感じていたでしょう。彼は、明治十年代に『漢文学』に一生を懸けてもいいと思ったが英文学をやることになり、しかも英文学に裏切られたような気がしたという意味のことを、『文学論』の序に書いている。そこでの『漢文学』とは、江戸時代のものではなく、したがって古くさいものでもなく、明治十年代の学生が持っていたような気風や思想と結びついていたはずです。一方、英文学のほうは帝国大学という制度の中にあるもので、それをやれば出世ができるというようなものでした。事実、漱石はその中で抜群に優秀だったのです。しかし彼は、そこから逃れたいという衝動をつねに感じていました。帝国大学をやめて、当時いかがわしいと世間に思われていた小説家に転じたのもそのためです。
こうしてみると、『自分が殉死するなら、明治の精神に殉死するつもりだ』という『明治の精神』が、いわゆる明治の時代思潮というようなものと無縁であることがわかりますね。『明治の精神』とは、いわば『明治十年代』にありえた多様な可能性のことです。たとえば、先生が乃木将軍の遺書に心を打たれるのは、乃木将軍のような考え方なんかではなくて、彼が明治十年の西南戦争で軍旗を奪われ、それ以来『申し訳のために死のう死のうと思って、ついに今日まで生きていた』というようなことです。実は『明治十年代』のひとびとにとって、西南戦争は『第二の明治維新』であり、明治維新の理念を追求するものとみなされたのです。西郷隆盛はそのシンボルとなり、のちの『昭和維新』においてもそうでした。漱石自身、『明治の元勲』なるものを罵倒してやまなかったのに、他方で『明治の志士のように』小説にとり組みたいと語っています。
すると、漱石が『明治の精神』と呼ぶものは、明治二十年代において整備され確立されていく近代国家体制の中で排除されていった多様な『可能性』そのものだった、といっていいのではないでしょうか。」
ここに言われている「明治十年代」について、色川大吉氏は『明治精神史(上下)』(講談社学術文庫 一九七八)でつぎのように述べています。
「維新は一群の下級武士と一部の豪農商の欲望の解放をとげはしたが、なお草深い農山村に、不安と疑いの目をひらいていた多くの民衆を解放しはしなかった。かれらが真に解放へのおおきな期待のよろこびをいだいたのは、それから十年、自由民権運動の時代になってからである。地方の人民にとっては、その時こそがまことの文明開化であり維新の開始であったのだ。
だが、それは早く訪れ、そしてあまりにも早く過ぎ去った。この、世紀に幾度もあらわれることのないような歴史の異常な体験は、かれら無名の青年たちの運命をも変えてしまったようである。
それがどんな深い底部とひろがりとをもっていたか、そのことを示すために、それにふさわしい事実を、安易に全国から選びだすというやり方ではなく、地域を方数十里という多摩地方にのみ限定して研究してみよう。こんなに狭い地域にも、掘り起こしてみさえすれば、どれほどゆたかな泉が湧き出していたかを示すために。
北村透谷のことはくわしくふれない。この二十七歳で自殺した天才的な文学者、思想家は、そのもっとも重要な思想の形成期をこの地方で過ごした。透谷はこの地方の、かれら民権派の青年の仲間に加わることによって、その原体験を積んだのである。」
主人公が「明治の精神」に殉死するというのは作品の結末としてはいかにも唐突ですが、作者漱石が柄谷氏の理解にあるような「明治の精神」に共鳴していたことがそこに表現されていると読めば、漱石のモチーフは理解できるのではないでしょうか。
書評・最新書評 : 虜囚―一六〇〇―一八五〇年のイギリス、帝国、そして世界 [著]リンダ・コリー - 柄谷行人(哲学者) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
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2017年04月09日
虜囚―一六〇〇―一八五〇年のイギリス、帝国、そして世界 [著]リンダ・コリー
[評者]柄谷行人(哲学者)
