http://www.freeassociations.org/
縁起(えんぎ、梵: pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、巴: paṭicca- samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となっ .... 常住実体)もひっくるめた、徹底した相依性(そうえしょう、相互依存性)としての縁起、いわゆる相依 性縁起(そうえしょうえんぎ)を説き、中観派、及び大乗仏教全般に多大な影響を与えた。
*
チベットの図と上下逆
ダライ・ラマ14世が『ダライ・ラマの仏教入門』で六道輪廻図を説明している。
赤沼原始仏教之研究101
阿含1:263
中論中272
大乗仏典9:273
ブッダ対話276
『仏教論争』第1章で言及されている以下あたりが基本文献だろう。
13頁
捨ててこそ 空也(新潮文庫) Kindle版
梓澤要 (著)
16頁
阿含経典3 (ちくま学芸文庫) Kindle版
増谷文雄 (編集)
****
234頁
同1
***
21~2頁
22頁
24頁
問答と論争の仏教―宗教的コミュニケーションの射程 (龍谷大学仏教文化研究叢書)
2012/2/1
マルティン レップ (編集), 井上 善幸 (編集), Martin Repp (原著)
33頁
小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)~正田大観 翻訳集 ブッダの福音~ Kindle版
正田 大観 (著)
36頁
1. 2 第二の菩提の経( 2)
…
38頁
1. 3 第三の菩提の経( 3)
**
40頁
縁起の思想2000/7
三枝 充悳
著作集4
55,64,202頁
大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫) 文庫 2004/10/25
梶山 雄一 (翻訳), 瓜生津 隆真 (翻訳)
121~2頁
80,121~2,236,237頁
原始仏教思想論 特に大乗思想の淵源に注意して 木村泰賢 丙午出版社 1922 全集3[207]
128頁
武内義範「縁起説の解釈」
仏教の思想―その原形をさぐる (中公新書 364) 新書 – 1974/6
上山 春平 (編さん), 梶山 雄一 (編さん)
134,142,145,152[366]頁
原始仏教の実践哲学 Kindle版
和辻哲郎 (著)
[366]
https://www.amazon.co.jp/dp/B00YO7231Y
全集5所収(未確認)
*
160頁
ブッダの実践心理学―アビダンマ講義シリーズ〈第6巻〉縁起の分析 Kindle版
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 藤本晃 (著)
160頁
相応部経典 第二巻 (原始仏典II) 単行本 – 2012/5/17
中村 元 (監修), 前田 專學 (編集), 浪花 宣明 (翻訳)
202頁
55,64,202頁
大乗仏典〈14〉龍樹論集 (中公文庫) 文庫 2004/10/25
梶山 雄一 (翻訳), 瓜生津 隆真 (翻訳)
203頁
評説 インド仏教哲学史 2010/12/23
山口 瑞鳳 (著)
216頁
仏教教理之研究 (1981年) 1981/5 赤沼 智善 (著)
232~3頁
248~9頁
『大乗仏教思想論』木村泰賢 全集6
大乗仏教教理論 自我とは何ぞや
http://www.buddhachannel.tv/portail/spip.php?article17727
297頁
柄谷行人『隠喩としての建築』
304~6頁
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 [電子書籍版]
ユヴァル・ノア・ハラリ
_____________
_____________
仏教論争 (ちくま新書) 新書 2018/5/9 宮崎 哲弥 (著)
主要な参考文献は、
80頁~236,237頁
原始仏教思想論 特に大乗思想の淵源に注意して 木村泰賢 丙午出版社 1922 全集3
81[初版230]
153[61]頁
仏教倫理思想史(和辻哲郎全集第19巻) 岩波書店 1963
153[61]頁
134,142,145,152[366]頁:
原始仏典の実践哲学(和辻哲郎全集第5巻)
96頁
