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禅 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/禅『六祖大師法宝壇経(六祖壇経)』は、神会が六祖慧能を掲げて説いた新しい坐禅と禅定の定義とされる。これを元に後の中国禅宗は確立・発展した。
さらに『景徳傳燈録』に載せる、慧能の弟子の南嶽懐譲(677年 - 744年)とさらにその弟子の馬祖道一(709年 - 788年)の逸話によって坐禅に対する禅宗の姿勢が明らかとなる。
この部分に中国禅宗の要諦が尽されているが、伝統的な仏教の瞑想から大きく飛躍していることがわかる。また一方に、禅宗は釈迦一代の教説を誹謗するものだ、と非難するものがいるのも無理ないことである。しかし、これはあくまでも般若波羅蜜の実践を思想以前の根本から追究した真摯な仏教であり、唐代から宋代にかけて禅宗が興隆を極めたのも事実である。
般若波羅蜜は、此岸―彼岸といった二項対立的な智を超越することを意味するが、瞑想による超越ということでなく、中国禅の祖師たちは、心念の起こらぬところ、即ち概念の分節以前のところに帰ることを目指したのである。だからその活動の中での対話の記録―禅語録―は、日常のロゴスの立場で読むと意味が通らないのである。
中国では老子を開祖とする道教との交流が多かったと思われ、老子の教えと中国禅の共通点は多い。知識を中心としたそれまでの中国の仏教に対して、知識と瞑想による漸悟でなく、頓悟を目標とした仏教として禅は中国で大きな発展を見た。また、禅宗では悟りの伝達である「伝灯」が重んじられ、師匠から弟子へと法が嗣がれて行った。
やがて、北宋代になると、法眼文益が提唱した五家の観念が一般化して五家(五宗)が成立した。さらに、臨済宗中から、黄龍派と楊岐派の勢力が伸長し、五家と肩を並べるまでになり、この二派を含めて五家七宗(ごけしちしゅう)という概念が生まれた。
さらに禅は、もはや禅僧のみの占有物ではなかった。禅本来のもつ能動性により、社会との交渉を積極的にはたらきかけた。よって、教団の枠組みを超え、朱子学・陽明学といった儒教哲学や、漢詩などの文学、水墨による山水画や庭園造立などの美術などの、様々な文化的な事象に広範な影響を与えた。
慧能(六祖、曹渓山宝林寺・南宗)
└ 青原行思 (不詳 - 740年、禅の二大祖師)- 石頭希遷(石頭宗)
└薬山惟儼 - 雲巌曇晟 - 洞山良价(807年 - 869年、曹洞宗開祖)
└天皇道悟 - 龍潭崇信 - 徳山宣鑑 - 雪峰義存 -
└玄沙師備 - 羅漢桂琛 - 清涼文益(885年 - 958年、法眼宗開祖)
└雲門文偃(864年 - 949年、雲門宗開祖)
└南嶽懐譲(677年 - 744年、禅の二大祖師) - 馬祖道一(洪州宗) -
└百丈懐海 -
└黄檗希運 - 臨済義玄(生年不詳 - 867年、臨済宗開祖)-
└三聖慧然
└興化存奨 - 南院慧顒 - 風穴延沼 - 首山省念 -
└汾陽善昭 -
└石霜楚円 -
└楊岐方会(楊岐派)
└黄龍慧南(黄龍派)
└瑯琊慧覚
└広慧元漣
└石門蘊聡
└潙山霊祐 (771年 - 853年) - 仰山慧寂(804年 - 890年、潙山とともに潙仰宗開祖)
└南泉普願 - 趙州従諗
└荷沢神会(荷沢宗開祖)
ラベル: 禅
8 Comments:
レナード・コーエン
zip2000.server-shared.com › leonard-co...
