日曜日, 2月 19, 2017

ダブル・バインド(Double bind)Bateson, G.1956


            (リンク::::::::::民俗学論理学、生物学精神分析
ダブルバインド(Double bind)Bateson, G.1956
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/double-bindbateson-g1956.html@

NAMs出版プロジェクト: 臨済録

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_11.html  

Joyce, Beckett, Artaud ( paranoid, hebephrenic, catatonic)妄想、破瓜、緊張型

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/joyce-beckett-artaud-paranoid.html
NAMs出版プロジェクト: 『千のプラトー 資本主義と分裂症』:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_13.html

M.P#1
グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すのに用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避しつつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。西欧的精神の困った特徴は、もろもろの表現あるいは行為を、外在的または超越的諸目的に結びつけてしまうことだ──それらをそれ自体としての価値によって、一つの内在平面上で評価する代わりに(18)。例えば、一冊の本は章から構成されるかぎり、それなりの頂点、それなりの終着点をそなえている。

(18) Bateson, Vers une écologie de l'esprit, t. I, Ed. du Seuil, pp.125-126.〔ベイトソン『精神の生態学』佐伯泰樹・佐藤良明・高橋和久訳、思索社、1986、上181-182ページ〕「プラトー」という語が、古典的には、球根や、塊茎や、リゾームの研究において用いられていることに注意しよう。Dictionnaire de botanique de Baillon,《Bulbe》の項を参照。

「バリ―定常型社会の価値体系」『精神の生態学 』新思索社(邦訳改訂版2000年.179,180頁参照)

上記もダブルバインドに無関係ではないが(バリにおける母子の適度なダブル・バインドが分析されている)。この論集では特にダブルバインドに関する以下が重要。


ベイトソンの1956年に発表した論文「精神分裂症の理論化に向けて」
(「精神分裂病の理論化へ向けて」『精神の生態学 上』思索社)179,180頁参照

Bateson, G., Jackson, D. D., Haley, J. & Weakland, J. (1956), Towards a Theory of Schizophrenia. in Behavioral Science, Vol 1, 251–264
http://solutions-centre.org/pdf/TOWARD-A-THEORY-OF-SCHIZOPHRENIA-2.pdf 該当論考


An Ecology Of Mind. Trailer (Englisch). 2010
https://youtu.be/-_ZQa-5jWgM



O pensamento de Gregory Bateson
https://youtu.be/-_ZQa-5jWgM

グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904年5月9日 - 1980年7月4日)は、 アメリカ合衆国の文化人類学・精神医学などの研究者。 
イギリス出身で、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国に渡った。
遺伝学者ウィリアム・ベイトソンの息子。文化人類学者マーガレット・ミードの公私にわたるパートナーでもあった。ミードとの娘のメアリー・キャサリン・ベイトソンも文化人類学者。
太平洋戦争以前の人類学的調査では、ひとつの人間集団を、内的関係性のダイナミックスという視点から分析する方法を切り開いたが、この思考は、戦後まもなく、サイバネティックスの創立に関与しつつ研ぎ澄まされた。そして、精神病棟でのフィールドワークから、「ダブルバインド」という概念を生みだし、統合失調症をコミュニケーションに基づく見地から説明した。
後年は、イルカのコミュニケーションから生物進化まで、自然界の広い事象を包括する「マインドのエコロジー」を提唱。ベイトソンの一見神秘主義的ながら、堅固に論理的で、ウィットにも富んだ思想は、西洋近代の単線的な思考形態が批判される1970年代の風土のなかで、支持を広げた。
「メタ・メッセージ」を提唱した。メタ・メッセージとは、メッセージには元となるメッセージの中にそれを説明するメッセージが込められているということである。また、ベイトソンはメタ・メッセージを読み取るコミュニケーションを「メタ・コミュニケーション」と呼んだ。
ベイトソン, グレゴリー 『精神と自然:生きた世界の認識論』 佐藤良明訳、思索社、1982年、p327 「われわれを取り巻く状況変化の傾向が、全くといっていいほど意識されていないことは、無視できない問題である。水を入れた鍋の中にカエルをそっと坐らせておき、今こそ跳び出す時だと悟られぬように、極めてゆっくりかつスムーズに温度を上げていくと、カエルは結局跳び出さずにゆで上がってしまうという疑似科学的な作り話(quasi-scientific fable)があるが、われわれ人類も、そんな鍋の中に置かれていて、徐々に進行する公害で環境を汚染し、徐々に堕落していく宗教と教育で精神を腐らせつつあるのだろうか?」(p. 133)
Gregory Bateson - Wikiwand
 

deleuze A.O#2:4

《ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・バインド〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、という。ところが父は、あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されないことを強力にほのめかす)。ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認めて、ラッセルの階梯理論の見地から、この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈している(20)。私たちにはむしろ、このダブル・バインドつまり、二重の袋小路はありふれたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況であるように思われる。さらに、この状況を定式化することを覚悟の上でいえば、これはラッセルのいう別の種類のナンセンスにかかわるのである。すなわち、二者択一あるいは排他的離接はひとつの原理との関係で決定されるが、にもかかわらずこの原理そのものが二者択一の両項または二つの下部集合を構成していて、この原理自身が二者択一の枠の中に入っている(これは、離接が包含的である場合に起きるのとは、まったく異なる事態である)。まさにここに精神分析の第二の誤謬推理がある。要するに「ダブル・バインド」はオイディプスの総体そのものなのである。この意味でオイディプスはひとつの連続状態として現前し、神経症的な同一化と、いわば規範の内面化という二極の間をゆれ動いている。どちらにしても、オイディプスがいて、それは二重の袋小路である。したがって、ここに分裂者が臨床実体として生みだされるとすれば、それがいわばこの二重の道を逃れる唯一の手段だからである。この二重の道においては、規範性も神経症と同じく出口をもたず、解決も問題も同じく道をふさがれている。ここでひとはみずからを器官なき身体の上に折りたたむしかないのだ。

(20) G. Bateson et collab.,〈Towards a Theory of Schizophrenia〉, Behavioral Science , 1956, I(cf. les commentaires de Pierre Fédida,〈Psychose et parenté〉, Critique, oct. 1968).》

A.O#2:4

《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題について』の中に見い

だされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威のオイディプスと社会的権威のオイ

ディプスとの間のダブル・バインドである。》


マルクス ユダヤ人問題によせて 結語部分より

《社会がユダヤ教の経験的な本質であるきたない商売とその諸前提を廃棄できるようになるやいなや、ユダヤ人の存在は不可能になってしまう。…ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である。》

(世界の大思想シリーズより)


ニーチェ ツァラトゥストラ 1:24:3

《 きみたちは言うのか、ツァラトゥストラを信じると。だが、ツァラトゥストラが何だろう? きみたちはわたしの信者だ。だが、およそ信者が何だろう!

 きみたちは、まだみずからを求めないうちに、わたしを見いだした。およそ信者のすることはそうだ。それゆえ、およそ信仰はかくもつまらぬものだ。

 今やわたしはきみたちに命令する。わたしを失い、きみたちみずからを見いだせ、と。そしてきみたち全部がわたしを否定した時、はじめてわたしはきみたちのところにもどってくる。》

(秋山英夫・高橋健二、(C)Hideo Akiyama, Kenji Takahashi 2015)




Double Bind 二重拘束・ダブルバインドコミュニケーションとは?
https://youtu.be/TE9zC_JEn-s
 


PB なるほど。批判されるほうがまだしもましという評価のされ方もあるわけだ。

浅田 それが多いんです。成熟社会にフィットする新たな相対主義というヤツですね。
それの別ヴァージョンが、モラトリアム人間の裏づけとして歓迎されるということです。
そういうのはぜんぜん話にならないですね。
 ダブル・バインドとかいうように、あちら立てればこちら立たずという絶体絶命の
状況というのは常にあるわけです。おじさんたちとかモラトリアム坊やたちというのは、
いわばこれを相対矛盾的になし崩そう、と。つまり、おじさんたちは適度にやり過ごすと
いうのが世間知であると思ってるし、坊やたちは、そうするしかないからそうしている。
しかし、そんなのではもう何も生まれないわけですよ。それぐらいならダブル・バインド
状況で苦しんだほうがいい。
 ぼくが言うのは、むしろ、それをがんがんプレッシャーをかけることで絶対矛盾的に
突っ切っちゃうというか、もう向こう側にワープしちゃうという感じです。もちろんそれ
はものすごく失敗する確率が高いワープですけど、あえてそれをやっちゃうというのが、
過激さというものでしょう。

