月曜日, 2月 20, 2017

ケインズ確率論関連再掲

                  (経済学数学リンク::::::::::) 

NAMs出版プロジェクト: ケインズ確率論関連再掲

http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/blog-post_20.html@
ケインズ『貨幣論』1929,『貨幣改革論』1923,『確率論』1921:メモ  
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html(元頁)
ケインジアンの交差図
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html
ラムゼイ「貯蓄の数学的理論」1928年、F.R.Ramsey,”A Mathematical Theory of Saving”
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/1928frramseya-mathematical-theory-of.html 
クリストファー・シムズ - 2011年 ノ ーベル経済学賞受賞:
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/wikipedia.html
ダンロップ=ターシス批判関連(脇田成『マクロ経済学のパースペクティブ』 等)

ケインズ3部作=『一般理論』1936,『貨幣論』1930(1929),『貨幣改革論』1923
『一般理論』以前の二冊は古典派経済学者ケインズとしての書。さらにそれ以前の『確率論』1921は哲学者としての書。


http://store.toyokeizai.net/books/9784492811481/
ケインズ全集8巻 確率論 (A Treatise on Probability) 1921
ケインズ,J.M.著/佐藤 隆三訳  578頁
発行日:2010年05月28日
若きケインズがムーア、ラッセルの影響のもとに書いた哲学の書。「確率の論理説」の立場にたって、確率概念の定義とその形式的体系化を試み、それを応用した帰納的推論の分析を行う。
エピグラフ「一度ならず私は、新たな種類の論理学、確からしさの程度を扱う論理学が必要になるといってきました。」ライプニッツ(『人間知性新論』1765,みすず書房,pp.480~81)『確率論』邦訳3頁より

第I部 基礎的諸概念

第1章 確率の意味
第2章 確率に関する認識論
第3章 確率の測定
第4章 無差別原理
第5章 確率を決定するその他の方法
第6章 推論の重み
第7章 歴史的回顧
第8章 確率の頻度論
第9章 第I部の建設的理論の要約

第II部 基本定理

第10章 序説
第11章 とくに論理的整合性、推理、および論理的先在性に関する群論
第12章 推理および確率の諸定義と諸公理
第13章 必然的推理の基本定理 
第14章 蓋然的推理の基本定理
第15章 確率の数値の測定と近似
第16章 第14章の諸定理に関する覚書、ならびにそれらの諸展開および証言への適用
第17章 逆確率ならびに平均に関する若干の問題

第III部 帰納と類比

第18章 序説 ☆
第19章 類比による推論の本姓
第20章 事例の増量の価値、すなわち純粋帰納
第21章 続・帰納的推論の本性
第22章 帰納の歴史に関する若干の覚書 ☆☆

第IV部 確率の若干の哲学的適用

第24章 客観的偶然すなわち偶然性の意味
第25章 偶然に関する検討から生じる若干の問題
第26章 確率の行為への適用

第V部 統計的推理の基礎

第27章 統計的推理の本性
第28章 大数の法則
第29章 統計的頻度を予測するための事前確率の利用
     :ベルヌイ、ポアソンおよびチェビシェフの諸定理
第30章 事後確率を算定するための統計的頻度の数学的利用:ラプラスの方法
第31章 ベルヌイの定理の逆定理
第32章 事後確率を算定するための統計的頻度の帰納的利用
第33章 建設的理論の概略

原著が電子書籍(無料)で読める。
A Treatise on Probability by John Maynard Keynes - Free Ebook
The Project Gutenberg eBook #32625: A treatise on probability
http://www.gutenberg.org/files/32625/32625-pdf.pdf?session_id=da082801a6ddc47c44b51d3bd9929110a839653a

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51467631.html



ケインズの確率論

ケインズ全集 第8巻「確率論」ケインズの処女作、『確率論』の訳本が出た。私は学生時代にケインズ全集の1巻の下訳をしたことがあるが、まだ刊行されているとは驚きだ。価格は12600円なので、訳本を買うのはおすすめできないが、原著が電子書籍(無料)で読める。

本書が出版されたのは1921年。これはフランク・ナイトの"Risk, Uncertainty and Profit"と同じ年で、両方とも似たテーマを扱っている。それは社会における不確実性の扱いである。それまでの確率論は、統計力学などの物理現象を扱うもので、サイコロの目の出る確率は1/6というように客観的に決まっていた。しかし社会現象にはそういう物理的な規則性があるとは限らないので、これをどう扱うかがむずかしい問題だった。

