水曜日, 3月 22, 2017

SUZUKI Daisetz 鈴木大拙 NHK婦人の時間(&ジョン・ケージ関連)

              
            (リンク:::::::::仏教

NAMs出版プロジェクト: 臨済録

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_11.html

NAMs出版プロジェクト: 碧巌録

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_23.html

ダブルバインド(Double bind)Bateson, G.1956

SUZUKI Daisetz 鈴木大拙 NHK婦人の時間 聞き手犬養道子

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/suzuki-daisetz-nhk.html

国立国会図書館デジタルコレクション - 仏陀の福音

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/817349

学の発信

http://www2.otani.ac.jp/daisetsumuseum/catalog/c/img/catalog.html

Sutra of Eiheiji.永平寺のお経

https://youtu.be/E1deoPODMUw

1977NHK特集「永平寺」

https://youtu.be/mhTe8Aiz1s4

https://m.youtube.com/watch?t=26m20s&v=mhTe8Aiz1s4 禅問答は42分~


鈴木大拙 NHK婦人の時間 聞き手犬養道子

https://youtu.be/3AKxPpfQs54


DT Suzuki Museum 谷口吉生設計(https://ja.wikipedia.org/wiki/谷口吉生)

The D. T. Suzuki Museum, Kanazawa

https://youtu.be/DTN6VBrKgiU


浅田彰の一貫した宗教(及びその共同体主義的な権力)批判も貴重だが、鈴木大拙の一貫した宗教論も貴重だ。
(鈴木大拙の即非の論理などは浅田の批判する宗教そのものだが、浅田自身も言うように今日の経済学も宗教のようなところがある…)
スウェーデンボルグ論や霊性なる言葉が有名なるが故に、神秘主義的に見られることも多いが、
体系立てた仏教の紹介を鈴木大拙はしていると思う。鈴木大拙による禅の紹介はフロムやベイトソンに示唆を与えた。
上の晩年のインタビューではビートジェネレーションについて触れていて興味深い。


ちなみに黒澤明は宗教は科学的なものと述べ、植木等は自分の父親(僧侶)も同じことを言っていたと感激したらしい。

追記:
大拙とは「大巧は拙なるに似たり」から採ったもので、『老子道徳経』と『碧巌録』が典拠であるという。

碧巌録』の第百則「巴陵吹毛剣」の頌(じゅ)に「不平を平(たいら)げんことを要するも、大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」とあり、この「大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」は『老子』第四十五章の、「大成(たいせい)は欠けたるが若(ごと)きも、其の用は弊(へい)せず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若きも、其の用は窮まらず。大直(たいちょく)は屈せるが若く、大功は拙(せつ)なるが若く、(以下略)」↓からの引用である。

老子『道徳経』(TaoDeChing - Lao Tze)

http://nam21.sakura.ne.jp/tao/#note45
大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜爲天下正。

大成は欠くるがごとくにして、その用弊(やぶ)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきがごとくにして、その用窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は詘(くっ)するがごとく、大功(たいこう)は拙(せつ)なるがごとく、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるがごとし。躁(そう)勝てば寒、静勝てば熱。清静(せいせい)は天下の正たり。 

最も完成したものに達すると、何も完成していないようである。 それを用いてもつきることはない。 最も充満したものに達すると、まだ空虚のようである。 それをもちいても限りがない。 このように、完全にまっすぐなものものは曲がっているかのようである。 最も技量のあるものはくだらないかのようである。 最も雄弁な人は口がきけないかのようである。 こうして、静けさは動きにまさる。 寒さは暑さにまさる。 静けさは天下の模範となる。

以下完全版の再録

上の動画がかなりの短縮版だとわかる

鈴木大拙対談集(ビデオより)

http://www.geocities.co.jp/suzakicojp/daisetutaidansyuu.html

宗教とは

これが私のてもとにある三巻のテープの最後のもの。犬養道子さんがインタビューアとして、昭和39年5月21日、婦人の時間と言う番組でテレビ放送したものらしい。

(犬養)宗教とはなにか?
(大拙)こいつはいろいろな定義があるが、今から2-3年前フランスの詩人*がノーベル賞をもらった時にいった言葉と思うが、「近頃の人は無限に対する憧憬、憧れが足りない」といっている。有限と無限の隔たりに対する関心が薄くなっている、それが近代人の弊と思う、と言うわけだ。

自由を失うという、苦しいという、限られたものを感じているというのは、それが無限を感じるという事からくるに決まっている。それでなければ理屈がなり立たない。

有限の中におって、そういう感情を起こすのは無限を感じているからなのだ。その関心を持つのが宗教だ。これが一番わかりやすいと思う。


サン=ジョン・ペルス 1960年ノーベル文学賞受賞

《詩人はわれわれにとって、存在の永遠性ならびに統一性との連絡を保つきずなとなる》『現代フランス詩論』135頁

ーー

[(犬養)誰でも有限の中に生きている。それで生きるというのが宗教と言うことですか?
(大拙)そうですね、川柳にこういうのがある、いつまでも生きる顔(つもり)のひとばかり。だったかな?

そいつが面白い。これは風刺ともいえるが、そうでなくて、実際みな生きている。ところがそれに対して不平を持つーそれが無限についているが、持っているものに気が付かない。]

ーー


(犬養)技術、科学の限界ということについては?
(大拙)科学は魚を取る網のようなものですね。目を細かくしても限りがある。人のやる事だから限りがある。網にかかったものを科学者がいじるわけだから、科学者も宗教に目を向けるという事だ。

(犬養)無限へのあこがれとは?
(大拙)これは、、、未来も過去もない、現在もない、ただあるものはinstant・即今だ。これだけが事実ですね。

それを人間の知恵で分析して、時間と言うものをたてて、そこに過去未来と言うものをこしらえたが、本当の無限のなかに入ればそういうものもなくなる。

そうすると、今に生きる、つまりキリストの言う、明日のことを思い煩うな、今日のことは今日で足りる、ということ。

今限りと言うことの自覚、直覚があるというところに宗教があるとこういいたい。

ーー

(犬養)こうお聞きするとわかったようで、わからないという気がしますが。
(大拙)そうなのだ。(笑い)
ただ、わかったようでわからないというところに何か、わかったものがないとそういえないのだ。

それをわかるようにしよう、と言うのが宗教だ。

(犬養)今、こういう話を聞いている時、頭でかんがえるからわからなくなるんでしょうか?
(大拙)そう、分別するから、あるいは科学の言葉で言うと、分析するからだ。そのままに鵜呑みにするというと弊があるかもしれないが、そこに安心が出来る。そしてその上に立って、生き死に、困る、困らん、ということがある。

私はそう考えている、と言うか、そういう事にしておる。

ーー

[(犬養)頭とかいろいろ便利ですがそれ以上のものですね。
(大拙)それですね、、言葉、これが面倒でして、言葉のおかげで人間が万物の長と力んでいるんですが、その言葉は現実でない。本物でない。

ここに茶碗があるが、例えば貨幣は使うのに便利だからあるが、貨幣は本物でない。それと同じで、言葉で茶碗と言うものに付いて話が出来るわけで、いつも茶碗をもっていたら大変だ。

便利は便利、けれど、それを本物とおもっちゃいかんということですね。]

ーー

[日本人の心は、心に心迷わすなとかいうが、日本的霊性としても人々、国々で使い方が違う。

といっても自然や社会の環境によってみな大分影響されている。そこで変わらんと言うわけにはいかないでしょう。

国を先にたてても、世界的視野をなくすわけには行かんので、世界が日本に、又日本が世界に入っていくというように日本的霊性も変わっていくだろう。

日常の小さなこと、物に気が付いて、そこに万物に包まれた何かを見る。こういうのが日本人の特色でしょう。

こういう日本的なものの特徴を、世界に貢献すべきなにかを持っていると思うんですな。]

ーー

(犬養)大地性についていろいろと、おっしゃていますが、このごろこれが、なくなっていくのではないでしょうか?

(大拙)これがね、インドの人は限りない大空を見る。ところが、西洋の人は感じ方になにか限りがある。そこでゴチックのようなものをこしらえる。限られたものがあるからああいうものに成る。

インドは限りないからそんなもの立ててもしょうがない。

そこで、シナの人は大地を離れない。
無限を大地にひきつける。日常生活に大地が入ってくる。

その土地をある一点に集めて、例えばナズナの垣根など、一点に小さなものを見るというのが日本的なものだ。その辺を日本人は忘れる事はないと思う。

例えば床の間に一輪の花をかけておく。是をみて西洋の人がなんだと思う。しかし我々はアレを見て面白いと見ると、今の日本人もそう受け取れられるとおもう。そこに霊性のひらめきがあるといいたいですな。]

ーー

(犬養)インテリが宗教に興味を持ち出しているという事があるようですが。

(大拙)禅が西洋にはやる、と言うと御幣がありますが、カリフォルニアなどでビートジェネレーション**等といいますが、まあ若い人は縛られるより奔放自在になりたがるというのは当たり前でしょう。

開放されたいという気持ちが科学の進歩と違った方向に出てくるのではとおもいます。今が転換の時期でしょう。

ただ目的があるような、ないようなもので、100年先はどうなるかわからん、けれど目当てを持たないと仕事が出来ない。そういうのが限られた所です。又そこに面白いところがある。


** 

《ぼくは、『金剛般若経』に「慈善ヲ行ナウベシ。サレド慈善ヲ慈善ヲナストノ考エハイササカモ心ニ抱クコトナカレ。慈善トハ、所詮、言葉ニス過ギヌモノナレバナリ」と書かれていたのを思い出した。》ジャック・ケルアック『禅ヒッピー』邦訳3頁より 

実にスブーティよ 、求道者の道に向かうものは 、このように 、跡をのこしたいという思いにとらわれないようにして施しをしなければならないのだ 。》岩波文庫金剛般若経#4


ーー


日本の仏教学者
鈴木 大拙
(すずき だいせつ)
1870年11月11日 - 1966年7月12日
Daisetsu Teitarō Suzuki photographed by Shigeru Tamura.jpg
1953年頃撮影
貞太郎(ていたろう)
大拙(だいせつ)
生地石川県金沢市下本田村(現・本多町3丁目)
没地東京築地聖路加病院
宗派臨済宗
寺院円覚寺正伝庵
今北洪川釈宗演
弟子柳宗悦松方三郎
著作大乗起信論』〔英訳〕(1900年)
『大乗仏教概論』〔英文〕(1908年)
『禅論文集1-3』〔英文〕(1927年、1933年、1934年)
『浄土系思想論』(1942年)
『禅思想史研究第一 盤珪禅』(1943年)
『日本的霊性』(1944年)
『臨済の基本思想』(1949年)[1]

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)[2][3][4]1870年11月11日明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。[要出典]1949年に文化勲章日本学士院会員

名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した[5]

生前、1963年ノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[6]

来歴編集

鈴木大拙、ベアトリス夫妻の墓
金沢市野田山墓地

石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。

第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺今北洪川釈宗演参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒ベアトリス・レインと出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より「大拙」の居士号を受ける。大拙とは「大巧は拙なるに似たり」から採ったもので、『老子道徳経』と『碧巌録』が典拠であるという[7]

1897年に釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

1909年に帰国し、円覚寺の正伝庵に住み、学習院に赴任。英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦松方三郎等がいる。1911年にベアトリスと結婚。1921年に大谷大学教授に就任して、京都に転居した。同年、同大学内に東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』(Eastern Buddhist )を創刊した(現在も同協会より刊行中)。1939年、夫人ベアトリス・レイン死去。大拙に先立つこと27年であった。

晩年は鎌倉に在住、北鎌倉の東慶寺住職井上禅定と共に、1941年に自ら創設した「松ヶ岡文庫」(東慶寺に隣接)で研究生活を行った。1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中華民国胡適と禅研究法に関して討論を行う。同年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章した。1950年より1958年にかけ、アメリカ各地で仏教思想の講義を行った。1952年から1957年までは、コロンビア大学に客員教授として滞在し仏教とくに禅の思想の授業を行い、ニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった。ハワイ大学エール大学ハーバード大学プリンストン大学などでも講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングらが主催したスイスでの「エラノス会議」に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリなどヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。ハイデッガーとも個人的に交流があった。1959年に至るまで欧米各国の大学で、仏教思想や日本文化についても講義を行った。