[ジャンル]歴史
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表紙画像
著者:リンダ コリー、Linda Colley、中村 裕子、土平 紀子 出版社:法政大学出版局
■拡大する「島国」の試練と秘密
イギリスは小さな島国でありながら、19世紀にいたって、「七つの海」を支配する未曽有の世界帝国を築いた。このことは圧倒的な事実であったから、ふつう、そこにいたる過程がどんなものであったかは問われない。なぜいかにして、こんな海洋帝国が生まれたのか。その秘密は、本書の最初から最後までくりかえして語られている。一言でいえば、それはイギリスが小さな国だということだ。
帝国は通常、陸地を巨大な軍隊によって征服することによって形成される。ところが、イギリスには十分な人口がないから、それはありえない。海上を通して貿易を拡大していくしかなかった。しかし、たとえ海軍で勝っても、陸地の国家を抑えることはできない。兵士がいないからだ。原住民を支配するために、当の原住民を使わねばならない。北アメリカにおいてもそうであったし、インドでも東インド会社があっただけで、その軍事力はインド人の傭兵(ようへい)であった。イギリス人はどこでも、不安で、よるべない状態に置かれた。彼らは帝国を形成することについて、つねに悲観的であった。それが多少変わるのは、18世紀の半ばに、フランスやスペインとの戦争に勝って、植民地を獲得してからにすぎない。しかも、それ以後にも、「小さい」という条件が強いる試練や不安が消えたわけではない。そもそも、海外にある帝国が平穏無事に存続するはずがないのだ。
本書がユニークなのは、この広大な帝国の形成を、輝かしい軍事的・政治的勝利からではなく、逆に、海外で虜囚となった惨めなイギリス人の体験記から照明したことである。たとえば、16世紀に地中海に向かい、北アフリカでオスマン帝国に直面したとき、大量のイギリス人が虜囚となった。その多くはイスラム教に転向し、現地文化に適応した。それは、特異な一時的事件ではなく、その後に、北アメリカでもインドでも別の形でくりかえされた。ちなみに、本書では言及されていないが、徳川時代に家康の外交顧問を勤め、帰国せずに旗本となったウィリアム・アダムス(三浦按針)も、虜囚となったイギリス人である。
本書に紹介される多種多様な虜囚体験記を見ると、大英帝国の秘密は、今や忘れられている虜囚にこそ見いだされるといってもよい。たとえば、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719年)とスウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726年)はいずれも、主人公が虜囚となる話であった。それゆえ、これらがイギリスの代表的な小説となったのは、偶然ではない。本書にも、同様に、イギリス的なヒューモアが流れている。
◇
Linda Colley 49年英国生まれ。歴史家、米プリンストン大学教授。専門は18世紀以降のイギリス史で、グローバルな視点からの学際的な研究に取り組む。著書に『イギリス国民の誕生』など。
関連書籍
虜囚: 一六〇〇~一八五〇年のイギリス、帝国、そして世界
虜囚: 一六〇〇~一八五〇年のイギリス、帝国、そして世界
著者:リンダ コリー、Linda Colley、中村 裕子、土平 紀子
イギリス国民の誕生
イギリス国民の誕生
著者:リンダ・コリー、川北 稔
書評・最新書評 : 殺生と戦争の民俗学―柳田國男と千葉徳爾 [著]大塚英志
- 柄谷行人(哲学者) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017051400003.html
2017年05月14日
殺生と戦争の民俗学―柳田國男と千葉徳爾 [著]大塚英志
[評者]柄谷行人(哲学者)
[ジャンル]人文
著者:大塚 英志 出版社:KADOKAWA
■「理科」と「経世済民」で照らす