ナイトは不確実性を客観的なリスクと区別されるものと考えたが、ケインズは両者を総合した「論理的確率」を考えた。これはラムゼーに批判され、彼の公理論的確率論がのちのベイズ理論の元祖になった。ケインズの確率論は、その「前史」として忘れられたが、いま読むとそこには別の現代的意義もある。

従来の自然科学的な確率論が演繹的な論理だけを扱っているのに対して、ケインズは不確実な現実に対処するために経験から学ぶ帰納の論理を樹立しようとした。これは哲学史上の難問であるヒュームの問題を解決しようという試みだった。

ケインズは、ヒュームのいうように帰納が論理的に成立しないことを認めつつ、蓋然的な推理の論理として確率を考えた。きょうまで太陽が昇ったことは、あす も昇ることを論理的には保証しないが、その確率が1に近いことは推論できる。確率とは、不確実な現実の中から経験にもとづいて行動するための指針なのであ る。これはケインズの信念であり、『一般理論』でも不確実性の問題を中心にすえている。

ナイトが不確実性に対処するシステムとして企業の経営者を考えたのに対して、ケインズは、将来が不確実なときは今までどおり行動し、投資収益が不確実なときはリスクのない貨幣をもつ流動性選好を考えた。このような金利生活者の現状維持的な行動が投資を抑制し、不況を長期化するというのが『一般理論』のコアである。

これは1930年代の大恐慌の説明としては間違っていたが、むしろ現代の日本の長期停滞に当てはまるかもしれない。個人金融資産の半分以上が預貯金で、銀行が融資しないで国債を買う現状は、日本人が不確実性に対処する方法を知らないことを示している。
 CHAPTER XVIII 
 introduction 
Nothing so like as eggs ; yet no one, on account of this apparent similarity, expects the same taste and relish in all of them. ’ Tis only after a long course of uniform experiments in any kind, that we attain a firm reliance and security with regard to a particular event. Now where is that process of reasoning, which from one instance draws a conclusion, so different from that which it infers from a hundred instances, that are no way different from that single instance? This question I propose as much for the sake of information, as with any intention of raising difficulties. I cannot find, I cannot imagine any such reasoning. But I keep my mind still open to instruction, if any one will vouchsafe to bestow it on me .—Hume.∗ 

*Philosophical Essays concerning HumanUnderstanding 4:2:31

 卵ほど互いに似ているものはない。しかしこの外見上の相似性のために、
それらのすべてに同一の味や風味を期待するものは誰もいない。われわれが
個別的な出来事に関して確固たる信頼と安心とを得るのは、いかなる種類で
あれ、ただ斉一的な経験の長い過程を経た後のことである。一体、一つ事例
から、それと少しも変わらぬ100個の事例から推理した結論とは大いに異な
る結論を引き出すような推論の方法が、どこに存在するであろうか。私はこ
の質問を、異議を述べる意図からと同時に、参考のために提起するのである.
私はこのような推論を、見いだすことも、想像することもできない。しかし何
入かが私にそれを与えて下さるというのであれば、私は何時らその教えにた
いして心を開いておくであろう。             ヒューム ∗
『人間知性の研究』哲書房55頁(法政大学版では4.2.31:33頁,4.1.24~5:25~6頁に有名なビリヤードの比喩がある。)哲書房版解説によるとカントが読んだのは『人性論』(独語訳は1790~2年)ではなくこちらのドイツ語訳(1755年)らしい。

https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/opac/OPP1500?ID=1&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=0&START=1&ORDER=DESC&ORDER_ITEM=SORT4-F&LISTCNT=10&MAXCNT=1000&SEARCHMETHOD=SP_SEARCH&MENUNO=0
『人間知性研究 』1748
デイヴィッド・ヒューム/著  斎藤繁雄/訳  一ノ瀬正樹/訳  
出版者 法政大学出版局 出版年 2004.5  285,7p  付・人間本性論摘要

