デュ・シャトレ夫人(ライプニッツの宿敵ヴォルテールの恋人)が両者の違いに疑問をもったが、彼女が求める証拠
を、その仲間のオランダ人のウィレム・スフラーフェサンデがおこなっていた、重りを柔らかい土の上に落とす実験
の中に見出した。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAJVUVrfr5-AiQmsZupri0TQ97ga16RZbTIOcyfJZCx4zSVw4ItyJGqnWNnUh1aurXJluhGqAYp43mUkf7RL3H2KaKweTKOO0mRIipi58PNuEMBsRQvojZGUmPt_Na2y0Hckms/s1600/IMG_02042.jpg
E=mv^1が正しいとすれば、二番目の重りを一番目の二倍の速度で落とす場合、土に沈む深さも二倍になる。速度が
三倍ならば、深さも三倍になるはずだ。が、スフラーフェサンデの得た結果は違った。小さな真鍮の球を、前に落
としたときの二倍の速度で落としたところ、球は土の四倍の深さの穴を作ったのだ。速度を三倍にすると、深さは
九倍になった。
やがて、エネルギーはmv^2に等しいと考えるのが物理学者の常となった。ヴォルテールは恋人の死後にその説(も
ともと宿敵のライプニッツのものなのに)の普及に貢献した。
デカルト=ニュートンの説とライプニッツの説をカントは調停しようとした(『活力測定考』)。その考察はライプニッツを貶めるものだったが、それはカントがライプニッツを理解しなかったためである。
とはいえライプニッツにも不理解の責任の一端はある。わかり易い論文を書かなかった〜ニュートンの慣性の法則
を取り入れず、潜在的な力を死力、さらに加速度として現性化する力を活力と名付けたが、(形而上学を知的化す
るもので)一般には理解し難かった。
ちなみにドゥルーズはこの問題に『基礎づけるとは何か』邦訳93~6,注175~6頁で言及している。
《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ
るということだ。…ライプニッツは微積分法によらなければ、mv^2を発見することは
できなかった。…》
邦訳ドゥルーズ『基礎 …』95頁
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