http://www.freeassociations.org/
45°線分析を最初に発見したのが1935年北欧のジャンセン☆で
ケインズより早い。
ただ英語版出版は1939年でこの英語版しか確認出来ない。
45°線分析を英語で最初に発表したのは1937年のカレツキ☆☆だ。
ケインズはヴイクセルやカーン、マルサスの影響を受けている。
自分の理解ではケインズは特にヴィクセルから流動性選好のアイデアを
もらっている。これはヒックスが図式化した。
有効需要の概念を広く捉えるならゾンバルトやツガン=バラノフスキー
が重要で、特にツガンは軽視されすぎている。
カレツキのアイデア元はツガンとカウツキーの議論だろう。
これがその後の転形問題に繋がる。
北欧に関しては福祉国家の資質が戦前からあり、データが揃っていた
のではないか?ジャンセンもそのなかで45°線分析を生み出した。
☆
Jantzen.I,1935,“Lindt planokonomisk Teori , ”Nordisk Tidskrift for Teknisk
Okonomi,english translation in I.Jantzen,"Basic Principles of Business
Economics and National Circulation,"G.E.C.Gad1939.
☆☆
『資本主義経済の動態理論』M・カレツキ 日本経済新聞評論社 1984年
M.カレツキ (著), 浅田統一郎 間宮 陽介
ケインズの主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』と比べてみて、本書は簡潔で明晰である。
ケインズのが難解でまた内容が整理されていない(当のケインズが理解していなかったとさえ言われるくらいだ)のに対し、本書は数式を使って意味と論法を明確にし、内容もまとまっている。
そういう意味では、ケインズよりも先に本書を読んだほうがいいかもしれない。
また、ケインズ本が難解で読めない、あるいは時間がないという人には、本書を読んでいただきたい。
第I部冒頭の「景気循環理論概説」(1933年)がケインズに先駆けて有効需要の理論を打ち立てたとされる画期的論文。1937年の45°線分析を使った論文は未収録(カレツキの未翻訳論文はかなり多い)。
目次
序文
第 I 部
第1章 景気循環理論概説 3
第2章 外国貿易と「国内輸出」について 16
第3章 景気上昇のメカニズム 26
第4章 商品税,所得税および資本税の理論 34
第II部
第5章 費用と価恪 45
第6章 国民所得の分配 64
第7章 利潤の决定要因 79
第8章 国民所得の決定と消費の決定 94
第9章 企業者資本と投資 106
第10章 投資の決定要因 111
第11章 景気循環 125
第lll部
第12章 完全雇用の政治的側面 141
第13章 ツガン-バラノフスキーとローザ・ルクセンブルグにおける有効需要の問題 148
第14章 階級闘争と国民所得の分配 158
第15章 趨勢と景気循環 167
統計付録 186
訳註 195
カレツキからポスト・ケインジアンへのマクロ分配理論の系譜
--訳者解説に代えて-- 209
索引 227
カレツキの前出の未翻訳論文1937年は景気循環論だがソローに先駆ける成長理論に関するものと読める。
有効需要の問題は(投資と貯蓄を同一視可能にする)銀行という社会的インフラが
確立して初めて価格論的に展開出来る
だからマルクスには発見できるはずがなかった
発見したとしても経済学とは関係ない価値論としてだろう
窮乏化説の方がマルクスの功績としては(学説として間違っていても)大きいと言うべきだ
カレツキのマルクス批判には根拠がある。
マルクスは資本論第3巻でこう書いている。
「費用価格のこのような修正された意味を頭に入れておくことが必要であり,したがって,
ある特殊な生産部面で商品の費用価格がその商品の生産に消費される生産手段の価値に
等しいとされる場合には,いつでも誤りが起こり得るということを注意しておくことが必要で
ある。われわれの当面の研究にとっては,この点にこれ以上詳しく立ち入る必要はない」
(K..,S. 174,邦訳国民文庫⑥275-276頁,第9章一般的利潤率(平均利潤率)の形成