目次:
哲学の異なった種類について
観念の起源について
観念の連合について
知性の作用に関する懐疑的疑念 ☆
これらの疑念の懐疑論的解決
蓋然性について
必然的結合の観念について
自由と必然性について
動物の理性について
奇蹟について
特 殊的摂理と未来(来世)の状態について
アカデミー的あるいは懐疑的哲学について)
付・人間本性論摘要
An Enquiry Concerning Human Understanding - Wikiquote
https://en.wikiquote.org/wiki/An_Enquiry_Concerning_Human_Understanding
Contents
I: Of the Different Species of Philosophy
II: Of the Origin of Ideas
III: Of the Association of Ideas
IV: Skeptical Doubts Concerning the Operations of the Understanding Part I Part II ☆
V: Skeptical Solution of these Doubts Part I Part II
VI: Of Probability
VII: The Idea of Necessary Connexion Part I Part II
VIII: Of Liberty and Necessity Part I Part II
IX: Of the Reason of Animals
X: Of Miracles Part I Part II
XI: Of a Particular Providence and of a Future State
XII: Of the Academical or Sceptical Philosophy Part I Part II Part III
ヒューム:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
NAMs出版プロジェクト: ヒューム再考*
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_23.html
NAMs出版プロジェクト: 経済学者ヒューム
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html
part2
Nothing so like as eggs; yet no one, on account of this appearing similarity, expects the same taste and relish in all of them. It is only after a long course of uniform experiments in any kind, and we attain a firm reliance and security with regard to a particular event. Now where is that process of reasoning which, from one instance, draws a conclusion so different from that which it infers from a hundred instances that are nowise different from that single one? This question I propose as much for the sake of information, as with an intention of raising difficulties. I cannot find, I cannot imagine any such reasoning. But I keep my mind still open to instruction, if any one will vouchsafe to bestow it on me.

ライプニッツ(1646~1716)
ヒューム(1711~ 1776)
ベンサム(1748~1832年)
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年)
ダーウィン(1809 ~1882)
スペンサー(1820~1903)

☆☆
ライプニッツ、ヒューム、ミルが擁護される。ライプニッツも帰納的側面があるということか。#14付録ではライプニッツの法論が言及される。後年ケインズはニュートンに心酔したが。

ケインズ『確率論』の経済学的意義 清水徹朗
http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc
ケインズ『確率論』に大きな影響を与えたものとして、イギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つがあった。

http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc 
(注)
サミュエルソンはエルゴード性を彼の経済学の基礎に据えたが、ポール・デヴィッドソンはケインズ経済学は非エルゴード的(non-ergodic)な体系であると主張した。なお、杉本栄一は『近代経済学の解明』(1950年)で微視的分析と巨視的分析の関係を考える上で統計力学が参考になると書いており、根岸隆も貨幣数量説の交換方程式と気体の状態方程式の類似性を指摘している(『ミクロ経済学講義』第10章「マクロ経済学のミクロ的基礎」1989年)。
   
哲 学自然科学確率論・数学
1620ベーコン「ノブム・オルガヌム」
1637デカルト「方法序説」
1690ロック「人間悟性論」
1703 ライプニッツ「人間知性新論」
1739ヒューム「人間本性論」
1781カント「純粋理性批判」
1789 ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」
1795 コンドルセ「人間精神進歩史」
1807 ヘーゲル「精神現象学」
1841 フォイエルバッハ「キリスト教の本質」
1843 マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」
1843ミル「論理学体系」
1844コント「実証的精神論」
1869 ケトレー「社会物理学」
1874 ジェボンズ「科学の原理」
1886 エンゲルス「自然の弁証法」
1899 リッケルト「文化科学と自然科学」

1903ムーア「倫理学原理」
1903ラッセル「数学の原理」
1907 ベルクソン「創造的進化」
1909 レーニン「唯物論と経験批判論」
1921 ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
1925 ホワイトヘッド「科学と近代世界」
1927 ハイデッガー「存在と時間」
1929ウィーン学団結成
1609ケプラー「新天文学」
1638ガリレオ「新科学対話」
1687 ニュートン「プリンキピア」
1788 ラグランジュ 「解析力学」
1789 ラボアジェ「化学原論」
1794 エコール・ポリテクニック創設
1799 ラプラス「天体力学」
1822 フーリエ「熱の解析的理論」
1859 ダーウィン「種の起源」
1860 マックスウェル 気体分子の速度分布則
1865 クラジウス エントロピー概念
1887 マイケルソン・モーレーの実験
1895 レントゲン X線を発見

