木曜日, 12月 06, 2018

mv^2


14世紀、フランスのニコール・オレムは加速度運動の解析に成功した(『思想の中の数学的構造』山下正男p205)。
以下の図で,tは時間(extensio-外延量)、距離S割る時間tつまりS/t=vは速度(intensio-内包量)をあらわす。

        y
         v
        |        /|   
        |       / |     
        |      /  | 
        |     /   |
        |    /    |
        |   / (S) |
        |  /      |
        | /       |
________|/________| t     
        |            x      
        |            

三角形、S(=1/2vt)の面積で距離を表す(歴史的には微分積分の萌芽だ)。
加速度をaとするとv=atとなり、結局、S=1/2at^2となる。
運動量をmvとすると、運動エネルギーは1/2mv^2であらわされる。

ちなみに、この運動をめぐる認識の差異はライプニッツとデカルト派で論争になった。カントは初期論考
『活力測定考』(1746)でライプニッツ的な形而上学的視点を重視しながらもその不備を指摘することでデカ
ルト派(mv)とライプニッツ(mv^2)の両者を調停しようとしたのだ(多くの研究者はそれが失敗に終わったと考え
ているが)。
(図に話を戻すなら物理量はすべて長さ(S)、時間(t)、質料(m)う3つの次元から掛け算という演算だけで順次組み
立てられている。)


「F= ma」と「E=mv^2」

現在、速度vに加速度v=atを加えることで運動量mvと運動エネルギーmv^2の関係は(数式上)説明できる。
しかし、歴史的には運動法則から単純にエネルギーを考える人びとを説得するには長い時間がかかった。

ニュートンの説( 「F=ma」をエネルギーにそのまま適用する説)だと同型トラック二台が正面衝突すると、双方
の車が有していたエネルギーは全て消失したことになる(ボダニス『E=mc^2』邦訳72~5頁。以下は同書の要約)。

しかし、ライプニッツはエネルギーが「増加」すると考えた。消失せず、金属片を跳ね回らせたり…、騒乱はいつまでも
続く…(エネルギー保存の法則)。

デュ・シャトレ夫人(ライプニッツの宿敵ヴォルテールの恋人)が両者の違いに疑問をもったが、彼女が求める証拠
を、その仲間のオランダ人のウィレム・スフラーフェサンデがおこなっていた、重りを柔らかい土の上に落とす実験
の中に見出した。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAJVUVrfr5-AiQmsZupri0TQ97ga16RZbTIOcyfJZCx4zSVw4ItyJGqnWNnUh1aurXJluhGqAYp43mUkf7RL3H2KaKweTKOO0mRIipi58PNuEMBsRQvojZGUmPt_Na2y0Hckms/s1600/IMG_02042.jpg


E=mv^1が正しいとすれば、二番目の重りを一番目の二倍の速度で落とす場合、土に沈む深さも二倍になる。速度が
三倍ならば、深さも三倍になるはずだ。が、スフラーフェサンデの得た結果は違った。小さな真鍮の球を、前に落
としたときの二倍の速度で落としたところ、球は土の四倍の深さの穴を作ったのだ。速度を三倍にすると、深さは
九倍になった。

やがて、エネルギーはmv^2に等しいと考えるのが物理学者の常となった。ヴォルテールは恋人の死後にその説(も
ともと宿敵のライプニッツのものなのに)の普及に貢献した。

前述したようにデカルト=ニュートンの説と、ライプニッツの説をカントは調停しようとした(『活力測定考』)。
その考察はライプニッツを貶めるものだったが、それはカントがライプニッツを理解しなかったためである。

とはいえライプニッツにも不理解の責任の一端はある。わかり易い論文を書かなかった〜ニュートンの慣性の法則
を取り入れず、潜在的な力を死力、さらに加速度として現性化する力を活力と名付けたが、(形而上学を知的化す
るもので)一般には理解し難かった。
(ドゥルーズはこの問題に『基礎づけるとは何か』邦訳93~6,注175~6頁で言及している)



《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ

るということだ。運動している物体は、その瞬間 において異なっている。なぜならば、

運動するこの物体は未来の諸瞬間の理由として、より遠くに行く力を含んでいるからであ

る。力は未来の諸々の状態の原理を含んでいる。ライプニッツは微積分法によらなければ、

mv^2を発見することはできなかった。静止は無限小の速度でしかなく、二つの物体の間には

差異がある。静止は運動の特殊なケースである。したがって、力と未来の諸状態との関係

は微分的、積分的なのである。(1=1/2+1/4 + 1/8…)

ライプニッツにとってのデカルトの大きな誤りとは、延長と実体を混同したことである。

デカルトは最も根本的なものである力を考慮しなかった。カントのそれとは大分異なるに

せよ、ライプニッツをもって現象についての重要な理論が創設される。》

 邦訳ドゥルーズ基礎 95~6頁






095 1 基礎づけるとは何か 1956-1957ル仁ル グラン校

,の批、判である。たしかに単一な要素はそこに存在しているけれども,これ

\体ではなくて、力動的な統1体である。力とは延長の理由に他ならない

eraがa、、れSesseernaすることになる。

なぜならライブニッツは、

述,M碏の主語"(のな

出会うことになるからだ

第三省察」においてデカルトは、神は世界をその瞬間ごとに創造していると我々に語る。

したがって、時間の根本的な非連続性があることになる。ある瞬間は次に来る瞬間の理由

には決してならない。連続創造の神学は幾何学的な表象を作り上げている。したがって、

自然は機械論的な学に服することになる。なぜなら、自然には力能や潜勢力はないからだ。

世界そのものの中ではすべては延長と運動であった。物理学の幾何学への還元があったの

だ。ある時間 に一つの物体があるとしよう。この物体が不動のときと運動状態にあると

きとの間の差異は何だろうか? デカルトにとってはいかなる違いもない。だからこそ、

という結果が見出されるのは、デカルトと同じようにして運動の問題が立てられるとき

だけなのだ。


《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ

るということだ。運動している物体は、その瞬間 において異なっている。なぜならば、

運動するこの物体は未来の諸瞬間の理由として、より遠くに行く力を含んでいるからであ

る。力は未来の諸々の状態の原理を含んでいる。ライプニッツは微積分法によらなければ、

mv^2を発見することはできなかった。静止は無限小の速度でしかなく、二つの物体の間には

差異がある。静止は運動の特殊なケースである。したがって、力と未来の諸状態との関係

は微分的、積分的なのである。(1=1/2+1/4 + 1/8…)

ライプニッツにとってのデカルトの大きな誤りとは、延長と実体を混同したことである。

デカルトは最も根本的なものである力を考慮しなかった。カントのそれとは大分異なるに

せよ、ライプニッツをもって現象についての重要な理論が創設される。》

 邦訳ドゥルーズ基礎 95~6頁