日曜日, 7月 03, 2016

グルントリッセ1857~8...(+資本論草稿関連)

                (マルクスリンク::::::::::
グルントリッセ1857~8...(+資本論草稿関連)
http://nam-students.blogspot.com/2016/07/blog-post.html(本頁) 
転形問題:メモ(←再生産表式←グルントリセ)
http://nam-students.blogspot.com/2016/06/blog-post_11.html
シスモンディ『経済学新原理』1819
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/1819.html
(資本論フランス語版1872でシスモンディ1819初版が引用明記される。)
ゲーテ Epigrammatisch エピグラム風に 警句的 より
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/epigrammatisch.html


http://www.arsvi.com/b2000/0102uk.htm
『資本論』
1968年第1巻がハンブルグで出版。
1850~ 大英博物館図書館での調査
→1857~58年 『経済学批判要綱』(グルントリッセ)①②
→1861~63年 『経済学批判草稿』_____ここまで大月草稿集③~⑨
→1963~65年 『資本論草稿』
スミスやリカードなどの古典派経済学の文献に内在しながら格闘する過程。

以下、定本トランスクリティーク363頁より
「マルクスは一般的に貨幣を言語と類推的に見る考えを否定している。《貨幣を言語と比較することも、これ〔貨幣を血液と比較すること〕におとらずまちがっている。観念の場合、価格が商品とならんで存在することになるように、それが言語に転化されて、その結果観念の独自性は解消して、その社会的性格が理念とならんで言語のうちに存在するようになるというようなことはない。観念は言語から離れては存在しない。観念は、通用し、交換可能になるためには、まずその母国語から外国語に翻訳されなければならないが、そのことがなるほどいろいろの類推を起こさせる。だが、その場合、類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある》(マルクス『グルントリセ』貨幣に関する章)*」
*大月草稿集①146頁

マルクスは複数体系を見ていたという。
しかし、血液型が違えば輸血できないし、異言語習得は時間がかかる。
それに対し経済学はいとも簡単に同時的グローバルな幻想を見る。売買の非対称性を楽観視している。
複数体系を見ていないのはマルクスの方だ。

______

ネグリは荒削りの要綱1857~8を評価するから資本論草稿1863~5はそこまで評価しない。
それでも1:6草稿に『マルクスを超えるマルクス』で触れ、資本化に対抗する「移行」の二重性に着目している。
1:6草稿はハーヴェイ訳者で新訳される。

『資本論』はどのようにして形成されたか―マルクスによる経済学変革の道程をたどる 単行本 – 2012/1 不破 哲三 (著)
上記321頁によると、1857年10月時(ノート第二冊)にはヘーゲル『論理学』の類種個の構成を採用する(第二の)プランがあった(第一のプランは6分割)。宇野弘蔵はそれを知っていたのだろう。草稿集1,329頁参照。
ちなみに「剰余価値」という言葉が初めて登場するのは原ノートIII、19ページ(邦訳『資本論草稿①』383頁)。


* 当初の二つのプラン どちらも、一八五七年一一月)一六日に執筆した「ノート第二冊」に書きつけ
られたものです。
 第ーのプランでは、「資本」の巻はI、II(あわせて後の「資本一般」に相当する篇だてだが、名
称はつけられていない)、III、信用としての資本、IV、株式資本としての資本、V、金融市場としての
資本、VI、富の源泉としての資本、という六篇編成の構成でした(『草稿集』①三一〇〜三一ーペー
ジ)。
 第二のプランは、ノートでその数ページ先に書きこまれていますが、次のように、「資本」の巻がま
ず「一般性」、「特殊性」、「個別性」に三分割され、それぞれがまた三章に分割されるという、二段構
えの組み立てに変更されています。
 I、一般性。(一)(この項の全体の表題はない)。(二)資本の特殊化。(三)資本の個別性。
 II、特殊性。(一)諸資本の蓄積。(二)諸資本の競争。(三)諸資本の集積。
 III、個別性。(一)信用としての資本。(二)株式資本としての資本。(三)金融市場としての資本
(邦訳『資本論草稿集①』三二九ページ)。

不破2012年320頁より

翌年1858年4月のエンゲルスの手紙では四篇構成(資本一般/競争/信用/株式資本)に変わっている。邦訳全集29:246頁。

不破92頁以降には再生産表式考察の出発点(1857~8年)にプルードンの言葉(労働者は自分の生産物を買い戻すことができない)があることが指摘される。ケネーだけでは動機にはならないから重要な指摘だ。邦訳資本論草稿集②41~77頁参照。
ちなみに1872年のフランス語版及び1877年の資本論改訂のための指示一覧表では1:24の注にあったプルードンの名を社会主義者の幻想一般のなかに消している。ちなみに資本論1フランス語版1872にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。


*労働者は自分が生産した 生産物のすべてを「買い戻す」ことはできない。

「したがって労働者は雇主のために彼が生産した物を買い戻すことはできない。」プルードン『所有とは何か』邦訳208頁、三一書房(原著1840年)*一般的にはこの前のフレーズが引用再生産れるが…

プルードンは所有と占有を区別し、さらに利子に厳しい目を向ける。評価はどうあれマルクスの再生産表式の出発点にプルードンの「所有は不可能」というテーゼ(第五命題)があったことになる
1840年の上記著作でプルードンはヘーゲルの弁証法にも言及(274頁)している(マルクスの『経済学・哲学草稿』は1844年。往復書簡と貧困の哲学は1846年、哲学の貧困が1847年)。…プルードンがパリでマルクスらからはじめて弁証法を教わったという説は疑わしい。ただし後にプルードンはヘーゲル弁証法を否定する。マルクスは弁証法を唯物論的に捉え変えたが、終生弁証法に囚われていた。プルードンにとっては弁証法より系列に重点がある。
プルードンは政治的事象に再生産という用語を使っている。資本論第一巻草稿1863~5で再びこの問題を扱う。


一八四三年一〇月、マルクスはパリにきて、一八四五年二月、ブリュッセルに移るまで、ここに住んでいた。この間、一八四四年の七月ごろからマルクスとプルドンとはたびたび会って、経済学とか社会主義とか、いろいろ問題についておおいに議論した。ふたりの意見はなかなか一致しなかった。マルクスはプルドンにヘーゲルの弁証法の話をしたが、プルドンはこれを正しくは理解しなかった。それにもかかわらず、かれは自己流に考えた弁証法をふりまわすことだけをおぼえた。》河出大思想3-4解題より

参考:

L'antinomie ne se resout pas; (アンチノミーは解消されない)

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
ベンヤミンが参照したのは、
CUVILLIER, Armand – "Marx et Proudhon" in A la Lumière du marxisme, obra colectiva (Tomo II), Paris, Éditions sociales interna¬tionales, 1937, 240 p.
p.180

歯車仕掛けの現代の社会においては、労働も資本もどちらもひとりでには停止しない。資本は利子が二倍になれば増えるのと同じように、労働は分業と機械によって無限に重たくなる。労働と資本は、創造や時間と同じように、果てしもなくずっと追求され続けるものである。(『貧困の哲学』第13章)

労働者と資本家が、荒々しい闘争でともに力を使い果たすのはむなしい。極端な分業、機械、競争、独占で、プロレタリアートが大量に殺され るのはむなしい。政府の不正行為、租税の虚偽、(中略)これらのもので諸国民に隷従と腐敗と失望が増幅するのもむなしい。(『貧困の哲学』第9章)


マルクス『1857-58年草稿』を読み始めてみる | Internet Zone::WordPressでBlog生活
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/06/07220400/
二つめのプラン。〔草稿集<1>、329ページ〕
資本。
 I、一般性
  (一)
   (a)貨幣からの資本の生成。
   (b)資本と労働(他人の労働によって媒介された)。
   (c)資本の諸要素、それが労働にたいしてもつ関係にしたがって分解されたもの(生産物。原料。労働用具)。
  (二)資本の特殊化。
   (a)流動資本。
   [(b)]固定資本。
   [(c)]資本の通流
  (三)資本の個別性。
   [(a)]資本と利潤。
   [(b)]資本と利子。
   [(c)]利子および利潤としてのそれ自身から区別された、価値としての資本。
 II、特殊性
  (一)諸資本の蓄積。
  (二)諸資本の競争。
  (三)諸資本の集積(同時に質的な区別でもあり、また資本の大きさと作用の尺度でもある、資本の量的な区別)。
 III、個別性
  (一)信用としての資本。
  (二)株式資本としての資本。
  (三)金融市場としての資本。
マルクス:経済学批判要綱
http://ratio.sakura.ne.jp/old/notes/grundrisse.html

1858年1月16日頃。エンゲルスへの手紙に、経済学の研究について「とにかく、かなりの進展が感ぜられる」「これまであったような利潤に関する学説は全部ひっくり返してしまった」と書いている。また、「編集の方法では、ほんの偶然のことから……ヘーゲルの論理学にもう一度目を通したと言うことが大いに役立った」「ヘーゲルが発見はしたが同時に神秘化してしまった方法における合理的なものを、印刷ボーゲンの二枚か三枚で普通の人の頭に分かるようにしたいものだ」と書いている。それから、この手紙には、バスティアの『経済的調和』について、「こんな調和のとれたごった煮のスープをうまくつくることは、ただフランスの俗物だけにできることだったのだ」と書いている。

1858年1月29日。エンゲルスに、「経済学の仕事の途上で君の実際的な解明をいくつかお願いしたい」「資本の流通――事業の相違によるその相違、利潤や価格へのその影響。これについて少しばかり教えてもらえると非常にありがたい」と質問。