1900 ケルヴィン「熱と光の動力学理論をおおう19世紀の暗雲」
1900 メンデルの遺伝法則再発見
1902 ギブス「統計力学の基本原理」
1905 アインシュタイン 特殊相対性理論
1911 ラザフォード 原子模型
1916 アインシュタイン 一般相対性理論
1919 エディントン 重力による光の歪曲の観測
1926 シュレジンガー 波動力学
1927 ハイゼンベルク 不確定性原理
1953 ワトソン&クリック DNA構造解析 
1654 パスカル&フェルマー 往復書簡
1671 ニュートン 微積分法発見
1713 ベルヌーイ「推測法」
1718 ド・モワブル「偶然の原理」
1763 ベイズの定理
1768 コンドルセ「解析学試論」
1785オイラー「解析小論」
1812 ラプラス「確率の解析理論」
1847ブール「論理の数学的分析」
1884フレーゲ「算術の基礎」

1900 ヒルベルト 「数学の問題」
1910-13 ホワイトヘッド&ラッセル「プリンキピア・マテマティカ」
1914ボレル「偶然論」
1921ケインズ「確率論」
1926 ラムジー「真理と確率」
1928 ミーゼス「確率・統計・真理」
1931ゲーデル 不完全性定理
1931 ジェフリーズ「確率の理論」
1933 コルモゴロフ「確率の基礎概念」
1934 ライヘンバッハ「確率の理論」
1944 フォン・ノイマン&モルゲンシュタイン「ゲーム理論と経済行動」
1950 カルナップ「確率の論理学的基礎」
1954 サヴェジ「統計学の基礎」
1956 ハロッド「帰納論理学の基礎」
企業と生産
家計と消費
市場均衡
市場と競争
資源の最適配分
市場の失敗
最適所得分配
マクロ経済学のミクロ的基礎☆☆☆

☆☆☆
貨幣数量説=流体力学
ヘッジファンド=熱力学(非平衡系)
初期経済学=生物学(血液循環)
 経済学は生物学に還るべきだろう。エコノミーからエコロジーへ。二つの中心。ゲゼルの思想。

http://agora-web.jp/archives/527741.html
…新古典派の「均衡」概念は間違っています。経済のような開放系では均衡は永遠に成立しないので、古典力学をモデルにするのはナンセンスです。むしろ経済を剰余の蕩尽と考えたバタイユのほうが、自然科学的には正しい。

そもそも経済成長を熱的な平衡と考えるのが間違っているからです。むしろ経済学は、本来は非平衡系の熱力学に近いのでしょう。

ケインズ『確率論』の経済学的意義 清水徹朗
http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc
ケインズ『確率論』に大きな影響を与えたものとして、イギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つがあった。
(注)

サミュエルソンはエルゴード性を彼の経済学の基礎に据えたが、ポール・デヴィッドソンはケインズ経済学は非エルゴード的(non-ergodic)な体系であると主張した。なお、杉本栄一は『近代経済学の解明』(1950)で微視的分析と巨視的分析の関係を考える上で統計力学が参考になると書いており、根岸隆も貨幣数量説の交換方程式と気体の状態方程式の類似性を指摘している(『ミクロ経済学講義』第10章「マクロ経済学のミクロ的基礎」1989年)。
(エルゴード的:時間平均=集合平均が成り立つという性質)


NAMs出版プロジェクト: マルコフ連鎖:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html(エルゴード性関連) 


