木曜日, 3月 23, 2017

漱石と資本論


                       ( 文学リンク::::::::: 

NAMs出版プロジェクト: 漱石と資本論
 NAMs出版プロジェクト: 『宗門葛藤集』父母未生以前本來面目
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_76.html

明暗 青空文庫


夏目漱石(金之助)
明治三十五(1902)年三月十五日 中根重一宛(抄)

かくの如き事[*日英同盟]に騒ぎ候はあたかも貧人が富家と縁組を取結びたる喜しさの余り鐘太鼓を叩きて村中かけるやうなものにも候はん。…欧洲今日文明の失敗は明かに貧富の懸隔甚しきに基因致候。この不平均は幾多有為の人材を年々餓死せしめ凍死せしめもしくは無教育に終らしめかへつて平凡なる金持をして愚(おろか)なる主張を実行せしめる傾(かたむき)なくやと存候。カール・マークスの所論の如きは単に純粋の理窟としても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界にこの説の出づるは当然の事と存候。小生は固より政治経済の事に暗く候へども一寸気焔が吐きたくなり候間かような事を申上候。(後略)」(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫)


013夏目漱石『明暗』のなかの「経済学の独逸(ドイツ)書」再論(その3) - akamac book review
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20070327/1174991458
[]013夏目漱石『明暗』のなかの「経済学の独逸(ドイツ)書」再論(その3)Add Star
漱石と『明暗』を巡っては「則天去私」思想との関連,欧米発の社会主義思想との整合性などについて議論があるようだが,ここではかの「経済学の独逸書」とは『資本論』ドイツ語版らしい状況についてまとめて記しておこう。
(1)イギリス留学中に漱石としばらく同宿した,当時帝国大学理科大学助教授池田菊苗からの影響。彼は,学生時代に『資本論』を英訳本で読んでいたという(角野喜六『漱石のロンドン』荒竹書店,1982年,asin:B000J7DE34)。
(2)義父中根重一宛1902年3月15日付け手紙。「(前略)カール・マークスの所論の如きは単に純粋の理窟としても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界にこの説の出づるは当然の事と存候(後略)」(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫,asin:4003111109またはasin:4000072544)とある。
(3)漱石が第一高等中学校本科在学当時のスコットランド人教師ジェームズ・マードックからの影響。「其頃彼は急激なる社会主義者であって,しきりに私に其思想を吹き込んだ。私が若い時代に社会主義に傾いたのは其為めである」(平川祐【正しくは示偏】弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫,1984年,asin:4061586513)と述懐している。
あくまで間接的な判断材料とはいえ,「経済学の独逸書」=『資本論』ドイツ語版とみるほうが自然のように思う。『明暗』では,「あまりに専門的で,またあまりに高尚過ぎた」が,ともかく「一種の自信力」として読了したいと思っていた「経済学の独逸書」は,「そう旨(うま)くは行かないものかな」となった。『明暗』がもし完結したならば,主人公津田のその後の人生行路とともに,再挑戦に値する書物になった可能性もある。その時,津田はどのような感懐を持つのだろうか。
漱石に関心ある読者からの意見や情報を期待したい。(この稿ひとまず完)

 ウィリアム・モリスと夏目漱石、それから宮沢賢治 : 賢治とモリス<研究ノート>
http://setohara.exblog.jp/22716781/
 『ユートピアだより』ではなく『地上楽園』ですが、漱石は当時ラファエロ前派からアーツ&クラフツ運動に関心を寄せていた。ただ社会主義という点では、義父への書簡の中でマルクスに触れて、こう書いている。

 「カール・マークスの所論の如きは単に純粋の理窟としても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界にこの説の出づるは当然の事と存候。小生は固より政治経済の事に暗く候へども一寸気焔が吐きたくなり候間かような事を申上候。」そしてまた、マルクス『資本論』の英訳本も漱石文庫に所蔵されています。ロンドンで購入されたかどうかは不明ですが、漱石が『資本論』にも関心を寄せていたことは否定できないでしょう。

 Marx(k.) Capital. tr. from the Third German Edition by S.Moor & E.Avering.
London:S. Sonnenschein & Co.1902(International Library)