印度哲学研究〈第2?〉 (1965年)1965 宇井 伯寿[1926]
原始仏教思想の研究―縁起の構造とその実践 (1969年) 舟橋 一哉
56,190[586]頁
初期仏教の思想〈下〉 (レグルス文庫)1995/4 三枝 充悳
56,190[586]頁
等々
25日に電子書籍版が出るので再度確認したい
ウダーナ聖典(自説経)阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る 1 菩提の章 1. 1 第一の菩提の経( 1)
33,36,38頁
小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)~正田大観 翻訳集 ブッダの福音~ Kindle版
正田 大観 (著)
ウダーナ聖典(自説経)菩提の章 1. 1 第一の菩提の経( 1)冒頭と1. 2 第二の菩提の経( 2)が引用されている
(これが十二支縁起の原型らしい)
unlimitedで読めるのでオススメ
http://www.tipitaka.org/romn/cscd/s0503m.mul0.xml
ウダーナ聖典(自説経)
阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る
1 菩提の章
1. 1 第一の菩提の経( 1)
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ウルヴェーラーに住んでおられます。ネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元において、最初に現正覚した者として。さて、まさに、その時、世尊は、七日のあいだ、結跏一つで坐っておられたのです。解脱の安楽の得知者として。そこで、まさに、世尊は、その七日が過ぎて、その〔心の〕統一(定)から出起して、夜の初更のあいだ(宵の内)、〔物事が〕縁によって生起する〔道理〕(縁起:因果の道理)に、順に、善くしっかりと、意を為しました。
「かくのごとく、これが存しているとき、これが有る。これの生起あることから、これが生起する。すなわち、この――無明(無明:無知)という縁から、諸々の形成〔作用〕(諸行:意志・衝動)が〔発生する〕。諸々の形成〔作用〕という縁から、識知〔作用〕(識:認識作用)が〔発生する〕。識知〔作用〕という縁から、名前と形態(名色:心と身体)が〔発生する〕。名前と形態という縁から、六つの〔認識の〕場所(六処)が〔発生する〕。六つの〔認識の〕場所という縁から、接触(触)が〔発生する〕。接触という縁から、感受(受)が〔発生する〕。感受という縁から、渇愛(愛)が〔発生する〕。渇愛という縁から、執取(取)が〔発生する〕。執取という縁から、生存(有)が〔発生する〕。生存という縁から、生(生)が〔発生する〕。生という縁から、老と死(老死)が〔発生し〕、憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤(愁悲苦憂悩)が発生する。このように、この全部の苦しみの範疇(苦蘊)の、集起が有る」と。
そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。
「熱情ある者に、〔常に〕瞑想している婆羅門に、まさに、諸々の法(性質)が明らかと成る、そのとき(物事が生じては滅する、まさに、その、あるがままのあり方が明らかになるとき)、しかして、彼の、諸々の疑いは、全てが消え去る――すなわち、因を有する法(性質)を〔あるがままに〕覚知するがゆえに(物事が因縁によって生起する道理、つまりは、縁起の理法を覚知するからである)」と。( 1)
36頁
1. 2 第二の菩提の経( 2)
…
「かくのごとく、これが存していないとき、これが有ることはない。これの止滅あることから、これが止滅する。すなわち、この――無明(無明:無知)の止滅あることから、諸々の形成〔作用〕(諸行:意志・衝動)の止滅がある。諸々の形成〔作用〕の止滅あることから、識知〔作用〕(識:認識作用)の止滅がある。識知〔作用〕の止滅あることから、名前と形態(名色:心と身体)の止滅がある。名前と形態の止滅あることから、六つの〔認識の〕場所(六処)の止滅がある。六つの〔認識の〕場所の止滅あることから、接触(触)の止滅がある。接触の止滅あることから、感受(受)の止滅がある。感受の止滅あることから、渇愛(愛)の止滅がある。渇愛の止滅あることから、執取(取)の止滅がある。執取の止滅あることから、生存(有)の止滅がある。生存の止滅あることから、生(生)の止滅がある。生の止滅あることから、老と死(老死)が〔止滅し〕、憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤(愁悲苦憂悩)が止滅する。このように、この全部の苦しみの範疇(苦蘊)の、止滅が有る」と。
