CONTENTS
Preface : One Karatani, Indivisible-Jonathan E. Abel, vii
Introduction : Exchange and Gift-Hiroki Yoshikuni, xix
Preface to the English Edition (2015), xxxv
Note on the Text, xli
1. Empire and Nation An Introduction, 1
2. Transcritique on Kant and Freud, 33
3. History as Museum: Okakura Kakuzo and Ernest Fenollosa, 65
4. The Utility of Aesthetics: After Orientalism, 79
5. Nation-State and Linguistics, 93
6. Geopolitics of the Character: Japan-Psycho-Analysis, 113
Afterword to the Japanese Edition, 135
Notes, 137
Index, 159
❹A『ネーションと美学』"Nation and Aesthetics"
[1]序説 - ネーションと美学 -
第1章 資本=ネーション=ステート
1 交換の諸タイプ
2 ボロメオの輪
第2章 ネーションと美学
1 道徳感情と想像力
2 感性化=美学化
第3章 二つの帝国
1 帝国と帝国主義
2 二つの「帝国」
[2]死とナショナリズム - カントとフロイト
序説
1 死の欲動
2 崇高とユーモア
3 世界共和国
4 文化への不満
[3]美術館としての歴史 - 岡倉天心とフェノロサ
[4]美術の効用 - 『オリエンタリズム』以後
[5]ネーション=ステートと言語学
1 ソシュール
2 時枝誠記
[6]文字の地政学 - 日本精神分析
注
初出誌一覧
あとがき
参考:
以下、英語&序文執筆者情報。
吉国 浩哉(ヨシクニ ヒロキ) YOSHIKUNI Hiroki - 教員一覧 - 東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/research/faculty/list/lis/f006609.html
Jonathan E. Abel は東浩紀『動物化するポストモダン』の英訳↓などがある。
Kindle版
憲法第9条に触れた柄谷自身の序文は2015年のもの。
《浅田 ぼくは柄谷行人のカント再評価に同意するので、世界連邦による永遠平和といった
理念は長期的には統整的に働くと思う。》(新潮2017年8月号122頁)
南瞻部洲萬國掌菓之圖:
表紙:
書誌の解題/抄録頭陀浪華子製図并撰。浪華子とは鳳譚また僧濬で、華厳宗再興の祖とされる。仏教的世界観にもとづく世界図。南瞻部洲とは須弥山の東西南北にある4つの大陸のうち南の大陸で、仏教的世界観ではここが人間の住む世界とされる。北が広く南に尖ったかぶら型で、もともとは唐・天竺・日本の3国をその世界の主体とするが、西洋からの世界知識の伝来をうけて両者の融合がはかられる。本図はその代表例で、北西部に群島状のヨーロッパが描かれ、日本の南には南北アメリカ大陸と比定できる陸塊が見える。題額脇に多数の典拠資料リストがある。板行の南瞻部州図としては最初、かつ最詳の図として広く流布した。元の題簽は残るが改装。
南贍部洲万国掌菓之図 | 横浜市立大学所蔵の古地図データベース | 横浜市立大学学術情報センター
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~ycu-rare/pages/WC-0_117.html?l=4&n=105
【日本語訳】
人の行いに限りなど無いように、世界もまた果てのないものである。しかし、優れた眼で見れば、広大無辺の大千世界も手中の芒果のようなものである。無数の四天下が薺のように等しくても、ただ閻浮提の形は人の顔に似て、しかしそれも蔵の中の一粒の粟のようなちっぽけなものにすぎない。さて、凡人は洞穴の中ではほんの少し先を視ることしかできない。離婁は百歩離れた所から、秋毫(秋になって生えかわった獣の細い毛)を見極めたが、玄珠を捕らえることができず、鴟鵂は夜の闇の中で蚤を捕ることができても、昼間は目を瞑っていて丘山を見ることもできない。常人は壁を隔てれば、盲人のようである。だとすれば、塵洲については言うべくもない。ああ、井の中の蛙が大海を語る術がないだけである。
