金曜日, 7月 28, 2017

コンディヤック Étienne Bonnot de Condillac




富に関する省察 テュルゴー 1766 TURGOT, Anne Robert Jaques , Réflexions sur la Formation et la Distribution des Richesses

http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/1788-turgot-anne-robert-jaques.html

NAMs出版プロジェクト: コンディヤック Étienne Bonnot de Condillac(1714~1780)1776

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コンディヤック(『通商と政府/商業と政府/商業と統治/交易と政府』1776,多分未邦訳)は資本論1:4:2で引用され、使用価値と交換価値を混同していると批判されている。カントの十歳歳上。


Mais  il  est  faux  que,  dans  les échanges,  on  donne  valeur  égale  pour  valeur  égale. Au contraire,  chacun des  contractants  en  donne  toujours  une  moindre  pour  une  plus  grande. On le reconnaîtrait  si  on  se faisait  des  idées exactes,  et  on  peut déjà le  comprendre d’après  ce que j’ai dit. 

商品流通を剰余価値の源泉として叙述しようとする試みの背後には、たいてい、使用価値と交換価値との quid pro quo すなわち取違えが伏在している。かくして例えば、コンディヤックによると、──「品交換においては同等な価値が同等な価値と交換されるということは誤りである。その逆である。双方の契約当事者は、いずれも、つねに、より大きい価値とひきかえに、より小さい価値を与える。……もし、じっさい何時でも同等な価値どうしが交換されるとすれば、どの契約当事者にとっても利得は生じえないであろう。だが、双方いずれも利得を得ており、また、とにかく得るはずである。なぜか? 諸物の価値なるものは、たんに、われわれの慾望に対するそれらの物の連関にある。ある人にとってより多くのものは、他の人にとってはより僅かのものであり、また逆に……。ひとは、われわれが自分の消費に必要かくべからざる物を売りに出すものとは予想しない。……われわれは、自分に必要な物象を受けとるために、自分に無用な物象を手放そうと欲する。われわれは、より多くのものとひきかえに、より僅かのものを与えようようと欲する。……交換された物のおのおのが価値において同じ分量の貨幣に等しいときには、いつでも、交換において同等な価値とひきかえに同等な価値が与えられているのだ、と判断するのは当然であった。……だが、なおもう一つの考慮が計算にはいらねばならない。問題なのは、われわれはいずれも余計なものを必要なものと交換するのではないか、ということである」★21と。かようにコンディヤックは、使用価値と交換価値とをごちゃまぜにしているばかりでなく、まことに子供らしくも、発展した商品生産をともなう社会をば、一つの状態──そこでは生産者が、自分の生活維持手段そのものを生産し、そして自己需要をこえる超過分・余計なもの・だけを流通に投ずるような状態──とすりかえている。とはいえ、コンディヤックの議論はしばしば現代の経済学者のもとで繰返されているのであって、殊に、商品交換の発達した姿態すなわち商業をば、剰余価値を生産するものとして叙述しようとする場合にそうである。》

二一 コンディヤック『商業と政府』(一七七六年)。デールおよびモリナリ編「経済学雑纂』、パリ、一八四七年、二六七、〔二九一〕頁。




ただし、コンディヤックはマルクスの用語でいうG-W-G'を指摘しただけである。

真実の価値(le vrai prix)、多様性の価値、これらの指摘はのちのプルードンの真実の社会(Societe reelle)、公認の社会(Societe ficielle)に繋がる。

プルードンはコンディヤックに1843 - De la Création de l’Ordre dans l’Humanitéでロックと両論併記する形で言及している。




以下が参考になる。


古典派経済学研究 1  早坂忠/編    雄松堂出版  1984.10

 コンディヤックにおける経済と社会―18世紀フランス経済思想の一特質 太田一広著. 


エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%

E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%

E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%83%E3%82%AF

https://ja.wikipedia.org/wiki/エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック

エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac、1714年9月30日[1] - 1780年8月3日)は、フランス哲学者聖職者である。先行世代のジョン・ロックに影響を受けて主に認識論における研究を行い、経験論的認識論を発展させた。

エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック
Étienne Bonnot de Condillac
コンディヤック
生誕1714年9月30日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国グルノーブル
死没1780年8月3日(満65歳没)
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国ロワレ県
時代18世紀の哲学
地域西洋哲学
学派啓蒙思想経験論感覚論
研究分野形而上学認識論
心理学心の哲学
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生涯編集

コンディヤックは1714年、グルノーブルにて法服貴族ガブリエル・ボノとその妻カトリーヌの第七子、末っ子として生まれた。ちなみにその年はマルブランシュが死んだ年でもある。歴史家ガブリエル・ボノ・ドゥ・マブリはコンディヤックの長兄である。なお、マブリだとかコンディヤックというのは父の購入した所領の地名である。

コンディヤックは視力が弱かったため書物から遠ざけられ、12歳まで文字を読めなかったようである。1726年秋に父の死に伴いリヨンで司法長官の役職にあった長兄のもとに引き取られ、1733年までイエズス会のコレージュで哲学神学ラテン語などを学び、1733年10月にパリに出てサン・シュルピス神学校とソルボンヌ大学で本格的な勉強を始めた。その後1741年司祭に叙階された。しかし、彼は神学より哲学や数学や自然学の研究に熱中し、社交界、サロンに入り浸ってジャン=ジャック・ルソードゥニ・ディドロベルナール・フォントネルジャン・ル・ロン・ダランベールなどの思想家や学者たちと交わり、一度しかミサを行わなかったという。コンディヤックに深い影響を与えた。1746年に発表した処女作『人間認識起源論』を皮切りに彼は『体系論』、『感覚論』、『動物論』など次々に作品を発表した。1752年、フォントネルと共にベルリン王立アカデミー会員に選出される。1758年、44歳になろうというコンディヤックはパルマ公国の公子の家庭教師に招聘され、1767年までルイ15世の孫に当たる公子フェルディナンドを教えた。1767年に家庭教師の職を辞し、コンディヤックはパリに帰った。その頃には彼の名声は非常に高まっており、翌年アカデミー・フランセーズ会員に選出された。1773年にヴォージャンシーに城館を購入し、そこで『教程』、『通商と政府』、『論理学』、『計算の言語』の執筆に勤しんだ。1780年8月3日、コンディヤックは65歳で死去した。葬儀は生前の意思どおりひっそりと行われた。

思想編集

コンディヤックはジョン・ロックから決定的な影響を受け[2]、感覚に重点を置いた感覚論経験論哲学を展開した。彼は「分析」という手法を重要視し、観念を分析し、それを再構成することによって観念をきちんと理解し、明確化することによって誤りや無用の論争を解消できるとした。細部の違いはあれどこのような観念を明確化することによって誤りや論争を解消できるという発想もまたロックから受け継いだものである。

また、彼の記号と分析に関する発想を範としてアントワーヌ・ラヴォアジエは化学記号の整理を行った(化学革命)。つまり、これまで統一感がない呼ばれ方をしていた元素をHOなどのように記号化し、それらを組み合わせることによって化合物を構成し、式に著す。そして、あたかも数式を操作するかのように(コンディヤックは計算を思考のモデルとしていた)その式や記号を操作する。この方法ならば、実際に実験をせずとも記号操作のみによって実験結果を知ることができる。

影響編集

コンディヤックの思想はデステュット・ド・トラシーカバニスなどフランス学士院設立に尽力した観念学派と呼ばれる哲学者たちに決定的な影響を与え、彼らはコンディヤックの観念の分解と再構成のやり方での学の再編を目論んだ。また、メーヌ・ド・ビランはコンディヤックからの影響を受けて哲学を開始したが、後にコンディヤックとの対決から自身の哲学を練り上げ、フランス・スピリチュアリスムの祖となった。[3]

著作編集

  • 1746, Essai sur l'origine des connaissances humaines/古茂田宏訳、『人間認識起源論』(上下巻)、岩波書店、1994年
  • 1749, Traité des systèmes (『体系論』)
  • 1754, Traité des sensations/加藤周一、三宅徳嘉訳、『感覚論』(上下巻)、創元社、1948年  ※2008年11月現在絶版
  • 1755, Traité des animaux(『動物論』) - ビュフォンの『自然史』(『Histoire naturelle』)への批判
  • 1775, Cours d'études(『教程』) - パルマ公国の王子のために書いた教科書(「文法」、「書く技術」、「考える技術」、「歴史」からなる)
  • 1776, Le Commerce et le gouvernement considérés relativement l'un à l'autre (『通商と政府』)
  • 1780, La Logique ou l'art de penser/『論理学 考える技術の初歩』講談社学術文庫 - ポーランド政府の依頼による論理学の教科書
  • 1798, La Langue des calculs(『計算の言語』) - 未完

