水曜日, 3月 14, 2018

源氏物語関連:「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」



源氏物語関連:「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」

http://nam-students.blogspot.jp/2018/03/blog-post_14.html

東京国立博物館 - 催し物 イベント 過去のイベント 博物館でお花見をhttp://www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=past_dtl&cid=5&id=7144

サクラサク名品
今年の目玉は王朝物語の世界「源氏物語絵合・胡蝶図屏風」

源氏物語絵合・胡蝶図屏風源氏物語絵合・胡蝶図屏風のうち胡蝶図(部分)
狩野晴川院〈養信〉筆 江戸時代・19 世紀
本館8 室(2月25日(火)~4月20日(日))

「源氏物語」のなかから、桜の季節を題材とした「絵合」帖を右隻に、「胡蝶」帖を左隻に選んで大きく描いています。

「絵合」は、うららかな春の日に梅壺女御(うめつぼのにょうご)と弘徽殿女御(こきでんのにょうご)が冷泉帝の御前で絵合を競う場面。「胡蝶」は、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう、梅壺女御)の春の仏事に、蝶の装束をした女童が、紫の上の贈った閼あ伽か棚だなに供える花を持って来た場面です。金箔砂子を贅沢に使って鮮やかに彩られた屏風には、桜の花びらが舞い、華やかな王朝物語の世界が展開しています。

描いたのは、江戸城障壁画制作でも活躍した木挽町(こびきちょう)狩野家第9代当主狩野養信。文政2年(1819)法眼の位につき、天保5年(1834)法印に昇り、晴川院と号しました。古画学習と、写生による堅実で華やかな画風を特徴とし、天保期の江戸城障壁画制作の総帥としても活躍、幕末狩野派で組織的にも作風的にも突出した優れた画家です。落款に「法眼」と記されていることから、本作は文政2年(1819)から天保5年(1834)の間に描かれたことがわかります。


http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html

冬(明石の君)|夏(花散里)
_______|_____
       |
秋(秋好中宮)|春(紫の上)

京都にモデルとなった大邸宅(渉成院)がある。源氏物語では春(紫の上)・夏(花散里)・秋(秋好中宮)・冬(明石の君)
春の女性・・・鞍馬寺のつづら折で、10歳の紫の上を見初めて、光源氏は宮中に連れてきて育てる。
しかし高貴な女性をと考えた光源氏は妻を娶る。紫の上は病に臥せて、出家を望む。光源氏は出家を認めず迷いを抱えたまま世を去る。
夏の女性・・・短い夏のように愛されるが、光源氏が訪ねるのは希だった。
秋の女性・・・早くに母を亡くしたが、天皇に結婚し幸せに暮らした。
冬の女性・・・身分不相応と自ら身を引き、光源氏との間にできた子供も自分で育てる。子供が成長して天皇に見初められ、明石の君も宮中に住み、孫達に囲まれて過ごした。
紫式部は冬の辛抱強い女性に一番の幸せを与えた。

http://ameblo.jp/cm115549901/entry-11100632972.html

2011/12/08
nhk放送



http://www.kanshundo.co.jp/museum/kyotokanko/higashiyama/07kikokutei/index.htm

隠れ京都案内>東山周辺>隠れ京都案内「源氏物語ゆかりの地・枳殻邸(

渉成園

)」

隠れ京都案内・源氏物語ゆかりの地「枳殻邸(渉成園)」
執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ)


◆下京の、知られざる光源氏ゆかりの地「枳殻邸」
 2008年は、源氏物語千年紀。源氏物語が紫式部によって書かれたと記録される年から、今年はちょうど1000年に当たります。千年紀を記念して、今回は下京区にある、あまり知られていない源氏物語ゆかりの地をご紹介いたしましょう!


枳殻邸の正面大門。

 「枳殻邸」、はてさて、何と読むでしょう?「キコクテイ」です。枳殻邸の正式名は「渉成園(しょうせいえん)」といいますが、造園当時、周囲に「枳殻(からたち)」を生垣として植えたことから、「枳殻邸」という別称を持っています。私たち地元の人には「キコクテイ」の名で親しまれています。

現在でも残る、枳殻(からたち)の生垣

 枳殻邸(渉成園)は、江戸時代に三代将軍・徳川家光から東本願寺の別邸として寄進された御殿ですが、その昔、平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の旧蹟であったという伝説があります。

河原左大臣・源融(822-895)
 この源融こそ、あの『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルではないかと言われる人物です。


 源融は嵯峨天皇の第十二子として生まれながら、臣下の源氏姓を賜り、侍従、右衛門督、大納言などを歴任し、左大臣となりました。光源氏も帝の子でありながら、臣下として「源氏」の姓を名乗ることになりました。

 物語での光源氏の住居は「六条院」、源融が住んだ場所も「六条河原院」と呼ばれていたそうで、六条河原院跡と伝説の残る枳殻邸(渉成園)にくると、まるで光源氏が実在していたかのような錯覚を覚えてしまいます。

4:44 午前  

少女 [編集]

(源氏33歳4月-35歳10月)

葵の上との子夕霧が元服する。源氏は思うところあって、彼を大学に学ばせるが、貴顕の子弟として夕霧はこれを恥じる。幼馴染で恋仲の雲居雁はかつての頭中将(内大臣)の娘であるが、彼女との仲も今や源氏の政敵となった内大臣によって塞えられ、夕霧は鬱々とする。翌々年、源氏の邸宅六条院が完成する。院は四季の町に分けられており、春に紫の上、夏に花散里そのほかの人びと、秋は斎宮女御の宿下りの町(このために秋好中宮と呼ばれる)、冬に明石の上が住いする。末尾に、紫の上と秋好中宮の春秋の争い歌がある。少女参照。

21 少女 おとめ 源氏33歳-35歳 a系
 

21帖 おとめ

0 Comments:

コメントを投稿

Links to this post:

リンクを作成

<< Home