The Development and reform of the modern international monetary system の話(1)
16/02/14 21:13
レイのミンスキー本の話は、一時中断。随時継続。気長にね。
(気乗りしないわけじゃないんだが、
簡単に書かれている箇所なんかも、ちょっと調べてみると
難しいな。。。。)
今回はMMTの国際貨幣システムに関する話題。というか、
また、粗訳でもやってみようかな、と。
これまでも何回か書いたけれど、
MMTの議論を見ていて個人的にとくに弱いと思っているのが
外国為替を扱った問題だ。
レイWray はゴドリーGodley がMMTに賛同しなかったのは、
結局のところ、外国為替について共通の見解に達しなかったからだ
というようなことを書いている。しかし、
これまでのところ、おいらが見た感じではMMTer が外国為替や国際通貨体制について
まとまった言及をしているものというものが目につかない。
個別的な議論であれば、例えば、Wray の「ユーロはサバイバルできるか」というような
タイトルのワーキングペーパーを読んだことはあるが、
一般的・包括的な内容のものはどうも記憶にない。誰も書いていない、ということは
ないと思うので、多分、よく探せば出てくるんだろうけれど。。。
そんな中で、今回から何回かに分けて粗訳しようと思っているのが
レイの、かなり古い論文で、
"The Development and reform of the modern international monetary system"。
これは
Foundations of International Economics; Post Keynesian Perspective
Edited by Johan Deprez and John T. Harvey, 1999
というかなり昔の書物の中に、所載されているものである。本書の第三部
International money and exchange rate
の2つ目の論文(第7章)である。
ただしこの論文、読んでみると、いささか肩透かしを食わされる感がある。
大体、論文の半分以上は、必ずしも国際貨幣問題には直結しない
「ポストケインズ派の」貨幣観・貨幣史観および「正統派(オーソドキシー)経済学」の
貨幣観批判に割かれており(この批判自体は、同時期に書かれた他の
論文やワーキングペーパーと同じ内容)、
なんだか外国為替の問題はいつ出てくるのか、
という感じである。また、その外国為替についての説明の仕方も
今日とはやや異なる印象を与えるもので、
まあ、これをMMTの貨幣理論と銘打って紹介するのも
ややためらわれる、というのも事実。さらに言えば、MMTの特徴ともいうべき内国通貨を扱う場合の
実務理論と実務的プロセスとを重視する姿勢が、ここでは希薄に感じられる点も
大いに気にかかる。
ただ他方で、まあ、国際貨幣関係についてあれこれ考えなければ
MMT(本論文の中では「ポスト・ケインジアンの」とされているが。。。)の考え方を
うまくまとめた論考ということになるので、今回粗訳をやってみよう、
と思いついた次第。1999年といえばタイバーツ危機の記憶も冷めやらぬころで、
ITバブルの崩壊が迫りつつある時期。ユーロはまだ下層通貨によるトライアル段階で稼働してはおらず、
現在とはだいぶ異なった歴史的背景の状況で書かれたものである。
また、これが書かれた後、主流派経済学にも大きな変化があった。今日読みなおすと
批判もやや古い感じがするが、まあ、そういうことも含めて
楽しんでもらえたら、という感じ。
P171 イントロダクション
国際金融システムは危機に瀕している、といってよいだろう。通貨価値の変動を減らすためには
中央銀行やそのほかの国家的・国際的機関の介入を必要としている。経常収支赤字または黒字がなくなる様子は
ない。為替レートの変動によって均衡貿易へと向かうことなどないし、
為替レートの変動が国際的準備フローの動きを追っているようにも見えない。ある国々(特にドイツと日本)は
長期間黒字のままだし、他の国(特に合衆国)は長期的に赤字(しかも拡大しつつある)である。
「自由」貿易がリカードはの比較優位法則に従って作用しているようにも見えない。「自由」国際信用市場が
信用を、社会的に妥当な形で供給しているようにも見えない。ある国々、ある種の活動は、
あまりにも多すぎる信用を受け取っているように見えるし、
他はあまりに少なすぎると思われる。世界はほぼ全面的な不況に陥りつつあるが、各国政府はそれに対して
何かをする意思も能力もあるように見えない。
中心論点に入る前に、本章では簡単に正統派経済学の「貨幣」観を説明する――国民レベルと国際レベル
両面から。正統派によるなら、貨幣は第一義的には国内的にも国際的にも財の流通を容易にするための交換媒体である。
したがって、内国貨幣政策は、第一義的にはインフレーションを最小化するために貨幣供給を
コントロールすることと考えられるべきとされる。国際貨幣政策は国際資本移動の自由に対する障害を取り除き、
自由な変動相場制を維持することに捧げられる。変動相場制であれば、国内政策を対外問題から
切り離すことが可能であるとされる。こうした制度によって対外バランスシートを急速に均衡へと調整することも
可能になる。
ついで、ポスト・ケインジアンの貨幣観を検討しよう。そのためには少しばかり貨幣史へと脱線して、
貨幣というものが過去も現在も第一義的には、そしてもっとも昔から計算単位である、という点を明確にすることが
必要だ。そうすることで貨幣の様々な形態、すなわち信用貨幣、商品貨幣、準備貨幣といった諸形態の性格を
明確にしやすくなる。その後で、現代の国際金融システムの機能を理解することへと進むことができる。こうした理解の上で、
システム改革を設計することで、昔から議論されてきた、かつ今日国際金融システムが直面してもいる諸問題に
より簡単に対処しうることができるものを示すことができるであろう。
正統派の国内、国際貨幣観
サミュエルソンの引用から始めよう。筆者が普段目にするあらゆる貨幣、銀行関連書籍の説明は
どれも大体似たようなものである。これは歴史的には不正確だし、理論にはひびが入っている。
誰もが知るとおり、正統派の物語は交換経済から始まる。そこから貨幣には市場メカニズムを
潤滑にする効果があることが発見される。最初の貨幣は、サミュエルソンの「毛皮、奴隷あるいは妻」等々であり、
最終的に貴金属がよりすぐれた交換媒体であることが発見される。(希少性と物理的特性により、