38頁
1. 3 第三の菩提の経( 3)
…
かくのごとく、これが存しているとき、これが有る。これの生起あることから、これが生起する。すなわち、この――無明という縁から、諸々の形成〔作用〕が〔発生する〕。
…
まさしく、しかるに、無明の残りなき離貪と止滅あることから、諸々の形成〔作用〕の止滅がある。諸々の形成〔作用〕の止滅あることから、識知〔作用〕の止滅がある。
…
「熱情ある者に、〔常に〕瞑想している婆羅門に、まさに、諸々の法(性質)が明らかと成る、そのとき、〔彼は〕悪魔の軍団を砕破しながら〔世に〕止住する――太陽が、空中を照らすように」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%AA%AC%E7%B5%8C
308~9頁
仏法【新装版】 Kindle版
ポー・オー・パユットー (著)
1:4に十二支縁起詳説
これもunlimitedで読める
*
チベットの図と上下逆
ダライ・ラマ14世が『ダライ・ラマの仏教入門』で六道輪廻図を説明している。
六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)と言えば金子光晴の遺作である長大な叙事詩が思い出されるのだが、
ダライ・ラマは詩的な説明ではなくナーガールジュナ系列のきわめて論理的(=中観帰謬論証派)な説明をしてい
てわかりやすい。
円の上に阿修羅、天、人(この図では阿修羅と天はまとまって描かれている)という三善趣=幸福な転生が、
下に餓鬼、地獄、畜生という三悪趣=不幸な転生が描かれている。
以下の図を知っておくべきだ。
(地獄から始まる六道輪廻図。外縁真下にある無明から時計回りに十二支縁起)
触______受_____愛
/ 天 /\
/ /人 \
六処/ 阿 / \取
/ 修 ____/ \
/ 羅 / \ \
名色_______/ 蛇 雄鶏 \_______\有(~現世)
\ \ 豚 / 畜 /
\ \____/ 生 /
識\ 餓 / \ /生 (未来)
(現世)\ 鬼/ \ /
\ / 地獄 \ /
行\/__________\/老死 (未来)
(過去) 無明(過去)
https://i.imgur.com/Erf4nyz.jpg
(『ダライ・ラマの仏教入門』より)
上の図では欲望(雄鶏)、怒り(蛇)、愚かさ(豚)という三大煩悩=三毒が円の中心に描かれ、
外円には下から時計回りに十二支縁起(因果の系列)が描かれる。以下詳細。
最初は無知(無明)があり、
無知によって行為(行)が生じ、
行為によって意識(識)が生じ、
意識によって名称と色彩(名色)が生じ、
名称と色彩によって六つの感覚領域(六処)が生じ、
六つの感覚領域によって接触(触)が生じ、
接触によって感受作用(受)が生じ、
感受作用によって欲求(愛)が生じ、
欲求によって執着(取)が生じ、
執着によって生存と呼ばれる成熟した業(有)が生じ、
生存によって誕生(生)が生じ、
誕生によって老衰と死(老死)が生じる。
むろんこの因果の系列は逆に回ることもある。
仏陀は転生を否定したとされるので民間信仰との混交かも知れないが、因果系列自体は仏陀の説に近いだろう。
そのことは初期には車輪が仏教のシンボルだったことからもわかる。
24頁
宮崎本書を読む前に以下の図を知っておくべきだ。パユットー『仏法』にもより正確な同図がある。
(地獄から始まる六道輪廻図。外縁真下にある無明から時計回りに十二支縁起)
触______受_____愛
/ 天 /\
/ /人 \
六処/ 阿 / \取
/ 修 ____/ \
/ 羅 / \ \
名色_______/ 蛇 雄鶏 \_______\有
\ \ 豚 / 畜 /
\ \____/ 生 /
識\ 餓 / \ /生
\ 鬼/ \ /
\ / 地獄 \ /
行\/__________\/老死
無明
https://i.imgur.com/Erf4nyz.jpg
(『ダライ・ラマの仏教入門』より)
上の図では欲望(雄鶏)、怒り(蛇)、愚かさ(豚)という三大煩悩=三毒が円の中心に描かれ、
