日曜日, 3月 05, 2017

ポールとピエール、ジャネの法則の謎:転載

           (リンク::::::::::精神分析
NAMs出版プロジェクト: ポールとピエール、ジャネの法則の謎:転載
http://nam-students.blogspot.jp/2016/06/blog-post_6.html
NAMs出版プロジェクト: サンクトペテルブルクのパラドックス -ベルヌーイ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/blog-post_44.html

ポールとピエール、ジャネの法則の謎 : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/4946359/
「ジャネの法則(Janet's law)」または「ジャネーの法則」というものがあって、それは「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」というものです。
この法則それ自体は僕個人の経験からも納得できるから謎でもなんでもありませんが、出典がなかなかわからなかったことが「謎」としてずっと気にかかっていました。
ネット上で「ジャネの法則」の「ジャネ」が、心理学者のピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859-1947)のことだという人もいるし、その叔父さんの哲学者ポール・ジャネ( Paul Janet 、1823-1899)のことだという記事もあったからです。日本ではテレビで紹介されて有名になったようですが出典はどのサイトにも正確に紹介されてはいませんでした。

結論から言うと、ピエールが書いた本(『記憶の進化と時間観念L'évolution de la mémoire et la notion du temps』1928)で展開された時間論の中で叔父ポールの説(1876年か1878年に出版されたことは明記されているも正確な出典は未検証)だとして紹介されたものだということがわかりました(フランス語版wikipediaによれば、ポールの書籍もデータ化されているようなので、出典の正確なタイトルも今後の課題として調べていきたいです。以下はデータ化された書籍の一例↓)。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/CadresFenetre?O=NUMM-77814&M=tdm
参考サイト:http://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Janet

正確にはポールの説ですが、ジャネ(ピエール)がジャネ(ポール)の説として紹介して有名になったのだから、「ジャネの法則」のジャネはどっちのジャネでも正解だということになるでしょう。

まるでパゾリーニの言う「自由間接話法」ですが、これによってフロイトより先に無意識を発見したというピエール・ジャネへの興味が一段と大きくなりました。ピエールは「人格」やそれを束ねる「心的エネルギー」を重視し、フロイトのような歴史的時間軸や性的トラウマを必要以上に重視しなかった人です。ベルグソンなどにも引用されたその時間論は以下で後半部を読むことが出来ます(ジャネの法則が開示されるのは以下のサイトでは53ページ)。
http://classiques.uqac.ca/classiques/janet_pierre/evolution_memoire_temps/janet_memoire_temps.pdf

僕はbabelfishの翻訳サイトとyahoo翻訳サービスを駆使して読み取りましたが、ドッグイヤー?などとも言われるウェブ上の体感時間などにも応用可能な理論で、翻訳が待たれます。


参考:
哲学者ポール・ジャネ(Paul Janet 1823 - 1899)↓。

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ポールの甥の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet 1859-1947)、十七歳の時(1876)↓。

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晩年の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet)↓。

a0024841_2152434.jpg



////以下、自動翻訳を使った翻訳プロセスです/////

p53の原文は以下、
「On a essayé bien des systèmes polir expliquer la mesure du temps. Il y a déjà bien
dès années (1876 ou 1878) a paru un article du philosophe Paul Janet, qui a eu sa
petite heure de célébrité. Son explication était très ingénieuse et amusante. Il prétend
que le présent, le temps que nous vivons, est toujours apprécié par rapport au reste de
notre vie. Quand nous sommes un enfant de dix ans, une année de notre vie est le
dixième de la vie. Le dixième, c'est une partie importante de la vie ; par conséquent,
pour l'enfant de dix ans, une année, c'est très long. Quand nous avons vécu soixante
ans et plus, une année n'est plus que la soixantième partie de notre vie ; c'est tout
petit, beaucoup plus petit que le dixième. C'est pour cela que les gens qui vieillissent
trouvent que l'année est courte. Cette explication ne tient pas devant les faits patho-
logiques où les choses varient indéfiniment. 」

これを、http://babelfish.altavista.com/ で自動翻訳すると、

「One tried many systems to polish to explain the measurement of time. There is already well as of years (1876 or 1878) appeared an article of the philosopher Paul Janet, who had his small hour of celebrity. Its explanation was very clever and amusing. It claims that the present, time that we live, is always appreciated compared to the remainder of our life. When we are a ten year old child, one year of our life is the tenth of the life. The tenth, it is a great part of the life; consequently, for the ten year old child, one year, it is very long. When we lived sixty years and more, one year is nothing any more but the sixtieth part of our life; it is very small, much smaller than the tenth. It is for that which people who age find that the year is short. This explanation does not hold in front of the logical facts patho- where the things vary indefinitely.」

