金曜日, 12月 02, 2016

ニーチェと仏教『アンチクリスト』


ニーチェ『道徳の系譜』【詳細レジュメ】 | ポット出版

http://www.pot.co.jp/guzuguzu/20120309_150719493927885.html

 たとえば、ニーチェはつぎのように言う。「ひとたびユダヤ人とユダヤ人キリスト教徒とのあいだに裂け目が開かれるやいなや、後者には、ユダヤ的本能がすすめたのと同一の自己保存の手続きをユダヤ人自身に対して適用すること以外には、なんらの選択もまったく残されてはいなかったが、他方ユダヤ人は、それまでこの手続きをすべてのユダヤ的ならざるものに対してのみ適用したまでのことである」(『反キリスト者』、44節)。



ニーチェの読んだ『スッタニパータ』 (ニーチェの愛読した最古の仏教聖典)
http://www.geocities.jp/jbgsg639/sutta.html
 ニーチェの読んだ『スッタニパータ』は、

Sutta Nipata by M. Coomara Swamy
Keywords: Buddhism; Pali; Canon; Tipitaka; Tripitaka; Khuddaka; Nikaya; Sutta; Nipata; translation
Pages: 187
http://static.sirimangalo.org/pdf/coomaraswamysuttanipata.pdf


 《僕はシュマイツナーの友人ヴィーデマン氏から、仏教徒たちの聖典heiligen Buchernの
ひとつとかいう『スッタ・ニパータ』の英語の本を借りた。そして『スッタ』の確乎たる
結句のひと  つを、つまり「犀の角ように、ただ独り歩め」という言葉を僕はもうふだんの
用語にしているのだ。生の無価値とすべての目標の虚偽とにたいする確信が、しきりと、
ときには僕の心に迫 ってくるのだ、ことに病気でベッドに寝ているときなどにはね。
それで僕は『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとしているのだ、ユダヤ=キリスト
教的な言い回しと結びつけないで ね。
 ――(三行略)――
 生に執着してはいけないということ、これは明白なことなのだ。だが、実際にもうなに
ものも意志しないということになったら、どこで僕たちは生に耐えていけるのだろうか?
認識せんと 意志することは、生の意志の最後の領域として、意志することと、もはや意志
しないことの、つまり煉獄の領域と涅槃の領域の中間地帯として、残されているように僕は
思うのだ。一方 には、不満を覚え、軽蔑しながら生をふりかえるかぎり、煉獄があり、
他方には、精神(ゼーレ)が生によって純粋観照の状態に近づくかぎり、涅槃があるのだ。》
             (理想社ニーチェ全集第十五巻「書簡集Ⅰ」塚越敏訳)


第一章 蛇

第三経 一角の犀


三五 あらゆる生き物に対して暴力をふるうことをすっかり放棄してしまい、いかなる生き物にも危害を加えることのないひとが、自分の息子をほしいと思うことすらあってはならぬ。ましていわんや一緒に修行してくれる仲間などいらぬ。ひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって。


五五 さまざまな宗教的ドグマ(教義)という邪路迷路を悪戦苦闘して通過してきて、正しい大道を歩みはじめるとき、つぎのような安心立命を得る、「わたくしにはさとりの智慧が生じた、もはやけっして他の道に迷い込むことはない」と。かくしてひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって。



七五 ひとびとが友人関係や師弟関係をもつのは、自ら益するところあらんがためである。今日ではかように利己的でないような友人関係は得難い。自己の利益ばかりを求める世智弁聡がひとびとを不浄にする。さればひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって。



スッタニパータ[釈尊のことば] 全現代語訳  荒牧典俊・本庄良文・榎本文雄 訳 講談社学術文庫


◆キリスト教は邪教です!―現代語訳『アンチクリスト』 ニーチェ,フリードリッヒ・ヴィルヘルム(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062723123.html
http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/fea0ef6ba775f66d31871dd9fffa3107
 19世紀ドイツの哲学者ニーチェの「アンチクリスト」の現代語訳
 
『仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。仏教のよいところは
「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。・・・そういう意味では
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいで
しょう。』

『仏教が注意しているのは、次の二つです。
一つは、感受性をあまりにも敏感にするということ。なぜなら、感受性が高ければ高いほど、
苦しみを受けやすくなってしまうからです。そしてもう一つは、なんでもかんでも精神的な
ものとして考えたり、難しい概念を使ったり、論理的な考え方ばかりしている世界の中に
ずっといること。そうすると、人間は人格的におかしくなっていくのです。』

 『重要なのは、仏教が上流階級や知識階級から生まれたことです。仏教では、心の
晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。そして大切なことは、
そういった目標は達成されるためにあり、そして実際に達成されるということです。そもそも
仏教は、完全なものを目指して猛烈に突き進んでいくタイプの宗教ではありません。
普段の状態が、宗教的にも完全なのです』

 『ところがキリスト教の場合は、負けた者やおさえつけられてきた者たちの不満がその
土台となっています。つまり、キリスト教は最下層民の宗教なのです。・・・キリスト教で
は最高の目標に達することは絶対に出来ない仕組みになっているのです』

 『仏教は良い意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。
ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。仏教は人々を平和でほ
がらかな世界へ連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせます。
キリスト教は野蛮人を支配しようとしますが、その方法は彼らを病弱にすることによって
です。相手を弱くすることが、敵を飼い慣らしたり、文明化させるための、キリスト教的
処方箋なのです』



____

「犀のように、ただ独り歩め」”so wandle ich einsam wie das Rhinoceros”という言葉を僕はもうふだんの用語にしているのだ。

 上記のように、1875年12月13日、31歳のバーゼル大学教授であったニーチェは、『スッタニパータ』を読んで、友人ゲルスドルフに書いている。

 ニーチェの読んだ英訳『スッタニパータ』第一章、第三経「犀」の42の詩は二つを除き、すべて“walk alone like a rhinoceros.”で終わる。

 「孤独に捧げる賛歌」とはニーチェ自身の『ツゥアラトゥストラ』評(『この人を見よ』)である。が、この「犀経」こそ「孤独に捧げる賛歌」である。

  ニーチェは『悲劇の誕生』で、ショーペンハウアーを「甲冑をまとった騎士」にたとえるが、ニーチェ自身は、「甲冑をまとったような獣」がよく似合う。

 
 僕はシュマイツナーの友人ヴィーデマン氏から、仏教徒たちの聖典heiligen Buchernのひとつとかいう『スッタ・ニパータ』の英語の本を借りた。そして『スッタ』の確乎たる結句のひと  つを、つまり「犀の角ように、ただ独り歩め」という言葉を僕はもうふだんの用語にしているのだ。生の無価値とすべての目標の虚偽とにたいする確信が、しきりと、ときには僕の心に迫 ってくるのだ、ことに病気でベッドに寝ているときなどにはね。それで僕は『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとしているのだ、ユダヤ=キリスト教的な言い回しと結びつけないで ね。
 ――(三行略)――
 生に執着してはいけないということ、これは明白なことなのだ。だが、実際にもうなにものも意志しないということになったら、どこで僕たちは生に耐えていけるのだろうか?認識せんと 意志することは、生の意志の最後の領域として、意志することと、もはや意志しないことの、つまり煉獄の領域と涅槃の領域の中間地帯として、残されているように僕は思うのだ。一方 には、不満を覚え、軽蔑しながら生をふりかえるかぎり、煉獄があり、他方には、精神(ゼーレ)が生によって純粋観照の状態に近づくかぎり、涅槃があるのだ。
             (理想社ニーチェ全集第十五巻「書簡集Ⅰ」塚越敏訳)

 塚越訳は「犀の角のように」となっている。

 二つの邦訳、中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ―』(岩波文庫)と渡辺照宏訳「スッタニパータ」(世界の大思想2『仏典』所収 河出書房新社)も両方「犀の角」である。
 
が、ニーチェの読んだ英訳は“walk alone like a rhinoceros”となっている。

 氷上英広が『ニーチェの顔』〔岩波新書〕で「犀」か「犀の角」かの疑問を呈している。
 
ニーチェの読んだ英訳には注があり、

Like a rhinoceros. – The commentator suggests that this may mean also “like the horn of a rhinoceros”.(147) とある。
 
 手紙の中の「ヴィーデマン氏」とは、ペーター・ガストと同時に1875年、ニーチェの講義を聴くためにライプツィヒからバーゼルに移っている人物である(『ニーチェの生活記録』白水社全集Ⅱ期十二巻)。

 注意深く読むことの専門家、優秀な文献学者であるニーチェをして「僕は『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとしているのだ」と言わせている。

 この手紙が書かれた当時、『反時代的考察』の初めの三つは既に刊行され、ニーチェは『バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー』に取りかかっていた。

 それから12年たって、1887年10月3日の手紙で、母に宛て43歳の息子はわざわざ犀を見に行くことを伝えている(白水社ニーチェ全集第Ⅱ期第三巻315ページ)。
 その後また一年ほどして、つまり発狂10日ほど前ということになるが、「お母さんの老いぼれ息子は、いまではおそろしく高名な一匹の獣になってしまいました。」(1888年12月21日、母宛)と奇妙な報告している。

 「孤独のなかでは、ひとがその孤独のなかに持ちこんだものも生長する。内なる獣も生長する。」(第四部「『ましな人間』について」13)とは ツァラトゥストラの言葉である。

 発狂直前(1888年10月)の遺稿に、『スッタニパータ』の影響で「直接自己を犀にたとえている」ものがある(白水社ニーチェ全集第Ⅱ期第十二巻の氷上英広の解説)。 

そうならば、母に宛てた「おそろしく高名な一匹の獣」とは「犀」をイメージしているのではなかろうか。

 また、『この人を見よ』で「世界史的怪獣」ein welthistorisches Untierと自称したのも『スッタニパータ』の「犀」が念頭にあるのではないか。



 ニーチェの読んだ『スッタニパータ』は、


SUTTA NIPATA or DIALOGUS AND DISCOURSES of GOTAMA BUDDHA translated from the pali, with introduction and notes by Sir M. COOMARA SWAMY 1874 LONDON

である。

 前掲『書簡集』の訳者塚越敏による注、「ニーチェはおそらく Coomara Swamy の英訳本 Sutta Nipata (London1870) を読んだのだろう。」は1874年の誤りであろう。

