火曜日, 2月 05, 2019

『マーケットデザイン』 坂井豊貴氏インタビュー


新時代の経済学 
「マーケットデザイン」

『マーケットデザイン』 坂井豊貴氏インタビュー

本多カツヒロ (ライター) 2013/12/6


 昨年、アメリカ・ハーバード大学のアルビン・ロス教授(現、スタンフォード大学教授)と、アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のロイド・シャプリー名誉教授の2人が、「マーケットデザイン」の貢献によりノーベル経済学賞を受賞した。耳馴染みのないこの「マーケットデザイン」とは何なのか。一般向けに平易に解説された『マーケットデザイン ――最先端の実用的な経済学』(ちくま新書)が出版されたと聞き、著者で慶應義塾大学経済学部准教授の坂井豊貴氏に話を聞いた。

――「マーケットデザイン」とは耳慣れない言葉ですが、どんな学問分野でしょうか? 

坂井豊貴氏(以下坂井氏):私はよく「経済学的ものづくり」というフレーズを使います。一般に「ものづくり」という言葉から多くの人が想像するのは、工場や職人など物理的にモノを生産することだと思います。しかしものづくりの発想は社会的な仕組みを作るときにもきわめて重要です。

 まず、優れたモノがあっても、それが活用できる人の手に渡らなかったら価値は生まれません。モノが優れていることと、持つべき人が持っている、つまり適切に配分されていることは大きく異なります。この区別が大切です。

 例えばフェラーリやロールズロイスは美しい車ですが、私は免許を持っていないのでそれらを運転できません。ガレージに置いてうっとり眺めるくらいはできるでしょうが、宝の持ち腐れですよね。坂井に高級車を持たせるような社会制度があったとしたら、その制度は相当性能が悪いわけです。

――モノが優れていることと、その配分が優れていることは、全く別の概念だということですね。

坂井氏:その通りです。マーケットデザインは優れた配分が実現するように社会制度を作っていこうとする学問分野です。だから「経済学的ものづくり」というわけです。制度設計自体は、社会科学全般で論じられていますが、マーケットデザインの場合は市場あるいは市場的な制度を作るというのが特徴でしょうか。

 いわゆる教科書的な経済学だと、市場はブラックボックスのように扱われることが多いです。アダム・スミスの「見えざる手」という表現が典型ですよね。しかし市場を性能よく作るためには中身を可視化して、内部の働きを見渡す必要があります。人々がどう動いて価格がどう変わるか、帰結はどのようになるか、ゲーム理論を用いて推測するのが高質な市場の設計には不可欠です。


――この本では腎臓のドナーと患者を組み替える腎移植マッチングや、学生と公立学校を組み合わせる学校選択マッチングも扱われています。これらは従来の経済学では扱われてこなかったテーマですが、これまでの経済学とはまったく違うようなものですか?

坂井豊貴先生

坂井氏:いえ、これまでの経済学の一部を特殊的に進展させたものです。マーケットデザインを理解するためにはこれまでの経済学をきちんと学ぶ必要があります。まっとうな新しい学問分野に「これまでと全く違う」なんてものは、ゼロとは言わないけど、まず無いです。巨人の肩の上に乗っているから。

 それと、「これまでとこんなに違う」というアピールの仕方は、私はあまり好きではありません。科学の本質は一見異なるものの同質性を見出すことだから、「これまでとこんなに同じだ!」と言う方が科学者として優れている気がします。

――それと同時に、やはりマーケットデザインの実用性は画期的だと思います。

坂井氏:「実用的で、役に立つことが分かりやすい」のはマーケットデザインの特徴だと思います。経済学の諸分野は大抵どれもすごく役に立つのだけど、マーケットデザインはそのことがとても分かりやすい。ひとつの理由は成果が金銭単位で出ることが多いからでしょうね。

――具体的にはどのようなものがありますか。

坂井氏:例えば周波数オークションの市場設計には高度な専門知識が必要です。下手をすると収益のケタがひとつ減る。そこで通常、設計にはマーケットデザインの専門家が深く関わります。アメリカだとスタンフォード大学のポール・ミルグロム教授らが携わったのですが、1994年から2012年までの累計収益はだいたい8兆円です。それが国庫に入る。

――凄い金額ですね。設計が悪いとそこまでの収益は上がらないわけですね。8兆円と聞くとインパクトがあります。確かに役に立つことが分かりやすいですね。

坂井氏:経済史や学説史でこういう形のインパクトは与えられません。でも優れた歴史研究は、人間の世界の見え方を変えることができる。これはとても凄いことですが、決してイージーではないし、金銭的に価値を計測できる類のものではありません。一方で、マーケットデザインが役に立つと理解してもらうのは比較的イージーです。8兆円が大金なのは誰にでも分かるから。