ネット公開されているテクスト(フランス語)編集

参考文献編集

  • 古茂田宏訳、『人間認識起源論』(上下巻)、岩波書店、1994年
  • 山口裕之、『コンディヤックの思想―哲学と科学のはざまで』、勁草書房、2002年

脚注編集

  1. ^ http://data.bnf.fr/11897507/etienne_bonnot_de_condillac/
  2. ^ コンディヤックは英語が読めなかったのでピエール・コストの仏語訳で学んだ。福島清紀「ライプニッツ 人間知性新論 再考─仏語版 人間知性論 の介在」、『人文社会学部紀要』第3巻、富山国際大学、2002年3月、 84頁、 NAID 400053914072015年8月24日閲覧。
  3. ^ 『哲学の歴史 6』(2007)<観念学派とその周辺>および<メーヌ・ド・ビラン>(執筆:村松正隆)572-573頁、614-616頁

アカデミー・フランセーズのコンディヤック座席番号編集

関連項目編集



古典派経済学研究 1

 著者名等  早坂忠/編  ≪再検索≫

 出版者   雄松堂出版

 出版年   1984.10

 大きさ等  22cm 369p

 NDC分類 331.4

 件名    経済学-古典学派  ≪再検索≫

 内容    内容:イギリス経験論における方法論的潮流とアダム・スミス 只腰親和著. D.ヒュ

ームの人間労働概念とインダストリー論 坂本達哉著. ハチスンの道徳哲学体系とスミ

ス 梅津順一著. コンディヤックにおける経済と社会―18世紀フランス経済思想の一

特質 太田一広著. J.B.セイにおける市場の論理と社会の把握―イギリス古典派経

済学批判 栗田啓子著. リカードウにおける分配論の形成 千賀重義著. 穀物法批判

の前提―リカードウ・マルサス論争研究序説 服部正治著. J.S.ミルのいわゆる販

路説と恐慌観―『経済学試論集』第2論文の検討 深貝保則著

 ISBN等 4-8419-0005-5



以下は『人間知識起源論』が考察の中心、

たわいなさの考古学―コンディヤックを読む単行本 – 2006/7/1

内容(「BOOK」データベースより)

初期代表作『グラマトロジーについて』の第二部でルソーの読解に取り組んだのにつづき、デリダは再び18世紀フランスの思想家に取り組んでいる。『人間知識起源論』を中心に、感覚論哲学の雄コンディヤックを論じる本書は、デリダによる独創的なコンディヤック読解の書であり、コンディヤック思想の脱構築の書である。『グラマトロジー』とともにデリダ初期を画す「双子の書物」のひとつ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

飯野/和夫
1951年生まれ。パリ第一大学哲学研究系博士課程修了(哲学史)。名古屋大学大学院国際言語文化研究科助教授。近代フランス思想、とりわけ18世紀感覚論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



デリダはマルクス聖家族のコンディヤック関連記事を冒頭で引用している。
邦訳91頁で交易と政言及、93頁で『資本論』におけるコンディヤック批判引用。

Frivoleは、「自由気まま」という意味だそうですが、 軽薄なイメージではなく、 「型に はまらず、自分の気持ちに素直に生きている女性」という感じがします。 または、普段は しっかりと働いている人が、 休みをとって南仏にバカンスに行って、 規制 ...