 前掲『ニーチェの顔』37ページには、
「ニーチェが借りて読んだスッタ・ニパータは、例の手紙の日付の前年一八七四年にロンドンで出た英訳(Sir Muttu Cumaraswamy)と思われるが、確かめることはできなかった」とある。これも訳者の綴りが怪しい。

 が、ニーチェの読んだ『スッタニパータ』は、上記以外にはありえない。訳者による27ページにわたるイントロダクションがあり、142ページ分の訳文と17ページ分の注釈からなっている。

 中村元訳前掲『スッタニパータ』の巻末の参考文献、〔訳書〕の最初にこのクマーラスワーミーの英訳が挙げられ、「これは30suttaのみの訳であるという。」と書かれている。
 中村の言うように、全72経の内の30経、つまり全体の半分に満たない量の訳である。

 中村訳『スッタニパータ』の目次にそいニーチェの読んだクマーラスワーミー訳との対応関係を示す。


第一蛇の章(12経221詩から成る)    すべて訳されている
第二小なる章(14経183詩)      すべて訳されている
第三大いなる章(12経361詩)     (七)セーラ、(八)矢、(九)ヴァーセッタの3経のみ訳されている
第四八つの詩句の章(16経210詩)   (一)欲望の1経のみ訳されている
第五彼岸に至る道の章(18経174詩)  全く訳されていない


 最古の仏典『スッタニパータ』のなかでも一番古いとされる「第四、八つの詩句の章」、「第五、彼岸にいたる道の章」がほとんど訳されていない。

 漢訳は「第四」のみが三世紀に『義足経』という題で訳されている。和訳は20世紀になってからである。

 『スッタニパータ』は文字化されるまで数百年かかり、わが国に伝わるまでに二千数百年かかった。究極の「スローメディア」である。

 ニーチェの読んだ1875年当時(明治8年にあたる)、『スッタニパータ』を読んだ日本人がいただろうか。

 日本人は明治以降、逆に、西洋から原始仏教を学んだのである。ちなみに、姉崎正治と高楠順次郎はニーチェの友人パウル・ドイセン(1845~1919)のもとで学んだ。

 ライプチヒ時代のニーチェの友人、ヴィンディシュErnst Windisch(1844‐1918)は、ニーチェがワーグナーと会う橋渡しをした(1868年11月9日、ローデ宛手紙)。

 そのヴィンデッシュは、オルデンベルク、リスデヴィスとともに、「原始仏教の代表的研究者」(渡辺照宏『新釈尊伝』大法輪185頁)の三人のうちに数えられる。

(ニーチェはオルデンベルクの『仏陀』を1884年に読み、抜書きを残している『白水社全集第Ⅱ期第七巻270ページ以下』)

 『スッタニパータ』は中国、日本の仏教にはほとんど知られていなかったが、「仏教の起源をたずねるためには、他のどの聖典よりも重要である」(中村元の解説)という。

 ニーチェが『スッタニパータ』を愛読したのは、偶然ではあるまい。古典文献学を通じて得た事実を見極める目に導かれたのであろう。

 クマーラスワーミー訳と中村元訳を比べるとなぜこうように違うのかと思う個所に出会う。中村は自らの訳が、それ以前の和訳に比べ「言文に近い直訳」であるという。

クマーラスワーミーはINTRODUCTONで『スッタニパータ』の残りの部分を第二巻として訳すのを予告しているが、果たされずに終わった。

 大河内了義『ニーチェと佛教』(法蔵館、昭和57年)と新田章『ヨーロッパの仏陀』(理想社1998年)にはニーチェの読んだ『スッタニパータ』に言及しているが、クマーラスワーミーの英訳本を読んだ形跡がない。

◆キリスト教は邪教です!―現代語訳『アンチクリスト』 ニーチェ,フリードリッヒ・ヴィルヘルム(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062723123.html
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 19世紀ドイツの哲学者ニーチェの「アンチクリスト」の現代語訳
 
『仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。仏教のよいところは
「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。・・・そういう意味では
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいで
しょう。』

『仏教が注意しているのは、次の二つです。
一つは、感受性をあまりにも敏感にするということ。なぜなら、感受性が高ければ高いほど、
苦しみを受けやすくなってしまうからです。そしてもう一つは、なんでもかんでも精神的な
ものとして考えたり、難しい概念を使ったり、論理的な考え方ばかりしている世界の中に
ずっといること。そうすると、人間は人格的におかしくなっていくのです。』

 『重要なのは、仏教が上流階級や知識階級から生まれたことです。仏教では、心の
晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。そして大切なことは、
そういった目標は達成されるためにあり、そして実際に達成されるということです。そもそも
仏教は、完全なものを目指して猛烈に突き進んでいくタイプの宗教ではありません。
普段の状態が、宗教的にも完全なのです』

 『ところがキリスト教の場合は、負けた者やおさえつけられてきた者たちの不満がその
土台となっています。つまり、キリスト教は最下層民の宗教なのです。・・・キリスト教で
は最高の目標に達することは絶対に出来ない仕組みになっているのです』

 『仏教は良い意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。
ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。仏教は人々を平和でほ
がらかな世界へ連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせます。
キリスト教は野蛮人を支配しようとしますが、その方法は彼らを病弱にすることによって
です。相手を弱くすることが、敵を飼い慣らしたり、文明化させるための、キリスト教的
処方箋なのです』

成熟…はアンチクライスト


「キリスト教は邪教です」(講談社+α文庫)を読んで - 住職のひとりごと
http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/fea0ef6ba775f66d31871dd9fffa3107

 19世紀ドイツの哲学者ニーチェの「アンチクリスト」の現代語訳

『仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。仏教のよいところは「問題
は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。・・・そういう意味では
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいで
しょう。』

 そして仏教が注意していることを二つあげています。『一つは感受性をあまりに敏感に
すること』『もう一つは、何でもかんでも精神的なものと考えたり、難しい概念を使っ
たり、論理的な考え方ばかりしている世界の中にずっといること』

 『重要なのは、仏教が上流階級や知識階級から生まれたことです。仏教では、心の
晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。そして大切なことは、
そういった目標は達成されるためにあり、そして実際に達成されるということです。そもそも
仏教は、完全なものを目指して猛烈に突き進んでいくタイプの宗教ではありません。
普段の状態が、宗教的にも完全なのです』

 『ところがキリスト教の場合は、負けた者やおさえつけられてきた者たちの不満がその
土台となっています。つまり、キリスト教は最下層民の宗教なのです。・・・キリスト教で
は最高の目標に達することは絶対に出来ない仕組みになっているのです』

 『仏教は良い意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。
ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。仏教は人々を平和でほ
がらかな世界へ連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせます。
キリスト教は野蛮人を支配しようとしますが、その方法は彼らを病弱にすることによって
です。相手を弱くすることが、敵を飼い慣らしたり、文明化させるための、キリスト教的
処方箋なのです』

 まだまだ引用したい部分が沢山あるがこの辺りに留めておきたい。あまりに的確な指摘をされているのではないかと思う。世界にもたらされている現代の様々な紛争の原因がどのあたりに隠されているのかもこの著作から伺われる。実に示唆に富んだ名著である。ぜひ読んでみられることをお勧めする。

 ところで、私は何もキリスト教をここで断罪する気は毛頭無い。それよりも実は、現実には私たちの仏教がキリスト教化してはいないかと懸念しているのだ。信仰ばかりを語ってはいまいか。読経、写経もよいがニーチェの唱える仏教の本来あるべき姿勢、論理的に冷静にものを考える伝統をおろそかにしてはいないか。

 教えの何たるかも知らせずに、ただ手を合わすことばかりを強要してはいないかと問いたい。ニーチェは、ものを信じ込む人は価値を判断することが出来ず、外のことも自分のことも分からず牢屋に入っているのと同じだとも指摘する。

 ニーチェの時代にはヨーロッパに仏教は浸透していなかったであろう。しかし現代のヨーロッパには、沢山の仏教信奉者がいて僧団を供養し真剣に学び修養に励む人々か少なからず居る。私たち日本人は仏教徒という意識も希薄で、この本の訳者(適菜収氏)も指摘しているが、誰もが知らず知らずのうちにキリスト教的考え方、行動パターンの中に巻き込まれているのではないかとも危惧する。



第十三章 ヨーロッパの龍樹
http://www.ni-club.net/panietzsche/2nietzsche-2/inf13/inf6.cgi?mode=main&no=16

諦念の人。──諦念の人とはどんなことをするか?彼はより高い世界をめざして努力する、あらゆる肯定の人間たちよりも一そう遥かに一そう遠く一そう高く飛翔しようと欲する。──この飛翔を重くするような幾多のものを彼は投げすてる、そのなかには彼にとって無価値ではないし気に入らぬでもない多くのものがふくまれている。彼はそれを高きへ飛ぼうとする熱望のため犠牲にするのだ。この犠牲、この放擲こそまさに、彼の目立って見える唯一のものである。それがためにひとびとは諦念の人という名を彼にあたえる。このような者として彼は、頭巾つき法衣に身を包んだ換毛自在な精神のように、われわれの前に立つ。彼がわれわれに与えるこの印象に、おそらくきっと彼は満足しているであろう。彼は、われわれを超えて飛翔し去ろうとする自分の熱望・誇り・意図を、われわれの目に見えないようにしておこうとする。──そうだ!彼はわれわれの思ったより遥かに賢く、そのうえわれわれに対してははなはだ丁寧である──この肯定の人間は!というのは、彼は諦念をいだきながらもわれわれと同じく肯定の人間だから。(悦ばしき知識 第27番)

犠牲としてのペシミスト。──生存に関わる根深い不快感が蔓延するとことでは、一民族が長期にわたって犯してきた食養法上の誤りの諸影響が明るみにでる。そのように仏教の伝播(その成立ではなく)は、大部分のインド人の過度の、ほとんどそれだけを主食と、それが原因となって生じた一般的な無気力とに、よるものである。(悦ばしき知識 第134番)

仏教とキリスト教という二つの世界の発生原因、なかんずくその急激な伝播の原因は、法外な意志の病化のうちにあったかもしれないということが、推測されるであろう。そして、事実そのとおりであった。(悦ばしき知識 第347番)

神との神秘的合一を願うのは、仏教とが無へ、涅槃へ行きつこうとする願いと同じものなのだ。(道徳の系譜 第一論文 第6番)