PB ダブル・バインドという言葉が耳なれないんだけど、補足説明してくれますか。

浅田 たとえば、女が口では「だめよ」と言いつつ、全体の身振りや何かは、さっきの
「だめよ」というメッセージはうそだというメタメッセージを発している。そういう相
矛盾したメッセージとメタメッセージが同時に発せられて、動きがとれなくなるときが
あるでしょう。わかりやすく言うとそういう関係ですね。
月刊PLAYBOY1984年8月号掲載(聞き手=吉岡忍・ノンフィクション作家)
(『プレイボーイ インタビューセレクテッド』1990年10月24日  再録)
PLAYBOYインタビュー:浅田彰

ブリダンの驢馬 asina Buridani,スピノザ『エチカ』二定理49備考(上158).
 第四に次のような反対がなされうる。もし人間が自由意志によって行動するのでないとしたら、彼がブリダンの驢馬のように平衡状態にある場合にはどんなことになるであろうか、彼は餓えと渇きのために死ぬであろうか、もしこのことを容認するなら、私は驢馬、もしくは人間の彫像を考えて現実の人間を考えていないように見えるであろう、これに反してもしこのことを否定するなら彼は自分自身を決定するであろう、したがって彼は自分の欲する所へ行き自分の欲することをなす能力を有することになる、と。
 最後に第四の反対論に関しては、そのような平衡状態に置かれた人間(すなわち餓えと渇き、ならびに自分から等距離にあるそうした食物と飲料のほか何ものも知覚しない人間)が餓えと渇きのため死ぬであろうことを私はまったく容認する。もし反対者たちが、そうした人間は人間よりもむしろ驢馬と見るべきではないかと私に問うなら、自ら溢死する人間を何と見るべきか、また小児、愚者、狂人などを何と見るべきかを知らぬようにそれを知らぬと私は答える。

ビュリダンのロバ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビュリダンのロバ
ビュリダンのロバBuridan's ass)とは、主に、心理学の分野で用いられている[要出典]例え話。おなかを空かせたロバが、左右2方向に道が分かれた辻に立っており、双方の道の先には、完全に同じ距離、同じ量の干草が置かれていた場合に、ロバはどちらの道も進まずに餓死してしまう、という意思決定論を論ずる場合に引き合いに出される。一説では、スコラ学派であるフランスの哲学者ジャン・ビュリダンが主張する理性・理論に対して、理性・理論を強調し過ぎると餓死してしまうから自由意志が必要であることを主張するための例え話とされるが、出典が定かではない。
おもしろかったのが、「自由意志」を巡る段で引用された、14世紀のスコラ哲学者ビュリダンが説いた「驢馬のたとえ」。いわく「驢馬には自由意志がないから、自分から等距離に置かれた食物と飲み物に対して、そのいずれも選ぶことができず、飢えと乾きのために死ぬだろう」。デカルト派の人々はこのたとえを引いて「人間には自由意志があるのだから、自分の欲求するところに行き、驢馬のように死ぬことはない」と主張する。スピノザは、それに反して、実はすべて神の意志であり、人間が自ら決めたと考えることも、実は原因があっての結果にしか過ぎない、人間に自由意志はないという立場である。なので、驢馬のような立場に置かれた人間が、驢馬のように死んでしまうこともあるだろう、というのだった。

ビュリダンのロバ(英: Buridan's ass)
 


※その後、ビュリダンのたとえから、読書会メンバーが高校生の頃に読んだ本を思い出す。ロゲルギストと名乗る物理学者集団が書いた「物理の散歩道」(岩波書店)で「驢馬のたとえ」を取り上げ、等距離に置かれた飲み物と食物を選べないのであれば、真ん中に棒を立てて、それが倒れた方に行くと決めればよいではないか、という前提を用い、その棒が倒れる時間などを計算し、倒れるまでに驢馬が餓死する確率を計算したらしい。今でいうところの空想科学本であるな。しかし私はふと、驢馬が棒を立てることを思いつかないとか、そばに棒がない確率も計算した方がいいのではないかと感じた。
Yojimbo (1961) - Akira Kurosawa - Introduction
https://youtu.be/DPhQUkJSol4




ダブルバインド - Wikipedia

ダブルバインド(Double bind)とは、ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。この用語はグレゴリー・ベイトソンによる造語である[1]。

目次
ダブルバインド・セオリー(double bind theory)
理論の背景
理論の内容
統合失調症との関連性
治療的ダブルバインド
ポジティブダブルバインド
脚注
参考文献
関連項目
ダブルバインド・セオリー(double bind theory)
1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された説。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる、と指摘する説。

理論の背景
生物の間で交わされるメッセージには複数のレベルが存在することをラッセルのパラドックスなどを通してベイトソンは明らかにした。例えば犬が戯れに噛み合うとき、

これは「噛むこと」を意味しているというメッセージ
これは本気で「噛むこと」ではないという、メッセージについて言及するメタメッセージ
があるというものである。これらのメッセージを区別するためには、バートランド・ラッセルの論理階型理論が用いられる。

理論の内容
2人以上の人間の間で
繰り返し経験され
最初に否定的な命令=メッセージが出され
次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される
そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる
という状態をいう。

誤解を承知でわかりやすく喩えると、親が子供に「おいで」と(言語的に)言っておきながら、いざ子供が近寄ってくると逆にどんと突き飛ばしてしまう(非言語的であり、最初の命令とは階層が異なるため、矛盾をそれと気がつきにくい)。呼ばれてそれを無視すると怒られ、近寄っていっても拒絶される。子は次第にその矛盾から逃げられなくなり疑心暗鬼となり、家庭外に出てもそのような世界であると認識し別の他人に対しても同じように接してしまうようになる。

そして以下のような症状が現れる、とした。*

言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3

統合失調症との関連性
なお、統合失調症そのものの原因については現在も不明な点は多く、「統合失調症の原因=ダブルバインド」と短絡的に考えることには問題がある[2]。

治療的ダブルバインド
治療的ダブルバインド(therapeutic double bind)はダブルバインドを積極的に利用することで精神治療に役立てようとするもの。矛盾する指示に対する二者択一的な状況に、相手を置く点では通常のダブルバインドと同じであるが、そのどちらを選んでもよい結果となる(勝つ)ようにする点が異なる。ミルトン・エリクソンが提唱した。

ポジティブダブルバインド
脚注
1^ あえて和訳、漢語訳すれば「二重拘束」であるが、​あまり用いられない。通常「ダブルバインド」と言っている。[要出典]
2^ グレゴリー・ベイトソンは、ダブルバインドの理論が非常に複合的であることがあると主張した。そのため、原因を立証するために必要とされる実験心理学的な証拠とはギャップがある。ダブルバインドの理論が統合失調症の遺伝的な原因を示す調査結果に挑戦するためには、異なる家族のタイプに関して包括的にその根拠を示さなければならないということが主張される。

参考文献
ベイトソン著、佐藤良明訳『精神の生態学』思索社、1990年。ISBN 4783511756
Bateson, G., Jackson, D. D., Haley, J., & Weakland, J. H. Toward a theory of schizophrenia. Behavioral Science 1: 251-264, 1956.
Bateson, G., Jackson, D. D., Haley, J., & Weakland, J. H. A note on the double bind. Family Process 2: 154-161. 1962.

浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている。

ダブルバインドの反復による分裂症の症例の分類:
言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3

ベイトソンの1956年に発表した論文「精神分裂症の理論化に向けて」
(『精神の生態学 』新思索社,299~308頁)参照
「疫学の見地から見た精神分裂」(1955,1971)同287頁も参照。


精神の生態学
 著者名等  G.ベイトソン/〔著〕  ≪再検索≫
 著者名等  佐藤良明/訳  ≪再検索≫
 出版者   思索社
 出版年   1990.9
 大きさ等  22cm 669,37p
 注記    Steps to an ecology of mind./の翻訳
 NDC分類 389
 件名    文化人類学  ≪再検索≫
 件名    精神神経科学  ≪再検索≫
 要旨    人類学・心理学・精神医学・生物学・言語学・認識論・情報理論の各分野を渡り歩きなが
ら、行く先々で一段階高次の思考を提供しつづけた巨人ベイトソンの、ズシンと重い知の
遺産。
 目次    序章 精神と秩序の科学;第1篇 メタローグ(物はなぜゴチャマゼになるのか;フラン
ス人の手ぶり;ゲームすること、マジメであること;輪郭はなぜあるのか;人が白鳥にな
る理由 ほか);第2篇 文化と型式(文化接触と分裂生成;民族の観察から私が進めた
思考実験;プリミティブな芸術の優美と様式と情報 ほか);第3篇 関係と病理(社会
計画と第2次学習;遊びと空想の理論;疫学の見地から見た精神分裂;ダブルバインド、
1969;学習とコミュニケーションの階型論;「自己」なるもののサイバネティックス
 ほか);第4篇 情報と進化(生物学者と州教育委の頭のからっぽさについて;クジラ
目と他の哺乳動物のコミュニケーションの問題点;「ベイトソンの分肢則」再考 ほか)
;第5篇 生命と認識(サイバネティックスの説明法;目的意識がヒトの適応に及ぼす影
響;形式・実体・差異 ほか);第6篇 文明と健康(エピステモロジーの正気と狂気;
都市文明のエコロジーと柔軟性 ほか);本書で言及されている本と論文;グレゴリー・
ベイトソン全書誌;グレゴリー・ベイトソンの年譜
 内容    巻末:グレゴリー・ベイトソンの年譜


精神の生態学
 版情報   改訂第2版
 著者名等  G.ベイトソン/〔著〕  ≪再検索≫
 著者名等  佐藤良明/訳  ≪再検索≫
 出版者   新思索社
 出版年   2000.02
 大きさ等  22cm 669,37p
 注記    Steps to an ecology of mind.
 NDC分類 389
 件名    文化人類学  ≪再検索≫
 件名    精神神経科学  ≪再検索≫
 要旨    文化とは?性格とは?病気とは?情報とは?進化とは?意識とは?文明とは?環境とは?
芸術とは?神聖とは?物象科学の思考を捨て、関係性を問いつめ、マインドの科学を築い
ていった巨人ベイトソンの全軌跡。
 目次    第1篇 メタローグ(確率論の基礎講義―物はなぜゴチャマゼになるのか;メタメッセー
ジとは何か―フランス人の手ぶり ほか);第2篇 文化と型式(関係の力学から文化の
総体を見る―文化接触と分裂生成;科学とアナロジー思考―民族の観察から私が進めた思
考実験 ほか);第3篇 関係と病理(性格を形成する学習とは―社会計画と第二次学習
;「うそ」と「ふり」のパラドックス―遊びと空想の理論 ほか);第4篇 情報と進化
(進化論の考え方についての提言―生物学者と州教育委の頭のからっぽさについて;ラマ
ルクとダーウィンの対立を止揚する―進化における体細胞的変化の役割 ほか);第5篇
 生命と認識(「意味」とは何か―サイバネティックスの説明法;コミュニケーションの
発生と進化―冗長性とコード化 ほか);第6篇 文明と健康(今世紀に起こったもっと
も重要な二つの事件―ヴェルサイユからサイバネティックスへ;「パワー」と「コントロ
ール」の神話を撃つ―エピステモロジーの正気と狂気 ほか)
 内容    文献あり 著作目録あり 年譜あり 索引あり


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タイトル 
精神の生態学
責任表示 
G. ベイトソン [著] ; 佐藤良明訳
版表示 
改訂第2版
出版事項 
東京 : 新思索社, 2000.2
形態事項 
12, 669, xxxviip ; 22cm
ISBN  

原著新版の翻訳/グレゴリー・ベイトソンの年譜・全書誌: 巻末pxviii-xxxiii/本書で言及されている本と論文: 巻末pxxxiv-xxxvii
別タイトル 
Steps to an ecology of mind
著者標目 
Bateson, Gregory, 1904-1980 ; 佐藤, 良明 [サトウ, ヨシアキ] 

目次
序章 精神と秩序の科学 

第一篇 メタローグ
物はなぜゴチャマゼになるのか――確率論の基礎講義
フランス人の手ぶり――メタメッセージとは何か
ゲームすること、マジメであること――生のゲームとそのルール
知識の量を測ること――総点主義テスト教育の認識論的誤謬
輪郭はなぜあるのか――生きた世界の予測不可能性について
人が白鳥になる理由――バレーにおける隠喩と生と美
本能とは何か――動物研究の新パラダイム

第二篇 文化と型式
文化接触と分裂生成――関係の力学からの文化の総体を見る
民族の観察から私が進めた思考実験――科学とアナロジー思考
国民の士気と国民性――英米独各国民性の違いを科学する
バリ―定常型社会の価値体系――負のフィードバックを原理として作動する文化 ☆☆☆☆☆
プリミティブな芸術の優美と様式の情報――芸術の感動とはどんな情報伝達によって得られるのか ☆☆☆

第三篇 関係と病理
社会計画と第二次学習――性格を形成する学習とは
遊びと空想の理論――「うそ」と「ふり」のパラドックス ☆☆☆☆
疫学の見地から見た精神分析――人を分裂病に引き込むコンテクストを探る
精神分裂病の理論化に向けて――ダブルバインド理論の完成を告げる歴史的論文 ☆
精神分裂症の集団力学――スキゾフレニックな家族を捉えたパターン
精神分裂症の理論に必要な最低限のこと――ダブルバインド理論が隣接科学に迫る認識論的転換
ダブルバインド、1969――イルカ研究に基づく「創造的ダブルバインド」論
学習とコミュニケーションの階型論――ベイトソンの学習理論の集大成
「自己」なるもののサイバネティックス――アルコール依存症を助長する関係性、それを治療する関係性

第四篇 情報と進化
生物学者と州教育委の頭のからっぽさについて――進化論教え方についての提言
進化における体細胞的変化の役割――ラマルクとダーウィンの対立を止揚する
クジラ目と他の哺乳類動物のコミュニケーションの問題点――海中環境における高度な非言語的コミュニケーション
「ベイトソンの分肢則」再考――個体発生における情報伝達とその異常

第五篇 生命と認識
サイバネティックの説明法――意味とは何か
冗長性とコード化――コミュニケーションの発生と進化
目的意識対自然――文明システム破壊の可能性
サイバネティックスの説明法――「意味」とは何か
冗長性とコード化――コミュニケーションの発生と進化
目的意識対自然――文明システムの破壊の可能性
目的意識がヒトの適応に及ぼす影響――破壊を救うべき「叡智」をシステム論から定義する
形式・実体・差異――「精神生態学」の完成

第六篇 文明と健康
ヴェルサイユからサイバネティックスへ――今世紀に起こったもっとも重要な二つの事件
エピステモロジーの正気と狂気――「パワー」と「コントロール」の神話を撃つ
環境危機の根にあるもの――ハワイ州上院の委員会に提出した「証言書」☆☆
都市文明のエコロジーと柔軟性――精神生態学の視点から環境プランニングを論じる

 コミュニケーション理論の基礎

 われわれの考察は、コミュニケーション理論の中でも、ラッセルが〈論理階型理論〉と呼んだものに基づいている。[ Whitehead & Russell,1910] の理論の中心命題は、クラスとそのメンバーの間に連続性がない、ということだ。クラスを表わすのに用いられる語は、メンバーを表わす語と抽象のレベル、すなわち〈論理階型〉が異なり、そのためにクラスはそれ自体の一メンバーになりえないし、どのメンバーもそれ自体が属すクラスにはなりえない。形式論理学では、クラスとその構成メンバーとの間のこの不連続性を終始維持していこうとする。しかしコミュニケーションの現場、人間の心理の現実を問題とした場合、両者の不連続は絶えずかつ不可避的に破られるものなのだ。[Bateson,1955a] この不連続性を破る一定の形式を持ったパターンが、母と子の間に見られる場合、アプリオリに、その当人においてある病理が現われることが予測される。その病理の症状は、極端に進行したときには、精神分裂症 schizophorenia に分類するのが妥当な形式的特性をもつ。

1955a 「遊びと空想の理論」:Theory of Play and Fantasy(映画、愛欲の十字路、アンデルセン物語の欺瞞性が例示される。)


 治療的ダブルバインドともともとのダブルバインド状況の違いは、ひとつには、医者自身は自己存在を賭けたぎりぎりの闘争に関わっていないということである。したがって医者は、患者にとって苦痛の少ないダブルバインドを仕掛け、そこから患者が徐々に抜け出してくることを手助けしていくことが可能となる。現在のところ分裂症の治療は、自分たちの直観にもとづいて、それぞれ適切な方法を編み出している医者たちの努力に負っている。彼らの天分が十分に理解され、体系づけられ、誰もがそれを行なえるようになる日を目指して多くの治療医たちが奮闘している。われわれの研究が目指すところも、彼らと同じなのである。

