ヴィクセル ― 累積過程の理論
ヴィクセル ― 累積過程の理論
ヴィクセルの貨幣理論 ―「累積過程の理論」― によれば、絶対価格の変化は「自然利子率」と「貨幣利子率」の関係でとらえることができる(貨幣量は絶対価格の変化にたいし自動的に調整される。この意味でヴィクセルは銀行学派側に位置する)。「自然利子率」は「もし貨幣が全く利用されず、すべての貸付が実物資本財のかたちでなされる場合、その需給によって決定されるであろう利子率」(Wicksell, 1898, p. 102)と定義される。それは、主として技術進歩により、絶えず変動を続けるものであり、相対価格の理論に属している、とされる。自然利子率の何らかの変化は、価格水準の変化を始動させる。この後を、「貨幣利子率」(貸付利子率)が追いかける。貨幣利子率は自然利子率の動きに遅れる、というのがヴィクセル理論の基本的な想定である(Wicksell, 1898, p. 119を参照)。
ヴィクセルは、銀行システムは産業の技術進歩によって生じる利潤率(自然利子率)の変化に関する情報を迅速に入手できないが、産業は自然利子率や貨幣利子率の変化に関する情報を迅速に入手できる、と想定している。貨幣量は受動的に調整されるものであって、二次的な重要性しかもたない。自然利子率と貨幣利子率の差が持続するのは、「貨幣の介入の結果として、資本や生産要素の報酬がモノではなく、完全に間接的な方法で支払われる」(Wicksell, 1898, p.135)からである。これは形式的な変化ではなく、本質的な変化である。
実物資本財にたいする需要の増大は買い手の需要の増大である。このことは財の価格の上昇(そしてそれゆえに、自然利子率の上昇)を引き起こす。他方、銀行組織は、貨幣需要がいかなる額であれ、ある(貨幣)利子率で貸し出すことができる、と想定されている。こうして両利子率のあいだの乖離は、かなりの期間持続し、物価の騰落を防止するほど迅速に新たな均衡に至るのは難しい。両利子率が均衡するのは、物価のそれまでの動きの結果としてである。物価は「自然利子率と貨幣利子率のあいだの力を伝導するのに役立つ螺旋バネ」(Wicksell,1898, pp. 135-136)である。
「組織化された信用経済」で、かなりの期間、貨幣利子率が自然利子率よりも低い状態にあると想定してみよう。企業家は「賃金‐レント」基金(前払い資本)として銀行組織から借り入れ、それを労働者・地主に前貸しする。翻って、労働者・地主は、その資金(=所得)を用いて、資本家から消費財を購入する。資本家は、こうして期初に得た売上高を預金することで利子を稼ぐ。他方、企業家は当期の生産活動に従事し、その生産物(消費財)を資本家に販売する。そしてその売上高で銀行組織に資金を返済する。その結果、企業家は(消費財のかたちで)超過利潤を獲得する。これは[(自然利子率-貨幣利子率)×前払い資本]に等しい。
もし企業家が超過利潤を獲得し続けるならば、彼らの生産拡張意欲は増大し(迂回生産構造は不変と想定されているから実際の拡張は生じない)、労働、原材料、耐久性のある投資財等への需要は増加する。このことは貨幣賃金と地代の上昇を引き起こす(一貫して完全雇用が想定されている31)。企業家は銀行組織からより多額の資金を、「賃金‐レント」基金として借り入れる必要が生じる。これは労働者や地主に前貸しされるが、翻って彼らは、その所得で消費財を購入するため、消費財価格は上昇する(迂回生産構造ゆえに、取引の対象は消費財に限定されている)。当期の生産活動に従事している企業家は、彼らの生産物を資本家に販売し、その売上高から銀行組織への返済を行う。その結果、企業家は(消費財のかたちで)より多くの超過利潤を獲得する。
ひとたび企業家が、そのビジネスを、物価の上昇を織り込んで行い始めると、物価の上昇は、「継続性と慣性の法則」により、加速度的に進行する (Wicksell, 1898, p.135を参照)。このプロセスは、貨幣利子率が自然利子率に追いつくことで終息し、その結果、物価は新しい貨幣的均衡点で安定する。