持越しにかかる費用に比べその価値が高いことが確定する。金は、交換媒体として用いられながら
おそらく妻ほどは劣化しないというわけだ。)取引費用は、金賞が金を預かり、
金準備の裏付けのある紙幣を発行することでさらに削減される。金準備の量は発行済み紙幣の額に
きわめて近かったので、償還は確実であった。
最後に政府の法定貨幣だか何だかを預金に対する払戻し準備として、銀行が保有することになる。しかしそれで
何かが変わったというわけではない。貨幣数量は以前として準備により決定される。中央銀行が準備の量を
決定しているわけだから、貨幣供給は中央銀行が決定していることになる。中央銀行が
過剰な準備を発行すれば、貨幣供給は急速に増加し、インフレーションを引き起こす。そうしたわけで、
正統派経済学に従うなら、貨幣政策とはインフレーションをコントロールするために準備を
コントロールすることだということになる。中央銀行の国内における第一義的責任は、インフレーションに対する
番犬であることとされる。
国際貨幣に対する正統派の見解も同じくバーターパラダイムに基づいている。Hahn(1991;1)の言うとおり、
「国際貿易の純粋理論は金融問題とは何ら関係ないし、地域間の媒介物のない交換を対象としている」。単純に言えば
貨幣のないモデルに「諸外国」が付け加わっただけで、分析が複雑になるわけではない。各国はそれぞれ
バーターから導き出された均衡相対価格ベクトルを実現するための最適化エージェントとして扱われる。生産が
加わったモデルでは、リカードの比較優位法に従って分業化し、各国はそれぞれ国ごとの環境的特性に合わせて
優位な生産に専門化する(Davidson, 1992:116)。均衡が安定的であれば、タトマン過程を通じて、
技術と嗜好に合わせた相対価格ベクトルが実現するだろう。(注1[※注まで訳す気はないのであしからず。])
諸国間の「自由」貿易によって、丁度国内において「自由」取引がそうであるように、
経済的効率が高まると考えられている。あらゆる取引は、論理的時間の枠組みで一瞬にして終わる。A国が行う
あらゆる日付つきの商品購入は、A国による日付つき商品の販売によって相殺される。貿易赤字は不可能である。
「各地域は、常にワルラス的均衡にある」(Hahn 1991;1) というわけだ。
交換媒体として貨幣の利用を認めた途端、物事は急激に複雑になる。もちろん、ハーンの認識する通り(1983)、
一般均衡理論(GET)には貨幣の存在余地はないが、正統派の人々と一緒にその点は考えないことにしよう。貨幣を
認めるということになれば、次は、この国際経済は単一貨幣システム(UMS)で動いているのか、
非単一貨幣システム(NUMS)で動いているのかを決めなくてはならない(Davidson 1992)。単一貨幣システムとは、
すべての国が一つの貨幣単位を用いるシステム、あるいは、それぞれ異なった単位を使ってはいるのだけれど、
異なった貨幣単位の間の交換比率[※exchange rate=為替レート]自体は安定しており、同じであり続けると
期待されている。(これは必ずしも為替レートが固定されている必要はない。必要なのは、変動が完全に
予見されていることである。)非単一貨幣システムとは、数多くの貨幣単位が用いられており、
交換比率[※為替レート]が安定していないケースである。新古典派経済学(そして現実世界の安定)にとって
大きな問題の発生源となっているのがNUMSである。
UMSが歴史的時間の中で動いているとした場合、ここで貿易赤字といっているものが可能になる。A国は
輸出するより多くのものを輸入できる。これによってA国の通貨が国外流出する。B国の経済主体がこの通貨を
受け取るときには、それがB国通貨に対してどの比率で交換されるかを知っている。ところが両国の通貨が
実際に別々のもので、B国内ではA国通貨は法貨として受け入れられないとしよう。そうすると、B国の主体は
後日、A国の輸出品を購入する際にそれが使える、という期待のみに基づいてこの通貨を保有することとなる。
そうでない場合には、A国通貨はB国通貨と交換されるであろう。これが実行されるには、通貨交換に専門化した
営利企業(手数料を取って通貨を交換する)が必要であろう。こうした両替ビジネスが成立するためには、取引相手に対し
様々な通貨交換の要請に応じられるように、それに相当する諸通貨の準備を保有していなければならない。そして
その際の手数料は、こうした「資金capital」準備が正常収益率を確保できるものでなければならない。
一般均衡理論においては、通常、金本位制が想定されている。その場合、各国通貨は金に対する兌換性を持っている。
金は唯一の準備であり、これによって両替用の通貨準備の必要性は減り、結果として効率性が得られる。どの国でも
貿易黒字によって金準備が流入してくれば常に通貨が増加する。反対に貿易赤字となった国は金準備を失い、
その分、通貨供給量の減少させなくてはならない。シニョリッジは「中央銀行」の、両替に代わって
金準備を基礎にした通貨発行権力に対する手数料に変質することになるだろう。ハーン(1991;1)の論じる通り、
GE理論に金本位制の下でのUMS貨幣を追加しても、「『実質』均衡条件、つまり取引の均衡条件に変化はない」。
国内経済では貨幣は中立であったが、丁度それとな時で国際経済でも中立なのである。
貿易不均衡は、正貨フローメカニズムによって速やかに調整されると想定されている。赤字国は金準備を失うであろう。
そして貨幣供給が収縮する。国内市民の購買力が失われ、商品価格が下落する。これは資産の損失ということに
帰着する(貨幣供給が収縮したわけだから)。その国の製品価格が競合他国の製品価格に比べ下落するので、
今度は輸出が伸びる。同時にその国の市民の資産が減ってしまったのだから、輸入も減る。いかなる国も
無限に貿易赤字を続けることはできないとされるが、それは単純に、いつかは金準備が底をつくから、
というだけの理由である。そういうことになる前に、通貨が減少し、輸入品が高価になり、輸出品が安価になる。
実際、新古典派理論のロジックに従うのであれば、変動為替相場制の採用によって、貿易均衡への調整速度は
速くなるものと思われる。ところが、自由変動相場制はUMSが作用するのに必要な条件とは矛盾する。変動為替相場制がUMSと
両立するのは、為替レートがさほど変動せず、そしてあまり変動しないものンと期待されている限りのことなのである。
他方、自由変動相場制はNUMSと整合的である。この場合、すべての通貨が自由に金準備と