ダブルバインドの作用

 禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」分裂症者の人間はたえずこの弟子と同じ状況に身を置いているという感触をわれわれは抱いている。しかし彼は「悟り」とは逆の、「混乱」の方向へと導かれる。禅の修業僧なら、師から棒を奪い取るという策にも出られるだろう。そしてこの対応を、師が「よし」と認めることもあるだろう。しかし分裂症者がそのような選択をとることは不可能だ。相手との関係に対して大胆になることは彼は許されていないし、彼の母親と禅師とでは、その目的も意識も大きく違っているのだ。

(ベイトソン「…理論化に向けて」『精神の生態学』2000年297頁)


参考:

《…徳山 (宣鑑 ・七八〇 ―八六五 )は堂に来る時 、必ず長い棒を携えていた 。そして言う 、 「道い得るも三十棒 、道い得ざるも三十棒 」と 。これが彼の弟子達に言ったすべてであって 、彼はこれ以外何事も言わなかった 。》

(鈴木大拙「大肯定の禅」『禅学入門』より)


臨済録勘弁

師聞第二代徳山埀示云、道得也三十棒、道不得也三十棒。

Thomas Yuho Kirchner, Nelson Foster & Ueda Shizuteru「Entangling Vines」
https://itun.es/jp/Hpt1Y.l 
宗門葛藤集 Case 194  徳山行棒 Deshan Uses His Stick

道得也三十棒、道不得也三十棒
出典は臨済録「勘弁」編。宗門葛藤集が元ネタだが、臨済録の方がダブルバインドを理解した言葉遣いになっている。


☆☆

ベイトソン「環境危機の根にあるもの」(1970)より
《どのようにして反時計回りのプロセスを導入するか》

ベイトソンは
分野横断型だがそれは問題自体が横断的だからだ。上の図はベイトソンの思考全体の構造を表している。無論ベイトソンは反時計回りの運動を模索した。

   人類学
 論理学 精神分析
(生物学)
   認識論


   人類学
 生物学 精神分析
   認識論
  (論理学)

☆☆☆
Ida Bagus Djati Sura of the village of Batuan, 1937 and in ...
Steps to an Ecology of Mind: Collected Essays in Anthropology, Psychiatry ... - Gregory Bateson - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=HewJbnQmn1gC&dq=bateson+ida+1937&hl=ja&source=gbs_navlinks_s

The start of a cremation procession, Bali. By Ida Bagus Djati Sura of Batuan, Bali, 1937.
I Wayan Punduh (1923–2010) - Heurist

I Wayan Punduh (1923–2010)

Ngendon's younger brother, and one of the artists who influenced his family members. First picture in Bateson-Mead collection 6/36 B285 is copy of Ngendon tiger picture. Only 2 pictures in the Bateson-Mead collection, but worked extensively after WWII.
Punduh's paintings are strongly suggestive of depth, which perhaps comes from his time as a student under Taweng. He frequently depicts fables and stories in his works (Hohn 1997: 112).  first picture in collection 6/36 B285 is copy of Ngendon tiger picture
参考:
Balinese art - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Balinese_art

____
☆☆☆☆
David and Bathsheba 1951 愛欲の十字路 
 
In   David  and  Bathsheba,   Bathsheba  can  be  a  Troilistic link  between  David  and  Uriah.
p.189/535
邦訳265^278頁

《 この種の自己矛盾的な現象を巧みに利用して、ハリウッドの映画監督は、ピューリタン的な観客のひんしゅく
を買うことなく、彼らを疑似性愛の空想に誘いこむことに成功しているようだ。『ダビデとバテシバ』は、二人の
男性と交わる女を描きながら、そういう淫らな物語が表わすものを表わさずにいる。『アンデルセン物語』は、主
人公が少年とー緒に登場し、一人の女性を求めて挫折したあと、再びその少年のもとに戻るという物語である。》265頁

A Theory of Play and Fantasy
By  a  similar  trick  of  self-contradiction,  the  filmmakers  of  Hollywood  are  free  to  offer  to  a  puritanical  public  a  vast range   of  pseudosexual  fantasy  which  otherwise  would  not  be tolerated.  In   David  and  Bathsheba,   Bathsheba  can  be  a  Troilistic link  between  David  and  Uriah.  And  in  Hans  Christian  Andersen,  the hero  starts  out  accompanied  by  a  boy.  He  tries  to  get  a  woman,  but when  he  is  defeated  in  this  attempt,  he  returns  to  the  boy. …

Hans Christian Andersen Official Trailer #1 - Farley Granger Movie (1952) HD


アンデルセン物語 Hans Christian Andersen -  ダニー・ケイDanny Kaye)1952
 

ベイトソンはこの映画の背後に同性愛を見ている。

ベイトソンは1943年に映画研究書を出している。

大衆プロパガンダ映画の誕生―ドイツ映画『ヒトラー青年クヴェックス』の分析 単行本 – 1986/10

The study of Culture at a DistanceEdit

The film was used by Gregory Bateson in 1943 in a classical example of culture study at distance. A portion of this study was published as "An Analysis of the Nazi Film Hitlerjunge Quex" on pages 331 to 348 of The Study of Culture at a Distance, edited by Margaret Meadand Rhoda Metraux, University of Chicago Press, 1953.
The Study of Culture at a Distance (Margaret Mead--Researching Western Contemporary Cultures, V. 1): Margaret Mead, Rhoda Metraux: 洋書
2010,1953
https://www.amazon.co.jp/dp/1571812164/




また、1956年にはベイトソンは心理学者エリクソンのドキュメンタリーを撮っている。
Milton Erickson - Clinical Session - November 1958 - Subtitled!


エリクソンはベイトソンの「精神分裂症の理論化に向けて」(1956年)でも言及される。

1936年からバリで記録映画を撮っている。マーガレット・ミードと共同。後結婚、離婚。
Childhood Rivalry in Bali and New Guinea - Mead and Bateson

Childhood Rivalry in Bali and New Guinea, b&w, 1954, 17 minutes.


O pensamento de Gregory Bateson An Ecology Of Mind. 2010
https://youtu.be/7hOMAGEB7Ko
 
The Institute for Intercultural Studies: Mead and Bateson Resources
http://www.interculturalstudies.org/resources.html
Learning to Dance in Bali, b&w, 1978, 13 minutes


  • Bathing Babies in Three Cultures, b&w, 1954, 11 minutes.
  • Childhood Rivalry in Bali and New Guinea, b&w, 1954, 17 minutes.
  • First Days in the Life of a New Guinea Baby, b&w, 1952, 20 minutes.
  • Karba’s First Years: A Study of Balinese Childhood, b&w, 1952, 20 minutes.
  • A Balinese Family, b&w, 1951, 20 minutes.
  • Trance and Dance in Bali, b&w, 1952, 22 minutes.
  • Learning to Dance in Bali, b&w, 1978, 13 minutes.