図書カード:明暗

 1117小島英俊・山崎耕一郎著『漱石と『資本論』』 - akamac book review
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20170208/1486561476
書誌情報:祥伝社新書(496),242頁,本体価格800円,2017年2月10日
漱石と『資本論』(祥伝社新書)
--
漱石の蔵書に『資本論』第1巻英語版があったことはよく知られている。本書はここを出発点にしながら新しい知見が披露されているわけではない。漱石『明暗』中の「経済学の独逸(ドイツ)書」には触れておらず漱石論としては評者には不満が残る。
社会主義に共鳴していた漱石とその彼が理解できなかった『資本論』が交差することなくそれぞれ概説されているだけである。
「暴力的革命を煽る『共産党宣言』」(43ページ),「現在邦訳本としてもっとも普及しているのが,1969(昭和44)年刊行の向坂逸郎の訳本(岩波文庫)」(158ページ),「(左翼政党で)『資本論』の内容を生かしたのは,政党ではなく総評本部」(163ページ)は著者の思い入れが強いのだろう。
011夏目漱石『明暗』のなかの「経済学の独逸(ドイツ)書」再論 - akamac book review
■[miscellany]011夏目漱石『明暗』のなかの「経済学の独逸(ドイツ)書」再論Add Star

夏目漱石(1867-1916)の『明暗』は,『朝日新聞』1916(大正5)年5月26日から12月14日まで188回にわたって連載された未完の作品である。漱石は12月9日に死亡したからである。この『明暗』に書名が明示されないある洋書が出てくる。(以下,引用は「青空文庫」のXHTML版を利用した。底本は『夏目漱石全集9』筑摩書房。)

(中略)
彼の机の上には比較的大きな洋書が一冊載(の)せてあった。彼は坐るなりそれを開いて枝折(しおり)の挿(はさ)んである頁(ページ)を目標(めあて)にそこから読みにかかった。けれども三四日(さんよっか)等閑(なおざり)にしておいた咎(とが)が祟(たた)って、前後の続き具合がよく解らなかった。それを考え出そうとするためには勢い前の所をもう一遍読み返さなければならないので、気の差(さ)した彼は、読む事の代りに、ただ頁をばらばらと翻(ひるがえ)して書物の厚味ばかりを苦にするように眺めた。すると前途遼遠(りょうえん)という気が自(おのず)から起った。
彼は結婚後三四カ月目に始めてこの書物を手にした事を思い出した。気がついて見るとそれから今日(こんにち)までにもう二カ月以上も経(た)っているのに、彼の読んだ頁はまだ全体の三分の二にも足らなかった。彼は平生から世間へ出る多くの人が、出るとすぐ書物に遠ざかってしまうのを、さも下らない愚物(ぐぶつ)のように細君の前で罵(ののし)っていた。それを夫の口癖として聴かされた細君はまた彼を本当の勉強家として認めなければならないほど比較的多くの時間が二階で費やされた。前途遼遠という気と共に、面目ないという心持がどこからか出て来て、意地悪く彼の自尊心を擽(くすぐ)った。
しかし今彼が自分の前に拡(ひろ)げている書物から吸収しようと力(つと)めている知識は、彼の日々の業務上に必要なものではなかった。それにはあまりに専門的で、またあまりに高尚過ぎた。学校の講義から得た知識ですら滅多(めった)に実際の役に立った例(ためし)のない今の勤め向きとはほとんど没交渉と云ってもいいくらいのものであった。彼はただそれを一種の自信力として貯(たくわ)えておきたかった。他の注意を惹(ひ)く粧飾(しょうしょく)としても身に着けておきたかった。その困難が今の彼に朧気(おぼろげ)ながら見えて来た時、彼は彼の己惚(おのぼれ)に訊(き)いて見た。
「そう旨(うま)くは行かないものかな」
彼は黙って煙草(たばこ)を吹かした。それから急に気がついたように書物を伏せて立ち上った。そうして足早(あしばや)に階子段をまたぎしぎし鳴らして下へ降りた。
この後,主人公津田が入院(痔の手術?)のため持参する書物を選ぶシーンで,洋書が再現する。

