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新古典派経済学とニュー・ケインジアン
新古典派経済学(しんこてんはけいざいがく、英: Neoclassical economics)とは、経済学における学派の一つ。近年盛んになった新しい古典派(ニュー・クラシカル)との区別からネオクラシカルと呼ぶこともある。
もともとはイギリスの古典派経済学の伝統を重視したアルフレッド・マーシャルの経済学(ケンブリッジ学派)を指すとされたが、広義にはオーストリア学派(ウィーン学派)、ローザンヌ学派(数理学派)、ケンブリッジ学派の三学派を指す場合もあり[1]、さらにイギリスのジェボンズ、フランシス・イシドロ・エッジワース、ジョン・ベイツ・クラークによるアメリカで隆盛したアメリカ経済学やクヌート・ヴィクセルのスウェーデン学派を含める場合もある[1]。現在では一般に限界革命以降の限界理論と市場均衡分析をとりいれた経済学をさす。数理分析を発展させたのが特徴であり、代表的なものにレオン・ワルラスの一般均衡理論や新古典派成長理論などがある。
新古典派においては一般に、経済を経済主体の最適化行動と需給均衡の枠組みで捉え、パレートの意味での効率性によって規範的な評価を行う。
新古典派経済学は自由放任主義(レッセフェール)の理論であるとの見解がしばしば表明されてきたが、ジョン・メイナード・ケインズ以前あるいはケインズ以外の自由主義経済学派の系統と呼ぶのがより実体に近く、政治思想としての自由放任主義、とくにリバタリアニズムやアナキズム(無政府主義)とは大きく異なり、公共財の供給や市場の失敗への対処、あるいはマクロ経済安定化政策など政府にしか適切に行えないものは政府が行うべきであるとするなど、政府の役割も重視する。新古典派経済学の源泉は、道徳哲学の延長にあり[2]、(新古典派経済学などの伝統的経済学では)社会的・文化的要素は基本的に重視されない[3]。
自由主義の観点では、たとえばレオン・ワルラスはすべての国土の国有化を提唱しており[4]、無条件で手放しの自由放任主義者ではない。ワルラスによればアダム・スミス流の経済学はむしろ応用の側面から経済学を定義したものであって、理想的な社会実現の夢を膨らませていたワルラスは「土地社会主義」を基礎として、そこから完全競争社会、ひいては完全な人間社会を描こうとした[5]。
マーシャルが創設したケンブリッジ学派おいては、不完全な人間が作った経済が完全であるはずがないとの共通認識があった。マーシャルは自由放任主義に基礎をおく価格決定論(ワルラスの一般均衡)には批判的であり、不完全競争の世界を前提とした部分均衡分析を活用した[6]。
古典派あるいは新古典派とケインズ経済学との差異の一つは失業の取り扱いであり、新古典派はケインズの否定した古典派の第二公準を採用しており、長期における非自発的失業が存在しない状況を基本として考える点に特徴がある[7]。
古典派経済学では、労働市場は「賃金が伸縮的に調整されることによって、労働の需要と供給は必ず一致し、求職者の失業者は存在しない」と考えている[8]。新古典派の経済では、賃金・物価に対応して労働・財の需給が決まることを前提とする[9]。市場では需給が一致するように価格が調整されるため、市場の調整機能が完全であれば、労働市場・財市場でも、失業・売れ残りはないとしている[9]。
ただし、新古典派的な市場が成立するには、様々な仮定が必要であることが指摘されており、例えば新古典派的な市場では完全競争が前提とされており、「財・サービスの売り手と買い手が多数存在し、それぞれが価格を操作できない」という仮定が設けられる[10]。また、新古典派的な市場では、「売り手と買い手双方が情報を持っており、提供できる財・サービスの質は同じ」という前提となっている[10]。現実には、価格決定に影響力を持つ企業の独占・寡占は広汎に確認され、また労働市場でも失業者は普通に存在する[10]。その後、「情報の非対称性」「労働市場・資本市場の硬直性」の導入、「独占的競争」の前提など、経済モデルは修正されている[10]。
新古典派の立場では、政府の積極的な財政・金融政策は失業の役には立たず、むしろ政府による資源の浪費をもたらすだけで終わるとされている[11]。
新古典派経済学と立場が似ているものとして、いわゆる新しい古典派(ニュー・クラシカル、New classical economics)というものが存在する。共に邦訳すると「新しい古典」となってしまうことから、しばしば日本においては専門家以外の間では混同される傾向にある。
ニュー・クラシカルは新古典派的な考え方を前提としてはいるが一方で期待という概念や合理的な代表的個人などを導入するなど、両者は異なる。成立としては新古典派よりもニュー・クラシカルのほうが新しく、マネタリズムの影響も受けている。
新古典派経済学には、他の経済学からの批判がある。