外円には下から時計回りに十二支縁起(因果の系列)が描かれる。以下詳細。
最初は無知(無明)があり、
無知によって行為(行)が生じ、
行為によって意識(識)が生じ、
意識によって名称と色彩(名色)が生じ、
名称と色彩によって六つの感覚領域(六処)が生じ、
六つの感覚領域によって接触(触)が生じ、
接触によって感受作用(受)が生じ、
感受作用によって欲求(愛)が生じ、
欲求によって執着(取)が生じ、
執着によって生存と呼ばれる成熟した業(有)が生じ、
生存によって誕生(生)が生じ、
誕生によって老衰と死(老死)が生じる。
むろんこの因果の系列は逆に回ることもある。
仏陀は転生を否定したとされるので民間信仰との混交かも知れないが、因果系列自体は
仏陀の説に近いだろう。
そのことは初期には車輪が仏教のシンボルだったことからもわかる。
『仏教論争』第1章で言及されている以下あたりが基本文献だろう。
20,235頁
ブッダのことば−スッタニパータ (岩波文庫) Kindle版
中村 元 (著)
#4
八九四 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない。
一三、並ぶ応答 長篇
八九五 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、かれらはすべて他人からの非難を招く。また、それについて(一部の人々から)称讃を博するだけである。
八九六 (たとい称讃を得たとしても)それはかなものであって、平安を得ることはできない。論争の結果は(称讃と非難との)二つだけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏*であると観じて、論争をしてはならない。
#5
…
一一一九 (ブッダが答えた)、 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。
16頁
阿含経典3 (ちくま学芸文庫) Kindle版
増谷文雄 (編集)
〈わたしが証りえたこの法は、はなはだ深くして、見がたく、悟りがたい。寂静・微妙にして思惟の領域を超え、すぐれたる智者のみのよく覚知しうるところである。しかるに、この世間の人々は、ただ欲望をたのしみ、欲望をよろこび、欲望に躍るばかりである。欲望をたのしみ、欲望をよろこび、欲望に躍る人々には、この理はとうてい見がたい。この理とは、すべては相依性にして、縁(条件)ありて起るということであり、また、それに反して、すべての計らいをやめ、すべての所依を捨てされば、渇愛つき、貪りを離れ、滅し尽して、涅槃にいたるということである。だが、もしわたしがこの法を説いても、人々がわたしのいうことを理解しなかったならば、わたしはただ疲労し困憊するばかりであろう〉「聖なる求め その二」
234頁
同1
十二支縁起の構成図
https://lh3.googleusercontent.com/-YNJoL0N-nGs/WvYTljx-P8I/AAAAAAABb2k/evc9epzaV5g9DcAsCkP63ZNPcJrqNDj9wCHMYCw/s640/blogger-image-1084701011.jpg
仏法【新装版】 Kindle版
ポー・オー・パユットー (著)
同書1:4に十二支縁起詳説
24頁
問答と論争の仏教―宗教的コミュニケーションの射程 (龍谷大学仏教文化研究叢書)
2012/2/1
マルティン レップ (編集), 井上 善幸 (編集), Martin Repp (原著)
40頁
縁起の思想2000/7
三枝 充悳
著作集4
134,142,145,152[366]頁
原始仏教の実践哲学 Kindle版
和辻哲郎 (著)
[366]
https://www.amazon.co.jp/dp/B00YO7231Y
全集5所収(未確認)
*
203頁
評説 インド仏教哲学史 2010/12/23
山口 瑞鳳 (著)
216頁
仏教教理之研究 (1981年) 1981/5 赤沼 智善 (著)
249頁
『大乗仏教思想論』木村泰賢 全集6
大乗仏教教理論 自我とは何ぞや
http://www.buddhachannel.tv/portail/spip.php?article17727
304~6頁
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 [電子書籍版]
ユヴァル・ノア・ハラリ
大乗仏典 14 龍樹論集