著者大塚英志はアニメやサブカルチャー論で知られているが、大学では民俗学を千葉徳爾の下で学び、その後もその問題を考えてきた人である。千葉は柳田国男の弟子であった。著者にとって、柳田について考えることと、千葉について考えることは切り離せない。そして、千葉を通して考えることは、通常考えられているのとは違った柳田を見いだすことになる。
民俗学はもともとロマン派文学的であり、それはドイツではナチズムにつながり、柳田の弟子たちもその影響を受けて「日本民俗学」を作りあげた。柳田はそれを退けた。そして、そのような柳田の側面を受け継いだのが千葉である。二人には、共通する面がある。その一つは、彼らがいわば「理科」的であったことだ。千葉徳爾は自らを地理学者と呼び、民俗学者であることを否定した。柳田も自分の学問を民俗学と呼ぶのを拒み、「実験の史学」と呼んだ。この「実験」という言葉は、エミール・ゾラが医学理論にもとづいて「自然主義」文学を唱えたことから来ている。それを最初に日本に伝えたのは、文学者であるとともに軍医であった森鴎外であった。柳田が鴎外と親しく交際したことも、「理科」的な側面と関連するだろう。
これはまた、つぎのような面ともつながる。柳田は初期の『後狩詞記(のちのかりことばのき)』などが示すように、狩猟民生活に深い関心をもっていたのだが、実は、そのとき彼は「殺生の快楽」を暗示していた。一方、それを公然と書いたのが千葉である。たとえば、彼は大著『狩猟伝承研究』の一環として、『切腹の話』を書いた。切腹は、獲物の内臓を神に捧げる農耕儀礼に始まるという。また、千葉はそこに「殺生の快楽」を見いだしていた。彼は、三島由紀夫の切腹事件に関して、切開傷がわずかで、本来の切腹ではない、と述べた。こんな三島批判は、空前絶後であろう。
柳田と千葉のもう一つの共通面は、学問を「経世済民の学」として見ていたことである。たとえば、柳田は大正末期、普通選挙の実現のために運動したのだが、制度的には実現されたはずの「公民」の実態に失望し、民俗学を公民教育の手段として役立てようとした。千葉は、そのことを「公民の民俗学」として明確にした。そして、その弟子大塚もそれを強調してきた。それは柳田学の重要な面を照明するものだった。ただ、柳田—千葉—大塚という流れには、柳田にあった一つの面が抜けている。それは、柳田の学問の根底に、平田派神道の神官となった父親が存在する、ということだ。柳田が先祖信仰にこだわったのは、そのためである。
◇
おおつか・えいじ 58年生まれ。批評家。国際日本文化研究センター教授。著書に『「捨て子」たちの民俗学 小泉八雲と柳田國男』(第5回角川財団学芸賞)、漫画原作者として『木島日記』など。
千葉徳爾 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/千葉徳爾
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千葉徳爾
千葉 徳爾(ちば とくじ、1916年5月22日 - 2001年11月6日)は、日本の民俗学者
日本人はなぜ切腹するのか | 千葉 徳爾 |本 | 通販 | Amazon 1994
https://www.amazon.co.jp/日本人はなぜ切腹するのか-千葉-徳爾/dp/4490202482/ref=sr_1_9?s=books&ie=UTF8&qid=1496631915&sr=1-9
5つ星のうち 4.0理解しやすく読みやすい
投稿者 mame 投稿日 2011/5/23
形式: ペーパーバック Amazonで購入
切腹というものには昔から興味があって「そうだ、読んでみよう」と思い立ち適当に購入。
関連の書籍に関してはまだ6〜7冊程しか読んでないのですが、この本は群を抜いて興味深い内容で読みやすい本でした。
この本は、切腹という行為を民族的視点から書かれているのですが「え?こういう切り口からもですか?」という、柔軟な方向からも切腹というものを説いています。また、文章や構成が非常に良く練られているので、ズバリ、読みやすいです!