兌換可能だとしても、為替レートは貿易不均衡を調整するように制約なく調整される(と期待されている)。効率的
市場仮説によるなら、ここでもレッセ・フェールによって各国通貨間の相対価格をも含む均衡価格ベクトルが決まる。
中央銀行の役割は、単にいつでも要請に応じて内国通貨を金準備と兌換するだけのことである。これによってNUMSの
安定性が促されると信じられているのである。
…中途半端なところだが、首と肩が痛くなってしまったので
今日はここまで。。。。どうも、眼鏡があってないんだよな。。。
(気乗りしないわけじゃないんだが、
簡単に書かれている箇所なんかも、ちょっと調べてみると
難しいな。。。。)
今回はMMTの国際貨幣システムに関する話題。というか、
また、粗訳でもやってみようかな、と。
これまでも何回か書いたけれど、
MMTの議論を見ていて個人的にとくに弱いと思っているのが
外国為替を扱った問題だ。
レイWray はゴドリーGodley がMMTに賛同しなかったのは、
結局のところ、外国為替について共通の見解に達しなかったからだ
というようなことを書いている。しかし、
これまでのところ、おいらが見た感じではMMTer が外国為替や国際通貨体制について
まとまった言及をしているものというものが目につかない。
個別的な議論であれば、例えば、Wray の「ユーロはサバイバルできるか」というような
タイトルのワーキングペーパーを読んだことはあるが、
一般的・包括的な内容のものはどうも記憶にない。誰も書いていない、ということは
ないと思うので、多分、よく探せば出てくるんだろうけれど。。。
そんな中で、今回から何回かに分けて粗訳しようと思っているのが
レイの、かなり古い論文で、
"The Development and reform of the modern international monetary system"。
これは
Foundations of International Economics; Post Keynesian Perspective
Edited by Johan Deprez and John T. Harvey, 1999
というかなり昔の書物の中に、所載されているものである。本書の第三部
International money and exchange rate
の2つ目の論文(第7章)である。
ただしこの論文、読んでみると、いささか肩透かしを食わされる感がある。
大体、論文の半分以上は、必ずしも国際貨幣問題には直結しない
「ポストケインズ派の」貨幣観・貨幣史観および「正統派(オーソドキシー)経済学」の
貨幣観批判に割かれており(この批判自体は、同時期に書かれた他の
論文やワーキングペーパーと同じ内容)、
なんだか外国為替の問題はいつ出てくるのか、
という感じである。また、その外国為替についての説明の仕方も
今日とはやや異なる印象を与えるもので、
まあ、これをMMTの貨幣理論と銘打って紹介するのも
ややためらわれる、というのも事実。さらに言えば、MMTの特徴ともいうべき内国通貨を扱う場合の
実務理論と実務的プロセスとを重視する姿勢が、ここでは希薄に感じられる点も
大いに気にかかる。
ただ他方で、まあ、国際貨幣関係についてあれこれ考えなければ
MMT(本論文の中では「ポスト・ケインジアンの」とされているが。。。)の考え方を
うまくまとめた論考ということになるので、今回粗訳をやってみよう、
と思いついた次第。1999年といえばタイバーツ危機の記憶も冷めやらぬころで、
ITバブルの崩壊が迫りつつある時期。ユーロはまだ下層通貨によるトライアル段階で稼働してはおらず、
現在とはだいぶ異なった歴史的背景の状況で書かれたものである。
また、これが書かれた後、主流派経済学にも大きな変化があった。今日読みなおすと
批判もやや古い感じがするが、まあ、そういうことも含めて
楽しんでもらえたら、という感じ。
P171 イントロダクション
国際金融システムは危機に瀕している、といってよいだろう。通貨価値の変動を減らすためには
中央銀行やそのほかの国家的・国際的機関の介入を必要としている。経常収支赤字または黒字がなくなる様子は
ない。為替レートの変動によって均衡貿易へと向かうことなどないし、
為替レートの変動が国際的準備フローの動きを追っているようにも見えない。ある国々(特にドイツと日本)は
長期間黒字のままだし、他の国(特に合衆国)は長期的に赤字(しかも拡大しつつある)である。
「自由」貿易がリカードはの比較優位法則に従って作用しているようにも見えない。「自由」国際信用市場が
信用を、社会的に妥当な形で供給しているようにも見えない。ある国々、ある種の活動は、
あまりにも多すぎる信用を受け取っているように見えるし、
他はあまりに少なすぎると思われる。世界はほぼ全面的な不況に陥りつつあるが、各国政府はそれに対して
何かをする意思も能力もあるように見えない。
中心論点に入る前に、本章では簡単に正統派経済学の「貨幣」観を説明する――国民レベルと国際レベル
両面から。正統派によるなら、貨幣は第一義的には国内的にも国際的にも財の流通を容易にするための交換媒体である。
したがって、内国貨幣政策は、第一義的にはインフレーションを最小化するために貨幣供給を
コントロールすることと考えられるべきとされる。国際貨幣政策は国際資本移動の自由に対する障害を取り除き、
自由な変動相場制を維持することに捧げられる。変動相場制であれば、国内政策を対外問題から
切り離すことが可能であるとされる。こうした制度によって対外バランスシートを急速に均衡へと調整することも
可能になる。
ついで、ポスト・ケインジアンの貨幣観を検討しよう。そのためには少しばかり貨幣史へと脱線して、
貨幣というものが過去も現在も第一義的には、そしてもっとも昔から計算単位である、という点を明確にすることが
必要だ。そうすることで貨幣の様々な形態、すなわち信用貨幣、商品貨幣、準備貨幣といった諸形態の性格を
明確にしやすくなる。その後で、現代の国際金融システムの機能を理解することへと進むことができる。こうした理解の上で、
システム改革を設計することで、昔から議論されてきた、かつ今日国際金融システムが直面してもいる諸問題に
より簡単に対処しうることができるものを示すことができるであろう。
正統派の国内、国際貨幣観
サミュエルソンの引用から始めよう。筆者が普段目にするあらゆる貨幣、銀行関連書籍の説明は
どれも大体似たようなものである。これは歴史的には不正確だし、理論にはひびが入っている。
バーター取引は明らかに不便であるけれど、しかしあらゆる人がすべてよろず屋にならなければいけない