出版者 中央公論社
出版年 1974.5
大きさ等 20cm 426p
注記 著者の肖像あり
NDC分類 183
件名 仏典 ≪再検索≫ 竜樹
内容 内容:六十頌如理論,空七十論,廻諍論,ヴァイダルヤ論,宝行王正論,勧誡王頌,大乗
二十頌論,因縁心論
書誌番号 3-0190144103
vivekatrek
VINEメンバー
5つ星のうち5.0仏典の訳者も読者も、釈尊の教義を理解することが先決
2013年2月14日
形式: 文庫
本書には龍樹作のサンスクリット詩頌等の8点が現代語に翻訳されている。これらを読んで感じることは、各訳者がサンスクリット語に通暁していても、釈尊の教義をシュダオン向(預流向)のレベルで理解した人でなければ、正しい翻訳は出来ないのであり、その差異が如実に現れていることである。
詳細な説明は省くが、預流向に入った瞬間、その人は一生忘れられないようなある体験を得、それ以降、仏典を読む理解度が日々飛躍的に増すことを本人は自覚する。そして、すでに預流向に入った者は、他人の言動や文章から、その人がすでに預流向に入っているかどうかを知ることが出来る。
本書の中では、『廻諍論』がリトマス試験紙に相当する。これを読んで内容が腑に落ちたならば、その人は預流向に入っている。そして、『廻諍論』から龍樹の人柄を感じることが出来るはずである。
『評説 インド仏教哲学史』(山口瑞鳳著)は、『中論』は本来『般若論』と呼ばれるべきであり、現在の「中論頌」には後世の付加増広により釈尊教説に反する偈頌が含まれていることを指摘している。
『廻諍論』が腑に落ちる人であれば、『評説 インド仏教哲学史』を容易に読みこなすことが出来るはずであり、すでに従来の「中論頌」解釈が不十分であることに気づいている筈である。
ここで、釈尊の教説の真義について触れておきたい。釈尊は凡夫を聖者に導くまでに幾つかの段階を設けている。
<第1段階:因果業報(善因楽果・悪因苦果)の道理を説く「 施・戒・生天の三論」の思想> 第1段階は「邪見(=因果の道理を否定すること)」の除去が目的である。
(1) 施与慈善の話(施論)・・・ 常に慈悲の心がけをもって、困窮者や宗教家などに、衣食住などの施与をなすことについての話。正語(無財の七施の「慈眼施」「和顔施」「愛語施」など)が該当。
(2) 戒律道徳の話(戒論)・・・ 生物を殺傷せず、他の金銭財物を盗まず、嘘をつかず、邪な姦淫を犯さず、というような戒律を守り、常に道徳的な生活を続けることについての話。正業(無財の七施の「捨身施」「心慮施」など)が該当。
(3) 幸福な天国に生まれる話(生天論)・・・ 正命(正語と正業を心懸けた人生は天国往生を遂げる)が該当。
<第2段階:因果の道理を正しく信ずる段階(随信行)で始まる「欲の禍患と離欲の功徳」を説く> 第2段階は自己中心的な「我見」を離れることが目的である。
<第3段階:四沙門果の修行(随法行)>
(1) 苦集滅道の四諦の教えを理論的に理解して「遠塵離垢の法眼」を得た、シュダオン(預流)となる。「生ずるものはすべて滅するものである」という縁起の法を理論的に理解する
(2) 深い禅定に入り、真理を体得して、阿羅漢となる。
第3段階の実践修行法は、「四念処」と「七覚支」が基本である。これを丁寧に説いているのがパーリ仏典相応部経典の『Anapana-sati Sutta(出入息念経)』であり、その漢訳の一部が雑阿含経第29の『安那般那念経』(大正大蔵803番)と雑阿含経第17の『最上深秘四止息』(大正大蔵474番)である。
「四念処」の第四段階である「法念処」では、「二元性の概念」から自由になる訓練が実施される。それを目指して「身念処」「受念処」「心念処」と徐々にレベルを上げていくのである。
それが分かれば、『廻諍論』の龍樹は一貫して「二元性の概念」を放棄して自由になった「勝義諦」の土俵で論じており、反論者は「世俗諦」の土俵で論じていることが理解出来る。こうした視点で「中論頌」を見ていけば、龍樹の作成した頌と後世の付加増広で挿入された偽の頌を識別できる筈である。
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7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
ふみ (@snitori)
2018/05/14 19:04