ひそかに思うことだが、曩哲は生涯をかけて辺境の域を極めたが、章允が踏み行った場所や夸父が越えた場所には、未踏の地が遺されている。班超は長い間をかけたが、その足跡は遠くないし、張騫は遠くを行ったが、航海を広くおこなったわけではない。ただ我が仏門の三蔵である法顯や玄弉だけが我が身を捨てて危地に赴き、遠くその辺境まで詣でて尋ね尽くして、その果てを極めたと言える。そして、その記述されている五天・胡羌・蔥嶺・雪嶠の辺りは、前に伝え聞いたものと異なってはいても、そこに全て存在している。しかし、やはり海の外はまだ極められていない。(そうはいっても)朝鮮・日本・琉球・暹羅(タイ)・呱哇(ジャワ)などの粟のような小国群にまで、どうして彼らの足跡が及ぶだろうか。まして、歴世の革新や、梵語や漢語における講釈の違いをそのままに、ただ一方を極めて、風俗の境界を載せてないのは言うまでもない。
そこで、『史記』の傳に(異国の事が)僅かばかり挙げてあるのだが、多くが混乱していて、後世の読者をいよいよ惑わせるばかりである。『三才圖繪』及び『圖書編』、『明一統志』等には、或るものは漢語と梵語の音に迷って別の国を成し、或るものは南北の地は並べたように描くだけでその国名は記さず、或るものはただ国名を記すだけで位置を示さず、大国を小国としたり、狭い地域を広い地域と称するものもある。そして、どれも五印度の境界を詳らかにできていない。
志磐の『佛祖統紀』には世界の名とその実態を記した名體志があり、(それによって)西土の五印度の地図が世に出た。私は、偶然にもこれを詳しく見ることができたのだが、覩貨羅(トカラ)・瞢徤・鐵帝・(口+皿)摩・訖栗・阿利尼などや、また謎羅川は、どれも蔥嶺の東北に並べている。このことから、(五印度の図が)劣ったものであると悟った。(このような誤りがあるのは)『西域記』によって、『釋迦方誌』の「慈恩傳」を参照しなかったせいである。また、(この五印度の図は)河江を記しておらず、辺境の地も書き損じている。布怛洛を師子國(セイロン島)の東に置き、楞伽山を欠いているのは、みな間違いである。
昔から我が国の名刹に収めてあるものに、五印度の図が有る。これを開いて見たところ、全く『佛祖統紀』より劣っていると判った。また、大唐の果ての補陀山から南海の浜を測ったところ、その距離は一万里であった。中国・インドの名所が乱れ、どちらも五天竺の境を失っていることに涙し、言葉をなくす。このように、その図は、取るに足りないものだ。だから、人に見せるのに、とりとめなく見せるに任せるべきではない。私は、またこれに間違いを見つけること久しい。
比較するのに、嘗て収集したものがある。大体の瞻部洲にある塵のような小国を統合し、一つの掌に縮めて収める。掲げて、『萬國掌菓図』という。これを一目よく見れば、そのまだ旅遊しないところ、未踏のところというのは、戸庭を出ないで見ることができ、多くの掌にある国を指し示すことができ、晴れた夜にもたれて星を仰ぎ見るのと同じである。しかし、わざわざ捜すことを労わないでほしい。(この図は)明らかに見てとることができる。何と便利なことか!ああ、私もまた狭い見識からぼんやりと判るのだが、この図は、全くその工匠を実に尽しているのだ。それは、大変難しいことだ!そして、刻本し、遂に、お祝いをすることになったのだが、梓(=版木)は流出してしまったので、これのみを不朽のものとして伝えることになった。大体、この図を設けたところ、天竺や蔥嶺の東に係わる所で、全て周囲は千里となり、また囲いは一寸で、広さもまたそうであり、これが定石の方式である。中国・朝鮮・日本・琉球・交址・占城などは、大体が各々昔からの書を熟読するが、字音の取捨選択ができない。その他の諸蛮国は、多くは字音が通じないものがある。よって由来もなくその州県の里程を書き表しただけである。その各々の境は、碁石や星々が連なり合わさるようにバラバラに散らばっているので、往々にして、指で描き示して少々違うことが無いわけではない。(しかし)どうか間違いだと言わないでほしい。木の影が地面に射すと、どうも傾き曲がってしまい正しくないというようなものだ。まして、山川・江海・殊壤・異垓を集めて(図上に)併せたところ、九万里余りもあり、また、他の領土外は、全ての頭が等しくしたが、一つの掌ほどの図面ばかりに納まるだろうか。大体の仏教を学ぶ者でこの地図を見ることがないならば、経典に対するたびに、究めることが不充分になるではないか!それなのに、世の儒学者は地理を論じる話題は、ただその(距離である)万里の話に及ぶだけである。このことを信じるな。(井の中の)蛙は知っていることも少ない。また五天竺の豊かなことも知らない。だから、辺境の地を取って、中国(=真ん中の国)としたのだ。まして世界の中心の須彌山や広大な大千世界、あるいは、善財童子が尋ねる華藏界、帝釈天の宮殿の網のように重なり合っている世界海を知りたくはないか。これは後に学ぶ者は知っていたほうが良いものである。そのために述べる。
宝永七年(一七一〇)春月穀且に抄す
日本國京兆 頭陀 浪華子 製圖して撰す 書肆 文臺軒字平藏版
☆
4 Comments:
柄谷行人書評集 単行本 – 2017/11/15
12年分の新聞書評を漏らさず収録!絶版の文庫解説付!