――なるほど。「あとがき」で基礎理論の重要性に触れていましたが、そことつながります。ところで日本では周波数オークションは未導入だとあります。

坂井氏:日本はOECD諸国で唯一、周波数オークションをやってないんです。民主党政権はやるつもりがあったんだけど、自民党政権に戻ってやはりやらないことになった。昔は日本の周波数行政は「周回遅れ」と言われてたんですが、今はもう競技場を逆走しているような状態ですね。逆向きに独走です。なんかもう、ここまで来ると、逆に凄いですよね。応援したくなってくる。

――他にオークション理論の活用は何がありますか。

坂井氏:身近な例だと、gmailを開くと画面の右横に広告が出ますが、その広告枠はオークションで販売されています。その販売方式は、それなりにオークション理論の知見が用いられています。実際のルールはかなり複雑ですが。

 重要なのはこれから日本政府がオークションを活用することです。まず2020年の東京五輪開催に伴い、成田空港や羽田空港の飛行機の発着枠を増やそうという動きがあります。増やすのは結構なことなのですが、それをどう配分するかが大事です。これまでのような行政裁量ではなく、公正なオークション市場を用いて効率的な割り当てを実現すべきです。

――行政裁量での割り当てと、オークションでの割り当てではどう違うのでしょうか?

坂井氏:例えば、自分の時計ひとつを、たくさんいる買い手に売るケースを考えてみてください。どの買い手が、その時計にどれだけの価値を認めるか、どう有効活用してくれるかは、買い手一人ひとりにヒアリングしても分かりません。行政裁量もこれと同じで、企業にヒアリングしてもわかることはたかが知れているんです。

 ランナーが何人かいるとして、誰の足が速いのか。それを知りたければ、聞き取り調査や身体測定でなく、徒競走をしてもらえばいいというだけの話です。ハイエクは市場における競争を「価値発見の手続き」と呼びました。誰の足が速いか発見するために徒競走をするように、誰が一番高い付加価値を与えられるか発見するためにオークションをするわけです。

――ヒアリングだと、企業は自分たちに都合の良いことしか言わないかもしれませんね。

坂井氏:それは当然のことです。実際、2009年の日本の周波数免許の割り当ては、総務省が各企業にヒアリングを実施し、行政裁量で決めました。しかし、高得点を与え免許を交付したウィルコムがその後倒産という事態になっています。タダ同然で免許を割り当てて、しかもそれが有効活用されないというのでは困ります。国民の財産ですから。不透明な審査プロセス自体も問題です。最初に「坂井に高級車をやるのはムダ」という喩え話をしましたが、そんなことが実際に起こっているわけです。


――オークションの他に本書では、学校選択マッチングや腎移植マッチングなど、マッチング理論についても書かれています。これはどのようなものでしょうか?

坂井氏:まず腎移植マッチングですが、人間は腎臓をふたつ持っていますよね。でも片方あれば機能としては十分なんです。だから重い腎臓病の患者に対して、誰かドナーが自分の腎臓の片方をあげて移植するということができる。

 でも血液型やその他の適合性条件があって、それらが満たされないと「腎臓をほしい患者」と「腎臓をあげたいドナー」のペアがいても、移植ができません。

――それは残念ですよね。もったいない。

坂井氏:「もったいない」はいい言葉ですね。経済学の最大のモチベーションを表していると思います。確かにもったいないんです。しかしそのような不適合なペアが複数いたなら、患者とドナーを組み替えることで、適合ペアを生み出すことができるかもしれません。

――なるほど。「このドナーとは不適合だけど、あのドナーとは適合」といった条件が患者により異なるからですね。

坂井氏:そうなんです。そこでできるだけ多くの適合ペアを生み出したり、適合度が高まるようにしたりというように、マッチング理論の知見を用いて優れた組み合わせを見付けていきます。

――腎移植にまで応用できるとは驚きました。やはりこれまでの経済学とはかなり異なる印象を受けます。

坂井氏:そうかもしれません。しかし「腎臓をほしい患者」が需要者で、「腎臓をあげたいドナー」が供給者で、マッチングがその間の需給ギャップを埋めるわけです。その意味では実に伝統的な経済学的思考に基づいています。

――なるほど。腎移植マッチングは他国では導入されているのでしょうか?

坂井氏:アメリカでは本格的に導入されており、ロスがノーベル賞を受賞した主な理由のひとつになっています。また韓国では1991年からドナーと患者の組み替えを組織的に行っています。これは延世大学病院の貢献が大きいですね。腎移植マッチングは決して「欧米の仕組み」ではないんです。

――先生は日本でも腎移植マッチングを導入すべきとお考えですか?


