http://www.freeassociations.org/
アテルイ:NHK「英雄たちの選択 征夷大将軍 坂上田村麻呂」: 転載
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/1000.html
『乱』に見られる森の中に一旦下がる戦術はアテルイがとったもの。
NHK2016年6月,2017年3月2,3日放送
坂上田村麻呂は、ゆるい日本の元祖なのか?!1000年単位で日本史に影響を与えた男 「英雄たちの選択 征夷大将軍 坂上田村麻呂」: さらさらしなしなダイアリー
http://sarasara4747.seesaa.net/article/439052703.html『英雄たちの選択』坂上田村麻呂 : 藤原氏と古代史推進委員会
http://kujoh-hujiwarashi.blog.jp/archives/1058164440.html 本放送・再放送も終了したので内容の要点をUPします☆
古代史上、軍神と称えられる“征夷大将軍”坂上田村麻呂。
ただ、現在私たちが抱く“征夷大将軍”のイメージとは、古代におけるそれは異なり、
忘れてならないのは朝廷官僚の役割が第一義であるということです。
番組はドキュメンタリー映像の合間に、各界の有識者を招いてのトークを挟む進行です。
司会は歴史家の磯田道史さんと、渡邊佐和子アナウンサー。
印象的だったのは、東北学を提唱されている赤坂憲雄さんの“東北側”からの発言の数々。
(最近は、NHKでもドラマ『火怨・北の英雄 アテルイ伝』が放送されたり<2013年>、
吉川弘文館の東北をテーマにしたシリーズも刊行されており、東北は要注目ですね)
まずは根本的な問題なのですが、田村麻呂は中央の支配者・桓武天皇の征夷政策に従って
東北へ進出したわけで、東北側から見れば侵略行為以外の何物でもないわけです。
いつでもどこにでもある、国家対部族の問題、国家を拒絶する人々の存在です。
青森ねぶた祭りで、かつて<坂上田村麻呂賞>なる最高賞が存在したのだが廃止されたという
赤坂さんが話されたエピソードは初耳で、今なお影を落とす例として興味深いものでした。
坂上田村麻呂は征夷大将軍として、蝦夷の族長・阿弖流為らを屈服させた勇猛な武将、
というイメージが強いのですが、武力だけではないのです。
田村麻呂は、最終的には朝廷で正三位大納言にまで昇ります。
娘を桓武天皇の後宮に入れてもいます。つまり朝廷政治家であったはずなのです。
東北在任時は、陸奥出羽按察使兼陸奥守として、東北の政治経営に傾注しています。
近年、秋田城跡からは、田村麻呂と同時代の「狄饗料木簡」が出土しており、
蝦夷の族長らを宴に招くなど懐柔策も盛んに進められていたことが伺えるとのこと。
東北経営のための壮大な規模の胆沢城の建設も進められました。
戦に頼ることなく屈服させる効率性を重視した……つまり中央の財政的窮乏や、
東北の戦後処理についてが、つねに計算されていたのです。
延暦21年(802)、胆沢の族長・阿弖流為(あてるい)と母礼(もれ)らが降伏しました。
ところが阿弖流為らは田村麻呂に助命を要請、肯えば蝦夷全体を朝廷に従うように
説得すると持ち掛けてきた……もしあなたが田村麻呂だったら彼らを信じる or 信じない?
というのが今回の「選択」トーク・テーマでした。
歴史的な結果は周知で、京へ連行した彼らの助命を、田村麻呂は朝廷に嘆願します。
しかし、その提言は中央に受け入れられることなく、2人は処刑されてしまう……。
ただ、蝦夷の指導的立場にあった阿弖流為を処刑したことにより、朝廷の長い蝦夷征伐に
ひとつの区切りをつけることができた……というものです。
出演者のトークが面白くて、漫画家の里中満智子さんは、「田村麻呂と阿弖流為には
信頼関係があった」と思う、さらに助命嘆願も、阿弖流為側から持ち掛けるのは不自然で、
実は田村麻呂側から阿弖流為らに持ち掛けた(仕掛けた)のではないか?
阿弖流為を救いたい田村麻呂の「一世一代の大芝居」ではないかと。
……たしかに、漫画にしたくなるような展開ですね
そこをさらに司会の磯田さんが、“ブラック田村麻呂”説を展開したのは面白かった
確かに阿弖流為からの嘆願は不自然で、田村麻呂が仕組んだかもしれない。
しかしそうすることで阿弖流為のカリスマ性を破壊し、自らが嘆願することで今後の
東北経営も容易になる……さらに助命が成功しようが成功しまいが、どちらへ転んでも
田村麻呂には一切の損はない……そうした政治的計算だったのではないかとw
▲田村麻呂と阿弖流為(ユキムラ『 』エンターブレイン、2012)より
☆★☆
阿弖流為らの犠牲もあり、こののち対蝦夷は穏やかな政策へ転換していきます。
既存の勢力を生かした間接統治のような状態であったといわれています。
志波城の周辺に、蝦夷伝統の形態を維持した族長の墓が見られるそうです。
今後長く続くことになる、地方分権的な日本のスタートといえそうです。
“異質”を取り込むことのできる「ゆるい日本」、文化の共生、寛容、などのキーワードで、
トークは締めくくられていました。
☆次回、気になっている田村麻呂墓について、少々補足☆
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