大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した、民間人の手による[1]、「漢訳仏典の総集」とも言える大蔵経である。大正大蔵経、大正蔵とも。
概要:
17字詰29行3段組、各巻平均1,000ページになっている。正蔵(中国所伝)55巻、続蔵(日本撰述)30巻、別巻15巻(図像部12巻、昭和法宝総目録3巻)の全100巻から成り、漢訳の仏典の最高峰と呼ばれている。校訂不備多しとの批判はあるものの、世界における仏教界や仏教研究に寄与している。
仏教関係の著述の参考文献として大正蔵、大正と略されることが多い。また、仏教関係論文に、しばしば「Txx-yyyz」とあるのは、大正蔵経のxx巻のyyyページz段の略である。
日本撰述の仏典に関しては、主要なものだけであり、日本仏教を研究する場合には、別の文献を参照する必要がある。
大正新脩大藏經は、各図書館のリファレンスブックに指定されているので、主な図書館は所蔵している。
近年では、東京大学の『大正新脩大藏經』テキストデータベース(SAT)[3]や台北の中華電子佛典協會(CBETA)[4]といったプロジェクトが、大正藏の電子テキスト化を推進している。それらは、一定の制約内ではありながら自由に使用できる。
構成:
近代仏教学の成果を踏まえつつ、大乗経典の五部(般若・宝積・大集・華厳・涅槃)を筆頭に持ってくる伝統的な中国大蔵経の構成を廃し、『阿含経』を筆頭に年代順・地域順に並べる合理的な構成となっている。通し番号は1から2920まで。
- インド撰述部(No1-No1692)
- 阿含部(No1-No151)
- 本縁部(No152-No219)
- 般若部(No220-No261)
- 法華部(No262-No277)
- 華厳部(No278-No309)
- 宝積部(No310-No373)
- 涅槃部(No374-No396)
- 大集部(No397-No424)
- 経集部(No425-No847)
- 密教部(No848-No1420)
- 律部(No1421-No1504)
- 釈経論部(No1505-No1535)
- 毘曇部(No1536-No1563)
- 中観部(No1564-No1578)
- 瑜伽部(No1579-No1627)
- 論集部(No1628-No1692)
- 中国撰述部(No1693-No2184)
- 経疏部(No1693-No1803)
- 律疏部(No1804-No1815)
- 論疏部(No1816-No1850)
- 諸宗部(No1851-No2025)
- 史伝部(No2026-No2120)
- 事彙部(No2121-No2127)
- 外教部(No2128-No2144)
- 目録部(No2145-No2184)
- 日本撰述部(No2185-No2731)
- 続経疏部(No2185-No2245)
- 続律疏部(No2246-No2248)
- 続論疏部(No2249-No2295)
- 続諸宗部(No2296-No2700)
- 悉曇部(No2701-No2731)
- 古逸部(No2732-No2864)
- 疑似部(No2865-No2920)
5 Comments:
938 考える名無しさん[] 2019/01/19(土) 21:24:40.02 ID:0
『世界古典文学全集 第6巻 仏典 1』 中村元編 (1966)
仏伝
・「仏伝に関する章句」 中村元
・「偉大なる死」 中村元 (大パリニッバーナ経)
原始経典
・「経典のことば」 中村元
・「シンガーラへの教え」 中村元
・「本生経」 平川彰 (ジャータカ)
・「長老の詩」 早島鏡正 (テーラ・ガーター)
・「長老尼の詩」 早島鏡正 (テーリー・ガーター)
「アヴァダーナ」 奈良康明
「百五十讃」 奈良康明
「金剛の針」 中村元
「ラトナーヴァリー」 瓜生津隆真
「ナーガーナンダ」 原実
939 考える名無しさん[] 2019/01/19(土) 21:25:07.22 ID:0
『世界古典文学全集 第7巻 仏典 2』 中村元編 (1965)