1858年2月22日。エンゲルス宛に「経済学の仕事がどうなっているかを知らせよう」という手紙。「数カ月前から最後の仕上げに取りかかっている。だが、仕事の進行は非常に緩慢だ。というのは、何年も前から研究の主要目的としてきた諸対象が、いよいよそれらを片づけるべきと気になると、絶えずまた新たな側面を現わし、新たな熟考を必要にさせるからだ」。そして、プランについて説明。
「さしあたり問題になる仕事は、経済学の諸範疇の批判だ。または、ブルジョア経済学体系の批判的叙述といってもよい。それは、体系の叙述であると同時に、叙述による体系の批判でもある」
「全体でどれだけの印刷ボーゲンになるか、全然見当がつかない」
「全体は6つの篇に分かれる」として、プランを書いている。
 (1)資本について(いくつかの序章を含む)。
 (2)土地所有について。
 (3)賃労働について。
 (4)国家について。
 (5)国際貿易。
 (6)世界市場。
 さらに「全体として、経済学および社会主義の批判や歴史は、別の著作の対象をなすべきものだろう。最後に、経済に関する諸範疇や諸関係の発展の簡単な歴史的素描が第三の著作になる」と書いている。

1858年4月2日付エンゲルスへの手紙。この手紙で、もう一度プランについて説明。
 A、全体の6巻構成
「全体が六巻に分かれる予定だ。(1)資本について。(2)土地所有。(3)賃労働。(4)国家。(5)国際貿易。(6)世界市場。」
 I 資本は四つの篇に分かれる。(1)資本一般(これが第一分冊の素材)。(b)競争、すなわち多数資本の対相互作用。(c)信用。ここでは資本が個々の諸資本に対立して一般的な要素として現われる。(d)株式資本。もっとも完成した形態(共産主義に移るための)であると同時に、資本のあらゆる矛盾を備えたものとしてのそれ。資本から土地所有への移行は同時に歴史的でもある。というのは、土地所有の近代的形態は、封建的等々の土地所有にたいする資本の作用の産物だからだ。同様に土地所有から賃労働への移行も、単に弁証法的であるだけではなく、歴史的でもある。というのは、近代的土地所有の最後の産物は賃労働の一般的定立であり、ついで賃労働が全体の基礎として現われるのだから。
 つぎに、要点に移ろう。
 I 資本。第一篇。資本一般。……
 1 価値。……
 2 貨幣。……
 (a)尺度としての貨幣。
 (b)交換手段としての貨幣、または単純な流通。
 (c)貨幣としての貨幣
 (d)この単純な流通はブルジョア社会の表面であって、それが出てくるところの、もっと深いところで行なわれる諸操作は、そこでは消え去っているのだが、このようなそれ自体として考察された単純な流通は、交換のいろいろな主体の間の相違を、ただ形態的で一時的な相違の他には、何も示していない。これこそは、自由と平等と「労働」にもとづく所有との国なのだ。……貨幣蓄蔵……
 3 資本。
「篇別区分は、明らかに、次のようになされるべきである。すなわち、
 (一)一般的抽象的諸規定。それらはしたがって多かれ少なかれすべての社会諸形態に通じるが、それも以上に説明した意味で。
 (二)ブルジョア社会の内的編成をなし、また基本的諸階級がその上に存立している諸範疇。資本、賃労働、土地所有。それら相互の関連。都市と農村。三大社会階級。これら三階級のあいだの交換。流通。信用制度(私的)。
 (三)ブルジョア社会の国家の形態での総括。自己自身にたいする関係での考察。「不生産的」諸階級。租税。国債。公信用。人口。植民地。移民。
 (四)生産の国際的関係。国際的分業。国際的交換。輸出入。為替相場。
 (五)世界市場と恐慌。」([1]62ページ。原文は改行なし)
p.310 原ノートII、18ページ プラン

I
 (1)資本の一般的概念。――
 (2)資本の特殊性。すなわち流動資本。固定資本。(生活手段としての、原料としての、労働用具としての資本)。
 (3)貨幣としての資本
 II
 (1)資本の量。蓄積。――
 (2)それ自身で測られた資本。利潤。利子。資本の価値。すなわち利子および利潤としてのそれ自身から区別された資本。
 (3)諸資本の流通。
  (α)資本と資本の交換。資本と所得との交換。資本と諸価格。
  (β)諸資本の競争。
  (γ)諸資本の集積。
 III、信用としての資本。
 IV、株式資本としての資本。
 V、金融市場としての資本。
 VI、富の源泉としての資本。資本家。
 土地所有。
 賃労働
 内的総体性において規定された流通として、諸価格の運動。  他方では、三つの階級。
 次には、国家
  ――国家とブルジョア社会
  ――租税または不生産的諸階級の存在
  ――国債
  ――人口
  ――外側に向かっての国家(植民地、外国貿易、為替相場、国際的鋳貨としての貨幣)
  ――世界市場。ブルジョア社会が国家をのりこえて押し広がること。恐慌。
 「交換価値のうえにうちたてられた生産様式と社会形態の解体。個人的労働を社会的労働として、またその反対に、社会的労働を個人的労働として実在的に措定すること。」

↑これは、共産主義への移行のこと。


さらにこのプランを修正したものが、p.329に出てくる。
資本。
 I、一般性
  (1)a貨幣からの資本の生成、b資本と労働、c資本の諸要素
  (2)資本の特殊化。a流動資本、固定資本。資本の通流
  (3)資本の個別性。資本と利潤。資本と利子。利子および利潤としてのそれ自身から区別された、価値としての資本。
 II、特殊性――
  (1)諸資本の蓄積。
  (2)諸資本の競争。
  (3)諸資本の集積。
 III、個別性――
  (1)信用としての資本。
  (2)株式資本としての資本。
  (3)金融市場としての資本。
 地代。土地所有。
 賃労働
「(現 実的な社会的共同性〔social Gemainschaftlichkeit〕が考えられるようになる前に、まず相互的依存性が純粋に仕上げられていなければならない。自然によって規定さ れたものではなく、社会によって措定されたものとしてのすべての諸関係。)」([1]331ページ)
実は、土地所有から賃労働への移行の話は、p.334までずっと続いている。
そ のなかに、「否定的移行」というのが登場する。すなわち、「資本による土地所有の否定」であり、マルクスは、それは「資本による自立的価値の否定、すなわ ち、ほかならぬ資本自身による資本の否定」と書いている。「次には賃労働の側からの、土地所有の否定と、土地所有を媒介した資本の否定。すなわち、自己を 自立的なものとして措定することを欲する賃労働」([1]334ページ)
さらに、p.335も、「{市場……」という書き出しで、プランについての考察が続いている。
「奴 隷としては、労働者は交換価値を、すなわち一つの価値を持つが、自由な労働者としては、なんの価値も持たない。ただ、彼との交換によって得られる、彼の労 働にたいする処分権だけが、価値を持つのである。労働者が交換価値として資本家に対立しているのではなく、資本家が交換価値として労働者に対立しているの である。労働者の没価値性と価値喪失とは、資本の前提であり、自由な労働一般の条件である。」(p.347)
 つづけて、「そのことによって、労働者が形式的に人格として措定されていること、その労働者彼の労働の外でもなお自立的になにものかであり、彼の生命発現をもっぱら彼自身生きるための手段として譲渡するということである」(同)
※このあたりは、人格論。
「所有の労働からの分離は、資本と労働のこの交換の必然的法則として現われる。」(p.353)
p.376 「われわれがここで考察するかぎりでは、資本は、価値と貨幣から区別されるべき関係として、資本一般であり、すなわち資本としての価値をたんなる価値または貨幣としての自己から区別する諸規定の総括である。」
同。 「われわれはいま資本の発生過程に立ち会っている。この弁証法的発生過程は、資本が生成する現実的運動の観念的表現にすぎない。それからあとの諸連関は、 この萌芽からの展開とみなされるべきである。しかし資本がある一定の点で措定されるさいにとる規定された形態を確定することは、必要である。そうしなけれ ば混乱が生じる。」
p.383 「剰余価値」という言葉が初めて登場する。原ノートIII、19ページ。
p.397あたり、搾取の仕組みがこのあたりで初めて解明されている。
  「たとえば一人の労働者をまる一労働日生存させるのに、半労働日しか必要としないとすれば、おのずから生産物の剰余価値が生まれてくる。なぜなら資本家 は、価格ではただ半労働日分についてしか支払いをしなかったのに、生産物ではまる一労働日を対象化させた形で受けとるからであり、したがって労働日の残り 半分と交換されたものは何もないからである。資本家を資本家とすることができるのは、交換ではなく、彼が対象化された労働時間すなわち価値を交換なしに受 けとるところの過程だけである。半労働日は、資本にとって何一つ必要がかからないわけである。つまり資本は、代償になんら等価物を与えることなく、ある価 値を受けとる。そして価値の増加が生じることができるのは、ただ等価量をこえた価値が受けとられる、つまりつくりだされることによってだけなのである」
限界と制限の弁証法。
 p.398 「資本は、この生産諸力の発展そのものが資本それ自体のなかに一つの制限を見出すとき初めて、そうしたものであることをやめる。」つまり、社会主義・共産主義への移行。
さらに、p.413上段。
  「富の一般的形態――貨幣――を代表するものとしての資本は、自己の制限をのりこえようとする、制限も限度ももたない衝動である。どんな限界でも、資本に とっては制限であるし、また制限たらざるをえない。さもなければ資本は、もはや資本ではなくなってしまうであろう。……資本は、より多くの剰余価値をつく りだそうとする不断の運動である。剰余価値の量的限界は、資本にとっては、たえずそれを克服し、たえずそれをのりこえようとつとめる自然制限、必然性とし てだけ現われる。

