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《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ
るということだ。運動している物体は、その瞬間 において異なっている。なぜならば、
運動するこの物体は未来の諸瞬間の理由として、より遠くに行く力を含んでいるからであ
る。力は未来の諸々の状態の原理を含んでいる。ライプニッツは微積分法によらなければ、
mv^2を発見することはできなかった。静止は無限小の速度でしかなく、二つの物体の間には
差異がある。静止は運動の特殊なケースである。したがって、力と未来の諸状態との関係
は微分的、積分的なのである。(1=1/2+1/4 + 1/8…)
ライプニッツにとってのデカルトの大きな誤りとは、延長と実体を混同したことである。
デカルトは最も根本的なものである力を考慮しなかった。カントのそれとは大分異なるに
せよ、ライプニッツをもって現象についての重要な理論が創設される。》
邦訳ドゥルーズ基礎 95~6頁
095 1 基礎づけるとは何か 1956-1957ル仁ル グラン校
,の批、判である。たしかに単一な要素はそこに存在しているけれども,これ
\体ではなくて、力動的な統1体である。力とは延長の理由に他ならない
eraがa、、れSesseernaすることになる。
なぜならライブニッツは、
述,M碏の主語"(のな
出会うことになるからだ
第三省察」においてデカルトは、神は世界をその瞬間ごとに創造していると我々に語る。
したがって、時間の根本的な非連続性があることになる。ある瞬間は次に来る瞬間の理由
には決してならない。連続創造の神学は幾何学的な表象を作り上げている。したがって、
自然は機械論的な学に服することになる。なぜなら、自然には力能や潜勢力はないからだ。
世界そのものの中ではすべては延長と運動であった。物理学の幾何学への還元があったの
だ。ある時間 に一つの物体があるとしよう。この物体が不動のときと運動状態にあると
きとの間の差異は何だろうか? デカルトにとってはいかなる違いもない。だからこそ、
義
という結果が見出されるのは、デカルトと同じようにして運動の問題が立てられるとき
だけなのだ。
《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ
るということだ。運動している物体は、その瞬間 において異なっている。なぜならば、
運動するこの物体は未来の諸瞬間の理由として、より遠くに行く力を含んでいるからであ
る。力は未来の諸々の状態の原理を含んでいる。ライプニッツは微積分法によらなければ、
mv^2を発見することはできなかった。静止は無限小の速度でしかなく、二つの物体の間には
差異がある。静止は運動の特殊なケースである。したがって、力と未来の諸状態との関係
は微分的、積分的なのである。(1=1/2+1/4 + 1/8…)
ライプニッツにとってのデカルトの大きな誤りとは、延長と実体を混同したことである。
デカルトは最も根本的なものである力を考慮しなかった。カントのそれとは大分異なるに
せよ、ライプニッツをもって現象についての重要な理論が創設される。》
邦訳ドゥルーズ基礎 95~6頁
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