カントの遺稿集(再考)
カントの遺稿『オプス・ポストムム』に関して、興味深い論文を読みました。「カントの{{Opus postumum}}の哲学史的位置について」福谷茂(「哲学研究」578号 京都哲学界)です。存在論的な可能的経験の導入において一線を画しながらも、カントがスピノザとの接点を垣間見せているという論旨でした。旧来のカント観を一掃するものであり衝撃的でさえあります。
福谷氏はこう書いています。
「ではそのような形而上学の世界がなぜカントの最終目的地でなければならなかったのか。それは、この形而上学が世界の一つの制度であり、言わば公共の場であるからである。(中略)カントは理解されることを求めたのである。」(「哲学研究」No.578,京都哲学会,p143)
一元化された哲学体系に同じ土俵で立ち向かうとはいえ、可能的経験という様相概念を導入することで自然と自由の二元論は維持されますから、それまでの批判哲学は結果的には相補的な形で補強されます。『純粋理性批判』以来、仮想敵としてきたスピノザを本質的に咀嚼する段階にカントはようやくたどり着いた、、というのが『オプス・ポストゥムム』の好意的読みになります。
カントは晩年、自身の手でスピノザの側からカントの批判哲学を読み直していたということにもなります。総じて日本のカント研究者は生真面目過ぎてこの件に関して対応できていないようです。岩波版で全集から排除されたという状況もあり、『オプス・ポスト(ゥ)ムム』に関しては更なる研究が望まれます。
具体的には英訳↓で検討中なので、またご報告させていただきます。
http://www.amazon.com/Postumum-Cambridge-Works-Immanuel-Translation/dp/0521319285/sr=8-1/qid=1162222289/ref=pd_bbs_sr_1/002-0412426-8840850?ie=UTF8&s=books
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