『進化経済学ハンドブック』には、新古典派経済学のドグマとして、以下の7つのドグマが指摘されている[14]。
ジョン・メイナード・ケインズは、新古典派経済学(ただし、彼はこれを古典派経済学と呼んでいる)の最大の問題点としてセイの法則を挙げた[15]。これに対し、ケインズが設けた概念が有効需要であった。
リチャード・ヴェルナーは、「銀行が閉鎖され一般の業務が停止されたとしても、投資家は資本市場で資金を調達できる」と新古典派経済学が主張していると述べた上で、その主張が以下に掲げた二つの現実を無視すると考える[16]。
経済学者の飯田泰之は「主流派経済学=新古典派には、需要不足による不況の視点がないと指摘されることがあるが、現在(2003年)の理論研究の中心である最適化行動に基づく動学一般均衡理論から、十分需要不足による停滞・マクロ政策の効果を導くことができる。情報の経済学を応用したモデルなどがその例である。新古典派であるからいつでも適切な均衡にあるというのは、学部教育での便宜的な単純化に過ぎない」と指摘している[17]。
経済学者の小林慶一郎は 「新古典派は自由主義的傾向が強い一方で、ケインズ経済学は設計主義的傾向が強い」と指摘している[18]。
経済学者の小野善康は「ケインズ政策とは、純粋な効率化政策である。需要不足の是非を問うやり方が違うだけで、目的は新古典派と同じである」と指摘している[19]。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%B4%BE
「新古典派経済学」とは異なります。
新しい古典派(あたらしいこてんは)またはニュー・クラシカル(New classical economics) は、1970年代に生まれたマクロ経済学の学派である。日本ではこの呼称は十分認知されておらず、広い意味で新古典派(ネオクラシカル派)に分類される(以下では混乱を避けるため、「新古典派」をネオクラシカル派、「新しい古典派」をニュー・クラシカル派とそれぞれ呼ぶことにする)。
ケインジアンのマクロ経済学に対抗して、ニュー・クラシカル派は完全にネオクラシカル派の枠組みの上に構築されている。特に、ニュー・クラシカル派は精緻なミクロ的基礎づけ(microfoundation) の重要性を強調している。なお、ミクロ的基礎とは、ミクロ経済学でモデル化された個別の経済主体の行動を基礎にして、マクロ経済学のモデルを構築することである。その意味では、ケインジアンの経済分析にミクロ的基礎を与えることに努力してきたニュー・ケインジアンは、部分的にはこのニュー・クラシカル派に対応して発展してきたとも言える。
いくつかの仮定が、多くのニュー・クラシカル派モデルでは共通のものになっている。まず、すべての個人(経済主体)が合理的(効用最大化行動を取る)で合理的期待(当該モデルと整合的な期待)を形成する。また、一度マクロ経済が完全雇用あるいは潜在的産出量で唯一の均衡を持つと仮定された場合には、この均衡は価格および賃金の調整(市場清算)を通じて常に達成可能であると仮定する。
ニュー・クラシカル派は、代表的個人(representative agent)モデルを先駆的に採用している。しかしながら、このモデルは痛烈なネオクラシカル派批判も浴びている。この批判は、Sonnenschein-Mantel-Debreu定理(Kirman, 1992年)や合成の誤謬(ごびゅう) (fallacy of composition) で示されているように、ミクロ経済学的行動とマクロ経済的結果の間には明確な分裂があることに由来している。(代表的個人モデルを用いると、合成の誤謬は起こらない。)このような批判は、ネオクラシカル派的な総生産 (aggregate production) 関数の存在を疑うケンブリッジ資本論争に似ている。
最も有名なニュー・クラシカル派の経済モデルは、リアルビジネスサイクル理論モデルである。このモデルはロバート・ルーカス (Robert Lucas Jr.) が発展させ、この功績によりノーベル経済学賞も受賞している。
ハル・ロナルド・ヴァリアン(Hal Ronald Varian、1947年3月18日 - )はアメリカ合衆国の経済学者。ミクロ経済学と情報経済学を専門としている。
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各国の中央銀行が採用しているモデルは、「ニュー・ケインジアン」モデルと呼ばれます。 この呼称は、賃金や価格などの硬直性を前提としている点で経済学者のジョン・ メイナード・ケインズの理論と共通点がある一方で、期待を厳密に考慮している点などで従来のケインズ理論とは異なる新しいモデルであることを表しています。 このうち最も単純なモデルは、インフレ率、生産、政策金利について、(1)生産が拡大するとインフレ率が高まる(2)金利が上昇すると需要が縮小する(3)インフレ率や生産が高まると ...
