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森嶋通夫著作集 3 経済成長の理論
著者名等 森嶋通夫/著 ≪再検索≫
出版者 岩波書店
出版年 2005.3
大きさ等 22cm 404p
注記 Theory of economic growth./の翻訳
NDC分類 330.8
件名 経済学 ≪再検索≫
要旨 さまざまな成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡
成長理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。森嶋経済学はこれ以降新古典派経済学
に別れを告げることとなる。
目次 第1部 プロトタイプ(マッチ箱サイズのワルラス・モデル;持続的成長均衡の可能性
ほか);第2部 ノイマン革命(「革命」の経済的含意;均衡成長(カッセル=ノイマン
半直線;ヒックス=マランヴォー軌道;規範的特性));第3部 革命のあと(遺産の最
大化:第一ターンパイク定理;消費者の選択による振動 ほか);第4部 さらなる展開
(可変的な人口とマルサス的貧困の回避;代替アプローチ:修正と精緻化 ほか)
内容 様々な成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡成長
理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。これ以降新古典派経済学に別れを告げる後
期森嶋経済学の出発点。本邦初訳。
労働搾取の厚生理論序説
叢書名 一橋大学経済研究叢書 ≪再検索≫
著者名等 吉原直毅/著 ≪再検索≫
著者等紹介 1955年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。以後、一橋大学、大阪大学、
北海道大学を経て99年一橋大学経済研究所助教授、現在同准教授。
出版者 岩波書店
出版年 2008.2
大きさ等 21cm 298p
NDC分類 331.6
件名 経済学-社会主義 ≪再検索≫
要旨 「格差社会」化やワーキング・プア問題が焦眉の現代において、マルクス『資本論』の労
働搾取概念は主流派経済学の理論体系にはない独自性を持つ厚生理論である。本書では、
現代経済学の手法によって、労働搾取概念を厚生経済学における一つの非厚生主義的福祉
指標として、その理論的再構成を探求するプレリュードである。
目次 第1章 今、なぜ労働搾取理論なのか?;第2章 マルクス的一般均衡モデルと均衡解概
念;第3章 レオンチェフ経済体系におけるマルクスの基本定理;第4章 一般的凸錘生
産経済におけるマルクスの基本定理;第5章 搾取と階級の一般理論;第6章 搾取・富
・労働規律の対応理論;第7章 労働搾取理論の公理的アプローチに向けて
内容 格差社会化やワーキング・プアが問題の現代において、「資本論」の労働搾取概念は主流
派経済学の理論体系にはない独自性を持つ厚生理論。現代経済学の分析手法に立脚し、労
働搾取概念の厚生経済学的意義を探求する。
ISBN等 4-00-009914-0
《ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,
消費される財と形式上区別しないで定式化した。…変形・変換される財の範囲を生産財ないし
資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを
回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,
数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財
のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。》
《成長モデルが単なる空想(empty dream)モデルを脱脚するためには,多部門モデルで
なければならず,しかも結合生産を適切に取り扱わねばならない,このような要請を
満たす最初のモデルを提唱したのはフォン·ノイマンである.ノイマンは次のような
仮定をおいた.
(a)すべての財の生産について規模に関する収穫がー定である,
(b)労働の供給は際限なく拡大しうる,
(c)賃金は労働者が生存可能な生物学的に最小限の財を購入しうるに過ぎない水準に
固定されている,
(d)資本家の全所得は自動的に新たな資本財に投入される,
明らかにこのモデルは資本家の消費を無視し,また実質賃金率を決定する上での
労働供給の役割も考慮していない.労働者は農場の家畜と同等であり、資本家は資本の
セルフサービス・スタンドのようなものに過ぎない.》
森嶋通夫著作集3:118頁
ゲーム理論は基数的数学を復権させたがそれはあくまで全体が把握できている場合だけ、
協力ゲームに関する考察の再興は技術的進歩を待たなければならなかった
ノイマン的成長理論はまた別で、この研究はアンチ共産主義を志向していて結果は
どうであれ不純な動機に基づいている
森嶋通夫(全集8)がそれを資本家中心の世界観だと批判している(ただし数学的には高く評価している。
歴史的には転形論争と関連づけている)。
《成長モデルが単なる空想(empty dream)モデルを脱脚するためには,多部門モデルで
なければならず,しかも結合生産を適切に取り扱わねばならない,このような要請を
満たす最初のモデルを提唱したのはフォン·ノイマンである.ノイマンは次のような
仮定をおいた.