参考(試作):
               /\
              /  \
           金融市場としての資本_地代_土地所有
            /______\
           /\ <個別性>/\
          /  \    /__\
      信用としての資本\  /株式資本としての資本
        /______\/______\
       /\              /\
      /価値\ マルクス1857~8年/  \
     / 個別性\  『資本論草稿』 /諸資本の集積
    /利潤__利子\ ノート2より /______\
   /\<一般性> /\      /\ <特殊性>/\
  諸要素\    /通流\    /  \    /  \
 /    \  /特殊化 \ 諸資本の蓄積\  /諸資本の競争
/貨幣__労働\/流動__固定\/______\/______\
         資本  資本


               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /__\
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

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http://www.arsvi.com/b2000/0102uk.htm
『資本論』
1968年第1巻がハンブルグで出版。
1850~ 大英博物館図書館での調査
→1857~58年 『経済学批判要綱』
→1861~63年 『経済学批判草稿』/大月9/9
→1963~65年 『資本論草稿』
スミスやリカードなどの古典派経済学の文献に内在しながら格闘する過程。 

資本論成立史〈4〉―1857-58年の『資本論』草案 (りぶらりあ選書)  – 古書, 1974



http://blogs.yahoo.co.jp/marbrstick/29142916.html  
『資本論』の草稿とその準備労作と考えられるものを以下の7つに大別して記述する。

1. 『経済学批判要綱』とその他の諸草稿(1857年 - 1858年)

まず『要綱』の草稿が最初に書かれている。『経済学批判要綱』と『経済学批判』とは関係性があるが基本的には別の草稿・著作であり、紛らわしいため『要綱』のことをドイツ語読みで『グルントリッセ』 ("Grundrisse") と呼ぶのが一般的である。これらは1857年10月から翌1858年5月にかけて執筆された7冊のノートである。
これに先行して書かれた「バスティアとケアリ」(1857年7月)および「序説」( "Einleitung" 、1857年8月 - 9月)とを総称して「1857年 / 1858年の諸草稿」と呼ぶ。これらが通常『経済学批判要綱』と呼ばれる草稿に当たる。マルクスはこの草稿を最初に書き上げる中で、全6部から成る経済学批判の体系を構想していった。日本語版では大月書店から刊行された『経済学批判要綱』全5巻に相当し、また『資本論草稿集』全9巻中の第1巻・第2巻に収録された部分に当たる。


2. 『経済学批判』第1部原初稿(1858年 - 1859年)

これがいわゆる『経済学批判』として刊行されたマルクスの著作の原初稿。
これは上記のように全6編として構想されたものの第1部に当たり、「序文」、「第1章 商品」、「第2章 貨幣または単純流通」からなる著作である。なお、この中の「序文」 ("Vorwort") と、『要綱』の中の「序説」 ("Einleitung") は別のものである。「唯物史観の公式」として知られる「上部構造・下部構造」の概念がマルクスの全著作中で出てくるのは、ここのみである。
『経済学批判』は『要綱』の中の「貨幣に関する章」をもとに作成した原初稿 (Urtext) をさらに改稿して成立している。マルクスは全6部の構想のうち、第1部としてこの『経済学批判』を書いた。当然続く作品は第2部以降として構想されていたが、この計画は後年に破棄され、書名を『資本(論)』 ("Das Kapital") に変更し、全3巻4部に構成を改めた。


3. 『経済学批判』草稿(1861年 - 1863年)

紛らわしいので前2者と区別するため「1861年 - 1863年草稿」と呼ばれる。
1861年8月から1863年7月にかけてマルクスは23冊のノートを書く。マルクスは『経済学批判』第1部の続きとしてこれを「第3章 資本一般」から書き始めたが、途中でその方針は変更される。
マルクスは1862年12月28日に手紙の中で、すでに書いたものを推敲・清書して『資本論 - 経済学批判』として刊行する旨を書いているので、この頃にマルクスの“経済学批判・全6部”という構想が“資本論・全4部”構想に変化していったことがわかる。
この「1861年 - 1863年草稿」は新MEGA編集者によって「第2の『資本論』草案」と呼ばれており、大月書店から出ている『資本論草稿集』では第4巻から第9巻に相当する。
また、この「1861年 - 1863年草稿」23冊のノートの中には「剰余価値に関する諸学説」の草稿が含まれている。エンゲルスはこれを『資本論』第4部として構想されていた「剰余価値学説史」の本体になるものと判断したが、それを編集することはもはや自分には不可能であると考えたため、この仕事をベルンシュタインとカウツキーに委ね、悪筆で有名なマルクス独特の筆致の読み方を特訓した。後にベルンシュタインは『マルクス=エンゲルス往復書簡集』を編集・刊行。カウツキーは『資本論』の第4部となるはずだった『剰余価値学説史』を独自の一つの著作として編集・刊行する。 


4. 「1863年 - 1865年経済学草稿」

…「1861年 - 1863年草稿」を書き上げた後、マルクスは清書をするため、1863年8月から『資本論』第1巻第1部の「資本の生産過程」の原稿を書き始める。その後、1865年末までには第3部の全7篇までの草稿をほぼ書き上げることになる。
この「1863年 - 1865年経済学草稿」では『資本論』全4部構想が定まり、「第1部 資本の生産過程」「第2部 資本の流通過程」「第3部 総過程の諸形象化」の理論的な3部の後に第4部として学説史的叙述がまとめられることが確定する。したがってこの時期に『資本論』の理論的な3つの部分が書き上げられたと考えられている。この部分がいわゆる資本論の初稿であり、この「1863年 - 1865年経済学草稿」は新MEGA編集者によって「第3の『資本論』草案」と呼ばれている。☆

5. 「1865年 - 1867年の経済学諸草稿」

1867年4月12日にマイスナー書店に渡された『資本論』第1部の印刷用原稿は、同年8月に『資本論』第1部初版として出版される。
第1部の執筆・出版に執心していたマルクスだが、この時期に彼は第2部と第3部への補足の必要性を感じていた。そのため、この時期に書かれた第2部・第3部補足のための諸草稿が存在している。これに関してはエンゲルスがマルクスの死後に『資本論』第2部・第3部出版の際に部分的に利用している。もちろんこの中には実際にエンゲルス版『資本論』に採用されずに埋もれたままの草稿も存在する。これは新MEGAの第II部第4巻第4分冊に収録される予定である(2009年現在未刊)。

6. 「1868 - 1881年の『資本論』第2部諸草稿」

この草稿群は主に『資本論』第2部の書き直しを含む長短種々の草稿。つまり『資本論』第2部の全体草稿である。第2部は周知のようにマルクスの死によって未完成に終わった。この草稿類の中でも1868年12月初旬から1870年半ばまでに書かれたものは、「第2部の草稿のうちで、ある程度まででき上がっている唯一のもの」(エンゲルス)である。これもまたエンゲルス版に部分的に利用されている。
1870年の草稿を書いてからのマルクスは、執筆を中断した一時期を挟んでから1877年3月末に再びペンを執る。これもまた第2部のための補筆・書き直しを含んだ諸草稿になる。ここでマルクスは3度にわたって第2部第1章の書き上げを試み、またその後、1880年末頃から1881年にかけて第3章の新たな書き直しを試みている。これらの草稿がマルクスが生前に書いた『資本論』全3部のための最後の草稿となった。


7. それ以外の諸草稿

上記以外の草稿について、まず第3部第1章に関して次の草稿が存在する。
第3部第1章に関する断稿(1869年1月~1871年8月)
第3部第1章に関する断稿(1875年11月)
第3部第1章に関する断稿(1875年5月)
第3部第1章に関する断稿(1876年2月半ば)
このうち2つがエンゲルスの編集によって第3部の冒頭部分に利用された。これに加えて、断片的なノート類やメモ、目次、引用資料など、マルクスによる多くの別の草稿類が存在している。
またフランス語版『資本論』では、初版の後半部分にマルクスは改訂を加えているが、このフランス語版とドイツ語版との統一を完成することなくマルクスはこの世を去った。マルクスは生前にドイツ語第2版のどこを削除し、フランス語版のどこに置き換える必要があるかを「第1巻のための変更一覧表」で一括整理していたのだが、第3版編集の際にエンゲルスはその存在に気づかなかった。
エンゲルスは第3版を編集・出版する際に「変更一覧表」ではなく、その元になった第2版とフランス語版マルクス自用本の「書き込み」を参考にしている。ただ新MEGA編集委員である大村泉の研究によれば、この「書き込み」は単なる備忘録・メモの域を越えないものであり、「一覧表」の存在なしには意図が不鮮明な部分が多数あった。こうした経緯で依拠すべき草稿が取り違えられてしまい、フランス語版で訂正された箇所が第3版では訂正がされないまま不正確になってしまっている。エンゲルスが「一覧表」の存在に気づいたのは、後年の英語版を監修していた1887年の時点だが、エンゲルスはなぜか第3版でも第4版(現行流布版底本)でも編集の手入れをほとんど行わず、またこうした事実を率直に述べていない。
2009年現在も刊行中の新MEGA第II部「『資本論』および準備労作」は15巻24分冊が予定されている。