日本の経済政策が混乱している原因は、経済閣僚がマル経しか知らない団塊世代で、 ケインズ理論さえ理解していないことにある。乗数理論を知らない菅直人氏などはまだいいほうで、東大経済学部でマル経をたたき込まれた亀井静香氏は確信犯的な社会主義者だ。この世代はどうしようもないとして、官邸や財務省のスタッフには基礎学力があるので、経済学の知識をアップデートしてほしい。英語が読めればMankiwがベストだが、本書は日本語で書かれた初の本格的なニューケインジアンの教科書で ...
【2015/01/03追記】中級ミクロの翻訳書としては、ほぼヴァリアン一択だったのですが、 少し前に『ピンダイク&ルビンフェルド ミクロ経済学』が出ました。 ... 現在ではGoogleのチーフ・エコノミストを務めているヴァリアンの『入門ミクロ経済学』は、Hal R. Varian, Intermediate Microeconomics: A Modern Approach, 9th Edition, 2014 の翻訳です。 .... 上記の4冊がケインジアン的なアプローチなのに対して、最近発売された『 ウィリアムソン マクロ経済学』は古典派的な市場均衡アプローチのテキストです。
コアコースが始まるまでに最低でもvarianには目を通しておくことをお勧めする。 ちなみにMas-Colellの愛称はマスコで、「俺の嫁 ... 院に入る前にBB、Romerを読んだ上で、ベーシックなマクロをやりたければLSかWickens、成長論に重きを置きたければAcemoglu、ニューケインジアン的なマクロをやりたければWalshかWoodford、もしくはGali、数学的に細かく勉強したいならSL(with P)、数値解析に重きを置きたければAC、 McCandlessなどのバリエーションなどなど・・・。LSは別名「赤い悪魔」とよばれており、 その難解さ ...
ミクロ経済分析 ハル R.ヴァリアン 現代経済学 価格分析の理論 J.M.ヘンダーソン、R.E. クォント ミクロ経済学 西村和雄 東洋経済新報社 大学院 Microeconomic Theory, Andreu Mas- ... ヴァリアンは良い本ですが、これを読んでいると時間がなくなる可能性が高いので、数学をやって、武隈ミクロにとぶことを強くおすすめします。ヴァリアンは武隈が理解できないときにもどって ... 上級マクロ経済学 デビッド ローマー 新しいマクロ経済学―クラシカルとケインジアンの邂逅 齊藤 誠 大学院 現代マクロ経済学講義―動学的一般 ...
ギボンズはヴァリアン並みに難しい(特に後半は学部レベルを越えている)ので、60から65に変更. 3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/18(土) ..... 旧帝早慶くらいの院に行くつもりならvarianのmicroeconomic analysisとRomerのadvanced macroeconomics読んでおくのが一番ベタ。 MWGでもacemogluでももちろんok。 ..... まああれは2006年の本で、それからかなりニューケインジアンDSGEマンセーの本だから若干時代遅れ感はあるけど. 494: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/10/05(土) ...
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内容は、新古典派成長理論,無限期間モデル(ラムゼイモデル)、リアルビジネスサ. イクルモデル、内生的成長理論、ニューケインジアンモデル、などの理解に必要な分. 析力と ... [4] 斉藤誠『新しいマクロ経済学―クラシカルとケインジアンの邂逅』有斐閣、 2006年. 目的. 大学院修士課程の「コースワーク」として重要であり、博士論文研究を行う基礎力と ... [1]Hal Varian,Microeconomic Analysis ,3rd ed .,Norton,1992(第2 版の日本語訳『ミ. クロ経済分析』ハル R.ヴァリアン(著)、佐藤 隆三(訳)、三野 和雄(訳) 、勁草書房、.
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/31 17:14 ID:NHq9pd/1: ◇経済学の体系 ① 古典派 マルクス系 セイ系 ワルラス系 ②新古典派(マクロ長期理論中心) フリードマン系 ③ケインジアン(マクロ短期理論中心) ケインズ系 ④ニューケインジアン(マクロのミクロとの融合) リアルビジネスサイクル理論系 ◇近代経済学の分類と学者 近経全般 ルーカス スティグリッツ ミクロ経済学 ヴァリアン マクロ経済学 マンキュー 国際マクロ経済学 クルグマン 経済成長論 ソロー ローマー ジョーンズ *日本人では スタンフォード大学の雨宮 ...