(a)すべての財の生産について規模に関する収穫がー定である,
(b)労働の供給は際限なく拡大しうる,
(c)賃金は労働者が生存可能な生物学的に最小限の財を購入しうるに過ぎない水準に
固定されている,
(d)資本家の全所得は自動的に新たな資本財に投入される,
明らかにこのモデルは資本家の消費を無視し,また実質賃金率を決定する上での
労働供給の役割も考慮していない.労働者は農場の家畜と同等であり、資本家は資本の
セルフサービス・スタンドのようなものに過ぎない.》
森嶋通夫著作集3:118頁
2017/06/22(木) 21:02:50 ID:MH9+Pkxz
ワシリー・レオンチェフさんが、
ポストモダニズム論者への批判と似たようなことを
そっくりそのまま経済学の現状に向けている箇所があるね。
https://blogs.warwick.ac.uk/files/dennisleech/leontieftheoassnonfacts.pdf
> Uncritical enthusiasm for mathematical formulation tends ....
のところ。
ポストモダニズムでは文体のレトリックで読者を煙に巻いてその実中身が
脆弱なことが批判の対象になったけど、経済学についてはそのレトリックが
数式に置き換わっているだけ。
今日の学界における講義と研究の大半は、現実との関連性の欠如、即ち、実務に直接的な影響を持たないことについて批判されてきた。・・・実務への応用成果が一貫して乏しいことは、実際のところ、現在の我々の研究分野が根本的にバランスを欠いた状態にあることの現れである、と私は思う。純粋経済理論、もしくは思弁的経済理論と呼ぶべきものが上部構造として増殖しているが、あまりにもゆっくりと成長している弱体な実証的基礎は、明らかにそれを支えることができていない。
・・・数学的定式化への無批判な熱狂は、人を威圧する数学記号という前面の裏にある実質的内容の儚さを覆い隠してしまうことが多い。
・・・
新しいモデルが提示された時に今日関心が主に向けられるのは、形式的特性が段階を追って導出されることである。しかし著者、あるいは少なくとも論文の掲載を推奨したレフェリーが技術的に有能ならば、そうした数学的操作は、いかに長く複雑であろうとも、さらなる確認をせずとも正しいものとして受け入れることができるはずである。にも関わらず、そうした記述は極めて長いのが通例である。内容面の帰結の解釈に辿り着く頃には、モデルの基礎となった仮定は忘れ去られていることが多い。しかしまさにそうした仮定の実証面での有効性にこそ、研究全体の有用性が掛かっているのである。
多くの場合、真に必要とされているのは、観測された事実に照らしてこうした仮定を査定することである。その査定は非常に困難であり、きちんとしたものとなることは滅多に無い。その点について数学は役に立たず、それゆえにモデル構築者の興味と熱意はすぐさま薄れ始める。「私の一連の仮定が気に入らないというならば、別の仮定を寄越してくれたまえ。そうすれば喜んで別のモデルを構築しよう。選んでくれたまえ。」というわけだ。・・・
計量経済学会の最近の会長の言葉でまとめると、次のようになる。
…過去20年間に経済理論が成し遂げたことは、印象的であると同時に、多くの点で美しいものであった。しかし、あれだけ多くの人々が、いずれ実現するであろう、もしくはかつては実現したことがある、と考えるべき根拠を一切示さない経済状態についての分析を精緻化している、という光景には、どこか呆れるべきものがあることは否定できない。…それは満足できない、かつ、誠実さにやや欠ける状況である。
だがこの厳しい審判は、計量経済分析の研究が大量に存在することを考えると留保すべきではないか? その答えは、きっぱりと否、である。そうした研究は、我々が利用できるデータベースの明白な貧弱さを、ますます洗練化された統計的技法を目一杯駆使することによって補う、という試みとして概ね特徴付けられる。精緻な理論モデルが積み重なっていくのと並行して、同じくらい複雑な統計的ツールが急速に積み上がっていくのを我々は目にしている。それは、事実の供給が乏しいことからくる限界を押し広げることを意図している。
前述したように出版社のレフェリーは有能であるため、専門誌に掲載されるモデル検証ツールの大半は内的整合性が保たれている。だが、こうした統計的技法の有効性そのものが、技法が織り込もうとしている経済モデルと同様に、モデルが説明しようとしている事象の確率特性に関する都合の良い仮定を受け入れるかどうかに掛かっている。そうした仮定が検証可能なことは滅多に無い。
講演の後半でレオンチェフは、経済データの充実とそれに基づく実証研究の深化を呼び掛けている。今日のビッグデータの流行と実証研究の隆盛を見ると、その呼び掛けが遂に実現しつつある、という感が無くもない。
理論的仮定と観測されない事実 - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170620/Theoretical_Assumptions_and_Nonobserved_Facts
理論的仮定と観測されない事実Add StarBUNTENosaanwalwal
経済 |
レオンチェフが、1970年末の第83回経済学会で行った表題の会長講演(原題は「Theoretical Assumptions and Nonobserved Facts」)で、次のようなことを述べている(Mostly Economics経由のLars Syll経由)。
Much of current academic teaching and research has been criticized for its lack of relevance, that is, of immediate practical impact. ...I submit that the consistently indifferent performance in practical applications is in fact a symptom of a fundamental imbalance in the present state of our discipline. The weak and all too slowly growing empirical foundation clearly cannot support the proliferating superstructure of pure, or should I say, speculative economic theory.
