水曜日, 12月 27, 2017

龍女成仏



道元禅師の女性成仏論について 
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/ce2e6dad7c044d9254c51a7a1f813fcf
『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻にて道元禅師は以下のように説かれている。

仏法を修行し、仏法を道取せんは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、
衆生の慈父なり。たとへば龍女成仏のごとし。供養恭敬せんこと、諸仏如来にひとしかる
 べし。これすなはち仏道の古儀なり。

この巻で道元禅師は、
真実を得たものであれば誰であってもその得道、得髄に礼拝すべきである。
女性だからといって軽んずるのは全く誤りである、と説かれます。


「日本国にひとつのわらひごとあり」…
巻の終盤で、に道元禅師は「女人禁制の結界」を、女性というだけで排除する
のは全く的外れなものと批判します。
権威が決めたことだから、古くからのしきたりだから、などという説明は
「わらはば人の腸(はらわた)もたえぬべし」…


http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/ce2e6dad7c044d9254c51a7a1f813fcf
引用文中にある龍女成仏については、『妙法蓮華経』「提婆達多品」に以下のように
説かれていて、それを受けたものである。

 爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、
 汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢
にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦
して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。又女人の身には猶お五障あり、一
には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身
なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。…

女の言わく、汝が神力を以て我が成仏を観よ。復此れよりも速かならん。当時の衆会、
皆龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往い
て宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって、普く十方の一切衆生の為
に妙法を演説するを見る。爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天・龍・八部・人と非人と
皆遥かに彼の龍女の成仏して、普く時の会の人天の為に法を説くを見て、心大に歓喜し
て悉く遥かに敬礼す。…

これは、いわゆる「変成男子」とされて、これが女性成仏と取るべきか?それとも男性
成仏と取るべきか?という見解があるが、基本的に曹洞宗ではこれを女性成仏であると
いう。だからこそ、「龍女成仏」という語にて語られるのである。



45分間の坐禅ののち「八.礼拝得髄」後半。

この巻で道元禅師は、
真実を得たものであれば誰であってもその得道、得髄に礼拝すべきである。
女性だからといって軽んずるのは全く誤りである、と説かれます。
188ページ「また和漢の古今に帝位にして女人あり」から。
皇帝になった女性が国土を所領し、人々が臣下となるのは、皇帝の位を尊ぶから。
比丘尼を敬うことも僧侶として釈尊の教えをはっきりつかんだときに敬うのである。
「またいま至愚のはなはだしき人おもふことは、女流は貪婬所対の境界にてありとおもふこころをあらためずして、これをみる」
女性は欲望の対象とであるからこれを忌み嫌う、というのは愚のきわみ。
そんなことを言うなら「一切男子もまたいむべきか」
男だろうと女だろうと幻だろうと、あらゆるものが情欲の対象・機縁になる。
「これみなすつべきか、みるべからざるか」
「おほよそ境をみてはあきらむることをならふべし、
何にかぎらず、何かにぶちあたったら逃げずにそれが何なのか学ばなくてはならない。

「日本国にひとつのわらひごとあり」
巻の終盤で、に道元禅師は「女人禁制の結界」を、女性というだけで排除するのは全く的外れなものと批判します。
権威が決めたことだから、古くからのしきたりだから、などという説明は
「わらはば人の腸(はらわた)もたえぬべし」

つまるところ
「一切衆生みな化をこうぶらん功徳を、礼拝恭敬すべし」
西嶋老師は解説されます。
釈尊はすべての人々を救おうと教化された。あれは救うけれどもこれは救わない、ということではない。
誰でも釈尊の教化を受けうるということ、そのことを敬うべきである。

なお、この日読んだ本巻の後半は現在の岩波文庫ではこのように説明されています。
「以下は75巻の正法眼蔵には諸本いずれも欠き、ただ永平寺に伝わる秘密(密)正法眼蔵の中だけに残ったものである。恐らく、75巻の正法眼蔵が整理された時、削られたものであろう」
なにか不都合があったのでしょうか。


植木雅俊『仏教のなかの男女観』 - 三日坊主日記
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/6b14cc0e42a0ede60a9535802fcafd05
ある席で女性は仏になれないという話になったので、つい知ったかぶりをして、女性が仏になるためには変成男子といって、男に変身してそれから仏になるんだ、それは『法華経』によるとチンポが生えてくることなんだという話をした。
とはいうものの、本当かどうか心配になって植木雅俊訳『法華経』を調べてみた。