三十九
(中略)
よそ行着(ゆきぎ)を着た細君を労(いたわ)らなければならなかった津田は、やや重い手提鞄(てさげかばん)と小さな風呂敷包(ふろしきづつみ)を、自分の手で戸棚(とだな)から引(ひ)き摺(ず)り出した。包の中には試しに袖(そで)を通したばかりの例の褞袍(どてら)と平絎(ひらぐけ)の寝巻紐(ねまきひも)が這入(はい)っているだけであったが、鞄(かばん)の中からは、楊枝だの歯磨粉(はみがき)だの、使いつけたラヴェンダー色の書翰用紙(しょかんようし)だの、同じ色の封筒だの、万年筆だの、小さい鋏(はさみ)だの、毛抜だのが雑然と現われた。そのうちで一番重くて嵩張(かさば)った大きな洋書を取り出した時、彼はお延に云った。
「これは置いて行くよ」
「そう、でもいつでも机の上に乗っていて、枝折(しおり)が挟(はさ)んであるから、お読みになるのかと思って入れといたのよ」
津田君*1は何にも云わずに、二カ月以上もかかってまだ読み切れない経済学の独逸書(ドイツしょ)を重そうに畳の上に置いた。
「寝ていて読むにゃ重くって駄目だよ」
こう云った津田は、それがこの大部(たいぶ)の書物を残して行く正当の理由であると知りながら、あまり好い心持がしなかった。
「そう、本はどれが要(い)るんだか妾分らないから、あなた自分でお好きなのを択(よ)ってちょうだい」
津田は二階から軽い小説を二三冊持って来て、経済書の代りに鞄の中へ詰(つ)め込んだ。
「経済学の独逸書」について,新潮文庫(ISBN:4101010196)(紅野敏郎)には「マルクス主義関係のドイツ書と思われるもの。」と注解がある。岩波文庫版(ISBN:4003101146)にはなんの注解もない。漱石研究者によってもこの書物が特定されていないことがわかる。というのも,叔父が津田に差し入れする別の洋書については特定されているからだ。

七十六
(前略)
お延はすぐ書物を受け取って表紙を見た。英語の標題が、外国語に熟しない彼女の眼を少し悩ませた。彼女は拾(ひろ)い読(よみ)にぽつぽつ読み下した。ブック・オフ・ジョークス。イングリッシ・ウィット・エンド・ヒュモア。……
(後略)
新潮文庫の注解ではカタカナ表記を英語に直したものが,岩波文庫のそれでは詳細に「"Everybody's Book of Jokes" ロンドンのサクソン社刊。漱石の蔵書中にその名が見える。」「"Everybody's Book of English Wit and Humor" 同じくサクソン社刊の一冊で,漱石の蔵書に名前が見える。」とあり,うえの「経済学の独逸書」は漱石の蔵書にはないらしい。

漱石の蔵書は現在東北大学附属図書館「漱石文庫」(ウェブ版は「夏目漱石ライブラリ」*)に収められている。経済学関係のものは,『資本論』第1巻英語版(1902年刊)とJ. S. ミルの選集のみだ。「比較的大きな洋書」(五)・「一番重くて嵩張った大きな洋書」(三十九)・「経済学の独逸書」(同)・「大部の書物」(同)とははたしてなんだろうか。(この稿つづく)

【タイトルに「再論」としたのは,この問題をすでに10年ほど前,服部文男『マルクス探索』(新日本出版社,1999年8月25日,ISBN:4406026738)が論じているからである。本ブログでは,筆者の力及ばず,服部説を敷衍するにとどまっている。】

漱石文庫データベース簡易検索
漱石文庫データベース検索結果一覧画面
http://www.i-repository.net/il/meta_pub/sresult
Capital. / Marx, K. / trans. fr. the third German ed. by S. Moore & E. / 874 / 画像なし


森嶋通夫は『終わりよければ…』で交響楽的経済学と数理経済学の関係を、漱石の文学評論と文学論の関係になぞらえている。交響楽的、言い換えれば資本論のような総合的経済学を志向するようになった。

本やら映画やら: ■終わりよければすべてよし
http://www.reizaru.sakura.ne.jp/bookblog/2007/08/post_71.html

