日曜日, 2月 26, 2017

クセノファネス(Xenophanes、前570頃~480年頃)



柄谷行人『哲学の起源』でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに関しては、

http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html☆、

http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html (ミレトス学派の人々)等を参照。



「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/

 あるいは手によって絵をかき/

 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/

 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/

 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)


参考:

「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると

言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。

そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、

その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」

書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より 




哲学史の旅(4) | とげぬき・うぇぶ-さいと 別館

http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html
今回、登場してもらうクセノファネス(Xenophanes、前570頃~480年頃)は、一見、地味な「詩人哲学者」であるが(たとえば、前回、登場した同時代のピュタゴラスに比べると)、知れば知るほど、あるいは、考えれば考えるほど重要な人物に思えてならない。

当初、次の古代哲学の大物たちにスムーズに移行する予定だった。しかし、彼の哲学史上に与えた本質的な「影響」を無視すると、きわめて重要な思想的「基盤」が無視されることになり、次回以降、論理的にも不都合が生じてくる。そこで、今回はクセノファネスに満腔の敬意を表して登場してもらおう。


第1章「古代哲学の誕生」

第4節:クセノファネス(Xenophanes)

クセノファネスは、小アジア、イオニアのコロフォンの生まれ。彼は哲学者であると同時に、吟遊詩人でもある。今まで論じてきた人物たちとは異なり、クセノファネスの場合、数は多くはないが、彼自身の書き残したいくつかの「諸断片」が遺存している。

それ故、本連載の中で、彼自身の思想を、より、断片に即して、明確に論じることができる最初の哲学者となる。なぜ、彼が重要なのか、それを簡潔に表現できれば幸いである。この人物を論じる場合、彼の人生観、世界観に決定的な影響を与えた、運命的な「大事件」から触れる必要があるだろう。

クセノファネスは、25歳の時、亡国の憂き目に遭う。彼の生地、イオニアのコロフォンは、ペルシア王キュロスの支援を受けたメディア人ハルパゴスの侵攻を受け、占領されたのである。クセノファネスは祖国を離れ、南イタリア、主にシチリアに移り、その地で吟遊詩人として漂白と流浪の生活をおくったという。

この事件が、どれほどの衝撃を彼に与えたかは、想像に余りあるものがある。コロフォンに生を受けてから25年、親しんできた「全現実」がひっくり返されたのだ。彼は詩の中で、ありし日のコロフォンについて詠っている。

にくむべき僭主の支配を受けずに自由であったあいだ/彼らはリュディア人たちから、役にもたたない贅沢を教えられて/紫色にそめあげた上衣をまとっては、いっしょにぞろぞろと/みなで千人を下らぬ人数で広場(アゴラ)へくり出したものだった/ふんぞり返り、格好のよい髪の毛を御自慢に、いとも妙なる香油のにおいを身にしみこませては(世界文学大系63『ギリシア思想家集』筑摩書房より)。

この「現実」は、もはや彼の「記憶」の中にしか残存しない。彼の肉親、親類、友人の多くが生命を落としたかもしれない。かつて、「ふんぞり返り、格好のよい髪の毛を自慢に、いとも妙なる香油のにおいをしみこませて」広場(アゴラ)を闊歩し、自由を謳歌していたコロフォンの人々の姿は消滅してしまったのだ。

クセノファネスは、祖国=共同体を喪失し、現実それ自体の脆弱な「移ろいやすさ」を徹底して、身に染み込ませることになった。

クセノファネスの思想で有名なのは、ギリシア神話、ホメロス、ヘシオドスに記述された「擬人化された神々」に対する徹底した否定である。

ホメロスとヘシオドスは人の世で破廉恥とされ非難の的とされるあらんかぎりのことを神々に行わせた/盗むこと、姦通すること、互いにだまし合うこと(断片11)。

しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/あるいは手によって絵をかき/人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう(断片15)。

エチオピア人たちは自分たちの神々が平たい鼻で色が黒いと主張し/トラキア人たちは自分たちの神々の目は青く髪が赤いと主張する(断片16)。

言うまでもなく、クセノファネスは「神の存在」を否定しているのではない。ただ、人間的な本質を「投影」された擬人的な神観念を批判しているのだ。このような考え方は、彼自身が、祖国=共同体の滅亡、離反という経験をし、ある種、コスモポリタンな流浪者(根無し草)となったことと無縁ではないだろう。