ケインズの哲学: 伊藤 邦武: 本
http://www.amazon.co.jp/372/dp/4000227033/

商品の説明

メディア掲載レビューほか

20世紀を代表する経済学者ケインズ。彼の哲学者としての側面に光を当てた異色の書
20世紀を代表する経済学者のケインズ。彼には外交官,芸術活動のパトロン,会社経営者などの顔があった。本書は,その中で哲学者としてのケインズに焦点を当てた。経済学の大家へと変貌する過程には,純然たる「分析哲学」の徒であったケインズの哲学上の問題意識が深く投影されていた。分析哲学の発展に重要な役割を果たした,若き日の著作『確率論』を考察の中心におき,そこから経済大家としての代表作である『一般理論』の意味を考えてみようという野心的な書である。しかし,本書の別の醍醐味は,英国ケンブリッジにおいてウィトゲンシュタイン,ムーア,ラッセルら分析哲学の友人らとの交流を描いた記述である。その相互の触発と葛藤のドラマの中でケインズの哲学的な思考基盤は固まっていく。それゆえにこそ,『確率論』にはムーア,ラッセルという偉大な哲学者たちの思想を総合して,一つの包括的な認識論,科学論を完成しようという意図が込められていた,と著者は描く。ケインズの思想的背景,経済学の大家のバックボーンがどこにあったかを描く異色の書である。 (ブックレビュー社)
(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
-- ブックレビュー社

内容(「BOOK」データベースより)

ケインズの知的背景には、一九三〇年代ケンブリッジにおけるラッセル、ホワイトヘッド、ウィトゲンシュタイン、ラムジーら思想家たちとの交流があった。『確率論』から『一般理論』に至る思想的変貌の意味を探り、経済学者としてのケインズではなく、哲学者としての側面に焦点を当てる。 
アインシュタイン、ゲーデル。ウィトゲンシュタイン、ケインズ、ゲゼルらの交流は興味深い。
「無味乾燥な骨組みか、神がかりのナンセンスか」ケインズの言葉(伊藤91頁より)。
『確率論』における確率と帰納という並列した主題(並行論?)は、統合されておらず、特にラムゼーはケインズにおける前者を承認し後者に批判的だったという。そして、確率と帰納が個人と社会の分裂と考えられるなら、ケインズは後に貨幣論や一般理論で帰納という社会の側を選択したのだ。伊藤の論を要約するならこうなる(伊藤の見たてと違い、ケインズのライプニッツからニュートンへの鞍替えは変節と言えるもののような気がするが)。
ケインズは前者から後者へ移行したために、後者から前者へ移行したマルクス及びカレツキを理解しようとしなかった。スラッファに示唆されたヴィトゲンシュタインの前期後期の分裂はケインズにおいて内在した課題であり続けている。需要中心のケインズは生産中心のスラッファに間接的に引き寄せられている…
ミクロ経済学的基礎という言葉を使うことで、大雑把に言って個人の問題は偶然性から時間性に姿を変えて経済学におけるその後のケインズ批判の論点となった。ケインズはかつて自分が切り捨てたものに批判されているのだ。それは功利主義内部の闘争だ… 
『確率論』に影響を与えたとされる3要素、つまりイギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つのうち、最後はゲーデルに批判され、前2者は功利主義に吸収されたように見える。
ムーアの倫理学は神の見えざる手のようなもので、功利主義と論理学を繋いだように見えて、経験論を活かし切ることはなかった。

________

『確率論』と『一般理論』におけるKeynes流「不確実性 」観の類別 : 部分連続説の立場から: 高籔,学; 新井,一成 
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/132470/1/18804322_64_14.pdf 
2.「ケインズ問題」と部分連続説
 Keynes( 1921) と Keynes( 1936) が連続した発想のもとにあるか,独立した発想のものなのか,見解の一致
に至りにくい大きな要因として,両著の間に,F.P.Ramsey の「真理と確率」(1926)による Keynes「 確率」 へ
の批判が行われたことが挙げられる。この批判は,確率論の学説史の面でも,Keynes への影響の面でも複数
の解釈が成り立つ。
2-1 学説史的側面
 確率の分類の議論は,古くは Carnap( 1950) などがあるが,近年の代表的な分類としてD.Gillies( 2000) と
T.L.Fine( 1973) が挙がる。Gillies は現代の学説の潮流を,P.S.Laplace( 1814) の古典確率を基礎として,論理
説・主観説・頻度説・傾向説等に分類した。この分類において,Keynes( 1921) は論理説の代表的著書として,
またRamsey( 1926) は主観説の代表的論文として扱われる。さらに Fine は現代の理論として11の理論を挙げ
ており,以下のとおりである。「公理的比較論( Aximatic comparative)」「Kolmogorov の計算法(Kolmogorov’s
caluculus)」「ふつうの相対頻度説」「Von Mises の相対頻度説」「Reichenbach-Salmonの相対頻度説」
「Solomonoff の複雑基盤説(Solomonoff’s complexity-based theory)」「Laprace の古典理論」「Jaynes の古典理論」
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」「De Finetti-Savage の個別的主観説」。このうち Keynes( 1921) は
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」へと,Ramsey( 1926) は「De Finetti-Savage の個別的主観説」へ
とそれぞれ発展的に継承された。特に「De Finetti-Savage の個別的主観説」は Bayes 統計学と相性が良く,そ
の文脈で Ramsey( 1926) が取り上げられることが多い。
 したがって,研究者が論理説の妥当性を認める立場から検討するか,主観説の妥当性を認める立場から検討
するかによって,Keynes( 1921) と Ramsey( 1926) の評価は大きく変わってくる。Ramsey( 1926) の批判を妥
当なものとして Keynes( 1921) の独自解釈を試みた代表的研究に Kybrug( 1998-2000) が,Ramsey( 1926) の批
判の妥当性を懐疑する形で Keynes( 1921) を検討する研究に Brady( 2004) が,どちらの主張でもそれぞれ捉え
きれない論点があることを示した研究に伊藤邦武(1995)が挙げられる。