新古典派経済学には、他の経済学からの批判がある。
『進化経済学ハンドブック』には、新古典派経済学のドグマとして、以下の7つのドグマが指摘されている[14]。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20090604/p1
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051118#p2より
先日、UCBの経済学部主催のセミナーで、コーディネータであるアカロフ先生が御大自ら行ったレクチャーを聞く機会があった。「ケインズ経済学の逆襲!」というのは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、'the Missing Motivation in Macroeconomics'というのが講演の本当のタイトルである。タイトルだけでなく以下の講演のまとめも、あくまで梶ピエールの理解によるものなので、必ずしもアカロフ先生の意図を正確に伝えていない可能性があるが、ご本人がこれを読んでクレームをつけることは絶対ないと思うのであまり気にしないでやることにする。正確さを期したい人は後で紹介するペーパーなどを参照してください。
さて、マクロ経済学における'the Missing Motivation'というのは何のことだろうか。これは、70年代においてそれまでのケインズ経済学にかわって学界の主流となったミクロ的な基礎付けを持つとされる(新古典派)マクロ経済学が、実は個々の経済主体の行動に関する「モチベーション」に関する基礎付けを欠いているのじゃないか、ということを指摘したものである。
こういった従来のマクロ経済学における'Missing Motivation'の典型例として、アカロフ氏は、「5つの中立性(neutrality)」に関する問題を挙げる。これは、各ミクロ経済主体の行動が政府の財政・金融政策などによって影響を受けない(経済政策はミクロ経済主体の行動に対し中立的である)ことを示す以下の5つの定理または仮説のことを指しており、いずれも新古典派的な政策的インプリケーションを導く理論的前提として重要な意味を持ってきた。
1.リカードの等価定理
2.フリードマンの恒常所得仮説
3.M-M(Modigliani= Miller)定理
4.自然(失業)率仮説
5.合理的期待形成仮説
アカロフ氏は、これらの「中立性」に関する定理もしくは仮説は、実は個々の経済主体の「動機づけ」を考慮していないものだとして、その理論的脆弱さを批判する。そして、これまで「ミクロ的基礎付け」を欠いているといわれてきたケインズ経済学の伝統的な見解(「中立性」とは正反対の結論を見出す)こそ、このような「動機付け」に関する新しい理論的知見に整合的であるだとする。つまり、「ミクロ的基礎づけを欠いているのは実はそっちのほうだ!」とケインジアンの立場から新古典派に「逆襲」するような構図になっているのだ。
下記のエントリ群を読んでもらえればわかるように、このときの講演のエッセンスは、このたび邦訳が出たの『アニマルスピリット』の内容にほぼ受け継がれている。金融危機後、世界中でケインズ経済学があっという間に復権するずっと前からその内容をくわしく紹介していた、このブログの先見性はもう少し誉められてもよいような気がするので、この機会にサルベージしておきます。
1.子孫に財産を残したいという欲求は、人の消費行動に影響を与える
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051120
2.人は「地位(アイデンティティ)にふさわしい消費を行いたい」という強い欲求を持つ
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051121#p1
3.資本家の投資行動は、自らの抱いている経営理念(アニマルスピリット)によって左右される
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051122#p1
4.人々が実質賃金よりも名目賃金の切り下げに強く抵抗する(貨幣錯覚)のは、社会的な「公平さ」への強い欲求のためである
アカロフ
アニマルスピリット
はじめに
フリードマンはたった1つ「欠けていた方程式」を新ケインズ派のIS-LMモデルにのせただけだった.生産と価格の短期的な関係を示す式だ.同じように,マクロ経済学の合理的期待形成革命は,マクロ計量経済モデルにはほとんど影響を与えないことが多く,単に自分のモデルの合理的期待形成「変種」を提示しただけだった.こうしたモデルはしばしば,同じIS-LMモデルをさらに変奏しただけのものにすぎなかった.たとえば古典的なサージェント=ワラス・モデル(Sargent and Wallace 1975)などがそうだ.
#4
インフレ期待の形成に,単純な機械的な理論を使うのではなく,合理的期待を使うなら,その合計が1になると考えるべき理論的な理由はないとSargent(1971)は示している.
Sargent, Thomas J. 1971. “A Note on the ‘Accelerationist’ Controversy.” Journal of Money, Credit and Banking 3(3): 721-25.
Sargent, Thomas J., and Neil Wallace. 1975. “Rational Expectations, the Optimal Monetary Instrument,and the Optimal Money Supply Rule.” Journal of Political Economy 83(2): 241-54.
参考:
RBC,DSGEに関して(重複世代モデル、『ゾンビ経済学』他)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/rbcdsge.html
総供給曲線と総需要曲線:
価| |
格| \ |←新古典派の総供給曲線
水| \ |
準| \ 。|
P| 。←ニュー・ケインジアンの総供給曲線
| 。。 \|
| \
| |\総需要曲線
|______|______
Mankiw, N. Gregory. 1985. “Small Menu Costs and Large Business Cycles: A Macroeconomic Model.” Quarterly Journal of Economics 110(2):529-38.
Mankiw, N. Gregory, and Ricardo Reis. 2002. “Sticky Information versus Sticky Prices: A Proposal to Replace the New Keynesian Phillips Curve.” Quarterly Jourrnal of Economics 117(4): 1295-328.
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