■終わりよければすべてよし

 森嶋通夫 朝日新聞 20070714
 「単科ディシプリン」という言葉が何回もでてくる。専門家として1つの分野をきわめなければならない、という意味だ。彼にとってそれは数理経済学だった。その立場から、丸山真男や鶴見俊輔らを「ディレッタント」(好事家・素人)と批判する。
 徹底的に単科をきわめた彼が、晩年になると、ウェーバーなどの分析枠組みをつかって、総合的な社会科学をめざしはじめる。ひとつの分野をきわめたうえでの「交響楽的経済学」を目指したのだという。マルクスの総合的な社会経済学理論に対抗するような理論体系をつくろうと考えたのだ。
「なぜ日本は「成功」したか」などの作品がその成果だった。
 それらの著作の完成度はまだ読んでいないからわからないが。


http://ci.nii.ac.jp/els/110009838448.pdf?id=ART0010350432&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1490450357&cp=

 私は漱石から大きい影響を受けていたが,その頃は高等遊民に憧れる段階を卒業しつつあった.私は彼の『文学論』に影響されて,情緒的,主観的な文科の学問を,どうしたら科学化することができるか,必要とあれば数学を使ってでもそうすべきだと考えていた.だから数理経済学というアイディアは,私にとって極めて魅力的であった. (森嶋 [1997] 2001, 37) 


17森嶋(2001)によれば,マルクス(Karl Marx,1818−1883)の『資本論』(1867年)は,リカードウ(David Ricardo, 1772−1823)の『経済学原理と課税』(1817年)の系譜に連なる研究として位置づけることができ,さらに,ワルラス の一般均衡理論の体系に類似した体系を有しているというのである.明示的ではないにせよ,森嶋は,ワルラスが『純 粋経済学要論』の「第七編経済的発展の条件と結果.純粋経済学諸体系の批判」において示した結論は,リカードウ の考えていた経済発展に関する結論である「発展的社会では,賃金はほとんど変化せず,地代は高騰し,利子したが って利潤率は下落する」(森嶋[2001]2005,428)と同様であると考えていた.このようにして,森嶋はワルラスとリ カードウの密接な理論的連関を認識することから,リカードウ,マルクス,ワルラスの経済理論を総合的な体系とし て考えるべきであると主張した.
18さらに,森嶋が「交響楽的経済学」を展開するに至った背後には,経済学の現状に対してある種の危機感があったこ ともまた指摘しておかねばならないだろう.すなわち,「経済理論が数学化されればされる程,経済理論は経済に関係 のない人の愛好物になり,その意味で経済理論の発展は経済の運営にあまり役立っていない」(森嶋[2001]2005,438)」

2 Comments:

Blogger yoji said...

夏目漱石(金之助)
明治三十五(1902)年三月十五日 中根重一宛(抄)

「かくの如き事[*日英同盟]に騒ぎ候はあたかも貧人が富家と縁組を取結びたる喜しさの
余り鐘太鼓を叩きて村中かけるやうなものにも候はん。…欧洲今日文明の失敗は明かに
貧富の懸隔甚しきに基因致候。この不平均は幾多有為の人材を年々餓死せしめ凍死せ
しめもしくは無教育に終らしめかへつて平凡なる金持をして愚(おろか)なる主張を実行せ
しめる傾(かたむき)なくやと存候。…カール・マークスの所論の如きは単に純粋の理窟と
しても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界にこの説の出づるは当然の事と存候。
小生は固より政治経済の事に暗く候へども一寸気焔が吐きたくなり候間かような事を申上候。
(後略)」(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫)

5:55 午前  
Blogger yoji said...

夏目漱石(金之助)
明治三十五(1902)年三月十五日 中根重一宛(抄)

「…欧洲今日文明の失敗は明かに貧富の懸隔甚しきに基因致候。…カール・マークスの
所論の如きは単に純粋の理窟としても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界に
この説の出づるは当然の事と存候。小生は固より政治経済の事に暗く候へども一寸
気焔が吐きたくなり候間かような事を申上候。(後略)」
(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫)

5:55 午前  

コメントを投稿

<< Home