http://www.freeassociations.org/
富に関する省察 テュルゴー 1766 TURGOT, Anne Robert Jaques , Réflexions sur la Formation et la Distribution des Richesses
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/1788-turgot-anne-robert-jaques.htmlNAMs出版プロジェクト: コンディヤック Étienne Bonnot de Condillac(1714~1780)1776
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/etienne-bonnot-de-condillac.html@二一 コンディヤック『商業と政府』(一七七六年)。デールおよびモリナリ編「経済学雑纂』、パリ、一八四七年、二六七、〔二九一〕頁。
プルードンはコンディヤックに1843 - De la Création de l’Ordre dans l’Humanitéでロックと両論併記する形で言及している。
古典派経済学研究 1 早坂忠/編 雄松堂出版 1984.10
コンディヤックにおける経済と社会―18世紀フランス経済思想の一特質 太田一広著.
エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%
E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%
E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%83%E3%82%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac、1714年9月30日[1] - 1780年8月3日)は、フランスの哲学者、聖職者である。先行世代のジョン・ロックに影響を受けて主に認識論における研究を行い、経験論的認識論を発展させた。
コンディヤックは1714年、グルノーブルにて法服貴族ガブリエル・ボノとその妻カトリーヌの第七子、末っ子として生まれた。ちなみにその年はマルブランシュが死んだ年でもある。歴史家ガブリエル・ボノ・ドゥ・マブリはコンディヤックの長兄である。なお、マブリだとかコンディヤックというのは父の購入した所領の地名である。
コンディヤックは視力が弱かったため書物から遠ざけられ、12歳まで文字を読めなかったようである。1726年秋に父の死に伴いリヨンで司法長官の役職にあった長兄のもとに引き取られ、1733年までイエズス会のコレージュで哲学、神学、ラテン語などを学び、1733年10月にパリに出てサン・シュルピス神学校とソルボンヌ大学で本格的な勉強を始めた。その後1741年に司祭に叙階された。しかし、彼は神学より哲学や数学や自然学の研究に熱中し、社交界、サロンに入り浸ってジャン=ジャック・ルソー、ドゥニ・ディドロ、ベルナール・フォントネル、ジャン・ル・ロン・ダランベールなどの思想家や学者たちと交わり、一度しかミサを行わなかったという。コンディヤックに深い影響を与えた。1746年に発表した処女作『人間認識起源論』を皮切りに彼は『体系論』、『感覚論』、『動物論』など次々に作品を発表した。1752年、フォントネルと共にベルリン王立アカデミー会員に選出される。1758年、44歳になろうというコンディヤックはパルマ公国の公子の家庭教師に招聘され、1767年までルイ15世の孫に当たる公子フェルディナンドを教えた。1767年に家庭教師の職を辞し、コンディヤックはパリに帰った。その頃には彼の名声は非常に高まっており、翌年アカデミー・フランセーズ会員に選出された。1773年にヴォージャンシーに城館を購入し、そこで『教程』、『通商と政府』、『論理学』、『計算の言語』の執筆に勤しんだ。1780年8月3日、コンディヤックは65歳で死去した。葬儀は生前の意思どおりひっそりと行われた。
コンディヤックはジョン・ロックから決定的な影響を受け[2]、感覚に重点を置いた感覚論、経験論哲学を展開した。彼は「分析」という手法を重要視し、観念を分析し、それを再構成することによって観念をきちんと理解し、明確化することによって誤りや無用の論争を解消できるとした。細部の違いはあれどこのような観念を明確化することによって誤りや論争を解消できるという発想もまたロックから受け継いだものである。
