音楽は音を鳴らすものという常識を覆す「無音」の音楽である。楽譜には次のように記されており、左側が原語、右側は日本語訳である。
I TACET II TACET III TACET
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第1楽章 休み 第2楽章 休み 第3楽章 休み
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楽章を通して休止することを表すtacet[1]が全楽章で指示されており、演奏者は舞台に出場してから楽章の区切りを示すこと以外は楽器とともに何もせずに過ごし、一定の時間が経過したら退場する。
「4分33秒=273秒」から本作品を「絶対零度(-273℃)=無」とする意見も散見されるが、ケージ自身の弁ではない[2]。「無」を聴くより、演奏会場内外のさまざまな雑音、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている。
鈴木はケージに永平寺の暁の行事(午前3時の勤行)を音楽的に賞賛し、鑑賞を薦めている。
五木寛之の 百寺巡礼 永平寺
「五観の偈(ごかんのげ)」
※食事前に全員で唱えます。
一には、功の多少を計り、彼の来所を量る (感謝)
二には、己が徳行の全欠とはかって供に応ず (反省)
三には、心を防ぎ過(とが)を離るることは、貧等(とんとう)を宗とす (修養)
四には、まさに良薬をこととするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり (目的)
五には、成道のための故に、いまこの食を受く (理想)
①私たちと平等の命をいただく
②今頂く命を食べるだけのことをしたか?
③三毒(むさぼり、いかり、おろかさ)をおさえ、修行の心をもって頂く
④健康と保つための良薬として、この食事を頂く。
⑤私の煩悩を満たすためでなく、天地のまことの道理を実践、究めるめに、この食事を頂きます。
道元禅師と『典座教訓』 – 典座ネット
http://tenzo.net/kokoro1/
ja.wikipedia.org/wiki/永平寺
永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院。總持寺と並ぶ 日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、寺紋は久我山竜胆紋( 久我竜胆紋・久我竜胆車紋)である。開山(1244年)は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀 如来の三世仏である。 目次. [非表示]. 1 歴史. 1.1 道元の求法; 1.2 越前下向; 1.3 道元 以降. 2 伽藍; 3 歴代貫首; 4 文化財. 4.1 国宝; 4.2 重要文化財; 4.3 福井県指定有形 文化財. 5 交通; 6 門前再構築事業と宿泊施設; 7 関連項目; 8 脚注; 9 参考文献; 10 外部リンク ...
道元が入宋、修行の結果、大悟したということで、
日本に帰国したのだが、
弟子のひとりが、道元にその悟りの内容を質問したときに
道元は、
《「眼横鼻直(何故、顔の上に眼が横についており、鼻がまっすぐに通っているのか)」
がわかっただけだ》
とのみ答えた
弟子はそのあまりにもそっけない答えに、
困惑し、煙にまかれる思いがして、唖然とした…
只是等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して、人に欺かれず、便乃ち空手にして郷に還る。所処に一毫も仏法なし。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。畢竟如何。良久して云く、三年に一閏にあい、鶏は五更に啼く。
訳)ただはからずも先師天童如浄禅師にお目にかかり、その場で目は横、鼻は縦であることがわかって、もはや人にだまされなくなった。そこでなにも携えず故郷に還ってきた。だからして、私にはいささかも仏法はない。ただなんのはからいもなく自分の思うままに時を過ごしているだけだ。見よ毎朝毎朝、朝日は東に昇るし、毎夜毎夜、月は西に沈む。雲がはれあがると山肌が現れ、雨が通り過ぎると辺りの山は低い姿を現す。結局、どうだというのだ。しばらくしていうには、三年ごとにうるう年が一回やってくるし、鶏は五更(午前四時)に啼く。
『道元禅師語録』永平広録
道元禅師語録 (講談社学術文庫)/鏡島 元隆
ameblo.jp/kikouhealing/entry-12210353615.html
ことを伝えればいいだけなのに、ものを伝えることで、事実が湾曲される。 ことがわかれ ばいいだけなのに、ものを理解しようとする。 道元禅師が、中国で悟り、帰国したときの 言葉で、「眼横鼻直空手還郷(がんのうびちょくくうしゅかんごう)」というのがある。 道元 禅師は、経典や仏像などは持ち帰らずに、ただ「目は横に、鼻は縦についていることが わかって、空手で帰ってきた」と言った。(※これまでの人達は膨大な経典を持ち帰っ ていたのだけれど、道元禅師は経典が大切なのではないということを指し示し ...
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seesaawiki.jp/w/turatura/d/永平広録
【定義】 日本に曹洞宗を初めて将来された道元禅師が生前に行った上堂・小参、或いは 自ら書かれた法語・頌古・偈頌などを集めた語録。全10巻。詳しくは『道元和尚広録』( 表題、内題は以下に記載)と呼ばれる。中国留学中の偈頌、道元禅師が深草に興聖寺 を開かれてから越前の大仏寺(後には永平寺に改称)に移られて、遷化される前年まで の説法を弟子達が記録・編集したものである。編年体の伝記ではないけれども、道元 禅師の一生の記録といって過言ではない。 応時応節に説かれた説法の記録 ...
スティーブ・ジョブズが影響を受けたのは鈴木俊隆(曹洞宗)の方
ただし鈴木大拙がケージに薦めた永平寺には行っている(鈴木大拙は臨済宗の方が縁が深いが)
鈴木俊隆著
"Zen Mind, Beginner's Mind "は45ヶ国語に翻訳されている(日本語訳は「禅へのいざない」)。
[ジョブズが]もともと、禅に傾倒したのは、60~70年代のアメリカ西海岸で東洋思想の流行があって、
興味を持ったということのようだ。若気のいたりで「かじってみた」という人も多いと思うが、
彼(ジョブズ氏)はかなりまじめにやった。永平寺(福井県)に行って、出家しようとまで考え
たということは、今回(翻訳して)初めて知った。出家は、禅の師匠、知野弘文氏に止められたという。
[ジョブズの]師匠は、知野氏(改名後、乙川氏)と鈴木俊隆氏の2人。鈴木氏は彼(ジョブズ氏)が住んでい
た米カリフォルニア・ロスアルトス近郊で禅を教え、知野氏はサンフランシスコ禅センターで座禅の会をや
っていたという。彼(ジョブズ氏)は結婚式も仏式で、お経を上げた。東洋思想のなかで、なぜ禅になった
のかという経緯は分からないが、かなりの傾倒ぶりだ。禅の簡素で華美を排するところに引かれたらしい。
それは彼の製品に表れていると思う。伝記にも「シンプルにしろ」という表現が出てくる。
1 Comments:
𝑷𝒆𝒕𝒆𝒓
@zippu21
タモリのジョンケージ特集かなり好きなので、またこういう特集やって欲しい
youtu.be/eBMKQCOqJOU pic.twitter.com/tulPAGTI18
2023/01/09 11:46
https://twitter.com/zippu21/status/1612279649710530561?s=61&t=AbKnCURReSzBlgQ3rTAzPw
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