...
 前提が任意の命題の集合 h からなり,結論が任意の命題の集合 a からなるとする。そのとき,もし h の
「知識」が a に対して度合 α の合理的信念をもつことを正当化するならば, a と h の間に度合 α の確率-関
係があるという。(Keynes( 1921),p. 4 ,邦訳p. 5 )
上記を縮めて a / h = α と表せる。 α を現代的に解釈するならば写像の一種である。
 Keynes は確率関係について,『確率論』において唯一図を用いた説明を行っている。 


図 1 は『確率論』第 3 章で提示されており,「順序系列およびストランド」と名付けられている 1 。
点 OAI と U ~ Z は確率を表す。確実性 I に近づくほど確率は大きく,不可能性 O に近づくほど確率は小さい
という。O と I の間の数本の線が確率のシリーズであり,同一シリーズにない確率は比較不可能である。数値
表現可能な「確率」はシリーズ OAI 上に位置する 2 。
例を示す。W の確率は Z・V より大きく X・Y より小さいことが上の図から判断できるが,X と Y のどちらが
大きいかは判断できない。またUの確率は他のどの確率とも比較不可能である。ここから,Keynes「確率」の
発想は根本的に,「確率」間の順序に不確実さが内在していると解釈できる。たとえば図における X の確率と
Yの確率の順序は不確実である。より一般化していえば,Keynes「確率」の順序の決め方は,以下の規則に
則っている。
(iv) ABC が順序系列を形成し,B が A と C の間に位置し,ならびに BCD が順序系列を形成し,C が
BD 間に位置するならば,ABCD は順序系列を形成し,B は A と D の間に位置する。
(Keynes( 1921),p.41,邦訳p.44)
一般的に確率の順序はふたつの確率の間で決まるが,Keynes は 3 つの間で決まると主張する 3 。Pattanaik
(2000) は三項間の順序が不確実な場合の意思決定について扱っているが,二項間の順序が不確実な場合と比
べて非常に複雑なモデルとなっているため,3 つの間での順序の定義をもつ Keynes「確率」は,確率関係の定
義において順序「不確実性」をもつ。
3-2 推論「不確実性」
 次に Keynes は,推論過程そのものに内在する「不確実性」に触れている。推論は類比によって行われる。
類比は推論者の「知識」によって弱い類比と強い類比に区分され,前提条件や「知識」間の関係により「総肯
定的類比」「帰納的相関」「部分類比」「純粋帰納」等に分類されるが,これら類比のうちもっとも一般的な定
式化は以下のものであろう。
 あるいくつかの場合において,Φ と f が真であることが知られた。そこで,Φ のみが観察されているそ
の他の場合において,f も真であると断言したいのである。
(Keynes( 1921),p.249,邦訳p.259)
Keynes はこれら類比に基づく帰納的推論一般をさして「慣行(common practice)」と呼んだ。この「慣行」の
中で最も多く登場する概念に「推論の重み」がある。
 第 3 章において論じた意味における推論の確率の大きさは,有利な証拠と称せられるものと不利な証拠
と称せられるものとの間のバランスによって決まる。そのバランスを崩さない新しい証拠は,また推論の
確率も変化させない。しかし,推論の間では,ある種の量的比較が可能であるというもう一つの関係があ
るのではないかと思われる。この比較は,有利な証拠と不利な証拠とのバランスによって決まるのではな
く,それぞれ関連のある知識の絶対・・量と関連のある無知の絶対・・量とのバランスによって決まるのである。
(Keynes( 1921),p.77,邦訳p.82)
Keynes によると「推論の大きさ」は推論の初めに「事前確率」を得て以降,「有利な証拠」と「不利な証拠」
のバランスによって上下するが,「推論の重み」は常に増え続けるという。O’Donnell (1989) では「推論の重
み」のモデルとして図 2 が用いられている。 