キリスト教をこのように断罪したからといって、私がこれに似た一つの宗教、信者の数ではキリスト教を凌いでさえいる宗教、すなわち、仏教に対し、不当な仕打ちをしたと思われては不本意である。両者はニヒリズムの宗教としては同類であろう。──ともにデカダンスの宗教である──が、まことにきわだった仕方において互いに袂を分かっている。今、この両者の比較対照が可能であることに対し、キリスト教の批判者は、インドの学者に深く感謝している。──仏教は、キリスト教に比べ百倍も現実主義的だ。──仏教は、問題を客観的に、冷静に提出する者からの遺産を身につけている。仏教は、幾百年とつづいた哲学運動の後に出現しているのだ。「神」という概念は、出現当時すでに、始末がついている。仏教は、歴史がわれわれに示してくれる唯一の、真に実証主義的な宗教だ。(アンチクリスト 第20番)

ヨーロッパは仏教を受け入れるまでにはまだまだ成熟していない(アンチクライスト 第22番)

仏教対「十字架にかけられた者」。──ニヒリズム的宗教の内部でもキリスト教のそれと仏教のそれとはいぜんとして鋭く区別される必要がある。仏教のニヒリズム的宗教は、美しい夕を完結した甘美や柔和を表現する、──それは、おのれに欠けたもの、すなわち、辛辣さ、幻滅、怨恨をふくめてのおのれが背後にしたすべてのものに対する感謝であり、──結局は高い精神的な愛である。哲学的矛盾をみがきあげることなど仏教の背後にしてしまったものであり、それにもわずらわされず安息してはいるが、しかし仏教は、その精神的栄光と落日の燿光をやはりこのものからえたのである。(──最上層階級からの血統──。)(力への意志 第154番)

キリスト教の心理学的問題によせて。──駆りたてる力は残されている。それはルサンチマン、民衆の反逆、出来そこない者どもの反逆である。(仏教の場合はこれと異なる。仏教はルサンチマン運動から生まれたのではない。仏教は、ルサンチマンが行為へとかりたてるがゆえに、このものと戦う。)(力への意志 第179番)

おそらく仏教徒の最も骨折ったのは、敵対感情の気力をくじき、それを弱体化せしめることであったであろう。ルサンチマンに対する闘争がほとんど仏教徒の第一の課題であると思われる。(力への意志 第204番)

仏教が実在性一般を否定したのは(仮象=苦悩)完全に首尾一貫している。すなわち、「世界自体」が、証明されず、到達されえず、範疇を欠くとされているのみならず、このものの全概要を獲得せしめる手続きが誤っていることが洞察されている。「絶対的実在性」、「存在自体」は、一つの矛盾なのである。生成の世界においては「実在性」とは、つねに、実践的目的のための単純化であるか、機関の粗雑さにもとづく迷妄であるが、生成のテンポにおける差異性であるかにすぎない。論理的に世界を否定してニヒリズムにおちいるのは、私たちが存在を非存在に対立せしめざるをえず、「生成」という概念が否認されることからの帰結である。(「何ものか」が生成する。)(力への意志 第580番)




日本人の持つ単純明快な人間主体の宗教観に達するには、西洋人では天才ニーチェですら発狂するほどの努力を必要とした。 TORA
http://asyura.com/0601/bd45/msg/527.html

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日本人の持つ単純明快な人間主体の宗教観に達するには、
西洋人では天才ニーチェですら発狂するほどの努力を必要とした。

2006年8月21日 月曜日

◆キリスト教は邪教です!―現代語訳『アンチクリスト』 ニーチェ,フリードリッヒ・ヴィルヘルム(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062723123.html

◆仏教の素晴らしいところ

さて、これまで私はキリスト教の問題点をあげ、それが最悪の宗教であることを説明してまいりました。それでは他の宗教について私がどう考えているのか、これも大事なことなので、きちんとお話ししておきましょう。

ご存じのように、仏教という宗教があります。仏教もキリスト教に負けず劣らずたくさんの信者がおります。仏教というと、キリスト教とはまったく違う宗教というイメージがあるようですが、実は両方とも同じようなニヒリズムの宗教なのです。しかし、仏教はキリスト教に比べれば、一〇〇倍くらい現実的です。

仏教のよいところは、「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っていることです。これは、仏教が何百年と続いた哲学運動の後に現れたものだからでしょう。インドで仏教が誕生したときには、「神」という考えは、すでに教えの中から取り除かれていたのです。

そういう意味では仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。

彼らは本当に現実的に世の中を見ています。仏教では「罪に対する闘い」などとキリスト教のようなことを言いません。現実をきちんと見て、「苦しみに対する闘い」を主張するのです。

仏教では、「道徳」という考えは自分をダマすことにすぎないと、すでにわかっているのですね。ここが仏教とキリスト教の大きく違うところです。

これは私の言い方なのですが、仏教という宗教は「善悪の彼岸」に立っているのです。つまり、善や悪というものから遠く離れた場所に存在している。それは仏教の態度を見れば明らかです。

仏教が注意しているのは、次の二つです。

一つは、感受性をあまりにも敏感にするということ。なぜなら、感受性が高ければ高いほど、苦しみを受けやすくなってしまうからです。そしてもう一つは、なんでもかんでも精神的なものとして考えたり、難しい概念を使ったり、論理的な考え方ばかりしている世界の中にずっといること。そうすると、人間は人格的におかしくなっていくのです。

読者の皆さんも「自分も思い当たるな」とか「ああ、あいつのことだな」とすぐにイメージできるのではないでしょうか。

仏教を開いたブッダはそういったものを警戒して、フラフラと旅に出て野外で生活することを選びました。ブッダは食事にあまりお金をかけませんでした。お酒にも用心しました。欲望も警戒しました。また、ブッダは自分にも他人にも決して気づかいしなかった。要するにブッダは、いろいろな想念に注意していたわけです。

ブッダは心を平静にする、または晴れやかにする想念だけを求めました。ブッダは、「善意」とは、人間の健康をよくするものだと考えたのです。そして神に祈ることや、欲望を抑え込むことを教えの中から取り除きました。

仏教では、強い命令や断定を下したり、教えを強制的に受け入れさせることはありません。なにしろ、一度出家して仏の道に入った人でも「還俗」といって再び一般の社会に戻ることができるくらいですから。

ブッダが心配していたことは、祈りや禁欲、強制や命令といったものが、人間の感覚ばかりを敏感にするということでした。仏教徒はたとえ考え方が違う人がいても攻撃しようとは思いません。ブッダは恨みつらみによる復警の感情を戒めたのです。

「敵対によって敵対は終わらず」とは、ブッダが残した感動的な言葉です。

ブッダの言うことはもっともなこと。キリスト教の土台となっている「恨み」や「復讐」といった考えは、健康的なものではありません。エゴイズム今の世の中では、「客観性」という言葉はよい意味で使われ、「利已主義」という言葉は悪い意味で使われています。

しかし、「客観性」があまりにも大きくなってしまい、「個人的なものの見方」が弱くなってしまうのは問題です。また、「利已主義」が否定され続けると、人間はそのうち精神的に退屈になってくるものです。

こういった問題に対して、ブッダは「利已主義は人間の義務である」と説きました。要するに、問題を個人に引き寄せて考えよう、と言ったわけです。

あの有名なソクラテスも、実は同じような考え方をしています。ソクラテスは人間の持っている利己主義を道徳へと高めようとした哲学者なのです。

◆多様な文化を認めないキリスト教

それではなぜ、仏教はこれほどまでにキリスト教と違うのでしょうか。その原因は、まず仏教がとても温かい土地で誕生したということ、またその土地の人たちが寛大でおだやかで、あまり争いを好まなかったことなどがあげられるでしょう。そして重要なのは、仏教が上流階級や知識階級から生まれたことです。

仏教では、心の晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。そして大切なことは、そういった目標は達成されるためにあり、そして実際に達成されるということです。

そもそも仏教は、完全なものを目指して猛烈に突き進んでいくタイプの宗教ではありません。ふだんの状態が、宗教的にも完全なのです。

ところがキリスト教の場合は、負けた者や押さえつけられてきた者たちの不満がその土台となっています。つまり、キリスト教は最下層民の宗教なのです。キリスト教では、毎日お祈りをして、自分の罪についてしゃべったり、自分を批判したりしている。それでもキリスト教では、最高の目標に達することは絶対にできない仕組みになっているのです。

フェアじゃないですよね。暗い場所でなにかコソコソやっているというのがキリスト教なのです。肉体が軽蔑され、ちょっとしたものでもすぐに「イヤらしい」などといってケチをつける。

かつてキリスト教徒は、ムーア人(八世紀にスペインに侵入したアラビア人)をイベリア半島から追放したのですが、彼らが最初にやったことは、コルドバだけで二七〇軒もあった公衆浴場を全部閉鎖したことでした。

キリスト教徒というのは異なった文化を認めようとしないのですね。それどころか、考え方が違う人たちを憎むのです。そして徹底的に迫害する。とても暗くて不健康で危険な人たちなのです。

キリスト教徒ってのは、言ってみれば神経症患者みたいなものです。常に神経が過敏な状態が、彼らにとっては望ましいのです。

キリスト教徒は、豊かな大地や精神的に豊かな人に対して、徹底的に敵意を燃やしました。具体的に「肉体」を持っているものに反発して、自分たちは「霊魂」だけを信じている。それで、張り合おうと思っているわけです。

キリスト教は、立派な心がけ、気力や自由、あるいは心地のいいこと、気持ちがいいこと、そして喜びに対する憎しみなのですね。

キリスト教が下層民のもとで誕生すると、やがてそれは野蛮な民族の間に広まっていきました。野蛮な民族は、仏教徒と違って、不満や苦しみを、敵に危害を加えるという形で外に出していったのです。

逆に言いますと、キリスト教は野蛮人を支配するために、野蛮な教えや価値観が必要だったのです。たとえば、初めての子どもを犠牲に捧げる風習や、晩餐で血を飲む儀式などがそうです。

このように、キリスト教というのは、人間の精神と文化への軽蔑なのです。仏教は、いい意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。

残念なことに、ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。仏教は人々を平和でほがらかな世界へと連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせます。

キリスト教は、野蛮人を支配しようとしますが、その方法は彼らを病弱にすることによってです。相手を弱くすることが、敵を飼い慣らしたり、「文明化」させるための、キリスト教的処方簑なのです。

仏教は文明が発達して終わりに向かい、退屈した状態から生まれた宗教ですが、キリスト教は、いまだに文明にたどりついていないのです。 (P46-P53)