1960年に大谷大学を退任し名誉教授となる。90代に入っても研究生活を続けた。

1966年に、絞扼性腸閉塞のため[8]東京築地の聖路加病院で死去、没年95。[9][10]

没後は、鈴木学術財団松ヶ岡文庫)が設立された。

墓所は金沢市野田山墓地の鈴木家墓所と、北鎌倉東慶寺、なお同じ境内に、岩波書店初代店主岩波茂雄や、西田幾多郎和辻哲郎安倍能成らの墓がある。毎年命日である7月12日には、大拙忌法要が行われる。

家族編集

東京ブギウギ」の作詞者・鈴木アラン(勝)は、大拙とベアトリスの実子とも養子とも言われる。その妻がジャズ歌手の池真理子で、その間に生まれたのがセラピストの池麻耶である[11]

《霊性の自覚》と《即非の論理》編集

大拙は仏教の核心に、霊性の自覚を見出した。大拙の生涯の思索の大部分はその《霊性の自覚》に向けられていたといってもよく、これが普遍性や世界性を持つと確信したので、仏教思想を欧米へも紹介したのである。大拙が見出した仏教の霊性的自覚というのは《即非の論理》の体得である。

彼の著作群は膨大な量にのぼるが、その多くが《霊性の自覚》や《即非の論理》を巡るものとしてとらえることができる。たとえば『禅論文集1-3』は、における霊性的自覚つまり悟りの具体相と心理的過程をとらえている。『禅思想史研究第一 盤珪禅』は盤珪の不生禅を霊性的自覚としてとらえなおしたものである。『日本的霊性』は日本における《霊性の自覚》の歴史を解明した書である。『臨済の基本思想』は臨済が唱えた一無位真人のうちに《霊性の自覚》を見出したものである。『浄土系思想論』は浄土思想を《霊性の自覚》の立場から扱ったものである。

年表編集

詳細は鈴木大拙館の略歴を参照[2]

脚注編集

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  1. ^ 鈴木大拙 主な著作年表” (日本語). 鈴木大拙館. 2014年5月31日閲覧。
  2. a b 鈴木大拙 略歴” (日本語). 鈴木大拙館. 2012年2月17日閲覧。
  3. ^ Daisetz Teitaro Suzuki; D.Litt (1935年). “Manual of Zen Buddhism (PDF)” (英語). Buddha Dharma Education Association Inc.. 2012年2月17日閲覧。
  4. ^ D.T.SUZUKI DOCUMENTARY PROJECT. “A ZEN LIFE” (日本語). Japan Inter-Culture Foundation. 2012年2月17日閲覧。
  5. ^ 鎌倉文学散歩安宅夏夫、松尾順造、保育社, 1993、p11
  6. ^ Nomination Database
  7. ^ 山田奨治『東京ブギウギと鈴木大拙』人文書院、2015年。「大巧は拙なるに似たり」は、『碧巌録』の第百則「巴陵吹毛剣」の頌(じゅ)に「不平を平(たいら)げんことを要するも、大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」とあり、この「大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」は『老子』第四十五章の、「大成(たいせい)は欠けたるが若(ごと)きも、其の用は弊(へい)せず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若きも、其の用は窮まらず。大直(たいちょく)は屈せるが若く、大功は拙(せつ)なるが若く、(以下略)」からの引用である。
  8. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)15頁
  9. ^ 晩年の大拙の主治医が日野原重明で、その最後も看取った。なお親しくしていた東慶寺住職だった井上禅定は「大拙は惜しいことをした。(好物の)牡蠣をくって亡くなったのだ」という(http://www.geocities.jp/fujisawa_church/shiryo/bud-chr.htm#(1)) (カトリック藤沢教会のウェブページより。執筆は兼子盾夫・横浜女子短期大学元教授 西洋哲学専攻。兼子は大学生のとき、クリスチャンながら東慶寺で庭の草抜きのアルバイトをしていてその折に井上から聞いたという。なお同様の話は東慶寺での施餓鬼会での法話でも何度かなされている)。なお、日野原のみたてでは腸間膜動脈血栓症の疑いが強かったが、解剖の結果、拘緊性腸閉塞であったという(日野原『死をどう生きたか』中公新書、1983年)。なお『日本的霊性』(岩波文庫、篠田英雄「解説」)での年譜では腸間膜動脈血栓症と表記されている。
  10. ^ 大拙が没した際、ニュースを読み上げた宿直明けのアナウンサーが、原稿に禅と書いてあるのをと読み違えて「蝉の研究で有名な鈴木大拙氏が亡くなりました。著書には英文による『蝉と日本文化』…」と、誤って読み上げてしまい進退伺いを出すことになった。が、慰留された、という。(出典:柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店1995年、p.279。なお彼は自著の著者紹介で「“”の研究家」と誤植されたこともある。
  11. ^ 池麻耶・伊藤玄二郎「祖父・鈴木大拙と私」『かまくら春秋』2015年1月

主な著書編集

  • 『鈴木大拙全集 増補新版』 (全40巻、岩波書店、1999年-2003年)
    • 旧版『鈴木大拙全集』(全32巻、1968-71年、復刊1980-83年)
    • 『禅思想史研究』(全4冊、岩波書店、復刊1987年)
  • 『鈴木大拙禅選集』 (全11巻別巻1、春秋社、新装版2001年)
  • 『日本的霊性』 角川ソフィア文庫(完全版、解説末木文美士
  • 『浄土系思想論』(法蔵館、新版1999年/岩波文庫、2016年)
  • 『無心ということ』 角川ソフィア文庫(新版2007年)
  • 『禅とは何か』 角川ソフィア文庫(新版2008年)
  • 『一禅者の思索』(講談社学術文庫、1987年)。講演、随想集
  • 『禅の第一義』(平凡社ライブラリー、2011年)-初期代表作
  • 『東洋的な見方』 (上田閑照編、岩波文庫、1997年)。随想集
  • 『東洋の心』 (春秋社、新版2011年) ISBN 4393133994 - 講演集・同社で多数刊。
  • 『東洋的一』 (大東出版社、新版2010年) ISBN 4500007504、同社で多数刊。
  • 『鈴木大拙の世界』 (燈影撰書15:燈影舎) ISBN 4924520306。随想集
  • 『仏教の大意』(角川ソフィア文庫、2017年/中公クラシックス、2017年)。講義録、文庫解説は若松英輔
  • 『禅のつれづれ』(河出書房新社、2017年)。随想集、新書版

主な英文著作(訳本)編集

CD編集

  • 『CD版禅者のことば 鈴木大拙講演選集<全6巻>』(アートデイズ
  • 『禅と科学』、『最も東洋的なるもの』、『禅との出会い―私の自叙伝』
鈴木大拙講演、新潮カセット&CD (新潮社、新版2007年)
  • 『CDブック 大拙 禅を語る-世界を感動させた三つの英語講演』
アートデイズ、2006年、重松宗育監修・日本語訳) ISBN 4861190665-英語講演

関連文献編集

  • 『鈴木大拙 人と思想』 久松真一山口益古田紹欽編、岩波書店、1971年、復刊1980年
  • 『回想 鈴木大拙』 西谷啓治編、春秋社、1975年
  • 『鈴木大拙の人と学問 禅選集・別巻』 古田紹欽編、春秋社、新装版2001年
  • 古田紹欽 『鈴木大拙 その人とその思想』 春秋社、1993年
    • 『鈴木大拙坐談集』(全5巻、古田編)、読売新聞社、1971-72年
       1人間の智慧、2東洋と西洋、3現代人と宗教、4弥陀の本願、5禅の世界
  • 『大叔父・鈴木大拙からの手紙』 林田久美野編・解説、法蔵館、1995年
  • 西村惠信 『鈴木大拙の原風景』大蔵出版、1993年/大法輪閣(新装改訂版)、2016年
    • 西田幾多郎宛 鈴木大拙書簡 億劫相別れて須臾も離れず』 西村惠信編、岩波書店、2004年
  • 竹村牧男 『西田幾多郎と鈴木大拙 その魂の交流に聴く』 大東出版社、2004年
    • 『〈宗教〉の核心 西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』 春秋社 2012年
  • 岩倉政治 『真人・鈴木大拙』 法蔵館、1986年
  • 『鈴木大拙と日本文化』 浅見洋編、朝文社、2010年-記念シンポジウムほか
  • 『鈴木大拙 没後40年』 松ヶ岡文庫編、河出書房新社KAWADE道の手帖〉、2006年。※以下は主に入門書
  • 上田閑照岡村美穂子編 『鈴木大拙とは誰か』 岩波現代文庫、2002年。下記も収録(一部)。なお岡村美穂子は秘書
    • 『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』 <燈影撰書30>燈影舎、1999年、増補新版2008年
    • 『思い出の小箱から 鈴木大拙のこと』 <燈影撰書29>燈影舎、1997年
    • 『相貌と風貌 鈴木大拙写真集』 禅文化研究所、2005年
  • 秋月龍珉 『鈴木大拙』 講談社学術文庫、2004年。元版『鈴木大拙の言葉と思想』 講談社現代新書、1967年
    • 『世界の禅者 鈴木大拙の生涯』 岩波書店・同時代ライブラリー、1992年。上記の改訂版
    • 『著作集6 人類の教師・鈴木大拙』、 『7 鈴木禅学入門』、『8 鈴木禅学と西田哲学の接点』 三一書房、1978年
      • 『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』 青土社、1996年。第8巻の続編
  • 森清 『大拙と幾多郎』 朝日新聞社朝日選書〉、1991年/岩波現代文庫(増補版)、2011年
  • 『禅 鈴木大拙-没後40年-』 北國新聞社編集局編、時鐘舎新書、2006年 新版2011年
  • 大熊玄 『鈴木大拙の言葉』 朝文社、2007年 新版2009年、2015年

関連項目編集

  • 鈴木大拙館 - 生誕の地である石川県金沢市本多町に建てられたら金沢市立の文化施設。
  • 心 (雑誌) - 同人参加


ハイデガーとも交流があったらしい。

Amazon.co.jp: Zen Buddhism: Selected Writings of D.T. Suzuki: Daisetz T. Suzuki, William Barrett: 洋書

https://www.amazon.co.jp/Zen-Buddhism-Selected-Writings-Suzuki/dp/038548349X/ 序文

By William Berrett, "Zen for the West" in ZEN BUDHISM: Selected Writings of D. T. SUZUKI、Three Leaves Press, Doubleday New York, 2006.
 こうした認識に向けて、今日の哲学者が、その道を歩ゆみはじめている。そのうち、現存する最も独創的で著名なヨーロッパ哲学者は、ドイツの実存主義者、マルティン・ハイデッガーである。ある日、ハイデッガーの友人が、こう私に言ったことがある。彼がハイデッガーをたずねた時、ハイデッガーは鈴木大拙の本を読んでおり、「もし、私がこの人物を正しく理解しているとすれば、それは、私のすべての著作をもって私が言わんとしていることだ」、と注釈したという。
 この注釈は、鈴木の書より刺激を受けたその感激を誇張したものだろうが、ハイデッガーの哲学は、その流れといい、その特徴といい、その基盤といい、西洋の中心をなすものである。そしてもちろん、禅にはないものがハイデッガーにあり、また、ハイデッガーにないものが禅にはあるのだが、そうした違いにもかかわらず、両者間の共通性には驚嘆するに十分なものがある。つまり、ハイデッガーの最終的な主張、すなわち、西洋哲学が巨大な錯誤であった、とはどういうことなのかといえば、それは、人間をして、存在自身の統合性からも、自分の存在からも切り離してきた、二元論的知性のもたらす結果であったということなのである。

 
別宮:  議論の方向が定まるんですよ、一言でね。
 
金光:  随分いろんな有名な方にもお会いになっていらっしゃいますね。今日、お持ち頂いたこの写真ですと、この向かって右は、
 
別宮:  ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー博士(Martin Heidegger:1889-1976)です。
金光:  あの『存在と時間』のハイデッガーさんですか。
 