となり、これをさらにhttp://honyaku.yahoo.co.jp/ で自動翻訳すると以下になりました。

「人は、時間の測定値を説明するために、光沢剤に多くのシステムをためしました。井戸がすでに、年(1876または1878)で哲学者P・ジャネの記事のように見えたので、あります。そして、その人は有名人の彼の小さな時間を持ちました。その説明は非常に賢くて、面白かったです。それは、現在(我々が生きるという時)が我々の人生の残りと比較して常に有り難いと主張します。我々が10才の子供であるとき、我々の人生の1年は生命の第10です。第10、それは生命の大きな部分です;従って、10才の子供のために、1年、それは非常に長いです。我々が生きたとき、60年と、より、1年はよりこれ以上の何も、しかし、我々の人生の第60の一部です;それは非常に小さいです。そして、第10より非常に小さいです。年をとるどの人々が年が短いとわかるかは、それのためです。この説明は、ものが無期限に異なる論理的事実patho-の前で、保ちません。」

ついでに、google翻訳サイト、http://www.google.co.jp/language_tools?hl=jaだと

「1つは磨くように多くのシステムを説明するために試みた 時間の測定。 年現在によく既にある (1876年か1878年)哲学者の記事は出た 名声の彼の小さい時間を過したポールジャネット。 その 説明は非常に利発、面白かった。 私達が住んでいること現在、時間が、常に認められることを主張する 私達の生命の残りと比較される。 私達が10年の古い子供のとき、1年間の私達の生命は生命の第10である。 第10のそれは生命の大部分である; 従って、10年の古い子供のため、1年、それは非常に長いである。 私達が60年およびもっと住んでいたときに、1年は何ももうしかし私達の生命の第60部分でない; それは非常に小さい、第10より大いに小さい。 それはそれのため年は短いこと年齢の発見かだれにである民を住まわせる。 この説明は論理的な事実のpatho-の前に事がどこに不明確に変わるか保持しない。」

うーん、自分で辞書を引いた方が早いかも。 

追記:
ウィリアム・ジェイムズは『心理学の歴史』#15(17?)でポールの説*している。
* Revue Philosophique、vol。 III。 p。 496。

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3 Comments:

Blogger yoji said...

                ( 経済学、リンク::::::::::)
NAMs出版プロジェクト: 行動経済学:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/blog-post_36.html (本頁)
モーリス・アレ:世代重複モデル(QLG:overlapping generations model)再考
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/qlgoverlapping-generations-model.html
ハーバート・サイモン(Herbert Alexander Simon)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/herbert-alexander-simon.html
NAMs出版プロジェクト: プロスペクト理論:追記
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_19.html
NAMs出版プロジェクト: サンクトペテルブルクのパラドックス -ベルヌーイ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/blog-post_44.html

8:44 午後  
Blogger yoji said...


2001年に行われた共同討議『トラウマと解離』(斉藤環・中井久夫・浅田彰)における浅田彰の発言は、あきらかに『トランスクリティーク』の変奏である。

メディア環境がどんどん解離的な状況を作り出す方向に向かっているのは、よく言われるとおりで、かなりの程度まで事実だろうと思います。メディアに接続することで、ここにいる自分とメディア空間の中の自分が多数多様なペルソナーー場合によっては性を年齢も異なったーーを演じ分けることができる、云々。

また逆に、そこから人間自身の捉え方も変わってくるんですね。統一性のもった心身で手ごたえのある世界を体験する、それこそがリアリティだと言うけれど、哲学的に反省してみれば、実はそれもヴァーチュアル・リアリティのひとつに過ぎない、と。

そもそも、人工知能のパイオニアのミンスキーが『心の社会』という表現を使っているように、心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるけれど、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ、と。(……)人口知能で複数のモジュールを並列的に走らせる実験から逆に類推して、人間だって同じようなものだと考えるわけです。

こうした流れが、フロイトからジャネへの退行にもつながるわけでしょうし、柄谷行人流に言えばカントからヒュームへの退行につながるわけでしょう。ヒュームは、自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ、と考えている。自己の一貫性と言ったって、選挙で内閣が替わっても外国との約束は引き継ぐという程度のものだ、と。ヒュームによるそういう徹底的な解体の後に、カントが、超越論的統覚Xという、いわばどこにもないものを持ってきて、新たな統合を図るわけですね。(……)

まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね。

しかし、多少とも哲学的な立場からすると、それですべてが片付くとはとても思えません。もちろん、いまさら超越論的なものを天下り式に持ってくることはできない。けれども、カントの言った超越論的統覚だって、予定調和的に与えられているのではなく、あくまでXとしてあるわけですからね。あるいは、時代は下るけれど、ジャネが水平の解離を強調したのに対して、フロイトは強引に垂直も抑圧によって無意識まで含めた統合を図ろうとし、ラカンはそれをされに徹底して体系化しようとした、それを思弁的に過ぎると言って批判するのは簡単だけれど、逆にそれなしではものすごく単純な経験論とプラグマティズムに戻ってしまうという危惧があるわけです。
 Les yeux clos: 「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」
http://yokato41.blogspot.jp/2014/06/parallax.html

8:05 午前  
Blogger yoji said...

The Principles of Psychology

William James (1890)

CHAPTER XV.[1]

THE PERCEPTION OF TIME.



Classics in the History of Psychology -- James (1890) Chapter 15
http://psychclassics.yorku.ca/James/Principles/prin15.htm
The same space of time seems shorter as we grow older -- that is, the days, the months, and the years do so; whether the hours do so is doubtful, and the minutes and seconds to all appearance remain about the same.

"Whoever counts many lustra in his memory need only question himself to find that the last of these, the past five years, have sped much more quickly than the preceding periods of equal amount. Let any one remember his last eight or ten school years: it is the space of a century. Compare with them the last eight or ten years of life: it is the space of an hour."

So writes Prof. Paul Janet,[36] and gives a solution which can hardly be said to diminish the mystery. There is a law, he says, by which the apparent length of an interval at a given epoch of a man's life is proportional to the total length of the life itself. A child of 10 feels a year as 1/10 of his whole life -- a man of 50 as 1/50, the whole life meanwhile apparently preserving a constant length. This formula roughly expresses the phenomena, it is true, but cannot possibly be an elementary psychic law; and it is certain that, in great part at least, the foreshortening of the years as we grow older is due to the monotony of memory's content, and the consequent simplification of the backward-glancing view. In youth we may have an absolutely new experience, subjective or objective, every hour of the day. Apprehension is vivid, retentiveness strong, and our recollections of that time, like those of a time spent in rapid and interesting travel, are of something intricate, multitudinous, and long-drawn-out. But as each passing year converts some of this experience into automatic routine which we hardly note at all, the days and the weeks smooth themselves out in recollection to contentless units, and the years grow hollow and collapse.





心理学の歴史における古典 - James(1890)Chapter 15
http://psychclassics.yorku.ca/James/Principles/prin15.htm
私たちが年を取るにつれて、同じ時間間隔が短く見えます。つまり、日、月、年がそうです。 時間がそうであるかどうかは疑わしい、すべての出現への分と秒はほぼ同じままです。

彼の記憶の中で多くのルストラを数える者は、過去5年間のうちの最後のものが、前の等しい量の期間よりはるかに速く走っていることを知ることだけを疑う必要があります。それは世紀の空間であり、過去8〜10年の人生と比較すると、それは1時間のスペースです」

したがってPaul Janet教授( 36 )は、謎を解消するとは言い難い解決法を教えています。 法律があり、人生のある時代のある区間の見かけの長さは人生の全長に比例すると彼は言います。 10人の子供は、彼の一生の10分の1の年であると感じています.50人の人は50人であり、人生全体は一定の長さを保っています。 この式は大まかに現象を表現していますが、それは事実ですが、基本的な精神的な法則ではないでしょう。 大部分は少なくとも、私たちが年を重ねるにつれて短縮される年数は、記憶の内容の単調さに起因し、結果的に後ろ向きに見えるビューを簡素化するためです。 青少年には、毎日のように、主観的または客観的に全く新しい経験があるかもしれません。 不安は鮮やかで、保持力は強く、その時間の思い出は、すばやく興味深い旅行に費やされた時間のように、複雑で、多数で、長く描かれたものです。 しかし、この経験のいくつかは、毎回のことではなく、私たちがほとんど気づいていない自動ルーチンに変換されるので、日と週は無意味なユニットへの想起の中でスムーズになります。

3:11 午後  

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