...Uncritical enthusiasm for mathematical formulation tends often to conceal the ephemeral substantive content of the argument behind the formidable front of algebraic signs.
...
In the presentation of a new model, attention nowadays is usually centered on a step-by-step derivation of its formal properties. But if the author — or at least the referee who recommended the manuscript for publication — is technically competent, such mathematical manipulations, however long and intricate, can even without further checking be accepted as correct. Nevertheless, they are usually spelled out at great length. By the time it comes to interpretation of the substantive conclusions, the assumptions on which the model has been based are easily forgotten. But it is precisely the empirical validity of these assumptions on which the usefulness of the entire exercise depends.
What is really needed, in most cases, is a very difficult and seldom very neat assessment and verification of these assumptions in terms of observed facts. Here mathematics cannot help and because of this, the interest and enthusiasm of the model builder suddenly begins to flag: “If you do not like my set of assumptions, give me another and I will gladly make you another model; have your pick.” ...
To sum up with the words of a recent president of the Econometric Society, " . . . the achievements of economic theory in the last two decades are both impressive and in many ways beautiful. But it cannot be denied that there is something scandalous in the spectacle of so many people refining the analysis of economic states which they give no reason to suppose will ever, or have ever, come about. . . . It is an unsatisfactory and slightly dishonest state of affairs."
But shouldn’t this harsh judgment be suspended in the face of the impressive volume of econometric work? The answer is decidedly no. This work can be in general characterized as an attempt to compensate for the glaring weakness of the data base available to us by the widest possible use of more and more sophisticated statistical techniques. Alongside the mounting pile of elaborate theoretical models we see a fast-growing stock of equally intricate statistical tools. These are intended to stretch to the limit the meager supply of facts.
Since, as I said before, the publishers' referees do a competent job, most model-testing kits described in professional journals are internally consistent. However, like the economic models they are supposed to implement, the validity of these statistical tools depends itself on the acceptance of certain convenient assumptions pertaining to stochastic properties of the phenomena which the particular models are intended to explain; assumptions that can be seldom verified.
(拙訳)
松尾匡HP
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/academic.html
08年7月29日 立命館大学経済学会セミナー(28日)番外編報告レジュメ
吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』について
p.1
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/YosiharaSemi0801.jpg
フォン・ノイマン均斉成長解:
A生産手段、B労働力、C生産物
_ー
_ー ̄ |
_ー ̄ | |A
_ー ̄ | | |
 ̄-_ →| →| →|B
 ̄-_ | |
 ̄ー_ |C
 ̄ー_
A:B:C
常に比率一定
均斉成長の根拠に未来を想定しなきゃならない時点でその論理は破綻している
戦争や恐慌は弱者を切り捨てはのでは無いか?
資本主義は独占を生み続けているのでは無いか?
富はどこから生まれているのか?
プルードンの集合力理論に還るべきである
松尾匡HP
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/academic.html
08年7月29日 立命館大学経済学会セミナー(28日)番外編報告レジュメ
吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』について
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/YosiharaSemi0801.jpg
フォン・ノイマン均斉成長解:
A生産手段、B労働力、C生産物
_ー
_ー ̄ |
_ー ̄ | |A
_ー ̄ | | |
 ̄-_ →| →| →|B
 ̄-_ | |
 ̄ー_ |C
 ̄ー_
A:B:C
常に比率一定
均斉成長の根拠に未来を想定しなきゃならない時点でその論理は破綻している
戦争や恐慌は弱者を切り捨てたのでは無いか?
資本主義は独占を生み続けているのでは無いか?
富はどこから生まれているのか?