図 2 で波をうち上下する曲線が「確率」で,単調増加する曲線が「推論の重み」である。「推論の重み」が最
小の状態において,推論者が抱く「確率」と実際の「確率」が異なっているか,どれくらい誤差があるか,い
ずれも全くわからず,不確実である。一方で,考えられる全ての証拠を揃えた場合,「推論の重み」は最大と
なり,このとき推論者の「確率」と実際の「確率」は一致する。図 2 においては最も極端な 2 つの場合が示さ
れている。もし得られた証拠が全て「有利な証拠(*relevant evidence 関連性のある証拠?)」であるなら「確率」は確実性 I に至り,証拠が全て「不利
な証拠」であるなら「確率」は不可能性 O に至る。このことから,「推論の重み」の重さと「不確実性」の間
には密接な関係があり,証拠が全くない状態で「不確実性」は最大で,重みが増すほど「不確実性」は減少す
ると考えられる。 


*9 
適用「不確実性」にあたる現代的論点の例を挙げれば,等確率性(Keynes)の用語では「無差別原理」
)が成立しない事例と成立する事例がある場合に, どちらにも等確率の原理を適用することが「 合理的」とされるために起こるパラドクスなどがこれにあたる。プロスペクト理論等によってこれらパラドクスの解消が試みられてきた。


http://plato.stanford.edu/entries/rationality-normative-utility/
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『確率論』と「若き日の信条」  平井俊顕
.『確率論』の後 ― ラムゼーによる批判の影響
 ラムゼーは『確率論』にたいし,論文「確率と真理」(Ramsey,1926)で根底的批判を展開した。16そして,それをケインズは受容している。公の紙面を割いて,こうした表明を行うのは,ケ インズにあって異例である。既述のように、ケインズの哲学的論文はその後発表されてはいないこともあり、そしてケンブリッジの哲学にあって重要な位置を占 めるラムゼーの批判であることもあり、このできごとはこれまで多くの注目を集めてきた。以下、ラムゼーの批判のポイント、ならびにそれにたいするケインズ の反応をみることにしよう。
 1.ラムゼーによる批判
 ラムゼーによるケインズ『確率論』批判は、主として3点で構成されている。
 第1,命題間の確率関係といったものは存在しない,という批判が来る。ケインズの「確率」の定義そのものの否定である。
もし誰かが一方の命題が他方の命題にどのような確率を与えるのかと尋ねた場合,私はそれに答えるために[ケインズ氏のように]これら命題を注視し,それらの論理的関係を見分けようと試みるかわりに,むしろ,私が知っているのが一方だけと想定して,その場合もう一方の命題にどれだけの度合の信頼をおくべきかを推量しようとするであろう (Ramsey,1996,  83-84ページ)
  つまり,ラムゼーは命題間の確率ではなく,個人がもう一方の命題に寄せる主観確率について語っている。そこには,確率とは個人による判断をめぐる問題との主張がみられる。17
 第2,その主要な諸原理の論述においても整合性が保たれていない,という批判が来る。『確率論』にみられる確率の客観性・主観性をめぐる曖昧性を突くものである。18
 第3帰納法の世界を演繹法の世界に包摂しようとする試みにたいする批判が来る。
…推論を正当化する論理的関係とは,帰結の意味…が,その前提の意味に含まれているということである。だが,帰納的論証の場合には,このようなことは少しも生じていない。これを[ケインズ氏のように]演繹的論証に類似していて,ただその度合が弱いものとするのは不可能である。そこでは帰結の意味が前提の意味に部分的に含まれているというのはばかげている(Ramsey, 1996, 115-116ページ。下線は引用者)
 命題Aと命題Bの間に確率を設定するというのは,命題Bが命題Aから演繹的に(しかも部分的に)導出されるということを意味しない。それをあたかもそうであるかのようにみせるのはおかしい,というのである。
 ラムゼーの批判は,私にとり非常に明快で理解しやすいものである。
 2ケインズの反応
 ケインズがラムゼーのこの批判に応じたのは,ラムゼーにたいする追悼文「哲学者ラムゼー」(Keynes, 1931b)においてである。これは, 193110月時点での「哲学者ケインズ」のスタンスを知るうえできわめて重要な証言であり,「人間論理」(human logic)へのラムゼーの着目にたいする高い評価と,「形式論理」(formal logic)に基づく『確率論』にたいする自己批判とが混在するかたちで語られている。
…彼[ラムゼー],「形式論理」とは識別される「人間論理」を考えるに至った。形式論理は整合的な思考ルール以外には何ら関心をもたない。だがこれに加えてわれわれは,われわれの感性や記憶,およびその他の方法で供給される素材を処理するためのそしてそうして真理に達する…ための,ある「有益な精神的慣習」をもっている。…そのような慣習についての分析もまた一種の論理である。こうしたアイデアの確率論理への適用はきわめて有益である。…ここまでのところ,私はラムゼーに譲る ― 私は彼が正しいと思う(JMK.10, pp. 338-339)
  ここには、「形式論理」を中核にした,命題間の客観的関係としての確率よりも,ラムゼー的な「人間論理」に着目した確率論への賛意がみられる。「私は彼が正しいと思う」という発言は,『確率論』が哲学者ケインズの長期間に及ぶ思考の産物であったことを考慮すると非常な重みをもっている。