別宮:  そうです。先生はなんか本を読んでおられて、この人に会いたいとなりますと、すうっと行こうとされます。フランスの哲学者でキリスト教実存主義の思想家ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel:1889-1973)とか。それでお会いになってみる。面白いのは、哲学者、神秘家、ドミニコ会の高位の宗教家エックハルト(Meister Eckhart:ドイツ中世の神学者:一二六○ー一三二九)。それを読んでおられて、「エックハルトがここにいたらなあ」とおっしゃるんですよ。「話したいことがいくらでもあるんだがなあ」と言われたり、
 
上田:  それがほんとうに面白いですね。
 
金光:  やっぱりいろんな方にお会いになった時に、お会いになった後で感想なんかおっしゃるわけでしょう。
 
別宮:  そうなんです。ハイデッガー博士の時は、お会いになって玄関の階段を下りて来られる時に、独り言のように、「西田にそっくりだ」とおっしゃるんです。
 
金光:  ご自分でおっしゃっているんですね、独り言で。
 
別宮:  私はたまたま側にいたわけですけれども、「西田にそっくりだ」とおっしゃって、感心しておられました。「どうしてあんなに似るんだろう」というような感じでね。
 
上田:  それでいま「西田にそっくりだ」ということをお聞きして、実は、今日は西田幾多郎先生の祥月命日(しょうつきめいにち)なんですね。一九四五年(昭和二十年)六月七日、今日お亡くなりになられました。その時に、大拙先生は「ひたむきに泣くより仕方がなかった」と。柱によりかかって泣いておられました。西田先生が大拙先生のことを、大拙先生の本に序文を書いておられるところがありますね。それが非常に面白い文章ですし、如何にも大拙先生をよく表していると思いますので、ちょっと時間を取らせて頂いて、引用してみます。こういうふうになっています。
大拙君は高い山が雲の上へ頭を出しているような人である。そしてそこから世間を眺めている。否、自分自身をも眺めているのである。まったく何もないところから物事を見ているような人である。そのいうところが時に奇抜なように聞こえることがあっても、それは君の自然から流れ出るのである。君にはなんら作為というものはない。その考えるところがあまりに冷静と思われることがあっても、その底には深い人間愛の涙をたたえているのである。
君は一見羅漢の如く、人間離れをしているが、しかも非常に情に細やかなところがある。無頓着のようであるが、しかも、事に忠実で綿密である。君は学才の豊かな洞察に富む人と思う。しばしば耐え難き人事に遭遇して、困る困るとは言っているが、どこか淡々として、いつも行雲流水(こううんりゅうすい)の趣を存している。私は多くの友を持ち、多くの人に交わったが、君の如きは稀である。君はもっとも偉そうでなくて、もっとも偉い人かも知れない。私は思想上君に負うところが多い。
(鈴木大拙著『文化と宗教』昭和十七年と『禅と日本文化』昭和十五年の二著への西田の序から引用)
 
私のとっても好きな文章ですし、大拙先生が実によく表されていると思います。

 

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サイレンス──鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ - TOWER RECORDS ONLINE
http://tower.jp/article/series/2012/08/20/silence
サイレンス──鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ
intoxicate
連載: OCHANOMA Pre-View
掲載: 2012年08月17日 21:29
ソース: intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)
文/柿沼敏江
鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ




John Cage and Daisetz Teitaro Suzuki (Japan, 1962)
Photographer: Yasuhiro Yoshioka
Courtesy of the John Cage Trust
インドから東アジアへ

ジョン・ケージ(1912-1982)と東洋思想の関わりは1940年代にニューヨークで出会ったインド の音楽家、ギタ・サラバイとの関わりに始まる。日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチの紹介によって、二人は知り合いになり、たがいに西洋音楽とインド音 楽を教えあう仲になった。インドの思想をよりよく知るためにケージはアーナンダ・クーマラスワミの著書『シヴァ神の踊り』や『芸術における自然の変容』な どを読んだ。またサラバイはインドに帰国するときに『シュリ・ラーマクリシュナの福音』をプレゼントしてくれた。こうした関わりを通じてインドの思想は ケージの音楽を大きく変え、《ソナタとインターリュード》《四季》《4部の弦楽四重奏曲(1950)》といった重要な作品を生むことになった。しかしその後、ケージの 関心は南アジアからさらに東アジアへと移っていき、その音楽は一層大きな変貌を遂げることになる。そのきわめて重要なきっかけとなったのが、仏教学者、鈴 木大拙(1870-1966)のコロンビア大学における講義であり、その教えであった。

石川県金沢市に生まれた鈴木大拙(本名は貞太郎)は、僧侶のような風貌をたたえてはいるものの、僧籍には入ったことのない宗教哲学者である。新制の第4中 学校では西田幾多郎と同級だったが、家計の都合で中学を途中退学し、小学校の英語教師となった。その後上京し、東京専門学校(現在の早稲田大学)、そして 東京帝国大学哲学科に入学。在学中に鎌倉の円覚寺で禅を学び、管長の釋宋演老師から「大拙」という道号を受けた。1897年、中国古典の英訳の助手として 渡米し、仏教書の英訳を行なって注目される。1909年に帰国した後、学習院大学教授に就任し、アメリカ人女性ビアトリス・アースキン・レーンと結婚。 1921年に京都の真宗大谷大学教授となり、英語の仏教雑誌などを創刊し、また海外各地の大学などで東洋思想を講義するようになった。ZENという横文字 を最初に用い、広めたのは大拙であった。

『鈴木大拙全集』の年譜によると、コロンビア大学との関わりは1951年に始まり、まずは「特別講義」と いう形で行なわれた。だが、1952年になると、通常の講義となり、週2回1時間ずつの講義として、2月5日から行なわれるようになった。ケージが出席し たのは、時期的にいって、このときからだと思われる。
ケージがこの講義から受けた影響は、ただ禅や仏教思想に関わるだけでなく、それ以上に大きな広がりをもつものであった。それはただケージの音楽を変
えただけでなく、その後生涯にわたってこの作曲家に影響を与え続けることになった。表現のあり方について 言えば、ケージは初期の作品ではときどき何かを「言う」ことに成功したこともあったが、「インドを発見して」、言うことが変わってきたと言う。そして「中 国と日本を発見」したときに、「何かを言うという行為自体が変わり」、「私は何も言わなくなった。沈黙したんです」と明確に述べている(『小鳥たちのため に』)。「私には言うべきことが何もない、と言いながらそう言っている」とはケージが好んで言うフレーズであるが、それはこの大拙との出会いから生まれて いるとも言えよう。コロンビア大学での大拙の講義は、1952年から1957年まで、ときにはセミナーという形で、毎年行な われた。ケージはそのうち3年間にわたって出席したと述べているが、どのくらいの頻度で講義を聞いたのかは分かっていない。講義の内容は「華厳哲学」「禅 の哲学と宗教」「菩提達磨とその著述」などであったらしい。シルヴァーマンのケージの伝記によると、大拙は風呂敷に包んだ本を持って教室に入ってきて、 ゆっくりと静かに話した。講義が始まっても10分くらい何も言わないこともあったが、その沈黙で学生たちが苛立つことはなかった。ケージはそのかわりに 「クエイカー教徒の集会でも経験できないような美しい静けさ」を体験したという。



次の記事: サイレンス(2)

。。。。

ジョン・ケージ初来日(1962)~鈴木大拙との会話&オノ・ヨーコ - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/d4a65ba9f6db638c74436e6215d47a14
「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。

ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。

【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】

この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。


ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)

鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。

ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。

鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。

ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。

鈴木 なるほど。

ケージ 僕たちは、音は、ただ音であるようにしたいと思っています。

(芸術新潮1962年11月号「前衛音楽の発想と展開」より)




※1 鈴木大拙(1870-1966) 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者。

※2 David Tudor(1926-1996) アメリカの現代音楽のピアニスト、作曲家。
(※1,2 Wikipediaより)



芸術新潮1962年11月号
鈴木大拙は対談冒頭で禅への心理学的アプローチを批判している。
永平寺の暁の行事(午前3時の勤行)を音楽的に賞賛している。
ジョン・ケージは易経からの影響が知られるが、鈴木大拙による老子英訳(ケーラスを補助した)の間接的影響も大きいようだ。

《その著者「サイレンス」の中で、「山は山で、人間は人間だっところが禅を習い出すと、全部、いろいろなことがわからなくなる。非常に混沌としたありさまになつてしまうが、その教えがある程度までわかって開眼したときには、また山は山で、人間は人間になる、音もまた音である」と述べているジョン・ケージ氏は、来日するとすぐ、鈴木大拙先生はお元気か、ぜひお会いしたいと言い出した。九年前、コロンビア大学で、直接、大拙氏の講義を聴いて以来、 翌日は音である」という音楽哲学に開眼、彼のチャンス・オペレーション音楽を完成させたというだけあつて、大拙氏に対するケージ氏の敬愛はなみなみならぬものがあつたようだ。そして来日三日目に、早くも師弟再会が、北鎌倉、東慶寺山上の松ヶ岡文庫で実現した。…》


《…特に東慶寺の許しを得て、鐘つき堂にのぼり大鐘を叩く。初め、そっと叩いたりしているうち、次第に力を入れて鳴らし出し、しまいには、鐘の中に入って、余韻にききにれたりして、すっかり満悦の様子だった。
〈ケージ〉 西洋の鐘と、日本の鐘とは、フォルムからして違う。西洋のは、下へゆくほど広がつて、形が外へ向っている。そして中に振子がある。だから、鐘の音も、外に向って鳴っている。それにくらべて、日本の鐘は、わずかだけれど、下の方で内側にまがっている。たたくものは外側で、音は内側に向って鳴る。しかも、本でたたくというのは、音がやわらかくなっていい。音は、すぐ外へ出ないで、鐘の中へ一回こもって、それから外に向ってゆく。余韻が実に美しい。浸透性のある音だ。
いま、こんなに近くできいているけれど、もっと遠くできいたら、どんな感じだろう。やっぱり、この鐘の音にも、沈黙がまつわりついている。
訳・編 一柳慧 写真 松崎国俊》

1977NHK特集「永平寺」

https://youtu.be/mhTe8Aiz1s4



鈴木大拙が賞賛したのは以下の朝粥行鉢ではないか?
上の動画で26:20~

https://youtu.be/mhTe8Aiz1s4?t=26m20s

https://m.youtube.com/watch?t=26m20s&v=mhTe8Aiz1s4

 

   

《〈鈴木〉 禅の音楽ということでは、ぜひ福井の永平寺にいらっしゃい。あそこの暁の行事は、音楽的にも、実にすばらしいものだ。

大拙氏の秘書の岡村嬢が、永平寺の午前三時の勤行について、くわしく説明する。彼らの使う楽器は、すべて、ほんとうに考えられないほどに面白いものばかりで、たくさんの鈴をつけたものとか、木で作られた鐘などを使うと語り出すと、ケージ氏も、テュードア氏も、熱心に聞き入り、質問をしたり、ときには瞑想にふけって、その行事の様子を思い浮かべたりしている。

〈ケージ〉 きっと、それも、沈黙が支配していることでしょう。ぜひ、その行事は見てきたい。》

同行のデヴィッド・チューダーはテュードアと表記されている。

John Cage "Water walk"

https://youtu.be/gXOIkT1-QWY


Marcel Duchamp 1968 BBC interview

https://youtu.be/Bwk7wFdC76Y



末村論考
http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/03/2011_38_hikaku_04_suemura.pdf
3-1 大拙の般若経論大拙の般若経研究における主要論文としては「般若経の宗教と哲学」「金剛経の禅」の二者が挙げられる。本稿でもこの二本を中心として論を進めたい。特に前者は、如に関する言及が多数見られる。また広く知られた大拙の般若経研究と言えば、即非の論理も挙げられるだろう。この論理は『金剛般若経』中の矛盾的構文の論理化として後者の論文で提唱された「A即非A。是名A。」という形式を持つものである。大拙門下である秋月龍珉氏は、即非の論理とは如の論理的表現であると述べている。ここでは、初めに大拙の般若経研究における如の思想を追い、最後に即非の論理についても少し考察を加えたい。