: An Ecology of Mind

An Ecology of Mind

  The major problems in the world are the result of the difference between how nature works and the way people think.
Gregory Bateson

世の中の主たる問題は、自然の摂理と人の思考の差異によって生じる結果である。
グレゴリー・ベイトソン


ノラ・ベイトソンさんプロデュースのドキュメンタリー

  世界が瞬時につながってしまう時代に生きているなぁと感じるのは、グレゴリー・ベイトソンの末娘であるノラ・ベイトソンさんがFacebook にいたりする時。

ノラさんはグレゴリー・ベイトソンの晩年に近い時期のお生まれだと思ったので、ベイトソンとマーガレット・ミードの間に生まれた長女のメアリー・キャサリン・ベイトソンさんとは、母親も違うし、歳も親子くらい離れていたなぁと思ったわけです。

それで、「An Ecology of Mind 」と題されたサイトを覗くと、2010年に発表されたノラさん撮影・編集のグレゴリー・ベイトソンのドキュメンタリー映画「An Ecology of Mind」が発表され好評を得ている様子が伺えます。



この映画のトレーラーを参照すると、「タオ自然学」の著者であるフリッチョフ・カプラ、元カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン、ベイトソンの長女のメリー・キャサリン等が出演しており、個人的には面白そうだと思っているので、これは観光旅行を兼ねて、観に行かないといけないなぁと考えているところです。

自然はいつも調和している

 それで、このドキュメンタリーでベイトソンの言葉である。「The major problems in the world are the result of the difference between how nature works and the way people think.」が紹介されているわけですが、この言葉が非常に深いと思ってしまいます。

☆☆☆☆☆
NAMs出版プロジェクト: 『千のプラトー 資本主義と分裂症』:目次

https://monoskop.org/images/c/c3/Bateson_Gregory_Mind_and_Nature.pdf

精神と自然 生きた世界の認識論
 版情報    改訂版 普及版
 著者名等   グレゴリー・ベイトソン/〔著〕  
 著者名等   佐藤良明/訳  
 出版者    新思索社
 出版年    2006.10
 大きさ等   19cm 325p
 注記     Mind and nature./の翻訳(1979)
 NDC分類  115
 件名     認識論  
 要旨
ニューギニアの部落からサイバネティクスまで、また精神分裂の世界から生物の進化までを今世紀の知の辺境を跋渉した巨人が、深い言葉で綴る。“生きた世界の認識論”。

 目次
1 イントロダクション
2 誰もが学校で習うこと
3 重なりとしての世界
4 精神過程を見分ける基準
5 重なりとしての関係
6 大いなる確率的過程
7 分類から過程へ
8 それで?
付記 時の関節が外れている

 ISBN等  4-7835-1195-0
 書誌番号   3-0206077489


MIND AND NATURE by Gregory Bateson

MIND AND NATURE
A Necessary Unity

Gregory Bateson

CONTENTS

       Acknowledgments
I      Introduction
II     Every Schoolboy Knows …
III    Multiple Versions of the World
IV    Criteria of Mental Process
V     Multiple Versions of Relationship
VI    The Great Stochastic Process
VII   So What?
        Appendix: Time is Out of Joint
        Glossary
        Index


EVERY SCHOOLBOY KNOWS …
http://www.oikos.org/m&nschoolboy.htm

Check out Gregory Bateson, designer


Figure 1:
         _____
        |     |
        |     |
        |     | 
   ___  |     |
  /   \ |     |
 /     \|     |
 \            |
  \___________|

Figure 2:
        A_____B
        |    /| 
        |   / |
        |  /  | 
  F___G | /   |
  /   \ |/    |
E/     \/     |
 \     /H     |
  \___/_______|
   D          C

EVERY SCHOOLBOY KNOWS …
http://www.oikos.org/m&nschoolboy.htm
Bateson's “boot” puzzle

EVERY SCHOOLBOY KNOWS … Bateson's “boot” puzzle


 



http://z99.hatenablog.com/entry/20081123/1227538046
禅の公案のダブルバインド

ベイトソンは、下記のような禅の公案に言及する。

「禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」」(ベイトソン 2000:296)


http://ykn03.blog111.fc2.com/blog-entry-80.html
臨済録 (岩波文庫) (1989/01/17) 入矢 義高
師は、第二代の徳山和尚が、「言いとめても三十棒くらわし、言いとめられなくても三十棒くらわす」と訓示していると聞いたので、楽普を徳山のもとへやって、「言いとめてもなぜ三十棒ですか」と問わせ、彼が打とうとしたら、その棒をつかんで押し戻し、彼がどうするかを見て来い、命じた。楽普は徳山へ行って、教わったように問うた。果たして徳山は打ってきた。楽普がその棒をつかんで押し戻すと、徳山はさっと居間へ帰った。楽普は帰って報告すると、師は言った、「わしは以前から、あいつが只者ではないと思っていた。ところで、そなたは徳山がわかったのか。」楽普がもたつくと、すかさず師は打ちすえた。(p164)

http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/satori1.html
中国に始まった禅宗はブッダの「悟り」の経験を追体験(科学での追試)することで 「悟り」の謎を明らかにすることを目指していると言えるだろう。


A.O#3:9
第九節 文明資本主義機械

グレゴリー・ベイトソンは、人類学者となり原始的コードや未開の流れをたどり、文明世界を逃れることから始めている。次に、しだいに脱コード化する流れ、つまり分裂症の流れの方に向かい、そこから彼は興味深い精神医学の理論を引きだすことになる。さらに彼は彼岸を、突破すべき別の壁を求める。彼が向かってゆくのは、イルカであり、イルカの言語活動である。つまり、いっそう奇妙な、もっと脱領土化した流れである。しかし、イルカの流れの果てには何があるのだろう。アメリカ軍のもろもろの基礎研究ではないか。アメリカ軍は、私たちを戦争の準備と剰余価値の吸収に引き戻すのだ。資本主義国家に比べれば、社会主義国家はまだ子供である(さらにいえば、国家が公理系化の役割を果すということについて、自分の父に何ごとかを学んできた子供なのだ)。

M.P#10
 未開社会では、男性が女性に〈なる〉服装倒錯や仮装の儀礼が観察されるが、これらの儀礼は与えられた諸関係を照応させる社会的編成によっても、男性が女性になり、女性が男性になることを欲望するよう働きかける心的編成によっても説明されえない(49)。社会構造と心的同一化からは、あまりにも多くの特殊要因が抜け落ちてしまうからだ。

(49) 未開社会における服装倒錯については Bruno Bettelheim, Les blessures symboliques, Gallimard.〔ベッテルハイム『性の象徴的傷痕』岸田秀訳、せりか書房、1982〕を参照(同一視にもとづく心理学的解釈)。また、とりわけ参考になるのはベイトソンが分析した「ナベンの儀礼」だろう。Gregory Bateson, La cérémonie du Naven, Ed. de Minuit.(こちらは創意に満ちた構造論的解釈である)。

___

フロムは『禅と精神分析』邦訳1960年214頁で鈴木大拙経由で徳山行棒を引用し、フロイトのアンビバレンツの概念と繋げている(1957年の講演録)。ベイトソンの原著は1956年だからフロムは一年遅いがダブルバインド理論の今日的源流のひとつはフロム(夫妻?)にある。
(Bateson1956年雑誌掲載版にも禅記述を確認した)

Or:"In Zen there is nothing to explain by means of words, there is nothing to be given out as a holy doctrine. Thirty blows whether you affirm or negate. Do not remain silent; nor be discursive."

An Introduction to Zen Buddhism by D. T. Suzuki  p.49

http://terebess.hu/zen/mesterek/Suzuki-DT-Introduction-Zen-Buddhism.pdf 1964,日1940,英1934
(現行kindle:co.jp版と内容が違う)
ユングによる序文付き

邦訳は「禅は虚無主義か」『禅学入門』所収
《また言う 、 「禅には文字で説くべきものはない 、聖教として珍重すべきものはない 。たとい道い得るとも三十棒 、道い得ざるとも三十棒 。黙するも得ず 、説くも得ず 」と 。》

フロムの妻フリーダに関してはベイトソンも言及している。

彼女の『積極的心理療法』1964,1950、邦訳108~9頁に母を原因とするダブルバインドの事例が

紹介される。


《ある日面接にさいして,患者は「今夜パーティーにいこうとおもっている」とのべた。医師は

患者の決断にしめされた進歩を喜んで「結構ですね」と答えた.つぎの面接のとき,医師は患者

がパーティーにいかなかったのを知って,その理由をたずねた.すると患者は,医師が母親が

よく使ったのと同じやり方で,「結構ですね」といったからだと答えたのである.患者のする

ことがなにか気にいらなかった場合でも,母親はすぐ表だってこれに反対しようとはしなかった

のである.だから患者は,医師がのべた,「結構ですね」という言葉の背後にある動機に不信を

いだいたのであった.だからこのことをのべることによって,患者は自分の反応がパラタク

シックな性格をもっていたことを理解したのである.》108~9頁


投機はもともと禅用語で弟子と師の冥合を指す。


日常語に生きる禅の言葉

http://kozu5.la.coocan.jp/zuisou/09.01.24.zen.htm

投機(トウキ)


・  「投機」は経済用語として知られるが、これはもともと禅語であった。


・ そのことはどの経済用語辞典にも書かれていないが、経済用語としての「投機」は、「Speculation=<予想、展望>」が

  訳されて生まれたもので、その意味では、明治以降にしか使われていない。


・  禅語としての「投機」は、人対人の関係において、それ以前から用いられている。


・ 「挨拶」と似て、「機」に「投げ入れる」=「弟子の眼を覚まさせる」という意味がある。


・  「機」にはさまざまな意味があるが、「心のはたらき」や「能力」を指す。何かのはずみで、たとえば仏の教えに触れる

  ことによって、心のはたらきの可能性が作用する。そういう素質が人には本来備わっている。それを「機」という。


・ 「機」にも能力の差があり、教えを聞いて必ず悟りを得る者、そうでない者、どちらとも決定しがたい者があるので、

  「教えを聞く人」、「修行者」或いは「弟子」という意味にもなる。


・  禅宗では、弟子の機と師の機が相投じて冥合(ミョウゴウ)することを「投機」という。


・  心のはたらきは千変万化でとらえどころがない。経済学が借用した「投機」の意味は、このへんのところを採ったので

  あろうが、当時の学者(訳者)は禅語の「投機」を知っていたものと思われる。





ラベル:

12 Comments:

Blogger yoji said...