◆キリスト教が破壊したローマ帝国

人がウソをつくときって、どんなときでしょうか。やはり、そのウソによって何かを守るときか、あるいは破壊するときでしょう。これらは相反するものですね。

しかし、キリスト教は無政府主義者と同じなので、破壊のみを目指すのです。歴史を振りかえれば明らかです。まさに歴史が証明しています。

先ほども言いましたが、宗教的な法の目的は、人生をよりよくするためのいろいろな条件や、杜会の偉大な組織を「永遠化」させることです。

偉大な組織では、人生が豊かになるからこそ、キリスト教はそれに対して攻撃を仕掛けるのです。

『マヌ法典』では、長い年月をかけて手に入れた収穫は、より利益を高めるために上手に運用し、より大きく豊かに、完全に持ち帰るべきものとされています。

反対に、キリスト教はローマ人の巨大な業績を一夜のうちにぶち壊しました。

キリスト教は世界を破壊しつくしてしまった。

キリスト教と無政府主義者は、両方デカダンスです。解体したり、害毒を与えたり、歪曲したり、血を吸う以外には何の能力もありません。立っているもの、持続するもの、未来を約束するもの、すべてに対する恨みと呪いの固まりなのです。

キリスト教徒はローマ帝国の血を吸いつくしました。

ローマの歴史は素晴らしいものでした。本当はローマ帝国はさらに大きくなるはずだった。ローマ帝国という驚くべき大規模な芸術作品は、まだ一つの始まりであり、数千年もの時間がたって真価を発揮するようなビツグプロジェクトだったのです。

これほどの大事業は、歴史上で、かつて一度も行われたことがありませんでした。ローマ帝国は偉大でした。たとえ、ろくでもない人間が皇帝になったとしても、土台が揺らぐことはありませんでした。誰が皇帝になろうと、そんなものは偶然にすぎず、ほとんど関係ないのです。

実はこれがすべての偉大な建築物の条件なんですね。しかし、そんな偉大なローマ帝国でさえ、腐り果てたキリスト教徒を防ぐことはできませんでした。

ウジ虫たちは、暗闇や霧にまぎれてコソコソと人々に忍び寄り、「真なるもの」に対する真剣さ、現実の世界で生きていくための本能を、人々から吸い取っていきました。そして一歩一歩、ローマ帝国という巨大な建築物から「魂」を奪っていったのです。

ローマ帝国の人々は、自分の国に対して、自分の意見を持ち、真剣さと誇りを持っていました。ところが、その男性的で高貴な本性が奪われてしまったのです。偽善者たちの陰謀が、ローマを支配して主になってしまった。 (P155-P157)

◆ルネサンスは反キリスト教運動

ここで、ドイツ人にとっては苦々しい思い出に触れる必要があります。最後の偉大な文化の収穫だったルネサンスが、バカなドイツ人のせいで失われてしまったことをです。これを最後に理解していただきたいのです。

ルネサンスとは、キリスト教的なあらゆる価値を転換させることにほかなりません。

キリスト教の反対の価値、つまり高貴な価値が勝利をもたらすように、最高の知性が集まってくわだてられた試み。この偉大な闘いがルネサンスなのです。ルネサンスはいまだかつてなかった強い強い問いでした。

そして、私が言っていることは、ルネサンスが発した問いなのです。というのも、ルネサンスほど根本的で単刀直入にキリスト教の中心部に切り込む攻撃の方法は、それまでなかったからです。

キリスト教の中心部に、決定的な地点で攻撃を仕掛けること。そして高貴な価値を王位につけること。

ルネサンスは素晴らしい魅力と可能性の広がる事業でした。その可能性は美しく光り輝いていました。そこでは一つの芸術が始まっており、それは悪魔と見間違えてしまうほど神々しかった。何千年かかっても、次の可能性は決して見つからないようなものでした。

私は一つのお芝居を思い浮かぺます。それは非常に意味が深く、驚くべき逆説的な光景です。オリンポスの神々もこれを見たらきっと大笑いするでしょう。そのお芝居では、イタリアの君主チェーザレ・ポルジアが法王の立場にいる。私の言っている意味がおわかりになりますでしょうか。

こういうことが起こっていれば、それこそ勝利だった。今日、私だけが望んでいることが、勝利を占め、キリスト教が除去されたはずでした。

ところが、一人のドイツ人修道士ルターがローマにやってきた。復讐心の強いこの修道士が、ローマでルネサンスに対抗して立ち上がったのです。

当時のローマではキリスト教という病気は克服されていました。それも、本拠地において。本来ならそれに感謝しなければならないはずなのに、ルターはキリスト教を都合よく利用することしか考えていませんでした。宗教的人間というのは本当に自分勝手なのですね。

ルターは法王が堕落していると思いました。しかし、本当はまったく逆だったのです。

当時、法王の座にキリスト教はいませんでした。そこに座っていたのはキリスト教なんかではなく、「生」だったのです。「生きること」に対する勝利の歌。すべての高くて、美しい、大胆なものごとへの肯定だったのです。

ところが、ルターは教会を復活させてしまった。彼が教会を「堕落している」と言って攻撃したからです。そのせいで、ルネサンスは大いなる徒労となってしまいました。こうしたバカなドイツ人のせいで、今、私たちは大きな被害を受けています。

本当に、ドイツ人はろくなことをしません。宗教改革、ライプニッツやカントなどのドイツ哲学、さまざまな「解放」戦争、帝国。どれ一つをとっても、すでにそこにあったものを、二度と回復できないような徒労に終わらせるものでした。

こういうドイツ人が私の敵なのです。

私は、彼らの考え方や価値観のうす汚さ、誠実な判断に対する臆病を軽蔑します。ここ1000年もの間、彼らの指が触れたものは、すべてよれよれに、もつれてしまっています。

彼らは、キリスト教という病気によって腐っているのです。ヨーロツパに病気を広げたのは、ドイツの責任です。

この世に存在するもっとも不潔な種類のキリスト教、ほとんど治る見込みのない重病のキリスト教、つまりプロテスタンティズムについても、ドイツには責任があります。

今すぐに、キリスト教とけりをつけないのなら、その責めはドイツ人自身が負うべきでしよう。 (P167-P170)



http://www.geocities.jp/jbgsg639/sutta.html

ニーチェの読んだ『スッタニパータ』
   (ニーチェの愛読した最古の仏教聖典)


●1、 お経を唱えるニーチェ


「犀のように、ただ独り歩め」”so wandle ich einsam wie das Rhinoceros”という言葉を僕はもうふだんの用語にしているのだ。

 上記のように、1875年12月13日、31歳のバーゼル大学教授であったニーチェは、『スッタニパータ』を読んで、友人ゲルスドルフに書いている。

 ニーチェの読んだ英訳『スッタニパータ』第一章、第三経「犀」の42の詩は二つを除き、すべて“walk alone like a rhinoceros.”で終わる。

 「孤独に捧げる賛歌」とはニーチェ自身の『ツゥアラトゥストラ』評(『この人を見よ』)である。が、この「犀経」こそ「孤独に捧げる賛歌」である。

  ニーチェは『悲劇の誕生』で、ショーペンハウアーを「甲冑をまとった騎士」にたとえるが、ニーチェ自身は、「甲冑をまとったような獣」がよく似合う。

 
 僕はシュマイツナーの友人ヴィーデマン氏から、仏教徒たちの聖典heiligen Buchernのひとつとかいう『スッタ・ニパータ』の英語の本を借りた。そして『スッタ』の確乎たる結句のひと  つを、つまり「犀の角ように、ただ独り歩め」という言葉を僕はもうふだんの用語にしているのだ。生の無価値とすべての目標の虚偽とにたいする確信が、しきりと、ときには僕の心に迫 ってくるのだ、ことに病気でベッドに寝ているときなどにはね。それで僕は『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとしているのだ、ユダヤ=キリスト教的な言い回しと結びつけないで ね。
 ――(三行略)――
 生に執着してはいけないということ、これは明白なことなのだ。だが、実際にもうなにものも意志しないということになったら、どこで僕たちは生に耐えていけるのだろうか?認識せんと 意志することは、生の意志の最後の領域として、意志することと、もはや意志しないことの、つまり煉獄の領域と涅槃の領域の中間地帯として、残されているように僕は思うのだ。一方 には、不満を覚え、軽蔑しながら生をふりかえるかぎり、煉獄があり、他方には、精神(ゼーレ)が生によって純粋観照の状態に近づくかぎり、涅槃があるのだ。
             (理想社ニーチェ全集第十五巻「書簡集Ⅰ」塚越敏訳)

 塚越訳は「犀の角のように」となっている。

 二つの邦訳、中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ―』(岩波文庫)と渡辺照宏訳「スッタニパータ」(世界の大思想2『仏典』所収 河出書房新社)も両方「犀の角」である。
 
が、ニーチェの読んだ英訳は“walk alone like a rhinoceros”となっている。

 氷上英広が『ニーチェの顔』〔岩波新書〕で「犀」か「犀の角」かの疑問を呈している。
 
ニーチェの読んだ英訳には注があり、

Like a rhinoceros. – The commentator suggests that this may mean also “like the horn of a rhinoceros”.(147) とある。
 
 手紙の中の「ヴィーデマン氏」とは、ペーター・ガストと同時に1875年、ニーチェの講義を聴くためにライプツィヒからバーゼルに移っている人物である(『ニーチェの生活記録』白水社全集Ⅱ期十二巻)。

 注意深く読むことの専門家、優秀な文献学者であるニーチェをして「僕は『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとしているのだ」と言わせている。

 この手紙が書かれた当時、『反時代的考察』の初めの三つは既に刊行され、ニーチェは『バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー』に取りかかっていた。

 それから12年たって、1887年10月3日の手紙で、母に宛て43歳の息子はわざわざ犀を見に行くことを伝えている(白水社ニーチェ全集第Ⅱ期第三巻315ページ)。
 その後また一年ほどして、つまり発狂10日ほど前ということになるが、「お母さんの老いぼれ息子は、いまではおそろしく高名な一匹の獣になってしまいました。」(1888年12月21日、母宛)と奇妙な報告している。

 「孤独のなかでは、ひとがその孤独のなかに持ちこんだものも生長する。内なる獣も生長する。」(第四部「『ましな人間』について」13)とは ツァラトゥストラの言葉である。

