火曜日, 5月 02, 2017

Śāntideva シャーンティデーヴァ(寂天)『入菩薩行論』7c

菩薩を生きる 入菩薩行論 | シャーンティデーヴァ, 長澤 廣青, 寺西 のぶ子 |本 | 通販 | Amazon2011

https://www.amazon.co.jp/dp/4894491230/
ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1493791870&sr=8-1&keywords=菩薩を生きる

以前にも、他の出版社から「入菩薩行論」の翻訳が二度なされている。さて、本書はそのまんま「菩薩行を説いた論書」であるが、著者のシャーンティデーヴァは本来、菩薩行について良く説かれている「華厳経」を分かり易く「阿含的スタイル」で改めて菩薩行とは何か?菩提心の重要性とは何かを文学的詩文で表現している。私はいつも思うのだが、たとえ仏教的知恵を極め、瞑想に熟達し、極端な話、他人の心をよみ、自由自在に空を飛べても、心に慈悲の無い人、とりわけ大乗仏教において重要な「菩提心」無き者は単なる小乗卑賤の輩に過ぎず、その修行も虚しいばかりである。本書で執拗なまでに菩提心が強調される態度には共感できる。しかしながら油断してはならない。それはこの論書の著者の文章表現には、三悪趣転落の恐怖、地獄の恐怖を煽り立て読み手を深いペシミズムの闇に突き落としかねないカルト性が混在しているからだ。それが著者の心象風景であることは間違いない。恐怖で人を脅す誘導説法は、影響を与える側も受ける側も共に「心の弱さ」に捕らわれる危険性がある。この弱さこそが「あらゆる宗教の堕落」の原因なのであるから目下必要なのは「強さを教える教義」であり弱さは駄目だ!と苦言を呈しておく。この論書のネタ本が華厳経だというなら、華厳経には「恐怖による脅し」など微塵もない明るい人間賛歌的経典であり、こちらのほうがよほど現代的ニーズがあるように思えてしかたない。これから「入菩薩行論」に挑戦しようとする皆さんは「華厳経」と読み比べてみると面白いかも知れません。華厳経がセーフティーネット的役割を果たすやも知れない。
コメント  22人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか?  



寂天

寂天(じゃくてん、Śāntidevaシャーンティデーヴァ650年-700年頃)とは、南インド出身のインド仏教中観派僧侶

プトゥンの『仏教史』によると、南インドの王族の出身で、父王の死に際して出家を決意し、ナーランダー大僧院で学んだ[1]

その著作である『入菩提行論』は、インド後期仏教、及びチベット仏教に多大な影響を与えた[1]

著作編集

脚注・出典編集

関連項目編集


入菩薩行論

入菩薩行論』(にゅうぼさつぎょうろん、Bodhisattvacharyāvatāra、ボーディサットヴァチャリヤーヴァターラ)は、インドのナーランダー僧院大学の僧侶シャーンティデーヴァ(寂天)によって700年頃にサンスクリット詩として作られたとされる大乗仏教の典籍である。『入菩提行論』(にゅうぼだいぎょうろん、Bodhicaryāvatāra、ボーディチャリヤーヴァターラ)とも。

中観流の倫理を説示した論書として、10世紀後半以降のインド後期大乗仏教と後伝期チベット仏教において重んじられた[1]。ベルギーのインド学者ルイ・ド・ラ・ヴァレ・プサン英語版による仏訳をはじめとして幾度も西洋語に翻訳されており、20世紀以降は欧米でも夙に有名な仏典である。

目次

諸本編集

現在伝わっている『入菩薩行論』には、サンスクリット諸写本、チベット語訳、宋代の漢訳(天息災訳『菩提行経』)、モンゴル語訳(チベット語からの重訳)がある。また、近年では敦煌文献の中に著者名をアクシャマティとする同論の異本があることが知られている。この敦煌出土チベット語写本は9章立てになっており、後代の増広を経た10章からなる現行の梵本や蔵本よりも原形に近いと推定されている[2]。天息災による漢訳『菩提行経』は、聖龍樹菩薩が経典の偈頌を撰して作ったという体裁を取っており、シャーンティデーヴァの述作とする梵本やチベット訳と相違する。また、現行梵本の第3・4章に当たる部分がなく、第三「護戒品」が第5章に対応し、全八品となっている。

構成編集

『入菩薩行論』には十の章があり、全体として、六波羅蜜の実践を通じて菩提心(利他の精神と結びついた、悟りを求めるこころ)を発達させることをテーマとしている。覚りを得ようと発願することの功徳を説く章から本文は始まる。忍辱波羅蜜についての第6章は、この主題について書かれたものの高峰だと多くのチベット仏教徒がみなしているものであり、シャーンティデーヴァの言葉とされる数多くの引用句の原典である。チベット人の学僧たちは第9章「智慧」を中観派の見解を最も簡潔に説明したもののひとつだと考えている。第10章はチベット仏教では最もよく知られた大乗の祈願文のひとつである。

各章の概要編集

  1. 菩提心の利福(他者のために全き悟りに至らんとする発願)
  2. 罪業の懺悔
  3. 菩提心の摂取
  4. 菩提心の不放逸
  5. 正知の護戒
  6. 忍辱の実践
  7. 精進の実践
  8. 禅定の実践
  9. 智慧の実践
  10. 廻向

註釈文献編集

ジュ・ミパムなど多くのチベットの学僧が本書の註釈を物している。

編集

日本語訳編集

  • シャンテ・デーヴァ 『入菩薩行』 河口慧海訳、博文館、1921年(底本:チベット大蔵経東京大学附属図書館所蔵ナルタン版テンギュル、参照としてペトログラード学士会院1891年版、および印度仏典出版協会雑誌版の梵本)
    • 改訂版 『入菩薩行 河口慧海著作選集 第12巻』慧文社、2016年
  • 中村元 『現代語訳 大乗仏典7 論書・他』 東京書籍、2004年(漢訳本『菩提行経』訓読・梵本和訳対照。部分訳。)
  • シャーンティデーヴァ 『菩薩を生きる 入菩薩行論』 寺西のぶ子訳、長澤廣青監修、バベルプレス、2011年(英訳からの重訳。底本の記載なし。)

関連項目編集