自給自足の状態からすれば、おおいなる前進であった。・・・・歴史を仮説的な、論理的ラインに沿って構築するなら、
バーター取引の時代の次には商品貨幣の時代が続いたと考えるべきである。歴史的にはきわめて多様な商品が
ここかしこで交換媒体として用いられた。・・・・タバコ、毛皮、奴隷、妻、・・・巨石、建造物、
タバコの吸いさし。商品貨幣の時代は、紙幣の時代に代わった。最後に紙幣の時代とともに、銀行貨幣、あるいは
銀行当座性預金[小切手発行用預金]の時代が到来した。
(Samuelson, 1973:274-6)
自給自足の状態からすれば、おおいなる前進であった。・・・・歴史を仮説的な、論理的ラインに沿って構築するなら、
バーター取引の時代の次には商品貨幣の時代が続いたと考えるべきである。歴史的にはきわめて多様な商品が
ここかしこで交換媒体として用いられた。・・・・タバコ、毛皮、奴隷、妻、・・・巨石、建造物、
タバコの吸いさし。商品貨幣の時代は、紙幣の時代に代わった。最後に紙幣の時代とともに、銀行貨幣、あるいは
銀行当座性預金[小切手発行用預金]の時代が到来した。
(Samuelson, 1973:274-6)
誰もが知るとおり、正統派の物語は交換経済から始まる。そこから貨幣には市場メカニズムを
潤滑にする効果があることが発見される。最初の貨幣は、サミュエルソンの「毛皮、奴隷あるいは妻」等々であり、
最終的に貴金属がよりすぐれた交換媒体であることが発見される。(希少性と物理的特性により、
持越しにかかる費用に比べその価値が高いことが確定する。金は、交換媒体として用いられながら
おそらく妻ほどは劣化しないというわけだ。)取引費用は、金賞が金を預かり、
金準備の裏付けのある紙幣を発行することでさらに削減される。金準備の量は発行済み紙幣の額に
きわめて近かったので、償還は確実であった。
最後に政府の法定貨幣だか何だかを預金に対する払戻し準備として、銀行が保有することになる。しかしそれで
何かが変わったというわけではない。貨幣数量は以前として準備により決定される。中央銀行が準備の量を
決定しているわけだから、貨幣供給は中央銀行が決定していることになる。中央銀行が
過剰な準備を発行すれば、貨幣供給は急速に増加し、インフレーションを引き起こす。そうしたわけで、
正統派経済学に従うなら、貨幣政策とはインフレーションをコントロールするために準備を
コントロールすることだということになる。中央銀行の国内における第一義的責任は、インフレーションに対する
番犬であることとされる。
国際貨幣に対する正統派の見解も同じくバーターパラダイムに基づいている。Hahn(1991;1)の言うとおり、
「国際貿易の純粋理論は金融問題とは何ら関係ないし、地域間の媒介物のない交換を対象としている」。単純に言えば
貨幣のないモデルに「諸外国」が付け加わっただけで、分析が複雑になるわけではない。各国はそれぞれ
バーターから導き出された均衡相対価格ベクトルを実現するための最適化エージェントとして扱われる。生産が
加わったモデルでは、リカードの比較優位法に従って分業化し、各国はそれぞれ国ごとの環境的特性に合わせて
優位な生産に専門化する(Davidson, 1992:116)。均衡が安定的であれば、タトマン過程を通じて、
技術と嗜好に合わせた相対価格ベクトルが実現するだろう。(注1[※注まで訳す気はないのであしからず。])
諸国間の「自由」貿易によって、丁度国内において「自由」取引がそうであるように、
経済的効率が高まると考えられている。あらゆる取引は、論理的時間の枠組みで一瞬にして終わる。A国が行う
あらゆる日付つきの商品購入は、A国による日付つき商品の販売によって相殺される。貿易赤字は不可能である。
「各地域は、常にワルラス的均衡にある」(Hahn 1991;1) というわけだ。
交換媒体として貨幣の利用を認めた途端、物事は急激に複雑になる。もちろん、ハーンの認識する通り(1983)、
一般均衡理論(GET)には貨幣の存在余地はないが、正統派の人々と一緒にその点は考えないことにしよう。貨幣を
認めるということになれば、次は、この国際経済は単一貨幣システム(UMS)で動いているのか、
非単一貨幣システム(NUMS)で動いているのかを決めなくてはならない(Davidson 1992)。単一貨幣システムとは、
すべての国が一つの貨幣単位を用いるシステム、あるいは、それぞれ異なった単位を使ってはいるのだけれど、
異なった貨幣単位の間の交換比率[※exchange rate=為替レート]自体は安定しており、同じであり続けると
期待されている。(これは必ずしも為替レートが固定されている必要はない。必要なのは、変動が完全に
予見されていることである。)非単一貨幣システムとは、数多くの貨幣単位が用いられており、
交換比率[※為替レート]が安定していないケースである。新古典派経済学(そして現実世界の安定)にとって
大きな問題の発生源となっているのがNUMSである。
UMSが歴史的時間の中で動いているとした場合、ここで貿易赤字といっているものが可能になる。A国は
輸出するより多くのものを輸入できる。これによってA国の通貨が国外流出する。B国の経済主体がこの通貨を
受け取るときには、それがB国通貨に対してどの比率で交換されるかを知っている。ところが両国の通貨が
実際に別々のもので、B国内ではA国通貨は法貨として受け入れられないとしよう。そうすると、B国の主体は
後日、A国の輸出品を購入する際にそれが使える、という期待のみに基づいてこの通貨を保有することとなる。
そうでない場合には、A国通貨はB国通貨と交換されるであろう。これが実行されるには、通貨交換に専門化した
営利企業(手数料を取って通貨を交換する)が必要であろう。こうした両替ビジネスが成立するためには、取引相手に対し
様々な通貨交換の要請に応じられるように、それに相当する諸通貨の準備を保有していなければならない。そして
その際の手数料は、こうした「資金capital」準備が正常収益率を確保できるものでなければならない。
一般均衡理論においては、通常、金本位制が想定されている。その場合、各国通貨は金に対する兌換性を持っている。
金は唯一の準備であり、これによって両替用の通貨準備の必要性は減り、結果として効率性が得られる。どの国でも
貿易黒字によって金準備が流入してくれば常に通貨が増加する。反対に貿易赤字となった国は金準備を失い、
その分、通貨供給量の減少させなくてはならない。シニョリッジは「中央銀行」の、両替に代わって