887夜『禅と日本文化』鈴木大拙|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0887.html
 いまでもよく憶えているのは、こういう語り口だった。
 禅というのはブッダの精神を直截に見ようとするもので、何を見ようとしているかというと、「般若」と「大悲」である。それを英語でいえば、般若はトランセンデンタル・ウィズダムに近く、大悲はコンパッションといえるであろう。この「超越的な智恵」たる般若によって、禅者は事物や現象の因果を超えるために修行をする。
 そうやってやっと事物や現象にとらわれなくなったあるとき、ふっと大悲が自在に作用する。そのコンパッションの作用は禅仏教では無生物にさえ及ぶのだ。
 そんなふうに言っていたことをよく憶えている。こんなことを感受性の高い高校生が初めて聞いたら、身震いして感動するのは当たり前のこと、そのうえさらに、本書の大拙は次のように畳みかけたものだった。
 人間はそもそも「無明」と「業」の二つの密雲にはさまれて生きているものである。禅はこの密雲に抗って、そこに睡っている般若を目覚めさせる方法なのである、トランセンデンタル・ウィズダムはその間隙に出現する方法の智恵なのだ。諸君、その方法を知りたいなら、まず学校で習ったような順で物事を考えることをやめなさい。なぜなら、禅は「認識のコースを逆にした特別の方法」をもっている。そう言って大拙は突如として、だからこそ、「禅は夜盗が夜盗に学ぶようなものなのだ」と言った。
 これはのちにぼくも読むことになる『五祖録』からの引用だったのだが、突然に夜盗になれと言われても戸惑うだろうから、説明しておく。

 ある夜盗の父親が息子から夜盗のコツを教えてほしいと言われ、二人して目星の屋敷に忍びこんだ。父親は大きな長持を明けて息子にこの中の衣服を取り出せと言っておいて、そのまま蓋を閉め、庭に出るとやにわに「泥棒だ、泥棒だ」と大呼した。
 家人があわてて起き出したが泥棒はいない。困ったのは息子のほうで、長持から出るに出られない。そこでやむなくネズミが齧る物音をたて、家人が長持を開けたとたんに飛び出し、命からがら逃げ出した。
 這々の体で息子が戻って父親にひどいじゃないかと言うと、まあ憤るな、どうやって逃げたか話してみろというので、息子が一部始終を話すと、そう、それだ、お前はこれで夜盗術の極意をおぼえたのだ、と。
 こういう奇想な話を紹介し、大拙はすかさず「禅は不意を打つものだ。それが禅の親切というものだ」と説いたのである。親切が不意を打つことだなんて、わーっ、カッコいい、ものすごい。こんなことニヤリともせずに茶碗を片手で出すように言われれば、一介の青年、すぐに禅や禅林に憧れるのも無理はない。


Zen Buddhism and its influence on Japanese culture,

When a disciple asks his master to be taught in Zen, the latter may slap his face and exclaim, "What a good-for-nothing fellow you are!"
The pupil took it to his head to avail himself of this. opportunity. Taking up his big stick, he let it fall over the head of the master, who was then stooping over the cooking pan to stir its contents. But the pupil's stick was caught by the master with the cover of the pan. This opened the pupil's mind to the secrets of the art, which had hitherto been kept away from him and to which he had yet been a stranger. He then for the first time really appreciated the unparallelled kindness of the master. 8


対訳 禅と日本文化 - Zen and Japanese Culture | 鈴木 大拙, 北川 桃雄 2012

https://www.amazon.co.jp/dp/4770040261

不立文字は「言葉に頼るな」と訳されている…

 宋時代の五祖法演(Fa-yen、1104年死亡)の次の物語(五祖録所収)は、禅の方法と禅の精神を理解する上で、知性や論理、口頭弁論。 「禅がどんなものなのか人々が尋ねるなら、私は泥棒の芸術を学ぶようなものだと

不立文字(=文字に頼るな)


28 Comments:

Blogger yoji said...

ジョブズが影響を受けたのは曹洞宗、鈴木俊隆の方




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アメリカで禅を広めた、知る人ぞ知る日本人老師の教え | 女子SPA!
joshi-spa.jp/83632
実は日本ではほとんど知られていません(同じ鈴木でも、鈴木大拙のほうは有名なの ですが)。 ... 藤田さんによると、1960年代アメリカのヒッピーさんたちにとって、「 spontaneous(スポンティニアス=自然である)」がキーワードだったとか。
鈴木大拙 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/鈴木大拙
鈴木大拙
鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年( .... 鈴木大拙禅 選集』 (全...
来歴-家族-《霊性の自覚》と《即非の論理》-年表
禅(ZEN)の哲学に触れる旅。金沢の「鈴木大拙館」で心洗われる体験を ...
kinarino.jp>TOP>アート・カルチャー まとめ
2017年1月19日 ... スティーブ・ジョブズ氏も思考したという「禅(ZEN)」を、初めて海外に広く知らしめた「 鈴木大拙」。 その大拙の思想に触れ、それを体現できる空間が金沢にあります。「鈴木 大拙館」は、建築的な美しさは勿論のこと、忙しい日常から離れて自己を ...
スティーブ・ジョブズと禅 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
president.jp>トップ>ライフ
仏教心に目覚めた同氏は、禅センターにいた知野老師の下に足しげく通うようになる。 当時、仏教は若者の間で人気があった。ジョブズ氏が「バイブル」と呼んでいたヒッピー 文化を代表する雑誌『Whole Earth Catalog』も、仏教を「覚醒ツール」と ...
禅:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape
artscape.jp/dictionary/modern/1198443_1637.html
瞑想色の強い仏教の一流派の禅宗が、現代芸術との接点を持つのは1960年代の アメリカにおいてである。 ... 厭戦観に満ち、黒人運動、女性運動、ヒッピー・カルチャー など従来の権威、合理主義への反発に根ざしたカウンター・カルチャーが花盛りであった 。 ... 最も著名なのが、東洋的な色彩の強かったフルクサスの諸活動であり、具体的な 作家名としては、鈴木大拙とも関わりのあったJ・ケージを挙げることができる。
スティーブ・ジョブズと禅—世界が注目する禅の実践効果 | nippon.com
www.nippon.com>ホーム>views>禅の世界へ
2016年10月7日 ... 禅をZENとして世界に定着させた鈴木大拙. 禅は南インド ... 生まれた直後に養子に出 されたジョブズは、若い頃から精神世界に没頭し、大学を中退した19歳の頃には当時の ヒッピーの通過儀礼ともいえるインド放浪に旅立ち、1カ月を過ごす。
【 #ビートニク 〜#ジョンケージ〜#オノヨーコ ら戦後米国の芸術への「#禅 ...
www.facebook.com/yukihisa.../679734395463858
ビートニク 〜#ジョンケージ〜#オノヨーコ ら戦後米国の芸術への「#禅 / #ZEN」の影響 への考察と #鈴木大拙 への反証】 1997年 ... しかしケルアックの『ダルマ•バムズ(旧 邦題『禅ヒッピー』』(参照 http://goo.gl/axcrdI )が今も人々を魅了する事は事実である。
鈴木大拙 : 自然回帰する思想 ナチュラルシフト - NAVER まとめ
matome.naver.jp/odai/.../2140176802767136603
D. T. Suzuki(1870 - 1966)日本の仏教学者。 禅についての著作を英語で著し、日本の 禅文化を海外に広め、ヒッピームーブメントに影響を与える。 人間の本性の霊性の自覚 、霊性回帰です。
北アメリカのZEN-『禅と林檎 スティーブ・ジョブズという生き方』刊行に因んで
setagaya-ecollege.com/contents.php/186/373/B/index.html
ジャック・ケルアック ・ The Dharma Bums (1958) ビート詩人: ゲーリー・スナイダー アラン・ギンズバーグ など◇鈴木大拙の活動が大きく影響 ・『禅と日本文化』(1939) ・ コロンビア大学等での講義(1950~) · (2)ヒッピーの折衷主義 1960年代※既成の宗教 儀礼 ...

4:01 午後  
Blogger yoji said...

ジョン・ケージ初来日(1962)~鈴木大拙との会話&オノ・ヨーコ - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/d4a65ba9f6db638c74436e6215d47a14
「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。



(↑ NHKスタジオで演奏するケージ。音符、でかっ)



ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。


【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】

この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。


ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)

鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。

ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。

鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。

ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。

鈴木 なるほど。

ケージ 僕たちは、音は、ただ音であるようにしたいと思っています。

(「前衛音楽の発想と展開」11月号←を、芸術新潮が引用)



。。。小難しい知性は邪魔なんですね!なんかケージの音楽って知性の塊なのかと思っていましたが、これを読んでちょっと本気で聴きたくなりました。

※1 鈴木大拙(1870-1966) 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者。

※2 David Tudor(1926-1996) アメリカの現代音楽のピアニスト、作曲家。
(※1,2 Wikipediaより)

4:04 午後  
Blogger yoji said...



「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。


(↑ NHKスタジオで演奏するケージ。音符、でかっ)



ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。


【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】

この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。


ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)

鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。

ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。

鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。

ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。

鈴木 なるほど。

ケージ 僕たちは、音は、ただ音であるようにしたいと思っています。

(「前衛音楽の発想と展開」11月号←を、芸術新潮が引用)



。。。小難しい知性は邪魔なんですね!なんかケージの音楽って知性の塊なのかと思っていましたが、これを読んでちょっと本気で聴きたくなりました。

※1 鈴木大拙(1870-1966) 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者。

※2 David Tudor(1926-1996) アメリカの現代音楽のピアニスト、作曲家。
(※1,2 Wikipediaより)






↑ 1962年10月9日東京文化会館小ホールにて。男性は左からチューダー、ケージ、黛敏郎(何か食べてる?)。
ピアノの上で寝ている女性はオノ・ヨーコさん。お行儀悪い。背中に振動を感じるたび「ア~」とか「ウ~」とか例のキテレツな声を発していたことは想像に難くありません。ジョン・レノンとの出会いはちょうどこの4年後、1966年11月9日だということです。ジョンつながり?

ちなみにケージはマンハッタンのバンク・ストリートでジョン&ヨーコの家の隣に住んでいたことがあるそうです。

4:04 午後  
Blogger yoji said...

ジョン・ケージ「4分33秒」 - 山田視覚芸術研究室 / 前衛芸術と現代美術のデータベース
https://www.ggccaatt.net/2014/08/21/140-ジョン-ケージ-4分33秒/
1945年からの2年間、ケージはコロンビア大学で鈴木大拙に禅を2年間学び、東洋思想への関心も深める。すべての偶然をあるがまま受け入れる禅の思想から、ケージは「自分では音を選ばず、うかがいを立てる」手法を導き出す。

4:07 午後  
Blogger yoji said...

Free music 1960~80 - 57 ページ
https://books.google.com/books?isbn...

TERUTO SOEJIMA, ‎KAZUE YOKOI, ‎SABU TOYOZUMI - 2016 - ‎プレビュー
偶然性の音楽とフリーインプロビゼーション 1960 年から 80 年までの 20 年間、現代音楽のフィールドを顧みればジョン・ケージ ... ケージの代表作品である「4 分 33 秒( 1952)」は(鈴木大拙を通じて学んだ禅思想からの影響が大きいが)、そのような分別された ...
禅と芸術の接点 - 37 ページ
https://books.google.com/books?id...

水野欣三郎 - 1983 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
因みにジョン'ケージ氏は,鈴木大拙翁がハーバート大学で仏教哲学の講義をしていた頃の学生の一人で「日々是好日」の語を聰き,大いに啓示されるものがあったということである。「不思善不思悪那箇か是れ明上座が心底」善を思わず悪を思わずどこが明上座 ...
文學界 - 第 49 巻、第 5~6 号 - 302 ページ
https://books.google.com/books?id...

1995 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
ジョン,ケージは、鈴木大拙に影響を受けて禅に熱中したり、中国の&の影響で偶然性の音楽をはじめたり、非ョ I ロッパ的文化の I も強いですね。「ジ 3 ン,ケージは多面的な人で、世界が非常に広いんです。単なる音,じやなくて、藝もやるし、詩も書くし、羣者でも ...
Geijutsu shinchō: The Geijutsu shinchō - 第 43 巻 - 101 ページ
https://books.google.com/books?id...