また、彼の記号と分析に関する発想を範としてアントワーヌ・ラヴォアジエは化学記号の整理を行った(化学革命)。つまり、これまで統一感がない呼ばれ方をしていた元素をH、Oなどのように記号化し、それらを組み合わせることによって化合物を構成し、式に著す。そして、あたかも数式を操作するかのように(コンディヤックは計算を思考のモデルとしていた)その式や記号を操作する。この方法ならば、実際に実験をせずとも記号操作のみによって実験結果を知ることができる。
コンディヤックの思想はデステュット・ド・トラシー、カバニスなどフランス学士院設立に尽力した観念学派と呼ばれる哲学者たちに決定的な影響を与え、彼らはコンディヤックの観念の分解と再構成のやり方での学の再編を目論んだ。また、メーヌ・ド・ビランはコンディヤックからの影響を受けて哲学を開始したが、後にコンディヤックとの対決から自身の哲学を練り上げ、フランス・スピリチュアリスムの祖となった。[3]
古典派経済学研究 1
著者名等 早坂忠/編 ≪再検索≫
出版者 雄松堂出版
出版年 1984.10
大きさ等 22cm 369p
NDC分類 331.4
件名 経済学-古典学派 ≪再検索≫
内容 内容:イギリス経験論における方法論的潮流とアダム・スミス 只腰親和著. D.ヒュ
ームの人間労働概念とインダストリー論 坂本達哉著. ハチスンの道徳哲学体系とスミ
ス 梅津順一著. コンディヤックにおける経済と社会―18世紀フランス経済思想の一
特質 太田一広著. J.B.セイにおける市場の論理と社会の把握―イギリス古典派経
済学批判 栗田啓子著. リカードウにおける分配論の形成 千賀重義著. 穀物法批判
の前提―リカードウ・マルサス論争研究序説 服部正治著. J.S.ミルのいわゆる販
路説と恐慌観―『経済学試論集』第2論文の検討 深貝保則著
ISBN等 4-8419-0005-5
以下は『人間知識起源論』が考察の中心、
初期代表作『グラマトロジーについて』の第二部でルソーの読解に取り組んだのにつづき、デリダは再び18世紀フランスの思想家に取り組んでいる。『人間知識起源論』を中心に、感覚論哲学の雄コンディヤックを論じる本書は、デリダによる独創的なコンディヤック読解の書であり、コンディヤック思想の脱構築の書である。『グラマトロジー』とともにデリダ初期を画す「双子の書物」のひとつ。
飯野/和夫
1951年生まれ。パリ第一大学哲学研究系博士課程修了(哲学史)。名古屋大学大学院国際言語文化研究科助教授。近代フランス思想、とりわけ18世紀感覚論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
大月書店 マルクス=エンゲルス全集 online
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK01_02_00第2巻序文 | ||
EM | 聖家族,別名 批判的批判の批判.ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す | 3 |
序 | 5 | |
第1章 「製本親方のすがたをした批判的批判」またはライハルト氏としての批判的批判 | 6 | |
第2章 「製粉所所有者」としての「批判的批判」またはユリウス・ファウヒャー氏としての批判的批判 | 8 | |
第3章 「批判的批判の徹底性」またはJ(ユングニッツ?)氏としての批判的批判 | 13 | |
第4章 認識の静止としての「批判的批判」またはエドガー氏としての批判的批判 | 15 | |
1 フロラ・トリスタンの「労働組合」 | 15 | |
2 ベローの娼婦観 | 16 | |
3 愛 | 16 | |
4 プルードン | 19 | |
特徴をあたえる翻訳 第1 | 20 | |
批判的傍注 第1 | 28 | |
批判的傍注 第2 | 31 | |
特徴をあたえる翻訳 第2 | 35 | |
批判的傍注 第3 | 36 | |
特徴をあたえる翻訳 第3 | 40 | |
批判的傍注 第4 | 46 | |
特徴をあたえる翻訳 第4 | 49 | |
批判的傍注 第5 | 50 | |
第5章 秘密を売る小商人としての「批判的批判」あるいはセリガ氏としての「批判的批判」 | 53 | |
1 「文明における荒廃の秘密」と「国家における無法の秘密」 | 54 | |
2 思弁的構成の秘密 | 56 | |
3 「教養ある社会の秘密」 | 60 | |
4 「正直と敬虔の秘密」 | 70 | |
5 「嘲笑としての秘密」 | 72 | |
6 ワライバト(リゴレット) | 76 | |
7 パリの秘密の世態 | 77 | |
第6章 絶対的な批判的批判.あるいはブルーノ氏としての批判 | 78 | |
1 絶対的批判の第1次征伐 | 78 | |
a 「精神」と「大衆」 | 78 | |
b ユダヤ人問題 第1.問題の提起 | 88 | |