金準備を基礎にした通貨発行権力に対する手数料に変質することになるだろう。ハーン(1991;1)の論じる通り、
GE理論に金本位制の下でのUMS貨幣を追加しても、「『実質』均衡条件、つまり取引の均衡条件に変化はない」。
国内経済では貨幣は中立であったが、丁度それとな時で国際経済でも中立なのである。
貿易不均衡は、正貨フローメカニズムによって速やかに調整されると想定されている。赤字国は金準備を失うであろう。
そして貨幣供給が収縮する。国内市民の購買力が失われ、商品価格が下落する。これは資産の損失ということに
帰着する(貨幣供給が収縮したわけだから)。その国の製品価格が競合他国の製品価格に比べ下落するので、
今度は輸出が伸びる。同時にその国の市民の資産が減ってしまったのだから、輸入も減る。いかなる国も
無限に貿易赤字を続けることはできないとされるが、それは単純に、いつかは金準備が底をつくから、
というだけの理由である。そういうことになる前に、通貨が減少し、輸入品が高価になり、輸出品が安価になる。
実際、新古典派理論のロジックに従うのであれば、変動為替相場制の採用によって、貿易均衡への調整速度は
速くなるものと思われる。ところが、自由変動相場制はUMSが作用するのに必要な条件とは矛盾する。変動為替相場制がUMSと
両立するのは、為替レートがさほど変動せず、そしてあまり変動しないものンと期待されている限りのことなのである。
他方、自由変動相場制はNUMSと整合的である。この場合、すべての通貨が自由に金準備と
兌換可能だとしても、為替レートは貿易不均衡を調整するように制約なく調整される(と期待されている)。効率的
市場仮説によるなら、ここでもレッセ・フェールによって各国通貨間の相対価格をも含む均衡価格ベクトルが決まる。
中央銀行の役割は、単にいつでも要請に応じて内国通貨を金準備と兌換するだけのことである。これによってNUMSの
安定性が促されると信じられているのである。
…中途半端なところだが、首と肩が痛くなってしまったので
今日はここまで。。。。どうも、眼鏡があってないんだよな。。。
カテゴリー:MMT & SFC
11 Comments:
MMT界隈ではレイが国際通貨問題を扱っているそうである。
The Development and reform of the modern international monetary system
Foundations of International Economicsに所収
https://www.amazon.co.jp/dp/B000FA5XLG/
参考:
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/4a8e75b9181cd6ec737a7cf13ff4a720
:The Development and reform of the modern international monetary system の話 (4)
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/fe86d635e401339814fc8ceba4caf0b8 :…(8)
ミッチェルも新刊#31でケインズの超国家通貨案バンコールに触れている
この種の教科書では珍しい。レイの手によるものかも知れない。
ケインズのバンコールは実は減価マネーで有名なゲゼルのアイデアだ
(ケインズの証言はないのであくまで個人的推測に過ぎないが)
ゲゼルの図解がわかりやすい
http://1.bp.blogspot.com/-Q6ag7KSaTgI/TulW5cug6OI/AAAAAAAAEns/owmf9jPOXqw/s1600/a0024841_8563499.jpg
(ケインズは通帳方式を、ゲゼルは実体貨幣を考えていたが最終的には同じことである)
ポール・デヴィッドソンはこれを閉鎖システムとして不完全なものと考えているようだ
彼のIMCU(International Money Clearing Unitー国際通貨清算単位)に関してはよく分からない。
通帳方式をとる限り閉鎖的になるが…
バンコールに関してはケインズ全集第25巻などを読む必要があるが一般には勧められない
一般人はマイケル・ハドソンの邦訳書などから入るべきかも知れない
ちなみにケインズは国際的な備蓄(国際緩衝在庫案、コモドコントロール案)も考えていてバンコールが
絵に描いた餅にならないようにしようとした(全集27)
現行SDR(特別引出権)がある程度ケインズ案を実現しているという説があるが疑わしい
本来ドル覇権とバンコールは相容れないからだ
MMT界隈ではレイが国際通貨問題を扱っているそうである。
The Development and reform of the modern international monetary system
Foundations of International Economicsに所収
https://www.amazon.co.jp/dp/B000FA5XLG/
参考:
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/4a8e75b9181cd6ec737a7cf13ff4a720
:The Development and reform of the modern international monetary system の話 (4)
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/fe86d635e401339814fc8ceba4caf0b8 :…(8)
ミッチェルも新刊#31でケインズの超国家通貨案バンコールに触れている
この種の教科書では珍しい。レイの手によるものかも知れない。
ケインズのバンコールは実は減価マネーで有名なゲゼルのアイデアだ
(ケインズの証言はないのであくまで個人的推測に過ぎないが)
ゲゼルの図解がわかりやすい
http://1.bp.blogspot.com/-Q6ag7KSaTgI/TulW5cug6OI/AAAAAAAAEns/owmf9jPOXqw/s1600/a0024841_8563499.jpg
(ケインズは通帳方式を、ゲゼルは実体貨幣を考えていたが最終的には同じことである)
ポール・デヴィッドソンはこれを閉鎖システムとして不完全なものと考えているようだ
彼のIMCU(International Money Clearing Unitー国際通貨清算単位)に関してはよく分からない。
通帳方式をとる限り閉鎖的になるが…テクノロジーで克服可能なのだろう