参考:
マルクス研究会通信: 『資本論』第3部第5篇の研究
http://marxkentusin.cocolog-nifty.com/blog/35/index.html
「〔大谷禎之介《「銀行資本の構成部分」(『資本論』第3部第29章)の草稿について--第3部第1稿の第5章から--》(『経済志林』63巻1号収載)の訳文を利用〕
1957-58年に書かれたという『資本論』草稿の、マルクスのノート(『経済学批判要綱』
通称グルントリッセ)の中から「機械についての断章」(『マルクス資本論草稿集2』
大月書店「固定資本と社会の生産諸力の発展」pp.471-504)

アウトノミアの人たちが重視した本だそうです。中でも、この「機械についての断章」は、
とくにアウトノミアの思想、たとえば、アントニオ・ネグリなどが、現代の労働、非物質
的労働、あるいは労働の拒否を考える上で最も重視した箇所だそう。

「最初、価値の資本への移行を考察したときには、労働課程は単純に資本の中に取り入れ
られた。そして資本は、それの素材的諸条件から見て、つまりそれの物質的定住から見て、
この過程の諸条件の総体として現れ、またこの過程に応じて、労働材料(原料[Rohmaterial]
ではなく、これが、正確で概念的な表現である)、労働手段、および生きた労働という、
質的に異なった特定の諸部分に区分された。一方では、資本が、それの素材的な構成に従っ
てこれら三つの要素に分かれたのであったが、他方では、これらの要素の動的な統一が(
すなわち、これらの要素がいっしょになって過程にはいることが)労働過程であり、それら
の静的な統一が生産物であった。この形態では、素材的要素ー労働材料、労働手段、および
生きた労働ーは、ただ、労働過程それ自体の本質的諸契機として現われるだけであって、
この労働過程を資本はわがものとするのである。けれども、こうした素材的側面ーすなわち
使用価値および実態的過程としての資本の規定ーは、資本の形態規定とはまったく離れた
ものであった。」
アウアウアウ…


http://www.bund21.org/treatise/1007negri-sita.html

 ネグリのマルクス批判、これは、マルクスにおいては、直接的生産過程における労働―工場労働の担い手に限定された者を労働者と規定する「階級論」なっているが、自分はこの労働者規定の狭さを越えて、広く生産する者、働くものを労働者とするという「階級論」である。彼は、現代のグローバル資本主義の趨勢となった非物質的労働という「工場外」の労働の担い手を、現代世界の構成と変革の基軸的、積極的主体として位置付ける。そしてこの労働者、生産者を過去の「プロレタリア」と区別して「マルチチュード」と規定する。この様な主張であった。

 だがマルクスは労働者をたんに「直接的生産過程」「工場労働」の担い手に制限して規定していたわけではない。資本主義的生産の直接的生産過程において搾取される労働者を典型としつつ分析し、資本と賃金労働の対立の根拠を明らかにしたのである。労働者の存在を資本家による搾取の観点から分析し規定した。しかし同時にこれを可能する社会関係(人口や世界市場、国家など)を前提とするものであった。とりわけ労働者―人口や世界市場は論理的前提であったのだ。労働、労働者の変容は、決して排除されていない。ネグリが強調する労働力の生産、再生産過程を担う労働の位置の拡大、サービス産業の形成について、マルクスは家族や小共同体への資本の進出の角度からする分析視覚を確保しているのである。

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A. ネグリにおける価値と労働 ver.1.1* 山本泰三(四天王寺大学ほか  非常勤) 

《あらゆるマルクスの著作において、[…]労働力という概念は、価値法則のはたらきからは相対的に独立した仕方で、生産における価値創の要素として考察される。これが意味するのは、価値の単位が、はじめに「必要労働」との関係において特定されるということである。必要労働は不変の量ではなく、システムの動態的要素である。それは歴史的資質を有し、労働者階級の闘争によって決定づけられる。したがって、必要労働とは賃金労働をめぐる闘争の産物であり、労働を改善するための努力の産物であり、労働の悲惨さから逃れるための努力の産物である。したがって、第二の観点こそが、価値法則を資本主義システムの均衡法則にするのとは正反対に、このシステムの構成的不均衡の原動力にするのである。この観点から、われわれは価値法則を剰余価値法則の一部として考察しなければならないし、均衡の構成的危機の引き金となる要素として考察しなければならない。》(Negri 1992) 

「価値法則を剰余価値法則の一部として考察しなければならない」とは一体どういうことか。ここでわたしたちはNegri(1979)を参照すべきである。ネグリは『要綱』における「最大の交換は、諸商品の交換ではなく、労働と諸商品の交換である」という一文を引き4、「ここには裂け目がある!  最初の巨大な跳躍、最初の政治的補説が展開されている。/単純な点から始めよう。貨幣あるいは価値形態という不均等関係は、語義上は所有関係を表わすが、実質的には権力関係を表象している」と述べる(Negri 1979  邦訳81ページ)。ネグリによれば「貨幣と価値」という主題は、『要綱』における範例的な位置を占めている。『 要綱』においては、議論は貨幣からただちに価値へ向かう。そこでは価値が貨幣形態において提示されている(「即自的」アプローチ)5。ネグリにとっては、まず貨幣の指令という権力があり、資本の支配のもとで生産が行われる。この論点は、貨幣と商品の交換の非対称性を補助線として説明できると思われる。すなわち交換において貨幣と商品は相互に対等な関係ではなく、貨幣から見れば「買う」、商品から見れば「売る」、という非対称な関係である。この交換における商品を労働力に置き換えてみれば、ネグリのいう貨幣の「指令」としての権力という把握を理解することができるだろう。そして、「労働は、交換という形態、貨幣という形態をとる場合にのみ資本へと転化する」。このような資本と労働の交換関係のもとで初めて価値は量化されうるのであって、剰余価値、いやそもそも搾取関係抜きに価値論は可能ではない。「価値はまさに搾取のために指令され、編成された交換である」(Negri 1979  邦訳67ページ)。 ネグリにとって価値論は、剰余価値論に先立つものではない、ということになる。 

Negri  A.  [1979]  Marx  oltre  Marx:  Quaderno  di  lavoro  sui  Grundrisse,  Feltrinelli  Editore, Milano.(清水和巳ほか訳『マルクスを超えるマルクス――「経済学批判綱領」研究』作品社、2003年) 

「マルクスについての20のテーゼ」(Negri 1992; 1996)Negri  A.  [1996]  “Twenty  Theses  on  Marx:  Interpretation  of  the  Class  Situation  Today,” Saree  Makdisi,  Cesare  Casarino,  Rebecca  E.  Karl  (eds.)  Marxism  Beyond  Marxism, Routledge,  New  York  and  London. 

4『マルクス資本論草稿集  一八五七-五八年の経済学草稿』(資本論草稿集翻訳委員会訳、大月書店、Ⅰ:一九八一年、Ⅱ:一九九七年)、邦訳Ⅰ  134ページ。 


Hardt  &  Negri(1994)は、Negri(1992)における文言とほぼ同様の表現を用いながら、マルクスは「価値についての労働理論」を二つの視点から理解した、と述べる。「第一の理論」=「抽象的労働の理論」と、「第二の理論」=「自己価値創出」。そのうえで、第一の理論は完全に破産してしまったと書いているのだが、この破産はネグリらによれば、「労働概念を周縁化するどころか、その中心性をよりいっそう強化されたかたちで再提示している」。それは、「工業労働者階級が社会におけるその中心的な位置を喪失し」、「労働の性質や条件が大幅に変更され」、「労働とみなされてきたものが大きく変化した」ことによる。つまり、Hardt & Negri(1994)において、第一の価値法則が「ばらばらに粉砕される」と述べることは、労働の変容を強調することと不可分である。そしてこの主張は、価値の問題が消え失せる、あるいは「内部爆発」すると断じて終わるのではなく、労働概念の変容と価値概念の変容、そして両者の相互的な連動という、より興味深い論点をもたらす。

 第一の理論では価値が資本の諸構の内部に固定されていた。だが第二の理論では労働と価値はともに可変的な諸要素なのである。/それゆえ労働と価値との関係は一方向的ではない。[…]労働が価値の基礎であるとすれば、価値もまた同様に労働の基礎なのである。労働あるいは価値創的な実践と見なされているものは、社会的で歴史的な所与の文脈に存在する諸価値につねに依拠している。[…]労働を構成する諸実践の規定は所与でもなければ固定したものでもなく、むしろ歴史的かつ社会的に規定され、またこの意味でこうした規定それ自体が社会的異議申し立てが闘われる移動的な現場を構成する。たとえばフェミニストによる研究や実践[…]。この意味で、価値についての労働理論は、労働についての価値理論でもある。(Hardt & Negri 1994)   

Hardt  M.  and  Negri  A.  [1994]  Labor  of  Dionysus:  A  Critique  of  the  State  Form, University  of  Minnesota  Press,  Minneapolis.  (長原豊ほか訳『ディオニュソスの労働』人文書院、2008) 



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マルクス資本論草稿集 1 - 株式会社 大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b54272.html
マルクス資本論草稿集  1
著者マルクス 著
ドイツML研究所 編
資本論草稿集翻訳委員会 訳
ジャンルマルクス主義・古典
出版年月日1981/07/24
ISBN9784272100118
判型・ページ数4-6・584ページ
定価本体7,800円+税
在庫品切れ・重版未定
ネット書店を選択