1992 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
年来曰した際、鈴木大拙と対 8 ?するジョン,ケージ(鎵會,松ヶ岡文靡にて)〔上]「細川豕の肖像 500 年」展(ワシントン)会權[下]「古代の曰本」展(ワシントン)の展示風景—「古代の曰本」,き 8 コこさ 8 コ.が、ヮシン卜ン、スミソ一 I アン協会のァ—サ I , 2 .サクラ— ...
Ongaku geijutsu - 第 48 巻、第 1~6 号 - 74 ページ
https://books.google.com/books?id...

1990 - ‎プレビューは利用できません - ‎他の版
夢みる少年: イサム・ノグチ - 194 ページ
https://books.google.com/books?id...

柴橋伴夫 - 2005 - ‎スニペット表示
その伝道者が、鈴ジョン,ケージも鈴木の講義を受け、よく知られているように「沈黙( サイレンス)」を音楽作法に取り入れた。義と思想は、単に思想界だけ ... その講何度か触れてきた鈴木大拙(すずきたいせっ一八七〇 1 一九四九)。一九四五(昭和一一十)年から ...
ジョン・アッシュベリー: 「可能性への賛歌」の詩 - 60 ページ
https://books.google.com/books?isbn...

飯野友幸 - 2005 - ‎プレビュー
たとえば、この世の有限の存在はたがいに障害とリカでカルト的な支持を受けていた鈴木大拙による禅の講義をコロンビア大学で聴い ... たとえばクラシック音楽でも、ジョン, ケージは中国の五経のひとっ易経(占いの書)にならっ西洋合理主義は意図(ュなぉコ)に ...
吉本隆明全対談集 - 第 11 巻 - 117 ページ
https://books.google.com/books?id...

吉本隆明 - スニペット表示 - ‎他の版
易経』の、ジョン,ケージ自身が、その鈴木大拙に私淑しちやって、坂本このなかではジョン,ケ I ジがいちばん先輩です。いところがあるなあという感じがしたんです。て、 そういう意味で、やっばりなんとなく、うさんくさしょう。なんとなく、うさんくさいよという感じがあっ ...
Journal of the Department of Liberal Arts - 第 23~28 巻 - 252 ページ
https://books.google.com/books?id...

1990 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
(後略)」ところで、、ジョン,ケージは鈴木大拙の講義を受けたことがあるが、鈴木は西田の親友であった。そのうえ、西^を禅に^つたのは ジャン卩フランソワ,リオタールの^現に従えば 一 13 — そこでは、ルソ—は永遠の現在において自然と合体してい夢想』 によって ...
Bungakukai - 第 49 巻 - 303 ページ
https://books.google.com/books?id=6...

1995 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
そういう僕の目を開き、耳を開いてくれたのが他ならぬジョン,ケージの立曰楽だったんです。僕が鈴木大拙を読んだのは、それ以後です。それは僕の心を非常に大きく広げてくれた。それ以来、僕はいっもある二重性を負っているわけですねケ I ジさんに出会わず、 ...

4:09 午後  
Blogger yoji said...

鈴木大拙館について | 鈴木大拙館
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/about.html#panel-1
1870 (明治 3)年 10月18日(新暦11月11日)、金沢市下本多(現 本多町3丁目)に生まれる。本名 鈴木貞太郎
1875 (明治 8)年 5歳 金沢市本多町小学校(現 新竪町小学校)入学
1888(明治 21)年 18歳 第四高等中学校本科(現 金沢大学)入学
1891(明治 24)年 21歳 上京。翌年、帝国大学文科大学哲学科選科(現 東京大学)入学
1894(明治 27)年 24歳 居士号「大拙」を受ける。
1897(明治 30)年 27歳 渡米。イリノイ州ラサールのオープン・コート出版社編集員として約11年間滞在。翻訳・通訳を続ける。
1909(明治 42)年 39歳 帰国。学習院、東京帝国大学講師、翌年、学習院教授となる。
1911(明治 44)年 41歳 ビアトリス・アールスキン・レーンと結婚
1921(大正 10)年 51歳 真宗大谷大学(現 大谷大学)教授となり1960(昭和35)年89歳まで務める。
1936(昭和 11)年 66歳 英国・ケンブリッジ大学、米国・ハーバード大学などで講演
1945(昭和 20)年 75歳 鎌倉に松ヶ岡文庫を設立
1949(昭和 24)年 79歳 渡米。ハワイ大学で講義。日本学士院会員となる。文化勲章受章
1950(昭和 25)年 80歳 米国・プリンストン大学、ニューヨーク大学などで講演。ニューヨークに住まう。
1952(昭和 27)年 82歳 米国・コロンビア大学での講義始まる。
1954(昭和 29)年 84歳 英国、ドイツ、スイスなどで講演
1958(昭和 33)年 88歳 帰国。翌年より松ヶ岡文庫に住まい研究生活を送る。
1961(昭和 36)年 91歳 「教行信証」の英訳草稿
1966(昭和 41)年 7月12日、聖路加国際病院にて没。享年95歳

4:13 午後  
Blogger yoji said...

彩られた12窓〈シャガールのステンドグラス〉

芸術新潮

1962年11月号 通巻155号

注文番号GSIN196211N155 販売価格-在  庫-
彩られた12窓|シャガールのステンドグラス
秋の美術展に何をみたか
日本破壊の共犯者としての建築家/他
特集1|彩られた12窓|シャガールのステンドグラス
シャガールの描いた旧約物語|瀬木慎一
特集2|秋の美術展に何をみたか|大岡 信
特集3|特別レポート|日本破壊の共犯者としての建築家
特集4|特別レポート|労音|その巨大な翼に征服される音楽
秘仏開扉|岡本太郎
対談|ジョン・ケージ × 鈴木大拙|前衛音楽の発想と展開
連載
抽象絵画の本ものと贋もの|3|ポリアコフと周辺の画家たち|寺田 透
美の来訪者|5|鉄斎に憑かれた I・グルップ
近代美術への天才たち|11|ドラクロワ|吉川逸治
絵のある場所|11|資生堂・林 武壁掛
日本美術を支える人|11|新村撰吉|漆皮|荒川浩和
古都ひとり|11|酔|岡部伊都子
かけがえない百曲|11|オペラ・2|遠山一行
現代の美|23|ヨーロッパの新教会
リヴィング・アート|23|夜を奪うなかれ|毛利武士郎
読物
七年ぶりの演出|新劇俳優は巧くなったか|岩田豊雄
さまようソビエト美術界|岩崎巴人
天心のパトロン|知られざる日本美術の恩人|下村英時
音による「生まの芸術」|画家デュビュッフェのレコード|東野芳明
奇人陶工のうっぷん|「伝統工芸展」に挑戦する・上口愚朗|秦 秀雄
未開芸術に注いだエネルギーの結晶|宮武コレクション|中原佑介
リンカーン・センターの開場式|平野春枝
奇矯な画家・中原 実|山崎 清
日本美術買出し記|メリー・ダイアモンド

4:15 午後  
Blogger yoji said...

鈴木大拙対談集 1
叢書名   NHKビデオ  ≪再検索≫
巻情報   1 鈴木大拙氏にきく
著者名等  鈴木大拙  ≪再検索≫
著者名等  古田紹欽  ≪再検索≫
著者名等  岡村美穂子  ≪再検索≫
著者名等  武藤義一  ≪再検索≫
出版者   サンワード・コミュニケーション
出版年   [199-]
時間    ビデオカセット1巻 (60分)
注記    昭和38年1月6日放送 NHKテレビ「宗教の時間」より
注記    タイトルはレーベルによる
注記    編集: NHK
NDC分類 180
件名    トークショー  ≪再検索≫ 鈴木 大拙
件名    思考・思想  ≪再検索≫
件名    哲学と文明  ≪再検索≫
書誌番号  3-0019503577


鈴木大拙対談集 2
叢書名   NHKビデオ  ≪再検索≫
巻情報   2 思想と文明
著者名等  鈴木大拙  ≪再検索≫
著者名等  谷川徹三  ≪再検索≫
出版者   サンワード・コミュニケーション
出版年   [199-]
時間    ビデオカセット1巻 (60分)
注記    昭和39年1月8日放送 NHKテレビ「教養特集」より
注記    タイトルはレーベルによる
注記    編集: NHK
NDC分類 180
件名    トークショー  ≪再検索≫ 鈴木 大拙
件名    思考・思想  ≪再検索≫
件名    哲学と文明  ≪再検索≫
書誌番号  3-0204054586


鈴木大拙対談集 3
叢書名   NHKビデオ  ≪再検索≫
巻情報   3 この人この道 鈴木大拙
著者名等  鈴木大拙  ≪再検索≫
著者名等  犬養道子  ≪再検索≫
出版者   サンワード・コミュニケーション
出版年   [199-]
時間    ビデオカセット1巻 (30分)
注記    昭和39年5月21日放送 NHKテレビ「婦人の時間」より
注記    タイトルはレーベルによる
注記    編集: NHK
NDC分類 180
件名    トークショー  ≪再検索≫ 鈴木 大拙
件名    思考・思想  ≪再検索≫
件名    哲学と文明  ≪再検索≫


4:39 午後  
Blogger yoji said...

サン=ジョン・ペルス(Saint-John Perse, 1887年5月31日 - 1975年9月20日)は、フランスの詩人、外交官。本名マリー=ルネ・オギュスト・アレクシ・レジェ(Marie-René Auguste Alexis Leger)、偽名はアレクシ・レジェ(Alexis Leger)1960年にノーベル文学賞を受賞した。

5:06 午後  
Blogger yoji said...

鳥 65巻 感想 サン=ジョン・ペルス - 読書メーター
http://bookmeter.com/b/4879957429
鳥 (le livre de luciole (65))

鳥 (le livre de luciole (65))
あらすじ・内容
サン=ジョン・ペルス
88ページ
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鳥 65巻の感想・レビュー(15)
3月3日:torinoie

保山ひャン
ジョルジュ・ブラックの鳥の図録に寄せた長編詩と、1960年のノーベル文学賞受賞記念講演を収めてある。鳥のことを、博物学者は「われらの遊星軌道上にある微小な衛星」と説明した。サン=ジョン・ペルスは、「大空のページに現れた弓であり飛翔する矢」「航海用羅針盤なる不朽の目の奥の、風の薔薇の三十二の区間に、青い鋼鉄の軸心上で震える磁気を帯びた羅針」「分散の星のもとに生まれた生き物」「長いあいだ人の世界の近くにあって、人間との境界線上にある生き物」「魔力を帯びた言葉」「韻律における音節の長短」などと表現する。よくぞ!
ナイス! ★2 - コメント(0) - 2016年4月29日



スミス市松
純化された飛翔のイマージュが読者の脳裏を凄まじい速度で駆け抜ける。凝縮され力そのものを体現する言葉によって構築された「超出のベクトル」に乗って、鳥は大空へ飛翔する。空高く飛び、海深く潜る鳥は、滾る血を燃やし、あらゆるものを脱ぎ捨てて、身体は歓びに満ちて太陽そのものになる。誰よりも速く、どこまでも遠くへ。鳥――世界を一巡してもなお羽ばたき続け、存在の全域を目指して行く――は、いまも絶えず出発している。サン=ジョン・ペルス最晩年の長編詩。
ナイス! ★14 - コメント(0) - 2015年12月23日


2015年11月13日:simomurayosiko
2015年7月29日:柿沼瑞輝

新地学@児童書病発動中
1960年にノーベル文学賞を受賞したフランスの詩人による長編詩。画家ブラックの絵がモチーフになっているが、独立した作品として読める。学術書風の散文的な記述からから詩情が立ち昇ってくるのが素晴らしい。ここで描かれている鳥の飛翔は、詩人の魂の飛翔でもあるのだろう。時間や空間を超えて、天地創造が起こった時点まで詩魂をはばたかせる詩人の力業に、心が震えた。
ナイス! ★101 - コメント(0) - 2014年11月9日


2014年7月11日:解构
2013年8月1日:かな
2012年1月17日:千鳥
2009年6月22日:千鳥
2009年6月21日:千鳥
2008年10月5日:菊田和弘
積読中のみんな最新5件(2)
11/12:ぞしま
08/03:スミス市松
読みたいと思ったみんな最新5件(17)
01/04:脳疣沼
01/30:まさむ♪ね
01/27:月湖
01/27:弟子迷人
12/24:mnt1983
鳥 65巻の 評価:40% 感想・レビュー:3件

5:08 午後  
Blogger yoji said...