バンコールに関してはケインズ全集第25巻などを読む必要があるが一般には勧められない
一般人はマイケル・ハドソンの邦訳書などから入るべきかも知れない
ちなみにケインズは国際的な備蓄(国際緩衝在庫案、コモドコントロール案)も考えていてバンコールが
絵に描いた餅にならないようにしようとした(全集27)
現行SDR(特別引出権)がある程度ケインズ案を実現しているという説もある
MMT界隈ではレイが国際通貨問題を扱っているそうである。
The Development and reform of the modern international monetary system
Foundations of International Economics(kindle版あり)に所収
参考:
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/4a8e75b9181cd6ec737a7cf13ff4a720
:The Development and reform of the modern international monetary system の話 (4)
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/fe86d635e401339814fc8ceba4caf0b8 :…(8)
ミッチェルも新刊#31でケインズの超国家通貨案バンコールに触れている
この種の教科書では珍しい。レイの手によるものかも知れない。
ケインズのバンコールは実は減価マネーで有名なゲゼルのアイデアだ
(ケインズの証言はないのであくまで個人的推測に過ぎないが)
ゲゼルの図解がわかりやすい
http://1.bp.blogspot.com/-Q6ag7KSaTgI/TulW5cug6OI/AAAAAAAAEns/owmf9jPOXqw/s1600/a0024841_8563499.jpg
(ケインズは通帳方式を、ゲゼルは実体貨幣を考えていたが最終的には同じことである)
ポール・デヴィッドソンはこれを閉鎖システムとして不完全なものと考えているようだ
彼のIMCU(International Money Clearing Unitー国際通貨清算単位)に関してはよく分からない。
通帳方式をとる限り閉鎖的になるが…テクノロジーで克服可能なのだろう
バンコールに関してはケインズ全集第25巻などを読む必要があるが一般には勧められない
一般人はマイケル・ハドソンの邦訳書などから入るべきかも知れない
ちなみにケインズは国際的な備蓄(国際緩衝在庫案、コモドコントロール案)も考えていてバンコールが
絵に描いた餅にならないようにしようとした(全集27)
現行SDR(特別引出権)がある程度ケインズ案を実現しているという説もある
MMT界隈ではレイが国際通貨問題を扱っているそうである。
The Development and reform of the modern international monetary system
Foundations of International Economicsに所収
https://www.amazon.co.jp/dp/B000FA5XLG/
参考:
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/4a8e75b9181cd6ec737a7cf13ff4a720
:The Development and reform of the modern international monetary system の話 :(4)
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/fe86d635e401339814fc8ceba4caf0b8 :(8)
ミッチェルも新刊#31でケインズの超国家通貨案バンコールに触れている
この種の本では珍しい。レイの手によるものかも知れない。
C. Sardoni & L. Randall Wray, 2007. "Fixed and Flexible Exchange Rates and Currency Sovereignty," Economics Working Paper Archive wp_489, Levy Economics Institute,
https://ideas.repec.org/p/lev/wrkpap/wp_489.html
http://www.levyinstitute.org/pubs/wp_489.pdf
ケインズのバンコールは実は減価マネーで有名なゲゼルのアイデアだ
(ケインズの証言はないのであくまで個人的推測に過ぎないが)
ゲゼルの図解がわかりやすい
http://1.bp.blogspot.com/-Q6ag7KSaTgI/TulW5cug6OI/AAAAAAAAEns/owmf9jPOXqw/s1600/a0024841_8563499.jpg
(ケインズは通帳方式をゲゼルは実体通貨を考えていたが最終的には同じことである)
ポール・デヴィッドソンはこれを閉鎖システムとして不完全なものと考えているようだ
彼のIMCU(International Money Clearing Unitー国際通貨清算単位)に関してはよく分からない。
通帳方式をとる限り閉鎖的になるがドルに対抗するには通帳方式(閉鎖システム?)である必要がある…
バンコールに関してはケインズ全集第25巻などを読む必要があるが一般には勧められない
研究者一歩手前の人には『ケインズの闘い』という本がオススメだが…
一般にはマイケル・ハドソンの邦訳書などから入るべきかも知れない
ちなみにケインズは国際的な備蓄(コモドコントロール案)も考えていてバンコールが
絵に描いた餅にならないようにしようとした
現行SDRがある程度ケインズ案を実現しているという説があるが疑わしい
本来ドル覇権とバンコールは相容れないからだ
ポスト・ケインズ派の経済理論 単行本 – 2009/11
J.E. キング (編集), J.E. King (原著), 小山 庄三 (翻訳), & 1 その他
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単行本
¥52,704 より
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根井雅弘
異端の経済学 1995
TKMT
5つ星のうち5.0「異端の経済学」を入門的に学べる現代的良書!