内容説明

新メガ第2部第1巻第1分冊の翻訳.『経済学批判要綱』(グルントリッセ)の前半部を収録.旧訳の大月書店版『経済学批判要綱』(全5冊)を底本の更新にともなって一新した.
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資本論』はどのようにして形成されたか―マルクスによる経済学変革の道程をたどる 単行本– 2012/1


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1857~8
経済学批判要綱」(けいざいがくひはんようこう、Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie)は、カール・マルクス1857年から1858年にかけて執筆した、経済学批判にかんする一連の未完の草稿のことである。執筆された時期から「1857-58年の経済学諸草稿」(独: Ökonomie Manuskripte 1857/581857-58年草稿)などとも呼ばれる。また、ドイツ語のタイトルから「グルントリッセ」(独: Grundrisse)と通称される。

『経済学批判要綱』
1957~58年に8冊のノートにつづられた草稿。
第二次世界大戦中(1939・1941年)にモスクワではじめて公刊。
ひろく知られるようになったのは、1953年にモスクワ版の写真製版によってベルリンで復刻されて以降。

「貨幣論から世界市場論/世界史論まで、カヴァーしている理論的領域は「経済学批判」草稿群の中でも最大である。」(植村邦彦 20010213 『マルクスを読む』,青土社,326)


http://www.arsvi.com/b2000/0102uk.htm
「『要綱』の独自性と魅力は、世界市場において「資本の文明化作用」が、「資本主義的生産に先行する諸形態」を破壊・解体・再編成して「世界史」という全体の構造を創りあげることの指摘にある。イギリスで成立した資本主義は、世界各地で伝統的な生産形態や生活様式を破壊・解体し、世界を資本主義化していくが、場合によっては、伝統的生産様式と接合してそれを保存=利用するだけでなく、再生産しさえする(アメリカの奴隷制やプランテーション、植民地インドにおける高利貸的資本主義など)。しかし、それらも長期的には市民社会の発展とともに消滅する、とマルクスは考えた。」(327)

「資本にとってはたんに成案に必要不可欠な手段にすぎない「社会的個人の発展」をも促し、資本という「局限された基礎を爆破するための物質的諸条件」を自ら整備していくことにある。「資本はこのように、生産を支配する形態としての自己自身の解体に従事しているのである」。
 このように世界市場の成立を「資本の文明化作用」として描く空間的視野の広さと、「社会的個人」という革命的主体の形成を見通す時間的展望の深さは、『資本論』をはるかに超えている。アントニオ・ネグリが『要綱』の著者を「マルクスを超えるマルクス」と名付けたのは、そういう意味である。」(327)

『資本論』
1968年第1巻がハンブルグで出版。
1850~ 大英博物館図書館での調査
→1857~58年 『経済学批判要綱』
→1861~63年 『経済学批判草稿』
→1963~65年 『資本論草稿』
スミスやリカードなどの古典派経済学の文献に内在しながら格闘する過程。


1857
マルクス『経済学批判序説』(没原稿? 通常グルントリッセに含む)
Karl Marx :Einleitung zur Kritik der politischen Ökonomie, 1857.
http://p.booklog.jp/book/66684/page/1592592
10)「けれども困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態とむすびついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範としての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある。おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか? 人類がもっとも美しく花をひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか? しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。古代民族の多くはこのカテゴリーにはいるのである。ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、この芸術が生い育った未発展な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである、それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである」(マルクス『経済学批判序説』岩波文庫)。

at+28,2016年5月
132~3頁
Dの研究(6)
136頁

マルクス『経済学批判序説』1857
今日では『経済学批判』の付録として、または一八五七─五八年の経済学ノートの集成である『経済学批判要綱』の一部分として、刊行されている。

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    [20] マルクスにとって、労働過程は単に使用価値を生産する歴史貫通的な過程ではない。その資本主義的仮象こそ問題である。MEGA,II/4.1,S.123(『直接的生産過程の諸結果』1863~5 向坂逸郎訳、岩波文庫、1953年、231頁)を参照せよ。


1863~5年

『資本論第一巻草稿──直接的生産過程の諸結果』(マルクス/森田成也・訳)

『資本論』入門シリーズ第2弾。経済学史上もっとも革新的な理論を打ち立てたマルクスが、自らの剰余価値論を総括し、資本の再生産と蓄積、資本の生産物としての商品生産について考察する。『資本論』全体を理解するうえでの最重要論考。
別訳:
『直接的生産過程の諸結果』1863~5 向坂逸郎訳、岩波文庫、1953
『直接的生産過程の諸結果』、岡崎次郎訳、国民文庫、大月書店、1970
Fwd: 直接的生産過程の諸結果 - 株式会社 大月書店直接的生産過程の諸結果 29
直接的生産過程の諸結果
著者 カール・マルクス 著
岡崎 次郎 訳
ジャンル 文庫
出版年月日 1970/08/18
ISBN 9784272802906
判型・ページ数 文庫・224ページ

内容説明

『資本論』第一巻から第二・三巻への橋渡しとして予定された未定稿.剰余価値論の総括,蓄積論,資本の生産物としての商品についての考察を主な内容としている.資本論成立史にも欠くことのできない著作.


1863~5年
http://blog.goo.ne.jp/sekiseima/e/a863e997550323e25014394ead35d777
 第一に、“マルクス経済学者”が理解しなければならないのは、「古典派経済学の欠陥はここではただ次の点にあるだけである。すなわち、第一には、このようなより多くの生きている労働とより少ない対象化された労働(貨幣のこと)との交換が、どのようにして商品交換の法則に、つまり労働時間による商品価値の規定に、合致するのかということを論証することができなかったということであり、したがってまた、第二には、流通過程における一定量の対象化された労働(貨幣のこと)と労働能力との交換と、生産過程で行われるところの生産手段の姿で存在する対象化された労働による生きている労働の吸収とを、直接に混同していることである。可変資本と労働能力との交換過程を、古典派経済学は不変資本による生きている労働の吸収過程(価値増殖過程のこと)と混同しているのである。」(1863~5『直接的生産過程の諸結果』、国民文庫、P62)というマルクスの言葉である。 

 同じ『直接的生産過程の諸結果』にはマルクスはプルードンについて次のように述べている。
 
 「プルードンを困惑させるのも、やはりこれ(労働の生産性の増大は個々の商品の価格を低下させるにもかかわらず全体の剰余価値量は増大すること)に似たパズルである。というのは、彼はただ個々の独立な商品の価格を見るだけで、総資本の生産物としての商品を見ず、したがってまた、総生産物がその各個の成分の価格によって概念的に分けられる割合を考察しないからである。
 
 「商品の価格を構成するために、商業において労働者の賃金に資本の利子(これは剰余価値中の特別に命名された一部分でしかない)がつけ加えられるので、労働者が自分の生産したものを買いもどしうるということはありえない。労働によって生活するということは、利子制度のもとでは、矛盾を含んでいる原則である。」(『信用の無償性。フレデリック・バスティア氏とプルードン氏との論争』*、パリ、1850年、P105) 光文社新訳2016年では166頁。**

プルードンは貨幣という商品に絞って改善策を出した。マルクスは利子の問題をそこまで深刻に捉えていない。地代の方を重視している。

Gratuité du crédit - Quatorzième lettre - Frédéric Bastiat à P. J. Proudhon
http://bastiat.org/fr/lettre14.html


Gratuité du crédit - Quatorzième lettre - Frédéric Bastiatà PJ Proudhon


7 mars 1850. La cause est entendue et le débat est clos, dit M. Proudhon, de partie se faisant juge. M. Bastiat est ... Il avait compromis la cause du crédit gratuit , voici que le pouvoir la relève en la plaçant sur le piédestal de la persécution.

《SEPTIÈME LETTRE. P. J. PROUDHON À F. BASTIAT.
17 décembre 1849.

Il est impossible, dis-je, que, l’intérêt du capital s’ajoutant, dans le commerce, au salaire de l’ouvrier pour composer le prix de la marchandise, l’ouvrier puisse racheter ce qu’il a lui-même produit. Vivre en travaillant est un principe qui, sous le régime de l’intérêt, implique contradiction. 》

これらは信用の問題というよりも後の転形問題、有効需要の問題に繋がるだろう。

**
訳者は解説(光文社新訳解説421頁~)で草稿集邦訳2(大月書店45頁~%)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう
(マルクスがプルードン批判の為に展開した再生産表式自体がプルードンのテキストに内在する)。
だから労働者は自分が生産した分全てを買い戻せないというのは間違いではない。そもそも引用が恣意的だ。  
(v+mのドグマ=スミス批判では明確でない再生産における持続性のテーマが重要だろう。ここでマルクスの論理は、後のツガン=カウツキー論争におけるツガンの論理に似ているが、ツガンの方はは価格論に留まることなくカレツキに有効需要の論理の発見を促した。)

ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった(カレツキは転形論争からヒントを得ている)。

追記:
サミュエルソンが「マルクス搾取概念の理解」(邦訳『論争・転形問題』1978年所収104頁)で指摘したように、スミスのドグマを強調する文脈から『資本論』第3部でマルクスは不変資本(というより費用)を固定して論理を展開した。不変資本にも利子はかかり得ることを考えれば利子の問題は大きい。
3:2:9
1:
2:
2:サミュエルソン1971図解:(吉原2008はドブリュー1959と以下の図を発展させた)
3:サミュエルソンが解説:








http://rio.andrew.ac.jp/matuo/ronbun/197510r.html
『資本論』第2部「第1草稿」(1864~65年)について
松 尾 純    
 