ちくま新書の「仏教論争」のことだろうか。和辻哲郎、三枝充悳などの学者らによる、縁起についての論争をとりあげた本のよう。「智慧ではなく知識の本」という表現は端的で素敵だと思った。 twitter.com/daiyamedesu/st…
宮崎哲弥氏の新刊を読んでいるが、智慧ではなく知識の本。
もちろん修行には一切関係がない。
知識を増やしたい人以外は用がなかろう。
十二支分
本書自体が六道
人から逆回転
触______受_____愛
23/ /\
/ 天 / \
六処/ 阿 / \取 1
/ 修 / 人 \
/ 羅 / \
名色___________/__________\有
\ /\ /
\ 餓 / \ 畜 /
\ 鬼 / \ 生 /生
④識\ / 地獄 \ / あとがき
\ / \ /
\行__________\老死
無明5
十二因縁
【生放送】5/22(火)宮崎哲弥×村山正司「宮崎哲弥著 『仏教論争──「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)刊行記念イベント」 @MuraShoji
2018/05/22(火) 開演: 19:00
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「縁起」。
日常会話でもよく使われる、なじみ深い言葉だが、仏教2500年の歴史の始点に位置する重要概念でもある。
しかし「これが縁起だ」という定説は仏教全体としては存在しない。
縁起をめぐる論争において、論者達が陥った罠とは?
宮崎哲弥の新著『仏教論争』(https://amzn.to/2Fjul5m)(ちくま新書)は、和辻哲郎、三枝充悳といった知識人・仏教学者たちの論争を取り上げ、仏教のみならず日本近代思想史をも射程に収めた渾身の力作である。
この新著をもとに、いまあらためて「縁起」とはなにか、そして「仏教」とはなにかを、論壇記者四半世紀の村山正司朝日新聞編集委員とともに語る。
↓ 宮崎哲弥さんからのメッセージ!
新著『仏教論争』では、いままで忘れられがちだった、仏教をめぐる知識人たちの論争を俎上に載せています。
その論争が仏教という普遍宗教を主題としながら、各々の観点に時代相が否応なく反映してしまう相状を検証し、いまも決して解消したとはいい難い、外来思想や伝統思想の解釈と導入の困難性を浮かび上がらせたつもりです。
和辻哲郎、宇井伯寿、木村泰賢などヨーロッパの先進思潮に精通した論者たちが、それを仏教の解釈、再解釈に生かそうとしたとき、いかに創見を得、いかに誤ったかを確認することは、仏教者、仏教学者はもちろん、日本近代思想史や現代思想に関心を持つ人々にも何程か示唆するところがあると思います。
対話の相手を務めてくれるのは朝日新聞編集委員の村山正司さん。知る人ぞ知る、この20年の文化・思想トレンドの仕掛け人です。
(宮崎哲弥)
宮崎哲弥著 『仏教論争──「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)刊行記念イベント– ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20180522/
『知的唯仏論』での神秘体験論議: 今この時に....
proginfopre.seesaa.net/article/406306587.html
私は禅定もヨーガも少しずつ修めましたが、この二つの差異は、行法自体よりもその解釈や意味づけの方にあるんですよね。やはり教理と行修実践とがセットになっていて、 知行が双運しなければ仏道にはならないのです。 ラベル:仏教.
日本テーラワーダ仏教協会
www.j-theravada.net/
すべての生命に、苦しみを乗り越えることができますように。 「慈悲の瞑想」フルバージョンを詳細に解説。 解脱の智慧をひらく慈しみの実践を真に理解するための一冊です。https://t.co/hjaHm6ECRd pic.twitter.com/ZGotSH6LqX. — 日本テーラワーダ 仏教協会 ...
はじめにお読みください - 日本テーラワーダ仏教協会
www.j-theravada.net>HOME>初期仏教の世界
このホームページは、釈尊の説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を学び、伝えるために活動している『日本テーラワーダ仏教協会』(宗教法人 事務局:東京都渋谷区 ゴータミー精舎)のサイトです。日本ではまだあまり知られていないテーラワーダ ...