2006年11月4日
形式: 単行本Amazonで購入
根井教授の本を比較的多く読んでいるせいもあってか、ガルブレイス(第1章)とシュンペーター(第5章)に関する記述にはさほど新鮮味を感じなかったが、ワイントロープ(第2章)、ミュルダール(第3章)、デヴィドソン(第4章)の論述内容はなかなか面白く勉強になった。特にワイントロープとデヴィドソンにこうした一章を割いて、彼らの生い立ちと学問的貢献を平易な文章で綴ったものを私は知らない。本書では主要内容と併せて「間奏曲」と題されたものが章と章の間に挿入され、R・カーン、P・スラッファ、M・カレツキ、J・イートウェルについて簡潔な紹介がなされている。これが印象深い。ケインズ一般理論の形成への貢献(ことに乗数理論)をなしたカーンの生い立ちとともに、ポストケインズ派の代表的論者であるイートウェルの仕事内容(スラッファ理論に基づく価値と分配の問題への古典派=剰余アプローチやケインズ理論の長期的雇用理論としての再定式化)の解説も貴重な意味を有している。根井氏のカレツキ論は幾度か眺めた経緯があるが、ケインズ理論との共通点と相違点、貨幣経済論の特徴、制度的フレームワークを重要視したカレツキの社会哲学など、たしかに一般にもよく知られている内容ではあるが、社会主義者としてのカレツキという側面からの考察も読んでみたい(都留重人氏が書いていた記憶あり)。ガルブレイスが亡くなり、彼の学問的履歴にも関心が高まっているが、本書の第1章はそうした動きに先駆けている観がなくもない(同年に著者は『ガルブレイス』を刊行)。本書の最後をシュンペーターで締めくくっているのも、彼の思想と理論への格別なる想いがあるような気がしてならない。「異端派」の経済学であるからといって、「正統派」のそれに劣るわけでは決してない以上、我々は偏見を持たず、両方を冷静な態度で学ぶ必要がある。著者のメッセージはその辺にあるのだろう。
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Money and the Real World ペーパーバック – 1978/2/23
Paul Davidson (著)
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Controversies in Post Keynesian Economics ペーパーバック – 1991/7/1
Paul Davidson (著)
5つ星のうち4.6 2件のカスタマーレビュー
邦訳
ケインズ経済学の再生
Controversies in Post Keynesian Economics ペーパーバック – 1991/7/1
Paul Davidson (著)
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邦訳
ケインズ経済学の再生
1994
『国際貨幣経済理論』(ポスト・ケインジアン叢書10)、渡辺良夫・秋葉弘哉共訳、日本経済評論社、1986年
International Money and the Real World, 1982?
『国際貨幣経済理論』(ポスト・ケインジアン叢書10)、渡辺良夫・秋葉弘哉共訳、日本経済評論社、1986年
International Money and the Real World, 1982?
#4:139~140
UMS―NUMSの区別
貨幣とは,考察している経済制度において確立された契約法および慣習と直接的に関係をもつ人間の定めた制度である。貨幣とは法的な契約上の債務を履行するそうしたものである。とはいっても,貨幣は法定貨幣に限られる必要はない。近代国家においては,それは「国家または中央銀行が,それ自身への支払いに対して受領すること,あるいは強制的法貨と交換することを保証している」15)他のいかなるものも含むであるう。それゆえ,実際には,法定貨幣以外のものが国家あるいは中央銀行に対する負債の決済に習慣上受け容れられていれば,それらは民間の契約上の債務の履行に受け容れられるであろうし,それゆえそれらは貨幣となるのである。
貨幣制度には二つの基本的なタイプがある一一統合通貨制度(UMS)と非統合通貨制度(NUMS)である。(閉鎖および開放経済のいずれにおいても)取引者間のすべての現物および先物契約が同一の名目単位で表示されているとすれば,そのような通貨制度は純粋なUMSである。異なる取引者間の異なる契約においてたとえ多種の名目単位が用いられようと,これらの多種の名自単位間の為替相場が(a)固定されている(そして転換費用は無視しうるものである),しかも6)契約の存続期間中は不変にとどまると期待されるかぎり,この制度は依然としてUMSである。多くの名目単位をともなったこのような契約上の諸取決めから`なる制度は,さまざまな通貨が完全流動資産であるような修正されたUMSと考えることができる。(完全流動資産の定義は,それ自身が契約の決済手段(貨幣)であるか,あるいは相場形成者が固定された不変の現物価格を「保証」する現物市場において契約を決済手段に転換できるような資産のことである。)もしひとつ以上の完全流動資産が存在し, またもしも法律あるいは慣習により契約の決済が支払者の選択によってどんな完全流動資産ででもなされうるとすれば,その制度は純粋なUMSと考えることができる。しかし,もし法律あるいは慣習が,被支払人の選択によって実際は契約上の貨幣に転換できるような完全流動資産を要求する場合は,その制度は純粋なUMSから一歩隔たっており,その隔たりの大きさは転換費用に依存している16)。
15) Keynes,CI弔′K,V,p.6.
