金曜日, 9月 11, 2015

貨幣供給内生説:メモ


     貨幣供給内生説               貨幣供給外生説
   上図から下図へ              下図から上図へ

内生的貨幣供給

MmH
貨幣は経済の貨幣需要に応じて内生的に供給される。真正手形学説(J.ロー)、銀行学派(J.S.ミル)、ポスト・ケインジアン等に見られる。
  • 利子率は外生変数
  • 水平な貨幣供給直線

外生的貨幣供給

MmH
貨幣数量説の長期(~中期)中立命題をコアとする。マネタリスト(M.フリードマン)が代表的。
  • 利子率は内生変数
  • 垂直な貨幣供給直線

信用乗数と貨幣供給 - だるろぐ
http://daruyanagi.jp/entry/2012/11/13/020312

ハイパワードマネー(high-powered money)/ マネタリーベース(monetary base)

中央銀行が市場へ供給する現金。市場流通資金のうち、中央銀行が直接コントロールできる部分。基礎通貨(base money)。
  1. 民間銀行への貸し出し
  2. 公開市場でのオペレーション
  3. 政府短期証券の購入
各種金融統計の位置付けや定義などを体系的に取りまとめたIMF金融統計マニュアルでは、マネタリーベースの基本概念について「中央銀行および政府の通貨性負債」であり、「通貨、信用を増加させる基礎となる金融手段」と位置づけています。
日本の場合、
  • 日本銀行券発行高(76兆8,977億円)
  • 通貨流通高(4兆5,237億円)
  • 日銀当座預金(22兆1500億円)
の合計。(2009年3月末)

信用乗数 / 貨幣乗数

M=C+D
H=C+R
H(Hi-powered Money)
ハイパワードマネー(高権貨幣?『マクロ経済学講義』荒憲治郎51頁より)
M(Money Supply)
マネーサプライ
C(Currency)
市中に出回っている(非金融機関によって保持されている)現金
D(Deposit)
預金残高
R(Reserve)
預金支払いのための準備金
マネーサプライ(money supply、通貨供給量)とは金融機関と中央政府を除いた経済主体(一般法人、個人、地方公共団体等)が保有する通貨の合計として定義される。金融商品のうちで通貨としての機能を持つものの範囲、金融機関とみなす通貨発行主体の範囲については単純に決められず、幾つかの指標が作られている。
マネーサプライ - Wikipedia
M=CD+1CD+RDH
γ(=C/D)
現金通貨の預金通貨に対する比率
δ(=R/D)
預金残高に対する支払準備金の比率(準備率)
m(>1)
信用乗数(貨幣乗数)
M=γ+1γ+δH=mH
m=γ+1γ+δ
信用乗数m が一定であれば、マネーサプライM とハイパワードマネーH は1:1で対応するので、中央銀行はHを操作することでMを決定することができる。しかし、Mの大部分を占める預金量を決定するのは、実際には民間金融機関の貸し出しである。Hが先なのか(外生説)、Mが先なのか(内生説)。

内生的貨幣供給・外生的貨幣供給

f:id:daruyanagi:20121113020135p:plain

内生的貨幣供給

MmH
貨幣は経済の貨幣需要に応じて内生的に供給される。真正手形学説(J.ロー)、銀行学派(J.S.ミル)、ポスト・ケインジアン等に見られる。
  • 利子率は外生変数
  • 水平な貨幣供給直線

外生的貨幣供給

MmH
貨幣数量説の長期(~中期)中立命題をコアとする。マネタリスト(M.フリードマン)が代表的。
  • 利子率は内生変数
  • 垂直な貨幣供給直線
以下、使えるマクロ経済学より
     貨幣供給内生説           貨幣供給外生説