URL http://id.ndl.go.jp/bib/000000977260

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-所蔵場所ごと デジタルデータ Library Info
-所蔵場所ごと 関西:総合閲覧室 Library Info

資料種別 図書
請求記号 901.1-Se122
タイトル 世界詩論大系. 第1.
タイトルよみ セカイ シロン タイケイ. 1.
出版事項 東京 : 思潮社, 1964.
形態/付属資料 264p ; 20cm.
内容細目 現代フランス詩論大系 / 窪田般弥 編.
新精神と詩人たち(ギヨーム・アポリネール著 窪田般弥訳) 序言(ポール・ヴァレリー著 菅野昭正訳) ダンテについての或る詩への序論(ポール・クローデル著 粟津則雄訳) 純粋詩(アンリ・ブレモン著 窪田般弥訳) 骰子筒序文(マックス・ジャコブ著 高橋彦明訳) ダダ・概略的人間(トリスタン・ツアラ著 高橋彦明訳) シュールレアリスム宣言(アンドレ・ブルトン著 稲田三吉訳) 毛皮の手袋・私の航海日誌(ピエール・ルヴェルディ著 高橋彦明訳) 詩の明証(ポール・エリュアール著 平井照敏訳) ベル・カントの記録(ルイ・アラゴン著 服部伸六訳) 詩法について考えながら(ジュール・シュペルヴィエル著 大岡信訳) 詩について(サン=ジョン・ペルス著 多田智満子訳) 無意識と霊性と破局(ピエール・ジャン・ジューヴ著 小島俊明訳)
詩人と神話(ピエール・エマニュエル著 平井照敏訳) 詩論断章(アンリ・ミショオ著 小海永二訳) 詩法のために(レーモン・クノー著 窪田般弥訳) ランボオ・詩について(ルネ・シャール著 水田喜一朗訳) プロエーム(フランシス・ポンジュ著 平岡篤頼訳) 定型律・自由律論争(ユージェーヌ・ギーュヴィク,ジャン・トルテル共著 長谷川四郎訳) 民族の詩について(シャルル・ドブジンスキー著 服部伸六訳) ジャック・リヴィエールとの手紙(アントナン・アルトー著 飯島耕一訳) ラスコオの野獣(モーリス・ブランショ著 篠沢秀夫訳) 詩の行為と場所(イーヴ・ボンヌフォア著 宮川淳訳) 総説 一九一七年以後のフランス詩(窪田般弥)
全国書誌番号 58004789
普通件名 詩 -- 詩論・詩話
NDC(6) 901.1
他タイトル 現代フランス詩論大系.
本文の言語 jpn
原文の言語 und
国名コード ja
書誌ID 000000977260

5:34 午後  
Blogger yoji said...

鈴木大拙 円覚寺:神奈川県鎌倉市山ノ内 : 岬を訪ねて三千里
http://cape.blog.jp/archives/1033476504.html
郷里の石川県で英語教師をしていた青年。


海外講演の原稿翻訳を頼まれた鈴木大拙。

東京帝国大学文科大学英文科を卒業したばかりの青年に英語の添削をしてもらう。

資料に混乱が見られるのだが、大拙本人の回想を信じるとすれば、
彼はその翻訳を夏目漱石に添削してもらったのだという。

P 86 『英語達人列伝』 斎藤兆史

凄い。

夏目漱石に英語の添削をしてもらっているなんて。

6:24 午後  
Blogger yoji said...

夏目漱石 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12 月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ) 。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。

6:25 午後  
Blogger yoji said...

m1973047さん2016/2/2419:24:30
夏目漱石さんの、「月が綺麗ですね。」の他に、そういう、遠回しな告白?ありませんか?
共感した 0
閲覧数:26,506 回答数:2 お礼:250枚 違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答
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andreeew_ykhさん 2016/2/2419:52:16
明日は晴れますか? →明日私の想いは晴れますか?
今日は少し肌寒いですね →手を繋いでください
今日はとても幸せです →あなたと会えて幸せ
夕日がきれいですね→あなたの気持ちが知りたいです
月が綺麗ですね→愛しています
星が綺麗ですね→あなたは私の想いを知らないでしょうね
海が綺麗ですね→あなたに溺れています
雨音が響いていますね→愛していました
雨やみませんね→もう少し傍にいたいです
寒いですね→抱きしめてください
暖かいですね→あなたが傍にいてくれて幸せです
死んでもいいわ→愛しています
虹が綺麗ですね→あなたと繋がりたい

ナイス 8
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夏目漱石の「I love youは月が綺麗ですねと訳せ」の逸話は、夏目漱石を全く読んだこともないような人にも非常に有名過ぎます。なぜ、この逸話ばかり異様に有名なのでしょうか?
共感した 0
閲覧数:141 回答数:4 お礼:25枚 違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
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lindelangelitoさん 2017/1/505:37:06
http://niguruta.web.fc2.com/kensyo_kirei.htmlを見ると最初に言い出したのは豊田有恒のようです。豊田有恒は1977年の時点で「有名な話」と書いていますがSF作家だし「有名」というのはハッタリで自分で創った話でしょう。

豊田有恒・つかこうへい・吉原幸子といった著名人が書いたのでそれらの人たちのファンから広まったのではないでしょうか。

ナイス 0
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6:29 午後  
Blogger yoji said...


https://www.quora.com/Do-many-native-Japanese-agree-with-Soseki-Natsumes-translation-of-“I-love-you”-to-“月が綺麗ですね”
Do many native Japanese agree with Soseki Natsume's translation of “I love you” to “月が綺麗ですね”?
3 ANSWERS
Roy Fuentes
Roy Fuentes, Helping others form their own image of the country
Written 14 May 2014
There's actually article out there where he talks about the translation process, using the English "I love you" as an example of how one must consider not only the words, themselves, but also the nuances they convey.

(from Untranslatability)
Natsume Soseki once taught his students that the correct Japanese translation for “I love you” is “Tsuki ga tottemo aoi naa” (The moon is so blue tonight); what he meant was that to express within the Japanese cultural framework the same emotion expressed in English by “I love you,” one must choose words like “The moon is so blue tonight.”
(from Sato Kenji’s “More Animated than Life: A Critical Overview of Japanese Animated Films,” Japan Echo, 12/97)
4.7k Views ·

6:41 午後  
Blogger yoji said...

2009年05月10日(日)23時03分 | BB::本・長岡の古書 | by BB
豊田有恒「あなたもSF作家になれるわけではない」徳間文庫

 最近のマイブームはSF小説を読むことです。

 この作品はSF小説ではありませんし、SF小説創作入門でもありません。著書のSF作家として歩みを綴ったものと言った方がいいでしょう。おのずと、舞台裏をのぞかせてくれる貴重な証言に満ちています。下世話に言えば、内輪話を聞く面白さがあります。
 
 手にした動機は1969年に雑誌「SFマガジン」で匿名座談会形式でSF作家を批判したいわゆる覆面座談会事件にふれられていると著作だということ。野次馬根性からです。面白ですね、ごたごたは。さらに儲けものだったのは、かって手塚プロの一員だった著者がその手塚プロをやめることになったいわくのW3事件の顛末も述べられていたこと。

 イニシャルの人物をあれこれ推測するスケベ根性丸出しののぞき趣味を満足させてくれ、何とも興味津々です。
 もちろん、こうしたところを除いても、先に書いたように貴重な資料となっていることは間違いありません。
 
 この文庫の第4章「翻訳の時代」230ページに英語教師だった頃の夏目漱石が学生に「Ilove you」を「月がとっても青いな」と訳すんだと言ったエピソードが紹介されています。
 
 私は初めて耳にする話だったので、「さて、出典は?」と、さっそくインターネットで検索すると、けっこうあります。ただ出典に言及しているものってなかなかないんですね。
 その中で見つけたのは、「大学生のための情報検索術 Blog」の『漱石の「アイ・ラブ・ユー」』の記事。このエピソードを取り上げた文章を調べ上げています。それによれば、

2007年3月18日(日)付けの『読売新聞』朝刊のエッセイ欄「よむサラダ」に
脳科学者・茂木健一郎氏の「赤シャツ」

佐藤健志氏の評論、『未来喪失』(東洋経済新報社、2001年12月、p.168)

2007年1月26日付けの『神戸新聞』の随想「正平調」

小田島雄志『珈琲店のシェイクスピア』(晶文社、1978年9月)

があるそうです。

 そして、この「珈琲店のシェイクスピア」の中で、対談相手の劇作家つかこうへい氏があのエピソードを語っているとされますが、出典は分からないそうです。

 豊田有恒「あなたも~」は1976年から79年にかけて「奇想天外」という雑誌に連載されているので、もしかすると、活字になったのはこちらの方が早いかもしれません。
 「珈琲店の~」の対談が行われたのはいつなのか、該当する「奇想天外」の発売はいつなのかがはっきり分かれば、もっとあれこれ想像をめぐらすことができるのですが。

 さらに、漱石本人が残したメモとして、

「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、「"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.此I love you ハ日本ニナキformulaナリ」と記した一節

があるとのことです。

 結局、出典は明らかでないというのが現状とのことです。

 この漱石のエピソードに加え、二葉亭四迷が「死んでもいい」と訳したというエピソードがあることをネット検索で知りました。先のエピソードと対にした記事もネット上には流れています。
 かなり、マユツバになってきましたね。

6:56 午後  
Blogger yoji said...

二葉亭四迷は「I LOVE YOU.」を「死んでもいいわ」と訳していない。

Boss 11月 14, 2011 情報技術, 都市伝説 Comments are off


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2012/5/21 追記
二葉亭四迷「死んでもいいわ」を最初に書いたのは誰か?を追加しました。

—————————————————————————-

2012/5/19 追記
いつのまにかこの記事へのアクセスがものすごいことになっているので、若干追記します。(タイトルも変更しました)

検索結果から来て数秒で去っていく方々のために1行でまとめると、
二葉亭四迷は『I love you.』を『死んでもいいわ』と訳していない
です。

以下の記事では日/英/露の原文をあたり、「死んでも可いわ」の原文が「I love you」ではないことをつきとめています。長文ではありますが、興味のある方はぜひお読みください。
—————————————————————————-

直接技術ネタというわけではないんですが、情報技術ネタということで…。

ちょっと前から見かけるようになった話がありまして、

夏目漱石は“I love you.”を「月が綺麗ですね」と訳した。二葉亭四迷は「死んでもいいわ」と訳した。

というものです。

夏目漱石の話はこれ有名でして、昔から国文学専攻の人だったら必ず聞くんじゃないでしょうか。学生時代、私も国文学科の知りあいから聞いて、さすが文豪!と感動したものです。
ただし英語教師時代のエピソードということで、本当にあった話かどうかわからないとされていますが。

さて、問題は二葉亭四迷の件です。
夏目漱石とはほぼ同世代の人ですし、ここまで対比されて広まるからには、昔から有名であってしかるべきだと思うのですが、聞いたことがなかったのです。

なぜ突然この話を目にするようになったかというとこれは結構明らかで、Twitterで繰り返しつぶやかれているからです。
http://twitter.com/#!/search/%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%84%E3%82%8F

では最近になって誰かが何かに書いたとか発言したとか、そういうことでもあったんでしょうか?
ググってみると、「〜らしい」「〜んだって」と、伝聞が多いですね。

ここでネガティブな発想に襲われたのです。これ、本当なのかな?と。

かろうじて出典を挙げている人が発見できました。ツルゲーネフの「片恋」だそうです。
ほほう。それではと思ってAmazonで探してみたことろ、二葉亭四迷訳本は1955年の岩波文庫を最後に絶版になっているのです。そりゃ伝聞にもなります。探せばあるかもしれませんが。

ここでさらにネガティブな発想に襲われました。これって都市伝説じゃないのかな?と。

この時代の文献は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で見ることができます。
問題の個所は第16章、明治29年の版だとp.103、大正5年の版だとp.100です。

(略)私は何も彼も忘れて了って、握ってゐた手を引寄せると、手は素直に引寄せられる、それに随れて身躰も寄添ふ、シヨールは肩を滑落ちて、首はそつと私の胸元へ、炎えるばかりに熱くなつた唇の先へ來る…
「死んでも可いわ…」とアーシヤは云つたが、聞取れるか聞取れぬ程の小聲であつた。
私はあはやアーシヤを抱うとしたが…ふとガギンの事を憶出すと(略)

あったじゃないか!やっぱり都市伝説なんかじゃなかったんだね!と一瞬思ったのですが、そこまで素直にはなれないわけでして。

ではこの「死んでも可いわ…」の原文は本当に「I love you.」もしくはロシア語で「Я люблю тебя」なのか?というわけです。

ではまず英語版をあたってみましょう。
http://www.ibiblio.org/eldritch/ist/lear.htm#acia
(英語版は“Asya”というタイトルになっているはずなんですがこの版はなぜか“Acia”になっています)
場所(章番号)がわかっているので比較的早く見つかりますね。
上に挙げた個所の英語訳はこうなっています。

I forgot everything, I drew her to me, her hand yielded unresistingly, her whole body followed her hand, the shawl fell from her shoulders, and her head lay softly on my breast, lay under my burning lips. . . .
“Yours”. . . she murmured, hardly above a breath.
My arms were slipping round her waist. But suddenly the thought of Gagin flashed like lightning before me.