16) それゆえ,近代の銀行貨幣経済においては,国民銀行制度の決済メカニズムをつうじて特定の完全流動資産の所有を即座に移転するために一覧払い為替手形を振り出す能力は,実際上,銀行の債務として知られている完全流動資産を「貨幣(monetizoする。
#10:305~7
いろいろな国民銀行制度間の債務を清算するための,また一般の公衆の債務を決済するのに用いられるものとは異なった貨幣としての独立した独特のICMUの存在は,適切な管理と教育のもとで, こうしたインフレ的傾向――それらはいろいろなグループが独占,寡占あるいは他国の労働組合の力の国際的な行使によって始発される実質所得の喪失を他の人びとに押しつけようと試みる結果なのである一―の低下を育むのを助けることができる。ある国家が国内能率賃金を引き上げるのを許すときはいつでも,国内的標準の表示による地域通貨の購買力が低下するにつれて,ICMUは自動的に価値が増大するので,銀行間手形交換の決済にICMUを使用しなければならない貿易相手国は,地域的インフレーションを輸入することから完全に保護されるであろう。NPCICによって国内の所得分配を制御することを拒むいかなる国民もインフレ=ションをこうむるであろうし,それはもはや他の人びとをこの悪性の病に感染させることはできないであろう。しかしながら,ICMUのような貨幣制度は,もしそうした市場支配力を保持するグループがそれを利用したいと欲し,文明人のゲームのルールを欺く場合には,それ自身では国際的な経済支配力の行使を防ぐことができない。しかしそれでも,始末に負えないカルテルの場合には,国際清算同盟は依然としてインフレ的傾向を誘発したカルテルの国内的フィード0バック効果を制限し,諸国がそうした国際的カルテルや独占的支配力の行使に対する攻撃を調整するのを助けることができる。しかしながら,たぶんいっそう重要なことは,国際清算同盟のための独立した貨幣の存在が,国際貿易の成長とともに国際流動性に対する必要量の増大を充足させるための「弾力的」な国際通貨を準備する国際通貨制度を発展させる機会を与えるということである。国際清算同盟のためのケインズ本来の「バンコール」(banCOrs)機構のひとつの目的は諸中央銀行間の契約の決済手段をも
つことであったが1°),その供給は内生的に拡張されうるもの(真正手形主義)であり, しかしそれは貨幣の弾力性特質を保持していた。ひとつの決済手段としての内生的で容易に拡張可能な国際通貨に対する必要性は,バンコール制度のある変形が組織的・科学的な管理にとって利用しうるかぎり,国際決済手段および準備資産としての金の使用をケインズにとっては,(おそらくけっして使用される必要のない心理的な究極の準備資産として以外)それほど容認しうるものにはしなかった。そのもっとも純粋な形において,ケインズの清算同盟にかんする概念は究極的には,ある国の居住者が私的な決済のときに債務国からの追加的な輸入品の購入を拒む場合,債権国が清算同盟のバンコールをあらゆる海外債務を最終的に履行するものとして受け入れることに依拠していた。もちろん,いかなる閉鎖統合貨幣制度においても, 自己の稼得した請求権を契約決済期日に産業の生産物に支出するのを拒む債権者は銀行制度に対する請求権か,さもなければ債務者によって彼らに売却された流動資産を流動的な富貯蔵物として受け入れなければならない。ヶィンズの清算同盟は同じ閉鎖国際銀行制度を展開する試みであり,それは同時に,はっきりと特定化されたゲームのルーンレのもとで,内生的な国際貨幣供給を許すものであった。不確実性の世界において,企業家による流動性(貨幣あるいは低い持越費用をもった即時流動的な諸資産)の保持は,市場という場で生じるおびただしいシグナルを彼らが読みとり,いずれが無関係であるかを判断し,それらを濾過し,残りのシグナルを解釈する時間を与え,ついで現存する契約上の活動の満期が切れるとき,予想される将来の事象を利用するために取決めを変更する時間を与えるのである。しかしあらゆる集計的な活動の拡大は,稼動資産や準備資産の範ちゅうへのより多くの流動資産の投下を必要とする。それゆえに,その制度にとって付加的な流動準備資産の準備量がない場合,正味の流動的な安全性クッション(準備量)は国際的取引が増加するにつれて減少するであろう。流動性とは自由であり,流動的な準備基金の保持は「拡張を強いることはないが, しかしつねにそれを容易にする」11)ので,国際貿易の必要とともに国際通貨制度が拡大することができないとしたら,結局のところ,それはいつでも国際的拡張をいっそう困難にするであろう。たとえ将来における収益性のある拡大にかんする期待が適正であると判明するとしても,十分な流動性が存在しなぃか,あるいは当初のところ容易に利用可能でないならば,企業家は次の場合には少しもこの拡張を資金調達することができないであろう。すなわち,公衆が同時に(当初の利子率において)その流動性ポジションを減少させることを拒むか,あるいは銀行制度が完全流動資産の数量を増加させるのを拒否する場合である。適切に設計されよく管理された国際清算制度は,国際貿易の必要に対して内生的に拡大する「弾力的」な国際通貨を供給することができる。いかなる閉鎖システムにおいても,貨幣契約制度に信頼が存在するかぎり12),貨幣当局は追加的な流動性を創出することに問題はないし,契約上の受取人(債権者)は,契約債務の最終的な履行としての貨幣当局に対する(直接あるいは間接の)請求権を流動的タイム・マシンとしてつねに受け入れるであろう。貨幣当局はその場合,地域の銀行が準備を使い果たしたり,また同じ国民的制度内の異なった地域にある銀行との収支均衡の困難に陥ったりしないよう保証することが望ましいと思われるいかなる必要な処置もとることができるのである13)。
10)Keynes C17K,XXV
11) J.R Hicks,Cαzsα」ブ妙づ″Eσο″ο″たs(New York: Basic Books, 1979)p.94.
12) もちろん,もし貨幣契約制度に信頼の欠如が生じる場合には,長い契約期間の生産過程は市場指向・企業家経済では着手されないであろう./
13) これは,中央銀行がその管轄内で銀行間の国際収支(流動性)危機を防ぐため「最後の拠所としての貸手」としてつねに適宜行動してきた, ということを意味しない。それが意味するすべてのことは,中央銀行はしようと思えばそのようにしえたであろうということである。
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