デリダは曖昧さを許さないライプニッツへの批判に着目している。


大月書店 マルクス=エンゲルス全集 online

https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK01_02_00
第2巻 1844年-1846年
第2巻序文
EM聖家族,別名 批判的批判の批判.ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す3
5
第1章 「製本親方のすがたをした批判的批判」またはライハルト氏としての批判的批判6
第2章 「製粉所所有者」としての「批判的批判」またはユリウス・ファウヒャー氏としての批判的批判8
第3章 「批判的批判の徹底性」またはJ(ユングニッツ?)氏としての批判的批判13
第4章 認識の静止としての「批判的批判」またはエドガー氏としての批判的批判15
1 フロラ・トリスタンの「労働組合」15
2 ベローの娼婦観16
3 愛16
4 プルードン19
特徴をあたえる翻訳 第120
批判的傍注 第128
批判的傍注 第231
特徴をあたえる翻訳 第235
批判的傍注 第336
特徴をあたえる翻訳 第340
批判的傍注 第446
特徴をあたえる翻訳 第449
批判的傍注 第550
第5章 秘密を売る小商人としての「批判的批判」あるいはセリガ氏としての「批判的批判」53
1 「文明における荒廃の秘密」と「国家における無法の秘密」54
2 思弁的構成の秘密56
3 「教養ある社会の秘密」60
4 「正直と敬虔の秘密」70
5 「嘲笑としての秘密」72
6 ワライバト(リゴレット)76
7 パリの秘密の世態77
第6章 絶対的な批判的批判.あるいはブルーノ氏としての批判78
1 絶対的批判の第1次征伐78
a 「精神」と「大衆」78
b ユダヤ人問題 第1.問題の提起88
c ヒンリヒス 第1.政治,社会主義および哲学にかんする秘密の暗示92
2 絶対的批判の第2次征伐94
a ヒンリヒス 第2.「批判」と「フォイエルバッハ」.哲学の弾劾94
b ユダヤ人問題 第2.社会主義,法学および政治(民族)についての批判的発見96
3 絶対的批判の第3次征伐102
a 絶対的批判の自己弁護.その「政治的」過去102
b ユダヤ人問題 第3110
c フランス革命にたいする批判的戦闘123
d フランス唯物論にたいする批判的戦闘130
e 社会主義の最後の敗北140
f 絶対的批判の思弁的循環と自己意識の哲学143
第7章 批判的批判の通信151
1 批判的大衆151
2 「非批判的大衆」と「批判的批判」156
a 「かたくなな大衆」と「不満な大衆」156
b 「心やさしく」「救済を求める」大衆159
c 大衆の回心162
3 批判的批判でない大衆,あるいは批判と「ベルリン派」163
第8章 「批判的批判」の世界遍歴と変容あるいはゲロルトシュタイン公爵ルドルフとしての「批判的批判」172
1 批判が馬殺しを犬にかえること あるいは匕首173
2 批判的宗教の秘密の暴露 あるいはフルール・ド・マリ176
a 思弁的な「雛菊」176
b フルール・ド・マリ178
3 法の秘密の暴露187
a 先生,あるいは新刑罰理論.独房制度の暴露された秘密.医学的秘密187
b むくいと罰.二重の裁判,つけたり一覧表199
c 文明における荒廃と国家における無法との廃止201
4 暴露された「立場」の秘密202
5 人間的衝動を利用する秘密の暴露 あるいはクレマンス・ダルヴィル205
6 婦人解放の秘密の暴露 あるいはルイズ・モレル206
7 国民経済学的秘密の暴露208
a 国民経済学的秘密の理論的暴露208
b 「貧民銀行」208
c ブークヴァルの模範農場210
8 「あらゆる秘密の秘密の暴露」としてのルドルフ212
第9章 批判的批判の最後の審判221
歴史的結語222
イギリスにおける労働者階級の状態.著者自身の観察および確実な文献による223
イギリスの労働者階級に寄せる225
序文227
序説230
工業プロレタリアート247
大都市250
競争306
アイルランド人の移住321
諸結果326
個々の労働部門──狭義の工場労働者―─366
その他の労働部門422
労働運動447
鉱山プロレタリアート476
農業プロレタリアート494
プロレタリアートにたいするブルジョアジーの態度510
大陸の社会主義535
ドイツにおける共産主義の急速な進展537
近代に成立し今も存続している共産移住地の記述 548
エルバーフェルトにおける2つの演説563
最近のライプツィヒ虐殺事件―─ドイツの労働運動585
ヴィクトリアの訪問――「王室」間のいがみあい──ヴィクとドイツ・ブルジョアジーの争い─―パリの大工の有罪判決588
ドイツの状態.Ⅰ-Ⅲ590
イギリス穀物法の歴史610
『イギリスにおける労働者階級の状態』補遺615
フーリエの商業論の一断章〔序文と結語〕630
ロンドンにおける諸国民の祝祭637
声明653
〔補録〕
『イギリスにおける労働者階級の状態』の1887年アメリカ版への序文656
『イギリスにおける労働者階級の状態』の1892年ドイツ語版への序言664
〔注解〕681
〔付録〕
文献目録
新聞・雑誌目録
マルクスとエンゲルスの生活と活動
人名索引