プルードンとユダヤ人
それは後年のスピノザへの言及からも分かる…
ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」
(『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他 現代思潮社より)
内容はよくわからない。マルクスに応答したものであったと推測される。
ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。
公式に開示された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
教観を紹介するなら、それは以下のようなものであった。
「ユダヤの立法者の目的が,第7日目の礼拝に関するかぎり,4重
であるということ,すなわち同時に市民的,家庭的,道徳的かつ衛生を考
慮したものであるこの目的は,したがって,国民の創立者の思想が包括す
ることのできるもっとも広大でもっと普遍的なものであるということをわ
たくしが確証することに首尾よく成功するならば,…‥わたくしは課題
のすべての条件を満足させることになると信ずる。そしてモーゼの諸制度
の崇高さを示すことによってわたくしはわたくしの検討する問題の深みに
達するであろう。」(懸賞論文『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.37) 16頁
「宗教は…理性に話しかけることをやめてしまった。…そのことで宗教を
責めようとは思わない…宗教は新しい事態に順応しまたはそれと調和する
時をいまだもっていない。」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.47) 20頁
「イスラエル人たちは……住所を変えること,過度に裕福にな
ったり破産したりすることはできなかった。その理由を発見するのは容易
である。かれらのあいだでは,少なくとも相続財産分配の不安定性や思わ
ぬ出来事が許す範囲で,不動産は平等であった。家族の財産が他の家族
の手に移るのを禁止する法律もあった。……初めから土地は平等な分配に
従わされていた。…」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.54) 26頁
(以上、「初期プルードンにおける経済学的諸命題について」(後藤修三)
「中京商学論叢」vol.14.3.1967年より孫引き)
プルードンはユダヤ教の戒律における平等主義を自らの集合力(『資本論』
の用語では「結合労働力」)理論の根拠とすることで、その言論活動を開始
したことになる。
追記:
オートバンクに関しては、
「フランスにおける企業金融:19世紀後半から第一次大戦まで」佐藤, 朋子
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31238/1/22%281%29_P103-139.pdf
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
(6)プルードンは性差のアンチノミーにもこだわる。彼は男女の異質性と相補性の意義を強調し、価値の一元化を拒否したのだが、彼の考え方は当時のフェミニストからも激しく批判された。なるほど、彼が性別役割分業の固定化を承認するような言い回しをしていることに問題があるけれども、彼の真意は多様性に対する寛容の呼びかけであった。
プルードンの日記に、以下の記述があった、ということらしい。
訳すと、
1847 年 12 月 26 日: ユダヤ人ども。この民族について一言書いておくこと、こいつらは他者と交わることなく何にでも首を
突っ込んできては一切をその毒で犯す、と。フランス女性と結婚した奴以外はフランスから駆逐すべき。シナゴーグは廃止
させ、一切の職業から放逐すべき。いずれはこの宗教そのものを撲滅すべき。キリスト教徒がこいつらを神殺しと非難する
のも自業自得だ。ユダヤ人こそは人類の敵である。中東に追い返すか、さもなくば根絶やしに。殺戮でも焼き討ちでも追放
でもいいから、とにかくユダヤ人はいなくなれ。
On the Jews
Translated: for marxists.org by Mitchell Abidor.
英語版 Wikipedia でも言及されてる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Proudhon#Anti-semitism_and_sexism *
「ひとはいう,ローマはイタリア人たちのものだ,と。わたくしは答える,ちょうど
ナポリがナポリ人たちのものでありパリがパリ人たちのものであるように
ローマはローマ人たちのものだ,イタリア人たちというのは,フランス人
たちと同様に,1つの抽象(une abstraction)であって,真実なのは
フランスという国をもつ政治的一大集団(une grande agglomération
politique)が現時点に存在しているということである,しかしそうかとい
ってこの事実はアルプスのむこう側にその集団の対応物〔統一イタリア〕
を作り出すための理由では全然ない,まったく反対である,と。」
(「イタリアにおける連邦と統一(3)」後藤修三「中京商学論叢」通巻第43号1967年 105頁)
*
どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れ
る。自治体がその区域の境界内で国を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を
代表し、自然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、諸国民のあい
だでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであろう。」
(プルードン『十九世紀における革命の一般理念』第七研究,原著1851年、邦訳三一書房303頁)