根本仏教講義、2.テーラワーダ仏教 (1)テーラワーダ仏教とは (No10)
パーリ語仏教用語集 『サンガ:SANGHA』
www.j-theravada.net>...>心を育てるキーワード集
サンガという語は「集い、団体、組合」など何かのグループを意味する言葉です。 お釈迦さまは当時のインドで出家サンガグループという悟った人々の集団、一般の人々の規範となるモデル集団をつくられました。仏教の出家サンガというのは無執着の世界で、人を ...
276:
「名は一切のものに打ち勝つ 。名よりもさらに多くのものは存在しない 。名という唯だ一つのものに 、一切のものが従属した 。 」 (中村元訳 『ブッダ神々との対話サンユッタ ・ニカ ーヤ Ⅰ 』岩波文庫 )
No.98
†普遍性の強調 ─ ─初期仏教の縁起観
初期経典には 「縁起をみる者は法をみる 。法をみる者は縁起をみる 」というブッダの言葉が記されている ( 「象跡喩大経 」マッジマ ・ニカ ーヤ所収 ) 。あるいは別の初期仏典 、相応部 (サンユッタ ・ニカ ーヤ )の 「縁 」という経ではこうもいわれている 。
「比丘たちよ 、縁起とは何であろうか 。比丘たちよ 、生によって老 ・死がある 。如来が出現しようとも 、如来が出現せずとも 、このことは確立したことである 。つまり 、法として確立したことであり 、法として決定したことであり 、 〔これが 〕これを縁とすることである 。そのことを如来は悟られ理解されているのである 。悟り理解されてから 、説示し 、教示し 、詳説し 、開示し 、区分し 、明らかにして 、 〈お前たちも 、 〔これを 〕見よ 〉という 」 (並川孝儀 『構築された仏教思想 /ゴ ータマ ・ブッダ 』佼成出版社 )
No.134
†梵天勧請の縁起観
上引の経文が縁起の普遍性 、恒常性を強調しているのに対し 、梵天勧請の説話においては特殊性や無常性が唱えられている 。凡夫には理解し得ない道理として縁起が挙げられているのだ 。原始仏教の大家 、増谷文雄の訳でみてみよう 。
「わたしが証りえたこの法は 、はなはだ深くして 、見がたく 、悟りがたい 。寂静 ・微妙にして思惟の領域を超え 、すぐれたる智者のみのよく覚知しうるところである 。しかるに 、この世間の人々は 、ただ欲望をたのしみ 、欲望をよろこび 、欲望に躍るばかりである 。欲望をたのしみ 、欲望をよろこび 、欲望に躍る人々には 、この理はとうてい見がたい 。この理とは 、すべては相依性にして 、縁 (条件 )ありて起るということであり 、また 、それに反して 、すべての計らいをやめ 、すべての所依を捨てされば 、渇愛つき 、貪りを離れ 、滅し尽して 、涅槃にいたるということである 」 ( 「聖なる求めその二 」増谷文雄編訳 『阿含経典 3 』ちくま学芸文庫 )
その 「理 」が縁起なのである 。増谷訳では 「すべては相依性にして 、縁 (条件 )ありて起るということ 」となっているが 、この 「相依性 」は 、いま述べたようにイダッパッチャヤタ ーを原語とするから 「此縁性 」の方が適切だ 。また文中の 「縁 (条件 )ありて起るということ 」の原語はパティッチャ ・サムッパ ーダだから 「縁起 」でもよい 。従って 「これを縁とすること 、即ち縁起 」と訳すのが適当だ 。つまりこの経で 、縁起はブッダが証得した当体に他ならぬといわれているのだ 。そして 「思惟の領域 」を超えた縁起説は 「世間の人々 」には到底理解できない 。縁起は普遍的に妥当するものではない 、万人に通用する原理でもないと明言されている 。それは常に危機的であり 、損なわれる可能性のある 「真理 」なのだ 。それ故 、梵天の懇請にも拘わらず 、ブッダはそれを教えとして公宣流布することを躊躇した (宮崎 、佐々木閑 『ごまかさない仏教 』新潮選書 ) 。
此縁性 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/此縁性
此縁性(しえんしょう、巴: idappaccayatā, イダッパッチャヤター、梵: idaṃpratyayatā, イダムプラティヤヤター)とは、釈迦が説いたとされる仏教の縁起説の1つであり、その性質を指す。 目次. [非表示]. 1 概要; 2 「十二因縁」「四諦」との関係; 3 脚注・出典; 4 関連 ...