これがヴィクセルの提示した累積過程の理論である。この根底には、総供給・総需要による消費財の価格水準決定の理論が横たわっている。総供給は生産期間が一定と仮定されているため不変であるから、重要なのは総需要の方である。そして総需要 ―これは所得でもある ― は、生産を拡張させようとする企業家の意欲に依存する。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193836(旧邦訳)
ウイクセル 利子と物価
(WICKSELL, K. , Geldzins und Gütenpreise. Eine Studie über die den Tauschwert des Geldes bestimmenden Ursachen, Jena, Gustav fischer, 1898)
出版者 日本評論社
出版年月日 昭和14
シリーズ名 理論経済学叢書 ; 第11編
目次
譯者序
譯者凡例
序
第一章 緖論/1
第二章 貨幣の購買力と平均價格/10
第三章 相對的價格と貨幣價格/26
第四章 所謂貨幣生產費說/42
第五章 貨幣數量說とその反對論者/54
第六章 貨幣の流通速度/74
第一節 純粹な現金經濟/74
第二節 單純なる信用/85
第三節 組織された信用經濟/90
第七章 物價の規制者としての貨幣利子/118
第一節 古典的理論とトゥク學派/118
第二節 最も單純な假定、市場の他の狀態が不變なる場合に於ける利子率の變動/128
第八章 自然的資本利子と貸付利子/151
第九章 つづき、理論の組織的敍述/183
第一節 自然的資本利子の決定根據/183
第二節 貨幣流通/202
第十章 國際的價格關係/235
第十一章 右の理論から見た現實の物價の動き/246
第十二章 貨幣價値安定のための實際的提案/265
附錄 大數の法則/293
解說/309
http://digi.ub.uni-heidelberg.de/diglit/wicksell1898
Wicksell, Knut
Geldzins und Güterpreise: Eine Studie über die den Tauschwert des Geldes bestimmenden Ursachen
Jena, 1898
Inhalt
「一般物価水準の変動について、従来より試みられたすべての説明方法のなかで、たしかに貨幣数量説は比較的一番正しいものであ
る。われわれは貨幣数量説を承認し、そうして疑いもなくそれがもつ欠陥が、この理論の基礎にある事実のさらに立ち入った分析によって矯正されないかどうか
を見なければならない。」
(ウィクセル『利子と物価』 日本経済評論社、1984年、1984、p.65-66)
自然的資本利子率
(natürlicher Kapitalzins):
「自然的資本利子の高さは、…自然的資本利子は生産の収益性、固定資本と流動資本の存在数量、求職者数量、地力の供給などに依存する。簡単にいえ
ばそれは問題とする国民経済のそのときの経済状態を構成する一切の事情に依存し、またこれらの事情によって変動しつつあるのである。」
(ウィクセル『利子と物価』、
1984、p.130)
《本書を読んでみて思ったのは、ケインズ理論との類似である。ヴィクセルの「自然的資本利子率」は、ケインズの「資本の限界効率」に相当するのではない
か。これらと、貨幣利子率の差がヴィクセルでは、物価の変動となり、ケインズでは所得(雇用)の変動になる。マクロで考えて、前者は生産量固定・価格変動
モデル、後者は生産量変動・価格固定モデルとなるのでないかと思う。》
(以下の西洋経済古書収集サイトより)
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/wickseiigeldzins.html
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/gennkaisyugi/wickseiigeldzins.htm
WICKSELL, K. , Geldzins und Gütenpreise. Eine Studie über die den Tauschwert des Geldes bestimmenden Ursachen, Jena, Gustav fischer, 1898, ppxi+189 , 8vo
ヴィクセル『利子と物価』、初版。