異端のシンガー・ソングライター、レナード・コーエンは、世界中に散らばる彼のファンたちによって、50歳を過ぎてからロック .... それは日本人の臨済宗(禅仏教の代表的宗派) 伝道師、佐々木承周老師という人物です。
釈迦牟尼仏 B.C.463(or593)~
┃
(27代略)
┃
菩提達磨 ?~528年
┃
慧可大祖 487~593年
┃
(3代略)
┃
慧能大観 638~713年
┏━━━┻━━━┓
青原行思 南獄懐譲
┃ ┃
石頭希遷 馬祖道一 709~788年
┃ ┏━━┻━━━━━┓
(以下略) ┃ 南泉普願
百丈懐運 ┃
┣━━━━┓ 趙州従諗
黄檗希運 潙山霊祐
┃ ┃770~853年
臨済義玄 香厳智閑
?~867年 ?~898年
(曹洞宗) (臨済宗)
~~~~
釈迦牟尼仏
┃
(27代略)
┃
菩提達磨
┃
慧可大祖
┃
(3代略)
┃
慧能大観
┏━━━┻━━━┓
青原行思 南獄懐譲
┃ ┃
石頭希遷 馬祖道一
┃ ┏━━┻━━┓
(以下略) ┃ 南泉普願
百丈懐運 ┃
┃ 檀林義空
黄檗希運
┃
臨済義玄
(曹洞宗) (臨済宗)
禅の全盛期も短いことがわかる
浅田彰のいうモダンジャズなどと同じだ
『そもさん』『せっぱ』 どういう意味ですか?
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知恵コレ
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kohedojimaさん2008/10/2311:33:22
『そもさん』『せっぱ』 どういう意味ですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
hekiru80さん 2008/10/2311:43:07
そもさんは漢字で「什麼生」と書き、中国宋代の俗語で「さあどうだ?」とか「いかに?」といった感じの言葉らしいです。
せっぱは「説破」と書き、「答えてやろう」って感じの言葉みたいですね。
つまり、意訳すると
そもさん=これから出す問題に答えられるか?
せっぱ=おう、答えてやろう!!
って感じかな?
喝 - 茶席の禅語選
https://zengo.sk46.com/data/katsu01.html
喝
喝かつ
『臨済録』上堂
僧問、如何是佛法大意。師便喝。僧禮拜。
僧そう問とう、如何いかなるか是これ仏法ぶっぽうの大意たいい。師し便すなわち喝かつす。僧そう礼拝らいはいす。
『新版 禅学大辞典』には、「大きなこえで言うこと。禅宗では種々の意味をもつ。(1)叱りつける。大喝一声。(2)唱えること。(3)師家が学人を導く手段」とある。【喝】
入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「大声でどなること。『カーッ』と発声することではない」とある。【喝】
柴山全慶編『禅林句集』には、「言葉では表現し難い悟りの境地を提示する禪的作用はたらきとしての激しい叫び。又學人を教導する激しい叱咤の叫び。一切を喝破する聲」とある。【喝】
『禅語字彙』には、「叱咤の聲。禪門にて唱ふる喝は、理盡き情亡じて眞機を露呈するところの玄旨あり、臨濟四喝の如く種々の玄機を含む、參じて知るべし。……」とある。【喝】
世界大百科事典 第2版の解説
かつ【喝 hè】
大声でどなりつけること。叱る意。中国の禅宗で,師が弟子を導くのに,経典の講義や説法のほか,日常の挨拶や対話を重視して,言葉で叱り,棒で打つなど,直接行為に訴えるのがそれで,徳山の棒,臨済の喝はもっとも有名だが,そうした喝と棒をあわせて棒喝といい,禅の特殊教育の語となる。大喝一声,一喝を与えるなど,必ずしも叱るのではなくて,いきなり相手の仏性を喚起する場合もあり,そうした種々の用例を,
金剛王宝剣(仁王の刀),探竿影草(魚をさそう),
踞地金毛(獅子のねらい),不作一喝(声をださぬ喝)
という,四つに分類する。
動 静
潜在的 踞地金毛(獅子のねらい),探竿影草(魚をさそう),
現勢的 金剛王宝剣(仁王の刀),不作一喝(声をださぬ喝)
井筒
意識と本質
☆
禅における…
「僧 肇 は『天地と我とは同根。万物は我れと一体』と言っているが、私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人にたいして、南泉普願禅師は庭に咲く一株の花を指しつつ「世人のこの一株の花を見る見方はまるで夢でも見ているようなものだ」と言った(碧巌録、四十)。世人の目に映る感覚的花は花性をその本質として動きのとれぬように固定されたものである。花の花的側面だけはありありと見えているが、花の非花的側面は全
趙州録からなど
禅の引用多数
意識と本質 東洋哲学の共時的構造化のために
本 質 直 観イスラーム哲学断章
禅における言語的意味の問題 ☆
対話と非対話禅問答についての一考察
井筒俊彦
岩波文庫
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