 『経済学批判』という表題をもつ23冊のノート(1472ページ(1))をマルクスが書いたのは、周知のように1861年8月から1863年7月までのあいだの時期である。この時期に続く1863年8月から1865年12月までのあいだに、マルクスは、さらに『資本論』全3部の草稿を書いている(2)。以下、われわれが紹介する『資本論』第2部「第1草稿」はその1部であり、去年発行されたロシア語第2版『マルクス・エンゲルス著作集』第49巻、1974年に収められているものである。

(1)この23冊のノートのうち、第6~15冊を中心とする部分が『剰余価値学説史』におさめられており、また、第1~5冊と第19~20冊の部分がロシア語第2版『マルクス・エンゲルス著作集』第47巻、1973年におさめられている。さらに、残りの部分については、ロシア語第2版『マルクス・エンゲルス著作集』第48巻におさめられる予定である。
(2)これらの草稿のうち、現在、存在が認められているのは、『第1部、第6章、直接的生産過程の諸結果』と、以下で紹介する第2部「第1草稿」、および第3部用の「主要原稿」である。このうち公表されているのは、前の2つである。なお、最後の第3部用の「主要原稿」については、アムステルダムの社会史国際研究所における調査に基づく佐藤金三郎氏の報告・紹介がある(佐藤金三郎「『資本論』第3部原稿について」(1)(2)(3)、『思想』562、564、580
号、1971年4月、6月、1972年10月)。

 ネグリのマルクス批判、これは、マルクスにおいては、直接的生産過程における労働―工場労働の担い手に限定された者を労働者と規定する「階級論」なっているが、自分はこの労働者規定の狭さを越えて、広く生産する者、働くものを労働者とするという「階級論」である。彼は、現代のグローバル資本主義の趨勢となった非物質的労働という「工場外」の労働の担い手を、現代世界の構成と変革の基軸的、積極的主体として位置付ける。そしてこの労働者、生産者を過去の「プロレタリア」と区別して「マルチチュード」と規定する。この様な主張であった。ネグリは「階級論」で「工場労働」以外の労働を「社会化された労働」「非物質的労働」という具合に、区別だてして規定し、この労働をより社会を創造する力のある労働だとして突き出し、ここに労働者、生産する諸層、主体の変革の力、革命性を見いだし、ここに現代の革命の可能性を理論化した。彼は現代の労働の形態と内容の諸変化、つまり精神労働と肉体労働の分裂の高度化、対立や指揮、監督労働と指揮される労働の分裂や対立の拡大、労働力の生産、再生産を対象とする労働(サービス労働)の拡大、あるいは労働者上層と下層への社会層としての分裂と対立の深刻化、さらには資本制的生産とは区別されるべき被抑圧の人民、少数者、抑圧民族と被抑圧民族への分裂と対立の拡大など、これらの一切の諸変化の現実をこの「非物資的労働の優位性の確認」に流し込み、収斂させるのであった。
 だがマルクスは労働者をたんに「直接的生産過程」「工場労働」の担い手に制限して規定していたわけではない。資本主義的生産の直接的生産過程において搾取される労働者を典型としつつ分析し、資本と賃金労働の対立の根拠を明らかにしたのである。労働者の存在を資本家による搾取の観点から分析し規定した。しかし同時にこれを可能する社会関係(人口や世界市場、国家など)を前提とするものであった。とりわけ労働者―人口や世界市場は論理的前提であったのだ。労働、労働者の変容は、決して排除されていない。ネグリが強調する労働力の生産、再生産過程を担う労働の位置の拡大、サービス産業の形成について、マルクスは家族や小共同体への資本の進出の角度からする分析視覚を確保しているのである。

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『資本論』第2部  「第1草稿」の対称性 内田弘

追記:
エンゲルスはマルクスの資本論改定に関する指定の記述を見逃している。気がついた後も無視している。

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1877
マルクス資本論『第1巻のための変更一覧表』(1877年)関連:
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_shihonronco_cosei.htm
32511三論     資本論の構成  「佐々木信男論文集」、「『資本論』をひとりよがりに読むシリーズ」より
...
 全4部のどれも編輯問題に関して、さまざまな議論を誘発するテクストである。第1巻では初版(1867年)の前半部分が第2版(1872~73年)にお いて改訂されており、後半部分の改訂をマルクスはフランス語版(1872~75年)で行った。マルクスは「ドイツ語第2版のどこを削除してフランス語版の どこに置き換えたらよいのか」ということを『第1巻のための変更一覧表』(1877年)として遺したが、結局マルクス本人による両者の統合・編輯は行われ ることなく、マルクスはこの世を去ることになり、最終的な編輯の手はエンゲルスに委ねられることになった。

 新MEGA第2部の編輯委員の一人である大村泉によると、エンゲルスは第3版編輯の時点でこの『一覧表』の存在に気づかなかったそうである。そのためエ ンゲルスの編輯は第2版とフランス語版マルクス自用本の書き込みに従って行われて、結果『一覧表』と第3版との間にはいくつかの乖離が残されることになっ た、というのが大村泉の見解である(注3)。

 .... 詳細については大村泉『新MEGAと《資本論》の成立』(八朔社)、大村泉・宮川彰編著『『資本論』関連内外研究文献 マルクス/エンゲルス著作邦訳史集成』(八朔社)を参照されたい。また『AERA Mook マルクスがわかる。』(朝日新聞社)所収の大村泉「『資本論はいったい誰の作品か」、大谷禎之介「マルクスの遺稿は呪われたリングか」と題された2論文が短い中で要点を得ており、読みやすい。

 (注3)
 この報告は1988年、旧東ベルリンにて行われた新MEGA編輯者の『資本論』会議の席上、提示された。当初編輯者の多くが強く反発したようであるが、 次第に意見を取り入れるようになり、これにより新MEGA第2部既刊の第10巻でドイツ語第3・4版において採用されなかったフランス語訳テキストの一覧 を収録し、マルクスとエンゲルスとの乖離を表示する形となった。大村泉・宮川彰編著『『資本論』関連内外研究文献 マルクス/エンゲルス著作邦訳史集成』 (八朔社)、27~29頁参照。


書評 大村泉著『新MEGAと《資本論》の成立』(IX頁+5頁+436頁)
http://rio.andrew.ac.jp/matuo/ronbun/199911r.html
次いで第7章では、『資本論』第1部のマルクスにとっ
ての「最終決定版」は、エンゲルス編集増補第3版でも
第4版でもなく、1877年にアメリカで計画された英語版
のためにマルクスが作成した「『資本論』第1巻のための
変更一覧表」の変更指示を完全に実現した版であるとい
う筆者年来の主張が、MEGA編集者の見解を批判しつ
つ展開されている。その考証内容は妥当であり、取りあ
えず早急に筆者の言う「最終決定版」を実現しなければ
ならないであろう。しかしそうして実現された「最終版」
がマルクス著 『 資本論 』「最終版」であるとしても、直
ちに、我々にとっての『資本論』「最終最良版・決定版」
となるかどうか。これが本来の問題であろう。
新MEGAと《資本論》の成立  
著者名等   大村泉/著  ≪再検索≫  
出版者    八朔社  出版年    1998.04  
大きさ等   22cm 436p  NDC分類  331.6  
目次    
新MEGAと国際マルクス/エンゲルス財団;
『資本論』の成立―編集史および理論成立 史の争点;
第3章 「資本と利潤」の成立;
1861‐63年草稿における第3部構想の 成立;
「機械」論草稿の成立;剰余価値論と工場法分析;
エンゲルスによる第1部編集の 根本問題;
エンゲルス第3部編集への批判
(新MEGA編集者間の論争;
日本人研究者に よる再審);
『資本論』第1部初版本の伝承;
マルクス稀覯本の伝承
  ISBN等  4-938571-71-4

[mixi] マルクス研究 | 資本論草稿について
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2531273&id=22722396

またフランス語版『資本論』では、初版の後半部分にマルクスは改訂の手を加えていますが、このフランス語版とドイツ語版との統一に関してマルクスは完成することなくこの世を去ります。ところがマルクスは生前にドイツ語第2版のどこを削除し、フランス語版のどこに置き換える必要があるかを「第1巻のための変更一覧表」で一括整理していました。しかし第3版編集の際にエンゲルスはその存在に気づいていませんでした(!)。
そんな訳でエンゲルスは第3版を編集・出版する際に「変更一覧表」ではなく、その元になった第2版とフランス語版マルクス自用本の「書き込み」を参考にしました。ただ研究者によるとこの「書き込み」は単なる備忘録・メモの域を越えないものであって、「一覧表」の存在なしには意図が不鮮明な部分が多数あったようです。
そんな訳で依拠すべき草稿が取り違えられてしまい、フランス語版で訂正された箇所が第3版で訂正がされないままになったり、不正確になったりしました。
エンゲルスが「一覧表」の存在に気づいたのは、後年の英語版監修の時点・1887年のことだったのですが、エンゲルスはどうしたわけか第3版でも第4版(現行流布版底本)でも編集の手入れをほとんど行わず、またこうした事実を率直に述べていません。 


補記:
佐藤金三郎、林直道の以下の先行研究がわかりやすい。

佐藤金三郎「『資本論』第1巻,「アメリカ版のための編集指図書」(マルクス)について」(大阪市立大学『経済学雑誌』31号,1971年2月)
フランス語版資本論の研究 / 林直道著. 資料形態: 図書; 形態: 294p ; 20cm; 出版情報: 東京 : 大月書店, 1975; 著者名: 林, 直道(1923-).☆