と商品価値の生産価格への転化 )
カレツキが引用したのは有効需要を示唆する第3巻の別の部分☆だが、マルクスが「詳しく
立ち入る必要はない」と展開しなかったことが後々の混乱(転形問題というよりは左翼内の
理論的分裂)につながった。
☆
カレツキが引用したのは資本論第3巻第15章の以下の部分、
《直接的搾取の条件とその実現の条件とは同一ではない。それらは、時間的および
場所的にばかりでなく、概念的にも別のものである。前者は社会の生産力によってのみ
制限され、後者は、相異なる生産部門間の比率性により、また社会の消費力によって
制限されている。だが、社会の消費力は、絶対的生産力によっても絶対的消費力によっ
ても規定されないで、敵対的な分配諸関係──これは社会の大衆の消費を、多かれ少な
かれ狭い限界内でのみ変動する最小限に縮小する──の基礎上での消費力によって
規定されている。》
「敵対的な分配諸関係」という概念(階級意識)が有効な投資、消費をする資本家、国家を
思考から排除してしまう。
中産階級が上下に引き裂かれつつあるというプルードンの認識の方が正しい。
銀行のあり方*を軽視しているようだからマルクス主義者は失敗したのだ
ちなみにゲゼルの減価マネーは成功しすぎたから禁止された
成功した具体例を見たからフィッシャーは本を書いた
資本論第一巻だけだと信用の問題が論じ切れない
漠然とした労働価値説でやっていけば良いと考えているのだろうが
労働価値説が広まらないのには理由がある
マルクスが集合力理論を相対的なものと捉え
貨幣を絶対的なものと捉え
最後の鐘というメシアニズムを召喚したことが理論的失敗の要因だ
カレツキのマルクス批判はマルクス再生産表式の再評価、吟味でもある
そもそもこの表式がなければ単純、拡大再生産の区別がつかない
マルクス再生産表式の原型はエンゲルスへの手紙に資本論以前にすでにある
後の再生産表式とは部門の順番が違うだけである
https://i.imgur.com/jcQRbHP.jpg
https://i.imgur.com/xWdLuTO.jpg
マルクス経済表
1963年7月6日エンゲルスへの手紙より
協同組合のように生産の現場で分配することが理想だが
税制がある以上、税制をチェックする原理としてもこの表式を活用すべきだろう
一番下の総再生産をGDPと解釈出来る
消費から見た金の流れは以下の赤い点
上が消費財、下が生産手段
工場労働者も上で作るパンを買う、上のパンを作る労働者も給料でパンを買う
剰余価値は生産手段の拡大に使われる
図では見やすいように産業利潤ではなく地代を通っている
マルクスの説明とは少し違う。利潤の三分割を無視した
(マルクスのイメージは花火のように利潤が右上の商品から飛び散る、または収斂するものと考えていい)
一番下の部門は税金を吸い上げインフラを作る国家とも考えられる
https://i.imgur.com/qRiNHFI.gif
手紙の本文英語版は以下、
http://www.hekmatist.com/Marx%20Engles/Marx%20&%20Engels%20Collected%20Works%20Volume%2041_%20Ka%20-%20Karl%20Marx.pdf
p.483-7参照
基本文献として、マルクスのエンゲルス宛の手紙からの引用を載せます。(全集第30巻p289~292)
経済表に関しては、岩波文庫の旧版『資本論(十)』の扉に手書きのファクシミリ版が載っています。手に入らなければ、以下のサイトを参照していただきたいです。(注:その後、データ入手出来たので参考までに岩波文庫所収のマルクス直筆のファクシミリ版及び高木彰訳日本語版経済表を添付しておきます。'04.9/17記)
なお、身辺雑記の書かれた前段は略してあります。
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.htm
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.gif
後年の『資本論』の記述と比較すると、部類1が部類2に、部類2が部類1に、それぞれ入れ替わっているこ