 発狂直前(1888年10月)の遺稿に、『スッタニパータ』の影響で「直接自己を犀にたとえている」ものがある(白水社ニーチェ全集第Ⅱ期第十二巻の氷上英広の解説)。 

そうならば、母に宛てた「おそろしく高名な一匹の獣」とは「犀」をイメージしているのではなかろうか。

 また、『この人を見よ』で「世界史的怪獣」ein welthistorisches Untierと自称したのも『スッタニパータ』の「犀」が念頭にあるのではないか。

 法然の「南無阿弥陀仏」や日蓮の「何無妙法蓮華経」のように、ニーチェはひたすら「犀のように、ただ独り歩め」と唱え、孤独に耐え、『人間的、あまりに人間的』以降の全作品を紡ぎだしたと想像するのは楽しい。



●2、ニーチェの読んだ『スッタニパータ』

 ニーチェの読んだ『スッタニパータ』は、


SUTTA NIPATA or DIALOGUS AND DISCOURSES of GOTAMA BUDDHA translated from the pali, with introduction and notes by Sir M. COOMARA SWAMY 1874 LONDON

である。

 前掲『書簡集』の訳者塚越敏による注、「ニーチェはおそらく Coomara Swamy の英訳本 Sutta Nipata (London1870) を読んだのだろう。」は1874年の誤りであろう。

 前掲『ニーチェの顔』37ページには、
「ニーチェが借りて読んだスッタ・ニパータは、例の手紙の日付の前年一八七四年にロンドンで出た英訳(Sir Muttu Cumaraswamy)と思われるが、確かめることはできなかった」とある。これも訳者の綴りが怪しい。

 が、ニーチェの読んだ『スッタニパータ』は、上記以外にはありえない。訳者による27ページにわたるイントロダクションがあり、142ページ分の訳文と17ページ分の注釈からなっている。

 中村元訳前掲『スッタニパータ』の巻末の参考文献、〔訳書〕の最初にこのクマーラスワーミーの英訳が挙げられ、「これは30suttaのみの訳であるという。」と書かれている。
 中村の言うように、全72経の内の30経、つまり全体の半分に満たない量の訳である。

 中村訳『スッタニパータ』の目次にそいニーチェの読んだクマーラスワーミー訳との対応関係を示す。


第一蛇の章(12経221詩から成る)    すべて訳されている
第二小なる章(14経183詩)      すべて訳されている
第三大いなる章(12経361詩)     (七)セーラ、(八)矢、(九)ヴァーセッタの3経のみ訳されている
第四八つの詩句の章(16経210詩)   (一)欲望の1経のみ訳されている
第五彼岸に至る道の章(18経174詩)  全く訳されていない


 最古の仏典『スッタニパータ』のなかでも一番古いとされる「第四、八つの詩句の章」、「第五、彼岸にいたる道の章」がほとんど訳されていない。

 漢訳は「第四」のみが三世紀に『義足経』という題で訳されている。和訳は20世紀になってからである。

 『スッタニパータ』は文字化されるまで数百年かかり、わが国に伝わるまでに二千数百年かかった。究極の「スローメディア」である。

 ニーチェの読んだ1875年当時(明治8年にあたる)、『スッタニパータ』を読んだ日本人がいただろうか。

 日本人は明治以降、逆に、西洋から原始仏教を学んだのである。ちなみに、姉崎正治と高楠順次郎はニーチェの友人パウル・ドイセン(1845~1919)のもとで学んだ。

 ライプチヒ時代のニーチェの友人、ヴィンディシュErnst Windisch(1844‐1918)は、ニーチェがワーグナーと会う橋渡しをした(1868年11月9日、ローデ宛手紙)。

 そのヴィンデッシュは、オルデンベルク、リスデヴィスとともに、「原始仏教の代表的研究者」(渡辺照宏『新釈尊伝』大法輪185頁)の三人のうちに数えられる。

(ニーチェはオルデンベルクの『仏陀』を1884年に読み、抜書きを残している『白水社全集第Ⅱ期第七巻270ページ以下』)

 『スッタニパータ』は中国、日本の仏教にはほとんど知られていなかったが、「仏教の起源をたずねるためには、他のどの聖典よりも重要である」(中村元の解説)という。

 ニーチェが『スッタニパータ』を愛読したのは、偶然ではあるまい。古典文献学を通じて得た事実を見極める目に導かれたのであろう。

 クマーラスワーミー訳と中村元訳を比べるとなぜこうように違うのかと思う個所に出会う。中村は自らの訳が、それ以前の和訳に比べ「言文に近い直訳」であるという。

クマーラスワーミーはINTRODUCTONで『スッタニパータ』の残りの部分を第二巻として訳すのを予告しているが、果たされずに終わった。

 大河内了義『ニーチェと佛教』(法蔵館、昭和57年)と新田章『ヨーロッパの仏陀』(理想社1998年)にはニーチェの読んだ『スッタニパータ』に言及しているが、クマーラスワーミーの英訳本を読んだ形跡がない。



●3、「鋤の刃」は『スッタニパータ』からとられたのか?


 ニーチェは1876年7月(『スッタニパータ』を読んだ7ヵ月後)のバイロイトの音楽祭の試演に失望し、クリンゲンブルンに逃れる。その地で手帳に書きとめたのが、後に『人間的、あまりに人間的な』となる「鋤の刃」の初めの断想である。

 『鋤の刃』の扉には「汝、われに従わんとせば、鋤を以って耕せ!・・・」というモットーが書かれるはずであった(理想社ニーチェ全集第六巻、訳者中島義生の解説)。

 「鋤の刃」Pflungscharとは農民でもなければ日常生活に出会う言葉ではない。ニーチェの読んだ『スッタニパータ』第一蛇の章、第四経「田を耕すバーラドヴァージャ」にploughshareという語が出てくる。

 仏陀に向かい田を耕すバラモン、バーラドヴァージャは「わたしは耕して種を播く。あなたもまた耕せ、また種を播け。」と問う。仏陀は自分でも耕作していると答える。

 以下は上記クマーラスワーミーの訳(ページ数)とそれに続く日本語は中村元訳の該当個所と【 】内はその詩の番号である。


(Bhagava said: For my cultivation),faith is the seed; penance the rain; wisdom my yoke and plough; modesty the shaft for the plough; mind the string; (and) presence of mind my ploughshare and goad. (21)

(師は答えた)、「わたしにとっては、信仰が種子である。苦行が雨である。智慧がわが軛と鋤とである。慚が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることがわが鋤先と突棒とである。【77】

ニーチェは英訳『スッタニパータ』の“Ploughshare”という語から “Pflungschar”「鋤の刃」という題にたどり着いたのであろうか。



●4、ニーチェの「出家」


 仏陀はすべての社会生活を放棄せよという過激な思想を抱いていた。それだけではなく、実人生において成し遂げたことである。

まさに「求めてなった乞食」(『ツァラトゥストラ』第四部)である。


Having abandoned the different kinds of desires, (founded on) child, wife, father, mother, wealth, corn, relations, let one walk alone like a rhinoceros.(16)

妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やほかのあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。【60】

 修行者ゴータマは、牛舎の中に「四肢にて匍って行って、幼くて乳くさい犢の糞を食べ」るような事もしなければならなかった。

 また墓場で寝ている時には、「牧童たちが、わたしに唾し、放尿し、塵芥をまきちらし、両耳の穴に木片を挿し入やって来てれた」というようなことにも耐えなければならない(中村元『ゴータマブッダ』)。

 そのようにして、仏陀は「別の岸へ向かう憧憬の矢」を放つ。


Having thrown behind him pleasure and pain, and first (do away with) good and bad intentions, having (then) secured the middle state, which is pacific and pure, let one walk alone like a rhinoceros.(17)

以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平成と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。【67】

 仏陀にとっては、国王も盗賊も同様に「賤しい人」であり、(【118 119】とその中村元の注)世俗はただ唾棄すべきものである。

社会生活の放棄は“in the attainment of Paramattha (the supreme good)”(17)「最高の目的を達成するため」【68】である。


Possessed of courage, persevering in the attainment of Paramattha (the supreme good) with a mind not inactive, without living in idleness, resolute in perseverance, endowed with a strong and powerful mind, let one walk alone like a rhinoceros.(17)

最高の目的に達成するために努力策励し、こころ怯むことなく、行い怠ることなく、毅い活動をなし、体力と知力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。【68】 

 私はこの句から「きみの最高の希望を神聖なものとして尊重せよ!」"Halte heilig deine höchste Hoffnung!" (「山の木について」)を連想する。

 『スッタニパータ』第三経「犀の角」のテーマは、「出家の勧め」である。

 若き仏陀は妻子を捨て、王宮を後にして森で暮らした。

そこで「寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と」【52】に耐えなければならない。

「足で蛇の頭を踏まないように」【768】常に用心していなければならない、恐ろしい場所であった。


(There are)cold,heat,hunger,thirst,wind,sun,gadflies,snakes;having overcome all these various things, let one walk alone like a rhinoceros.(14)

寒さと暑さと、飢えと飢えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、―これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。【53】 


 『人間的、あまりに人間的なⅠ――自由精神のための書』の最後のアフォリズム638は「漂泊者」Der Wandererという題である。
 「山と森と孤独に住み慣れ」、「漂泊者たり、哲学者たる、あのすべての自由なる精神」とは出家後の仏陀にもあてはまる。

 仏陀や二―チェのような独創的な思想家は既成の枠組の中に収まりきらない。「人間たちのあいだで暮らせば、かえって人間がわからなくなる」(第三部「帰郷」)のであり、一旦社会の外に出て、根源から問い直す。そのことが、逆に、人間のあり方自体を作り変えることになる。

 それには漂泊者となり、「脱皮する蛇」でなければならない。

 1879年6月、ニーチェはバーゼル大学を辞める。『この人を見よ』で、その年の冬はナウムブルグで「影」として過ごした、生涯の最低点だと告白している。

 その間にできたのが『漂泊者とその影』“Der Wanderer und sein Schatten” である。『ツァラトゥストラ』の主人公は「漂泊者」であり、「その影」も登場する。『ツァラトゥストラ』第三部―1の題は「漂泊者」であり、第四部―9は「影」である。 

ニーチェの人生は、およそ10年ごとにきれいに布置されている。


1844年       ―誕生
1849年(4歳)  ―父死去、翌年ナウムブルク移住
1858年(14)    ―シュールプフォルタ入学
1869年(24)   ―バーゼル大学就職
1879年(34)    ―退職、12月『漂泊者とその影』公刊
1889年(44)    ―発狂
1900年(55)    ―死去