此縁性とは - Weblio辞書
www.weblio.jp/content/此縁性
此縁性とは? 此縁性(しえんしょう、巴: idappaccayatā, イダッパッチャヤター、梵: idaṃpratyayatā, イダムプラティヤヤター)とは、釈迦が説いたとされる仏教の縁起説の1つであり、その性...
、ナ ーガ ールジュナ (龍樹 )の主著 「中論 」 ( 「根本中頌 」 )も 、十二支縁起の解説に一章を割いている 。[#26]
no516
「大乗仏教/上座部仏教(原始仏教)」を理解する本
(1)『〈仏教3.0〉を哲学する 』 藤田一照、永井均、山下良道 (2016)
(2)『別冊100分de名著 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑 (2017)
1.日本の伝統的な〈仏教1.0〉と、上座系瞑想実践的な〈仏教2.0〉を、共に包み超えて、新たな〈仏教3.0〉を提唱。
2.原始仏教から大乗仏教へ、運用面での思想の変容を中心に解説する、数少ないリアルな仏教史。
上座部仏教(原始仏教、テーラワーダ仏教、ヴィパッサナー瞑想)の本
日本
・『悟らなくたって、いいじゃないか ―普通の人のための仏教・瞑想入門』 プラユキ・ナラテボー、魚川祐司 (2016)
・『仏教思想のゼロポイント ―「悟り」とは何か』 魚川祐司 (2015)
・『「気づきの瞑想」を生きる ―タイで出家した日本人僧の物語』 プラユキ・ナラテボー (2009)
スリランカ
・『自分を変える気づきの瞑想法 ―ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想』 アルボムッレ・スマナサーラ (2015)
ベトナム
・『ブッダのの瞑想』 ティク・ナット・ハン (2011)
ティク・ナット・ハンがいいね。
ヴィパッサナー瞑想について、この人ほど平易な言葉で深い洞察をする人はいない。
そういう話をしながらも、時折、井筒レベルの唯識、華厳から曹洞宗まで、
大乗仏教の理論が縦横無尽に展開される。
臨済宗の人で、世界レベルの叡智。
別冊NHK100分DE名著
集中講義 大乗仏教 こうして…
「釈迦の仏教」の経典【原始経典】
【パーリ語の原始経典】 【漢訳された原始経典】
ニカーヤ 阿含経
ディーガ·ニカーヤ 長(じょう)阿含経
【長部】長編三十四経 三十経
マッジマ·ニカーヤ 中(ちゅう)阿含経
【中部】中編百五十二経 二百二十二経
サンユッタ·ニカーヤ 雑阿含経
【相応部】小·中編 千三百六十二経
二千八百七十二経
アングッタラ・ニカーヤ 増一(ぞういち)阿含経
【増支部】小編約二千三百八経 四百七十一経
クッダカ·ニカーヤ
【小部】十五経
クッダカパータ
ダンマパダ(法句経)
ウダーナ
イティヴッタカ
スッタニパータ(経集)
ヴィマーナヴァットゥ
ペータヴァットゥ
テーラガーター
テーリーガーター
ジャータカ
ニッデーサ
パティサンビダーマッガ
アパダーナ
ブッダヴァンサ
チャリヤーピタカ
触______受_____愛
/ 天 /\
/ /人 \
六処/ 阿 / \取
/ 修 ____/ \
/ 羅 / \ \
名色_______/ 蛇 雄鶏 \_______\有
\ \ 豚 / 畜 /
\ \____/ 生 /
識\ 餓 / \ /生
\ 鬼/ \ /
\ / 地獄 \ /
行\/__________\/老死
無明
https://i.imgur.com/Erf4nyz.jpg