とに注意が必要です(こちらは「再生産過程表式」と呼ばれている)。
かいつまんで書くと、
部類1(消費手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類2(生産手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類3(総生産)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(総生産)
1c+2c=3p
1v+2v=3v
1m+2m=3m
1p+2p=3p
1pは3v+3mへ、
2pは3cへとそれぞれ環流する。
単純再生産では1c=2v+2m
拡大再生産では1c<2v+2m
他の略称に関して書くと、
利潤は(p1=m-z-r)、利子は(z)、地代は(r)
労働手段は(Pm)、労働力は(A)
ここには書ききれないが、斜線部分はG- - - - -W-G'(あるいはG-W- - - - -G'?)と考えるとわかりやすいかも
知れません。
また上記、P(生産)及びP(総生産)はマルクスの表記に倣って、c+v+m=Wいうことで、大文字のW(商品価値)と表記すべきだったかも知れません(3:1,岩波文庫6.43頁参照)。
///////以下引用/////////////////////////////////////
「マルクスのエンゲルス宛ヘの手紙」(1863.07.06)より
(中略)
同封の「経済表」は僕がケネの表の代わりに立てるものだが、もし君がこの暑さのなかでもできるなら、い
くらか念入りに見てくれたまえ。そして、なにか疑念があったら知らせてくれたまえ。これは総生産過程を包
括している。
君も知るように、アダム・スミスは「自然価格」または「必要価格」を賃金と利潤(利子)と地代とから構
成している- したがって全体を収入に解消させている。この不合理はリカードにも伝えられている。といっ
ても、リカードは地代をたんに偶然的なものとしてカタログから除いてはいるのだが。ほとんどすべての経済
学者がこれをスミスから受け継いでいる。そして、これに反対する経済学者らはまた別の不条理に陥ってい
る。
スミス自身も、社会にとっての総生産物をたんなる収入(年々消費されうるもの)に解消させることの不合
理は感じていて、他方で各個の生産部門については価格を(原料や機械など)と収入(労働、利潤、地代)と
に分解している。そうすると、社会は毎年新しく資本なしで始めなければならないことになるだろう。
ところで、僕の表について言えば、これは僕の本の最後のうちの一章のなかに総括として載せるものだが、
そこでは理解のために次のことが必要だ。
(1)数字はどうでもかまわない。何百万かを意味するものとしてもよい。
(2)ここで生活手段というのは、消費財源の中に年々はいって行く(または、この表からは除外されてい
る蓄積がなければ消費財源のなかにはいりうるであろう)すべてのもののことだ。
部類1(生活手段)では全生産物(七〇〇)が生活手段から成っており、したがって当然のこととして不変
資本(原料や機械やなど)のなかにははいっていかない。
同様に部類2では全生産物が、不変資本を形成する諸商品から、すなわち原料や機械としてふたたび再生産
過程にはいっていく諸商品から、成っている。
(3)上昇線は点線になっており、下降線は直線になっている。
(4)不変資本は、原料や機械から成っている資本部分だ。
可変資本は、労働と交換される資本部分だ。
(5)たとえば農業などでは同じ生産物(たとえば小麦)の一部分は生産手段を形成するが、他の一部分(た
とえば小麦)はふたたびその現物形態のままで(たとえば種子として)原料として再生産にはいっていく。だ
が、これは少しも事柄を変えるものではない。というのは、このような生産部門は、一方の属性から見れは部
類2のなかに現われ、他方の属性から見れは部類1のなかに現われるからだ。
(6)そこで、全体の要点は次のようになる。
部類1。生活手段。労働材料と機械(すなわち機械のうち損耗分として年間生産物のなかにはいって行く部
分。機械などの未消費部分は真のなかには全然現われていない)は例えば四〇〇ポンドに等しい。
労働と交換された可変資本=一〇〇は三〇〇として再生産される。というのは、労賃を生産物で補填し、二〇
