水曜日, 3月 14, 2018

交換様式論入門 リンク 柄谷行人


《私は昨秋[2016年]香港に行きました 。 「柄谷行人に関する国際会議 」があったからです 。
香港だから 、世界各地から多様な参加者がいました 。しかし 、私にとって印象深かったの
は 、その前に 、広州の中山大学に呼ばれたときに見聞したことのほうです 。それは香港か
ら電車で一時間程度の所にあります 。そこで開かれた会議は 「 Dの研究 」に関するもので
した 。簡単にいうと 、これは交換様式 Dを論じたもので 、当時 、 『 a t 』 (太田出版 )
という雑誌で連載中でした 。それはまだ本として刊行されていないだけでなく 、雑誌で
これを読んだ人も少ないし 、反響もなかった 。私自身 、連載を続ける意欲を無くし 、
中断していたのです 。ところが 、中山大学では 、私がそれまでに書いた部分をいち早く
翻訳して 、討議する会議を開いていた 。そして 、私に続きを早く書いてくれというのです 。
そのあと 、私は 「 Dの研究 」の執筆を再開しました 。それは書き終わるまで 、どこに
も発表しない 。できれば 、中国語で先に発表したいと思っています 。》

資本の 「力 」とそれを越える 「力 」 N A M再考
柄谷行人
[2017年11月25日講演録@明大]
現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018 ムック – 2017/12/27
https://www.amazon.co.jp/dp/4791713575/


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現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018 ムック – 2017/12/27

資本の 「力 」とそれを越える 「力 」 
N A M再考
柄谷行人


 私は二〇一一年 、汪暉教授に頼まれて 、清華大学の客員教授として三ヶ月滞在し講義をしました 。今日 、汪暉教授がここに講演に来られた 。私が今日ここで話すことにしたのは 、返礼という気持があったからです 。しかし 、それとは別に 、私はこのところ 、中国とのつながりを強く感じています 。そして 、実は 、それが今 、自分がやっている仕事に深く影響しているのです 。それについて話すことから始めたい 。
 第一に 、昨年 、丸川哲史教授のセミナ ーに参加している中国人留学生たちが 『帝国の構造 』を翻訳してくれた 。それは来年の初めに中国の三聯書店 (趙京華監修 )から出版されることになっています 。第二に 、昨年 、北京の人民文学出版社から 、私の 『坂口安吾論 』を出したいといってきました 。それは二〇年前に 、筑摩書房版 『坂口安吾全集 』全一八巻を刊行したとき 、毎回月報に連載したものです 。これにはびっくりしました 。刊行当初は別としても 、今ではそれを知っている人は少ないし 、私自身も忘れていたからです 。そこで 、念のために 、読んでみたのですが 、なかなか面白い 、これなら 、日本語でも本にしてもいいか 、と思いました 。実は 、以前にも本にするつもりだったのですが 、他の仕事が忙しくて延期している間に忘れてしまったのです 。私が若いときから坂口安吾に関心を抱いていたことは事実ですが 、近年における安吾への関心は 、私個人あるいは日本の状況からではなく 、中国人から喚起されたものです 。また私は 、翻訳者とのやりとりを通して 、全体を丁寧に検討しました 。その結果 、今年の九月に 『坂口安吾論 』 (インスクリプト )を刊行することになったのです 。だから 、この安吾論は 、私の意志というよりも 、外からの誘い 、導きによるものです 。そして 、それが他ならぬ中国であった 。
 さらに 、中国に関連するできごとがもう一つありました 。私は昨秋香港に行きました 。 「柄谷行人に関する国際会議 」があったからです 。香港だから 、世界各地から多様な参加者がいました 。しかし 、私にとって印象深かったのは 、その前に 、広州の中山大学に呼ばれたときに見聞したことのほうです 。それは香港から電車で一時間程度の所にあります 。そこで開かれた会議は 「 Dの研究 」に関するものでした 。簡単にいうと 、これは交換様式 Dを論じたもので 、当時 、 『 a t 』 (太田出版 )という雑誌で連載中でした 。それはまだ本として刊行されていないだけでなく 、雑誌でこれを読んだ人も少ないし 、反響もなかった 。私自身 、連載を続ける意欲を無くし 、中断していたのです 。ところが 、中山大学では 、私がそれまでに書いた部分をいち早く翻訳して 、討議する会議を開いていた 。そして 、私に続きを早く書いてくれというのです 。そのあと 、私は 「 Dの研究 」の執筆を再開しました 。それは書き終わるまで 、どこにも発表しない 。できれば 、中国語で先に発表したいと思っています 。

 さらに 、私は中山大学で 、多くの人たちに出会いました 。その一人は 、先ほど述べた安吾論の翻訳者です 。さらに 、日本では 「素人の乱 」で知られる松本哉の影響を受けた中国の活動家グル ープにも会いました 。私はその人たちと高円寺で会ったことがありました 。松本哉は高円寺商店街で独自のアソシエ ーションを作っています 。彼は 「マヌケ 」と自称し 、理論的なことは一切いいませんが 、彼の考えでは 、今日 、 「勝ち組 」を目指して頑張る人たちが利口だとすると 、最初から 「負け組 」に向かい 、したがって 、負けたとも思っていないような人たちが 「マヌケ 」です 。彼の運動は 、日本でよりむしろ 、中国や韓国で知られています 。


交換様式論入門

「マルクス主義のすぐれたところは、察しますに、歴史の理解の仕方とそれにもとづいた未来の予言にあるのではなく、人間の経済的諸関係が知的、倫理的、芸術的な考え方に及ぼす避けがたい影響を、切れ味鋭く立証したところにあります。これによって、それまではほとんど完璧に見誤られていた一連の因果関係と依存関係が暴き出されることになったわけです。しかしながら、経済的動機が社会における人間の行動を決定する唯一のものだとまで極論されると、私たちとしましては、受け入れることができなくなります。さまざまに異なった個人や種族や民族が、同じ経済的条件下にあってもそれぞれ異なった動きをするという紛れもない事実ひとつを見ただけでも、経済的契機の専一的支配というものが成り立たないことが分かるはずです。そもそも理解できないのは、生きて動く人間の反応が問題になる場合に、どうして心理的ファクターを無視してよいわけがあろうかという点です。と申しますのも、経済的諸関係が生みだされるところにはすでに、そうした心理的ファクターが関与していたはずだからですし、そればかりか、経済的諸関係の支配がすでに行き渡っているところでも、人間は、ほかでもない、自己保存欲動、攻撃欲、愛情欲求が、自らの根源的な欲動の犇(ひし)めきを発動させ、快獲得と不快忌避を衝迫的に求めるからです。あるいはまた、以前の探究で超自我の重要な要求について論じておきましたように、超自我が、過去の伝統と理想形成を代表し、新たな経済状況からの動因に対してしばらくのあいだは抵抗したりもするわけです。」(第三十五講 世界観というものについて「続精神分析入門」、『フロイト全集21』、岩波書店、p235-6)。  

第三十五講 世界観というものについて


マルクスの理論の中で、社会形態の発展は自然史的過程であるとか、社会層における変遷は弁証法的過程を通じて次々と起ってくるなどという命題には、私はついて行かれませんでした。私がこれらの主張を正しく理解しているかどうか心もとなく、またそういう主張は「唯物論的」には聞えず、むしろ例の曖昧な、マルクスもまたそこから出発したへーゲル哲学の沈澱物のような気がするのです。


新潮ibooks精神分析入門下に所収