著者(1851-1926)は、スェーデンのストックホルム生まれ。父は3回結婚し、クヌートは2番目の妻の子、父との関係も良好といえず、母とも死
別。子ども時代は家庭的には恵まれなかった。ウプサラ大学では、数学に特に秀でて、学生時代から数学論文を学会誌に掲載されている。定職に就いたのは、
48歳のウプサラ大学講師就任時で、それまでは講演やジャーナリズムへの売文による収入で、貧困な生活を送っていた。経済学の道に入ったのは、28歳の時
の禁酒に関するネオマルサス主義者としての講演が契機である。その後の論争から経済学を習得する必要にせまられた。遊学時代は経済学専一ではなかったが、
2回の留学を経験している。一回は姉の遺産で英国に行き、大英博物館で、ワルラスやジェヴォンズ等の経済学書を読む。いま一回は、財団の援助で3年間、
英・独・墺を回り、ウィーンではメンガーの講義を聞いたりした。
晩年の57歳になって瀆神の罪で2ケ月間収監されるほど血の気の多い人で、世間からは奇矯な変人と見られていた。スェーデン王政への反抗と大国ロシアに
対する軍備無用論で度々物議を醸し、世論の袋叩きに会ったことも一再ではない。後者の論議は、我国有数の理論経済学者であった森嶋通夫が主張したソビエト
への「無抵抗降伏論」(森嶋通夫『自分流に考える 新・新軍備計画論』文藝春秋)と奇妙な暗合しを見せている。スェーデンの国際連盟代表でもあった妻との
仲は睦まじく、多くのエピソードを残している。
ヴィクセルの本には、ケンブリッジ学派といって悪ければ、少なくともケインズやジョーン・ロビンソンの本のような幾様にも解釈できるような難解さはな
い。さらには、ワルラスのごとき抽象的な理論展開はなく、シンプルで力強い理論である。また、理論家には似合わず(?)広く文献を渉猟しており、この本を
読みながら数えてみたら、19人の経済学者があがっていた(数え間違いご容赦)。古いところでは、トゥック・シーニアから同時代人のワルラス・マーシャ
ル・フィシャー等。マルクスの引用をみてもよく読みこんでいることが判る。
その上、『価値・資本及び地代』とちがって、本書では「このたびは数学的方法をほとんどまったく使用しなかった。これは私が数学の権限や適用可能性につ
いて、従来とは考えを異にしたというようなわけではなく、ただ単に対象が精密なかたちで処理できるほどにはまだ決して成熟していないと思われたからであ
る。」(ウィクセル、1984、p.9)と書かれたとおりである。
著者の処女作である『価値・資本及び地代』は、経済学史上の偉大な著書であるにちがいはないが、限界効用理論と一般均衡理論およびボェーム・バヴェルク
の資本理論という先人の理論を総合した書である。しかるに、本書は貨幣理論に革命をもたらしたばかりでなく、経済変動理論にも期を画した真に独創的な著書
である。
本書の衣鉢を継ぎ、リンダール、ミュルダール、ルンドベリー等北欧学派(スエーデン学派)が生まれたばかりでなく、ミーゼス、ハイエク等のウィーン学派
にも影響を与えた。更には、イギリスの経済学においても、ケインズの「貨幣論」(1930年)、ホートリーの「資本と雇用」(1937年)等が、ウィクセ
ルの影響を受けている。
元々本書の研究は当時問題となっていた金・銀複本位制について、貨幣数量説の検討から始まった。貨幣数量説は余りにも多くの欠陥を持っているにもかかわ
らず、これ以外に首尾一貫したまとまりのある貨幣理論がないことに気付き、貨幣数量説を徹底的に発展させ、矛盾のない、かつ事実と完全に合致する理論に到
達しようとした(序文)。
「一般物価水準の変動について、従来より試みられたすべての説明方法のなかで、たしかに貨幣数量説は比較的一番正しいものであ
る。われわれは貨幣数量説を承認し、そうして疑いもなくそれがもつ欠陥が、この理論の基礎にある事実のさらに立ち入った分析によって矯正されないかどうか
を見なければならない。」(ウィクセル、1984、p.65-66)と。
さて、しかし貨幣数量説に従って、物価騰貴を貨幣過剰・利子率低下から、物価下落を貨幣不足・利子率上昇から導出しようとしても、事実上観察された利子率
の動きはむしろ逆である。物価上昇の時期には利子率の持続的な騰貴が、物価下落の時期には利子率の持続的な低下が多く見られるのである。