文芸評論家デビュー前に執筆された「小説家としてのダレル」(『英語研究』1969年4月号)だけ
でなく、「反ロマネスク・ヘミングウェイ」(石一郎編『ヘミングウェイの世界』1970年)や、武田泰
淳『わが子キリスト』、大岡昇平『野火』、後藤明生『パンのみにあらず』、吉本隆明『改訂新版
言語にとって美とはなにか』といった絶版になった文庫解説、江藤淳、大岡昇平、坂口安吾
らの全集解説ほか、現在まで著者単行本未収録の「書評/論文」をあまさず収録。柄谷氏が
1970年に『日本読書新聞』に連載していた「方位‘70」(4回分)も収録。1960年代~70年代の多
くの論考は、今回新たに発掘されたものが多い。現在ではほぼ目にすることができない貴重
な論文である。加えて、文庫・全集解説として執筆された論文は、400字詰め20枚~30枚に及
ぶものばかりであり、一本の「文芸批評作品」として読むことが可能である。
【目次】
第1部 柄谷行人氏が2005年に朝日新聞書評委員に就任してから現在までに、同紙に掲載さ
れた書評(約120本)
第2部 1960年代から80年代にかけて、柄谷氏が、文芸誌、新聞、雑誌等に発表した書評25
本(年譜未掲載の原稿多数あり、今回新たに発掘。すべて単行本未収録)
第3部 1970年代から現在までに柄谷氏が執筆した「文庫解説」と、「個人全集」「文学全集」の
月報などに執筆した論文20本(すべて柄谷行人名義の単行本未収録)
坂口安吾論 2017年10月11日書店発売 柄谷行人 著
第一部 坂口安吾について
1 或る時代錯誤
2 二つの青春
3 僧侶と堕落
4 美学の批判
5 美と崇高
6 ふるさと
7 子供
8 超自我
9 ファルス
10 イノチガケ
11 殉教
12 穴吊し
13 もう一つの近代の超克
14 歴史家としての安吾
15 歴史の探偵=精神分析
16 戦後の革命
第二部
『日本文化私観』論(一九七五年)
安吾はわれわれの「ふるさと」である(一九八一年)
堕落について(一九八八年)
坂口安吾のアナキズム(二〇〇一年)
合理への「非合理」な意志(二〇〇四年)
第三部
新『坂口安吾全集』刊行の辞(一九九七年)
坂口安吾の普遍性(一九九八年)
[対談]新『坂口安吾全集』編集について/関井光男・柄谷行人(一九九八年)
あとがき
Isonomia and the Origins of Philosophy [Kindle edition] by Kojin Karatani, Joseph A. Murphy
2017/8/11
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TDWFV5/
Karatani's book makes you see the entire history of philosophy in a new way; it deserves to become an instant classic."--Slavoj Zizek
Amazon | Isonomia and the Origins of Philosophy [Kindle edition] by Kojin Karatani, Joseph A. Murphy | Political Science | Kindle
2017
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TDWFV5/
Karatani's book makes you see the entire history of philosophy in a new way; it deserves to become an instant classic."--Slavoj Zizek
内容紹介
In Isonomia and the Origins of Philosophy—published originally in Japanese and now available in four languages—Kojin Karatani questions the idealization of ancient Athens as the source of philosophy and democracy by placing the origins instead in Ionia, a set of Greek colonies located in present-day Turkey. Contrasting Athenian democracy with Ionian isonomia—a system based on non-rule and a lack of social divisions whereby equality is realized through the freedom to immigrate—Karatani shows how early Greek thinkers from Heraclitus to Pythagoras were inseparably linked to the isonomia of their Ionian origins, not democracy. He finds in isonomia a model for how an egalitarian society not driven by class antagonism might be put into practice, and resituates Socrates's work and that of his intellectual heirs as the last philosophical attempts to practice isonomia's utopic potentials. Karatani subtly interrogates the democratic commitments of Western philosophy from within and argues that the key to transcending their contradictions lies not in Athenian democracy, with its echoes of imperialism, slavery, and exclusion, but in the openness of isonomia.
レビュー
-A unique and ambitious intellectual project, Isonomia and the Origins of Philosophy marks a new phase in the history of Marxism and in the career of Kojin Karatani. It should be regarded as one of the radical critiques of Western metaphysics by virtue of its challenge to conventional accounts of the origins of philosophy. This work is of historical importance.---Naoki Sakai, author of -Translation and Subjectivity: On Japan and Cultural Nationalism -
"A unique and ambitious intellectual project, Isonomia and the Origins of Philosophy marks a new phase in the history of Marxism and in the career of Kojin Karatani. It should be regarded as one of the radical critiques of Western metaphysics by virtue of its challenge to conventional accounts of the origins of philosophy. This work is of historical importance."--Naoki Sakai, author of "Translation and Subjectivity: On Japan and Cultural Nationalism "
"In our anti-Eurocentrist era, attempts abound to 'decenter' European legacy, to demonstrate how European ideology borrowed from and simultaneously oppressed other traditions. Kojin Karatani does something very different: he decenters European legacy from within, shifting the accent from the classic Greek idealism (Plato, Aristotle) to its half-forgotten predecessors, the so-called Ionian materialists (Thales, Democritus), the first philosophers who were also the true founders of democratic egalitarianism. Karatani's book makes you see the entire history of philosophy in a new way; it deserves to become an instant classic."--Slavoj Zizek
コメントを投稿
<< Home