〇は剰余価値(不払剰余労働)を表わすからだ。生産物は七〇〇であって、そのうち四〇〇は不変資本の価値
を表わしているが、この不変資本は全部が生産物のなかに移っており、したがって補填されなければならな
い。
可変資本と剰余価値との割合がこのようになっている場合には、労働者は労働日の三分の一では自分のため
に労働し、三分の二では彼の天成の目上(natural speriors)のために労働する、ということが仮定されている。
つまり、一〇〇(可変資本)は、点線で示されているよぅに、労賃として貨幣で払い出される。労働者はこ
の一〇○をもって(下降線で示されているように)この部類の生産物すなわち生活手段を一〇〇だけを買う。
こうしてこの貨幣は資本家階級1に還流する。
剰余価値二〇〇は一般的な形態では利潤だが、これは、産業利潤(商業利潤を含む)と、さらに、産業資本
家が貨幣で支払う利子と、彼がやはり貨幣で支払う地代とに分かれる。この産業利潤や利子や地代として支払
われた貨幣はそれをもって部類1の生産物が買われることによって、還流する(下降線で示されている)。こ
うして、部類1の内部で産業資本家によって投ぜられたすべての貨幣は、生産物七〇〇のうちの三〇〇が労働
者や企業家や金持ちや地主によって消費されるあいだに、彼のもとに還流する。部類1に残っているのは、生
産物の過剰分(生活手段での)四〇〇と不変資本の不足分四〇〇とだ。
部類2。機械と原料。
この部類の全生産物は、生産物のうち不変資本を補填する部分だけではなく、労賃の等価と剰余価値とを表わ
す部分も、原料と機械とから成っているので、この部類の収入は、それ自身の生産物においてではなく、ただ
部類1の生産物でのみ実現されることができる。しかし、ここでなされているように蓄積を除外すれは、部類
1が部類2から買うことができるのは、ただ部類1がその不変資本の補填のために必要とするだけの量であ
り、他方、部類2はその生産物のうちただ労賃と剰余価値と(収入)を表わす部分だけを部類1の生産物に投
ずることができる。こうして、部類2の労働者たちはその貨幣=一三三1/3を部類1の生産物に投ずる。同じこ
とは部類2の剰余価値でも行なわれる。これは、部類1におけると同様に、産業利潤と利子と地代とに分かれ
る。こうして、貨幣での四〇〇が部類2から部類1の産業資本家のもとに流れて行き、そのかわりに部類1は
その生産物の残り=四〇〇を部類2に引き渡す。
この貨幣四〇〇をもって、部類1はその不変資本=四〇〇の補填のために必要な物を部類2から買い、この
ようにして部類2には、労賃と消費(産業資本家自身や金持ちや地主の)に支出された貨幣がふたたび流れこ
んでいく。そこで、部類2にはその総生産物のうち五三三1/3が残っており、それをもって部類2はそれ自身の
損耗した不変資本を補填する。
一部分は部類1の内部で行なわれ一部分は部類1と2とのあいだで行なわれる運動は、同時に、どのように
して両部類のそれぞれの産業資本家たちのもとに、彼らがふたたび新たに労賃や利子や地代を支払うための貨
幣が還流するか、ということを示している。
部類3は総再生産を表わしている。
部類2の総生産物はここでは全社会の不変資本として現われ、部類1の総生産物は、生産物のうちの、可
変資本(労賃の財源)および互いに剰余価値を分け合う諸階級の収入を補填する部分として、現われる。
ケネの表をその下に置いておいた。これはこの次の手紙で簡単に説明しよう。
失敬
君の K・M
ついでに。エトガル・バウアーは職を得た - プロイセンの新聞局で。
*
「のび太君革命論」: たたかうあるみさんのブログ
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6e6c.html投稿: あるみさん | 2016年3月19日 (土) 21時00分
パリ・コミューン (1971年) (岩波新書) | 桂 圭男 |本 | 通販 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9H9TM/eStake! ▼ヴェルグルの奇跡 ゲゼルの自由貨幣理論を導入して大成功を収めた町がありました。...