坂井氏:導入を検討すべきですが、ちょっと状況説明が要ります。まず日本は脳死者からの移植についてハードルが高く、それゆえ日本の移植医たちは、不適合ペアでも移植ができるよう医療技術を発展させてきたという経緯があります。もちろんこれは見事な達成です。だからもう日本では患者とドナーの組み替えは要らない、と言ってしまいそうになる。

 しかし不適合で移植するためには、患者は強い免疫抑制剤を服用する必要があるし、金銭的な負担も増えます。それなら適合するドナーから腎臓をもらえばよいのではないか。それによる肉体的、医療経済的な負担の軽減は少なくないはずです。

 そして、これは私の推測ですが、おそらく今の医療技術でも、全ての不適合ペアに移植ができるわけではないと思います。腎移植マッチングで救われる患者は潜在的にはそれなりに存在するのではないか。

――全体を伺うと、メリットが結構あるのではないかという印象を受けました。

坂井氏:そうですね。あと、腎移植マッチングに限ったことではないですが、新しい制度を導入するときの大きな問題に、educated incapacityがあります。

――それはどういうことですか?

坂井氏:ちょっと日本語で適訳が見付かりませんが、ここだと「考えすぎると、制度導入の問題点ばかりが目について、メリットがかすれて見える」ような意味です。問題点が目につくのは当たり前なんです。現状と照らせばどんな面倒なことが起こるかは想像しやすい。一方でメリットはまだ見たことがないものだから、明瞭に認識しにくい。そういう思考のバイアスですね。制度に携わる者はそのバイアスを「ああこれはeducated incapacityだ」と補正する習慣が大切だと思います。もちろん何でも制度を変えればいいと言っているわけではありません。

――なるほど。本書には、腎移植マッチングを日本でやるとしたら、医療側にきちんと金銭的なメリットがあるように制度を作る必要がある、と書いてあります。

坂井氏:これは一般的に言えることですが、インセンティブやキャパシティーをまともに考えないで、「いいことだからやれ」とか「とにかく競争しろ」のような安易な号令や制度設計をするのは一番駄目です。絶対うまくいかない。文部科学省がよく大学行政でやって失敗しています。

――文部科学省つながりというわけではありませんが、学校選択マッチングについて言えば、学校選択制は東京の公立小・中学校ですでに行われていますね。

坂井氏:行われてはいますが、大抵の場合、学生側は1校しか希望できないんです。だから本格的ではないですね。これについては政策研究大学院大学の安田洋祐さんが詳しく調査されていて、彼が編著した書籍『学校選択制のデザイン』(NTT出版)に詳細が載っています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4757122594/

――日本ではマーケットデザインのアルゴリズムを使っているわけではないんですか?

坂井氏:使っていません。おそらく、きちんとしたアルゴリズムで学生と学校を上手く組み合わせるという発想自体が、持たれていないと思います。私自身は学校選択制の是非自体にはニュートラルです。しかしやるのであれば、きちんとやるべきですね。でないと学校選択制のメリットが十分に出てこないし、貧弱なマッチの結果に行政への不満が溜まってしまう。大阪市が複数校への出願を許容した学校選択制を導入する様子ですが、きちんとしたアルゴリズムを使う必要があります。

――現在、坂井さんの研究の中心はなんでしょうか?

坂井氏:少し前までは『社会的選択理論への招待』という、投票と民主主義に関する本を書いていました。最近それが日本評論社から出たばかりです。今はその反動で、市場設計を考えるのが楽しいですね。投票や民主主義は本質的に面倒で重苦しいもので、それと比べると、あくまで私の感覚ではですが、市場はあっけらかんとしています。両者のバランスを取って研究するのが自分の精神衛生には良いです。いま特に関心を持っているのが国債オークションです。どの方式だと高値が付きやすいか考えています。

――国債ってオークションで売っているんですか?

坂井氏:あまり知られていませんが、日本を含む多くの国では、国債を金融機関に対しオークションで売っています。ただ、現在、日本政府が採用しているオークション方式は差別価格オークションといって、これがイマイチだという研究の蓄積があります。どうイマイチかというと、国債が安値(=高金利)になりやすいんです。財政負担的によろしくない。オークションはどの方式を使うかが、売れ行き、この場合は特に金利に影響を与えます。今のところ日本国債は堅調に売れているので、これが話題に上ることは無いようですが、今後に備えて方式変更を検討したほうがよいと考えています。

――
出版後の反響はいかがですか?

坂井氏:多方面から色んな反応を頂いています。身近なのは周りの学生ですね。「マーケットデザインが学びやすくなった」という声をよく聞きます。たまに「数式が無くて分かりにくい」という不満も聞くけど、新書に数式入れたら絶対売れなくなるから。あとは、企業や官庁からオークションについて話してほしいという依頼を受けました。

 一番大切なのは、これからの長期的な影響ですよね。特に新書は短期決戦の度合いが高い商品だし、「消費されてポイ」になりやすいから。知識を一般に普及するためには市場をサヴァイヴする必要があるというのは、良いのか悪いのかよく分かりません。それでも新書というフォーマットは、社会における知識の伝達形態として、大変優れているとは思います。筆者としてはこの本が、日本でのマーケットデザインの普及にロングランで貢献してくれれば嬉しいですね。