265,278頁
新思索社

愛欲の十字路 | 映画-Movie Walker
http://movie.walkerplus.com/mv149/
愛欲の十字路
1952年9月25日公開
見たい映画に登録
聖書に基づく古代史劇映画で、製作は「イヴの総て」のダリル・F・ザナック、監督に「拳銃王」のヘンリー・キングが当たったテクニカラー1951年作品。「永遠のアンバー」と同じくフィリップ・ダンが脚本を執筆し、撮影はレオン・シャムロイ、音楽はアルフレド・ニューマンというスタッフ。主演は「勇者のみ」のグレゴリー・ペックと「愛と血の大地」のスーザン・ヘイワードで、レイモンド・マッシー(「ダラス」)、キーロン・ムーア(「タルファ駐屯兵」)、ジェイムス・ロバートソン・ジャスティス、それにサイレント時代のスター、フランシス・X・ブッシュマンなどが助演する。

映画のストーリー結末の記載を含むものもあります。
3000年前のイスラエル。イエルサレムの宮殿に住むダヴィド王(グレゴリー・ペック)は、ペリシテの町にあった聖なる神の櫃をイスラエルに移すことを企て、予言者ナタン(レイモンド・マッシー)もこの企てを絶賛した。ダヴィド王は第一皇后ミカルとの仲がうまくゆかず、不快の日々を送っていたが、たまたまウリア(キーロン・ムーア)の妻バスシバ(スーザン・ヘイワード)の浴みする美しい姿態を見て心を奪われ、宮殿に招いた。彼女も不幸な生活を送っていると知って、2人の仲は同情から恋に進み、不義の関係を結んでしまった。数日後、神の櫃が城門に到着したが、神の怒りが現われ、ナタンは遷都の時期が悪いとて礼拝堂の建立をすすめた。ダヴィド王はすぐに礼拝堂を建て神を祭ったが、イエルサレムは日照り続きで大飢饉にみまわれた。王はこれは自分とバスシバの不義の関係が神の怒りに触れたものと思い、ナタンがこれを知っているのではないかと恐れた。その頃バスシバは王に身重になっていることを打ち明けた。王はウリアを戦いの第一線に差し向けて、戦死させて、バスシバを正式の妻として迎えたが、彼女は死産した。飢饉はいよいよつのり、民衆は王宮に迫って王に罪の償いを求めた。ダヴィド王は自分の犯したすべての罰を神に告白し、詩編第23篇を反復して祈りつづけた。神はついに罪を許し、沛然と雨が降り始めた。晴れて結ばれたダヴィド王とバスシバは、永遠の神の恵と加護を祈るのだった。

原題 David and Bathsheba
製作年 1951年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス[極東]
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スタッフ
監督 ヘンリー・キング
脚色 フィリップ・ダン
製作 ダリル・F・ザナック
撮影 レオン・シャムロイ
美術 ライル・R・ウィラー 、 ジョージ・デイヴィス
音楽 アルフレッド・ニューマン
録音 E・クレイトン・ウォード 、 ロジャー・ヒーマン
編集 バーバラ・マクリーン
衣装(デザイン) エドワード・スティーヴンソン
テクニカラー・カラー・コンサルタント レオナード・ドス


アンデルセン物語(1952) | 映画-Movie Walker
http://movie.walkerplus.com/mv649/
アンデルセン物語(1952)
1952年公開
見たい映画に登録
製作者サミュエル・ゴールドウィンが「ヒット・パレード」以来のダニー・ケイを主演させた色彩作品。1952年映画で、童話作家アンデルセンの物語が数々の音楽やバレエによって語られる。フランク・キャプラの作品に多く協力しているマイルス・コノリーがストーリーを書き、「紳士協定」のモス・ハートが脚本を執筆した。監督は「楽聖ショパン」のチャールズ・ヴィダー。撮影は「恐怖の一夜(1950)」のハリー・ストラドリング、音楽監督はウォルター・シャーフで、「水着の女王」の“ベビィ外は寒いよ”を作ったフランク・ローサーが作詞作曲をしている。なお劇中バレエを振り付けしているのはパリ・バレエ団のローラン・プティである。主演はダニー・ケイの他「恐怖の一夜」のファーリー・グレンジャー、パリ・バレエ団のジャンメイルで、以下子役ジョーイ・ウォルシュ、ブロードウェイ俳優フィリップ・トーン、デンマーク王立バレエ団のエリク・ブルーンらが助演している。

1805年、デンマークのオーデンスの町に、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(ダニー・ケイ)という人の好い靴屋が弟子のピーター(ジョーイ・ウォルシュ)と共に住んでいた。彼はいつも子供を集めては面白い童話を語って聞かせる人気者だったが、これが町の首脳部には気に入らず、ついに彼はピーターと2人で首都のコペンハーゲンへ夜逃げしなければならぬ破目におちいった。都へ着いたハンスはふとした間違いから牢獄へ投げ込まれたが、あるバレエ劇場でバレエ靴が急に入用ということで釈放され、注文主に会いに行くと、相手は美人のバレリーナ、ドロ(ジャンメイル)であった。ハンスは一目で恋に落ちた。ドロはバレエ演出家ニールス(ファーリー・グレンジャー)の妻で、彼らの夫婦喧嘩を芸術上の争いと誤解したハンスは、いよいよドロを想いつめてその夜、恋心を托した童話「人魚姫」を書き上げた。翌朝、この紙片は風にのってドロの手許に届いたが、ハンスが彼女の許にかけつけた時、既にバレエ団は旅興行に出て行った。ハンスの童話が新聞にも載るようになった頃、バレエ団は再び帰ってきた。ハンスはドロに捧げる靴をもって駆けつけたが、ニールスは邪魔なファンだと思い込んで彼を物置に閉じ込めてしまった。その夜の演目は、ハンス原作の「人魚姫」であった。閉じ込められた彼の頭には、ドロの踊る人魚が幻の如く浮かんだ。翌朝ハンスはやっと助け出されたが、彼はその時初めてドロが人妻であったと知り、ドロもまた、彼が深い愛情を自分に捧げていたことに気付いた。傷心のハンスは、既に彼を見限って去ってしまったピーターを追い、2度と童話など語らぬ決心で故郷に向かった。だが町に着いた時、待ち構えていたのはひたすら彼のお話に焦がれていた子供たちだった。そして今では、かつて彼を追った首脳部までがその童話に耳を傾けるようになった。


原題 Hans Christian Andersen
製作年 1952年
製作国 アメリカ
配給 RKO日本支社

スタッフ
監督 チャールズ・ヴィダー
脚色 モス・ハート
原作 マイルス・コノリー
製作 サミュエル・ゴールドウィン
撮影 ハリー・ストラドリング
美術 リチャード・デイ 、 Clave
音楽 ウォルター・シャーフ
録音 フレッド・ロウ
編集 ダニエル・マンデル
作詞 フランク・ローサー
作曲 フランク・ローサー
振り付け ローラン・プチ
テクニカラー・カラー・コンサルタント リチャード・ミュラー

2:09 午前  
Blogger yoji said...

ベイトソンはアンデルセン物語に同性愛を見ている

3:27 午前  
Blogger yoji said...

troilism の定義
名詞
sexual activity involving three participants.
In 1828, Rossini was still able to revel in the bisexual troilism of Le Comte Ory, in which the count, dressed as a nun, makes love to his pageboy, believing him to be a woman, while the pageboy makes love to the Countess Adèle, whom Ory fancies.
Troilism の例
In 1828, Rossini was still able to revel in the bisexual troilism of Le Comte Ory, in which the count, dressed as a nun, makes love to his pageboy, believing him to be a woman, while the pageboy makes love to the Countess Adèle, whom Ory fancies.
他 2 個の例

1:58 午後  
Blogger yoji said...