プルードンの集合力理論に還るべきである
労働者は団結すべきだが
そこに多様性が必要だ
資本税を可能にするには世界政府が必要で
世界政府があるなら資本税は必要ないというのがジジェクのレトリック
ゲゼルの減価マネーとケインズのバンコール(ゲゼルの用語ではIVA)で挟み撃ちにするしかない
ゲゼルの減価マネーは唯一税金のない世界を可能にする
マルクスのテキストから政治革命は出てこない
経済決定論が政治革命を目指すのは矛盾している
社会革命を目指すべきだしエンゲルスもマルクス自身もその方向へ修正していった
スミス『国富論』第1編
リカードウ『原理』第2, 3版
第5章商品の実質価格と名目価格について 第6章商品の価格の構成部分について
第1章
価値について
第7章 商品の自然価格と市場価格について
第8章 労働の賃金について
第9章 資本の利潤について
第10章労働と資本の異なった用途に
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
地代について
鉱山の地代について
自然価格と市場価格について
賃金について
利潤について
おける賃金と利潤について
第11章土地の地代について
第7章外国貿易について
(出典)
Ricardo [1 8 1 7] 195 1 : xxiv
表1
『国富論』
と
『原理』の理論編の各章対応表
740 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2021/02/27(土) 06:18:06.08 ID:FCIicl6d
経済学が数学的になっていると言えるなら、それはノイマンが
一時期参入したから。助言を通じてモルゲンシュテルンに本を書かせ、
角谷静夫にブラウアーの不動点定理を拡張させ、タッカー、クーン、
ゲールなどの数学者を巻き込んでモルゲンシュテルンに書かせた本を読ませて、
一般均衡の論文も一本書いたから。そういうのがなければ微分だけで
経済学は終わってた。
748 あ[sage] 2021/02/27(土) 12:15:55.31 ID:Ptvs7t1E
フォン・ノイマン均斉成長解:
A生産手段、B労働力、C生産物
_ー
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_ー ̄ | |A
_ー ̄ | | |
 ̄-_ →| →| →|B
 ̄-_ | |
 ̄ー_ |C
 ̄ー_
A:B:C
常に比率一定
https://lh3.googleusercontent.com/-ByP78INm3xo/WBvWxGi17TI/AAAAAAABFz8/9hyZ95vC6wk/s640/blogger-image--1752832546.jpg
松尾匡 08年7月29日 立命館大学経済学会セミナー(28日)番外編報告レジュメ p.1
吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』について
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/academic.html
経済成長論入門序章 経済成長論とは何か?宮 崎 耕 一(ソロー来日レポート)
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1059/1/74-3miyazaki2.pdf
《ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,
消費される財と形式上区別しないで定式化した。…変形・変換される財の範囲を生産財ないし
資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを
回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,
数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財
のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。》
《成長モデルが単なる空想(empty dream)モデルを脱脚するためには,多部門モデルで
なければならず,しかも結合生産を適切に取り扱わねばならない,このような要請を
満たす最初のモデルを提唱したのはフォン·ノイマンである.ノイマンは次のような
仮定をおいた.
(a)すべての財の生産について規模に関する収穫がー定である,
(b)労働の供給は際限なく拡大しうる,
(c)賃金は労働者が生存可能な生物学的に最小限の財を購入しうるに過ぎない水準に
固定されている,
(d)資本家の全所得は自動的に新たな資本財に投入される,
明らかにこのモデルは資本家の消費を無視し,また実質賃金率を決定する上での
労働供給の役割も考慮していない.労働者は農場の家畜と同等であり、資本家は資本の
セルフサービス・スタンドのようなものに過ぎない.》
森嶋通夫著作集3:118頁
1937
均斉成長経路(の定式化とブラウワーの定理の一般化)
"A Model of General Economic Equilibrium", 1937, in K. Menger, editor,Ergebnisse eines mathematischen Kolloquiums, 1935-36. (Translated and reprinted in RES, 1945).
→ http://piketty.pse.ens.fr/files/VonNeumann1945.pdf 全9頁
著者名等 森嶋通夫/著
出版者 岩波書店
出版年 2005.3
大きさ等 22cm 404p
注記 Theory of economic growth./の翻訳
NDC分類 330.8
件名 経済学
要旨 さまざまな成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡
成長理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。森嶋経済学はこれ以降新古典派経済学
に別れを告げることとなる。
目次
ほか);
半直線;ヒックス=マランヴォー軌道;規範的特性));
大化:第一ターンパイク定理;消費者の選択による振動 ほか);
(可変的な人口とマルサス的貧困の回避;代替アプローチ:修正と精緻化 ほか)
内容 様々な成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡成長
理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。これ以降新古典派経済学に別れを告げる後
期森嶋経済学の出発点。本邦初訳。