http://estake.tumblr.com/post/7044624315/
…
この「労働証明書」は
週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、
254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。
これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。
回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。
こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。
「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も
完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われ
たのです。
…
eStake! ▼ヴェルグルの奇跡 ゲゼルの自由貨幣理論を導入して大成功を収めた町がありました。...
http://estake.tumblr.com/post/7044624315/ヴェルグルの奇跡-ゲゼルの自由貨幣理論を導入して大成功を収めた町がありました
アーカイブ RSS
“▼ヴェルグルの奇跡
ゲゼルの自由貨幣理論を導入して大成功を収めた町がありました。
オーストリア・チロル地方の小さな田舎町、ヴェルグルです。
世界大恐慌の影響は、このヨーロッパの小さな田舎町にも波及していました。
当時の人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。
通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長
ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、
1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。
不況の影響により、通貨の貯蓄性が過剰なまでに人々に働きかけた結果、
お金が循環しにくい経済状況が生じてしまったということですね。
それを重く見た町長は、貯蓄性を無効化するゲゼルの通貨理論に
一縷の希望を見出したという訳です。
そこで、ウンターグッゲンベルガー町長自身が地域の貯蓄銀行から
32000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、
それを担保として32000オーストリア・シリングに相当する
「労働証明書」という地域通貨を発行しました。
そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、
失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」を与えました。
ここで注目していただきたいのは、発行されたお金は銀行からの借金ではなく、
銀行から借り入れた32000シリングを担保として発行した「公債」であるという点です。
この点の重要性ついては後述します。
労働証明書は月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を
貼らないと使えない仕組みになっていました。
つまり、言い換えれば毎月その額面の価値の1%を失うことになるのです。
したがって手元にずっと持っていてもその分だけ損するため、
誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました(貯蓄性の無効化)。
この「老化するお金」が消費を促進することになり、経済を活性化させたのです。
当初発行した32000シリングに相当する「労働証明書」は、次第に必要以上に多いことがわかり、
町に税金として戻ってきた時に、そのうちの3分の1だけが再発行されることになりました。
「労働証明書」が流通していた13.5ヵ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、
住民一人あたりでは、1.3シリング相当に過ぎません。
しかしながら、この「労働証明書」は
週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、
254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。
これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。
回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。
こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。
「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、
ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。
しかしながら、銀行が創造するお金のような「プラスの利子」は発生せず、
無限の経済成長と、弱肉強食の経済競争を強制する性質はありません。
また、減価するため、お金を大量に保有することによる「支配力特権」も存在せず、
本当にお金が必要な層にも、消費するのに十分なお金が供給されたのです。このように、
積極的に流通する性質に特化したお金は、経済的悪状況・不平等を取り除く効果があります。
ちなみに、ヴェルグルの成功を目の当たりにして多くの都市はこの制度を取り入れようとしました。
1933年6月までに200以上の都市で導入が検討されましたが、オーストリアの中央銀行によって
「国家の通貨システムを乱す」として禁止通達を出され、1933年11月に廃止に追い込まれました。”
基本文献として、マルクスのエンゲルス宛の手紙からの引用を載せます。(全集第30巻p289~292)
経済表に関しては、岩波文庫の旧版『資本論(十)』の扉に手書きのファクシミリ版が載っています。手に入らなければ、以下のサイトを参照していただきたいです。(注:その後、データ入手出来たので参考までに岩波文庫所収のマルクス直筆のファクシミリ版及び高木彰訳日本語版経済表を添付しておきます。'04.9/17記)
なお、身辺雑記の書かれた前段は略してあります。
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.htm
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.gif
後年の『資本論』の記述と比較すると、部類1が部類2に、部類2が部類1に、それぞれ入れ替わっているこ
とに注意が必要です(こちらは「再生産過程表式」と呼ばれている)。
かいつまんで書くと、
部類1(消費手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類2(生産手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類3(総生産)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(総生産)
1c+2c=3p
1v+2v=3v
1m+2m=3m
1p+2p=3p
1pは3v+3mへ、
2pは3cへとそれぞれ環流する。
単純再生産では1c=2v+2m
拡大再生産では1c<2v+2m
他の略称に関して書くと、
利潤は(p1=m-z-r)、利子は(z)、地代は(r)
労働手段は(Pm)、労働力は(A)
ここには書ききれないが、斜線部分はG- - - - -W-G'(あるいはG-W- - - - -G'?)と考えるとわかりやすいかも
知れません。
また上記、P(生産)及びP(総生産)はマルクスの表記に倣って、c+v+m=Wいうことで、大文字のW(商品価値)と表記すべきだったかも知れません(3:1,岩波文庫6.43頁参照)。
///////以下引用/////////////////////////////////////
「マルクスのエンゲルス宛ヘの手紙」(1863.07.06)より
(中略)
同封の「経済表」は僕がケネの表の代わりに立てるものだが、もし君がこの暑さのな
かでもできるなら、いくらか念入りに見てくれたまえ。そして、なにか疑念があったら
知らせてくれたまえ。これは総生産過程を包括している。
君も知るように、アダム・スミスは「自然価格」または「必要価格」を賃金と利潤
(利子)と地代とから構成している- したがって全体を収入に解消させている。この
不合理はリカードにも伝えられている。といっても、リカードは地代をたんに偶然的な
ものとしてカタログから除いてはいるのだが。ほとんどすべての経済学者がこれをスミス
から受け継いでいる。そして、これに反対する経済学者らはまた別の不条理に陥っている。
スミス自身も、社会にとっての総生産物をたんなる収入(年々消費されうるもの)に
解消させることの不合理は感じていて、他方で各個の生産部門については価格を(原料や
機械など)と収入(労働、利潤、地代)とに分解している。そうすると、社会は毎年新し
く資本なしで始めなければならないことになるだろう。
ところで、僕の表について言えば、これは僕の本の最後のうちの一章のなかに総括として
載せるものだが、そこでは理解のために次のことが必要だ。
(1)数字はどうでもかまわない。何百万かを意味するものとしてもよい。
(2)ここで生活手段というのは、消費財源の中に年々はいって行く(または、この
表からは除外されている蓄積がなければ消費財源のなかにはいりうるであろう)すべての
もののことだ。
部類1(生活手段)では全生産物(七〇〇)が生活手段から成っており、したがって
当然のこととして不変資本(原料や機械やなど)のなかにははいっていかない。
同様に部類2では全生産物が、不変資本を形成する諸商品から、すなわち原料や機械と
してふたたび再生産過程にはいっていく諸商品から、成っている。