文殊菩薩が、8歳になる龍女(龍王の娘)が将来仏になるだろう(「正しく完全な覚りを覚ることができる」)と予言する。
それに対して、智積菩薩は龍王の娘が「正しく完全な覚りを覚ることができるということを、いったい誰が信ずるでしょうか」と疑い、舎利弗はブッダの位に達した女性はいない、「理由は何か? 女性は、今日まで五つの位に到達したことはないからだ。五つとは何々であるか? 第一はブラフマー神の位、第二はインドラ神の位、第三は大王の位、第四は転輪王の位、第五は不退転の菩薩の位である」と否定する。
すると、「一切世間の人々の眼前において、また長老シャーリプトラの眼前において、女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現われ、そして、サーガラ龍王の娘は、自ら真の菩薩であることをはっきり示した」。
そして龍女は自分が覚った姿や、衆生に説法している姿を示したので、智積菩薩と舎利弗は沈黙してしまった。
というようなことが『法華経』「提婆達多品」に説かれている。

植木雅俊氏は注に
「「女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現われ」という箇所は、「変成男子」と漢訳された。この言葉尻をとらえて、「女性に対する差別」「時代思潮の制約から完全には自由になっていない限界」などといった論評がなされている。ところが、原文の前後を読むと、変成男子は、女性の成仏に必要不可欠な条件として描写されているのではなく、小乗仏教の偏頗な女性観にとらわれた人に、女性の成仏が可能なことを説得するための手段として用いられていることが分かる」
と書いている。

私も仏教は女性差別をしている、その表れが変成男子だと思っていた。
そこで、植木雅俊氏の『仏教のなかの男女観』を読んだみたのだが、これがおもしろい。
フェミニズムからの仏教批判は「仏教という宗教は「女人五障」説のように女性を男性の枠外に「排除」するか、さもなければ「変成男子」のように、女性の性を否定して、男性の性への「一元化」を説いてきたというものである。また、そのような「排除と一元化」の根源は、そもそも「五比丘」から出発した釈尊の原始サンガにあった、との指摘もなされている」。
田上太秀博士は「原始仏教には差別はないが、大乗仏教は女性差別の宗教である」と断定している。

しかし、植木雅俊氏は、仏教が女性差別をしているという主張は誤解だと言う。
「女人五障と変成男子について検討してみると、いずれの批判も文章の前後関係や、歴史的背景を無視して一断面のみをとらえた議論というべきものである」
「変成男子という言葉の字面だけから、いとも単純に女性蔑視と決めつけるのは、当時の社会的、思想的時代背景を無視した皮相な見方であり、一面的な偏見と言わざるを得ない」

道元禅師の女性成仏論について - つらつら日暮らし
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/ce2e6dad7c044d9254c51a7a1f813fcf
或るブログを読んでいたところ、曹洞宗の女性成仏観については、道元禅師にて説かれず、瑩山禅師に至ってから説かれたと主張されていた。瑩山禅師が説かれたのは嘘ではないが、道元禅師がそれを説かなかったのは嘘であると思う、ただ解釈は難しい。よって、道元禅師が女性成仏を説いていたことを以下に確認しておきたい。その理念としてもっともよく知られているのは、『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻である。同巻にて道元禅師は以下のように説かれている。

仏法を修行し、仏法を道取せんは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。たとへば龍女成仏のごとし。供養恭敬せんこと、諸仏如来にひとしかるべし。これすなはち仏道の古儀なり。

これは、75巻本の同巻に於ける末尾の部分にて、結論として説かれることである。道元禅師は、男性や女性という要素は、成仏の条件を左右するものではないと主張しておられる。いわば、出家し、坐禅すれば、それが成仏であり作仏であり得法なのであって、もし得法された女性、いわゆる比丘尼が居られれば、男性であろうと女性であろうと、聞法者はその導師を礼拝し、そして自ら法を得るべきだというのである。だからこそ、仏法を道取しようとするならば、男女の姿に拘わらず相手を供養しなければならない。なお、引用文中にある龍女成仏については、『妙法蓮華経』「提婆達多品」に以下のように説かれていて、それを受けたものである。

 爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、
 汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。又女人の身には猶お五障あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。
 爾の時に龍女一つの宝樹あり、価直三千大千世界なり。持って以て仏に上る。仏即ち之を受けたもう。龍女、智積菩薩・尊者舎利弗に謂って言わく、我宝樹を献る。世尊の納受是の事疾しや不や。答えて言わく、甚だ疾し。女の言わく、汝が神力を以て我が成仏を観よ。復此れよりも速かならん。当時の衆会、皆龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって、普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る。爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天・龍・八部・人と非人と皆遥かに彼の龍女の成仏して、普く時の会の人天の為に法を説くを見て、心大に歓喜して悉く遥かに敬礼す。無量の衆生法を聞いて解悟し不退転を得、無量の衆生道の記を受くることを得たり。無垢世界六反に震動す。娑婆世界の三千の衆生不退の地に住し、三千の衆生菩提心を発して授記を得たり。智積菩薩及び舎利弗、一切の衆会黙然として信受す。