 『漂泊者とその影』を公刊した後の二つの十年を言い表せば、「漂泊者」と「影」である。

バーゼル大学退職後の十年間、ニーチェ自身、住所不定無職の文字どおりの「漂泊者」となる。狂人ニーチェは、哲学者ニーチェの「影」と言えよう。

 若き仏陀は老、病、死から逃れられないことを知り、第四の必然の道、出家に導かれる。
仏陀は如来 tathagata (かくの如く来たもの)とも呼ばれる。

ニーチェのバーゼル退職も、病苦から逃れるため、「窮地" Not" を転じる"wenden"」ためにやむをえずしたことである。その後の十年の放浪者としての生活も、ニーチェにとっての「必然」"Notwendigkeit"であった。

ニーチェの自伝の副題は、「ひとはいかにして本来のおのれになるか」である。

 "Notwendigkeit"という観点から見れば仏陀の出家と同じ事である。

 大学に留まる事ができたとすれば、永劫回帰のインスピレーションに遭遇したであろうか。その後のニーチェの著作は現在知られているものとは大きく違ったものとなったであろう。

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●5、ニーチェの愛した「脱皮する蛇」の比喩


『スッタニパータ』第一章、第一経「蛇」の初めの詩は以下である。



The priest, who restrains rising anger, as the snake poison spreading in the body (is restrained) by medicines, gives up Orapara, as a snake (casts off its) decayed, old skin.(3)

蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世をともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。【1】

Oraparaの語には注釈がついている。


Orapara = (前半略)“this side and that side” and relate to man’s liability to metempsychosis.(145)


Oraparaの渡辺照宏訳は「此岸(この世)をも彼岸(あの世)をも」となっている。

第一経「蛇」の17詩の後半は、すべて、gives up Orapara, as a snake (casts off its) decayed, old skin.で終わる。中村元の注に「この表現はウパニッシャッド及び叙事詩に用いられている」とある。

 永遠の回帰を思わせる「脱皮する蛇」の比喩は『曙光』に二回出てくる。「この皮を投げ棄てるに足る蛇」(455)と次のアフォリズムは有名である。


脱皮する―脱皮することのできない蛇はほろびる。見解を変えることを妨げられた精神たちも同様である。彼らは精神たるを止める。
                                   (『曙光』573)

 その後も『悦ばしき知識』(1882年)の序曲の8に「三度目の脱皮にあたり」という詩があり、『人間的、あまりに人間的Ⅱ』の序文(1886年9月に書かれた)に「皮を脱ぎかえるというこの蛇の智慧に長けた一個の精神」と言う表現がある。

「犀のようにただ一人歩め」と同様に、「脱皮する蛇」の比喩をニーチェは愛好し続ける。

 『曙光』という題は、『リグヴェーダ』の「まだ輝いたことのない許多の曙光がある」からとられたという。「脱皮する蛇」573のアフリズムは終りから三番目にある。後の二つは精神の飛行者についてである。

 最後のアフォリズムは「われわれ精神の飛行する者!」と題され、西に航路を進めインドを目指したコロンブスに自らを喩えている。

 ニーチェは文献学者を「モグラ」に喩え、「飛翔の比喩」で理想を表す。

『スッタニパータ』の第一「蛇の章」の末尾は以下である。


As a peacock, (though) possessed of a crest and blue neck, never attained the swiftness of the swan, even so a householder resembles not the priest who is endowed with the qualities of a sage, and who, released from society, is meditating in the forest.(57)

譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときには、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって森の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。【221】

 在家を「孔雀(くじゃく)」、出家を「白鳥」に喩えている。『スッタニパータ』第一「蛇の章」は、地を這う蛇に始まり、空を飛ぶ白鳥で終わる。
文献学者としての「モグラ」の生活をしていたニーチェは、「白鳥」に出口を見出さなかったか。

 『スッタニパータ』第一「蛇の章」と『曙光』の末尾の三つのアフォリズムさらにニーチェの生き方とのアナロジーが見える。

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●6、『ツァラトゥストラはこう言った』という題


 登張竹風は”Also Sprach Zarathustra”の題名が「ニーチェ自ら之を読んでノートブックに書き留めて置いた梵語の形式Iti vuttakam (Also Sprach der Heilige)の模倣」(竹風訳『ツァラトゥストラー』の解題)であるという。

 しかし、ニーチェ自身による書きこみ「Iti vuttakam (Also Sprach(der Heilige))」(白水社ニーチェ全集Ⅱ期9巻92ページ)は1885秋―1886春のもので『ツァラトゥストラ』を書き終えた後のものである。

 私はこの題もニーチェが英訳『スッタニパータ』から学んだのではないのかと考えている。

 訳者クマーラスワーミーはINTRODUCTIONで、仏教聖典のなかで『スッタニパータ』がいかなる位置をしめるかを説明している。

 パーリ語の仏教聖典は律経論の三蔵から成り、経蔵は「ディーガ・ニカーヤ(長部)、マッジマ・ニカーヤ(中部)、サンユッタ・ニカーヤ(相応部)、アングッタラ・ニカーヤ(増支部)、クッダカ・ニカーヤ(小部)」の五つからなる。
そのうちの最後のクッダカ・ニカーヤは15あり、四番目が「如是語」、五番目が「経集」つまり『スッタニパータ』である。

「如是語」とは「是(この)如(ごとく)語る」の意味で、クマーラスワーミーは、

”Itivuttakam, Suttas in which the word Itivuttam, meaning, “It has been so said,” repeated occurs.”と説明している。

「ユダヤ=キリスト教的な言い回しと結びつけないで」、「『スッタ』からもっと多くのことを聞きとろうとして」いたニーチェは、『スッタニパータ』にある実例に倣ったのではないか。

そこには何度も”Thus said (固有名詞)”あるいは“Thus said Bhagava”(25 44 99 100)というフレーズが出てくる。これはドイツ語に訳すと”Also Sprach (der Heilige).”である。

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●7、聖典『ツァラトゥストラ』


 ニーチェの哲学は中身だけでなく形式も独創的である。文学作品のような論文、アフォリズム、そして極め付きは哲学詩『ツァラトゥストラ』である。

 哲学詩などというなものが他に例があるのであろうか。ニーチェ自身は「聖典」とも言っている。

 「聖典」を書く者はもはや哲学者ではなく、聖人の類(たぐい)である。その内容も、哲学の論文というより『福音書』とか『スッタニパータ』に近い。

1883年4月初め、ニーチェからマイゼンブ―クに宛てには、

 「素晴らしい話があるのです。つまり、私はあらゆる宗教に挑みかかって、一冊の新しい『聖典』heiliges Buchを作ったのです!」と書いている。

 ニーチェがキリスト教に「挑み」かかったのは広く知られているが、仏教に関してはそうではない。1883年4月6日、ペーター・ガスト(ニーチェの数少 ない弟子の一人)もニーチェに宛て、「先生の新しい御本はどんな部門に属するでしょうか?――私は『聖典』の類だと、殆ど信じてゐます。」
という。

1883年4月17日のペーター・ガストからニーチェ宛では、


 仏陀の言葉に対して弟子達は屡々、「驚くべきことだ」と言います。
 私は、ツァラトストラとして語る先生を聞きながら、屡々、そして仏弟子よりも一層多くの理由をもって、「驚くべきことだ!」と叫ばずにはいられませ ん。
    ――(二行略)――
 「幸いな者、聖なる者、残りなく悟りたる者なる彼に栄光あれ!」―決して仏教徒ではありませんが、こんな風に仏教式に呼びかけながら、一人  の献身をもってお祝い申し上げます。
 先生の恭謙なるK
  (以上アルフレト・ボイムレル編『ニーチェ書簡集』森儁郎他訳)


ペーター・ガストのいう「驚くべきことだ!」というフレーズは、クマーラスワーミー訳『スッタニパータ』【315の後】の”O Gotama! Wonderful! Wonderful!(86)で始まる仏陀への賛辞を思わせる。【82の後】にもExcellent Gotama!(23)で始まる、ほとんど同じ賛辞があり、注が付いている。


Excellent Gotama! excellent Gotama!――These words, and the paragraph in which they appear, occur frequently as the conclusion of many of Suttas. They are the words always used by those whom Buddha succeeded in converting to his faith.(149)

 ペーター・ガストもクマーラスワーミー訳の『スッタニパータ』を念頭に置いているのであろう。

上記手紙の日付「1883年4月」には、『ツァラトゥストラ』第一部を脱稿したが、第二部はまだ書いてはいない。第一部のすべてと第三部の「背教者たちについて」の舞台となるのが、「まだら牛」 ”die bunte Kuh”という町であり、仏陀が訪れた町の名から借りたという(ちくま学芸文庫の吉沢伝三郎の注)。

 『スッタニパータ』の「経」のスタイルに、初めに散文で状況を説明し、その次に繰り返しの多い韻文が来るものがある。たとえば、第一章、七「賤しい人」、第二章、七「バラモンにふさわしいこと」、十二「ヴァンギーサ」、一四「ダンミカ」、第三章、七「セーラ」、九「ヴァーセッタ」である。

『ツァラトゥストラ』の序説(3・4など)や若干の説話はそれに似ている。

 クマーラスワーミー訳ではそれぞれの「経」の題はパーリ語をそのまま使っているが、注でその意味が補われている。
その題の付け方は『ツァラトゥストラ』とよく似ている。

第一章、七「賤しい人」VASALA SUTTAと『ツァラトゥストラ』第二部「賎民」Vom Gesindelなどである。
VASALAという語には注がついている。


 VASALA.――“Slave” would be the rendering of vasala. Could it be the origin of the word “vassal”?