ここでいう利子率は観察できる貸付(貨幣)利子率のことであるが、ヴィクセルはここで、もうひとつの利子率の概念を持ち出す。自然的資本利子率である。
ヴィクセルによれば、完全な実物経済で、企業家が、資本家から実物のままで借入れ、これで賃金・地代を前払いし、生産を行い、完成品から借入れた消費財を
返済するとする。すべての企業家がこのようにすれば、競争により企業家が資本家に(実物で)支払う一定の利子率が成立する。これが、自然的資本利子率
(natürlicher Kapitalzins)である。(注1)
また、
「自然的資本利子の高さは、…自然的資本利子は生産の収益性、固定資本と流動資本の存在数量、求職者数量、地力の供給などに依存する。簡単にいえ
ばそれは問題とする国民経済のそのときの経済状態を構成する一切の事情に依存し、またこれらの事情によって変動しつつあるのである。」(ウィクセル、
1984、p.130)としている。企業者が生産計画を立てる時のものだから、予想収益率のようなものかと思う。
前置きが長くなったが、ここからが、ヴィクセルの累積過程の説明である。いま、生産期間を1年とする。(伸縮的な貨幣政策を取る)銀行が貸付利子を自然
的資本利子率以下に引き下げると、企業者は年度末に、年初に借入れた金額に貸付利子を付して支払ったとしても、両利子の差額に相当する超過利潤を得ること
になる。これが彼らを生産増加に駆りたて、(原材料・半製品に対する需要増加を通じ)あらゆる生産要素の需要を増大させる。それは、生産用役の提供者(労
働者・土地所有者)の賃金・地代を高騰させ、消費財需要を増大させる。ただ、商品量総額は変わらないとされているので、必然的にすべての商品価格を騰貴さ
せることになる。「もっと簡単にはこの騰貴を需要の増加に比例(・・)するものと考えることができる」(ウィクセル、1984、p.174)。こうして、
物価騰貴がおこるのである。この過程の中には、生産要素の物価上昇が超過利潤を消滅させる傾向があるけれども、これに並行した消費財の価格の上昇が超過利
潤をふたたび生み出す傾向がある。
逆に、貸付利子が自然的資本利子率以上に引き上げられると、企業者は特別利潤を得られないどころか、損失を被ることになる。さしあたりは、損失を自己の
報酬か財産収入で補うが、これを避けるために自己の営業を比較的収益の多い部門に限定し、生産用役の需要を減少させる。生産用役の提供者(労働者・土地所
有者)は賃金と地代を引下げることになる。労働者・地主からの消費財需要も減少するが、総額は変わらないとされるから、商品価格は下落する結果となる。
こうして、貸付利子と自然的資本利子率との差が物価の変動を生み出すのである(注2)。先述の、物価上昇と高利子率(あるいは物価下落と低利子率)の併
存の問題は、媒介物である自然的資本利子率を考えずに、直接貸付利子と物価の変動を結びつけたことに起因したのである。(貸付)利子率の高低は相対的なも
のであり、自然的資本利子率と比較すべきものであったのである。
この物価変動のメカニズムでさらに留意すべきことは、原因である両利子率の差が解消して両利子率が合致したとしても、
一旦上昇(下降)した物価は元に戻
らないことである。そして、両利子率に差があるかぎり、物価変動は継続する。銀行が貸付利子を自然的資本利子率以下に維持するなら、物価は上昇続けるので
ある。「もしある原因が問題の変数をある地点から引きはなす場合に、こうした原因が作用することを止めたとしても、その変数は、もとにもどる傾向を少しも
もたないのである。そうした変数はその場に止まる。ところが、その原因が作用している限り、問題の変数は移動しつづけるのである。」(マルシャル・ルカイ
オン、1978、p.45)
これをヴィクセルは「中立的均衡」と呼んで「安定的均衡」と対比している。後者は相対価格の動きであり、振子の運動に例えられている。前者は(いくらか
摩擦のある)平面上に置かれた円筒に例えられている。力が加わる限り他所に移動し、力が消えても暫くは静止しないイメージである。この「中立的均衡」は、
後に「貨幣的均衡」とも呼ばれている。
さらに期待が加わり、企業者が物価上昇を生産計画に織り込むと「陣風を作る」。「上述のごとくにして起こる価格変動が、一時的なものと見做される限り、