人間たちは神々が[人間がそうであるように]生まれたものであり、自分たちと同じ着物と声と姿を持っていると思っている(断片14)。

クセノファネスの擬人化された神観念に対する批判は、神の本質が、人間的本質の延長上にはあり得ないという主張に集約されるだろう。

この主張の中には、ギリシア神話のような、多くの属性をもつ神々が登場する「多神教風土」に対する否定も含まれている。多くの性格の神々がいるという考え方も、人間世界の近似値的な投影に他ならないからだ。次の詩片の言明は、彼の主張を明確に示している。

神はただ一つ/神々と人間どものうちで最も偉大であり/その姿においても思惟においても/死すべき者どもに少しも似ていない(断片23)。

クセノファネスは、擬人的神観念の批判を通して、人間(死すべきもの!)の認識における神の絶対的な「超越性」を示したのだ。逆に言えば、人間の「認識能力」には「限界」があること、「制約」があることを明確に言明したのである。

クセノファネスは、人間存在の存在論的な位置の「相対性」、その認識能力の「限界性」「制約性」、その認識能力が生み出すところの「知識」の「不完全性」を表明したのだ。以上のクセノファネスの「不可知論」的な洞察は、人類が存続する限り、不滅の輝きをもつだろう。

人間として、人間が置かれた形而上学的「諸条件」の思索に踏み出した者は、誠実であれば必ず、クセノファネスの洞察の前に立ち止まらざるを得ない。

人の身で確かなことを見た者は誰もいないし/これから先も/知っている者は/誰もいないだろう/神々についても、私の語るすべてのことについても/かりに本当のことを言い当てたとしても/彼自身がそれを知っている訳ではないのだ/ただすべてにつけて思惑があるのみ(断片34)。

わたしたちは「神」について、確実な知識を所有するのではなく、ただ、「思惑」があるだけだという。現在の言葉に翻訳すれば、「臆見」であろう。

しかしながら、クセノファネスは、単なる「不可知論」や「懐疑論」を主張したのではない。彼が示した最も重要な言明は、知識の漸進的な「探求」という理念である。この主張こそが、西欧の哲学的思索の基本的な「筋道」を形成したものである。

まことに神々は/はじめからすべてを死すべき者どもに示しはしなかった/人間は時とともに探求によってよりよきものを発見して行く(断片18)。

「死すべき者」である人間には、神、宇宙、世界は「超越的」であり、確実な知識を構成することはできない。それは「思惑」であり、「臆見」に過ぎない。

しかし、人間は「探求」によって、漸進的に「真実の知識」への接近が可能だという。とくに、「神」のような形而上学的対象については、探求、即ち、接近するプロセス自体に「意味がある」という見解を披瀝している。

彼の諸断片を見ていると、「知識」を2種類に弁別していることが分かる。彼は、形而上学的対象(神)については「不可知論者」である。しかし、自然などの経験的対象については必ずしもそうではない。自然については、因果性という観点から、きわめて理知的な考え方を述べている。

万物は大地から生まれて、最後にまた大地へとかえる(断片27)。

およそ生まれて成長するかぎりのすべてのものは、地と水である(断片29)。

われわれはみな、大地と水から生まれたのであるから(断片33)。

クセノファネスの思索には、西欧哲学の伝統となる「形而上学的領域」と「経験的領域」との区分けの問題意識が見事に表出されている。

つまり、彼は自然の表層を蔽った「擬人的」神観念を剥ぎ取ってしまう一方で、神観念を抽象化、純化し、「全体」「一なるもの」、あるいは、「不動なるもの」という形而上学的領域に上昇させてしまう。

一方、擬人的神観念を脱色され、地上にとり残された「もの」こそ、経験的領域、即ち、因果論的な処理が可能な「自然」に他ならないのである。

クセノファネスは以上の意味において、西欧哲学、さらには、そこを母胎として分離する科学の原点のような思想家である。現在の思想的立場に翻訳すれば、クセノファネスこそ、「超越論的実在論」の生みの親であろう。

彼は、大変、長生きをしたという。92歳の頃に自分の人生を回顧した詩の断片が遺っている。最後にその詩を紹介して終わりにしよう。

ヘラス(ギリシアの意)の土地をかなたこなたと/わが思いをさわがせ来ること/すでに六十と七年/生まれた日から数えれば、あのとき(侵攻され、占領された日)までの二十五年がこれに加わる/私がこれらについて/まちがいなく話すことができるとすれば(断片8)。 (了)
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