(3)上昇線は点線になっており、下降線は直線になっている。
(4)不変資本は、原料や機械から成っている資本部分だ。
可変資本は、労働と交換される資本部分だ。
(5)たとえば農業などでは同じ生産物(たとえば小麦)の一部分は生産手段を形成
するが、他の一部分(たとえば小麦)はふたたびその現物形態のままで(たとえば
種子として)原料として再生産にはいっていく。だが、これは少しも事柄を変える
ものではない。というのは、このような生産部門は、一方の属性から見れは部
類2のなかに現われ、他方の属性から見れは部類1のなかに現われるからだ。
(6)そこで、全体の要点は次のようになる。
部類1。生活手段。労働材料と機械(すなわち機械のうち損耗分として年間生産物
のなかにはいって行く部分。機械などの未消費部分は真のなかには全然現われていない)
は例えば四〇〇ポンドに等しい。
労働と交換された可変資本=一〇〇は三〇〇として再生産される。というのは、労賃を
生産物で補填し、二〇○は剰余価値(不払剰余労働)を表わすからだ。生産物は七〇〇で
あって、そのうち四〇〇は不変資本の価値を表わしているが、この不変資本は全部が生産
物のなかに移っており、したがって補填されなければならない。
可変資本と剰余価値との割合がこのようになっている場合には、労働者は労働日の三分
の一では自分のために労働し、三分の二では彼の天成の目上(natural speriors)のために
労働する、ということが仮定されている。
つまり、一〇〇(可変資本)は、点線で示されているよぅに、労賃として貨幣で払い出さ
れる。労働者はこの一〇○をもって(下降線で示されているように)この部類の生産物
すなわち生活手段を一〇〇だけを買う。
こうしてこの貨幣は資本家階級1に還流する。
剰余価値二〇〇は一般的な形態では利潤だが、これは、産業利潤(商業利潤を含む)と、
さらに、産業資本家が貨幣で支払う利子と、彼がやはり貨幣で支払う地代とに分かれる。
この産業利潤や利子や地代として支払われた貨幣はそれをもって部類1の生産物が買わ
れることによって、還流する(下降線で示されている)。こうして、部類1の内部で産業
資本家によって投ぜられたすべての貨幣は、生産物七〇〇のうちの三〇〇が労働者や
企業家や金持ちや地主によって消費されるあいだに、彼のもとに還流する。部類1に残って
いるのは、生産物の過剰分(生活手段での)四〇〇と不変資本の不足分四〇〇とだ。
部類2。機械と原料。
この部類の全生産物は、生産物のうち不変資本を補填する部分だけではなく、労賃の等価
と剰余価値とを表わす部分も、原料と機械とから成っているので、この部類の収入は、
それ自身の生産物においてではなく、ただ部類1の生産物でのみ実現されることができる。
しかし、ここでなされているように蓄積を除外すれは、部類1が部類2から買うことが
できるのは、ただ部類1がその不変資本の補填のために必要とするだけの量であ
り、他方、部類2はその生産物のうちただ労賃と剰余価値と(収入)を表わす部分だけを
部類1の生産物に投ずることができる。こうして、部類2の労働者たちはその貨幣=
一三三1/3を部類1の生産物に投ずる。同じことは部類2の剰余価値でも行なわれる。
これは、部類1におけると同様に、産業利潤と利子と地代とに分かれる。こうして、
貨幣での四〇〇が部類2から部類1の産業資本家のもとに流れて行き、そのかわりに
部類1はその生産物の残り=四〇〇を部類2に引き渡す。
この貨幣四〇〇をもって、部類1はその不変資本=四〇〇の補填のために必要な物を
部類2から買い、このようにして部類2には、労賃と消費(産業資本家自身や金持ちや
地主の)に支出された貨幣がふたたび流れこんでいく。そこで、部類2にはその総生産物の
うち五三三1/3が残っており、それをもって部類2はそれ自身の損耗した不変資本を補填する。
一部分は部類1の内部で行なわれ一部分は部類1と2とのあいだで行なわれる運動は、
同時に、どのようにして両部類のそれぞれの産業資本家たちのもとに、彼らがふたたび
新たに労賃や利子や地代を支払うための貨幣が還流するか、ということを示している。
部類3は総再生産を表わしている。
部類2の総生産物はここでは全社会の不変資本として現われ、部類1の総生産物は、
生産物のうちの、可変資本(労賃の財源)および互いに剰余価値を分け合う諸階級の
収入を補填する部分として、現われる。
ケネの表をその下に置いておいた。これはこの次の手紙で簡単に説明しよう。
失敬
君の K・M
ついでに。エトガル・バウアーは職を得た - プロイセンの新聞局で。
TAMO2投手殿…パリ・コミューンの「失敗」は設計主義の不足ではなく、コミューン原則の一つにつながる「銀行の摂取」を行わなかったこと、パリという一つの都市で「完結」せざるを得なかったことだと思います…後者については、フランスのあちこちで「コミューンを支持しよう」という運動や、コミューン側からの宣伝も行われました(「宣伝行動」は、光州事件の時にも積極的に行われています)…前者については、経済担当者の認識不足そのもので、どうしようもなかったのでしょう…この辺は岩波新書「パリ・コミューン(桂 圭男)…多分絶版」に詳しいです。