ちなみに林直道には百人一首歌織物説という画期的な研究がある。再生産表式がこの文学研究に役立ったという。

林直道氏『百人一首の秘密-驚異の歌織物』における試み:
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/utaorimono.html
http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/ezu.html
小倉百人一首は歌織物《秘められた水無瀬絵図》 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html
NAMs出版プロジェクト: 百人一首=歌織物(林直道説):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/02/httpwww8_6191.html






    (フランス語版)                         (現行版)
第二篇 貨幣の資本への転化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二篇
 第四章 資本の一般的定式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第四章 第一節 
 第五章 資本の一般的定式の矛盾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同  第二節
 第六章 労働力の売買・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同  第三節
第七篇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第七篇
 第二三章 単純再生産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二一章
 第二四章 剰余価値の資本への転化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二二章
 第二五章 資本主義的蓄積の一般的法則・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二三章
第八篇 本源的蓄積・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二四章
 第二六章 本源的蓄積の秘密・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一節
 第二七章 農村住民の収奪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二節
 第二八章 一五世紀末以後の被収奪者にたいする血の立法。ーー賃金にかん
      する諸法律・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第三節
 第二九章 資本家的借地農業者の創生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第四節
 第三〇章 農業革命の工業への反作用。ーー産業資本のための国内市場の確立・・第五節
 第三一章 産業資本家の創生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第六節
 第三二章 資本主義的蓄積の歴史的傾向・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第七節
 第三三章 近代的植民理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第二五章

このちがいがもととなって後続の篇、章のナンバーが全部ちがってくるのである。

林72~3頁




英語版「資本論」の目次
1887 Karl Marx
English Edition "Capital"  Translated by Samuel Moore and Edward Aveling,Edited by Friedrich Engels 

Contents 
カール・マルクス
英語版 「資本論」の 目次 
English Edition of "Das Kapital"  Translated by Samuel Moore and Edward Aveling,Edited by Friedrich Engels

Contents
原書及び邦訳対象とした英文 Online Version 原文について
Written: 1867
Source: First english edition of 1887 (4th German edition changes included as indicated).
Publisher: Progress Publishers, Moscow, USSR 
First Published: 1887 
Translated: Samuel Moore and Edward Aveling - edited by Friedrich Engels 

Online Version: mea 1995, marxists.org 1999 
Transcribed: Zodiac, Hinrich Kuhls, Allan Thurrott, Bill McDorman, Bert Schultz and Martha Gimenez (1995-1996) 
HTML Markup: Stephen Baird and Brian Baggins (1999) 

邦訳及びアップロード: 宮崎恭一 (2010) 
英語版「資本論」の邦訳に当たって

第一巻 資本の生産過程[V o l. 1]
Volume One: The Process of Production of Capital
(訳者注 : 英語版「資本論」は第一巻のみである。
  英文の第二巻は、Progress Publishers, Moscow 1956, I. Lasker訳 また、第三巻はInstitute of Marxism-Leninism, USSR, 1959 がある。)

  序文とあとがき
Prefaces and Afterwords 
(訳者注 : ここでは、エンゲルスの英語版の序文のみ訳出)

第一篇 商品と貨幣 [Part 1]
Part I: Commodities and Money 
第一章 商 品 [Chapter 1]
Ch. 1: Commodities

第二章 交 換 [Chapter 2]
Ch. 2: Exchange 
(訳者注 : ドイツ語版では、交換過程 フランス語版では、交換)

第三章 貨幣、または 商品の流通 [Chapter 3]
Ch. 3: Money, or the Circulation of Commodities
(訳者注 : 向坂逸郎訳では、貨幣または商品流通)

第二篇 貨幣の資本への変換 [Part 2]
Part II: The Transformation of Money into Capital

(訳 者注 : ドイツ語版では、第二篇は、第四章のみで、その中に第一節から第三節の各節があるが、英語版では、これらが章として記述されている。マルクスの指示書によ りこの形式になっているが、確かに、章にするだけの内容があると、私も感じている。フランス語版ですでにそのようにしているのを引き継いでいる。なお、向 坂逸郎訳では、貨幣の資本への転化)

第四章 資本となるための一般公式 [Chapter 4]
Ch. 4: The General Formula for Capital
(訳者注 : 向坂逸郎訳では、資本の一般定式 ドイツ語版では、この章は、第四章 貨幣の資本への変換 の第一節 資本となるための一般公式となっている。)

第五章 資本となるための一般公式 における矛盾 [Chapter 5]
Ch. 5: Contradictions in the General Formula of Capital
(訳者注 : この章は、ドイツ語版では、第四章 貨幣の資本への変換 の第二節 資本となるための一般公式における矛盾 となっている。)

第六章 労働力の買いと売り [Chapter 6 ]
Ch. 6: The Buying and Selling of Labour-Power
(訳者注 : ドイツ語版では、第四章 第三節)

第三篇 絶対的剰余価値の生産 [Part 3]
Part III: The Production of Absolute Surplus-Value

第七章 労働過程と剰余価値生産の過程 [Chapter 7]
Ch. 7: The Labour-Process and the Process of Producing Surplus-Value
(訳者注 : ドイツ語版では、章番号が2減じられる。英語版第七章はドイツ語版では第五章である。以下同様)

第八章 不変資本と可変資本 [Chapter 8]
Ch. 8: Constant Capital and Variable Capital 

第九章 剰余価値率 [Chapter 9]
Ch. 9: The Rate of Surplus-Value 

第十章 労働日 [Chapter 10]
Ch. 10: The Working-Day 

第十一章 剰余価値の 率と量 [Chapter 11]
Ch. 11: Rate and Mass of Surplus-Value 

第四篇 相対的剰余価値の生産 [Part 4]
Part IV: Production of Relative Surplus Value

第十二章 相対的剰余価値の概念 [Chapter 12]
Ch. 12: The Concept of Relative Surplus-Value
第十三章 協 同 作 業 [Chapter 13]
Ch. 13: Co-operation 
第十四章 分業と工場手工業 [Chapter 14]
Ch. 14: Division of Labour and Manufacture 
第十五章 機械と近代工業 [Chapter 15]
Ch. 15: Machinery and Modern Industry 

第五篇 絶対的剰余価値と相対的剰余価値の生産 [Part 5]
Part V: The Production of Absolute and of Relative Surplus-Value 

第十六章 絶対的剰余価値と相対的剰余価値 [Chapter 16]
Ch. 16: Absolute and Relative Surplus-Value 

第十七章 労働力の価格と剰余価値とにおける大きさの変化
[Chapter 17]
Ch. 17: Changes of Magnitude in the Price of Labour-Power and in Surplus-Value
第十八章 剰余価値率に関する公式 [Chapter 18]
Ch. 18: Various Formula for the Rate of Surplus-Value

第六篇 賃金 [Part 6]
Part VI: Wages

第十九章 労働力の価値(とそれぞれの価格)の賃金への変換
[Chapter 19]
Ch. 19: The Transformation of the Value (and Respective Price) of Labour-Power into Wages
第二十章 時間賃金[Chapter 20]
Ch. 20: Time-Wages 

第二十一章 出来高払い賃金[Chapter 21]
Ch. 21: Piece-Wages 

第二十二章 賃金の国別の違い[Chapter 22]
Ch. 22: National Differences of Wages

第七篇 資本の集積 [Part 7]
Part VII: The Accumulation of Capital 

第二十三章 単純再生産[Chapter 23]
Ch. 23: Simple Reproduction 

第二十四章 剰余価値の資本への変換[Chapter 24]
Ch. 24: Conversion of Surplus-Value into Capital 
Ch. 25: The General Law of Capitalist Accumulation 

Part VIII: Primitive Accumulation 
Ch. 26: The Secret of Primitive Accumulation 
Ch. 27: Expropriation of the Agricultural Population from the Land 
Ch. 28: Bloody Legislation against the Expropriated, from the End of the 15th Century. Forcing down of Wages by Acts of Parliament
Ch. 29: Genesis of the Capitalist Farmer
Ch. 30: Reaction of the Agricultural Revolution on Industry. Creation of the Home-Market for Industrial Capital
Ch. 31: Genesis of the Industrial Capitalist 
Ch. 32: Historical Tendency of Capitalist Accumulation 
Ch. 33: The Modern Theory of Colonisation





    (フランス語版)                         (現行版)
第二篇 貨幣の資本への転化……………………………………………………………第二篇
 第四章 資本の一般的定式………………………………………………………………第四章 第一節 
 第五章 資本の一般的定式の矛盾…………………………………………………………同  第二節
 第六章 労働力の売買………………………………………………………………………同  第三節
第七篇………………………………………………………………………………………第七篇
 第二三章 単純再生産……………………………………………………………………第二一章
 第二四章 剰余価値の資本への転化……………………………………………………第二二章
 第二五章 資本主義的蓄積の一般的法則………………………………………………第二三章
第八篇 本源的蓄積…………………………………………………………………………第二四章
 第二六章 本源的蓄積の秘密………………………………………………………………第一節
 第二七章 農村住民の収奪…………………………………………………………………第二節
 第二八章 一五世紀末以後の被収奪者にたいする血の立法。ーー賃金にかん
      する諸法律………………………………………………………………………第三節
 第二九章 資本家的借地農業者の創生……………………………………………………第四節
 第三〇章 農業革命の工業への反作用。ーー産業資本のための国内市場の確立……第五節
 第三一章 産業資本家の創生………………………………………………………………第六節
 第三二章 資本主義的蓄積の歴史的傾向…………………………………………………第七節
 第三三章 近代的植民理論………………………………………………………………第二五章

