土曜日, 5月 12, 2018

一華開五葉

瑞巌寺
一華開五葉?


一華開五
葉結果自
然成


University of Illinois at urbana-champaign のJAPAN HOUSE を見学に行きました。残念ながら時間が間に合わずお点前は見ることができませんでしたが、日本から来ていたという素晴らしい掛け軸を拝見することができました。禅宗の初祖達磨大師が弟子に伝えた禅語で、書は大徳寺大慈院住職戸田実山(この書では紫野実山)と書かれています。

一華開五葉 いっかごようをひらき 

結果自然成 けっかじねんになる

ikkagoyouwohiraki kekkajinenninaru”
one  flower opens five petals( leaves).  Eventually it will naturally produce seeds.

[一輪の花が五弁の花びらを開くように、迷いや煩悩から解かれ清浄無垢な心に立ちかえれば、五つの智慧により、やがて自然に仏果菩提の実を結ぶ]という意味だそうです。

 

We visited the Japan House at the University of Illinois – Urbana Champaign.  There, we were lucky to see a beautiful scroll that came from Japan and traveling across the United State for select viewing. The written words are from Bodhidharma, considered the founder of zen Buddhism, commonly known as Daruma in Japan, calligraphy by Toda Jitsuzan, head priest of Daitoku-ji Daiji-in.


http://verdure6.web.fc2.com/zengo/a.html

一期一会(いちごいちえ)
井伊直弼(1815~1860)の『茶湯一会集』の序に「此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊も麁末のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会といふ」とあるのが出典とされる。山上宗二の『山上宗二記』には「常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし、世間雑談、無用也。」とある。「一期」は、人が生まれてから死ぬまでの一生の意。
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一日不作一日不食(いちじつ なさざれば、いちじつ くらわず)
祖堂集』巻十四 百丈和尚に「師平生苦節高行、難以喩言。凡日給執勞、必先于衆。主事不忍,密收作具、而請息焉。師云、吾无德、争合勞于人。 師遍求作具、既不獲、而亦忘喰。故有一日不作、一日不食之言、流播寰宇矣。」(師、平生苦節高行にして喩を以て言うこと難し。凡そ日給の執労は必ず衆に先んず。主事忍びず、密かに作具を収めて、息わんことを請う。師云く、吾に徳なし。争でか合に人を労すべけんと。師、遍く作具を求め、既に獲ずして亦た喰することを忘ず。故に一日作さざれば一日食わずの言有りて、寰宇に流播せり。)とある。
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一無位真人(いちむいしんにん)
臨濟録』に「上堂云。赤肉團上有一無位真人。常從汝等諸人面門出入。未證據者看看。時有僧出問。如何是無位真人。師下禪床把住云。道道。其僧擬議。師托開云。無位真人是什麼乾屎撅。便歸方丈。」(上堂。云く、赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝ら諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。時に僧あり、出でて問う、如何なるか是れ無位の真人。師、禅床を下りて把住して云く、道え道え。その僧、擬議す。師、托開して云く、無位の真人これ什麼の乾屎撅ぞ。便ち方丈に帰る。)とある。赤肉團(しゃくにくだん);生身の身体、肉体。面門(めんもん);口。『天台智者大師禪門口訣』に「面門者口也。」(面門は口なり。)とある。乾屎撅(木厥)(かんしけつ);糞掻きへら。『敕修百丈清規』に「入廁用籌分觸淨」(廁に入るに籌分を用い触浄す。籌は竹の棒。)とある。臨済禅師が上堂して言った。この肉体に一無位真人がいて、常にお前たちの口を出たり入ったりしている。まだ見届けていないものは見ろ見ろ。その時ひとりの僧が進み出て問うた。その無位真人とはなんですか。師は、席を下りて、僧の胸倉を掴んで言った。言え、言え。その僧は躊躇した。師は僧を突き放して、無位真人もこれでは糞かきべらではないかと言って、そのまま居間に帰った。
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一華開五葉(いっか ごようを ひらく)
小室六門』に「説頌曰。吾本來茲土。傳法救迷情。一華開五葉。結果自然成。江槎分玉浪。管炬開金鎖。五口相共行。九十無彼我。」(頌に説いて曰く。吾れもと茲の土に来り、法を伝え迷情を救う。一華五葉に開き、結果自然に成る。江槎は玉浪を分かち、管炬は金鎖に開す。五口相い共に行き、九十にして彼我なし。)とある。『傳燈録』に「問一華開五葉。結果自然成。如何是一華開五葉。師曰。日出月明。曰如何是結果自然成。師曰。天地皎然。」(問う、一華五葉を開き、結果自然に成る。如何なるか是れ一華五葉を開く。師曰く、日出月明。曰く、如何なるか是れ結果自然に成る。師曰く、天地皎然。)とある。『祖堂集』に「惠可便頂禮、親事九年、晝夜不離左右。達摩大師乃而告曰、如來以淨法眼並袈裟付囑大迦葉、如是展轉乃至於我。我今付囑汝、女聽吾曰、吾本來此土、傳教救迷情。一花開五葉、結果自然成。」(惠可便ち頂礼し、親しく事うること九年、昼夜、左右を離れず。達摩大師すなわち告げて曰く、如来は淨法眼ならびに袈裟を以って大迦葉に付囑せり、是くの如くして展転して乃ち我に至れり。我れ今、汝に付囑す。汝は我がを聞け、曰く、吾れ本と此の土に来りて、教を伝えて迷情を救う。一花五葉に開き、結果自然に成る。)とあり、印度より中国に禅を伝えた「達磨大師」が、弟子の二祖慧可に自分の教えを伝えるに際して与えたという伝法偈で、私は印度よりこの中国に来て、仏の正しい教えを伝え迷いや苦悩を救った、そしてそれは一つの花に五弁の花びらが開き、やがて自然に果実が結ぶように、より多くの人の迷いや苦悩を救い世の中を明るく照らすというところか。


http://www.zengift-senshin.co.jp/zengo/a_ikkagoyouwohiraku.html

■ 禅語解説選集


一華開五葉 (いっかごようをひらく)

解説:

対句に『結果自然に成る』とは、一つの花に五弁の花びらが開き、やがて自然に実るように、初祖達磨の教えが末広がりに栄えていくことを予言して、二祖に伝えたとされる言葉。