「切腹に関する書籍を何か読んでみたい」と、漠然と考えている人には「最初にこの本読んだら?」と勧める一冊です。(切腹に関して書かれている作家さんの中には、この本を引用・参考にしている方もいるので、最初に読むならこの本にしておくべきだと思いますよ)
切腹の作法や、事例などを詳しく知りたいという人には「切腹の歴史」大隅三好 をお勧め。
こちらも大変読みやすいです。
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5つ星のうち 4.0習俗としての「切腹」
投稿者 七海光一 投稿日 2005/9/9
形式: ペーパーバック Amazonで購入
切腹に関する論考は思いのほか少ないので、これなどは貴重なものだ。著者は民俗学者で柳田国男の弟子ということから、日本的習俗という観点から切腹にアプローチしている。結論から言えば、切腹は自殺の方法ではなく、より文化的に意志表示の手段であるということだ。かつての日本人は、精神は内臓に宿ると考えており、心に偽りなしという意味で、内臓を開いてみせるという切腹に意味があった。この意味での切腹は中国や韓国などにも見られるとのことだが、日本では武家政権の成立と共に高度に様式化し、近世においては内臓を露出するのは、「無念腹」と言って忌避されたということだ。著者は切腹という習俗に相当共感しているようで、これが時代の変遷と共に失われてゆくのは惜しいかのような物言いである。確かに、三島由紀夫の一件から30余年、もはや切腹は過去の遺物といって差し支えないだろうが、確か数年前リストラを恨みに思ったブリジストン社員が、社長室で割腹自殺した事件があったし、「だから、あなたも生き抜いて」の著者で有名な大平光代さんも確か中学2年の時に割腹自殺を試み未遂に終わっている。その意味で、いまだ日本人の心性の中に切腹を志向する何かが微小ながらもも残存していると考えるのはあながち不自然ではないだろう。しかし、著者には申し訳ないが、私など、いくら考えてみても、そんな痛そうな死にかたは御免こうむるし、過去の遺物として消えてしまっても一向に苦しゅうないのである。
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用匿名的方式公表意見的人、在現実中不會興他人接触。ー般説来、
想要脱離匿名状態的欲望興政治結合的時候、有一個顕著的傾
向、就是容易産生排外的・歧視的運動;在政治上會出現法西斯主義。
但這是必然的事情、我們除了暫時容忍、没有別的辨法。 想要透過密名
的方式宣揚理念、是心行不通的。人的「 主體」是由他身處的場合或結構
所形塑而成的。證據很明顯‥人一旦離開匿名的状態、就會立刻改變他
的意見。
所以、日本之所以貢要示威活動、並不是為了要發動革命;但總而
言之、示威活動的存在是很重要的一件事。不過、為了這個目標、我們
需要Association。
『柄谷行人談政治』柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 台北 22011-7-4 180〜1頁
(p)http://book.douban.com/subject/6756119/
匿名で意見を述べる人は、現実に他人と接触しません。一般的にいって、
匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動
に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的に
はファシズムです。しかし、それは当たり前なのだから、ほうっておくほ
かない。2ちゃんねるで、人を説得しようなどとしてはいけない。場所あ
るいは構造が、主体をつくるのです。その証拠に、匿名でない状態におか
れると、人はただちに意見を変えます。
だから、日本では、デモは革命のために必要だというようなものではない。
とりあえず、デモが存在することが大事なのです。しかし、そのためには、
アソシエーションがなければならない。
柄谷行人『政治と思想』平凡社ライブラリー 151頁
さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなけれ
ばなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ
実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、
単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、
私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜
け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段とし
て革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、
専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこ
う設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によ
って社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体
と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、
所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知
っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな
力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。
我还要対您来信中的 "是行动的時候了" 一段,谈谈我的一
些見解。任何改革如果没有实力的行使,即以往所説的革命,或
者至少是动乱的协助,实际上都将是不可能的,您現在依然是这
样的想法吧。我个人長期以来也特有这样的看法,因此比較能够
理解,也愿意就此展开讨论,不过,我想坦白根据最近的研究我
完全放弃了这种視点。我想,这并不是我们成功所必需的东西。
就是説,我们不能把革命行动視为社会改革的手段。因为,这样
的手段只能換来強力和专制,总之是一个矛盾。所以,我的解決
問題的方案是这样的。即 "通过另外的経済组织把某个経済组织
从社会所摂取的財富再返还給社会"。換句話説,我们必須在経
済学上通过创造出你们德意志社会主义者所説的共产主义--我
暫時称此为自由或平等--以所有来対抗所有的理論。另外,我
想最近我将发現解決達今同題的方法。就是説,与其対所有者采
取圣帕忒尼式的虐杀而使所有获得新的力量,不如选择用微火来
烧煮这个所有。
蒲鲁东:《給马克思的信》1846年5月17日
柄谷行人『世界史的构造』赵京华訳 中央编译出版社, 2012. 9
217-218頁
实=実、愿=願、谈=談、种=種、弃=棄、总=総、为=為、
专=専、并=並、协=協、创=創、过=過、另=別、发=発、
圣=聖、杀=殺、帕=PA、忒=TOKU、烧=焼、个=個、
选=選、择=択(选择=選択)、从=従(從)
3:30 午後
Blogger yoji said...
