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(インド→シュメール→エジプト→ギリシャ→ローマ)
ミトラ教←→バラモン教
↓ ↓ 道教、儒教
ゾロアスター教 ヒンズー教
↓ ↓↑
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↓ ↓
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各種宗教の起原と繋がり - Project
http://now.ohah.net/ja/%E5%90%84%E7%A8%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%AE%E8%B5%B7%E5%8E%9F%E3%81%A8%E7%B9%8B%E3%81%8C%E3%82%8Aキリスト教は雑多なものがまぜこぜになっているみたいです。 ユダヤ教の、一部の起原は、ゾロアスター教や、その元になった ミトラ教にあるみたいです。ミトラ教は、その起原の一部を ヒンドゥ教の元になったバラモン教を共有しています。
ミトラ教は多神教的性質が強かったのですが、世界を二つの 神の勢力争いとしてとらえている部分があって、 バラモン教(ヒンドゥ教の一部)の、アシュラとデーヴァの戦いと 共通します。可笑しいのが、ミトラ教とバラモン教では 善悪の神の名前が逆になっています。
つまりそう言うことです。二つの民族の神で、それぞれにとっては 自分の神、連中の神に過ぎなかったものが、 善悪的な属性を付けられるようになって、 ゾロアスター教になった時点で、善悪がかなりハッキリして、 ユダヤ教に取りこまれた時点で、神と悪魔に分けられたって訳。
デヴィルとデーヴァの名前が似ているのは起原が同じからです。 まあ、要するに政治的なかけひきに過ぎなかったりします。
エジプトは、多神教ですが一時、一神教に作り替えられた時期があって そのファラオがなくなった後、元の多神教にもどされたそうです。 読んだ話では、その一神教的な宗教をユダヤ教が受け継いで、 エジプトからイスラエルに持って行ったってのもあります。
『また、西洋占星術はその起源はインドにある、と言う。 そして、英語はインドの古い言語から来ている、と和尚は言う。』: Kohra
インド・ヨーロッパ語族 っていうふうに扱われているよね。
『世界共通の曜の7は天文遁甲の7曜の分類法から来ており その7はそもそも聖書の曜日に起因する。』: Kohra
この7を多用するのは、ミトラ教/ゾロアスター教が起原で、 実は、ユダヤ教/イスラム教/キリスト教に共通している天使の 組織図は、ミトラ教/ゾロアスター教からほとんど来ているそうです。
『天文遁甲での宿曜からの28宿では、牛宿というのがあり これを神とする、法則からインドでは牛を神として崇める、と言われている。 さらに真の占星術の漏洩を防ぐためにおとり、の占いを 数多く敢えて世間に流布した、と言われる。』: Kohra
調べてまとめた話が、
に、すこし置いてあります。アーリア人というのがあって、ヨーロッパが世界を支配するための 後ろ盾になる話として悪用されましたが、これはどうも嘘がいっぱい 入れられているみたいです。
また、インドは西から来たアーリア人がwj:ドラヴィダ人を支配したように 言われていますが、これもイギリス人がインドを植民地にする際に 作りあげた話だってことも、言われています。
アーリア人はイランに居た人達で、その前はアフガニスタンに居たらしいです。 それは如何も本当らしいし、このアーリア人の宗教が元になってミトラ教、 ゾロアスター教になったみたいです。
で、ヴェーダに「アーリア」という言葉が出てるので、「そら見たことが」 と、イギリス人が「ヨーロッパ人と同じ起原をもつアーリア人がそもそも インドを支配していた」という論をはじめたそうです。ネット上の噂では、 ヴェーダの英語訳には誤訳が多いそうです。
また、「アーリア」は単に「高貴な」という意味に過ぎず、さらに 「アーリア」は二十数カ所しか登場しないという話も読んでいます。
さて、中東で、正に、イラクでメソポタミア文明が最古の文明として 起きていましたが、最初のメソポタミア文明であるシュメール文明を はじめた人達は、どうもインド方向から移住して来た人達のようです。 (これって紀元前9000年くらいだったような気がする)。
公式には、シュメール人が現在のどの民族に相当するかは解かっていません。 「東から移住して来た」というのは公式に認められていると思います。
で、シュメール文明とインダス文明には貿易があり、鉱物資源はインダスから シュメールに送られていたらしいし、もしかしたら、インダス文明は シュメール文明の植民地だったかもしれないって話があります。
非常に土地の肥えていたメソポタミアが砂漠になったあと、 シュメール人は消えて行くのですがが、インダスに移住して交ざったと いうのがありうることかと思います。
インダスが砂漠化して、東に移動してインダス文明を運営した人達は ガンジス河流域のドラヴィダ人になります。
地図を見てみると解かりますが、中東からインドにかけては 歩いて旅行のできる範囲だと思います。とくに、紀元前2000年くらいまでは 中東の砂漠も、インダス流域の砂漠も、砂漠化以前で、 土地の肥えた地帯だったので、砂漠を旅する必要もなかったのではないか と予想します。
ああ、つい長くかいてしまいました。長文ごめん。
これは、自由なバザールに置いておきます。 文章を変えたり追加したい人は、だれでも編集できますので、どうぞ。 編集の記録は残って、古い版も見れるようになっていますから、心配なく 編集してみて下さい。寄ってたかって、事実をまとめてみましょう。
元々、ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミスラ(ミトラ)であり、イラン、インドの両地域において重要な神であった。特に『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤ神群の一柱であり、魔術的なヴァルナ神と対をなす、契約・約束の神だった。アーリア人におけるこの神の重要性をよく示しているのがヒッタイトとミタンニとの間で交わされた条約文であり、そこにはヴァルナ、インドラ、アシュヴィン双神といった神々とともにミスラの名前が挙げられている[4]。
その後、インドにおいてはミスラの重要性は低下したが、イランでは高い人気を誇り、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。ゾロアスターは宗教観の違いからアフラ・マズダーのみを崇拝すべきと考えてミスラをはじめとする多くの神々を排斥したが、後にゾロアスター教の中級神ヤザタとして取り入れられ、低く位置づけられはしたが、『アヴェスター』に讃歌(ヤシュト en)を有した。さらにゾロアスター教がサーサーン朝ペルシア(226年 - 651年)の国教となると英雄神、太陽神として広く信仰された[5]。
当時は時期的にインドが文明的に最盛期を向かえており、物質的な生活は満たされており、その次を求められる時代であった。それゆえ、多くの修行者が社会から経済的にサポートされていた。それゆえに、多くの偉大な思想家が生まれたとされる。
インドはその後、物質的な繁栄を羨ましがる外部の侵略を受け、その富の多くを失うことになるが、また先の時代である。
また、地理的に離れているが、中国ではほぼ同じ時期に老子が生きている。老子とゴータマ・ブッダが出会うことはなかったが、後にマハカーシャパ系列の弟子であるボーディダルマが中国に渡り、老子の教えと出会い中国禅の元となった。
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