「維摩経」 中村元
「法華経」 紀野一義
「勝鬘経」 高崎直道
「華厳経」 玉城康四郎
「阿弥陀経」 早島鏡正
「大無量寿経」 早島鏡正
「般若波羅蜜多心経」 平川彰
「八千頌よりなる般若波羅蜜経」 平川彰
「中論の頌」 平川彰
「大乗起信論」 柏木弘雄
「理趣経」 金岡秀友
「ダラニ集」 金岡秀友
968 考える名無しさん[] 2019/01/28(月) 22:13:36.75 ID:0
“心は、欲望に満ちた世界と同じ性格ではなく、
純粋な物質からのみなる世界と同じ性格ではなく、
純粋な精神のみからなる世界と同じ性格でもない。”
― 「大日経」 1.真言の教えに入り、心の特徴を理解する章 『大乗仏典 8 中国密教』 頼富本宏訳 (1988)
44 考える名無しさん[] 2019/02/19(火) 17:01:37.92 ID:0
17、東洋哲学における無意識
西洋で無意識について最初に言及したのは、十九世紀のシェリングであると、ユングがいってることはすでに述べた。
しかし、無意識の起源が仏教哲学やインド哲学にまでさかのぼれることはよく知られている。
インド古代哲学のウパニシャッドに、これは無意識のことではないかという記述がある。
紀元前800年頃に書かれたとされる「ブリハッド・ウパニシャッド」にこうある。
「一切の存在の中に居住し、一切の存在とは別のものであり、一切の存在が知ることなく、
一切の存在を肉身とし、一切の存在を内部から制御するもの、それがあなたのアートマン(真我)であり、不死の、内部の抑制者であります。」
これはまちがいなく、無意識について記述しているであろう。
ぼくの知っているいちばんの無意識の起源はこれであるが、
他にも無意識について言及している可能性があるものについても言及しておこう。
起源前400年頃に仏教の開祖ゴータマ・シッダルタは、「無明」というものに言及している。
これは原始仏典の「阿含経」に書かれている。無明は、六個の感覚器が、六個の識覚を消した時に、なお残る人の識覚である。
このゴータマ・シッダルタの「無明」は、無意識についての言及だとは、認めるには少し確信できない書き方がされている。
だから、ゴータマ・シッダルタの「無明」は、無意識ではないのかもしれない。
だが、八世紀のインド哲学者シャンカラは、仏教の無明を無意識だと解釈している。八世紀のシャンカラでも、十分に西洋より早い言及だ。
45 考える名無しさん[] 2019/02/19(火) 17:04:44.87 ID:0
さらには、順番が前後するが、四世紀のインドのヴァスバンドゥが「唯識三十偈」で
「末那識」「阿頼耶識」という概念を述べている。これは、無意識であると解釈することもできる可能性がある。
人の知覚できる世界、意識の世界において、その外の世界が存在すると考える根拠はなんだろうか。
西田幾多郎の「善の研究」を読んでいる時にぼくが思いついたのだが、人の意識は自我の主体の内側だけで意思が決定されるのではない。
ヒトの意識は、意識の内側だけで決まるのではない。ヒトの意識は、意識の外側から志向される要素と、
意識の内側から志向されう要素の統合によって発現するのである。
つまり、無意識に当たる神経の興奮が原因で発現する意思の要素は必ず存在する。ヒトの一回の意思決定には、
無意識からの発動する神経による影響が存在する。
無意識の領域の神経の興奮が、意識にのぼる意思の発現の原因となる。
意識によってとらえられない世界のことをカントは「物自体」と呼んだ。
意識によってとらえられない存在を、朱子は「理」と呼んだ。
意識によってとらえられない存在をゴータマ・シッダルタは「無明」と呼んだ。
このように、ドイツ大陸哲学と呼ばれ、哲学のコペルニクス的転回といわれたカントの「物自体は認識できない」という思想は、
東洋哲学に散見することができる。ゴータマ・シッダルタや朱子によって、ドイツ大陸哲学と呼ばれる思想は、
仏教、儒教にすでに同様の発想が、西洋哲学とは異なる表現によって述べられていた。
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