 根井雅弘氏の『市場主義のたそがれ』によると、「外生説」は〈中央銀行が「マネー・サプライ」を決定することができる〉と説明されています。「内生説」は〈マネー・サプライが貨幣需要(有効需要または所得に依存する)から独立ではなく、需要に対して消極的に調整される〉と説明されています。
 ざっくりと見通すと、「内生説」が有力で、「外生説」が間違っているような気もしますが、そうとは言い切れない要因もあると思うんですよね。
 自分の経験にそくして、二つの違和感を説明してみます。
 一つ目は、外生説の代表格であるマネタリストの貨幣数量説です。
 貨幣数量説とは、「社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという理論。流通速度が一定の場合、貨幣の過剰発行によりインフレーションが生じると主張する」という考え方です。この考え方は、厳密には間違っているとは思います。しかし、完全に間違っているわけではないのではないか? いや、完全に間違っているとは、どういう状態なのか? という疑問が浮かんだわけです。貨幣の総量は、社会に何らかの影響を及ぼすのではないか? と思ったわけです。
 二つ目は、2009年の定額給付金です。この制度でお金を手にすることで、何らかの需要が生まれたのではないか? という疑問です。この制度でお金を手にしたことから、いつもは買わないはずの何かを買ったという人は多いのではないでしょうか? この経験から、マネタリストの「ヘリコプター・マネー論」には、何らかの効果があるのではないかと考えてしまうのです。
 誤解のないように言っておきますが、私はマネタリストには否定的です。「ヘリコプター・マネー論」についても否定的ですが、「内生説」によって理論的には否定できないのではないか? そもそも、「ヘリコプター・マネー論」は原理的には可能なのではないか? 民主政体では、世論の支持次第で「ヘリコプター・マネー論」的な政策が実施されることはありえるのではないか? そのような政策は、社会に何らかの影響を及ぼすのではないか? といった疑問が浮かぶわけです。
 ゆたろ君が紹介してくれた↓でも、「ヘリコプター・マネー論」が批判されています。

 しかし、ここでの批判は、なぜ論理的にダメなのかという批判ではなくて、馬鹿にするという批判のように読めるわけです。「内生説」において展開されたように、ストラクチャリストによるホリゾンタリストへの論理的な批判とは違うと思うのです。
 論理的な批判なら受け入れますが、馬鹿にするという批判の仕方については、私は与することができません。歴史に学ぶなら、ケインズの『若き日の信条』でしょうね。…
まず貨幣数量説について。
貨幣数量説に関しては、数式化した数量方程式、MV=PTにおいては、VとTが安定的ないしは固定的であるとされます。しかしながら、VやTは変化しますのでMとP間の安定的関係は存在しないと言われます。
また、貨幣中立公理を前提としている部分もありまして、物価変動は実物変数に影響しないとします。
何を「貨幣」とするかという問題があるかと思われます。
ケインズの利子理論だと、貨幣量が増えれば利子は下がるともされていますね。
定額給付金は、あくまでも政府の支出でありまして、中央銀行から直接配られたものではないのでしょうか。
ヘリマネは法的に認めれば可能といえば可能かとは思います。その場合、数量説的に物価上昇がするという論者もいますね。(貨幣の信認がなくなったとも言えるような・・・・)
貨幣数量説に関しては、反貨幣数量説の立場からは因果を逆にして読み取ってますね。
MV=PT として 右辺から左辺への因果としています。つまり取引量の増加or物価の上昇は貨幣量または流通速度を増加、加速させるだろう、ということです。
また、ケインズ経済学的にいえば、M増加→利子率低下→投資増加→所得増消費増→物価上昇という経路を想定することができます。
「貨幣の定義」についてですが、すみません、適切な表現ではありませんでした。訂正します。
貨幣量といっても、代表的指標としてM1、M2、M3というのがあります。また、譲渡性預金や広義流動性も貨幣量に含む場合もあります。代替貨幣の存在もあるわけです。
どの指標を持って貨幣量とするのか、何と何をマネーストックとして統計に組み込み、何をそこから除外するのか。数量説は、ここを示せないでいるわけです。
何を貨幣とするのかが曖昧であるため、中央銀行の直接的な貨幣量操作は難しいと言われます。

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