c ヒンリヒス 第1.政治,社会主義および哲学にかんする秘密の暗示 | 92 | |
2 絶対的批判の第2次征伐 | 94 | |
a ヒンリヒス 第2.「批判」と「フォイエルバッハ」.哲学の弾劾 | 94 | |
b ユダヤ人問題 第2.社会主義,法学および政治(民族)についての批判的発見 | 96 | |
3 絶対的批判の第3次征伐 | 102 | |
a 絶対的批判の自己弁護.その「政治的」過去 | 102 | |
b ユダヤ人問題 第3 | 110 | |
c フランス革命にたいする批判的戦闘 | 123 | |
d フランス唯物論にたいする批判的戦闘 | 130 | |
e 社会主義の最後の敗北 | 140 | |
f 絶対的批判の思弁的循環と自己意識の哲学 | 143 | |
第7章 批判的批判の通信 | 151 | |
1 批判的大衆 | 151 | |
2 「非批判的大衆」と「批判的批判」 | 156 | |
a 「かたくなな大衆」と「不満な大衆」 | 156 | |
b 「心やさしく」「救済を求める」大衆 | 159 | |
c 大衆の回心 | 162 | |
3 批判的批判でない大衆,あるいは批判と「ベルリン派」 | 163 | |
第8章 「批判的批判」の世界遍歴と変容あるいはゲロルトシュタイン公爵ルドルフとしての「批判的批判」 | 172 | |
1 批判が馬殺しを犬にかえること あるいは匕首 | 173 | |
2 批判的宗教の秘密の暴露 あるいはフルール・ド・マリ | 176 | |
a 思弁的な「雛菊」 | 176 | |
b フルール・ド・マリ | 178 | |
3 法の秘密の暴露 | 187 | |
a 先生,あるいは新刑罰理論.独房制度の暴露された秘密.医学的秘密 | 187 | |
b むくいと罰.二重の裁判,つけたり一覧表 | 199 | |
c 文明における荒廃と国家における無法との廃止 | 201 | |
4 暴露された「立場」の秘密 | 202 | |
5 人間的衝動を利用する秘密の暴露 あるいはクレマンス・ダルヴィル | 205 | |
6 婦人解放の秘密の暴露 あるいはルイズ・モレル | 206 | |
7 国民経済学的秘密の暴露 | 208 | |
a 国民経済学的秘密の理論的暴露 | 208 | |
b 「貧民銀行」 | 208 | |
c ブークヴァルの模範農場 | 210 | |
8 「あらゆる秘密の秘密の暴露」としてのルドルフ | 212 | |
第9章 批判的批判の最後の審判 | 221 | |
歴史的結語 | 222 | |
E | イギリスにおける労働者階級の状態.著者自身の観察および確実な文献による | 223 |
イギリスの労働者階級に寄せる | 225 | |
序文 | 227 | |
序説 | 230 | |
工業プロレタリアート | 247 | |
大都市 | 250 | |
競争 | 306 | |
アイルランド人の移住 | 321 | |
諸結果 | 326 | |
個々の労働部門──狭義の工場労働者―─ | 366 | |
その他の労働部門 | 422 | |
労働運動 | 447 | |
鉱山プロレタリアート | 476 | |
農業プロレタリアート | 494 | |
プロレタリアートにたいするブルジョアジーの態度 | 510 | |
E | 大陸の社会主義 | 535 |
E | ドイツにおける共産主義の急速な進展 | 537 |
E | 近代に成立し今も存続している共産移住地の記述 | 548 |
E | エルバーフェルトにおける2つの演説 | 563 |
E | 最近のライプツィヒ虐殺事件―─ドイツの労働運動 | 585 |
E | ヴィクトリアの訪問――「王室」間のいがみあい──ヴィクとドイツ・ブルジョアジーの争い─―パリの大工の有罪判決 | 588 |
E | ドイツの状態.Ⅰ-Ⅲ | 590 |
E | イギリス穀物法の歴史 | 610 |
E | 『イギリスにおける労働者階級の状態』補遺 | 615 |
E | フーリエの商業論の一断章〔序文と結語〕 | 630 |
E | ロンドンにおける諸国民の祝祭 | 637 |
M | 声明 | 653 |
〔補録〕 | ||
E | 『イギリスにおける労働者階級の状態』の1887年アメリカ版への序文 | 656 |
E | 『イギリスにおける労働者階級の状態』の1892年ドイツ語版への序言 | 664 |
〔注解〕 | 681 | |
〔付録〕 | ||
文献目録 | ||
新聞・雑誌目録 | ||
マルクスとエンゲルスの生活と活動 | ||
人名索引 |
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