栗本慎一郎インタビュー 2012年 他
この図から明らかなように、列島の三民族、本土日本人、アイヌ民族、琉球人に見られる非常に少ない頻度のafb1b3遺伝子と、高い頻度で見られるab3st遺伝子の組合せは、チベット以南では急激に消滅している。東南アジアはもとより中国雲南省などの少数民族とも近似性は認められない。
すなわち、日本列島の三民族は、極めて北方的な民族ということが出来る。しかも、ab3st遺伝子を25%~26%以上という高い頻度で、現在も保持するという特性を持つ。
松本秀雄に言わせると、北方的な民族を象徴的に示すab3st遺伝子は、バイカル北部のブリアートを基点として四方に遺伝子の流れを作っているという。
そしてこの現在も保持し続ける特性に基づき、松本は、
--私は、「日本民族は北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にある」と結論する。--
と述べている。
Gm遺伝子解析を支持する東アジアの旧石器文化
この松本のGm遺伝子解析からの結論を、「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない。」と
驚きをもって支持したのは、東アジアの旧石器文化に詳しい、考古学の加藤晋平である。
加藤晋平は自著「日本人はどこから来たか」のなかで(p.171)、
12000~13000年前に東日本を覆った、クサビ型細石核と荒屋型彫器を伴った、細石刃文化
を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。
バイカル湖周辺から東方への拡散の動機は、サケ・マス漁撈の発達と漁場の追求であったらしい。日本におけるクサビ形細石器文化圏と、サケ・マス類の主要遡上河川の分布域とはよく一致している。--としている。
加藤は、この考古学からの仮説と、松本秀雄博士の意見は全く同じ結果を示している。恐ろしいほどの一致だと言うのである。
(加藤の説は、下図によれば、シベリア東方型細石刃石器群の分布地域の青線で示したとこ
ろ。)
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/08gmidennsi-1/1higasi_ajia_no_kyuusekki.jpg
松本秀雄の、日本人バイカル湖畔起源説は、その一元的方法論と断定的結論もあっていろいろな批判にさらされている。しかし、筆者はなかなか魅力的な学説の一つではないかと思っている。
ただ、筆者は最初に記したように、いろんな研究分野を統合した整合性のある結論を得たいと考えているので、Gm遺伝子からの仮説もその一つと考えている。
筆者の一応の結論は、第4部09.「日本人の成立モデルを考える」で纏めているので、ご一読願いたい。
② 約1万4千年前、バイカル湖畔にいた新モンゴロイド的特徴を持った古モンゴロイドが、湧別技法による細石刃を携えサハリン経由で北海道に渡来した(細石刃の分布より 竹内均氏による)。
③ ②の人たちと同起源でバイカル湖畔に定住しなかった人たちが朝鮮半島まで南下し、そこでしばらく定住した後、1万2千年前頃から一部の人たちが日本列島(北海道を除く)に渡来するようになった。これが縄文人(アイヌ、琉球人の祖先を含む)である。
約1万4千年前サハリン経由で北海道に入ってきた人たちは細石刃文化を持っていた。しかし縄文文化の中には細石刃の伝統は残らなかったというから、縄文人は細石刃を持った人たちの直系の子孫とは考えられない。縄文人となった人たちの多くは、サハリン-北海道経由以外のルートで渡来したものと考えられる。分子人類学の尾本惠市氏は、縄文時代の考古学的資料のほとんどは日本列島への北方からのヒトの移住を示している、という。これらのことを総合すると、縄文人は初めのうちは朝鮮半島から渡来した北方系の人たちがほとんどだった、ということになる。
④ ③で朝鮮半島に南下してきた人たちのうち、日本に渡来した集団は少なくとも三つあった(この縄文人は北方起源である)。一つは旧石器時代人と混血あるいは旧石器時代人を吸収した集団であり、一つはアイヌの祖先となった集団であり、一つは琉球人の祖先となった集団である。
安本美典氏はアイヌ語と朝鮮語との関係は日本語と朝鮮語との関係よりも近いという。またアイヌ語が朝鮮語と分離した時期は1万年前から5千年前までの間だという。一方宝来聰氏の遺伝子の研究からは、アイヌと琉球人は1万2千年前に分かれたことがわかっており、これらのことからアイヌと琉球人は日本列島に渡る前からすでに別々の集団として存在していたことがわかる。
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