精神と自然 生きた世界の認識論
版情報   改訂版 普及版
著者名等  グレゴリー・ベイトソン/〔著〕  
著者名等  佐藤良明/訳  
出版者   新思索社
出版年   2006.10
大きさ等  19cm 325p
注記    Mind and nature./の翻訳(1979)
NDC分類 115
件名    認識論  
要旨
ニューギニアの部落からサイバネティクスまで、また精神分裂の世界から生物の進化までを今世紀の知の辺境を跋渉した巨人が、深い言葉で綴る。“生きた世界の認識論”。

目次
1 イントロダクション
2 誰もが学校で習うこと
3 重なりとしての世界
4 精神過程を見分ける基準
5 重なりとしての関係
6 大いなる確率的過程
7 分類から過程へ
8 それで?
付記 時の関節が外れている

ISBN等 4-7835-1195-0
書誌番号  3-0206077489


https://monoskop.org/images/c/c3/Bateson_Gregory_Mind_and_Nature.pdf

MIND AND NATURE by Gregory Bateson
http://www.oikos.org/mind&nature.htm

MIND AND NATURE
A Necessary Unity

Gregory Bateson

CONTENTS

Acknowledgments
I Introduction
II Every Schoolboy Knows …
III Multiple Versions of the World
IV Criteria of Mental Process
V Multiple Versions of Relationship
VI The Great Stochastic Process
VII So What?
Appendix: Time is Out of Joint
Glossary
Index

6:58 午後  
Blogger yoji said...

Check out Gregory Bateson, designer

https://www.slideshare.net/HowardSilverman/bateson-as-a-designer-h-silverman?from_m_app=ios

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お氣らくそうごうけんきゅうしょ: An Ecology of Mind
http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/ecology-of-mind.html

An Ecology of Mind

The major problems in the world are the result of the difference between how nature works and the way people think.


Gregory Bateson


世の中の主たる問題は、自然の摂理と人の思考の差異によって生じる結果である。


グレゴリー・ベイトソン



ノラ・ベイトソンさんプロデュースのドキュメンタリー

世界が瞬時につながってしまう時代に生きているなぁと感じるのは、グレゴリー・ベイトソンの末娘であるノラ・ベイトソンさんがFacebook にいたりする時。

ノラさんはグレゴリー・ベイトソンの晩年に近い時期のお生まれだと思ったので、ベイトソンとマーガレット・ミードの間に生まれた長女のメアリー・キャサリン・ベイトソンさんとは、母親も違うし、歳も親子くらい離れていたなぁと思ったわけです。

それで、「An Ecology of Mind 」と題されたサイトを覗くと、2010年に発表されたノラさん撮影・編集のグレゴリー・ベイトソンのドキュメンタリー映画「An Ecology of Mind」が発表され好評を得ている様子が伺えます。

http://www.anecologyofmind.com/thefilm.html

7:00 午後  
Blogger yoji said...

EVERY SCHOOLBOY KNOWS …
http://www.oikos.org/m&nschoolboy.htm
5. THE DIVISION OF THE PERCEIVED UNIVERSE INTO PORTS AND WHOLE IS CONVENIENT AND MAY BE NECESSARY,*3 BUT NO NECESSITY DETERMINES HOW IT SHALL BE DONE

I have tried many times to reach this generality to classes of students and for this purpose have used Figure 1. The figure is presented to the class as a reasonably accurate chalk drawing on the blackboard, but without the letters marking the various angles. The class is asked to describe "it" in a page of written English. When each student has finished his or her description, we compare the results. They fall into several categories:

About 10 percent or less of students say, for example, that the object is a boot or more picturesquely, the boot of a man with a gouty toe or even a toilet.
Figure 1

Figure 1

Evidently, from this and similar analogic or iconic descriptions, it would be difficult for the hearer of the description to reproduce the object.

A much larger number of students see the object contains most of a rectangle and most of a hexagon, and having divided it into parts in this way, then devote themselves to trying to describe the relations between the incomplete rectangle and hexagon. A small number of these (but, surprisingly, usually one or two in every class) discover that a line, BH, can be drawn and extended to cut the base line, DC, at a point I in such a way that HI will complete a regular hexagon (Figure 2). This imaginary line will define the proportions of the rectangle but not, of course, the absolute lengths. I usually congratulate these students on their ability to create what resembles many scientific hypotheses, which "explain" a perceptible regularity in terms of some entity created by the imagination.
Many well-trained students resort to an operational method of description. They will start from some point on the outline of the object (interestingly enough, always an angle) and proceed from there, usually clockwise, with instructions for drawing the object.
There are also two other well-known ways of description that no students has yet followed.
Figure 2

Figure 2

No student has started from the statement "It’s made of chalk and blackboard." No student has ever used the method of the halftone block, dividing the surface of the blackboard into grid (arbitrarily rectangular) and reporting "yes" and "no" on whether each box of the grid contains or does not contain some part of the object. Of course, if the grid is coarse and the object small, a very large amount of information will be lost. (Imagine the case in which the entire object is smaller than the grid unit. The description will then consist of not more than four or less than one affirmation, according to how the divisions of the grid fall upon the object.) However, this is, in principle, how the halftone blocks of newspaper illustration are transmitted by electric impulse and, indeed, how television works.

Note that all these methods of description contribute nothing to an explanation of the object-the hexago-rectangle. Explanation must always grow out of description, but the description from which it grows will always necessarily contain arbitrary characteristics such as those exemplified here.

7:00 午後  
Blogger yoji said...

Figure 1
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Figure 2

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7:12 午後  
Blogger yoji said...

ダブル・バインドを超えて
著者名等  浅田彰/著  ≪再検索≫
出版者   南想社
出版年   1985.11
大きさ等  20cm 120p
注記    発売:学苑社
NDC分類 104
ISBN等 4-931178-05-7
書誌番号  3-0190240398

7:29 午後  
Blogger yoji said...

ミルトン・エリクソン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルトン・エリクソン
ミルトン・エリクソン
ページの問題点
ミルトン・エリクソン(Milton H〔yland〕 Erickson, 1901年12月5日 - 1980年3月25日)は、催眠療法家として知られる精神科医、心理学者。 彼はアメリカ臨床催眠学会の創始者で、初代会長も勤めた。アメリカ精神療法協会、アメリカ心理学会、アメリカ精神病理学会などのメンバー。晩年は催眠の臨床性・実践性向上のため、精力的にワークショップを開き世界各国を行脚した。にもかかわらず、日本への訪問は3度目のポリオ発病のため、ついにかなわなかった。そのため、日本人で彼の教えを受けた人間は高石昇、柴田出など数少ない。

精神療法にしばしば斬新な手法を用いた事で知られる。「治療に抵抗するクライエントなどいない。柔軟性にかけるセラピストがいるだけだ」。この言葉に端的に表されるように、彼の技法は「ユーティライゼーション(Utilization;利用できる物はなんでも利用する)」を旨とした、臨機応変・変化自在なもので、その名人芸は「アンコモン・セラピー」、「魔術師」と呼ばれる。クライエントごとに異なるアプローチをすべきという信念から、自らは技法の体系化は好まなかった。しかし、エリクソンの影響を受けた弟子や共同研究者たちは、それぞれ独自の治療技法を構築し、総称して短期療法と呼ばれる一派を形成した。とくに家族療法への影響は大きく、グレゴリー・ベイトソンのダブル・バインド理論は彼あってのものである。

目次
エリクソンと身体障害 編集
彼は極めて重篤な身体障害に悩まされていた。その中には1.ポリオ、2.色覚異常、3.失音楽症(音楽が理解できない障害)が含まれる。特にポリオにより、17歳の時に目を除く全身が麻痺した事は彼に重大な影響を及ぼした。一つには、回復するまでの退屈しのぎとして自分の家族を観察した事である。この観察の中で彼は言葉の‘ダブルテイク’(ある言葉が2重の解釈を許すこと)、‘トリプルテイク’(ある言葉が3重の解釈を許す事)の発見や、言葉の命令的側面(例「窓が開いてますね。」が「窓を閉めてください。」との命令を含意しうる事)や幼児の身体的発達過程への理解、そして何より彼の伝説的な観察力を獲得した(例えば、彼は相手の首筋から脈拍数を数える事が出来たという)。さらに失音楽症は彼が話し相手の呼吸や抑揚に意識的な注意を向ける事を可能にし、これは後に彼が催眠を独習する時に大きな利点となった。