以下は300頁を超える大部なので入門書とは言い難いが、この手の本に珍しく貨幣論論争についても言及している(第3章)。

ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書) 
松原 隆一郎; 新書 2011


102:

Hayek, Freidrich August. von. 1931a. Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M.Keynes, Economica,11(33), August, 270-295.
――1931b. The Pure Theory of Money : II.ARejoinder, Economica, 11(34), November, 398-403.
――1932. Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M.Keynes Part II, Economica,12(35), February, 22-44.

Keynes, John Maynard. 1931. The Pure Theory of Money : I.AReply to Dr. Hayek, Economica,11 (34), November, 387-397.



Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M. Keynes | Mises Institute

https://mises.org/library/reflections-pure-theory-money-mr-jm-keynes-0

Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M. Keynes

 Reflections on the Pure Theory of Money of Mr JM Keynes_4.pdf

From Economica, No. 33 (August 1931) and No. 35 (February 1932).


ミュルダールとハイエク
https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=847&item_no=1&attribute_id=25&file_no=1
ヴィクセルとの比較において,ミュルダールのケインズ(とりわけ『貨幣論』)に対する批判的態度は顕著である.J.M.ケインズの新しくすばらしい,しかし必ずしも明晰とはいえない研究貨幣論には,まったくもってヴィクセルからの影響が行き渡っている.それにもかかわらず,ケインズの研究もまた,魅力的なアングロ・サクソン流の不必要な独創性にいくぶん害されており,それはイギリスの経済学者の大半の側におけるドイツ語圏の知識のある程度体系的な欠落に端を発しているのである(Myrdal 1939, 8-9).また,1970 年代にスタグフレーションという問題に直面して,ミュルダールはこう述べた.次第に経済学として主流になったケインズ的アプローチは,あらゆる経済がデフレーションと失業を特徴とする不況に落ち込む傾向を正常と考える明らかに非常に偏ったものであった.ケインズ自身の理論は,彼の本の表題が意味しているような,一般的なものではけっしてなかった.その点に関しては,ヴィクセルの初期の理論のほうが,理論的にすぐれていた(Myrdal1973,17,訳20).

Myrdal, Gunnar. 
――1939. Monetary Equilibrium, translated from German by R. B. Bryce and N. Stolper, New York : Augustus M. Kelly. (貨幣的均衡論傍島省三訳,実業之日本社,1943年.)
――1973. Against the Stream: Critical Essays on Economics, NewYork : Pantheon Books. (反主流の経済学加藤寛・丸尾直美訳,ダイヤモンド社,1975年.)