金曜日, 8月 11, 2017

有沢広巳

興味深い…


有沢広巳 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/有沢広巳


大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。


アドルフ・ヒトラー率いるナチスを激しく批判…


1938年、有沢は人民戦線事件により大内らと共に治安維持法違反で起訴され、

東大を休職処分となる。


戦後の1945年、東大経済学部に教授として復帰すると、吉田茂の私的

ブレーンやエネルギー問題の専門家として活躍。


再生産表式から着想を得て戦後復興期における政府の傾斜生産方式(石炭・

鉄鋼等、主要産業の復興を優先する方式)の立案者となる。


「安全確保に役立っていない過重な付属設備は除去すべきである」と語り、

その例として軽水炉緊急炉心冷却装置をあげ、その設計が「オーバー・

デザイン」ではないか、配管の瞬時破断は実際には起こりえない、などとし、

「ある面だけ丈夫にしても安全上意味がなく、無駄な投資だ」と述べた。



有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年2月16日 - 1988年3月7日)は、日本の統計学者経済学者法政大学元総長。 東京大学名誉教授法政大学名誉教授。統計学が専門分野で実証に徹した。

有沢 広己
人物情報
生誕1896年2月16日
死没1988年3月7日(満92歳没)
国籍日本の旗 日本
出身校東京帝国大学
学問
研究分野統計学 経済学
称号東京大学名誉教授 法政大学名誉教授
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来歴・人物編集

高知県出身。高知中学を経て、第二高等学校卒業東京帝国大学では法学部から独立したばかりの経済学部の第一期生として統計学を糸井靖之の演習にて学ぶ。また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。在学中に森戸事件が起こる。大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。1922年に同大学を卒業後、助手を経て1924年に同大経済学部統計学講座の助教授となる。同年、同大講師猪間驥一を大学から追放した。1926年 - 1928年までは、同大学医学部助教授で同志の国崎定洞とともにドイツに留学。そこでワイマール共和制に感銘を受け、帰国後、共和制打倒を掲げ台頭したアドルフ・ヒトラー率いるナチスを激しく批判した。

ファシズムの波が社会を覆った時代にあって、1938年、有沢は人民戦線事件により大内らと共に治安維持法違反で起訴され、東大を休職処分となる。しかし結果として1944年9月に、二審で無罪となる。戦時中は昭和研究会で「日本経済再編成試案」を作成したところ財界から反対され、秋丸機関大日本帝国陸軍)に所属し、欧米と日本の経済比較を行った。敗戦後の1945年、東大経済学部に教授として復帰すると、吉田茂の私的ブレーンやエネルギー問題の専門家として活躍。石炭小委員会委員長を務め、再生産表式から着想を得て戦後復興期における政府の傾斜生産方式(石炭・鉄鋼等、主要産業の復興を優先する方式)の立案者となる。1950年 経済学博士 「日本工業統制論」 1956年に東大を退官。退官後は、法政大学経営学部教授・総長(1956年 - 1962年)、原子力委員会委員長代理、産業計画会議委員(議長・松永安左ヱ門)、日本原子力産業会議会長(第3代、1973年-1988年)、学士会理事長(第5代、1974年-1988年)などを務めた。1985年、中国社会科学院より名誉博士号を授与された。

1966年叙勲一等瑞宝章。1975年授旭日大綬章。1981年文化功労者。1988年叙正三位

研究者としては、「ダグラス・有沢の法則」(家計の主要労働力の所得水準と、付随する労働力の就業率との間には負の相関関係があるという経験則)を実証したことで有名。

藤岡由夫湯川秀樹正力松太郎石川一郎とともに創立当初からの原子力委員会委員であり、原子力委員会委員長代理への就任以来は日本の原子力政策の推進者としても知られ、1986年4月8日の日本原子力産業会議年次大会では、「安全確保に役立っていない過重な付属設備は除去すべきである」と語り、その例として軽水炉緊急炉心冷却装置をあげ、その設計が「オーバー・デザイン」ではないか、配管の瞬時破断は実際には起こりえない、などとし、「ある面だけ丈夫にしても安全上意味がなく、無駄な投資だ」と述べた。[1]

日本銀行の理事で、名古屋支店長を歴任した有沢滋は実兄である。

著書編集

単著編集

  • 『日本工業統制論』(有斐閣 1937年)
  • 『学問と思想と人間と―忘れ得ぬ人々の思い出』(毎日新聞社 1957年)
  • 『有沢広巳 戦後経済を語る』(東京大学出版会 1989年)
  • 『ワイマール共和国物語 上・下』(東京大学出版会 1994年)

共著編集

編著編集

  • 『日本の生活水準』(東京大学出版会 1954年)
  • 『日本のエネルギー問題』(岩波書店 1963年)

監修編集

  • 『資料・戦後日本の経済政策構想 全3巻』(東京大学出版会 1990年)
  • 『日本産業史1・2』(日経文庫
  • 『日本証券史1・2』(日経文庫)
  • 『昭和経済史上・中・下』(日経文庫)

脚注編集

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  1. ^ 『朝日新聞』1986年4月8日付け夕刊
先代:
大内兵衛
法政大学総長
1959年 - 1963年





有沢広巳戦後経済を語る 昭和史への証言  著者名等  有沢広巳/著  ≪再検索≫  出版者   東京大学出版会  出版年   1989.5  大きさ等  20cm 278p  注記    聞き手:大来佐武郎ほか  NDC分類 332.107  件名    日本-経済-歴史-昭和時代  ≪再検索≫  件名    日本-経済政策-歴史  ≪再検索≫  目次    1 戦後復興(経済再建へのビジョン;経済民主化と社会化の条件;傾斜生産と過渡期の 経済;朝鮮戦争と日本経済);2 統計委員会(急がれた統計制度の改善;独自の発案に 基づく委員会;世界センサスで統計の水準向上;統計法改正で各省と対立;余儀なかった 行政管理庁への統合);3 失業・雇用政策(失業政策から雇用政策へ;日本での完全雇 用宣言;失業対策事業の合理化;雇用対策法制定への過程;炭鉱離職者対策の特徴;最低 賃金制の確立を目指す;最低賃金法の成立と改正;失業保険制度を大幅に改正);4 エ ネルギー革命(石炭調査団の結成;老朽炭鉱の処理に苦心;スクラップ・アンド・ビルド 政策;「静かな撤退」が動かぬ基本理念)  ISBN等 4-13-043034-3

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