ふむ。「”Yours”…」ですね。

ではがんばってロシア語版をあたってみます。
http://ilibrary.ru/text/1097/p.16/index.html
これはなかなか難題ですが、章番号があるのでかろうじて可能です。
章の頭からの段落数と、会話文の形式から判断すると、おそらくこの個所だろうと思われます。

— Ваша… — прошептала она едва слышно.

「Ваша…」を翻訳してみると、「あなたの…」となります。
http://translate.google.co.jp/#ru|ja|%D0%92%D0%B0%D1%88%D0%B0…
となるとこれはもう明らかで、英語版の「”Yours…”」はほぼロシア語の直訳だということがわかります。

さて、結論です。

「二葉亭四迷は“I love you.”を『死んでもいいわ』と訳したか?」

答えは、Noです。
(少なくともツルゲーネフの「片恋」では…)

しかし、この文脈で、直訳すれば「あなたの…」となるところを、「死んでも可いわ…」とした二葉亭四迷の訳がすばらしいことには違いはありません。

……ただおそらく、二葉亭四迷がこのセリフで意図し、当時の読者が感じ取っただろうイメージは、「君のためなら死ねる」とか「死ぬほど好き」とかではなく、「心中」なんでしょうね。

7:05 午後  
Blogger yoji said...

» 鈴木大拙の歴史 art-tokyo
http://www.art-tokyo.com/?page_id=110
鈴木大拙の歴史
漢方医の父は、男子4人に「易」より採った
元・享・判・貞を太郎に冠して名付けた。
末子の大拙は、貞太郎。
大拙は円覚寺の釋宗演老師より頂いた居士号。

大拙は6才で父を、20才で母を亡くした。

第四高校で、終生の友、西田幾多郎と出会うも、
廃藩と銀行破産に遇い退学、小学校英語教師となる。
東京専門学校(早稲田大学)で坪内逍遙の英文学
講座を聴く。

明治26年、釋宗演老師のシカゴ講演原稿を英訳し
夏目漱石にみてもらう。
「その時分、円覚寺の帰源院に夏目漱石が来て
参禅をしておって、わしが翻訳したものを
見てもらったことがあるな。」(大拙)

スウェデンボルグの日本への紹介者。

昭和14年、夫人、ビアトリス没
昭和20年、西田幾多郎没
昭和41年、大拙、聖路加病院で没

戒名「也風流庵大拙居士」
遺骨:
東慶寺、
金沢市野田山鈴木家墓地
高野山奥院墓地

<ショーペンハウアーと鈴木大拙>>
大拙は師、宗演のシカゴ講演でポール・ケーラスと
出会う。
ケーラスはショーペンハウアーに師事し、友人には
物理学者エルンスト・マッハがいた。
ケーラスの活動はアメリカにおけるジェイムズの
プラグマティズムの基礎をかためることになった。
ケーラスの書「仏陀への福音」の翻訳が、大拙の
処女出版となった。

ケーラスがもし、ショーペンハウアーに師事して
いなかったら、鈴木大拙に興味を示すことは
なかったかもしれない。
ショウペンハウアーほど日本の文学者を魅了した
哲学者はいない。

<大拙君のこと>
「私は多くの友人を持ち、多くの人に
交わったが、君の如きは稀(マレ)である。
君は最も豪(えら)そうでなくて、最も
豪(えら)い人かもしれない。
私は思想上、君に負う所が多い。」
(西田幾多郎)
<大拙と南方熊楠>
アメリカに渡って二年が過ぎたある日、当時
ロンドンにいた熊楠に対して、おそらく師・釋宗演
と万国宗教者会議で交流のあった土宜法竜を窓口と
して、大拙は手紙を送った。
熊楠が残した「ロンドン日記」によれば、それを
契機として、明治39年の4月から12月にかけて、
シカゴとロンドンにいた両者の間で、数回に及ぶ
書簡のやりとりがあったようである。

7:17 午後  
Blogger yoji said...

元亨利貞(ゲンコウリテイ)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/元亨利貞-491854
デジタル大辞泉 - 元亨利貞の用語解説 - 易経で乾(けん)の卦(け)を説明する語。「元」を 万物の始、善の長、「亨」を万物の長、「利」を万物の生育、「貞」を万物の成就と解し、天 の四徳として春夏秋冬、仁礼義智に配する。 ... 大辞林 第三版の解説 ...
辞書別に見る:大辞林 第三版
貞享 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/貞享
貞享(じょうきょう)は、日本の元号の一つ。天和の後、元禄の前。1684年から1687年 までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇、東山天皇。 .... 大同806-810; 弘仁 810-824; 天長824-834; 承和834-848; 嘉祥848-851; 仁寿851-854; 斉衡854-857; 天安857-859; 貞観859-877; 元慶877-885 ... 元応1319-1321; 元亨1321-1324; 正中1324-1326; 嘉暦1326-1329; 元徳1329-1331(大覚寺統)、1329-1332(持明院 統) ...
大友氏泰 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/大友氏泰
生誕, 元亨元年(1321年). 死没, 正平17年/貞治元年11月3日(1362年11月19日). 改名, 千代松丸(幼名)→氏泰. 幕府, 室町幕府豊後・肥前・豊前・日向守護. 主君, 足利 尊氏. 氏族, 大友氏. 父母, 父:大友貞宗、母:少弐貞経娘. 兄弟, 貞順、貞載、立花宗匡、 即宗、...
脚注
元亨利貞とは - 世界宗教用語 Weblio辞書
www.weblio.jp>...>成句の検索>四字熟語>出典別>易経
易の語で、乾(天)の四つの徳を示したもの。①元は善の長、万物の始め、②亨は万物 の長、③利は物を利す、④貞は中正の気で万物を成就さす、など。春夏秋冬、仁礼義智 にも配する。乾元亨利貞とも。(四冊本の順序記号にもする)→ 易 ...

7:19 午後  
Blogger yoji said...

サイレンス
著者名等  ジョン・ケージ/著  ≪再検索≫
著者名等  柿沼敏江/訳  ≪再検索≫
出版者   水声社
出版年   1996.04
大きさ等  22cm 456p
注記    Silence.
NDC分類 760
件名    音楽  ≪再検索≫
要旨    20世紀音楽最大の革命家、ジョン・ケージが、「コラージュ」「ミックス」的手法を縦
横無尽に駆使した破格のテクスト形式の中で、禅、インド哲学、「異端」神学等に影響さ
れた自らの芸術哲学と、その作品と技法―「沈黙の作品」、チャンス・オペレーション、
不確定性の導入等―を語り尽くす、著者の処女著作にして現代音楽最重要の書、遂に邦訳
成る。
目次    マニフェスト;音楽の未来/クレド;実験音楽;実験音楽/教義;プロセスとしての作曲
;作曲;現代音楽を予見する;アメリカ合衆国における実験音楽の歴史;エリック・サテ
ィ;エドガー・ヴァレーズ〔ほか〕
ISBN等 4-89176-339-6
書誌番号  3-0196025623

5:56 午前  
Blogger yoji said...

ケージとの対談
ケラーはケーラスの間違い


思い出の小箱から: 鈴木大拙のこと - 148 ページ
https://books.google.com/books?isbn...

岡村美穂子, ‎上田閑照 - 1997 - ‎プレビュー - ‎他の版
鈴木大拙のこと 岡村美穂子, 上田閑照. にエックハルト ... 七十年程前に、わしは老子の道徳経を、オープソコートのケーラスと二人で翻訳したんだが、とぅとぅちょぅち上ぅ官官その時老子の本を読んで、蕩々とか暢々とか荘々とかいう語が出てくるんだが、あれを英語に訳そうとすると、ああだこうだと理神的な言葉に直さねばならんのだ。漠然としたもの ...
鈴木大拙の言葉と思想 - iv ページ
https://books.google.com/books?id...

秋月龍珉 - 1967 - ‎スニペット表示
このときの老師との問答によってインスピレーションをえたケーラス博士は、翌二十七年の夏『仏陀の福音』という英文の一書を書いて、その校正刷を鎌倉の老師の許に送ってきました。宗演老師はこれを鈴木先生に邦訳させ、みずから序文をつけて二十八年二月 ...
大拙の風景: 鈴木大拙とは誰か - 62 ページ
https://books.google.com/books?isbn...

岡村美穂子, ‎上田閑照 - 1999 - ‎プレビュー - ‎他の版
鈴木大拙とは誰か 岡村美穂子, 上田閑照. 北洪川老師(油絵肖像画けて、今や朝餉をお上りになるところであった。 ... 今あさげ臨んでいる縁側で篛末な机に向われ、簡素な椅子に腰かこと〕というものをやったとき、老師は隠寮の妙香池にいっかの朝、参禅〔個人で老師の室に入って禅を問う)者 ... にっいては全くの無経験「著者〔大拙〕が老師にお目にかかったのは、確かに老師示寂の前年であった。自分は八九七)二十七歳にして渡术し、ポール.ケーラス ...
鈴木大拙 - 第 15 巻
https://books.google.com/books?id...

坂東性純 - 1993 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
老子翻訳や雑誌の編集,出版して道教,仏教の文献のはケーラス博士の助手と体験を積んでいた。大拙ほぼ五力年の僧堂生活のメリ力へ発っ前、大拙はを許したといわれる。ア通じた助手を派遣してほしいという要請があったが、師匠は大拙の見性をまって ...
鈴木大拙隨聞記 - 18 ページ
https://books.google.com/books?id...

志村武 - 1967 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
... 〇〇年、インドの仏教詩人馬鳴二〇〇ごろ—六〇ごろ)の名作『大乗起信論』の英訳、 注: ?みょ,一年間とどまっていたのである。もちろん、この問に仏教の研究は着々と進められ、大拙先生は、『老子道徳経』その他の道教阒係の英訳を手伝いながら、ケーラス ...

6:14 午前  
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  仏陀の福音
著者名等  ポール・ケラス/著  ≪再検索≫
著者名等  八幡関太郎/訳  ≪再検索≫
出版者   南光社
出版年   1935.2
大きさ等  19cm 370p
NDC分類 182.8
書誌番号  3-0190504142

所蔵情報 ( 資料情報 | 予約情報

6:16 午前  
Blogger yoji said...