国際書籍番号 ISBN:9789866112676
書 名 《世界史的結構》
著 (編) 者 柄谷行人
出 版 社 心靈工坊
代金(円表示) 750人民(台湾)元 1冊
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
目次
7:45 午後
Blogger yoji said...
柄谷行人《世界史的构造》的“序章”部分,当时只...
http://www.douban.com/group/topic/32500365/
對於您來信中提到的「行動的時機已屆」、我有一些見解、不得不説出来。
或許您至今仍然抱持著這様的想法・・任何的改革、如果没有實力行使——往時被
為革命、但不過就是動亂而已——的助力、實際上不可能實現。我本身也曽長
期抱持這様的想法、所以既能夠理解、也樂於討論。但是我必須向您坦白、最近
的研究使我完全放棄這様的見解。我認為、對於我們的成功來説、這様的東西是
不必要的。也就是説、我椚不能以革命的行動作為社會改革的手段。因為、這種
手段只會招來暴力輿専制、簡單來説、就是矛盾。因此我要如此界定問題、亦
即・・「把某個組織従社會奪取的財富、透過另外的組織還給社會」。換句話説、
我們必須透過——徳國社會主義者您為共産主義、我則您其為自由或平等——的
建立、在經済學上以財産的理論反過對抗財産。我相信近期内将會我到這個問
題的解決方法。也就是説、與其對財産所有者進行聖巴托羅缪大屠殺、賦予財
新的力量、我寧願選拝擇以微弱的火苗、将財産燒火成灰燼。
普魯東〈致馬克思的信〉、一八四六年五月十七日。
柄谷行人『世界史的結構』(心霊工坊 2013年2月 457〜458頁)
够/夠(GOU/ゴウ 音読み:コウ):達する、足りる、十分ある
與
「仍」という字 音読みで「ジョウ」「ニョウ」 くんよみで「よ‐る」「しきり‐に」
20130207トークイベント:メモ : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/17287748/
20130207トークイベント終了。
キュロス王の二面性、トルコのアジア性、
探究1への言及が感慨深い。
台湾での囲い込み運動説明の話も興味深かった。
だが、想起説の説明はあれでいいのか?
トラクリは勿論、哲学の起源からも一歩進んだわかりやすい説明だったが(精神分析における非対称性との類似)。
さらに、フランスの内乱の引用だけは納得できない。
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」(全集17.320頁)
内在的な革命は当事者しかわからないはずだが、マルクスは常に外部にいて構造を俯瞰する。
また、プルードンの交換銀行が必要だったことは明白なのにマルクスはそれを圧殺する。
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僕の本には書いてないんですけど…
想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…
相手が思い出すのを助ける
自分は何もしない…精神分析も医者は関係ない
患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめたのは医学用の話で…
そのことを痛む?しかない…
僕はそのことで思うのは、
それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…
それを思い出せばいいだけです。
slowslow2772
@slowslow2772
柄谷行人:哲學是普遍思考
youtu.be/g-iSiagsBJM 1/3 1:05
柄谷行人:只用暴力是生不出權力的,交換模式 A - D
youtu.be/oRF3mJkQZGs 2/3 4:24
柄谷行人:現在的世界,其實正在重複120年前發生過的事情
youtu.be/U_8nsnqlgHE 3/3 2:24
2017/01/12 pic.twitter.com/gA8dhQAPbN
2023/05/18 9:42
https://twitter.com/slowslow2772/status/1658996446761484288?s=61
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