それは実際には恒久的に存続する。併しそれが恒久的なものと見做されるや否や、それは累進的となる。最後にそれが累進的と見做されるならば、それは雪崩的
となる」(『国民経済学講義Ⅱ』ドイツ版序文;Ⅱ巻の新訳は未刊行、旧訳の未見のため北野、1956、p.149より引用)
本書を読んでみて思ったのは、ケインズ理論との類似である。ヴィクセルの「自然的資本利子率」は、ケインズの「資本の限界効率」に相当するのではない
か。これらと、貨幣利子率の差がヴィクセルでは、物価の変動となり、ケインズでは所得(雇用)の変動になる。マクロで考えて、前者(ヴィクセル)は生産量固定・価格変動
モデル、後者(ケインズ)は生産量変動・価格固定モデルとなるのでないかと思う。
ヴィクセルのモデルは完全雇用の仮定があると記した本(北野、1956)もあるが、これは『国民経済学講義』の段階のことかもしれない(この本は読んでい
ない)。少なくとも本書には需要減退時に失業が生じることが書かれている所(ウィクセル、1984、p179)があるので、必ずしも完全雇用を前提にして
いるとは言い難いと思う。しかし、生産量が固定されていることは明記されており間違いない。
本書は、長らく探求書であったが、2008年に別々のオランダの古書店で、2冊をほぼ同時期に入手。価格は10倍くらいの開きがあったことは、ブログで紹介した。
(注1)
自然的資本利子率には、種々の欠点がある。まず、貨幣と実物の二分法である、貨幣数量説を否定しながら、実物の世界を持ちこむこと。そして、単一商品生産
の世界出ないかぎり、生産期間中の相対価格不変を仮定しないと自然的資本利子率が求められない理論的な問題。さらには、ヴィクセルも認めるように直接、自
然的資本利子率を求めることが出来ないこと(物価の動きと貸付利子率から推定する他はないこと)等。このため、ヴィクセルは、後の『国民経済学講義』で
は、正常利子率で代替している。
(注2)
現実の物価水準変化は、貨幣利子率が、自然利子率(一種の均衡利子率)に一致しないことから生ずる。「即ち、経済現象撹乱の原因は、貨幣側にあるのであっ
て、商品の側にない。この主張に従えば、貨幣政策の目的は、貨幣利子率を自然利子率に適用させると云う、消極的な面だけになる。」(北野、1956、
p.103)
(参考文献)
- ウィクセル 『利子と物価』 日本経済評論社、1984年
- 北野熊喜男編 『経済学説全集 第19巻 近代経済学の展開』 河出書房、1956年
- 鈴木諒一 『北欧学派 ―その資本理論の研究―』 春秋社、1949年
- J・マルシャル J・ルカイオン 菱山泉訳『貨幣的分析の基礎 ヴィクセルからケインズまで』 ミネルヴァ書房、1978年
なお、伝記については、北野熊喜男 「ウィクセルの伝記」(同氏訳『価値・資本及び地代』 日本経済評論社、1986年 付録)を主として参照した。
(H21.10.4記.B) |
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後者は,おそらく振り子のように安定的な均衡条件を満たしている力学
的システムと比較しうるであろう.均衡の位置からのどのような乖離の動
きはその乖離の大きさに比例した強さでシステムをもとの位置に回復さ
せる力を作動させ,それによって若干の振動を伴いながらも、最終的には
均衡を回復するであろう。他方,貨幣価格についての連想としては,水平
面の上にいわゆる中立的均衡状態で置かれている円筒のように動きやすい
物体を想像すべきであろう.表面がいくぶんか粗くなっているので,この
価格=円筒を動かしはじめ,さらに動かしつづけるためには若干の力を加
えることが必要である.だが,この力……が加わっているかぎり,円筒は
同一方向に動きつづけていく.じっさい,しばらくすると,円筒は〈回転〉
すらはじめることになる.この動きは,一定の範囲内ではあるが,加速度
的な動きであり,それを動かす力が消えてしまった後も、しばらくは続い
ていくことになる.そして,この円筒が静止することになって払 いまや
それをもとの位置に回復させる傾向は存在しない.逆方向に引き戻す力が
作動しはじめないかぎり,それはたんにその位置で静止しつづけるだけで
ある.