これは、いわゆる「変成男子」とされて、これが女性成仏と取るべきか?それとも男性成仏と取るべきか?という見解があるが、基本的に曹洞宗ではこれを女性成仏であるという。だからこそ、「龍女成仏」という語にて語られるのである。しかしながら、この辺が難しいところではあるが、成仏という相には男女は関係がない。成仏は成仏であって、男女の問題ではない。しかし、結果的に女性は女性として成仏への回路が開かれる。間に様々なプロセスが入るが、その一部を恣意的に取り出して、問題視することは許されていない。全体として見るべきだ。だからこそ、「礼拝得髄」巻では、冒頭に以下のように説かれる。

修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうること、もともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし、恁麼人なるべし。

大丈夫であり、恁麼人であるという。これこそ、阿耨菩提を修行する時に礼拝すべき導師であり、それはこの導師が阿耨菩提を伝えていることをいう。道元禅師はその顕著な例として、同巻にて中国の末山尼を採り上げる。末山尼は比丘尼である。しかし、大丈夫であり、人天の導師となった。これもまた、女性の得法を説く例である。

三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去有仏のゆえに、出家・受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家・受戒によるなり。おほよそ出家・受戒の功徳、すなはち諸仏の常法なるがゆえに、その功徳、無量なり。聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。
    『正法眼蔵』「出家功徳」巻

これは、道元禅師が成仏の条件として、「出家」を強調された説法の箇所だが、ここにも「女身成仏」を正伝ではないとして、否定されているように見える。しかしながら、その対象として「男身成仏」などが説かれているのであれば、これを女性が成仏できないと説いていると理解すべきであろう。しかし、道元禅師はただ「出家成仏」をのみ説かれる。要するに、先に「礼拝得髄」巻で挙げた「男女等の相にあらず」を再確認したといえよう。

これは、結果的にプロセス全体として見れば、女性は出家して、そして成仏できるという。その時には、男女の問題ではなくて、出家成仏である。このプロセスを恣意的に切り出せば、女性はそのままで成仏できないと主張することになろう。しかし、それは誤りである。或いは「変成男子」の誤解もまた然りである。女性は成仏する。しかし、成仏には様々なプロセスを経る。これは男性とて同じだ。男性であっても、出家しなくてはならない。

ところで、その出家した後に、修行する場所を提供できなければ、この理念は理念として消える。しかし、道元禅師は女性を自ら建立した叢林にて修行させた。それは、以下の一説が先行的に説かれていたことからすれば、相当の英断である。

一に寺院、寺に大小の異ありと雖も、皆、一様に祇園精舎の図を模す〈寺の図は別にあり〉。四面に廊下有るも脇門無し、ただ一門を開く。而して監門人あって薄暮にこれを閉じ、天明にはこれを開く。特に比丘尼、女人並びに、雑人凶人の夜宿を制止するなり。仏法の滅亡はただ女事等に起こるが故なればなり。
    栄西禅師『興禅護国論』「建立支目門 第八」

栄西禅師は、比丘尼であっても女性であれば叢林にて夜泊めてはならないという。ただし、叢林修行は、夜寝ることまでも修行である。よって、この見解を敷衍すれば女性が修行する場所の否定になってしまう。道元禅師が「礼拝得髄」巻で、女人禁制の修行場所を否定したが、伝教大師最澄もまた女人禁制を説いたことなどの先行的見解を否定する目的もあったのであろう。また、その批判を受け継いで瑩山禅師も女性が修行するための場所を永光寺山内に作った。

勝蓮峰円通院を建て、当山の本主祖忍大姉に与う。本尊は、予の今生の悲母、一生頂戴し随身の十一面観音なり。
    『洞谷記』

こういった流れは曹洞宗全体に見えることである。

「得法」を媒介にして男女の平等論を展開していることは、道元の深い人間性の理解を示していて注目される。道元は、当時の仏教界が、女性を「貪婬」のみなもととして「比丘尼・女人」を道場に入れず女性を蔑視している風潮を指摘して、「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判し、「邪風」とよんで厳しく非難して、当時の女性観に猛反省をうながすとともに、女性の地位の弁護に万丈の気を吐いている。
    竹内道雄先生『道元』吉川弘文館人物叢書、201頁

とりあえず、このような研究の指摘もあるので参照しておいた。