エリクソンの受けた教育 編集
彼は精神医学も催眠も独学であった。彼は大学で医学教育を受けたが、当時の米国では適切な精神医学の教育は殆ど受けられず、又、催眠もきちんとしたカリキュラムがなかったからである。その結果、彼は自分独自の技法を次々に開発していく事となった。

エリクソンと催眠 編集
前述の様に、彼は催眠を独学で身につけた。大学時代にのべ2000人以上に催眠実験を行ったと言われる。彼の催眠技法は非常に広汎かつ独特なもので概説は困難であるが、その根本にある考え方は催眠はコミュニケーションの1つだというものであった。そこで、彼は自分が気づいたダブルテイクや、言葉の命令的側面、呼吸や抑揚に関する理解などを催眠誘導に持ち込む事で、催眠誘導を非常に巧みに行った。又、普通の会話と催眠誘導の境界を曖昧にした。つまり、普通の会話の中で自由に催眠誘導と行き来した。

従来の催眠(古典催眠)とは大きく異なるため、エリクソンのそれは現代催眠、エリクソン催眠と呼んで区別するのが一般的である。

参考文献 編集
ジョン・グリンダー、リチャード・バンドラー 『催眠誘導―エリクソン・メソード決定版』 ISBN 4795234930
シドニー・ローゼン 『私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー』 ISBN 4931199488
ジェフリー・K・ザイグ、W・マイケル・ムニオン 『ミルトン・エリクソン―その生涯と治療技法』(批判と反批判も) ISBN 4772407898
成瀬悟策、宮田敬一「ミルトン・H.エリクソン」(小川捷之、福島章、村瀬孝雄編集『臨床心理学大系 16 臨床心理学の先駆者たち』金子書房 1990年所収) ISBN 4760893369。
関連項目 編集
グレゴリー・ベイトソン
ジェイ・ヘイリー
宮田敬一
催眠療法
家族療法
短期療法
ソリューションフォーカストアプローチ
神経言語プログラミング (NLP)
外部リンク 編集
The Milton H. Erickson Foundation
日本エリクソン療法(含NLP)関連図書総目録稿 (含リンク集)[リンク切れ]
エリクソンの生涯 (略年譜)[リンク切れ]
エリクソン催眠(Stephen Gilligan(日本)
ノート

5:22 午前  
Blogger yoji said...


参考:
ダブルバインドの反復によって発症した分裂症の症例の分類:
言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3

浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985,共著とされるがほとんど単著と言っていい)では、
1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている。

破瓜 (はか)とは【ピクシブ百科事典】
http://dic.pixiv.net/a/破瓜
1. 16歳の女性のこと。瓜を真ん中で分けると八と八になるようにみえることから、8+8で16。
また、同じ理由から8×8=64より、男性の64歳の意味でも用いられる。
ここ、テストに出ます。

2. 統合失調症の分類の一つ。破瓜型と言う。

3. 処女の女子が性行為などにより処女膜が裂傷した状態の詩的表現。
イラスト上では、女性器内部からの出血により表現される事が多い。
なお、勘違いしている人が多いが、元々はこの意味では用いられていなかった。

6:23 午後  
Blogger yoji said...

コミュニケーション 精神医学の社会的マトリックス
著者名等  グレゴリー・ベイトソン,ジャーゲン・ロイシュ/〔著〕  ≪再検索≫
著者名等  佐藤悦子,ロバート・ボスバーグ/訳  ≪再検索≫
出版者   思索社
出版年   1989.10
大きさ等  20cm 335p
注記    Communication:the social matrix of psych
iatry./の翻訳
NDC分類 493.7
件名    コミュニケーション  ≪再検索≫
件名    精神神経科学  ≪再検索≫
要旨    個人、集団、文化を貫いて拡がる〓人間コミュニケーション〓論の試み。〓ダブル・バイ
ンド〓理論へと結実する、20世紀の辺境を渉猟した知の狩人ベイトソンのもうひとつの
源流。
目次    第1章 価値、コミュニケーション、文化―はじめに;第2章 コミュニケーションと人
間関係―学際的アプローチ;第3章 コミュニケーションと心の病い―精神医学的アプロ
ーチ;第4章 コミュニケーションとアメリカ的価値―心理学的アプローチ;第5章 ア
メリカ的展望―統合的アプローチ;第6章 コミュニケーション抑止・均衡システム―人
類学的アプローチ;第7章 情報とコード化―哲学的アプローチ;第8章 コミュニケー
ションの慣習―妥当性の基礎としての信念;第9章 精神医学的思考―認識論的アプロー
チ;第10章 科学と精神医学の融合;第11章 個人、集団、文化―人間コミュニケー
ション論の検討とまとめ
内容    文献一覧:p314~327




http://psycnet.apa.org/psycinfo/1980-51433-000
Database: PsycINFO
[ Book ]
Beyond the double bind: Communication and family systems, theories, and techniques with schizophrenics.
Berger, Milton M. (Ed)
Oxford, England: Brunner/Mazel Beyond the double bind: Communication and family systems, theories, and techniques with schizophrenics.(1978). xix 264 pp.
Abstract
The original paper "Toward a Theory of Schizophrenia" (G. Bateson et al; see record 1957-08456-001) is reprinted as background for discussion by 3 of its authors and other authorities on the family. Presentations, given at a 1977 conference, review the theoretical and clinical development and application of the double bind concept since it was first enunciated in 1956. (PsycINFO Database Record (c) 2016 APA, all rights reserved)


11:45 午前  
Blogger yoji said...


M.P#1
《グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すの
に用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち
震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避し
つつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化
であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度
の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代
わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。》
(「バリ―定常型社会の価値体系」及び「精神分裂症の理論化に向けて」参照。
共に『精神の生態学 』新思索社所収)

参考:Learning to Dance
https://i.imgur.com/g8XsVOc.gif

《 …ベイトソンが分裂症の発生因であるとしたダブル・バインド状況の定義…
①そこから逃げることのできない人間関係の場において、
②一定のメッセージが与えられ、
③しかもそのメッセージを否定するメタメッセージが同時に与えられる状況をダブル・バインド状況といい、
④それが反復されると分裂症を生む…》浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)

ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類:
言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型[解体型])2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3
 (ベイトソン「精神分裂症の理論化に向けて」参照)

1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(浅田64,87~8頁)。

参考:
Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

deleuze A.O#2:4
《ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・
バインド〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、と
いう。ところが父は、あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されない
ことを強力にほのめかす)。ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認
めて、ラッセルの階梯理論の見地から、この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈し
ている(20)。私たちにはむしろ、このダブル・バインドつまり、二重の袋小路はありふ
れたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況であるように思われる。さらに、
この状況を定式化することを覚悟の上でいえば、これはラッセルのいう別の種類のナンセ
ンスにかかわるのである。すなわち、二者択一あるいは排他的離接はひとつの原理との
関係で決定されるが、にもかかわらずこの原理そのものが二者択一の両項または二つの
下部集合を構成していて、この原理自身が二者択一の枠の中に入っている(これは、離接
が包含的である場合に起きるのとは、まったく異なる事態である)。まさにここに精神
分析の第二の誤謬推理がある。要するに「ダブル・バインド」はオイディプスの総体その
ものなのである。この意味でオイディプスはひとつの連続状態として現前し、神経症的な
同一化と、いわば規範の内面化という二極の間をゆれ動いている。どちらにしても、オイ
ディプスがいて、それは二重の袋小路である。したがって、ここに分裂者が臨床実体とし
て生みだされるとすれば、それがいわばこの二重の道を逃れる唯一の手段だからである。
この二重の道においては、規範性も神経症と同じく出口をもたず、解決も問題も同じく道を
ふさがれている。ここでひとはみずからを器官なき身体の上に折りたたむしかないのだ。

(20) G. Bateson et collab.,〈Towards a Theory of Schizophrenia〉, Behavioral Science , 1956,
I(cf. les commentaires de Pierre Fédida,〈Psychose et parenté〉, Critique, oct. 1968).》

#2:4
《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題について』の中に見い
だされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威のオイディプスと社会的権威のオイ
ディプスとの間のダブル・バインドである。》

7:52 午前  

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