 それだけでなく、各章に題を付けること自体をニーチェは『スッタニパータ』から学んだのではないのか。

 聖書以外でニーチェに「聖典」というものの典型を示したのが、この『スッタニパータ』であろう。

『ツァラトゥストラ』第一部執筆期、「1882年11月―1883年2月」の遺稿に次のようなものがある。



 私は、過去現在を問わず今まで生きてきた全ヨーロッパ人の中で、最も宏大な魂を持っている.プラトン、ヴォルテール― ― ―私の力を貸すこ とは大してできないが、事物の本質から生ずる状況によっては―私はあるいはヨーロッパの仏陀になり得るかもしれない。もちろんインドの仏陀 とは反対のものであろうが。
                       (白水社全集第Ⅱ期第五巻147ページ)


 ニーチェを理解しがたい理由の一つが、「人類の歴史を二分する」(『この人を見よ』)というような彼のとほうもない壮大さである。

しかし、ニーチェの「広大な魂」も仏陀に比べるとみすぼらしいものに思える。仏陀は”the teacher of gods and men”(113 129)「神々と人間との師」【548の前 594の前】とさえ呼ばれ、神々にも説法をする(61)【222】。

 ニーチェと仏陀の個性の違いというよりも、彼らの時代の差であろうか。

現代の尺度では、「神の子」キリストは誇大妄想であり、デルフィの神託「ソクラテスより賢いものはない」を真に受けたソクラテスは、間違いなく精神病院に入院させられる。
 
「科学の子」である私たちは、「プチフェータリスム」<小さな事実しか知ることのできないという運命論>(『道徳の系譜』Ⅲ24)を固く信仰している。

私たちの時代は「別の岸へ向かう憧憬の矢」を放つものを精神病院に入れる。

 ニーチェによれば「ヨーロッパの仏陀」は「インドの仏陀」の反対のものとなる。これは本論の冒頭に掲げた、1875年12月のゲルスドルフ宛手紙の「意志すること」と「もはや意志しないこと」、「煉獄」と「涅槃」の対立に照応する。ニーチェはあくまで意志し、煉獄の責め苦に耐える。

 ルー・ザロメは、「永劫回帰」をサンサーラと同一視し、短絡的に、ニーチェと仏陀の違いをサンサーラ(輪廻)とニルヴァーナ(涅槃)の対立と考えている。


 
魂は遍歴しつつ永遠に再生するという古いインドの教えは、ニーチェによってまさしく逆にされている。回帰の強制からの解放でなく、回帰の強制への喜ばしき回心こそ最高の人倫的努力の目標なのであり、ニルヴァーナではなく、サンサーラこそが最高の理想をあらわす名称なのだ。
(ルー・ザロメ『ニーチェ』原祐訳283ページ)


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●8、「身体の軽蔑者」


 仏陀は『ツゥアラツゥストラ』第1部にある典型的な「身体の軽蔑者」である。


This (body), which has two feet, is impure (and) of a bad smell, is cherished, (though) it is replete with various kinds of filth, and is one from which impure matter flows from here and there.(53)

人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以って)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。【205】

If any man, possessed of such a body, think of rating himself high (on account of it), or despises another, from what other (cause can this arise except that) he sees it not as it (really) is?(53)

このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。【206】

「身体の軽蔑者」は続ける。


The body, which is made of bones and sinews, plastered with membranes and flesh, (and) covered with skin, is not seen as it really is.

身体は、骨と筋につながれて、深皮と肉とで塗られ、包皮に覆われていて、ありのままに見られることがない。【194】


It is filled with the intestines, the stomach, the lump of the liver, the abdomen, the heart, the lung, the kidneys, the spleen;

身体は腸に充ち、医に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、【195】


With mucus, saliva, perspiration, the serum of the muscular fibres, blood, the fluid which lubricates the joints, bile (and) fat.

鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。【196】


Moreover, from the nine orifices of this body there ooze impure matter at all times, the eye-excrement from the eye, the ear-excrement from the ear,

またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、【197】


The mucus from the nose. At times bile (and) phlegm are thrown up by the mouth; (and) sweat and filth exude from the body;

鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或ときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。【198】


And the cavity of the head of this (body) is filled with the brain. (Only) a foolish man under the influence of ignorance regards it as a good thing.(以上51-52)

またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。【199】

 上記は『スッタニパータ』第一章、第十一経「勝利」にある。勝利とは「愛欲に対する勝利の道」(中村元注)をいう。
仏陀にとっての「勝利者」はニーチェにとって「身体の軽蔑者」である。
 
以下の『人間的あまりに人間的な』Ⅰのアフォリズム82は「勝利経」にヒントを受けたのであろう。


魂の皮膚。――骨・肉・内蔵・血管は皮膚で包まれていて、それが人間の姿を我慢できるものにしているように、魂の活動や情熱は虚栄心によって蔽われている、虚栄心は魂の皮膚である。


以下の「1881年春―秋」(白水社全集第一期第12巻38ページ)の遺稿にもある。


皮膚を取った人間の内側にある美的な不快さ―血の塊、糞尿の腑、内臓、吸いこみ吐き出す無数の怪物たち―ぐにゃぐにゃと醜く、グロテスクで、そのうえ、不快な臭気を発している。それゆえそんなものは考えないようにするというわけだ!それでも表に出てくるもの(糞、尿、唾液、精液)は、羞恥心を引き起こす。
  ――(二行略)――
皮膚に隠されているこの肉体はみずからを恥じているように見えるではないか!

ツゥラトゥストラは仏陀を「死を説教する者」(第1部)の一人にも数えている。


 彼ら(死を説教するものたち)は、一人の病人とか、一人の老人とか、一個の死体とかに出会うと、すぐに言う、『生は反駁された!』と。

 ウォルター・カウフマン(英訳”Thus Spoke Zarathustra”の注)が言うように、仏陀の「四門出遊」(出家にいたる心理的プロセスを寓話化した)をさしている。

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●9、『ツゥアラトゥストラ』の比喩「海」



In this world, who (is it) that crosses the flood (of repeated birth)? Here, who (is it) that crosses the sea (of existence)? who (is it) that does not sink in the deep, where there is no support, nothing to cling to?(45)

この世において誰が激流を渡るのでしょうか?この世において誰が大海を渡るのでしょうか?支えなくよるべのない深い海に入って、誰が沈まないのでしょうか?【173】


He who is released from sensual thoughts, has overcome all the bonds (of attachment, and) has destroyed the desire for (sensual) objects and for repeated birth, does not (indeed) sink in the deep.(45)

愛欲の想いを離れ、一切の結び目(束縛)を超え、歓楽による生存を滅しつくした人――、彼は深海のうちに沈むことがない。【175】

仏陀にとってこの世はthe flood (of repeated birth)「くり返す生存の激流」、the sea (of existence)「存在の海」であり、速やかに渡り彼岸に達すべきものであった。”having passed the flood (and) sea (of birth)”(57)「激流を超え海をわたった」【219】人が「聖者」とされる。仏教は「筏」【21】あるいは「船」【321】に喩えられる。第二章、第八経は「船」NAVA SUTTAと題されている。


My raft is bound together, and well made; having crossed the flood (of existence) and swum through it, I have arrived at the other shore; there is no further use for the raft. Rain on now, O cloud! if you will. Thus said Bhagava. (8)

師は答えた、
わが筏はすでに組まれて、よくつくららえていたが、激流を克服して、すでに渡り終わり、彼岸に到達している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。【21】

 煩悩の異名に一つに「暴流」(ぼる)というのがある。ここでは”flood (of existence)”と書かれているが、 ニーチェの真骨頂は「激流」へ、「海」へ船出することにある。

 「海は荒れ狂っている。一切は海のなかにあるのだ。さあ!元気を出せ!きみら、昔ながらの船乗りの心を持つものたちよ!」(Ⅲ新旧28)とツァラトゥストラは言う。
 彼にとっては、超人が海であり、人間という不潔な川を受け入れることができる


まことに、人間は一つの不潔な川である。不純になることなしに一つの不潔な川を受け入れうるためには、ひとはすでに一つの海でなくてはならない。
  見よ、わたしはきみたちに超人を教える。超人はこの海であり、そのなかできみたちの大いなる軽蔑は沈み行くことができるのだ。
(『ツァラトゥストラ』序説3)

ツァラトゥストラは「溺れ死ぬことのできる海は、どこに残されているのか」(Ⅱ「預言者」)と預言者が嘆くのに心動かされる。



●10、『ツゥアラトゥストラ』の比喩「眼」



“With an eye that sees well, (and with) handsome countenance, thou art large-sized, strait, majestic; thou shinest like a sun in the midst of the assembly of priest.(118)

あなたは、眼が清らかに、容貌も美しく、(身体は)大きく、真っ直ぐで、光輝あり、(道の人)の群れにあって、太陽のように輝いています。【550】

バラモンであるセーラが仏陀の容姿を賞賛している。『ツァラトゥストラ』の冒頭でツァラトゥストラが山を下り、出会った老人の言葉を想起してしまう。



彼の目は清く澄んでおり、そして彼の口もとには何の吐きけも隠されていない。彼は一人の舞踏者のように、歩いて行くではないか?
ツァラトゥストラは変わった。ツァラトゥストラは子供になった。ツァラトストラは一人の覚醒せる者"Erwachter"である。いまやきみは、眠っている者たちのもとで、何をしようとするのか?
(『ツァラトゥストラ』序説2)

“Buddha”とははまさに「覚醒せる者」である。彼の悟りに比べれば、他の人々は「眠っている」のである。

 『スッタニパータ』で仏陀が複数形で表されている個所がある(25)【85 86】。「覚醒せる者」、「悟ったもの」は一人でなく、複数いて当然なのである。

 仏陀はthe best eye of men(97)「最上の目」【347】あるいはthe eye of the world(130)「世間の眼」【599】とも呼ばれる。
 「八正道」の第一は「正見」であり、仏教において正しく見ることは重要視される。

 仏陀に比べれば、他の人々は盲目同然である。
人々の哲学的見解とは、「群盲象をなでる」ということわざのように、盲人の群れが象に触れ、象とは何かを語っているようなものである。

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●11、『ツゥアラトゥストラ』の比喩「矢」


 人間の煩悩が満たされないときに苦悩が生じる。仏陀はそれを「刺さった矢」という平易な比喩で教える。
ニーチェの読んだ『スッタニパータ』にも次のようにある。


”If the pleasures of that being who wishes for anything, (and) in whom desires has arisen, fail, he is oppressed like one who is pierced with darts”(141)
欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。【767】

仏陀は人間が本来的に
”men who are ailing, pierced by the darts(of sorrow)”(92)「矢に射られて苦しんでいる者ども」【331】
であると考えた。

その矢をクマーラスワーミーは

darts (of sorrow)(6) 「悲しみの矢」
darts (of sin)(93) 「罪の矢」
darts (of grief)(102) 「悲嘆の矢」
darts of his bewailing(127) 「悲嘆の矢」
などに訳している。

人間は煩悩の矢に射ぬかれ、病める人であり、 仏陀は「矢を抜く人」であり、「医師」に喩えられる。


“O Brahma! I, that perfect Buddha, am a supreme physician, most eminent, matchless, the vanquisher of the army of Mara, one who has brought under subjection all enemies.”(119)