ショーペンバウアーの弟子?
芥川龍之介「蜘蛛の糸」カラマーゾフの兄弟「一本の葱」ポール・ケーラス ...
snalime.com/zatsugaku/kumonoito/
芥川龍之介「蜘蛛の糸」は、オリジナルの物語ではなかった。類似する二つの作品、 カラマーゾフの兄弟「一本の葱」と、ポール・ケーラス「カルマ」。蜘蛛の糸のルーツはどれ なのか。
悪魔の歴史 | ポール ケーラス, Paul Carus, 船木 裕 |本 | 通販 | Amazon
www.amazon.co.jp/...ポール-ケーラス/dp/4791753313
Amazonでポール ケーラス, Paul Carus, 船木 裕の悪魔の歴史。アマゾンならポイント 還元本が多数。ポール ケーラス, Paul Carus, 船木 裕作品ほか、お急ぎ便対象商品は 当日お届けも可能。また悪魔の歴史もアマゾン配送商品なら通常配送無料。
ケーラスとは - 世界宗教用語 Weblio辞書
www.weblio.jp>Weblio 辞書>学問>世界宗教用語
ケーラスに関連した本. 悪魔の歴史 ポール ケーラス 青土社; 科学的宗教 パウル・ ケーラス 鴻盟社; 仏陀の福音 ポール・ケーラス 佐藤茂信. >> 「ケーラス」を解説文に 含む用語の一覧. >> 「ケーラス」を含む用語の索引. ケーラスのページへのリンク ...
蜘蛛の糸 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/蜘蛛の糸
蜘蛛の糸」(くものいと)は、芥川龍之介の児童向け短編小説。芥川龍之介のはじめての 児童文学作品で、1918年に発表された。アメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラス (英語版)の『カルマ』の鈴木大拙による日本語訳『因果の小車』の中の一編が材源と ...
出版-あらすじ-類似の物語-映画
学の発信 - 大谷大学
www2.otani.ac.jp/daisetsumuseum/catalog/c/img/catalog.html
ポール・ケーラス著『仏陀の福音』 [ぶつだのふくいん] 一冊 大谷大学図書館蔵紙本印刷 冊子 縦19,0×横12,7 明治34年(1901) ポール・ケーラス著『The Gospel of Buddha』 の邦訳。ケーラス(1852~1919)はドイツ生まれのアメリカの哲学者。本書はケーラス ...
ポール・ケーラス著、鈴木大拙訳「因果の小車」の出版年および所蔵館を ...
crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id...
ポール・ケーラス著、鈴木大拙訳「因果の小車」の出版年および所蔵館を知りたい。出典 は、「筑摩版芥川全集 1」p408で、「蜘蛛の糸」の原典と言われているもの。 回答 ( Answer). 『国会図書館所蔵明治期刊行図書目録 4』p857より「因果の小車」(ポール・ ケラス ...

6:19 午前  
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Paul Carus (German: [ˈkaːʀʊs]; 18 July 1852 – 11 February 1919) was a German-American author, editor, a student of comparative religion[1] and philosopher.[2]

Contents
Life and education Edit

Carus was born in Ilsenburg, Germany, and educated at the universities of Strassburg (then Germany, now France) and Tübingen, Germany. After obtaining his PhD from Tübingen in 1876[3] he served in the army and then taught school. He had been raised in a pious and orthodox Protestant home, but gradually moved away from this tradition.[4]

He left Bismarck's Imperial Germany for the United States, "because of his liberal views".[2][5] After he immigrated to the USA (in 1884) he lived in Chicago, and in LaSalle, Illinois. Paul Carus married Edward C. Hegeler's daughter Mary (Marie) and the couple later moved into the Hegeler Carus Mansion, built by her father. They had six children.[6]

6:23 午前  
Blogger yoji said...


サイレンス──鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ - TOWER RECORDS ONLINE
http://tower.jp/article/series/2012/08/20/silence
サイレンス──鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ
intoxicate
連載: OCHANOMA Pre-View
掲載: 2012年08月17日 21:29
ソース: intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)
文/柿沼敏江
鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ



John Cage and Daisetz Teitaro Suzuki (Japan, 1962)
Photographer: Yasuhiro Yoshioka
Courtesy of the John Cage Trust
インドから東アジアへ

ジョン・ケージ(1912-1982)と東洋思想の関わりは1940年代にニューヨークで出会ったインド の音楽家、ギタ・サラバイとの関わりに始まる。日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチの紹介によって、二人は知り合いになり、たがいに西洋音楽とインド音 楽を教えあう仲になった。インドの思想をよりよく知るためにケージはアーナンダ・クーマラスワミの著書『シヴァ神の踊り』や『芸術における自然の変容』な どを読んだ。またサラバイはインドに帰国するときに『シュリ・ラーマクリシュナの福音』をプレゼントしてくれた。こうした関わりを通じてインドの思想は ケージの音楽を大きく変え、《ソナタとインターリュード》《四季》《4部の弦楽四重奏曲》といった重要な作品を生むことになった。しかしその後、ケージの 関心は南アジアからさらに東アジアへと移っていき、その音楽は一層大きな変貌を遂げることになる。そのきわめて重要なきっかけとなったのが、仏教学者、鈴 木大拙(1870-1966)のコロンビア大学における講義であり、その教えであった。

石川県金沢市に生まれた鈴木大拙(本名は貞太郎)は、僧侶のような風貌をたたえてはいるものの、僧籍には入ったことのない宗教哲学者である。新制の第4中 学校では西田幾多郎と同級だったが、家計の都合で中学を途中退学し、小学校の英語教師となった。その後上京し、東京専門学校(現在の早稲田大学)、そして 東京帝国大学哲学科に入学。在学中に鎌倉の円覚寺で禅を学び、管長の釋宋演老師から「大拙」という道号を受けた。1897年、中国古典の英訳の助手として 渡米し、仏教書の英訳を行なって注目される。1909年に帰国した後、学習院大学教授に就任し、アメリカ人女性ビアトリス・アースキン・レーンと結婚。 1921年に京都の真宗大谷大学教授となり、英語の仏教雑誌などを創刊し、また海外各地の大学などで東洋思想を講義するようになった。ZENという横文字 を最初に用い、広めたのは大拙であった。

『鈴木大拙全集』の年譜によると、コロンビア大学との関わりは1951年に始まり、まずは「特別講義」と いう形で行なわれた。だが、1952年になると、通常の講義となり、週2回1時間ずつの講義として、2月5日から行なわれるようになった。ケージが出席し たのは、時期的にいって、このときからだと思われる。
ケージがこの講義から受けた影響は、ただ禅や仏教思想に関わるだけでなく、それ以上に大きな広がりをもつものであった。それはただケージの音楽を変
えただけでなく、その後生涯にわたってこの作曲家に影響を与え続けることになった。表現のあり方について 言えば、ケージは初期の作品ではときどき何かを「言う」ことに成功したこともあったが、「インドを発見して」、言うことが変わってきたと言う。そして「中 国と日本を発見」したときに、「何かを言うという行為自体が変わり」、「私は何も言わなくなった。沈黙したんです」と明確に述べている(『小鳥たちのため に』)。「私には言うべきことが何もない、と言いながらそう言っている」とはケージが好んで言うフレーズであるが、それはこの大拙との出会いから生まれて いるとも言えよう。コロンビア大学での大拙の講義は、1952年から1957年まで、ときにはセミナーという形で、毎年行な われた。ケージはそのうち3年間にわたって出席したと述べているが、どのくらいの頻度で講義を聞いたのかは分かっていない。講義の内容は「華厳哲学」「禅 の哲学と宗教」「菩提達磨とその著述」などであったらしい。シルヴァーマンのケージの伝記によると、大拙は風呂敷に包んだ本を持って教室に入ってきて、 ゆっくりと静かに話した。講義が始まっても10分くらい何も言わないこともあったが、その沈黙で学生たちが苛立つことはなかった。ケージはそのかわりに 「クエイカー教徒の集会でも経験できないような美しい静けさ」を体験したという。

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ジョン・ケージ初来日(1962)~鈴木大拙との会話&オノ・ヨーコ - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/d4a65ba9f6db638c74436e6215d47a14
「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。

ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。

【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】

この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。


ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)

鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。

ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。

鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。

ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。

鈴木 なるほど。

8:11 午後  
Blogger yoji said...

887夜『禅と日本文化』鈴木大拙|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0887.html
 いまでもよく憶えているのは、こういう語り口だった。
 禅というのはブッダの精神を直截に見ようとするもので、何を見ようとしているかというと、「般若」と「大悲」である。それを英語でいえば、般若はトランセンデンタル・ウィズダムに近く、大悲はコンパッションといえるであろう。この「超越的な智恵」たる般若によって、禅者は事物や現象の因果を超えるために修行をする。
 そうやってやっと事物や現象にとらわれなくなったあるとき、ふっと大悲が自在に作用する。そのコンパッションの作用は禅仏教では無生物にさえ及ぶのだ。
 そんなふうに言っていたことをよく憶えている。こんなことを感受性の高い高校生が初めて聞いたら、身震いして感動するのは当たり前のこと、そのうえさらに、本書の大拙は次のように畳みかけたものだった。
 人間はそもそも「無明」と「業」の二つの密雲にはさまれて生きているものである。禅はこの密雲に抗って、そこに睡っている般若を目覚めさせる方法なのである、トランセンデンタル・ウィズダムはその間隙に出現する方法の智恵なのだ。諸君、その方法を知りたいなら、まず学校で習ったような順で物事を考えることをやめなさい。なぜなら、禅は「認識のコースを逆にした特別の方法」をもっている。そう言って大拙は突如として、だからこそ、「禅は夜盗が夜盗に学ぶようなものなのだ」と言った。
 これはのちにぼくも読むことになる『五祖録』からの引用だったのだが、突然に夜盗になれと言われても戸惑うだろうから、説明しておく。

 ある夜盗の父親が息子から夜盗のコツを教えてほしいと言われ、二人して目星の屋敷に忍びこんだ。父親は大きな長持を明けて息子にこの中の衣服を取り出せと言っておいて、そのまま蓋を閉め、庭に出るとやにわに「泥棒だ、泥棒だ」と大呼した。
 家人があわてて起き出したが泥棒はいない。困ったのは息子のほうで、長持から出るに出られない。そこでやむなくネズミが齧る物音をたて、家人が長持を開けたとたんに飛び出し、命からがら逃げ出した。
 這々の体で息子が戻って父親にひどいじゃないかと言うと、まあ憤るな、どうやって逃げたか話してみろというので、息子が一部始終を話すと、そう、それだ、お前はこれで夜盗術の極意をおぼえたのだ、と。
 こういう奇想な話を紹介し、大拙はすかさず「禅は不意を打つものだ。それが禅の親切というものだ」と説いたのである。親切が不意を打つことだなんて、わーっ、カッコいい、ものすごい。こんなことニヤリともせずに茶碗を片手で出すように言われれば、一介の青年、すぐに禅や禅林に憧れるのも無理はない。

6:38 午後  
Blogger yoji said...

末村論考
http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/03/2011_38_hikaku_04_suemura.pdf
三―I 大拙の般若経論大拙の般若経研究における主要論文としては「般若経の宗教と哲学」「金剛経の禅」の二者が挙げられる。本稿でもこの二本を中心として論を進めたい。特に前者は、如に関する言及が多数見られる。また広く知られた大拙の般若経研究と言えば、即非の論理も挙げられるだろう。この論理は『金剛般若経』中の矛盾的構文の論理化として後者の論文で提唱された「A即非A。是名A。」という形式を持つものである。大拙門下である秋月龍珉氏は、即非の論理とは如の論理的表現であると述べている。ここでは、初めに大拙の般若経研究における如の思想を追い、最後に即非の論理についても少し考察を加えたい。

9:56 午前  
Blogger yoji said...


 この注釈は、鈴木の書より刺激を受けたその感激を誇張したものだろうが、ハイデッガーの
哲学は、その流れといい、その特徴といい、その基盤といい、西洋の中心をなすものである。
そしてもちろん、禅にはないものがハイデッガーにあり、また、ハイデッガーにないものが禅に
はあるのだが、そうした違いにもかかわらず、両者間の共通性には驚嘆するに十分なものが
ある。つまり、ハイデッガーの最終的な主張、すなわち、西洋哲学が巨大な錯誤であった、と
はどういうことなのかといえば、それは、人間をして、存在自身の統合性からも、自分の存在
からも切り離してきた、二元論的知性のもたらす結果であったということなのである。

西洋にとっての禅
http://retirementaustralia.net/old/rk_0706_gaku21.html
…ある日、ハイデッガーの友人が、こう私に言ったことがある。彼がハイデッガーをたずねた
時、ハイデッガーは鈴木大拙の本を読んでおり、「もし、私がこの人物を正しく理解していると
すれば、それは、私のすべての著作をもって私が言わんとしていることだ」、と注釈したという。

参考:
鈴木大拙の風光
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-257.htm




10:01 午前  

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