ヴィクセル 『利子と物価』、
岩井『不均衡...』7-8頁より孫引き
岩井克人『不均衡動学の理論』7頁
利子と価格(物価) Interest and Prices p.101
ケインズ経済における均衡と不均衡:
ヴィクセル的不均衡
____________
/ ヴィクセル均衡 \
/ ________ \
/ / ケインズ均衡 \ \
| / ____ \ |
| | / \ | |
| | |総予想均衡 | | |
| | | | | |
| | \____/ | |
| \ 派生的不均衡 / |
\ \________/ /
\ ケインズ的不均衡 /
\____________/
ヴィクセル的不均衡
岩井克人『不均衡動学の理論』182頁より
岩井克人:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/blog-post_40.html
NAMs出版プロジェクト: カレツキ関連追記とヴィクセル的不均衡
http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/blog-post_19.html
ミュルダールとハイエク 藤田菜々子
https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=847&item_no=1&attribute_id=25&file_no=1
ヴィクセルとの比較において,ミュルダールのケインズ(とりわけ『貨幣論』)に対する批判的態度は顕著である.J.M.ケインズの新しくすばらしい,しかし必ずしも明晰とはいえない研究貨幣論には,まったくもってヴィクセルからの影響が行き渡っている.それにもかかわらず,ケインズの研究もまた,魅力的なアングロ・サクソン流の不必要な独創性にいくぶん害されており,それはイギリスの経済学者の大半の側におけるドイツ語圏の知識のある程度体系的な欠落に端を発しているのである(Myrdal 1939, 8-9).また,1970 年代にスタグフレーションという問題に直面して,ミュルダールはこう述べた.次第に経済学として主流になったケインズ的アプローチは,あらゆる経済がデフレーションと失業を特徴とする不況に落ち込む傾向を正常と考える明らかに非常に偏ったものであった.ケインズ自身の理論は,彼の本の表題が意味しているような,一般的なものではけっしてなかった.その点に関しては,ヴィクセルの初期の理論のほうが,理論的にすぐれていた(Myrdal1973,17,訳20).
Myrdal, Gunnar.
――1939. Monetary Equilibrium, translated from German by R. B. Bryce and N. Stolper, New York : Augustus M. Kelly. (貨幣的均衡論傍島省三訳,実業之日本社,1943年.)
――1973. Against the Stream: Critical Essays on Economics, NewYork : Pantheon Books. (反主流の経済学加藤寛・丸尾直美訳,ダイヤモンド社,1975年.)
以下、ヴィクセル『利子と物価』1898,1984より
《もしなんらかの原因によって, 平均的貨幣利子率 (=市場利子率)がたとえどんなにわずかだけでもこの正常の高さ (=自然利子率の水準) 以下に見積られ, しかも引きつづきその高さに維持されるとすれば,物価は騰貴ししかも繰り返しその騰貴をつづけるであろう。 ……/これに反してもし貨幣利子がどんなにわずかな大きさだけでも, 同じ時期の自然的資本利子の高さ以上に引きつづき維持されるとすれば, 物価は絶えず下落して結局そのとどまるところを知らないであろう。》