バラモンよ、わたしは(煩悩の)矢を抜き去る最上の人である。わたしは神聖なものであり、無比であり、悪魔の軍勢を撃破し、あらゆる敵を降服させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ。    【560―561】

“supreme physician”の部分を中村元訳は「(煩悩の)矢を抜き去る最上の人」【560】、前掲渡辺照宏訳は「最高の外科医」となっている。

このすぐ後にも、”a physician”(119)(中村訳「(煩悩の)矢を断った人」【562】、渡辺訳「外科医」)の例がある。

”supreme physician”には注が付けられている。



Supreme Physician.- This appellation applied in Hindu writings to God. He cures souls of their sin-disease.(159)


有名な「毒矢の譬」(『マッジマ・ニカーヤ』「箭喩経」)では毒矢に刺さったのはわれわれであり、その矢を抜く医者が仏陀である。

キリスト教の教祖(マタイ9:12他)と同様に仏陀も自らを医者にたとえる。

 『この人を見よ』「なぜ私はこんなに賢明なのか」6でニーチェは仏陀を「あの深い生理学者仏陀」と呼び、仏教を「宗教」でなく「衛生学」Hygiene(健康法)、「道徳」でなく「生理学」だとしている。それもこの『スッタニパータ』のphysicianという記述に関係があろう。

 仏教の中心的思想の一つとさる「四諦」も当時の医術の方法に倣ったものであり、仏陀は「大医王」とも呼ばれる(中村元『原始仏教の思想』下)。


わざわいなるかな!人間がもはやその憧憬の矢を人間を超えてかなたへ投射することなく、そしてその弓の弦がうなることを忘れてしまう時が来るのだ!       (『ツァラトゥストラ』序説5)


 この「憧憬の矢」は、「別の岸へ向かう憧憬の矢」 (序説4)であり、「超人へ向かう一本の矢、一個の憧憬」(第1部「友人」)でもある。

ニーチェは「インドの仏陀とは反対のもの」を称し、その「憧憬の矢」は、仏陀の”darts of sorrow”にことごとく反逆しているようである。





●12、善悪の彼岸

「別の岸」andern Uferとか「善悪の彼岸」”Jenseits von Gut und Böse”という語はいかにも仏教的である。

ニーチェの読んだ『スッタニパータ』には前にあげた句に、”(do away with) good and bad intentions”(17)(中村訳は「快さと憂いを擲って」【67】)というのがある。

以下はいずれも「彼岸」というこなれた日本語にぴったり収まる例である。


”the opposite shore (Nirbbana)”(55)               「彼岸」【210】
”the other side”(100)                       「彼岸」【359】、
”thou hast taken over these beings (to the other shore)!”(122) 「この人々を渡してくださいます。」【571】
”the furthest shore”(142)                    「彼岸」【771】

 「仏教は私の用語で言えば、善悪の彼岸に立っている。」(『反キリスト者』20) とニーチェは言うが、逆に「善悪の彼岸」というアイデアをニーチェに与えたのが仏教あるいはインド思想ではなかったのか。

 『道徳の系譜』(秋山英夫訳)Ⅲ‐17で、「婆羅門教たると仏教たるとを問わず、善悪の彼岸は全インド通有の見方なのだ」と言い、「善も悪も、――ともに繋縛である。完全者はいずれに対しても主となる。」を引用しているからである。

この引用は、次の『スッタニパータ』第三「大いなる章」、


安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世を知り、生と死を超越した人、――このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。【520】


に近いが、クマーラスワーミーの訳にはない。

「麗しき白蓮華が泥水に染まらないように、あなたは善悪の両者に汚されません、」【547】とこれも『スッタニパータ』の英訳のない個所に書かれている。

 しかし、「善悪を超える」という思想はニーチェのいうように、原始仏教の独創でなく、「古ウパニシャッドにすでに表明されていた」(中村元『原始仏教の生活倫理』)という。

 「善悪の彼岸」と同じような名前であるが、中身はニーチェと仏陀ではほとんど反対のようである。ニーチェは弱者に対し「侵害すること、圧服すること、抑圧すること、厳格なること」(『善悪の彼岸』259)を意味する。

 仏陀は善悪の観念を捨て去っても、通常の意味では高度の道徳的善に合致する、それほど高い「道徳性」を備えているのである。

 ニーチェのいうように仏教は、「大乗」の出現を待つまでもなく最初期から「同情の宗教」(『反キリスト者』7他)である。


As (even) at the risk of her own life a mother watches over her own child, so also let him exert illimitable goodwill towards all beings.(39)

あたかも、母が己が独り後を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものども対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。  【149】




●13、一切のものは虚妄である



The priest, who does not look back to the past or look forward to the future, having known that all this in the world is false, gives up Orapara, as a snake (casts off its) decayed, old skin.(5)

走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。 ――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。【9】

in the world が欠けたthat all this is false, gives up Orapara, as a snake (casts off its) decayed, old skin.の部分は、この詩の後に四回繰り返されている。

 クマーラスワーミーの訳that all this is falseは冗長であり(文法的にどう説明するのか、私にはわからない)、all is falseとしたほうがすっきりするような気がする。

 「一切はまやかしだ!」Alles ist falsch(『ツァラトゥストラ』第1部「創造者の道」)につながる。

 「一切のものは虚妄である」の句は「のちに大乗仏教の空観において強調されるようになった」(中村元『原始仏教の思想』上)重要なものである。

 ニーチェはバラモン教、仏教、キリスト教を「三大宗教」(『道徳の系譜』Ⅲ・17)といい、後の二つを「二つの世界宗教」(『悦ばしき知恵』347)あるいは「二大宗教」(『善悪の彼岸』62)と呼んでいる。

 キリスト教を「神は真理である」で言い表し、仏教の本質をこの『スッタニパータ』の一行で言い表している。

 以前には、『力への意志』という本の「計画」とされ、「あらゆる客の中で最も無気味な客」ニヒリズムの来訪を告げた有名な個所である。


「神は真理である」から「すべてのものは偽りである」Alles ist falschという狂信的信仰への逆転。行為の仏教
     (白水社二ーチェ全集第二期九巻170ページ)


ニーチェは永劫回帰を「ニヒリズムの最も極端な形態」とし、「仏教のヨーロッパ形態」であるとする。それは「終局目標」を否定する。


いっさいの生存がその『意味』を失った後の否定の行為である(白水社二ーチェ全集第二期九巻282ページ)。


 涅槃とは無であり、仏教はニヒリズムであるというニーチェの主張は、ショーペンハウアーを読む以前から抱いていた一貫したものである。

 新田章著『ヨーロッパの仏陀』35ページから借用すると、20歳のボン大学学生だった1865年夏学期(ショーペンハウアーを発見する2・3ヶ月前ということになる)のノートに以下のようにある。

 
仏教において、それ(汎神論的な根本性格、に関するらしい――J.フィーグル  注)は、一層深く汎神論的なニヒリズムへと沈潜した。ニルヴァーナこそがその目 標、゛滅却゛(Vernichtung)である。


本論の冒頭に掲げた1875年12月のゲルスドルフ宛の、「生の無価値とすべての目標の虚偽とにたいする確信が、しきりと、ときには僕の心に迫ってくるのだ」とも共通するところがある。

 仏教はニヒリズムであり、そうでないのはキリスト教の「誠実さ」である。

というよりも、ニーチェにとって子供の時に体験したキリスト教の信仰だけがニヒリズムではなく、それ以外はニヒリズムなのであろう。固く信じていた「道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)神への信仰である。

少年ニーチェはその中で安らいでいられた。

 14歳の作文、「僕はしっかりと心に誓いました、永久に神様に奉仕するために一身を捧げようと。」(理想社全集14巻198ページ)は決して嘘ではあるまい。
 
だが、後年ニーチェがキリスト教の「誠実さ」にしがみつけばしがみつくほど、かえって、「神は真理である」よりも「一切のものは虚妄である」という仏陀の言葉のほうが本当のように思えてくる。

 「キリスト教の信仰がなければ、君たち自身が自然や歴史と同じように、怪物および混沌となる」というパスカルの言葉を引用し、「この予言をわれわれは成就した」(白水社二ーチェ全集第二期十巻144ページ「1887年秋の遺稿」)とニーチェは付け加える。

 自らは「世界史的怪物」を演じ、発狂する。

 ニーチェの全哲学とは子供時代の平安を取り戻す「独特なあまりに独特な」彼のやり方ではなかったのか。

 自称するように「人類の教師」(1884年6月中、妹宛)なら、私たちの時代にふさわしい。


賢者の非人間性。――すべてのものを粉砕する賢者の思い足どり――仏教の歌によると、「犀のように孤独に歩む」”einsam wandelt wie das Rhinozeros”――には、時々和解的で穏やかな人間性が必要である。                      (『曙光』469)

とニーチェは言うが、「世間解(せけんげ)」も異名の一つである仏陀の歩みは、以下の如くである。


 Like the lion which fears not noises, unobstructed like the wind (whistling) through a net, not touching anything like the lotos (leaf) untouched by water, let one walk alone like a rhinoceros.(18)

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ一人歩め。【71】

「すべてのものを粉砕する賢者の思い足どり」とはニーチェ自身にふさわしい。自称「世界史的怪獣」が死んで一世紀以上たった。

彼はまことに「すべてのものを粉砕」した。


「ニーチェの読んだ『スッタニパータ』」



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“仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。
 仏教のよいところは「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。
 これは、仏教が何百年と続いた哲学運動の後に現われたものだからでしょう。”
 
“インドで仏教が誕生したときには、「神」という考えは、すでに教えの中から取り除かれていたのです。”
 
“仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。”
 
“仏教という宗教は「善悪の彼岸」に立っているのです。”

“ブッダは心を平静にする、または晴れやかにする想念だけを求めました。”

“ブッダは、「善悪」とは、人間の健康をよくするものだと考えたのです。
 そして神に祈ることや、欲望を抑え込むことを教えの中から取り除きました。”

“仏教では、心の晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。”

“仏教は、いい意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。”

“残念なことに、ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。”

“キリスト教は、いまだに文明にたどりついていないのです。”

― ニーチェ 『アンチクリスト』 適菜訳 (2005) 

『アンチクリスト』は1888年、ニーチェが44歳の時に書き、1895年に出版された。
1888年はニーチェにとって執筆可能な最後の年となった。