このちがいがもととなって後続の篇、章のナンバーが全部ちがってくるのである。


 {資本。I.一般性〔Angemeinheit] ‐‐ (一)(a)貨幣からの資本の生成。(b)資本と労働(他人の労働によって媒 介された)。(c)資本の諸要素、それが労働にたいしてもつ関係にしたがって分解されたもの(生産物。原料。労働用具)。(二)資本の特殊化〔Besondrung〕。(a)流動資本〔Capital circulant〕。固定資本〔Capital fixe〕。資本の 通流〔Umlauf〕。(三)資本の個別性〔Einzelnheit〕。資本と利潤。資本と利子。利子および利潤としてのそれ自身 から区別された、価値としての資本。」  

II. 特殊性〔Besonderheit〕‐‐(一)諸資本の蓄積〔Accumulation〕。(二)諸資本の競争〔Concurrenz〕。 (三)諸資本の集積〔Concentration〕(同時に質的な区別でもあり、また資本の大きさと作用の尺度でもある、資本の量的な区別)。  

III.個別性〔Einzelnheit〕‐‐(一)信用としての資本。(二)株式資本としての資本。(三)金融市場 〔Geldmarkt〕としての資本。金融市場では、資本はその総体性において措定されている。そこでは資本は、価格を 規定するもの、労働を雇用するもの、生産を規制するもの、一言でいえば生産源泉である。しかし資本は、自分自身を 生産するもの(産業などをつうじて物質的に諸価格を措定するもの、生産諸力を発展させるもの)としてばかりでなく、同時にまた諸価値を創造するものとしても、資本とは特有のかたちで〔spezifisch〕区別された価値または富の 形態を措定しなければならない。それが地代〔Grundrente〕である。それは、資本それ自体からも、資本に固有の生産からも区別された価値として、資本による唯一の価値創造である。

...地代ー資本ー賃労働〔Lohnarbeit〕という一過程(推論の形式は、別なやり方で、すなわち賃労働ー資本ー地代としても捉えることができる。しかし資本は、つねに活動的な中間項〔die thatige Mitte〕として現われなければならない)...




『資本論』はどのようにして形成されたか―マルクスによる経済学変革の道程をたどる 単行本 – 2012/1 不破 哲三 (著),320頁



10 Comments:

Blogger yoji said...

再生産表式発見の陰にいたプルードン


**
(光文社新訳解説421頁~で)
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう。
だから労働者は自分が生産した分全てを買い戻せないというのは間違いではない。そもそも引用が恣意的だ。
訳者は解説で草稿集邦訳2(大月書店)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった。

3:24 午前  
Blogger yoji said...



イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』にて、次のように示した[1]。
労働が富の源泉であり、人間が獲得した所得は、労働のもたらした価値である。
労働量が多ければ価値量も多くなり、所得も多くなる。
所得の規模は、集団による協業の等級や需要によって定まる。
協業の等級は技術の水準と人口規模により定まる。

『歴史序説(三)』第5章

カール・マルクスはリカードの投下労働価値説を受け継ぎ、労働と労働力を区別することによって資本家の利潤の源泉が剰余価値であるとした[12]。賃金と交換されるのは労働ではなく労働力であり、労働力の価値の補填分を越えて労働が生み出す価値が剰余価値であって、これを利潤の源泉とした。

マルクス『賃金、価格、利潤』

労働価値説 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%AA%AC
労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。

2:45 午前  
Blogger yoji said...

労働者が売るものは直接的には彼の労働ではなく、彼の労働力(Labouring Power)であり、彼はその一時的な処分権を資本家に譲り渡すのである。まさにそれゆえ、イギリスの法でどうなっているのかは知らないが、大陸のいくつかの法ではたしかに、労働者が自分の労働力を売ることが許される最長時間が定められているのである。もしいくらでも無期限に売ることが許されるならば、奴隷制がたちまち復活することだろう。たとえば一生にわたる販売は、彼をただちにその雇用者の生涯の奴隷にしてしまうだろう。

光文社解説
労働者が資本家に直接的に売るのは「労働」ではなく「労働力」であるが(「賃金・価格・利潤」7、労働力)、労働力を売ることによって結果的にはその機能たる「労働」をも資本家に売ったことになる

2:51 午前  
Blogger yoji said...


定本トランスクリティーク363頁
「マルクスは一般的に貨幣を言語と類推的に見る考えを否定している。《貨幣を言語と比較することも、これ〔貨幣を血液と比較すること〕におとらずまちがっている。観念の場合、価格が商品とならんで存在することになるように、それが言語に転化されて、その結果観念の独自性は解消して、その社会的性格が理念とならんで言語のうちに存在するようになるというようなことはない。観念は言語から離れては存在しない。観念は、通用し、交換可能になるためには、まずその母国語から外国語に翻訳されなければならないが、そのことがなるほどいろいろの類推を起こさせる。だが、その場合、類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある》(マルクス『グルントリセ』貨幣に関する章)」大月草稿集①146頁

貨幣を言語と比較することもこれ(血液 ー引用者)に劣らず誤っている。観念( Idee )は観念の独自性が解消して、その社会的性格が観念とならんで言語のうちに存在しているーあたかも価格が商品とならんで存在し ...


http://kaie14.blogspot.jp/2016_07_01_archive.html

貨幣を言語と比較することも、これ(貨幣を血液と比較すること)におとらずまちがっている。(……)類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある。(マルクス『グルントリセ』)


https://www.google.com/search?safe=off&tbm=bks&ei=Yos1WPn_E4T58gWSwLvgCg&q=マルクス+++貨幣++血液+&oq=マルクス+++貨幣++血液+&gs_l=mobile-gws-serp.3..41.8961.11457.0.11936.13.13.0.0.0.0.198.1352.6j7.13.0....0...1c.1.64.mobile-gws-serp..6.7.625...30i10k1.SOU98eh5uKM


マルクスは一般的に貨幣を言語と類推的に見る考えを否定している。《貨幣を言語と比較することも、これ〔貨幣を血液と比校すること〕におとらずまちがっている。観念の場合、価格が商品とならんで存在することになるように、それが言語に転化されて、その結果 ...

4:54 午前  
Blogger yoji said...

マルクスは複数体系を見ていたという
しかし
血液型が違えば輸血できない
異言語習得は時間がかかる

経済学は簡単にグローバルな幻想を見る

複数体系をにないのはマルクスの方だ

4:57 午前  
Blogger yoji said...


定本トランスクリティーク363頁
「マルクスは一般的に貨幣を言語と類推的に見る考えを否定している。《貨幣を言語と比較することも、これ〔貨幣を血液と比較すること〕におとらずまちがっている。観念の場合、価格が商品とならんで存在することになるように、それが言語に転化されて、その結果観念の独自性は解消して、その社会的性格が理念とならんで言語のうちに存在するようになるというようなことはない。観念は言語から離れては存在しない。観念は、通用し、交換可能になるためには、まずその母国語から外国語に翻訳されなければならないが、そのことがなるほどいろいろの類推を起こさせる。だが、その場合、類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある》(マルクス『グルントリセ』貨幣に関する章)」大月草稿集①146頁

マルクスは複数体系を見ていたという。
しかし、血液型が違えば輸血できないし、異言語習得は時間がかかる。
それに対し経済学は簡単にグローバルな幻想を見る。
複数体系を見ていないのはマルクスの方だ。

4:59 午前  
Blogger yoji said...


定本トランスクリティーク363頁
「マルクスは一般的に貨幣を言語と類推的に見る考えを否定している。《貨幣を言語と比較することも、これ〔貨幣を血液と比較すること〕におとらずまちがっている。観念の場合、価格が商品とならんで存在することになるように、それが言語に転化されて、その結果観念の独自性は解消して、その社会的性格が理念とならんで言語のうちに存在するようになるというようなことはない。観念は言語から離れては存在しない。観念は、通用し、交換可能になるためには、まずその母国語から外国語に翻訳されなければならないが、そのことがなるほどいろいろの類推を起こさせる。だが、その場合、類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある》(マルクス『グルントリセ』貨幣に関する章)*」
*大月草稿集①146頁

マルクスは複数体系を見ていたという。
しかし、血液型が違えば輸血できないし、異言語習得は時間がかかる。
それに対し経済学は簡単にグローバルな幻想を見る。
複数体系を見ていないのはマルクスの方だ。

4:59 午前  
Blogger yoji said...

**
(光文社新訳解説421頁~で)
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう。
だから労働者は自分が生産した分全てを買い戻せないというのは間違いではない。そもそも引用が恣意的だ。
訳者は解説で草稿集邦訳2(大月書店)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった。

8:39 午後  
Blogger yoji said...

**
訳者は解説(光文社新訳解説421頁~)で草稿集邦訳2(大月書店)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう。
だから労働者は自分が生産した分全てを買い戻せないというのは間違いではない。そもそも引用が恣意的だ。

ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった。

8:41 午後  
Blogger yoji said...


**
訳者は解説(光文社新訳解説421頁~)で草稿集邦訳2(大月書店45頁%)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう。マルクスがプルードン批判の為に展開した再生産表式自体がプルードンのテキストに内在する。
だから労働者は自分が生産した分全てを買い戻せないというのは間違いではない。そもそも引用が恣意的だ。
(マルクスの論理は、ツガン=カウツキー論争におけるツガンの論理に似ているが、ツガンの方はは価格論に留まることなくカレツキに有効需要の論理の発見を促した。)

ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった(カレツキは転形論争からヒントを得ている)。

10:06 午後  

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